レモンの彼 <完結>
だったら私を好きになれ。
彼はいつもレモンの香りだった。
コーヒーを飲んでいる時もすれ違ったその瞬間でさえ、彼からはいつもレモンの香りがした。大人びた見た目から香るその甘酸っぱい誘惑はいつも私を揺らした。
「ねぇ、まだ終わらないの?」
綺麗だった青空も紅に染まりきってしまった。このまま星空を見るはめになるのかと思い始めた私は、痺れを切らして彼に問いかけた。
「んー…あともうちょい」
それと同じセリフを40分前に聞いたというのに再び同じことを言う彼に少しイラついた。
「もうちょいだったら今頃とっくに終わってる!」
「本当にあともうちょいなんだって!日が暮れるまでには終わるから」
「絶対だからね。もうなんでそんなにパソコンうつの遅いの」
「うるさい。俺はお前と違って繊細なんだよ」
「いやいや、不器用の間違いでしょ。生徒名簿の作成なんて文字うてばすぐじゃん」
「あーもう話しかけんな!気が散る!」
「誰かさんのせいで暇なんですこっちは!話し相手くらいになれ」
「お前が一言しゃべる度に俺の作業が3分遅れると思え」
それはダメだ。本当にいつ終わるか分からなくなる。
「大人しくしてるから急いでよね、本当に。」
ヒラヒラとテキトーに振られたその手は気だるげに私をあしらった。
それから私は知っている限りの「暇つぶし」をやり尽くした。
携帯の充電が残り8%になり、机の上の折り鶴が97羽になった頃。
「終わったぁーーー!!」
という声がカーテンの向こう側から聞こえた。
「終わった?」
一応確認のためにカーテンをめくって向こう側を覗いた。
「終わった終わった、完璧。」
「ギリギリ日沈まなかったね。」
「まぁもう十分暗いけどな。よっし、さっさと帰るか。」
「うん。お腹すいた」
「そういや俺も腹減ったなぁ。カレー食べたい。」
「あ、分かる。」
「おばさん今日も遅いのか?」
「うん。夜勤だって。」
「じゃあついでに食ってけよ。」
「…。じゃあ、お邪魔しようかな。」
「ん。ちょっと俺トイレ行ってくるから窓閉めといて。」
「はーい。」
そのまま真っ直ぐドアに向かうと思ったのに何故かパソコンのある方へ向かって、何かを私に放り投げた。
「ぅわっ、ちょっ。」
「ハハッ。ナイスキャッチ。」
手の中にあったのは
「もー、またこのアメ?」
「んだよ、好きなんだからいーだろ。」
「まぁ、おいしいからいーけどさ、りっくんずっと好きだよね。」
「俺は一途だからな。1回好きになったら長いんだよ。」
だったら私を好きになれ。
なんて、そんな言葉をぶつけられる訳もなく
「あー、ハイハイ。いーから早くトイレ行くなら行ってきて。」
と適当にやり過ごした。
もらったアメは口に含むといつもりっくんから香るレモンの風味がした。私と初めて出会ったりっくんが小6で私が4歳の頃からすでに、りっくんはこのアメが好きだった。
それを知っているのが少し特別に感じて、でもそんなに好かれているアメに嫉妬したりして。
口の中のレモンの味は舐める度に私の心を切なくした。りっくんが私にこのアメをくれる度に私の心は切なくなった。
ビュゥと強い風が吹き抜けて窓を閉めなくちゃいけないのに気づいた私は、錆び付いた窓枠に手を伸ばした。順調に閉めていったが最後の窓がかたくてなかなか閉まらなかった。
「もー本当に古い校舎だなぁー。」
力一杯引っ張ってもビクともしなかった。
すると、後ろに気配を感じた瞬間に後ろから伸びた手が簡単に窓を閉めた。
「この窓はコツがいるんだよ。」
耳元で聞こえた声がいつもより低く感じてぞくりとした。
近い、と思った。ダメだ、と思った。
「さ、先に言っといてよね。結構手こずったんだから。」
火照る頬と跳ねる心臓がバレたくなくて何ともないようにスルリと腕の間をぬけた。
「悪い。言うの忘れてたんだよ。」
「いーよ。りっくんが閉めてくれたし。」
「お前帰る準備できた?」
「うん。」
「じゃあ鍵閉めるから出ろ。」
「はーい。」
ガチャリと軽いような重たいような音をたてた南京錠は一体何回彼に触れられたんだろう。
