「岩」
そこにあるのは間違いなく「岩」である。
どんな形か形容することは難しい。とにかくそれは「岩」なのだ。
皆が言ってたから間違いない。
それがいつからあるかは分からない。いつの間にかそこにあった。
村のはずれの家のわき、そこに、ある日突然現れたのである。
これは「岩」である。それは紛う事なき明白な事実なのである。
村人は美しいその「岩」をありがたがり毎日供え物をしていた。
この村にとってその「岩」はそれだけ大事なものだったのである。
ある日、嵐が吹き荒れる晩、「岩」のわきにある家に若い男が訪ねてきた。
-いやぁ、ひどい嵐だね。私は旅の者だが一晩宿を貸してくれないだろうか-
その家に住む爺は快くその若者を招き入れた。
-何もない村だがゆっくりしていくといい-
その家には爺以外には誰も住んでいない様子であった。
風が吹くたびに軋む音がする、今にも崩れ落ちそうな家だ。
嵐で飛ばされないか心配であったが、意外にも作りはしっかりしているようで、嵐に負けじと土を握って離さんとしている。
男はこの家が気に入った。
-時に爺や、外に年端も行かぬ若い娘が居たが彼女も中に入れてやったらどうだい?-
男は外で娘を見ていた。
声こそかけなかったが、あんな所にいては死んでしまうと心配していた。
しかし、爺は答える。
-外に娘などおらんよ。おそらく「岩」を娘と見間違えたのだろう-
爺曰く、この家の外には村人ならだれしもが知る「岩」があるらしい。
こんな嵐の夜に女が一人でいる事を不思議に思っていた男は爺の言葉で納得した。
この嵐の中だ。見間違えるということもあるだろう。
-疲れているんだろう。今日はもう休みなさい-
男は爺の言葉に従い、その日は床に就く事とした。
翌朝、外から聞こえる鳥の声に男は目を開けた。
窓から覗く日の光が目の奥の方を刺激する。
良い目覚めだ。男は思う。
昨日までの嵐が嘘のような気持ちの良い天気。
男は朝の空気を吸おうと外へ出た。
そこには若い娘が居た。
やはり昨日見たのは見間違いなどではなかったのだ。
ああ、なんということだ...。
男はすぐさま近寄り声をかけた。
-大丈夫かい?-
返事はない。
-ずっとそこにいるのかい?-
また、返事はない。
どうしたものか。昨晩の嵐でおかしくなってしまったのだろう。
ひとまず抱えあげ家の中に入れてやろうとする。
足を握り、腰に手を当て一気に持ち上げようとする。
しかし、その娘を持ち上げるには適わなかった。
普段重い荷物を抱え旅を続けてきた男である。
娘っ子一人持ち上げられないなんて、そんな馬鹿な話はない。
そう思い娘の足元に目をやると、なんと地面と足とが頑丈な金具によって固定されているではないか。
これでは動かすことも適わない。
誰がこんなひどいことを...
金具は特殊な方法で止められているようで、とても普通の力では開けられそうにもなかった。
そうしている間も娘はずっと宙を見つめていた。
なぜこんなことになっているのか、混乱した男に掛けてくる声があった。
-どうだいその「岩」は。美しいものだろう-
爺である。
この姿を見ても何とも思わないのか。
男は憤慨した。
-これは「岩」ではない!見間違うわけもない!これは人間だ!!-
いままで生きてきた中でここまでの声を出したことがあるだろうか。いやないだろう。それぐらいの声をあげ男は爺に詰め寄った。
しかし、当の爺はきょとんとしている。一体なにをそんなに怒っているのか、といった様子だ。
-頭でもおかしくなったかい。それは「岩」だ。誰が見たってそれは「岩」でしかないんだよ-
痴呆の爺さんを相手するのは疲れるな...。
どうにか、娘がここにいることを伝えられないものだろうか。
そんなことを考えていると、周りには騒ぎを聞きつけた村人たちが何事かと集まってきた。
ちょうどいい。「岩」が娘であると証明するチャンスだ。
-みなさん!ここにいるのは人間の娘!間違いないですよね!-
そう言った瞬間村人の冷たい視線、というよりも人を憐れんでいる目といった方が適切かもしれない。
とにかく、それが、男に一斉に向けられた。
-爺が変人を連れてきた-
-「岩」を人間と思うなんて...-
-きっと、可愛そうな子なのね...-
口々に男を変人呼ばわりする声が聞こえる。
男のことを気味悪がっているようだ。男にとってはそんな村人の方が気味悪い。
-俺はおかしくなんかないぞ!お前らがおかしいんだ!!-
気付くと男は走りだしていた。
去りゆく後ろ姿を村人たちはただ呆然と見つめるだけであった。
それから毎日、男はその娘のもとへやってきては声をかけ、食べ物を置いて行った。
食べ物は次の日行くと無くなっていた。きっと自分が居なくなった後に食べているのだろう。
やっと、娘の人間らしい行動が垣間見えた気がして、男は安堵した。
しかし、ある日、いつも通り食料を置き立ち去ろうとしたが、なぜかふと気になり男は再び娘の所へ戻っていった。
娘は宙を見て固まったまま。それはいつも通りだ。
しかし、いつもと違う光景がそこにはあった
置いた食料が狐に荒らされていたのだ。
きれいに食べ終え満足したのか、狐はそのままどこかへ行ってしまった。
後にはいつも通りの残飯の光景と全く動こうとせず、どこか遠くを見つめる娘の姿だけが残った。
...なんということであろうか。娘が食べていたと思っていた食料はただ狐の餌になっていただけだというのか。
娘の唯一見つけた人間らしい一面が、自分の勘違いだったと知った男は、膝から崩れ落ちた。
頭の中ではあの日の村人たちの言葉が響く。
...
-爺が変人を連れてきた-
-「岩」を人間と思うなんて...-
-きっと、可愛そうな子なのね...-
...
-やっと「岩」が「岩」であることに気付いたのかい-
爺の声がする。
-だから皆それは「岩」だといっただろう-
ちがう、おれは...
-お前はあたまがおかしくなってたんだよ-
そうじゃない!おかしいのは...
-お前は人と違う。変人なんだよ。-
...
そこで男は顔をあげた。
同時に理解した。
-なんということだろう。そうか、おかしかったのは俺の方だったのか...-
・・・そこにあるのは間違いなく「岩」である。・・・
了
「岩」