アルパカ日記

2021/01/25 加筆修正

 図書課古本担当司書、この春からそれが僕の肩書きになった。これが僕の役職であり、図書館という場所に就職をして与えられた最初の仕事でもある。とてもわかりやすい。
 図書課に配属された四日目の昼過ぎ、図書課の建物裏を歩いていたときだった。倉庫として使われている建物との間から煙が見えた。その場所は確か、喫煙所になっているわけでも無いはずだ。もしも、火事になっていたとしたら大変だと考えると自然に足がその方へと向かっていた。
 煙の元まで行くと、僕よりも五歳くらい年上のスーツ姿の女性が、コンクリートのブロックをふたつ重ねた上に腰を掛けて焚き火と向かい合っていた。
「課長こんな時期に焚き火ですか」
 目の前の女性こそ、三日前から直属の上司となった図書課の課長である。
「ああ、この前入ってきた新人君か。春先に焚き火するなんて変な奴だと思うかもしれんがこれも立派な仕事なんだぞ」
 上司を変人扱いするなんて君はとんでもない奴だ、課長はそう言って焚き火の中に片手で摘めるサイズの白い紙束を投げ入れた。座っている場所の近くを見ると同じような紙束が積み上げられて十数個、おそらく焚き火の中に見える燃えかけているそれもほとんどが同じものだろう。
 側にあった山から、課長がひと塊を拾い上げて渡してくれた。それは紙の本だった。題名は『アルパカ日記』とある。
「なんですかこの本」
「必要ないから燃やしてるんだよ。廃棄処分さ。君は本がデータ化されたこの時代にわざわざ紙の本を置いておくのかい。そういう変わり者もなかにはいるらしいがね」
 二〇XX年、この世の紙は全てデータ化された。本はもちろん、新聞、電車の中刷り広告、待ちで見かける張り紙でさえも。ありとあらゆる紙がデータとなり、個人のもつ端末に表示できるようになったのだ。
 そして、これが私たち図書課古本担当司書の仕事のひとつ。不要図書の廃棄である、と課長は話した。
「いえ。僕は電子書籍派ですよ。紙の本なんて置き場所に困ります。手に入りにくい上に高価ですから。それより、僕が言いたかったのはこの本のタイトルについてですよ。何ですか『アルパカ日記』って」
 タイトルが中身の全てを語っているとは限らない。思い切って本を開いて目次を見た。こういう不思議なタイトルの本にこそなにか、人生を豊かにする重要な事柄が書いてあったりするものだ。

一、 アルパカという動物。
二、 アルパカの飼い方。
三、 アルパカ短編集。
四、 アルパカは人生。

 きっと僕の人生には良くも悪くも影響は与えない。そっと閉じて、焚き火の中に放り込んだ、アルパカとは、白いモコモコの毛を纏った四足歩行の草食動物だよ、と課長が教えてくれた。
 最も現在、一般人が目にする事が出来る動物はせいぜい家畜動物の数種類だけだ。その他は人間による環境破壊の結果、アルパカのように生息数を減らし絶滅をしてしまった。
「知らない動物ってだけでワクワクしますね。僕は牛や豚ぐらいしか見たこと無いですから」
「そうだねえ、外見で言えば羊がそれに近いんじゃないか。アルパカも毛を刈られる動物だったらしいからね」
 残念ながら、羊もどんな動物かは知らないので想像することは出来なかった、課長にそう伝えるとスーツのポケットから自分の端末を取り出して羊とアルパカの写真を見せてくれた。なるほど、たしかに似ている。
 僕が感心しているうちに課長は、煙草を取り出して焚き火に近づけて煙を出し始めた。
「課長良いですか。今は勤務中ですよ」
「良いわけないさ。勤務中の喫煙は厳禁だ。でも、君は誰かに告げ口するような子には見えないからね。甘えさせてもらうよ」
 人生は短い、たまにはこういう息抜きも必要さ、と開き直っているようだ。
 はぁ、と僕は短くため息を漏らした。
 この本は後どれくらいで、この世から全て無くなるのだろうか。くだらない内容であるようだが、すべて跡形もなく燃やすのは惜しいと思ってしまった。本はデータ化をした後オリジナルの一冊を残して全て処分されてしまう。オリジナルとなる一冊はすでに保管されているはずなので、ここにある本の行き着く先は例外なく灰だ。
 データ化された本の多くは図書館で誰でも読むことができる。ある一部の本は申請をしなければ読むことができないのだが、この『アルパカ日記』に限ってはそういうこともないだろう。わざわざ紙の本である必要も思いつかない。
「新人君は本がデータになったら次はどうなると思うかね」
「どういう意味でしょうか。データになった本はそのとずっとそのままだと思いますよ。端末さえあれば誰でも自由に本を読むことが出来る。本だけのために部屋をひとつ用意しなくても良い。これに尽きます」
「私は、次にデータになるのは人間だと思う」
 課長は言った。次にデータ化され、不要だと言い渡されるのは我々人間の身体であると。
 データ化されると簡単に言っても、肉体ではなくその対象は個人の記憶である。人が生きている間に溜め込んだ記憶とはつまり物語だ。人それぞれには異なった記憶があって、決して同じものはない、それはまるで本みたいだね。亡くなったら肉体は紙の本と同じように燃やされて跡形もなくなる。物語には必ずしも入れ物が必要じゃないのさ。未来はどうなるかわからないが、私はそう遠くない将来的そんな時代が訪れる気がする、とぼんやり焚き火を見ながら話した。
「少し話しすぎてしまったね。それじゃあ、私はこの後行くところがあるから火の始末をよろしく頼むよ。新人君、これも上司から与えられた大切な仕事ださ」
 課長は立ち上がり、吸っていた煙草を焚き火の中に放り投げた。ついでに残りの本の処分も任されてしまった。なんだか都合の良いように使われている気がした。配属されて上司から最初に与えられた仕事が焚き火の始末である。
 立ち去る後ろ姿の課長が脇に何かを抱えていることに気がついた。大きさと色から推測すると謎の本、『アルパカ日記』らしかった。
「その本、どうするんですか。オリジナルはすでに保存済みのはずでしょう。ゴミならいっしょに燃やしておきましょうか」
「おいおい、馬鹿を言え燃やされてたまるか。言っただろう、紙の本を集める変わり者もいると」

アルパカ日記

アルパカ日記

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-14

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