the Park -3.尻軽女と潔癖女

公園を舞台にした短編集です。

3.尻軽女と潔癖女

サニー公園そばの団地に住むママ友のカナコとエリー。
極端に異性との接触を拒み続けるカナコは、ママ友でもいつも輪の中心にいるエリーのことを内心嫌っていた。
逆らうと自分の夫に手を出されるという噂のあるエリーだが、ある日エリーはカナコが興味を示さない夫のリョウジに手を出してしまい…

尻軽女と潔癖女

 澤田エリーはクォーターでファッションデザイナーをしている。かつては読者モデルとして一世を風靡したらしいが、万年ユニクロやしまむらで過ごすカナコにとっては、その名前はAV女優みたいだなとしか思えなかった。
 エリーは公園のママたちの輪ではいつも中心にいて、3歳のカー君という子供と一緒にとびきりのお洒落をして幸せそうにしている。
とりまきのママたちは、常にエリーの一語一句に左右されながら、わいわいがやがやしている。
カナコは別にそれはそれで羨ましくもなんとも思わなかったが、残念なことに娘のモモはカー君と同い年の三歳で、このサニー公園の遊具場で平穏に過ごすには、エリー達とも上手くやっていかなければならなかったのだ。
でもそれは案外簡単なことで、
すごーい、かわいいー、うらやましーの三語を適時適所で言えれば大体OKなのだ。

 今日も公園ではママたちの旦那自慢が始まった。
「お宅のご主人、やっぱりアパレル関係だけあってお洒落よね」
「あらあら、お宅だってIT系の開発エンジニアなんでしょ。知ってる?職場は六本木ヒルズですって!」
「向井さんちは?」
「うちは、普通の営業。クーラー売ってる」

 カナコの夫、向井リョウジは空調メーカーの代理店で営業をしている。カナコはここで営業事務を新卒で入社以来八年間していたが、三十の時リョウジとの婚約を機に寿退社した。
 カナコは愛娘のモモを溺愛していたが、リョウジに関してはもうすでに用済みであった。
決してリョウジが悪い人なわけでもない。
収入もそこそこあるし、不細工でもイケメンでもない普通の顔をして、性格も悪くない。
なにより女に対してがっついてこないのが良い。
 問題があるとしたら、それはカナコ自身だと自分でもわかっていた。カナコは物心ついた頃から、とにかく誰かに触れるのも、触れられるのも嫌だった。
 小学校の体育の授業で組体操や相撲をして、誰かの身体と自分の身体が触れることにひどく抵抗があることに気づいた。中学に上がり、色気づいた男女が放課後の教室や体育館裏でベタベタ触り合っているのも気持ち悪かった。高校生にもなれば、授業で性教育があり、セックスについての内容の途中で気分が悪くなって授業中にもどしてしまったぐらいだ。
 いつしかカナコは実の両親からですら触られるのを拒むようになり、自分の身体は誰にも触れられたくないと思うようになってしまった。
もし自分に触れることができるとしたらそれは自分の化身である子供だけだと、いつの頃か考えるようになってしまい、気づけば三十歳を超えて処女のままだった。
 会社の同僚で無口なリョウジ。
八年も一緒に仕事をしたが、口を聞くようになったのは最後の半年くらい。
 暑気払いの飲み会で終電を逃した際、泊まっていってと強引に誘われた。
カナコもめずらしくベロンベロンに酔っぱらっていて、易々とついていってしまった。
ついたリョウジの住む部屋は小さな古めかしいアパートの1階だった。
ボロボロの外観とは裏腹に中はリフォームされているんだな、フローリングなんだなと薄暗い部屋をカナコは眺めて思った。
部屋に関する印象はもうそれしかない。
 部屋に入ってすぐ、後ろから押し倒されて、襲われた。
 カナコは必死でわめいた。
あれだけ壁の薄そうな家だったから、アパート中の部屋に聞こえたに違いない。誰も来ることはなかったけれど。
安物のパンストがひき裂かれ、上下別々のださい下着姿なった。
暗い部屋の中で、カーテンの隙間から少しだけ月の明かりが漏れた。
そのわずかな光の中、良い歳した女が大粒の涙で泣いた。
世間でいう三十歳の女はおばさんになりかけているんだろうけれど、子供みたいに泣きじゃくった。
 リョウジは我に返り、必死に謝罪しつづけた。その後のことはカナコはおぼていない。

