青と春

(黒い世界にぽつんと、水たまりがひとつ)
(水たまりを覗いてみたら、思いのほか深かった)
(水底から水面に向かって青い色の照明を投射しているかのように、水たまりは青く光っていた)

 さて、わたしという人物を知るためには、まず、水の中にその身を沈めなくてはなりません。
 わたしは常に水中をたゆたっている。
 …ええ、嘘ですが。
 わたしはニンゲンですので、アスファルトの上をべたべたと歩いておりますが、お気になさらずに。さあ、さあ、おはいりなさいよ。あなたの入水を許可しますので、どうぞ、ちゃちゃっと。
 ああ、お顔は水面から出したままで結構ですよ。どうせ潜ったところで、わたしは水の中にはいませんもの。それに、水の中で目を開けると痛いですしね、どうぞ、あなたにとっての楽な姿勢でお話を聞いて下されば。
 はあ、ええ、まあ、さらっとした触感があるかもしれませんね。
 水ではありませんが、果てしなく水に近い液体です。人体に害はありませんので、ご安心ください。それと、あなたとお逢いするのはこれが最初で最後になりますので、お互い姓名は名乗らないことにしましょう。わたしはわたしを曝け出したら二度と、あなたにはお逢いしたくありません。どうか、わたしのことを知っても探さないとお約束していただけますか?
 ああ、顔がわからないから探しようがないって?
 そうですね、面容を明かしておりませんものね。
 ですが、念のためです。
 わたしだけがあなたのお姿を拝見し不服かもしれませんが、ご了承いただきたい。
 大丈夫です、先もお伝えしましたが、これが最初で最後ですので、わたしがあなたと再会するために現れることは二度とありません。必要とあらば、あなたの額に血判をさせていただきますが?
 ……必要ありませんか。
 そんな、ふだんは当然、血判など致しません。ですが此度のお話は、血を流してもいい覚悟でさせていただくつもりですから。
 …あら、怖気づいてしまいましたか。
 わたしのことなど知りたくない、と。
 あらあら、まあまあ。
 ですが、残念です。
 あなたはすでに、わたしの領地に踏み込んでしまっている。
 体を沈めてしまった以上、あなたの意思でそこから這い上がることはできません。あなたはわたしの話を、終いまで聞くしかないのです。
 …まほうつかい?
 そんな大それた存在はありませんよ。
 わたしはあなたとおなじニンゲンです。
 あなたにわたしが見えないからといって、魔法で姿を消しているわけではないのです。あなたがそこから自力で上がれないのも、わたしがなにか力を加えているのではない。世界を黒いペンキで塗りつぶしたような、この黒い空間を造り上げたのも、そこにぽつんとひとつ、身長百五十センチのニンゲンが立ったままで首まで浸かれるような水槽を設置したのも、わたしではないのです。
 わたしはあなたが、わたしのことを知りたいと強く願ったから、このような形であなたと相対することになったのです。つまり、この状況を引き起こしたのは、あなたなのですよ。
 あなたが!
 わたしを!
 呼んだから!
 ………。
 ……失礼しました。少々、気性が荒いところがあると、昔から言われているもので。ええ、友人をね、怒りまかせに叩いたことなどもありまして、ほんとうに幼い頃ですが。あなたにもそんな経験、あるでしょう?
 …ないとは言わせませんよ。
 さあさあ、気を取り直して始めましょうか。
 あなたが知りたがっている、わたしのことを、すべてお話させていただきます。
 途中で泣いたり、吐き気を催したり、気が狂ったとしても、耳を塞がずに最後まで聞いてくださいね。
 でなければ、あなた、一生、そこから出られませんから。
 あしからず。

青と春

青と春

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-17

CC BY-NC-ND
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