カジオは案外に単純だが、そこがいい

 フルーツタルトが宝石ならば、豆大福は琥珀で、小宇宙で、神秘なのだと吉本さんは語る。
 彼女の例えは独特でわかりにくいと、巷で評判だった。
 吉本さんの豆大福含め、和菓子に対する熱の入れ上げようときたら、店長に、
「その三分の一でも恋愛に傾ければいいのにねえ」
と呆れられるほどで、ぼくはまァ、そんな吉本さんが好きなのだけど、欲を言えば、北から南へ甘味処をめぐって全国のおしるこを食べ比べるという長期計画のほんの片隅にでも、ぼくのことを置いてくれたら嬉しいと思うのだが、望みは薄い。吉本さんはその計画実行のために仕事をしていると言っても、大袈裟ではない。
 ぼくはといえば、吉本さんのようなささやかな夢も楽しみも持ち合わせておらず、就活もいい加減にアルバイトばかりしている。
「カジオくん、このままうちに就職しちゃいなさいよ。どうせ吉本はわたしたちを捨てて、おしるこ食べ歩きの旅に出ちゃうんだから」
 たばこ片手に、店長は言う。文庫本を担当している吉本さんが今日発売の新刊と、先月発売した在庫とを差し換えている姿が、バックヤードから見える。バックヤードなどと呼んでいるが、実際は店長が住んでいる一軒家の居間である。
 もともとガレージだったところを改築し、店長がひとりで始めた新古書店は、吉本さんとぼくを雇っても採算がとれるほどには固定客がついているし、新規のお客さんも着々と増えている。店長の気立ての良さと、人脈(店長の亡くなった旦那さんというのが海外文学の翻訳家の間では一目置かれている存在で、職種や年齢問わず各処に知り合いがいるらしかった。そんな縁もあってか、随分遠くから足を運んでくれる客もいる)と、あとは新刊よりも発刊してから何十年と経った小説、図鑑、写真集などを主だって取り扱っているおかげだろうか。読書家や専門家ならば大金積んでも欲しがるような、レアな古本も揃えている。常連客はなにせ一度に購入する額がぼくの住むアパートの一ヶ月の家賃並みで、銀行から引き出した年金がそっくりそのまま本に変わっているのではと思わしき老人も、頻繁に訪れる。また店長と吉本さんの美的感覚(だと吉本さんは豪語した)が冴え渡り、半年前に内装を一新させたら女性誌の書店特集に取り上げられ、若い女性の来店客も多く見受けられるようになった。照明やディスプレイは前衛的でありながら、古書店としての薄暗さや埃っぽさも残っている。本が好きであることや、居心地の良さもひっくるめて、ぼくはこの店が好きだ。女性ふたりに男ひとりの環境にも慣れた。店長も吉本さんも女性特有のまどろっこしい感じがなくて、とても楽である。以前、ふたりとも男性的だと言ったら、店長に叩かれた。
「カジオくん、店長、そろそろ開店時間ですよ」
 一服していた店長と、買ったばかりの和菓子のレシピ本を眺めていたぼくを、吉本さんが店の方から鋭い声で咎めた。
 吉本さんは今日も可愛らしい。
 肩まで伸びた髪を後ろで束ねているが、長さが足りずに筆のような髪の束がひょこひょこと、吉本さんが動くたび上下に揺れる。レトロな丸眼鏡にゴールドの眼鏡チェーンがよく似合っている。
 急いで店に出たぼくに、吉本さんがうっすら微笑んだ。
「今日もふわふわ、ワンちゃんみたいですね」
 すこし背伸びをして、ぼくの頭を撫でてくれるのが吉本さんの日課である。そのため毎朝、食事よりも洋服選びよりもシャンプーとブローに、ぼくは並々ならぬ熱意と時間を費やすのだった。
「そういえばカジオくん、和菓子を作るのですか?」
 はあ、まあ。
 なんて、ぼくは照れながら曖昧に答えた。
 正確にはこれから作る予定でいる。手始めに吉本さんが琥珀で、小宇宙で、神秘だと称える豆大福に挑戦するつもりだ。
