前髪
8月19日。
店の入り口にかけられた小さなベルが軽快な音を奏で、かわいらしい女の子がそっと現れた。
僕は彼女を空いている椅子に座らせて、少しだけクセのある髪の毛を、慣れた手つきで切っていく。ふわりと、石鹸のような清潔感のある香りが舞う。
潔白で、落ち着いた雰囲気の子だったが、かけっぱなしの店のラジオから僕のお気に入りの曲が流れると、小さく声を上げた。
この曲、好きなの?
僕が尋ねると、彼女はうれしそうに笑みを浮かべてうなずいた。その笑顔に僕の頬は薄紅色に染められた。
9月19日。
店の入り口にかけられた小さなベルがころりと鳴って、再び先月の彼女が現れた。
僕はまた、彼女を椅子に座らせて、少しだけクセのある髪の毛を切っていく。ふとした拍子に石鹸のようなあの香りが漂うと、実は一ヶ月の間その香りを待っていたことに気づいて、妙な気分になった。
明日は、友達と出かけるそうだ。
飴でできた鈴が鳴る音のようなかわいらしい鼻歌や、控えめにはにかむえくぼを見れば、えらく機嫌が良いのが分かる。
高鳴る心臓の稼働音を悟らせないようにしながら、僕はいつもより気合いを入れてカットした。
とても似合うよ。
僕が言うと、彼女は照れくさそうに笑った。心臓の稼働音が大きくなった。
10月19日。
店の入り口にかけられた小さなベルがいつもの音を立てて、待ちに待った彼女が現れた。
僕はやはり彼女を椅子に座らせて、少しだけクセのある髪の毛を切っていく。石鹸の香りが、彼女が来てくれた喜びを引き立たせる。
そろそろ仕上げにしようかという頃、ふと彼女がうれしそうに、かつ照れくさそうに言った。
彼氏ができたんです。
僕は左手に持っていた赤いクシを落としそうになる。
へぇ、そうなんだ、それは良かったね。
動揺した自分に出来る限りの明るい声で、一厘も思ってもないことを言った。
明日また会えると、幸せそうに話す彼女を見ると、怒りか悲しみに似た感情が脈打つように沸騰して、視界が何かの色に染まっていきそうになる。
こんな時に。いや、こんな時だからか、なぜか仕事仲間の言葉を思い出した。
こんな都市伝説がある。
前髪の長さは好きな人への思いを表すんだ。
僕は感情の濁流に流されるように、さりげない仕草に任せて彼女の前髪に手をかけていた。
何の思惑もない、ただの我が儘なのは重々承知している。
現に、こんなことをしたがる理由はよく分からない。
でも…………。
癖のある髪の毛をすいたまま、手が止まった。身を任せるといったように目を閉じていた彼女が、不思議そうに目を開けた。頬に違和感を感じる。拭った手の甲は、ひたと濡れていた。
心配そうに鏡ごしで上目遣いになっている彼女に、前髪が目に入った、と苦しい言い訳をした。
石鹸の香りを振りまいて、満足そうに帰る彼女の前髪は少しだけ長いまま。
彼女のいなくなった店内で、僕は一人、伸びた前髪を短く切った。
前髪