ぼくらの奇譚集 2、星の色
はづみとは久しぶりに会った。
僕はいつもどおり疲れていた。飽きもせず、やめたいやめたいと言っている。
はづみは神経質でイラチだが、意外と話をきいてくれる。その忍耐力はあるのだ。
でも今日はなんだか暗かった。
「つらそうだな。体調悪いのか?」
「あぁ、たぶん、夏バテだよ。動くのがおっくうでさ。仕事はいやなクライアントがつづいてて、そっちはそっちで参る。直前にいったことと矛盾すること、堂々といってくるからな。先輩はそれでもいろんな案をだしてくからすごいよ」
「そうか。たしかに暑いからな」
僕はスマホをとりだした。
「そんなお前に、癒しをやろう」
みせたのは、赤んぼうの動画。
ちんまりした手と口を、もごもごうごかしている。
「誰の子?」
「いとこの。この前うまれたらしい。ちっさいだろ」
ふだんは人の子をみてもなんとも思わない。でも疲れている僕には、一抹の癒しになった。写真ではなく動画なのがいい。
はづみの顔はまだ晴れない。僕はいった。
「そういえばさ、不思議な話、あるよ。まさにいとこの話なんだ」
「お、いいじゃんいいじゃん。聞かしてよ。あと、この前の話もちゃんと文章に打ってくれよな。本にするんだから」
彼はのり気になって、新しい煙草をとりだした。
*
文子の話
いとこは女の子だ。
21歳。
文子(あやこ)という。
地味でおとなしい。古風な名前のせいか。
僕とはしゃべるけど(家が近かったから)、基本無口。小柄でおかっぱ、めがねをかけている。
地味だけど、彼女のなかには意志の火がある。いつも。
そんなふうに強くなければいけない理由があった。
彼女の両親、つまり僕の母の妹夫婦は、仲がわるかった。母親はささいなことが気になり、いつもきょろきょろしている。いらいらしている。「地雷」が多くて、父親も文子も、不用意なことはいえなかった。
父親は暗く、うつむいている。僕もたまに会うからわかる。目が合ったことが、ほとんどない。
文子の支えはひとつだった。
山の上にある、プラネタリウム。この町唯一のものだ。
財政難の市が運営しているため、小さい施設だった。
星空をみるのが大好きで、ずっとながめていた。飽きなかった。年間パスをもっていたのは彼女だけだったと思う。
夜になると、早々に別個の部屋にこもる両親を尻目に、家をぬけだした。山で見る星空がよかった。本当は展望台で見たいけど、保護者なしでは夜は入れない。休日の昼間は入れたし、職員も文子はほとんど顔パスだったんだけどね。それだけにすぐ連絡されてしまう。
僕もときどきついていった。草むらにすわって、星のことを延々と説明してくれた。よく途中で眠ってしまったけど、文子は一度も怒らなかった。怒るってことがなかった。
彼女の夢はもちろん、そこで働くことだ。
お金がなくて大学は行けないので、高卒程度の市町村職員試験を受けて、いつかはそこに行きつくつもりだった。
勉強をがんばったから、奨学金で大学には行けたかもしれない。でも臆病で内気な彼女は、遠くに行きたくなかった。家は嫌いだったけど、山の上は好きだった。
家から出て、プラネタリウムで働ければじゅうぶんだった。
高校に上がると、思ってもみなかった話がきた。「プラネタリウムでバイトをしないか」と声がかかったのだ。
もちろん文子はがんばった。時期ごとの星、星座の来歴、天文学の歴史。自分の言葉で説明できるようにした。暗記するまで練習する。職員さんと展示物をつくり、おそらくふつうのバイト以上の働きをした。
「ご覧ください。12月の星空です。20時頃の夜空です。ゆっくり移動していきます……」
彼女の声はやわらかく、高すぎない。ぶっきらぼうでもない。いいあんばいだ。包まれている気持ちになって、プラネタリウムで寝てしまったのは僕だ。
「なんで、そんなに星が好きなんだ?」
僕はきいたことがある。
文子はしばらく考えた。
星の移動くらいスローだった。
「……いつもあるから」
「そりゃ、いつもあるけど……」
「近くにあるんよ」
詳しくきくと、まぶたの裏にあるらしい。
目を閉じたとき、闇のなかにはじける光。あれを星空だと思おうと、訓練しているうちに、本当にそう見えるようになったらしい。
「宇宙に浮いてる気分になる」
銀河に放りだされるイメージ。
「2001年宇宙の旅」のような。
それが安心するという。僕はぶるっときた。
「怖くねぇ?」
「怖くない。広いから」
家にいるとき、視界はせまい。きゅうくつだ。それは夜空の対極にある。
文子はそう思っていたのかもしれない。両親といるときの彼女と、星空といるときの彼女、両方みていたから、違いがわかった。
バイトを始めて1年。
彼女にもうひとつ大事な「星」ができた。
山の上で、職員の軽自動車が故障し、動かなくなった。
春の夕方。
なま暖かい春風にふかれ、みんな困った困ったといっていた。一人が、近くの修理工を呼んだ。
来たのは男性2人。
1人は40代のベテラン。ガタイがよく、汚れたつなぎを着ていた。
もう1人は20代。やせこけて、長めの金髪を無造作にくくっていた。前髪をぜんぶあげ、黒いピンでとめている。目つきが悪い。つなぎの汚れ方は、ベテランの比じゃなかった。
ベテランは若者に指示し、車を点検した。
彼らは何かを確認しあい、若者が車の下にもぐった。
「すぐ直る」
不愛想にベテランが言った。
彼は最低限のことしか言わなかった。若者に短く指示をとばす。
ときどき、聞きとれなかった若者が「え?」と顔をだす。
「きちんと聞けっ」
不服そうに、彼は車の下に戻っていった。
文子はドキドキした。
春の日が落ちて、暗くなっていくなか、綺麗な金色が出たり入ったりしている。
彼女は、ソロソロと車の横にまわりこみ、ゆっくり座りこんだ。激しい動悸を感じた。横になる。おそるおそる、車の下をのぞきこむ。
文子のしぐさがゆっくりだったので、彼は気づいたようだ。手を止めて彼女を見ていた。
迎え入れるように、彼女と目があった。文子はビクッとした。
「何すか?」
彼は吹きだしそうになった。そっちからのぞいたクセに。
何ビビッてんだよ?