 それから償いの日々が続いた。
 カナコは気丈に、何事もなかったかのように会社での業務をこなした。リョウジにも依然と変わらず接した。
以前と変わらずというよりもむしろ、社内ではあえてリョウジの近くにいるように心掛けた。ことあるごとにしつこく、仕事をもらい、仕事に関する質問をし、仕事の成果を報告した。本当は仕事なんてどうでもよかった。
カナコと話す度、あの日の晩を思い出すからやっているだけのことだった。
 会社が休みの週末は、毎週リョウジはカナコの住むアパートに菓子折を持ってくるようになった。何もカナコが脅しているわけではないが、リョウジは背広を着てやってきた。もちろんピンポンを押しても出やしない。大体一時間ぐらい玄関の前でボーっと立ってから諦めたように帰る。カナコはドア一枚向こうでドアスコープをつかってその様子を眺めていた。
 リョウジは毎週土曜の朝十時にきて、十一時になったら帰る。それを三か月ぐらい続けていた。
 しかしある日、たまたま来ない日があった。
カナコはかえって気になってしまい、玄関を開けるとドアの死角にぐったり、しゃがみこんだリョウジがいた。
「あ、すみません」
そういってリョウジが立ち上がった。
会社では後輩だからタメ語なのに、外では敬語だ。
カナコはすぐに玄関を閉めようとすると、リョウジの腕がそれを止めた。
「なんですか。警察呼びますよ」するどい目つきのカナコが言う。
「いや、本当に話をもう一度したいんです。
きちんと謝れていないですし、会社ではそんな話できないですし…。あ!もちろん、俺が悪いから、だから、そんな話できないなんて俺の都合なんですけど…」
「もう結構です。関わりたくないです」
カナコが冷たく吐き捨てた言葉にリョウジは急に泣き始めた。
「ごめんなさい。俺、あなたのことがずっと好きだったから…あなたが入社して以来ずっと…」
女々しい声でリョウジは下を向いた。
「だから、襲ったんですか?」
リョウジはその言葉に黙り込んでしまった。決してカナコと目線を合わせることなく、下を向いていた。沈黙の中、土曜午前の近所の公園で野球をするで子供たちの声が聞こえてくる。
 しばらくしてカナコは少し柔らかい口調になり、一つの提案をした。それはカナコにとって前々から思いめぐらせていた一つの夢でもあった。
「じゃあ、一つお願いがあるんです」
「はい!なんでも聞きます。僕のできることならですが…」
顔を上げたリョウジが聞いたお願いは意外すぎるものであった。
「私、赤ちゃんが欲しいんです」
「は?」


 「モモちゃんのお洋服どこで買っているの?」
 エリーがカナコに聞いてきた。これはモモの洋服がどこで買われているかなんて聞いているのではなく、エリーの子、カー君はここで買っていますというアピールの合図にすぎないのはカナコはわかっていた。それでも空気を乱すわけにもいかないのでいつも通り答える。
「えっと、しまむらかな?」
「え~、ほんとに!こっんなにおしゃれなのに?すごい、やるね、しまむら。やるやる!うちなんてね…」
でた。謙遜後のキーワード「うちなんてね」
この後に大体、自由が丘あたりの高級子供服の話に始まり、最終的に良いのがないから知り合いのデザイナーに頼んで作っちゃったのテヘッというのがいつもの流れだ。
そのタイミングでお決まりの三語を入れれば、取り巻きとしての役割は完璧だ。
「すごーい!かわいい!うらやましい!」

