u‐0 其一~幽霊編~

u‐0 其一~幽霊編~

君代紅圓

※この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません。

 古いアパートの、その屋根の上で……
「――――んっ?」
 目覚めると、体が冷たい。
 でも、それは私が死んでるからじゃない。
 激しい雨に打たれていることに気づく。
 気づくと、今度は悪寒に襲われる。
 慌てた私は、天井をすり抜けて部屋の押入れへ。
 また、新しい住人(ひと)が来たみたい。

      †

 三浪してやっと入った大学へ通うため、居上与式(いのうえよしき)は新たな住まいへ爪先を向けて東京の住宅街を独り歩いていた。爪先を向けて――というのも、既にアパートの六畳一間を契約済みであり、家具も一式揃え、すぐにでも独り暮らしが始められる状態だった。不動産屋で渡された簡単な案内図を頼りに慣れない町並みを掻き分け、目的地へ向かう。道中頭上を見上げると、季節外れの入道雲から夕日の朱が滲み出ていた。今夜、一雨来そうである。土地と道を隔てるブロック塀が淡い橙色に色づき、電線に留まる雀らのちゅんちゅんと呟いているのを眺めたまま足を運ばせていると、不意に、けたたましいサイレン音が一瞬耳を劈いた。びっくりして振り向くと、救急車とすれ違ったらしい。よそ見などしていたら自分が病院へ送られかねない。与式は、今後は気を付けようと思った。もう一度前を向き直して先を急ごうとすると、不思議なことに、いつの間に着いたのかアパートの前までやってきていた。妙なこともあるものである。黒ずんだ板に黒い墨で『東雲荘(とううんそう)』と掲げられた建物の端に簡易な外階段を見つけると、それを登って二〇四号室を目指す。すると、ドアの前に立ってやっと気がついた。
「……あ。えっと、鍵は……」
 今日から暮らす部屋の鍵を、ズボンのポケットをまさぐって取り出す。部屋番号の記されたタグの付いた小さな鍵を鍵穴に挿して施錠を解き、ドアノブを握ってゆっくりと引いた。
「あ……まあ、そうだよな」
 予想はしていた。というよりも、先月荷物を運ぶ際に一度だけ来ている分既に知っていたし、ほんの少しの期待もありはしなかった。ただ、それでも与式は改めて、新鮮な気持ちで、心からこう思った。――そう、正直、狭い。玄関を開けると一畳ほど廊下が伸びており、その右側には洗濯機と簡単な台所が、左側には便所の戸がそれぞれある。因みに敢えて申告しておくならば浴室はない。廊下の先の引き戸を開けると、いよいよそこが件の六畳間。摩れ切った畳が年季を物語るその一室には、入って右手に冷蔵庫、右奥には机が置かれていて、その上には……本人曰く、〝俺様の〟愛用機〈ベシュロイニガー〉たる漆黒のノート型パーソナルコンピュータが堂々と鎮座していた。定価は二四万二七八四円。三浪の分際で、電子機器には妥協しない。彼は元来そういう人間であった。
「……でも、あの家賃にしちゃ上等だったか。一応ここ、東京なんだよな……」
 ここいらの土地の値段を見ると、与式の家賃は格安と言わざるを得なかった。しかも、二〇四号室だけが箆棒(べらぼう)に低価格で本人も妙に感じたが、高くしろと言う理由もないので了承しておいた。もっとも、家賃が安くて嫌な者はいないはずである。如何に偏屈な与式にあっても、それは変わりのないことだった。
「はぁ……資料まとめよ」
