シルバーフォックス
ダメな男がスキっていう子がいるけど、あたしには信じられない。特に不潔な男は絶対にイヤだ。
あたしが週一でやってるバイト先に、瀬川っておっさんがいるんだけど、もう、ホント、生理的に受け付けない。おっさんって言っても、多分、三十ちょい前ぐらいなんだけど、頭のテッペンは薄くなってるし、私服はいつもヨレヨレだし、近くに寄ると捨てイヌみたいな変なニオイがするし、もう、最悪。
そのおっさんが、どうも、あたしをスキみたいだから、最悪の二乗だ。
「さゆりちゃん、今日も忙しいよ。がんばろうねー」
ほら、来た。なにが「さゆりちゃん」よ。ファーストネームで呼ばれる覚えはないんですけど。
「はあ」
「今日は千人を超える宴会だってさ。寒いからコートを着てくる人も多いし、大変だよー」
それぐらいわかってるわよ。
「がんばります」
「うん、じゃあ」
なによ、うれしそうに。何か言わなきゃ、離れそうにないから言っただけよ。黒服なんだから、あたしなんかかまってないで、ちゃんと仕事しなよ。
でも、大変なのは本当のことだ。あたしがやってるバイトは、ホテルの宴会場のクローク係で、お客さんの荷物を預かって渡すだけの単純な仕事だけど、なにしろメチャメチャ量が多い。しかも、冬場はコートを着てくる人が多いんだけど、毛皮のコートなんて、モノによっては何百万もするから、間違って渡したりしたら大変じゃ済まないのだ。
今日はあたし以外は不慣れな子ばっかりで、途中でぶっ倒れてしまうんじゃないかと思うぐらい忙しかった。ようやく落ち着いてきた頃、セレブ風な女性がやって来て、番号札を出した。
「急いでちょうだい」
「かしこまりました」
323番か。えーっと、321番、322番、324番。えっ。ちょっと待って。321番、322番、324番。ええっ。どうなってるの。
「ちょっと、どうしたの?急いでって言ったでしょ」
「すみません、ちょっと見当たらなくて。手分けして探しますので、少々お待ちください」
たちまち、女性の眉が吊り上がった。
「なんですって!どういうことよ!責任者を呼びなさいよ!」
その時、黒服が急いで近づいて来るのが目に入った。
「お客さま、いかがされましたでしょうか?」
「あなたが責任者?」
「はい、宴会キャプテンの瀬川と申します」
「じゃあ、急いでわたしのコートを出してちょうだい。言っておくけど、最高級のシルバーフォックスよ。あなたのお給料の何年分もするのよ。万が一、失くしたら、タダじゃすまないわよ!」
みるみる瀬川さんの顔が真っ青になった。どうしよう。
「わかりました。なんとしても、お探しします。とりあえず、こちらの椅子におかけになってお待ちください」
「いいから、急いで!」
「はいっ」
瀬川さんがクロークに入ってきた。
「ごめんなさい」
「いや、まだ、なくなったと決まったわけじゃないさ。しまう場所を間違っただけかもしれない。とにかく、みんなで手分けして探そう」
「はい」
手が空いている子たちにも手伝ってもらっていると、瀬川さんの業務用携帯が鳴った。
「瀬川です。えっフロントに。はい、すぐ行きます!」
少し笑顔になった。
「自分のじゃないコートを受け取ったみたいだ、という人がフロントに来てるらしい」
「良かった」
「いや、まだわかんないけど。とにかく、行ってみるよ」
結局、誰かが232番の人と渡し間違えていたのだった。
セレブの女性はさんざん怒ってたけど、支配人さんからスイートルームの宿泊招待券をもらって落ち着いた。その後、瀬川さんは支配人さんから、こってり絞られたらしい。あたしたちも、一応連帯責任で注意されたけど、まあ、これから気を付けるように、という程度で済んだ。
「良かったねー、さゆりちゃん」
「ありがとうございました」
まあ、お礼ぐらいは、言ってあげるけど、さ。
(おわり)
シルバーフォックス