 ある日、カナコは本当にママ達みんながエリーのことを本気ですごい!かわいい!うらやましい!と思っているのだろうかと疑問になったことがあった。あるあるだけれど、公園でのわが子や自身の安全な地位を確立するために無理をしているだけではないだろうか。
そう思っていた矢先に、8号団地に引っ越してきた「新井」という親子がエリーに食ってかかったことがあった。
 「あんたみたいな軽い女と一緒にしないでよ」
 カナコはその言葉を聞いて、救世主が現れたと思った。エリーとは真逆のアウトドアブランドで固めたスポーティーなファッションの新井様。他のママたちと群れる様子も、媚びる様子もない新井様。
悪女エリーを倒すのは、新井様しかいない。
砂場の前で腕組をした彼女こそ、この馬鹿女を排除してくれると。
 しかし、エリーは一筋縄ではいかなかった。
新井家は崩壊し、引っ越してしまったのだ。エリーはいじめとか、無視とかそんなことはしない。このあたりは噂もあるので何とも言えないのだが、エリーが狙ったのは、新井の旦那らしい。
 なにせエリーは抜群に美人でエロい。
おっぱいはGカップはあるだろう。カー君が吸っても吸っても、おかわりがいくらでも飲めるぐらいでかいのだ。それをわかったかのように谷間を強調するワンピースやニットのセーターを着る。
 エリーの旦那は高級外車を乗り回すワイルドなアパレルメーカー社長だという噂がある。その男自体はこの団地でちょくちょく目撃されていて、どこからが髪の毛で、どこからが髭かわからない野獣っぷりらしい。
ただ社長夫人が団地住まい?という疑問が残り、実は本妻ではないのではというのが団地界隈での噂だった。
 ともかくエリーのお色気作戦で新井さん家は別れたというのが裏でのもっぱらの噂だった。だから、エリーに刃向かえば自身の旦那が狙われ、全ては伴侶のスケベさにかかっていると言うことで、みな公園に旦那を呼ぶことを何となくに嫌がっているようだった。
 カナコだけは別で、用済みのリョウジであれば煮るなり、焼くなり、なんなりとどうぞという加減であった。


 カナコの家事は人の二倍になる。
リョウジにかかわるすべてと、カナコとモモのすべてを分けているからだ。
洗濯物も分けて行う。リョウジのトランクスやYシャツを扱うときは使い捨ての手袋で触る。本音を言えば、洗濯機すら変えてしまいたいくらいだ。
 それから食事も別のメニューを作成する。
この日、カナコとモモは中華丼を作り、
リョウジにはカレーライスをつくった。
別にリョウジのものに関して、インスタントやできあいにするなど、手を抜いたりなんてことはしない。それ相応のまとまったお金を家に入れてもらっているので、その中でリョウジのご飯はつくる。
ただし、私たちの食事とは同じにしたくないということだけはどうしても譲れなかった。
 彼の帰る前に二人で食事を済ませ、リョウジは一人、クタクタなスーツを抜いて台所でサササと食事をする。
 決して彼が憎いわけではないし、強引にレイプされそうになった日のことなんてもう根にもってやしないのだけれど、この空白だけ埋めることは絶対に嫌だった。



 十二月の頭。噂話であったが、カナコは本物に遭遇してしまった。
エリーとその旦那が団地の駐車場で密会していたのである。
 駅前のスーパーにモモと買い物にいき、その後ドーナツ屋でのんきにお茶をしてから帰り、すっかり日も暮れてしまっていた。
急いで団地に戻ってきた時、赤いフェラーリが駐車場のど真ん中にとめられていたのにすぐに気づいた。
 陽の落ちた暗い中、その赤はやたらと目立つし、他の車を無視するかのようにドーンと駐車されていたので尚更だ。カナコは車を持っていないし、カナコ自身もまったく交通ルールは知らなかったが、それでもこの車の止め方がおかしいくらいのことはわかった。
団地にフェラーリ?
ある意味、オーパーツなんだろうか。
不思議そうに車をながめていると、モモが気づいた。
 「あ!カー君のママ!」
 反応したカナコはきょろきょろと辺りを見渡すと、駐車場の階段の上のちょっとした休憩スペース、ベンチと花壇のあるあたりでエリーと噂の旦那が熱く抱擁をしているのを見てしまった。
咄嗟にカナコはモモの口を押えた。
モモはモゴモゴ唇をカナコの手の平の中で動かし抵抗した。
カナコは今ここでエリーには遭遇してはいけないと判断して、モモを抱きかかえて部屋に走ろうとした。
 しかしモモが思いっきりカナコの掌にがぶりと噛みつき、大声で泣き出してしまった。
駐車場中に広がるギャンギャンする声にすぐにエリー達は気づき、それがカナコ親子だということもわかったようだ。
 エリーと目があったカナコは申し訳ないように会釈をして、エリーも何事もなかったかのように男の身体から離れこっちにやってきた。
 ずいぶんと踵の高いハイヒールで階段を下りるのが大変そうだった。
「こんばんわ向井さん」
「あ、こんばんわ。」
エリーは笑っていたが、どこかしら氷のような冷たさをはらんでいた。それは機械的につくられた笑顔で本当は笑いたくなんてなかったようだった。
「私、何も見てませんから」
それを感じ取ったカナコがか細く言う。
「見てないって何を?あ、今の…そこの?」
そういうと目を見開いたエリーはお腹をかかえ作ったような高い声で笑い出した。
「やだ、向井さん見ていたの?別にいいわよ。
あれ、夫ね」
そう指をさした後ろで、毛のもじゃもじゃした派手なストライプスーツを着た男がフェラーリに乗り、足早に去ろうとしていた。
車はすぐに発進し、カナコたちの前を横切り、エリーは掌だけで軽く車に手を振った。
車が去ってから改めてエリーは訂正した。
「夫っても、戸籍上は違うけどね」
車が道路の先の交差点を右折して、視界から消えるのを眺めていた。
「別に愛してなんかないわ。借金まみれの私を支えてもらっているだけ」
その表情に笑みはまるでなく、吐き捨てるように言った。
「じゃあ、カー君は…?」
カナコは言ってしまってから個人的なことに踏み込み過ぎたと後悔した。
「さあ、誰の子かしら」
エリーはそそくさとハイヒールで団地にもどろうとした。
階段のところでぴたりと足が止まり、振り返った。
「向井さん、旦那さんのこと愛してます?」
そういって再び、カー君のいる部屋にもどっていった。
その日の夜、カナコはニヤリと片方の頬を上げて笑ったエリーの顔が忘れられず、中々眠れなかった。