 そう言うと与式は、〈ベシュロイニガー〉を深き眠りから目覚めさせ、パスワードを入力してデスクトップを表示させると画面左下のフォルダを開いて天文学の資料を整理し、それらをまとめ、更には文字を書き足していく。小さな窓から差し込む陽は、先程までの綺麗な茜色から静脈血のような色になりかけて、部屋の床に暗赤の線を一本引いていた。急速に暗闇へと近づいていく部屋の中、与式が電気を点ける頃には次第にぽつぽつと小雨の音が聞こえ出し、やがては土砂降りとなり、到頭雷鳴までもが轟いていた。
「ふぅわぁあ……疲れた。途中でガンゲームしたのは、流石にまずかったか。まっ、二五(いち)時には寝られるよな」
 吹き荒れる嵐に晒された室内で、与式は呑気にも作業に戻った。豪雨と迅雷の共鳴を聞く度に増す寒気を感じ取っているうちに、その聴覚に雑じり込んできた、ぽたり、ぽたり、という音に気づく。
「ん?」
 おかしいと思って振り返ると、畳の色が一ヶ所だけ濃くなっているのが見えた。どうやら雨漏りをしているらしい。
「家賃の訳って、これか……」
 今まで天井の様子など気にしてもいなかったが、隅々までよく見てみると黒く煤汚れている。前の住人は、大変な愛煙家か何かであったのだろうか。与式には分からなかった。ただ、続々と降り落ちてくる雫をどうにかしなければならない。すぐ傍にあったティッシュペーパーで濡れた畳を軽く拭い、銭湯のために新調しておいた湯桶を持ってくると、また湿り出したところへ置いて対策を完了した。
「うん、オッケ」
 与式はもう一度、机に向かった。それからまもなくして嵐が止み、湯桶一杯の雨水が溜まると、作業はようやく終わった。〈ベシュロイニガー〉を再び眠りへと誘うと、今日一日への満足感からか思わずこう呟いた。
「っよし……寝よ」
早速就寝しようと思って、机から離れて、押入れから寝具を取り出そうとして、そっと襖を開けた――が
「ッ……!」
 そこには、真っ白な布の布団――の中で、真っ白な布を纏った女性が一人、唇の端から唾液を一筋垂らし、合わせた両手を枕にして少々震え気味に眠っていた。
「はああああああ?」
 思わず、絶叫した。
「……んっ、んぅんんっ」
 与式の大声で起きてしまったのだろうか。押入れの中でシーツに包まった白姿の女性は寝息に声を混じらせて可愛らしく唸った。そのまま軽く寝返りを打つ様を眺めていれば、濡れた黒髪が艶麗に蠢き、奇妙な色香を醸し出している。窺い知れる色の白い貌によれば、大凡与式と同い年と見えた。その与式はといえば、口を開けたまま呆然としているのみ。だが、それも無理はない。彼女の纏う布というのも、それはまるで――否、まさに死人(しびと)の身に着けるような、白装束そのものであったのだから。
「――――んっ? ! ……えッ?」
 与式がぽかんとしていると、遂に彼女は目を覚ました。だが、与式が驚いたように、また、彼女も同じく驚嘆したのだった。
「もしかして、見え……て、る? ……そんな、なんで?」
 普通、今の彼女が生きている人間に見える訳がない。だがしかし、与式ははっきりとその網膜に、白装束を纏った〝幽霊〟を映していた。
「あの、あんたは?」
 目の前の怪奇をもろともとせず、与式はたいそう迷惑に、濡れた幽霊に訊ねる。
「あの、えっと、それはね……」
 自分を見ても全く動じることのない与式に少し気圧されつつ、彼女はこれへ至る経緯を説明した。