いつから私はこんな風に考えてしまうようになったんだろう。
「この鍵をかけるのにもコツがいるんだぜ?」
たかが鍵を閉めるくらいで自慢げな顔をするこの大人を、私は一体いつから好きなんだろう。
「りっくん、鍵返しに行くでしょ?私、先に降りとくね。」
「おう。…あっ!」
「えっ、なに?」
「アメ、うまかった?」
「え?別にいつもと変わんなかったけど…」
「ハァー…分かってねぇなぁ。あれは当たりなんだよ。」
「当たり?っていうかあれ不良品でしょ。丸かったし。」
「バッカそれが当たりなんだよ。」
「りっくんが勝手に言ってるだけでしょ。」
りっくんが好きなアメは普通レモンの味でレモンの形をしているのだけど、たまに混じるのだ。不良品が、丸い形の。でもりっくんはそれを当たりだという、特別だから当たりだと言う。本人には絶対言わないけど、私はりっくんのそういう考え方が好きだ。バカっぽいけど、どこか温かいまるでりっくん自身のようで、好きだ。
「あ、それとさ…」
「なに?」
「ここじゃあんまりりっくんって呼ぶなよ。」
「うん、ごめん。分かってるよ冴木先生だもんね」
「ん。ごめんな。」
「何で謝るの」
「だってお前なんか泣きそうな顔したから。」
気づくな、バカ。
「し、してないよ!こんくらいで泣く訳ないでしょ。ほら早く行ってきて。」
「おう。下で待っといて。こけんなよ。」
「こけないよ!うるさいな!」
私が下足へ、りっくんが職員室へ向かってすれ違ったその瞬間も、りっくんからレモンの香りがした。
やっぱり、この香りは私を切なくする。越えてはならない境界線があることを私に突きつける。
「あぁもう、痛いな。」
零れ落ちた一言は虚しく階段に鳴り響いた。
「冴木先生。」
顔色一つ変えずに振り向く先生。私はあなたをこう呼ぶだけで息が詰まるのに。
「何でお前のほうが遅いの。」
「色々あったのよ。」
「えっ?こけたの?だから言ったのに。」
「こけてません!」
「分かってるって!そんなムキになんなよ。」
「ムキにさせてるのは誰よ。」
「さぁ?」
「その顔ムカつく。」
「イケメンすぎてムカつくって?あぁ、それは悪かったな。」
「ホントにムカつく。」
ちょっと整ってるからって調子に乗って。
「まーお子様には俺の色気が分かんねーかなぁ」
「お子様言うな!」
「まーたすぐムキになる。」
「もう高校生だし!十分大人だもん!」
「高校生なんてまだまだお子様だ、バカ。」
「りっくんより落ち着きあるし!」
「てめぇ!いい度胸だな!」
ムキになってるのなんて分かってる。まだまだ追いつけないのも分かってる。でも、お願いだから
歳を理由に突き放さないで。そんなん一生追いつけっこないから。
「じゃあ、着替えたらまた来いよ。」
「うん。すぐ行く。」
「あっ、俺ん家カレールーねぇんだった。あったら持ってきて。」
「バーモンドならあると思う。」
「辛口?」
「中辛」
「中辛かー…甘いんだよなぁ。」
「もーだったら買いに行ったらいーじゃん。」
「めんどくさい」
「じゃあ文句言わないで、我慢して。」
「はーい。」
こんな時、りっくんの方がよっぽどお子様だと思うんだけど本人に言ったらきっと怒るから絶対言わない。
でも、私が家に入って鍵を閉めてから、少し遅れて隣のドアが閉まる音がする。いつもそうだ。
私が鍵を閉めるのを確かめてから家に入る。
そういう所はやっぱり「大人」なんだと思って少し悔しい。こんな風にさり気なく守られてる私はやっぱりまだ「お子様」なんだろうけど、この子供扱いだけは嫌じゃないからここは素直にまだ「お子様」でいてあげる。
この想いに終止符を。
着替えてお隣にお邪魔すると、カレーのいい匂いが家中に立ちこめていた。その匂いで初めて自分がかなり空腹だったことを自覚した。
「りっくん。」
「お、早かったな。もうできるからご飯よそってくれ。」
「うん。りっくんどんくらいいる?」
「結構入る。」
炊飯器をあけてご飯をよそった。炊きたてのご飯の匂いは「幸せ」だ。その匂いで私はまたお腹をすかせた。