 ̄リョウジのことなんて別に愛していないわよ



 駐車場でエリーとその愛人を目撃してから、なんだか公園に行くのが億劫で、しばらく部屋ですごしていた。
しかし、毎日部屋は部屋でモモの退屈も限界で、結局久しぶりに公園にいくことにした。

 昼ご飯を食べて公園に入るまで、ドキドキや不安な気持ちがしてたまらなかった。
 大人になってからこんな経験をしたかしら、とカナコは色々考えた結果、残念なことにリョウジにレイプされかけて、会社に行くか迷ったあの日ぐらいだった。
 特に理由はなく、なんとなく家にある外着でも上等なものをカナコもモモも着ていった。
カナコは厚地でグリーンのチェックのワンピースにレザーのダウンベスト。モモは量販店でなく、デパートに入っていた子供服店で買ったピンクのパーカーと赤い蝶々の刺繍の入った紺色のズボン。
 何かが変わっているような気がしながら、モモと手をつないで公園にはいった。
大丈夫、何か変わっていてもこの子がいればと良いから、モモの手を強く握りしめた。
 そこにはいつものようにブランコが4台、おもちゃが乱雑した砂場や気持ちよさそうなネットが張り巡らされたアスレチックがあり、そこで何人もの子供たちが戯れていた。
その周りには何台ものベビーカーが止められ、顔見知りのママたちが何人もいて、カナコにみなすぐに気づいた。もちろんエリーもいた。
みんな気づいたが、「あ!向井さん!」と笑顔で手を振り、そのまま会話を続けた。
エリーも一瞬こちらを見たが、ニコッと笑いかけ、饒舌にしゃべり続けていた。
そこで繰り広げられる会話や光景はいつもとまるで変わらないものだった。
 旦那の話、子供の話、好きな芸能人の話、今晩のおかずの話…。
 カナコはその日常にホッとした。
気が付けば自身も会話にまざり、いつもの三語を発するようにまで回復した。
「すごい!かわいい!うらやましい!」

時間が午後三時になり、ママたちもそろそろ夕飯の支度に移ろうと解散の雰囲気がながれた。子供たちのほとんどが砂場に集中していたので、何人かのママたちと子供を迎えに砂場にきた。
 ちょうどカー君もそこにいて、モモと仲良く砂でお団子を作っていた。
「はい、これはモモちゃんのママの分」
「ありがとう!カーくん!」
 カー君が作ったお団子をモモに手渡す。
無邪気なやりとりをママたちで眺めていた。
「これがモモちゃんのパパの分」
「モモ、パパいないの」
「モモちゃんのパパは?」
「モモ、パパいないの」
「どうして?」
「モモ、パパいないの」
カナコはそのやり取りを見てぞっとした。