 吉本さんの意識に介入するならば、吉本さんがぼくに興味を持ってくれることが肝心で、そのためには吉本さんが興味を持っているものにぼくも興味を持てば、吉本さんは関心を向けてくれるのではないかと安直な考えから購入した和菓子のレシピ本だが、思いのほか、上手くいきそうな気がしてきた。吉本さんが「すごいっ」と、ほんとうに親しい常連客しか聞いたことがない無邪気な声を発したのだ。
 まだ作ってもいないくせに、ぼくは得意気な心持ちになった。
 こうでもしないと吉本さんの心はまるでぼくに向いてくれないのだから、些細な嘘も許して欲しい。
 だって吉本さんとぼくには、この書店で働いていることと本が好きなこと以外、共通点がない。
 ぼくは大学生、吉本さんは二十九歳。住んでいる街も違えば、乗る電車の線も異なり、ぼくはテレビゲームやロックバンドが好きだが、吉本さんはテレビをあまり観ないし、音楽は歌詞のない静かな曲を好んでいる。お互い本が好きという点だって、吉本さんの読んでいる本をぼくも真似て読んでいるのだが、言葉が難しくて読み進めるのに大変時間を要している。吉本さんは現存しない作家の純文学が好きで、ぼくは容易く映像化される娯楽小説が好きなのだった。
「なら今度、抹茶パフェを作ってくれませんか?」
 抹茶パフェ、ですか?
 ぼくが首を傾げると、その仕草も大変良いですと、吉本さんが微笑んだ。
 今の微笑みにしたって、頭を撫でるのにしたって、吉本さんにされるそれらはとても喜ばしいことなのに、どうしても愛玩動物にやる類としか思えないので、どうにも複雑だった。
 吉本さんはぼくを、おそらく犬、よくて弟としか見ていないだろうが、それでは駄目だ。
 ひとりの大人の男として、吉本さんにぼくを意識してもらいたいのだから、と、ぼくは悶々としつつ、こうやってかまってもらえるだけでも幸せだと思わなければと、日夜葛藤しているぼくの心を知ってか知らずか、吉本さんは珍しくはにかんでみせた。これはたまに店にやってくる紳士的な中年男性に、自然な流れで容姿や所作を褒められた際に浮かべる、滅多にお目にかかれない表情だ。ぼくは勢いで、作ります、ぜひ作らせてください、と叫んだ。シャッターを開けるために外へ出ようとしていた店長が、ぼくらの方を振り返ったのがわかった。
「嬉しい。わたし豆大福の次に抹茶のパフェが好きなの。甘味処のも、ファミレスのも好きなのよ。カジオくんのお手製パフェもぜひ食べてみたいわ。材料はわたしが揃えるから、今度ぜひお願いしますね」
 嗚呼、抹茶パフェ様、否、和菓子の神様、ほんとうにありがとうございます。
 ぼくは密かに、いるかどうかもわからない神様に感謝の意を伝え、それならばいっそ、ぼくの家に招こうとしたところで開店時間となった。
 吉本さんがふだんの数倍、軽やかなステップでシャッターを開けに向かう。
 吉本さんと交代して戻ってきた店長に、
「カジオくん、キミ、今時の子なのに案外ベタね。鼻の下、のびてるわよ」
と指摘されたが、鼻の下はともかく、口元のゆるみがその日はなかなか直らないで、たまに店にやってくるサークルの後輩の七瀬くんに、
「カジオさん、なんか良いことあったんですか。なんか気持ち悪いです」
なんて言われてしまったが、そんなことは気にしない。
 毎日やってくる空想家の波郎さんが語る、ちょっと血生臭いメルヘンに耳を傾けて笑う吉本さんを見つめながら、ぼくは、抹茶パフェの作り方を今すぐ調べたい衝動に駆られながら、店長が仕入れた「フルカラー 世界の珍しいサメ図鑑」や「世にも恐ろしい魔導書の読み方」を陳列するのだった。

カジオは案外に単純だが、そこがいい

カジオは案外に単純だが、そこがいい

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-16

CC BY-NC-ND
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