大罪と死神 ~もうひとつの物語の昔話~

仮面をかぶった委員長はお嬢様に恋をする。

ずっと一人だった。
 家族や親戚はいたけれど、私にとってそれらに囲まれた生活は苦痛でしかなかった。
 だから私は家から逃げ出した。
 元々通っていた中学から編入試験を受けて入ったのは、私立学園。
 学校評価も高く、進学率もいい学園に編入することに親は反対しなかった。だが、親元を離れて世間を知るのもいいだろうとほざいていたあの時の顔が憎たらしい。
 全寮制で、外の世界から隔離されたこの学園は、私にとって最高の隠れ家だった。
 家に帰らなくてもいい、あいつらに会わなくてもいい。それだけで十分だった。

 なのに・・・

 無残に破られた教科書。画びょうの入った靴。鳴りやまない携帯。
 学園に入った次の日から私はいわゆるいじめに遭った。
 あいつらに私をいじめる明確な理由など無かった。ただ気に入らなかったから。それだけだ。

 編入した初日、私はいつも通り授業を受けていた。
 その時の授業は数学。担当の先生は厳しいことで有名だったらしい。
 だがその日は自習だった。渡されたプリントには次回提出と書いてあったため、私は一人黙々とそれを書いていた。
 他のクラスメイトが雑談している中、プリントに手を付けているのは私だけ。
 なにあいつ、真面目ぶってるの?
 お嬢様学校から来たらしいぜ。なんでここに来たんだろうな。
 うわー俺達なんて眼中にないんだろうな。
 昨日のテレビの話題や、学園の敷地内に新しくできたお店の話題ばかりだと思っていた話声は、いつしか私の陰口になっていた。
 気にしない。気にしない。
 自分に言い聞かせるようにその言葉を心の中で繰り返す。前の学校ではこんなこと無かったのに。いや、誰も他人に興味を示さなかったっていう方が正しいか。
 その時、話し声を切り裂くような音が鳴り響く。
 それは、数学教師の怒号だった。
 自習のはずなのになぜ教師が教室に来たのか。それは教科係の連絡ミスではなく、所謂数学教師の抜き打ちテストのようだった。
 きちんと課題をしているだろうと思っていた教師は激怒していた。
廊下にある窓からのぞいてみれば、プリントをしているの○○(私の名)だけじゃないか。流石○○は出来が違う。あの学校に通っていただけあるな、と。
酷過ぎる追い打ちだった。
 私はクラスの全員から敵視され、次の日からいじめを受けることになる。
 最初はかわいいものだった。
 わざと肩をぶつけたり、話しかけても無視したり。そんなものは我慢すればよかった。
 けれどそんな行為はだんだんとエスカレートしていった。
 休み時間に呼びだされ、トイレの水に顔を押し付けられる。汚いと言ってモップで突かれる。着替えようと体育着を探すが見つからず、見つかった体育着はぼろぼろに切り刻まれている。

 おおごとにすればこの学園にいられなくなる。だから私は誰にも相談できなかった。
 家の力を使えばクラスメイトなんて全員この学園から追い出すことだってできる。けれどそれは家を頼ることになり、結局この学園にはいられない。
 
 だから私は誰にも相談しなかった。

 我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢して、我慢した。

 そして今、私は屋上に呼び出されている。
 呼び出したのはクラスメイトだった。あちらから声を掛けてくるのはとても珍しいことだったが、きっとまたなにか嫌がらせをするために呼び出したのだろうと思っていた。
 屋上には鍵を借りなければ入ることができないが、ドアノブを回した時鍵はかかっていなかった。
 誰もいない屋上に私は一人立ちつくす。
 ふと、貯水槽の近くに折りたたまれた白い紙が落ちているのを見つけた。
『隣の棟の屋上に来い』
 私の背よりも高いフェンスに近付いて隣の棟を見ると、確かに人影があった。ゆっくりと周りを見渡すと、工事業者などが使用するフェンスの扉が開いていた。
 段差から下りて隣の屋上に着く。そこにいたのは数人の女子生徒(クラスで見たことのある顔だ)と、見知らぬ男子生徒が一人。
 女子生徒の一人がハンカチを取り出すと、吹いている風にそれを流した。ハンカチはゆらゆらと飛んで屋上の端に落ちる。別の女子生徒がなぜか震える声で私に取ってこいと命令してきた。
 ただ私の怖がる顔が見たいだけなのだろうと思った私は、なんの恐れも無く屋上の端に近付く。風が強く吹き、周りの音が聞こえなくなってきた。
 ハンカチを手にとって女子生徒の方へ振り返る。
しかし、私の目の前にいたのはあの男子生徒。
次の瞬間に私の目には灰色の空と、先程まで私が立っていた屋上の端が映っていた。