「りっくん、こんくらい?」
「おぉ、そんくらい。」
「やった、ぴったり。」
「あ、お前サラダも食えよ。」
「………。」
「返事は。」
「絶対食べなきゃダメ?」
「当たり前だろ。緑もちゃんと食べないと体壊すぞ。」
「だって野菜おいしくない。」
「カレーと交互に食べたら味なんて分かんねぇよ。」
「………ちゃんと食べるよ。」
「ん、偉い偉い。」
ポンっと頭に何かが触れた。それがりっくんの手でその手は私の頭を撫でていて、それを自覚した瞬間私の頭は完全にショートした。
でもそんな事を気づかれる訳にもいかず、りっくんにバレないように私は自分の意識を叩き起した。
「だ、だから子供扱いしないでってば!」
「ピーマンもナスも食べれるようになってから言え。」
「そ、そのうち食べれるようになるもん!」
「せめておばあちゃんになるまでには食えるといーな。」
「馬鹿にしてるよね?」
「いやいや、応援してんだよ。俺は優しいからな。」
うん、知ってる。
ちゃんと、知ってる。
りっくんの優しさは分かりづらいけど、普段はヘラヘラしてて何にも考えてなさそうだけど、人の気持ちの一番大事なところだけは見逃さない。
りっくんの不器用で温かい優しさに何度も救われた。
……悔しいから絶対言わないけど。
「なんかいつもより辛くないね?」
「中辛と甘口混ぜた。」
「えっ!りっくん辛いの好きなのに珍しいね?」
「誰かさんがこの前辛そうに食ってたからな。辛口も食えないお子様の誰かさんが。」
「………。りっくんいっつも一言多い。」
「俺の優しさにもっと感謝しろよ!」
「はいはい、お子様舌の私のためにありがとうございますぅ。」
「お前はいっつも生意気だな。」
「お互い様でしょ。」
「まぁ、それもそうだな。」
やっぱりりっくんの舌にはこのお子様カレーは物足りなかったのかキムチを福神漬けのかわりにしていた。カレーにキムチをトッピングする人なんて初めて見たし、そろそろりっくんの辛党も末期だ。
もともと味音痴の当の本人はあまり気にしてなさそうだったけど。
食後のアイスを食べながらお笑い番組を見るのがいつものことなんだけど今日は一歩踏み出すと決めていた。
りっくんはアイスも小さい頃からずっと好みが変わってなくて大人になった今もメロンの形の容器を握りしめている。
いつかの心理テストで食べ物の好みが変わらない人や物を大切にできる人は恋人も大切にするって言ってたっけ。
りっくんに初めて彼女ができた時、何故か胸が痛かったのをよく覚えている。その頃の私は幼くてその感覚が何なのか分からなかったけど、りっくんが四人目の彼女と別れた時には、もうすっかりその感覚は私の心の奥深くに根付いてしまっていた。
どの彼女とも最低一年以上は続いていたからいつかの心理テストは当たっていたらしい。
大事にされて羨ましいだなんて一体いつから思うようになったんだろう。
別れる度に内心でガッツポーズだなんていつからそんな悪いやつになったんだろう。
一体いつからこの人が好きなんだろう。
気づけば根付いたこの熱をもう燻らせておくのも限界だ。そのうち燃え上がって燃え尽きるなんてごめんだから、いっそ正面から消火してもらおうって思った。もう気持ちのこもってない「おめでとう。」
を言うのも限界だから、五人目ができる前にいっそ撃沈してしまおうと思った。
せめてあの余裕なすまし顔を崩せるくらいには私のことを考えてくれますように。
「ねぇりっくん。」
半ば強制的にテレビを消された目の前の大人は不機嫌そうにこちらをみる。
「なんだよ。」
「怒ってるね?」
「はぁ?週一の楽しみ潰されたんだから当たり前だろうが!」
「ごめんって。」
「ぜってぇ思ってねぇだろ!どーせお笑いが癒しなんてウケるとか思ってんだろ!お前はいっつも俺を小馬鹿にし」
「ねぇ、私りっくんのこと好きだよ。」
「……………は?」
「ライクじゃなくてラブで好きだよ。」
「いや、ちょっ、と。待って、え。」
「もういつから好きか分かんないくらいには好きだよ。」
「おい!待てって、頭がついていかねぇ。」
