私は任意入院が好きだ

おしんざきじん

私は任意入院が好きだ。

任意入院とは精神病院に入院するときの入院形態の一つだ。
他に、医療保護入院というのと措置入院というのがあるが、私は自分の意志で入る任意入院が一番だと思っている。
私はかれこれ10回は入院してきた。私の言う入院とは精神病院のことだ。

20代の頃、過重労働で職場で倒れ、某大学病院に入院した。入院数日後に痙攣をおこし、アル中と言われ精神科に移された。アルコールの離脱症状だと言われたが、これでもう人生すごろく終わりと言われたようで、納得がいかなかったので大声を出してしまい医療保護入院になってしまった。
それで学んだ。任意入院と違い、他の入院形態では好きな時に退院できない。任意なら気に入らなければ出て行けば良い。

なぜ入院を繰り返すのかって?入院しないような生活をしたら良いじゃないか?
御尤も。
では、私がなぜ入院を止められないのか、お話ししてみよう。

私は有資格者だ。家族はいない。だから、日本全国、好きな所で就職できる。これも私の悪癖を助長させている。酒を止める気は、無い。全く。いや、しばらくは止めるが、悪癖の蟲が動き出すと、抵抗できない。呑めば入院が待っている。毎回、入院手続きの書類を厳粛な面持ちで記入するが、反省しているからではない。クラクラするような期待に圧倒されるからだ。

1回目の退院後、強い不眠で薬が欲しくなり受診した精神病院で診察待ちの間に、オーバードーザーが運び込まれた。見えたのはその女が処置室に入る間の一瞬だったが、既に心停止だと聞こえた。なんとも形容できないその匂い、うすら開いた焦点の無い目。その夜、夢か現か、強烈なムスクと流し目の色気に身動きも出来ぬまま、絡みつく黒艶髪に絡みつかれ絞り尽くされるままに絞られた。初めて味わう満足だった。そして深い眠りを貪った。

精神病院だって人は死ぬ。いろんな理由で人は死ぬ。
うっかり再飲酒のトラブルで入ることになった2度目の入院では、中年の男が看護詰所のドアノブにタオルをかけて首を吊った。そんな場所でもできるんだなと思って、自分は人でなしだ、と思ったら、騒ぎの間に死人の私物を盗みに行った奴もいた。どこにだって上には上がいるもんだ。
その時は警察が来て、詰所のモニターを調べて自殺と断定した。
どんな病院であっても病死以外の不明死は通報しなければならないそうだ。患者同士の殺傷事件なんかも時々あるからだそうだ。
それからは、私は病院のモニターの位置を確認するようになった。
なんでも死は1度現れるとしばらく居つくらしい。しばらくして、今度は危険ドラッグの若い女が唐突に屋上へ走って行き飛び降りた。昼休みだったが、救急車とパトカーが到着してぐんにゃりした女を搬送して行くまで、何時もは薄幸そうな美人女医が鬼の形相で血液の泡と格闘していた。
そのイメージはしばらくの間、十分過ぎるほど私を満足させ、深い眠りを与えてくれた。
充分満足したので、帰宅した。当然。

3回目からの入院は確信的だった。
私を満足させるものに遭遇するまで、あるいは遭遇できそうでなければ、好きな時に退去すれば良い。それも任意入院が好きな理由の一つだ。だった。
その時の入院はターニングポイントとなった。
幸運が訪れず、帰るか否か考えあぐね、手持ち無沙汰にアル中の高齢者達を眺めて過ごしていたある日。看護婦が「飲み続けるとあんたもああなるよ〜頭の血管切れるか、糖尿病か、ボケてるか、ってね〜」などと軽口をたたいてきた。
「アル中の合併症?」何気なく返すと
「たくさんあるのよ〜、肝臓だけじゃないのよ。心不全や呼吸不全、血管が破裂したり詰まったり、突然死が多いんだから、アル中は。」
「合併症で突然死、多いの?死因」
「○看護婦は訪問看護で孤独死に当たったってよ。死因では自殺が一番多いんじゃない?それに呆けるわよ〜そのうち!先生に聞いてごらんよ」
「ふーん」その時、微かな火が目の奥で閃いた。つかみどころが無いほど微かな光が。
だから、先生には聞かず、共同図書を読み漁った。急に勉強熱心になった私を見て、看護師どもも信頼できる患者の1人と認識するようになった。
『モニター確認と信頼』だ。