「あれ、向井さんち旦那さん…出てっちゃったの?」
 一人のママがその子供の会話を聞き、冗談のように笑って聞いてきた。
「いや、そんな。いますよ!」
 カナコも慌てて答える。
「いつも…パパじゃなくてお父さんって呼んでいるからかな、ねえ。モモ?」
 すると、そこにいたエリーがしゃがみ、意地悪そうにモモにくってかかってきた。
「モモちゃんは、ママとあと…誰と住んでいるのかしら?」
人には色々な秘密がある。
カナコがここにいるママたちとうまくやっていくために隠している秘密がある。
それが今、この女・エリーによって赤裸々にされていく。
ダメよ、やめて。そんな!
身体中に冷たい汗が這うようにあふれ出してきた。すぐにモモを抱きかかえて逃げようとしたが遅かった。
 「モモとママと・・・おじさん」
無垢な笑顔のモモはエリーを見つめる。
 その場の空気が一瞬で氷ついた。
公園にいる誰もの時間がその瞬間で止まったようだった。
カナコはそのストップしてしまった時間の中から誰よりも早く回復し、「失礼します!」とモモを連れて走って逃げた。
わが子を右手につなぎ、走った。
大事な大事な子供だったけど、この時だけはお人形のように乱暴にひきづりながら帰った。モモは泣きじゃくっていたけど、それどころじゃなかった。


 カナコは久しぶりにモモははリョウジの子供であったことを思い出した。
 三年前、償いの代わりに子供が欲しいと伝えた。ただ性交はしたくなかったから、目の前でオナニーをしてもらって精液だけだしてもらった。すごい暑い日だった。
じめじめする室内で、三十代半ばの男が半裸になり、果てるのをじっとみていた。リョウジも目をそらさずに、こちらをみながら、ただただ自分のものをしごいてた。
本当に時間がかかった。クーラーもつけず、室内で意識が朦朧とするようだった。
 リョウジが自慰をする間、カナコは自分がカマキリになる姿を想像した。
 カマキリの雌は性交が終われば、雄を自身の出産の栄養源に食べる。この話をカナコは大学生の時に知り、残酷なんだろうけれど、なんて理にかなっているんだろうと感心した。
カナコもこの行為が終われば、このリョウジは不要になる。いっそ食い殺してしまって構わないのに…。
 その精液をつかって、カナコは本当に妊娠することができた。
 ただ想定していなかったのは、しばらくしてリョウジからプロポーズされたことだった。
「子供ができるなら、責任を持たないと」
 正直、カナコは一人で育てるつもりだったので、余計なお世話だと断ろうとした。
 しかしカナコはあの日、自分がカマキリになった姿を想像したことを思い出した。

 結局、カナコはいくつも条件を出したうえで、プロポーズを受け入れた。
 その一つが、「モモにはあなたのことを父と呼ばせない」だった。
 これにはリョウジは物凄く反対をしたが、絶対条件だと伝えると渋々飲み込むことになった。
 それから生まれたモモにはリョウジのことを「おじさん」と呼ばせた。
 
 それでも、たまに後悔することもあった。
モモが寝静まった後、自室で一人安物のワインを飲みながら娘の気持ちを考えない、なんて利己的なことをしているんだろうと嘆いた。
でもどうしようもなかったのだ。
触りたくないのに、触られたから。
触られたくないに、子供が欲しかったから。


 それからもう昼間の公園に行くことは完全にやめてしまった。
モモが駄々をこねそうになったら、早朝の公園にいくようにした。
この時間なら誰もいない。
 公園には太極拳をするおじいさんおばあさんや、ひたすらゴミ掃除をするおじさん、出勤前の会社員風の人がジョギングしたりしているだけだ。
 朝靄が少し立ち込める遊具場で、モモはブランコするのをカナコは押してあげていた。
ブランコの辺りから、公園前を通過して駅前に続く遊歩道が見える。朝方のその時間にリョウジが世間の会社員よりも一足早く出勤する姿が見えた。
 会社は大して遠いわけではないが、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰社する真面目な男だった。リョウジは一瞬こちらに気づいたが、すぐに何も見なかったかのように前を向き、仕事にいった。
 それから半月後ぐらいにカナコは団地の駐車場のベンチでリョウジとエリーが会っているのを目撃した。すごくねっとりキスをして、エリーの胸のあたりを弄っていた。
以前エリーと噂の旦那をみかけたと同じぐらいの時刻だったと思う。
もう誰に見られても良い、そんな投げやりな雰囲気だった。
二人は下手したらその場でやっちゃうんじゃないかというほどだった。
 カナコは特に何も感じず、そそくさとモモに気づかれないように部屋にもどった。
 