文子はまっ赤になった。電光石火のように、恥ずかしさが伝わった。彼には文子の動悸さえ感じとれそうだ。
「あの、あ、ごめんなさい。あ、の、暗くないですか……?」
彼は黙ってライトを見せた。
「あ……、そうですよね」
文子の混乱は収拾がつかなかった。
子どものように小さい彼女をみて、彼は不思議な気もちになる。
「もう出るから。大丈夫すよ」
言葉通り、彼はすぐに出た。
運転手と話しているベテランと、施設に戻っていく職員。文子の隣に彼が立った。オイルの匂いがする。身長差がかなりあった。
金色を見あげるのに慣れている文子も、この気もちは初めてだった。
「プラネタリウムなんてあるんすね」
「え?」
予想外の言葉。
「えっと……、知らないんですか」
「まぁ」
沈黙。
「……この町の方じゃ、ない……?」
「いや、住んでるけど。はずれの方なんで」
顔をぬぐいながら言った。落ちてきた前髪を、骨ばった手で直している。
どこであろうと、この町の子なら来たことがあると思う。小学校で来るから。文子は不思議に思った……のは後のことだ。そのときは彼をみるだけで、容量がいっぱいだった。
文子は臆病だ。でも宇宙は怖くない。宇宙に放りだされたい。海も好きだ、遠くまで泳いでいってしまう。夜もいい。広がりのあるもの、深いものは怖くない。
街は機械的で、好きではない。でも夜景は好きだ。明滅する光、たくさんの明かり。それはいつも何かを示している。
星空に似ているものは、他にもあった。麦だ。麦畑は金色で、ゆれている。文子の一番好きな本は「星の王子さま」だった。
連綿とつづく、金色のイメージ。それは容易に、彼とつながった。目を閉じれば星空がみえるよう、自分を慣らしてきた。
彼女はそこに、彼のイメージを加えることができる。
半月後、プラネタリウムに彼はきた。
あらためて、文子は彼の髪をみた。想像のなかの金色より、汚く傷んでいる。そうか。なぜか幸せに感じた。実物を近くでみると、また違うものだ。星だってそうなのだから。
彼の全身をみると、文子は体が熱くなった。
彼も彼女の全体をみて、やっぱり「ガキみたいだな」と思った。妙に関心した。働いてるってことは、高校生以上だろ? 中学生に見えるぜ。
「あれ、してもらえるの?」
「え?」
「あの、読むやつ。たぶん読んでるんだろ? 教えてくれるやつ」
解説のことらしかった。彼は語彙がすくないうえに、プラネタリウムには解説が必ずあることを知らなかった。
平日で、その回のお客さんは彼だけだ。文子は扉をしめて、定位置につく。ホールは暗くなる。あごをひいて、深呼吸を3回した。
なるべく、いつも通り読むこと。
「南の空をご覧ください。輝いている金星が見えます」
金星がどれほど重要か、ゆっくり説明した。
上映中、彼は一度も寝なかった。
「面白かった」
終わったあと、彼は言った。
見終わったあと誰もがするように、スッキリした顔をしていた。文子はその表情が好きだ。
「ナメててごめんな。プロだ」
「いえ」
文子は不格好にはにかんだ。
「何歳なん?」
「17です」
「うえー! マジか。俺と5つ違い。まーでも想像より離れてないほうか。親戚のガキかと思ったもんな……」
彼はぶしつけに彼女を見る。文子は、身体の芯が熱くなった。熱された鉄みたい。早くホールの扉をあけて、逃げたいと思う。
彼にあてて手紙を書いた。
次に来たとき、文子はそれを渡した。
ビックリしたのは、彼がその場で封筒をちぎって読みだしたことだ。彼には情緒がない。後から考えるとおかしかった。
「いいよ」
彼はそれだけ言った。それが返事だった。
それが文子の初めての恋愛だった。
彼の名前は継也(けいや)。
文子はその字も好きになった。「星を継ぐもの」だ。
彼は文子の名前をきくと、「だから手紙だったのか。文だもんなー」と変に関心した。文子はうれしかった。
彼は、文子に教えてもらった「いいこと」を早速実行した。
彼女がいつもやっていることだ。
車の整備中、下にもぐっているとき、ライトを一旦消してみる。目の前は暗い。というか黒い。そこで目を細めるか、閉じてみる。