                  **


「なぁ流~、今日僕巡回の当番なんだよー」
「・・・あ゛?」
 わぁすごい顔。眉間の皺がグランドキャニオン並みの絶壁だね。
「今日の巡回は短めのルートだし、終わったら寮に直帰できるから一緒に帰るついでに付き合って」
 僕の顔を見た瞬間に不機嫌なオーラを全開にした彼は杉浦 流(すぎうら ながれ)。流とは初等部の頃からの付き合いで、今のところ一番信用しているのは彼だと思う・・・なんてね。
 僕、こと築地 正義(つきじ まさよし)は、学園の“正義”として今日も張り切って巡回に勤しもうとしていた。
 風紀委員会では、当番制で巡回を行っている。僕が今日担当するのは、人通りの多い大通りだった。そこで、学園の中でも有名な暴れ馬こと流に助っ人を頼もうと思ったのだけれど・・・。
「・・・短めのルートならお前一人でもできるだろうが。却下だ却下」
「ちょっ、頼むよ。人通りの多いところだからこそ流に手伝ってほしいんだって。バイト代も出すからさ、ね?」
 鞄に手を伸ばした流の前に移動すると、僕は顔の前で手を合わせて懇願する仕草を見せた。流はというとそんな僕の姿を見て盛大に舌打ちをした後、
「早く済ませるぞ」
と言って先に教室を出て行った。
なんだかんだ言って付き合ってくれるのだから、周りがどんな噂を流そうと俺はいい奴だと認識している。
先を歩く流を追いかけつつ、僕達は風紀委員会で所有している別教室へと向かった。巡回に必要なあるものを取りに行くために。

「え~っと・・・どこにしまったっけな」
「チッ・・・相変わらずきったねぇ部屋・・・」
 部屋に着いた僕は、山積みになった荷物や書類の中に腕を突っ込んであるものを探していた。
 指先にコツンッと固いものが当たったことを確かめて、それを引っ張り出す。
 いつも思うんだけど、なんでこんなに奥深くにあるんだろう・・・?
「あったあった・・・っと」
 僕の手に握られているのは一振りの刀。もちろん鞘に納められている。
 風紀委員会では、巡回時に武器の携帯が認められている。風紀を取り締まらなければならないという職業柄、実力行使しなければならない場面に出くわすこともあるからだ。もちろん殺傷能力の無いものに限られてはいるけれどね。
 刀を腰のベルトに差し、腕に風紀委員会の腕章をつけると
「さ、行こうか」
 と流に声を掛けて部屋を出る。流はと言うと、不機嫌そうに鞄を担いで僕の顔を見ることなく先に歩きだしていた。
 声を掛けても帰ってくる答えはイエスかノーの端的なものばかり。けど一線さえ越えなければ流は受け答えをしてくれる。
 まぁそれは長い付き合いゆえっていうのもあるんだろうけど。
「・・・なにキモい顔してやがる」
「いや、なんでもないよ」
 昔を思い出して頬を緩めてしまった。不意に出てしまった素顔をいつもの笑顔に直す。
 さらに不機嫌になった流の舌打ちを聞きつつ、僕達は巡回へと向かった。


 僕達の住んでいる『月森寮』に行くまでの道のりは、それほど人通りの多い方ではない。というかほぼ無いと言っても過言ではないレベルだね。
 理由的には二つ。
 一つは元々『月森寮』がこの学園の中でも端の方にあるから。
 もう一つは、流があえて人通りの無い道を選んでいるからだ。流は昔から、ある厄介者を頭の中に抱えている。それが原因でいつも機嫌が悪いんだけど、それをあえて悪化させる賑やかな道を歩かないよう静かな道を選んで帰るんだ。
 ま、今僕達の目の前には大量の学生が居るわけだけど。
「・・・クソが」
「ん?何か言ったかい?」
「・・・なんでもねぇよ。さっさと終わらせろ」
 今日の巡回ルートはこの大通り。寮が集まる一帯につながる一番大きな通りだ。距離的には短いけれど、人が途切れることがないほどごった返している。
 明らかにストレスが溜まっている流からは、不機嫌なオーラがだだ洩れだ。流には悪いけれど、こうした流の雰囲気はいい具合に場を緊張させてくれる。そのおかげで目立った悪さをする輩は極端に減るんだ。