 状況はトントン拍子で変わった。
ある日、朝起きるとリョウジがいなくなったのだ。そして最悪なことにモモも一緒にいなくなった。
がらんとした団地の、リビングの机に置手紙と一緒に離婚届があった。

―僕の子と一緒に引っ越すことにしました。
さようなら、おばさん。  りょうじ

カナコは発狂して、部屋中探した。
私のモモちゃん、モモちゃん、モモちゃん
私のモモちゃん、モモちゃん、モモちゃん
私のモモちゃん、モモちゃん、モモちゃん

騒いでは止まり、騒いでは止まる。
錯乱状態が続き、ゼンマイのいかれたおもちゃみたいに動きまわった。
その後もしばらく放心状態で部屋にいたが、
思い出したようにリョウジの会社に電話した。
すると、かつての上司がでて、先月退社していることを説明してくれ、知らなかったことにひどく驚いていた。もう体裁も糞もなく、乱暴に電話を切った。
 それから時計を見るとちょうど、午後一時半過ぎで、汚いジャージ姿だったけれど、カナコは思い立ったようにサニー公園に向かった。
あの女、汚らしいあの女が何か知っているに違いない。
そう思い公園の遊び場に向かった。
 いつものようにママたちがたむろしている中、みんなすぐに荒々しくやってくるカナコに気づいた。
ドタドタとオーバーに手足を振り、体全体で走り遊び場にむかってくるので、そこいらにいた人は皆何事かと思ったに違いない。
一目散にエリーに叫んだ。
「モモはどこよ!」
両手でエリーの肩を思いっきり押す。
「ちょっと!なにすんのよ!」
紅色のベレー帽、白いニットのタートルネックに、赤いチェックのミニスカート、黒いタイツを履いてバッチしきまっていたが、どすんと思いっきり砂場にお尻をついて転んだ。
その上に覆いかぶさるようにカナコはのっかっり、肩を思いっきり揺さぶる。
そのたび、大きなおっぱいがぶるぶる揺れて重たかった。
「モモはどこよ!あんたなんかしってるんでしょ!だってリョウジに手だしてたじゃない!」
「しらないわよ、この糞ババア!」
エリーも負けじと砂場の砂を握りしめ、カナコに思いっきりかけた。
「なんですって!言ったわね!」
「なんどでも言うわよ、ババア。あんたのことリョウジさん、ずっとババアって呼んでたわよ!」
キイっと唸ったカナコはエリーのベレー帽をとりあげ、気づけばお互い髪の毛をひっぱりあっていた。
「いたいわね!なにすんのよ!」
「あんただって化粧でごまかしているだけで、よく見たらババアじゃないのよ」
「カナコバアさん、なにそのメイク?ゴマみたいな小さい目じゃ、アイラインのひきようもないわよね」
「なんですって!」
「やーい、ゴマゴマ!」
「あんただってこんなスイカみたいなおっぱおして、団地中の男たぶらかしているんでしょ!」
「Gよ、Gあるのよ。何、嫉妬してんの?」
「どうせ天然じゃないんでしょ!」
「なっ、なにいうのよ!ふざけないでよ!」
「は~ん、図星かしら?」
しょうもないやりとりがしばらく続ていた。
子供達の集まる遊び場で、ケンカはつきものだ。
おもちゃの取り合い、遊具のとりあい、意地悪のしあい、すべてが日常茶飯事。
そんな子供たちや、それを見守るママたち、誰もがあっけらかんと大の大人の女が二人、
子供に負けず劣らずのケンカをするのを眺めていた。

the Park -3.尻軽女と潔癖女

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the Park -3.尻軽女と潔癖女

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-18

Copyrighted
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