もうお分りだろう。
私は人が死ぬ瞬間の不思議に取り憑かれている。

恐る恐る、しかし期待に慄きながら、4回目の(確信的)再入院にこぎつけた。
入院は金がかかる。3割負担でも月2桁は覚悟しなければならない。時期が来るまで酒は呑まず働いて貯金した。はじめは勝手のわかった馴染みの病院が良い。いよいよ来週、というタイミングで飲酒を始め、入院予約の電話をかけた。
あんなに熱心だったのにね⁉︎と驚かれながらも「病気だから仕方ないよね」なんて変な慰められ方をした。
最初の1週間は個室で解毒期だ。それを終えると大部屋で周囲を窺う。どんなバックグラウンドか、年代は、仕事、家族構成は、合併症は、と、同室者から始まり、徐々に話し相手も増えてゆく。
知り合った中に、なかなか良い奴が見つかった。
奴は同年代の単身者で、話が合った。身体がもう悪くなっていて、生活保護を受けていると言う。酒の後遺症か時々躁や鬱になっちゃって、他の患者とも打ち解けられないんだ、と控え目に笑う。私はそれからその影法師のような男と1日を過ごすようになった。
しばらくして男はかなり派手に看護婦どもに癇癪や暴言をかますようになった。衝動性もいや増し、唐突に爆発したり突っかかったりしていた。医者が何やら薬を与え、しばらくすると風船がしぼむ様に気分も萎んでいった。
男は時々幻聴に返事をするようになった。自分の将来が怖くなり、お前ホントに酒だけか、と聞いたら、いやなにちょっと大麻も昔な、なんて言っていた。セレブ相手のバーでバーテンできなくなって生保受給になったら酒オンリーになっちゃって、と面倒くさそうに笑った。毎日の睡眠薬をため込んで一気にのんだのはその頃だった。医者が今度はうつの薬を与え始めた。
奴のうつは手強かった。不眠で、何夜もトイレで座り込んでいた。
私も一晩付き合うことになった時のことを話そう。
私はもういく日も睡眠薬を飲んだふりをして、周囲の寝息に注意していた。奴はその夜も静かに部屋を出た。その後を追い、トイレのドア越しに小さく声をかけた。おい。風のように、幻聴の様に微かな声だ。疑わしそうに奴はドアを開けたが、私を見て安堵したようだった。
奴は便座に座り、私は立ったまま、無言で、何時間もそうしていたように感じた。
私は持ってきたタオルを男の首に巻き、背負い投げの要領で奴を背負った。ぐうぅ、と音がした以外は何も聞こえず、永遠のような、一瞬のようなひと時の後、部屋に戻り、ぐっすり眠った。
早朝、トイレのドアノブに自分のタオルで首を吊った奴の死体が発見された。通報はされたが自殺として処理され、私は数日後に退院した。
後知恵だったが、鬱は薬を飲み始めた頃が自殺の危険なタイミングらしい。アクティベーションシンドローム、とかいうらしい。

しばらくすると、またしても悪い蟲が動き始めた。
ソレを背中で感じたが五里霧中だったし、、死が人間の眼差しにやってくるところを見ていなかったので、実感に物足りなかった。
というか、もはや依存症か。耐性が、もっともっとと要求する。
常連の病院でまたやるまでは太くはない。かと言って、テリトリー以外でやらかすのも勇気がない。ジリジリしていた。
そんな折、職場の温泉旅行に出かけた。呑んでやらかしたらしいが、ブラックアウトということで。その土地の精神病院に入院となった。が、しっかり任意入院していた自分に乾杯だ。
周囲を見渡すと、まるで老人病院だった。
昼間は徘徊か車椅子で、呆けや意識の焦点のネジがかなりオカシイ年寄りだらけだ。夜はオムツをして早い時間から薬で寝込んでしまう。
地方の精神病院は入院患者も看護師も、医者までも、みんなで高齢化してしまっていることがあるらしい。「あんたの入院は急場の短期間だけだよ、早く帰ってね」と年寄りの医者に言われた。
夜は早くから真っ暗だ。他人のイビキを聞きながら不眠をかこっているほど腹立たしいことはない。ちょっとした悪戯もありではないか。隣のジイさんの鼻をつまむとか。ジイさんの口を塞ぐ、とか。ちょっとの間、手を当ててみるだけならさ。
鼻も口も、耳から耳まで掌に収まる、なんて小さな頭だろう。若い頃はもっと強く大きかったのか?歳とともに人間は萎んでしまうのかな。
ジイさんはちょっと目を剥いた。イヤイヤをするように頭も振った。払おうとした手は全く脱力していた。ちょっとの間だけ、と思っていたのに、ジイさんの動きにあまりにも見入ってしまって、気がついたら、動かなくなっていた。
翌朝、萎みかけの医者が「老衰だね」と言いながら検案書を書いていた。
退院します、と言ったら、そーお?そうだね。とだけ返ってきた。

それから、肝硬変と高血圧で心臓病と卒中持ちのオヤジが、ある冬の日、トイレで踏ん張って出した直後の姿で発見された精神病院もあった。そいつは元来、日課の運動が嫌でトイレに隠れる習性があったから、看護婦も昼食時間まで気に留めなかったらしい、死因は卒中やら何やら、「ともかく病死」と処理された。

他にも、そんな病院がいくつかある。
全部が私、とは言わない。
でも、私はいつでも精神病院に出入りできる任意入院が好きだ。アル中なんて精神疾患は神からの贈り物だったと思っている。
そう、よく断酒グループの連中なんかが言ってるじゃない?「人間的に霊的に成長するために、神から与えられたつまずきという名の贈り物」と。そして、「すぐに完璧になろうとするな」とも。
だから、蟲が動いたら、また私は飲酒するだろう。蟲をなだめるために。入院するために。

満足のハードルは、1回ごとに高くなる。だって耐性ができてるから。
それが依存症ってことでしょう?

私は任意入院が好きだ

私は任意入院が好きだ

『任意入院とは精神病院に入院するときの入院形態の一つだ。 他に、医療保護入院というのと措置入院というのがあるが、私は自分の意志で入る任意入院が一番だと思っている。(中略) なぜ入院を繰り返すのかって? 御尤も。 では、私がなぜ入院を止められないのか、お話ししてみよう』 アルコール依存症と診断され入院を繰り返す「私」だが、もう一つ別の、「私」にとってはこちらが本質的な依存症についての告白。精神病院に入院しては繰り返すようになったある悪癖。内面が乾燥し浅薄な人格障害者による、強迫性、反社会性と狂気の独白。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-01-17

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