 太陽が雲に隠れ、不意に冷たい風が吹き始めた。通りを歩いていた学生はぽつぽつと少なくなり、いつの間にか通りは僕と流だけになっていた。
「・・・」
 ・・・おかしいよね絶対これ。
 一応、周囲に警戒しながら足を進める。
 その時、太陽を隠していた雲が一瞬晴れ、光が僕の足元に影を落とした。
 通りにいるのは僕と流の二人。足元にある影は・・・三つ?
 下げていた視線を上げた時、僕の目に飛び込んできたのは・・・
「ちょっ・・・えっ!?」

 ドサッ!!

 目に映った存在を確かめる暇も無く、それは僕の腕に落ちてきた。とっさに目を閉じちゃったけど落とすようなことはしない。
(ていうか肩外れた・・・)
 そっと目を開けてみる。
腕の中に納まっていたのは、気を失った一人の女の子だった。この人は・・・
「ながれー、空から女の子が降ってきた~」
「はぁ?・・・お前が拾ったんだからお前がどうにかしろ」
 そんな捨て猫を拾ったみたいに・・・
 僕と、僕の腕の中にいる女の子をちらりと一度だけ見た流はさっさと歩きだしてしまった。
 焦っても仕方ないし、とりあえず僕は脱臼した肩を一息に嵌める(痛くないわけではないけれど、流のヘッドバットに比べたらまだまし)。
 そして状況確認。女の子が落ちてきた上空を見上げると、フェンスの無い屋上が見える。あの棟の屋上は入れないはずなんだけど・・・。
 この子が自分で飛び降りたのか、それとも誰かに呼び出され突き落とされたのか。事情を聞かないことにはなにも進まない、かな。
 見たところ外傷も無いし、ひとまず寮に連れて帰ることにした僕は彼女に制服を掛けて横抱きにする。
ふわりと香ってきた華の様な優しい上品な香り。きっと彼女の付けているコロンなどの匂いだろう。
嫌な香りではないけれど・・・なんて言うか、思考が鈍る。


 僕よりも先に寮に帰った流は部屋にいるみたいだ。多分寝ているんだろう。
 自分の部屋に入った僕は、まだ気絶している彼女をベッドに寝かせる。
 今日は隣の部屋のソファに寝ることになりそう・・・僕誰かの匂いがするところじゃ寝れないんだけどなぁ。
 それよりもまずこの子がなぜあそこから落ちてきたのか気になって寝れなさそうだけど。あいつに頼んだ方が早いかな。どうせこの子の名前はわかってるし。
 はぁ・・・長い一日になりそうだ・・・。


「で、聞きたいことって?俺も忙しいから手短に頼むよ」
「いつも急に呼び出して悪いね、四五。でも確実な情報を聞くには君が一番なんだよ。それに報酬は出すからさ」
 風紀委員会庁舎三階の一番奥。風紀委員長の許可を得なければ出入りすることのできない場所で、正義はある男と会っていた。
 月宮 四五(つきみや しご)。広報委員会の委員長で、この学園のみならず広い範囲で情報を取り扱っている。その情報網はどこまで広がっているのか見当もつかない。自分の情報は消して漏らさず、学園内でも見つけることが難しい。
 ま、僕にそんなこと関係ないけどね。お互いに必要な情報さえ交換できればいいし、この部屋であれば会うこともできるし。
「・・・知りたいのはある学生の個人情報なんだ。あと、この学園での生活も」
「個人情報くらいならお前でも調べられるんじゃないのか?お前の家のデータバンクならすぐだろうに」
「出来るだけ学園の中で済ませたかったんだ。それに家に頼りたくないのはお前がよく知ってるだろ?」
「なに言ってるんだか。次期とうry・・・悪かったからそのだだ洩れの殺気をしまえ」
 ・・・いくらセキュリティに特化した委員長室だからって僕の個人情報まで漏らさないでほしいなぁ。
 ま、知られた時点で消すけど。
「で、誰の情報なんだ?」
「四五も驚くんじゃない?この子なんだけど」
 そう言いながら僕は胸元のポケットから一枚の写真を取り出す。ここに来る前に委員会にある生徒名簿から見つけてきた彼女の写真だ。
「どれどれ・・・ほぅ!紫崎のお嬢様か。だがなぜだ?お前とは接点も無いだろう?」
 僕は考える。
 あの時の状況をうまく伝える言葉はなにか、と。
 結果。
「・・・空から降ってきたんだよ」
 流石の僕も顔が引きつる。
 だってこれしか言いようがないじゃないか!
「は?ジ○リじゃあるまいし」
「まさにジ○リだよ。流~空から女の子がーって言っちゃったもん」
「くっ・・・はっはっはっは!実に面白い!さしずめ自殺か他殺か悩んだ末に俺に情報を求めたわけか。分かった、その子の情報はお前の寮のPCに送っておく。いつもどおり暗号化しておくが構わないな?」
「さすが四五。よろしく頼むよ・・・」
 あぁもう疲れるなぁ・・・。
 四五はひとしきり笑った後、若干涙目のまま軽く手を上げて部屋を出て行った。
 あの様子だと帰る頃にはメールが届いてるだろうな。上機嫌の四五は仕事が早いのだ。