「……で、つまりだ。あんたは二〇四(ここ)の地縛霊で、屋根で呑気にお昼寝してたら知らん間に大雨にあってびしょ濡れになっていたと?」
 話の要点をまとめて、押入れの中の幽霊に問う。すると、彼女の頬はやがて赤に染められ、吐息も荒くなってきた。
「う、うん。っていうか、ちょっと……風邪引いちゃったかも。これじゃ霊態化しても悪寒は続きそう……」
 更には、震えも激しくなり出した。そうなってくると、不思議に思ったのは与式である。というか、先程から気になってはいたが、どうも訊き出せなかったことがある。
「そもそもさぁ、なんで幽霊なのに、昼寝したり水に濡れたり、あげくにゃ体調壊したり……なんてーか、そんなに人間らしくしてる訳だよ?」
 与式がそう口にすると、幽霊はまるで思い出したかのようにこう説明した。
「ああそれはね、んっと……幽霊って、周りの影響を受けない『霊態(れいたい)』っていう状態と、普通の人間みたいにね、例えば……濡れたり風邪引いたりとかする『物態(ぶったい)』っていう状態を使い分けできるの。で……さ、やっぱりその、外の空気に触れるときは、寒暖や風を感じないと面白くないでしょ? それで、『物態』で春のぽかぽか陽気にうとうとしていたら、つい、夜中まで眠っちゃって……」
「要するに、ドジ幽霊ってことだな……」
「……そういう言い方されたくないなあ」
 間髪入れずに罵声を浴びせた与式に、幽霊は赤くなった頬を膨らませた。
しんとした夜のアパートの一室で、青年と幽霊が対峙している。正直、それはそれは不可思議な光景だった。
「じゃあ……さっきあんたが起きたとき、俺が見えてることに驚いてたのは何だよ。『物態』……でいたんだったら、人に見えてたっておかしくは……」
「……違うの」
 幽霊は首を横に振った。すると、今度は面持を硬くして口を開いた。
「……例え『物態』でも、決して普通の人間には見えるはずは、ないの。少なくとも、私が故意に見せようとしてない限りは」
 その瞬間、与式は硬直した――訳でもなく、ただ平然と、心底どうでもいいといった様子で
「へえ。そうなんだ」
 と言った。
「ちょっと待ってよー。と、いうか、私、幽霊なんだよ? 怖くないの?」
 と、先程よりは緩めた表情でお決まりの台詞を吐くと、、与式には珍しく、こんな言葉を掛けた。
「別に……元は人間だった奴なんて、怖くもなんともねえけどさ。つか、風邪引いてるんだろ? それって、自然と治るもんなのか?」
 幽霊の熱は次第に上がっていった。あげくには、目頭がほんの少し熱くなった。
「んっ……ありがと。嬉しいよ、すごく。……それで、えと、さっき言った通り、『物態』でいるときは人間と大差ないから、人間と同じように、あったかいところで安静にしてないといけないんだよね」
 なかなか面倒な仕組みだな。と、与式は思った。
「だったら、……お、俺の布団使っていいからさ。休んでろよ。良くなるまで」
 こんな人間に初めて逢った彼女は、思わず大きな声を出して驚いた。
「いッ……いいの?」
「ほら。布団、部屋の方に出すからそこ退けよ」
 少々口は乱暴でも、悪いやつじゃないな。と、幽霊は思った。
「あ! そうだ、君の名前聞いてなかったけど、私、なんて呼べばいい?」
安寧の地が定まると、人の気持ちは軽くなるものだ。
「名前? ああ、居上与式だよ」
「与式くんかぁ……よろしくね、与式くん!」
 幽霊は、およそ生きている人間の中の誰よりも生きた笑顔をした。
「ん、え、あ、おう。よ、よろしく……」
 これは与式も風邪を引くかも知れない
「与式くん、私のことも呼んでよ?」
「名前は?」
「生きてたときの記憶なんてないもん」
「じゃあ、思い出せばいいだろ。今ある記憶辿ってきゃ、そのうち見つかると思うし」
「そんなこと、したことなかったよ」
「……手伝う」
「ほんとっ? ありがとうね……なんか、前に進めそうな気がするよ。――死んでるけど」
「関係ねえだろ。じゃあ、それまで呼び名は『幽霊さん』だな」
「え、安直~」
 しんとした夜のアパートの一室で、青年と幽霊が対峙している。
 与式はまだ、その身に迫る闇に気づいてはいなかった――。



    (其二へ続く)

u‐0 其一~幽霊編~

 小説初投稿でございます。最後まで読んでくださったみなさんに感謝感謝の、君代紅圓です。今回書かせていただいた「u‐0」ですが、ヒロインを幽霊にすることに挑戦してみました! 登場する『幽霊さん』について少しお話しさせていただくと、下校前の友人が「暗闇のサイクリングロードって怖いんだよねー」と言ったのがキャラクター誕生の瞬間(?)ですかね、はい。その後紆余曲折ありまして(人にはとても言えませんが……)、今の形に落ち着きました。
 今作はシリーズで連載していくので、もしお気に召していただけたなら、是非、次回も読んでやってください! また、Twitterへのご感想も心よりお待ちしておりますので、どうぞ気軽に話しかけてくれると嬉しいです。
 それでは、次は二月中旬ごろにお会いしましょう。

u‐0 其一~幽霊編~

彼女を知ることは、魂を識ること

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-17

Copyrighted
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