「意地悪で大人気なくて精神年齢低くてたまに小学生みたいなこと言うけど。」
「……………。」
「それでも、私が悲しい時には何故かいつの間にか隣にいてくれて、私の大事なものはちゃんと大事にしてくれるりっくんが!」
「ホントにホントに大好きだよ。」
嗚咽混じりの見苦しい告白を一度も目を逸らさずにちゃんと聞いてくれた。
りっくんはただ小さく「うん。」と答えてから黙りこくってしまった。
沈黙に耐えきれなくて今から冗談だって繕おうかななんて思い始めた頃に
「俺は、正直お前を手のかかる妹くらいにしか思ってなくて」
ようやくりっくんが口を開いた。
嗚呼 きっと私が傷つかないような言葉をずっと探してたんだろうなぁ。答えなんて決まりきってたのにそれでもあんなに時間をかけて答えてくれるんだよなぁ。
今、告白した相手なのにまた好きが重なって、重なった分の好きをもう一度伝えたいと思った。
でも、そしたら優しいこの人はきっと困ってしまうから私はちゃんと好きを心に縛り付けた。
「だから、お前のことは大切だけど俺のはどっちかっつーとラブじゃなくてライクっていうか、恋愛感情としての好きではないから。だから、」
あ、私大切に思われてたんだ。りっくんに大切にされてたんだ。やだなぁ、ホントにやだなぁ、それだけでこんなに嬉しいなんてホントに好きすぎて嫌になるなぁ。それだけでこんなに報われた気持ちにさせるなんてホントにずるいなぁ。
ダメだなぁ、振られてるのに好きを重ねてどうするんだ。もう吐き出せない想いを重ねてどうするんだ
「だから、ごめん、な。」
ちょっとだけ告白したことを後悔した。ごめんと言われたことじゃなくて、りっくんにごめんと言わせてしまったことをちょっとだけ後悔した。
優しい人なのを知ってたのに相手が傷つくと自分も傷つくような人なのを知ってたのに、ごめんと言った時に私よりもりっくんのほうが痛そうだったのを見て、ちょっとだけ告白したことを後悔した。
「あと、ありがとな。」
待って。
「いつから好きか分かんねえくらいこんなやつを好きでいてくれて」
待って。
待って、待って、待って。
「嬉しかった。」
ここで「ありがとう」はずるい。
ここでその笑顔はずるい。
その顔で頭撫でてくるのはずるい。
ここにきてまだ好きにさせるのはずるい。
私ばっかり好きなのがずるい。
思ってたよりもりっくんが好きなのが悔しい。
訳もわからない涙が出てくるのが悔しい。
泣くつもりもなかったし、私の涙腺はもっと強かったのにりっくんを前にするとてんでダメだ。
嗚呼 もう 好きだなぁ。大好きだなあ。
泣きながらそんなことばっか頭に浮かんで長年燻らせた想いはなかなか燃え尽きてはくれなそうだとおもった。
五年後に、願わくば。
なかなか泣き止まない私を見かねてりっくんが温かいレモネードを淹れてくれた。
熱がある時、落ち込んでる時、喧嘩した時、つまり私が弱ってる時にはいつも淹れてくれた。
何となくいつもりっくんが食べてるレモンの飴と同じ味がするなんて言ったら、どっちもレモン味なんだから当たり前だろ。なんて鼻で笑わられたっけ。
でもね、りっくん。
これを飲む度にあなたの温もりと気遣いが優しすぎて余計に泣けてきてどうしようもなかったなんて知らないでしょ。
泣きすぎて逆にスッキリしてたなんて知らないでしょ。泣き虫だなぁ。なんて笑ってたけど、りっくんの前以外では滅多に泣かないなんて知らないでしょ。
やっぱり今日も泣きすぎて逆にスッキリしてしまった私はどうせ振られるならいっそのこと。と思ってりっくんの優しさにつけこんだ。
「りっくん。」
「ん?」
「私、五年後にはEカップのナイスバディな黒髪美人になってる予定なの。」
「………は?」
「さらにはきっと料理もお菓子作りも上手な優良物件になってる予定なの。」
「その頃にはきっとナスもピーマンも食べれるようになってて、カレーも自分で作れるようになってる予定なの。」
「それはすげぇな。」
「うん、でしょ。」
「だからさ、」
制服を脱ぎ捨てて、あなたがスーツを着てても隣に並べるくらいには私が大人になったその時に