 コンコンッと扉をノックする軽快な音が響く。僕が入出を許可すると、固い表情をした風紀委員の一人が部屋に入ってきた。
「ま、そこに座って」
 僕は笑顔のまま、委員に座るよう促した。
 この庁舎にはたくさんの部屋がある。三階には先程の委員長室を含めた三部屋、二階には各委員のデスクがある大部屋が二つ、一階には受付や取調室、それから地下に懲罰房がある。
 最近懲罰房を使ったのは流だっけ・・・
 ま、とりあえず僕と四五のいた委員長室にこの委員を入れることは出来ない、というわけで今は会議室にいます。
「僕が君をここに呼んだ理由はわかるかい?」
 青ざめた委員は拳を強く握ったまま答えない。
「・・・早めに答えてくれないかなぁ。僕今日疲れてるんだけど」
「ッ!!・・・じ、自分が今日の巡回を怠ったから、です」
「では質問を変えよう。巡回をさぼってどこにいたのかな?」
 まただんまり。
 腕時計の針は六時を差している。
 もー限界。荒っぽいけど答えない君が悪いんだからね。

 ガコンッ!
 僕が委員の胸倉をつかんで宙に持ちあげた瞬間、委員が座っていた椅子が倒れて大きな音が鳴った。下にいる他の委員に聞こえただろうが、どんなことがあっても部屋に近づくなと言っているため気にしない。
「早く答えてくれないかなぁ。さっきも言った通り僕疲れてるんだよ。早く帰らなきゃいけないし、もしかしたらこの手が君を消してしまうかもしれないし」
「か、かはっ・・・あ、あの時は・・・屋上に・・・机の中に手紙がっ・・・入っていて・・・」
 屋上?
 そのまま質問を続ける。
「その手紙にはなんて?」
「ッ・・・女を一人・・・突き落とせって・・・」
 僕は掴んでいた腕を離す。委員はそのまま下に落ちて苦しそうに息をしていた。
 そんな委員の頭を掴んで顔を近づける。
「その手紙、見せてくれない?」
 震える手でポケットから取り出した紙を僕に渡す。

 ガツンッ!

 一発頭突きをくらわせて委員を気絶させる。委員の額は割れて血が滴っているが、僕の額は少々ひりひりするくらいだ。
 日頃流に鍛えられてる賜物かな・・・
 紙を読んでみると、書かれているのは細かな指示だった。
 簡単に説明すると、
 屋上から落ちてきた女の子のクラスメイトを脅して一緒に屋上に向かうこと。どうにかして屋上の端に近づけ、自分の手で女の子を突き落とすこと。もし実行しなければお前の存在を消す。
 こんなところかな。差出人は書いてないみたいだ。
 彼女の存在を消そうとした第三者がこの委員を使って作戦を実行した。
 っていうか取り調べる対象が増えたじゃないか・・・
 それは他の委員に・・・いや、連れてこさせるのはいいけど取り調べは僕がしなきゃ。あの子にもこの委員にも事情があるから情報が漏れないように極力人員は減らさないといけない。
 それに風紀委員の統制も整えなきゃいけないね。脅されて怯える風紀委員なんて示しがつかないじゃないか。
 仕事が増える・・・。
 落ちてきたのは彼女一人なのに降ってきた仕事は山ずみだ・・・。


