White×White

時季外れで申し訳ないです。

「はあっ」
大きな溜息が、白銀の世界に白く滲んでは消える。
悴む手を深くコートのポケットに突っ込むと、積もり続ける雪を靴先で蹴った。
スカートから覗く足は、寒さで真っ赤になっている。
弥生は深々と降り続く雪の中を傘も差さずに、不貞腐れて歩いていた。

春分まで僅かに迫る三月。
本来であれば、うららかな春の日でなければならない今日は、人生で一度きりの中学校の卒業式だ。
それだというのに、冬将軍が地団駄を踏みながら、やって来る春の使者に最後の抵抗をしているような空模様。
だから、皆が別れを惜しむ教室の中から逃げるように弥生は学校を出た。
胸に付けた白い花飾りもそのままにして。

人気のない通学路を黙々と歩く。頭の上にはすっかり雪が積もっている。
けれど、弥生にはどうでも良いことだった。
心も体もとうに凍てついていたからだ。
しかし、その眼だけは違った。
止めどなく熱い涙が流れ落ちている。拭うこともせずに、ただ流れるに任せた。
「雪のせいだ」
弥生は怒った風を装って呟いた。
その声は僅かに震えている。だがそれは「寒さのせいだ」と彼女は言うだろう。
買ったばかりのローファーは、すっかり雪に濡れている。
唐突に、視界が傾く。
「まずい」と思ったときには遅かった。足を滑らせたのだ。
持っていたバッグが大きく弧を描きながら飛んでいくのが見える。
強かに体を打つと、弥生は雪の中に埋まっていた。
冷たさよりも、虚しさが勝る。
起きあがる気もなく、しばらくそこに目を閉じて横たわっていた。
冷え切った体に雪が積もっていく。
このままここで終わるのも悪くはない。
そんなことを考えている時だった。
キシッと雪を踏む音が近づいてくる。その音は弥生の傍らで止まった。
「お嬢さん。それでは凍えてしまうよ」
柔らかく艶のある青年の声だった。
声の主は強引に弥生を助け起こすと言った。
「折角の記念日が台無しだ」

声の主は、美しい青年だった。
白いコートに白いバンツ、靴も傘も白で、その姿は白い景色の中に溶けてしまいそうだ。
艶のある黒髪と、片手に持った弥生の赤い鞄が浮いているように見える。
青年は、弥生の手を引くと自分の傘の中に入れた。
氷のように冷え切った手に、ゆるゆると血が通い出す。
惚けたように弥生は青年の顔を眺めた。彼は始終優しげな笑みをたたえている。
幾時そうしていただろうか。ただ雪の降る音だけが聞こえる。
弥生は我に返ると、繋がったままの手を振り解いた。
先程までびしょ濡れだったはずの制服は、今まで太陽の下に居たかの様に暖かく乾いていた。
「誰?」
呟くつもりで言った言葉は、思いもよらず勢い良く飛び出た。図らずも攻撃的だ。
すると青年はその言葉を待っていたかの様に、嬉しそうに微笑むと言った。
「君からもらった素敵なプレゼントの、お返しをしに来たんだよ」
弥生は青年の態度に眉を潜める。正常な人出あれば、ここは微笑む場面ではない。
弥生の警戒心など気にかけることもなく、彼は続けた。
「いつ声をかけようかと迷っていたんだ。そしたら、君がこんなところで寝転がっていたから。僕は本当に運が