そこに星空を思いうかべる。
最初はうまくいかなかった。想像力がとぼしい。オイルの臭いもする。それでも、あんまり文子が気持ちよさそうにするので、続けてみるかと思った。幸い、整備中体は浮いている。(寝板に乗ってるから)
「宇宙に浮いてるみたいで、安らぐよ。リラックスする」
どうしてもリラックスできなかったので、星と一緒に、文子の腕のやわらかさを思いだした。
文子の宇宙には、継也の色が加わって、なくてはならないものになった。継也も仕事中のストレスを、一瞬忘れることができた。
「俺が金髪じゃなくなったら、どうする? ハゲたりして」
継也はきいたことがある。
「いいよ。べつに、実際金髪じゃなくてもいいの。イメージだから。もう入ってるの」
文子は自分の頭を、指でトントンとした。器用なもんだな。継也はまた関心する。こいつの世界は浮世ばなれしてる。でもそうなった経緯をきいて、なるほどと思った。
「俺んちも、家族はあってないようなもんだ。親父は借金ばっかで。オカンは病気で療養所に入ってた。親父は会いにつれてってやるって言ったけど、結局つれてってくんなかった。そのうちにダメんなった。すげー遠くの山の上に、療養所があったからな。自分ではいけんかったし」
小学校もいく気しなくて、いかんくなった。
そう呟いた。
文子は彼の頭をなでた。たれた前髪を、耳にかけ直した。
文子は卒業後、公務員試験を受けつづけている。難しいからなかなか受からない。でも、もう少しやってみるらしい。
継也とはそのまま結婚した。両親にはいろいろ言われたが、べつによかった。彼女のなかには意志の火がある。いつも。それを継也は知っている。
*
「どこが、不思議な話なんだ?」
はづみは不快そうだった。
そうだよな。うん、わかるよ。他人ののろけだから。
「もう一回、この動画見てみろよ」
文子の息子がモゾモゾするところを、もう一度見る。
「だから何だよ?」
「この子の髪。黒くないだろ」
彼はうなずく。
「白いな。白っつーか金。でも、父親が金だからだろ?」
長い煙草をつぶした。
「今の話だけ聞いたら、ヤンキーの整備士は染めてるんだなって思うよ。でもこの動画見た後だから、地毛なんだなって思ったぜ。ハーフか何かだろう」
「染めてるんだ。ハーフでも何でもない」
「…………」
「不思議だろ?」
はづみは黙ると、もう一回動画をみせろと言った。
何度見ても、金だ。
「文子からこの動画が来たのもさ、不思議じゃない?って話なんだ。彼女も驚いてる」
なるほど。
つぶやいて、はづみは背もたれにもたれた。
「三つ、考えられるぜ」
腕組みをする。
「彼女が金髪地毛の男と浮気したか、子どもの毛を染めたかだ」
「どっちも、可能性は少ないな。文子は浮気できるタイプじゃないし、子どもの毛を染める意味がわからん。まだ生まれたばっかだぞ。染めるなんて危険だ。もっと大きくなってからならまだしも」
「わからんぜ。女ってのは何をやるかわからん。初めてつきあった男と結婚したんだろ? 他の奴とやりたいと思ったのかも」
「だとしても避妊するだろ。絶対ばれる。旦那は彫りが深い顔じゃないし。それに子どもは目も青くないし、外国の赤ちゃんぽくないだろ? 旦那も浮気だとは思ってないってさ」
「うん……。俺はそいつら知らないから、信用できないけどな。まぁそれが絶対ないっていうなら、三つめだ」
はづみは大きくため息をついた。
「神様の粋なはからい。そんなに星が好きなら、ってことさ」
オカルトじみてきたなぁ、とつけ加えた。
僕はおかしくなった。
「まぁ、こんな偶然もあるかもね。それに子どもの髪って、3歳くらいで生えかわるらしい。最初は髪っていうよりうぶ毛なんだって。成長したら、ふつうに黒くなってるかもな」
そうなのか? とはづみは嘆息した。「なんだよ。先にいえ!」
「ごめん。ちょっと面白くて」
「でも、それじゃあ3年後まで要観察だな。この話を本に入れるとき、最後はあけておいてくれ。3年後に、書きたそうぜ」
彼はやっといきいきしだした。
そんなわけで、3年後のために、ここはあけておく。
ぼくらの奇譚集 2、星の色