 床に倒れたままの委員を懲罰房に入れて、とりあえず僕は寮に帰ることにした。
 一緒に屋上にいた生徒の名前を聞き出す前に沈めちゃったから、明日の朝一で聞きだして連れてこなきゃいけない。
 明日は登校も出来なさそうだ。もっとも、学園だから登校で合っているのかわからないけどね。
 
 寮に着くころにはすっかり日が暮れていた。
 今日は直帰する予定だったのに結局いつもより遅い帰宅(っていうか帰寮?)になってしまった。
「・・・」
 僕は今固まっています。それはもう彫刻のごとく。
 それは・・・
「おそい」
「た、ただいま。どうしたの?なにかあった?」
 流の前では出来るだけ表情をつくらないようにしてるけど、今ばっかりは素で驚いた。
 あの子ここに連れてきたのばれたかな・・・
 僕を含めてだけど、この寮に住む人間は他人が寮に入りこむことを良しとしない。入りこんだ瞬間にそいつを消すくらいには、ね。
 ちょっとだけびくびくしてたら、流が一つ溜息をついた。
「・・・何もねぇよ。無駄口叩いてねぇでさっさと飯用意しろ」
「あ~、そういうことね」
 ただ腹減って下に降りてきただけか。
「ごめんね、今日夕飯当番だったのに帰るの遅くなっちゃって。買い物してないから簡単なものになるけどいい?」
「食えればなんでも」
「はーい」
 あの委員さえ早くしゃべってくれれば帰れたのに・・・
 明日の取り調べはちょっときつめにしよ。うん、あいつが悪いんだし。
 流は言うだけ言って自分の部屋に戻ってしまった。また寝るのかな。なんだか今日はいつもより調子悪そうだったし。


 自分の部屋に戻ると、まだ彼女は眠ったままだった。
 ベッドに広がった長い髪は紫に近い黒で、肌は少し青白い。そしてあの香りが部屋に充満していた。

 彼女の名前は紫崎 澄麗(しざき すみれ)。高等部一年生で僕と同じ学年だ。軽く調べた情報では、彼女は去年この学園に編入してきたらしい。成績は上位をキープしているものの、時々授業に出ないことがあったらしい。先生に理由を聞かれても、トイレに行っていたとか図書室にいたら眠ってしまったなどという妙にはっきりした理由を述べていたという。
 クラスメイトの証言では、とても真面目でいい人だと思う。本を読んでいるときに声を掛けると気付かないほどのめり込んでいることがあるが、それ以外では頼りやすい人だ、などと言っていた。
 僕が彼女を知っていたことに関する情報は流石に風紀委員会のデータバンクには載っていなかった。
 っていうか載ってたらおおごとだし。
 彼女の家、つまり紫崎家はこの学園の外ではかなりの名家だ。現当主は彼女の母親で、紫崎グループの会長でもある。化粧品や衣料品など、女性ならではの商品を多く手掛けている。表向きはね。
 裏では何をしているのか。それは海外に商品を送るという名目で大量の武器を密輸入していることだ。密輸入された武器は国中のヤ○ザさんや何かしらの団体に売りさばかれているらしい。
 ただ、紫崎家がこの仕事を引き受けなければ裏の世界が回らない。裏がうまく機能しなければ表の世界も回らないのだ。だからこそ政府や警察などの機関は長い間目を瞑っている。

 ここまでが僕の知っている情報だ。
 次期当主はきっと彼女だろうし、その関係で命が狙われたんだろう。
 でも彼女のことを知っている生徒はかなり限られてくる。なら彼女を消そうとした人物は一体誰なのか。
 もー頭が回らない。
 そろそろ作り始めないと流が起きて来ちゃうな。
 まだ目を覚ます気配も無いし、扉に鍵かけてけば大丈夫か。
 