いい」
弥生は一歩後ずさった。青年の差し出す傘から僅かに出た肩に、ぽたりと滴が落ちる。
いつでも走り出せるように、僅かに体勢を低くする。
顔が良いだけの不審者にしか見えない。
青年が持った鞄だけが気がかりだった。
しばらくそれを凝視しながら思案を巡らせていたが、ようやく諦めをつけた。
財布の中には、五千円も入っていたというのに。田舎の中学生にとっては十分大金だ。
弥生は鞄に心の中でさよならを告げると、勢い良く振り返った。
なかなかのスタートダッシュだ。
が、ドンという音と共に弥生の体は、青年の胸に沈んでいた。
何が起きているのか理解できない。
「まだ行かないでおくれ。君に何も返していないじゃないか」
そう青年は言うと、ゆっくりと弥生の背に腕を回した。
驚いて一瞬身を固くするが、雪が溶けるかのように身体から力が抜けていく。
強く暖かな腕が心地良い・・・
(違う。違う)
思わず雰囲気に流されそうになるが、必死で正常な思考が抵抗をした。
「放して」
ようやっと口に出した言葉は、先程とは打って代わって弱々しい。
青年は、言われるがまま腕を解いた。
弥生は頬が熱くなっていることに気が付き、それを隠すように顔を手で覆う。
ひんやりと冷たい手が火照った頬に心地よい。
(こんな変質者にときめくなんて・・・)
弥生の頭には、逃げようという考えがいつの間にか消え去っている。
それどころか、青年から離れられない。
その事実が恥ずかしく顔を上げられない。
弥生は俯いたままスカートの裾をギュッと握りしめた。
「私、あなたに何もあげていないわ。それどころか、会ったこともないわよ」
気にかかっていたことを言う。
途端、青年の気配が悲しげな色を帯びる。
先程までは全てを受け入れる白なら、今は空白の白。
暖かな手のひらがポンと弥生の頭に置かれる。それは、そのまま優しく髪を撫でた。
探るようにゆっくりと瞳を上げる。
視線がかち合うと、青年は緩やかに微笑んだ。
「君にとっては些細なことでも、僕にとってはとても嬉しいことだったんだよ」
髪に触れていた手がゆっくりと頬を撫でる。
そのあまりのここ良さに、弥生の心臓が跳ねる。
僅かに飛び上がるように、青年を見上げた瞳がきらきらと輝いた。
青年が「これ」とポケットから差し出したのは、見覚えのある小さな赤い箱。
それを見て弥生は合点がいった。
それは、結局渡すことの出来なかった箱だった。
「だって、これ、本当は違う人に渡すはずだったのに・・・」
弥生の言葉に青年は首を振った。
「誰に渡そうとしていたかなんて、関係ない。ここには君の大切な気持ちがいっぱい詰まっていたよ」
弥生の瞳に涙が浮かぶ。
流れ落ちないように必死に耐えるが、溢れる涙は輝きながら頬を伝った。
それは、先程のそれとは違う色をしていた。
ずっと押さえてきた心が溢れてきたのだ。
頬を伝う涙は、キラキラと輝きを放ちながら雪に沈む。
必死に涙を拭う弥生を、青年は優しく抱きしめた。
「僕はちゃんと知っているから」
弥生は、暖かな腕の仲で気が済むまで泣き続けた。
凍っていたはずの心は、涙を流す程に溶けていく。

雪の中に、弥生の小さな泣き声が混じる。
ようやく泣きやんだ弥生は、僅かにしゃくり上げながら青年を見上げた。
泣きはらした目はすっかり赤くなっている。
それでも心いくまで泣いたせいか、表情は晴れやかだった。
青年は弥生の様子を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
彼の手が弥生の頬を被う。
「僕にはこれくらいの事しか出来ないけれど」
指がそっと瞼を拭うと、泣いた所為で重く晴れ上がっていた目が軽くなる。
見上げる弥生に、青年は優しく微笑んむ。
「ちゃんと前を向いて歩くんだよ」
青年はそう言うと、持っていた鞄と傘を弥生に渡す。
キシッと、雪を踏み立て彼は一歩引いた。
「それでは、またね」
青年は美しい手を軽く振った。
弥生は何を言うでもなく、そんな彼の姿を見つめる。

かちり。


カサカサと雪の降り積もる音が、静かな世界に満ちている。
弥生はぼんやりと立ちすくんでいた。
右手には、先程までは持っていなかったはずの傘が握られている。
ガサッ。
僅かに身体を傾けた拍子に、傘に積もった雪が滑り落ちた。
その音に、弥生は我に返る。
差した傘を不審げに見つめた。
弥生は、こんなに真っ白で綺麗な傘を持っていない。
学校の傘置き場から持ってきてしまったのかと、不安げに瞳を揺らした。
きっと本来の持ち主は、困っているに違いない。
弥生は、学校に引き返そうかと迷う様に、幾度か足踏みを繰り返す。
ふと、視界に雪に埋もれた膝丈ほどの何かが写った。
引き寄せられるように、それに近づく。
迷うことなくそれに手を伸ばすと、雪を掻き分けた。
次第に指先がじんわりと冷たくなっていく。

そこには、小さな地蔵がいた。
白い前掛けを纏って、じっとそこに佇んでいる。
それを見て、ようやく弥生は思い出した。
バレンタインに渡せなかったチョコレートを、小さな地蔵にお供えしたことを。
弥生は、しばらく地蔵を見つめてから、吹き出すように笑みを浮かべる。
鞄を抱え直し、中から白い箱を取り出した。
中身は、卒業式で貰った紅白饅頭だ。
慎重に箱を開け、白い方をつまみ上げる。
ふっくらとした饅頭は、微かに餡の匂いを漂わせた。
それを地蔵の足下に置くと、パンッと音を立てて両手を合わせる。
「元気付けてくれて、ありがとう」
そう言って勢い良く立ち上がった弥生は、白い傘をくるくると回しながら家路に着いた。

暗く重たい色をしていた空は、いつの間にか白く明かりを放っている。
最後の雪は、もう直去るだろう。

White×White

一ヶ月以上前からちまちまと書いていたのが、取り敢えず書き上がりました。
ちょっと文脈とかにばらつきがあったりと、読みにくくて申し訳ないです。
何か伝われば良いのですが……
自分の能力の低さにげんなりです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

White×White

卒業式の帰り道、弥生は不審な青年に遭遇する。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-30

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