監獄の夜
物語作家七夕ハル。
略歴:地獄一丁目小学校卒業。爆裂男塾中学校卒業。シーザー高校卒業。アルハンブラ・IS大学卒業。
受賞歴:第1億2千万回虻ちゃん文学賞準入選。第1回バルタザール物語賞大賞。
初代新世界文章協会会長。
世界を哲学する。私の世界はどれほど傷つこうとも、大樹となるだろう。ユグドラシルに似ている。黄昏に全て燃え尽くされようとも、私は進み続ける。かつての物語作家のように。私の考えは、やがて闇に至る。それでも、光は天から降ってくるだろう。
twitter:tanabataharu4
ホームページ「物語作家七夕ハル 救いの物語」
URL:http://tanabataharu.net/wp/
監獄の夜。空には、満月が輝いている。高い天窓から見える月に乾杯をする。
監獄の夜。空には、満月が輝いている。高い天窓から見える月に乾杯をする。飲むのは、水である。質の悪い水道水。この監獄は、とても寒い場所にあるために、中央から見捨てられている。ただ、今では、有志のボランティアが監獄を運営している。監獄長のマルイさんの笑い声が聞こえてくる。彼は、大変立派な人なのだが、夜になると笑いが止まらなくなる。だから、1番皆から離れた部屋に入っている。それでも、たまに笑い声が聞こえてくる。“外”から十年に一度くらい来訪者がくる。その人間は、マルイさんが心底楽しそうに笑うので、ここを幸福の国と勘違いした。でも、実態を知るにつれて、その人間は、ここは楽園ではないと気づいてしまった。結果、その人は、二度と戻ってこなかった。だから、明日、“外”からの来客があると聞いて、私たちは、乾杯をしていたのだ。新しい人間などいなくなり、去っていく人間ばかりになってしまった今。新しい人間は、どんな息吹を監獄にもたらすのか。みんな、興味津々で興奮していた。マルイさんは、昼に今日の会合について「私は、みんなの迷惑になるから、出れない。楽しんでくれ」といって、裏から仕入れたのだろう酒を渡してくれた。ただ、私たちは、その酒をやって来る人のためにとっておこうと決めたのだ。マルイさんは、そのことを聞くと、目を細めて喜んだ。「また、すぐに行ってしまうのかな」「ここを気に入ってくれるだろうか」みんな口々に言い合う。
翌日黒衣の女がやってきた。とても美しい身なりと容姿をしている。黒といっても、単色ではなくて、色鮮やかな黒だ。それは、まるで、黒という色の可能性を示すような着こなしだった。黒衣の女は、「中央から来ました。マルイさんはいますか?」と言った。私たちは、戸惑った。というのも、その日、マルイさんは、日課の労働に勤しんでいたからだ。マルイさんは、この監獄の唯一の労働者である。皆、いつしか労働をやめてしまっていた。「マルイさんは、今忙しくて……」黒衣の女は、真珠のような笑顔をみせると、「では、待たせてもらいます」と言った。私たちは、いつの間にか、女を囲んで、中央の話に聞き入っていた。中央では、大きな混乱が起こっているらしい。そして、何より、女は衝撃的な言葉を放った。「私は、マルイさんを中央に連れて行きます」その声を聞いて、私たちは、皆沈黙した。マルイさんは、この監獄の運営を最も知る人物だったし、1番の古株だった。そして、私たちは、夜のマルイさんも、昼のマルイさんも、大好きだったのだから。口を開き出した私たちは、皆口々に女を批判した。でも、結局、女の決意は変わらなかったし、これは、中央の意向なのだ。私たちに何か、できるはずもない。
マルイさんが、夕方になって帰ってきた。「ハハハ」夕方からマルイさんの奇病は始まる。だけども、この時は、まだ三十分に一回笑うくらいだ。マルイさんは、黒衣の女を見ると、「し……」と言いかけて、口をつぐんでしまう。「お久しぶりです。マルイさん」女は、丁寧な口調で、挨拶をする。マルイさんは、私たちに監獄唯一の大部屋から出るように言う代わりに、女と連れ立って、彼の夜の専用部屋へ向かった。「みんな心配するな。私は、帰ってくる」マルイさんは、それだけ言って、歩いていった。その後姿は、どこか迷いと後悔を合わせた不思議なものだった。
それから、僕らは、一時間大部屋にいて、ぼんやりとついたテレビを見るともなしに、重苦しい雰囲気を味わっていた。「見に行こうか。心配だよ」私たちの誰かが、言ったのを機に皆ぞろぞろと動き始める。マルイさんの離れの部屋のドアは、開いていた。そして、中には誰もいなかった。皆は、マルイさんを一生懸命探したが、ついに行き先は、わからなかった。ただ、マルイさんが残してくれたメモには、この先の監獄の運営について書いてあった。マルイさんは、いつかこんな日がくることを知っていたのだろうか?マルイさんの笑い声の聞こえなくなった夜は、ものさびしい。結局、酒は、誰も口をつけないまま、そっとマルイさんの部屋に戻された。
監獄の夜