 僕は部屋着に着替えて部屋を出ると、食堂の奥にある厨房でお気に入りのエプロンをつけて調理を始めた。
「さてと」
 冷蔵庫を開けて材料の確認。いつも食材は一度で使い切るようにしてるからほとんど空っぽだった。
 どうしよっかなー。
 あるのは三つ葉とチルドしてある鶏のササミ・・・あとはわかめ。味噌は下のつぼに入ってるから味噌汁作ろうか。僕も流もそこまで食べるわけじゃないから二品くらいで大丈夫かな。
「お~い、流ご飯だよ~」
 階段の下から声を掛けると、バタンだのガタンだのと大きい音がして部屋から流が出てきた。どんな目覚め方をしたらそんな音出るんだか。
 食堂に入ってきた流はまだ眠いのか目を擦っている。
 他の二人はまだ帰ってきてないみたいだし、ラップでも掛けて冷蔵庫に入れておくか。
 ・・・ん?
「ねぇ流、あとの二人は?」
「あ?読子もクソ教師もどっかに出かけたぜ。あとはしらねぇ」
「・・・ふーん」
 先生はまぁどこにでもふら~っと行く人だからまだしも、読子が外に出るなんてよっぽどだ。本の買出しならまだ月に一度はあるだろうが、それは先週行ったばかりだ。
 それ以外の用事だとしたら明日は雪か雨か槍が降るのかな。
 あ、読子っていうのはこの寮のもう一人の住人で図書委員会の委員長。この寮は一応十部屋あるんだけど、今現在住むことができるのは三部屋だけ。空き部屋は全て書庫となっている。全部読子が持ってきた本だ。
 よく流に怒られてるけど、一向に片付く気配はないけどね。
「・・・あ、食器は流しに置いといてね。後で洗うから」
「ん」
 食事を終えてもまだ眠いのか、流はふらふらとした足取りで食器を運んで行った。いつもならここで舌打ちかますんだけど、やっぱり調子悪いみたい。

 流が部屋に戻ったあと、食器を片づけて僕も部屋に向かった。
 野生並みの勘が働くあいつならたぶん彼女がこの寮にいることに気づいてるんだろうけど、頭に住んでいる住人が騒いでるみたいだしそこまで気にしなくても大丈夫かな。
 っていうか僕が連れてきた時点で危険はないって判断してるみたいだし。
 鍵を開けて部屋に入ると、まだ彼女は眠ったままだった。
 実は眠りが深くなるお香を焚いて部屋を出たから消さない限り目を覚ますことは無いんだけど。
 お香を消して窓を開ける。匂いはあまりないけど、少し煙たいからね。
 寮の部屋はワンルームの様な作りになっていて、面積は十畳ほど。けど、僕の部屋はちょっと作りが違う。
 男にしては不自然な大きさのクローゼット。中には確かに僕の服が入ってるけど、その奥に実は仕掛けがある。
 服が掛けてある横棒を手前に引くと、クローゼットの奥に扉がある。ここできちんと正しい手順で鍵を開けないとドアノブから針が出て催眠薬が投与される仕組みになっているから、万が一僕以外の人間がこの奥に入ろうとしても無駄ってわけ。
 正しい手順は、扉を二回ノックした後ドアノブを右左右右左の順番で回してから鍵を差し込む。そうしないともし鍵を持っていてもドアノブの鍵穴に鍵が入らないんだ。
 そうして中に入ると五畳ほどの広さの部屋がある。PCの置いてあるデスクと、資料を入れるための小さな本棚が一つ。それから休憩用の一人掛けソファに、簡易コンロ。
 さしずめ僕の隠れ家、みたいなものかな。あ、流とかの部屋にはないから内緒ね。
 電源を入れたままのPCの画面に、メールの通知が来ている。きっと四五からのメールだろう。
 仕事関係のメールも多々あったが、それは後に回す。
 何も知らない人から見れば迷惑メールに見えそうな件名が一番上にあるが、それが四五のメールだ。
 開くとただ文字の羅列にしか見えない文章が淡々と表示されていく。
 暗号化された文章は僕と差出人にしか解くことができない。四五はこの暗号をそれぞれの取引相手でかえているらしいが、あいつの脳内がどうなっているのか見てみたいものだ。
 内容は、っと。