「五年後に、もう一回告うからどうか聞いてくれませんか。」
「………宣戦布告かよ。」
「はぁ?いやいやいや今のはどう考えてもお願いでしょ。」
「ホントにお前はいっつも俺の斜め上を行くよなぁ。やっぱりバカだもんなぁ。」
「褒め言葉として受け取っとくね。」
「五年後には俺はもう立派なアラサーなんですけど。」
「それでもきっと好きなので問題ないです。」
「………あぁ、そ。」
「あ、今ちょっと照れたでしょー!!!」
「うっせ!バカ!こっち見んな!」
「ここまでさらけ出したんだからもうグイグイ行くよ。」
「あぁ、もう、お手柔らかによろしく。」
「もうりっくんだけが余裕ぶっこく時代は終わったんだからね!」
「さぁ、それはどうかな。」
「え、」
ドラマとかで聞いたことのあるいわゆるリップ音がどこからか聞こえて、
「ハハッ。すっげえ顔。」
目の前のドヤ顔のりっくんと自分のほっぺの感覚が繋がった時には、あぁ、キスってホントにあんな音するんだ、なんて馬鹿なこと思いながら嬉しいやら悔しいやらまた好きにさせられたやらで訳わかんなくなって何故かキレた。
「み、未成年に手ぇ出していいんですか!このくそジジイ!」
「ほっぺにチュウくらいで大袈裟だなぁ。」
「乙女の純情舐めんなよ!」
「やっぱりお子様にはちょっと早かったかな。」
「はぁ!?そのお子様に手ぇ出したのは誰だよ!」
「そんなん言いながら嬉しかったんだろ?」
「死ぬほど嬉しかったよ!くそジジイ!」
「………わぁ、素直。おじさん照れるわ。」
「手ぇ出したからには責任とれよ。」
「五年経ったら考えてやるよ。」
「言ったな!絶対だからね!」
「はいよー。」
あぁ、もう、やっぱりお前が余裕なのか。
やっぱり私が振り回されるのか。
何着々と食器片付けてんの。もうちょっと余韻くらいあったっていいじゃん。何鼻歌なんて歌ってんの。鼻歌のくせに音痴ってなんなの。
いつもよりちょっとご機嫌なのが私のせいだなんて自惚れてもいいかな。
いつもならじゃんけんで決める皿洗いも勝手にやってくれるくらいご機嫌なのは私のせいだなんて自惚れてもいいかな。
「りっくん。」
「んー?」
「これから毎日耳元で好きだって言いづけたらそのうち洗脳されてくれる?」
「うわぁ、おじさんちょっとびっくりよ。怖ぇなお前。」
「ねぇ、もう妹だなんて思わないほうがいいよ。食われるよ。襲っちゃうよ。」
「はいはい。気をつけまーす。」
「絶対その余裕ぶち壊してやるから。」
「まぁ、もう割とヤバいけどな。」
「え。…………ホントに?ホントのほんとに?」
「そりゃ、あなたのために良い女になります♡なんて言われちゃあなぁ。」
「その言い方はやだ。間違ってないけど、やだ。」
「言っとくけど、大人の五年はでかいからな。」
「でもその五年私にくれるんでしょ?」
「まぁ、見届けてやるよ。」
「うんっ!」
「ってかお前、俺に何年費やすつもりなの。馬鹿じゃねえの。」
「自分でもそう思う。」
「おい、自分で言ったけどそこは否定しろよ。」
「でもまぁ、好きなのでしょうがないんですよ。」
「…………あぁ、そ。」
「りっくんまた照れてるーーー!!!」
「うっせえ!馬鹿やろう!」
「おじさん意外とちょろいね?」
「やめろ!ほっぺをつつくな!」
ねぇ、りっくん。
五年後の二人がどうなってるか今の私にはまだ分からないけれど、今しばらくはこうやって二人で馬鹿みたいな日常を送れれば幸せだと思うの。
エピローグ
彼はいつもレモンの香りだった。
コーヒーを飲んでいる時もすれ違ったその瞬間でさえ、彼からはいつもレモンの香りがした。大人びた見た目から香るその甘酸っぱい誘惑はいつも私を揺らした。
彼はいつもレモンの香りだった。
隣で寝ている時も抱き締められたその瞬間でさえ、
彼からはいつもレモンの香りがした。
初めてキスした時にはレモンの風味が口に残った。
見た目とは裏腹の子供っぽさに合うその甘酸っぱい
誘惑はいつまでもいつまでも私を揺らし続けた。
レモンの彼 <完結>