『どうせお前のことだから家の情報は省くぞ。成績は常に学年トップを維持していて、身体能力も長けている。小さい頃から紫崎家の跡取りとして厳しい教育を受けていたためかスペックは高い。まぁお前には劣るがな。
 授業に出ていない理由はほとんど嘘だ。まぁその理由は彼女のプライバシーにかかわるところだから本人に聞けよ。
 あとは・・・紫崎家のとっておきのネタがある。お嬢様の母親、つまり現当主は長女ではなく次女だ。上に一人姉がいたが、体が弱く病気で死んでしまった。ってことになっているが、本当は駆け落ちして家を飛び出したらしい。まぁ体が弱かったのは本当で、駆け落ちした相手との子供を産んだあと亡くなったそうだ。
 そのことを隠すために戸籍から長女の存在を消し、今の当主が長女ということになった。紫崎家はこの事実を隠すためにこの件にかかわった人間を全て消した。駆け落ちした相手もな。紫崎家の中では長女の産んだ子供は出産時に母親と共に死んだことになっているが、本当は生きているらしい。駆け落ちした相手が自分の母親に預けて存在を隠していたんだと。
 ちなみにこの事実を彼女は知っている。まぁ両親は気づいていないがな。
 家を継ぎたくないと言ったこともあるようだが、父親にぶたれたことがあってそれ以来口にしなくなった。高校に入ってこの学園のことを知り、去年編入してきた。
 こんなもんだ。あ、ちなみに第四保健室の京谷先生は澄麗ちゃんの従兄だ。言いたいことはわかるな?報酬は後で振り込んでおけよ~』

 複雑だ・・・。
 色々と情報が多すぎて頭の中でこんがらがる。
 昼間集めた情報と四五からもらった情報を整理するために僕は目を閉じた。
 彼女が授業を放棄している理由。風紀委員が彼女を突き落とした時にいたという数人の女子生徒。それから風紀委員にあの手紙を送った人物。
 今分からないことはこのくらいだろうか。
 もー疲れたよパトラッシュ・・・なんて言ってる暇も無いか。
 ここまで調べたのはいいが、僕が彼女を助ける義理は今のところ無い。家のしがらみなんてもの僕にだってあるからね。
 ただ、彼女を狙う人物、または組織には興味がある。風紀委員を駒に使ったことも腹立たしいしね。
「ん・・・」
(おっと・・・)
 彼女が目を覚ましたようだ。
 部屋を出てクローゼットを閉める。ここを知られたらまずいし。
 さて、紫崎のお嬢様にお茶でも持っていこうかな。
「目が覚めたみたいですね」
「!?・・・貴方は?」
「まぁまずこれ、どうぞ。落ち着きますよ」
 そう言いつつ彼女にミルクティーを渡す。彼女は受け取りはしたものの口は付けなかった。
 テーブルに自分のカップを置いて椅子に腰かける。
 流石落ち着いてるなぁ。ベッドのふちに座って乱れた髪を直してるけど、確認してるのは出入り口と窓の数、それからここが何階であるかってとこかな。
 僕もしかして誘拐犯扱い・・・?
「あの、私はなんでここに?」
「空から降ってきたんですよ。あなたが、ね。下に丁度通りかかった僕が受け止めたからいいものの、どうしてあんな所から落ちてきたんですか?」
「・・・それは」
「自殺、ではなさそうでしたけど」
「・・・」
 下を向いて黙ってしまった。
 うーん。
「あ、あの。助けていただいてありがとうございました。もう時間も遅いみたいなのでこれで。いつかお礼はいたしますので・・・」
 妙に焦った口調でそう告げると、彼女はベッドから立ちあがってドアに向かった。
 感情に押されて行動が早まってしまうのはよくないかな。
「まぁそんなに急がなくてもいいでしょう?紫崎家次期当主さん?」
「!?」
 ドアノブにかけた手が止まる。
 お互いに背を向けているから表情は見えないけど、多分かなり驚いた表情をしているんじゃないかな。
「・・・ごめん、なさい!」
 声が聞こえたかと思うと、後ろから殺気を感じた。
 一息にしゃがみこむと、僕は彼女が僕の首元に振りおろそうとしていた手を掴んで立ちあがる。そのままの勢いで両手を束ねて壁に押し付ける。
 あ、やっちゃった・・・
 先に手を出してきたのは彼女だもん・・・
「ッ・・・」
「あ、ごめんなさい!つい・・・」
 掴んでいた手を離すと、彼女は膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。
 どうしよう・・・えーっと・・・もうどうにでもなれ!
「!?」
「・・・泣かせるつもりはなかったんです。何があったのかわからないけど、僕に少しだけ話をさせてもらえませんか?」
 今の状況を説明すると、僕の腕の中に彼女がすっぽり収まっています。
 どうしてこうなった!?
 冷静に話している自分が自分でもよくわからない。
 彼女を自分の部屋に入れたことも、今こうして彼女の体に触れていることも、いつもの僕なら絶対にあり得ないことばかりだ。
 でもまぁ、ある意味結果オーライみたい。
「もう・・・嫌だ・・・もう嫌なのに・・・我慢して我慢して我慢して・・・ずっと我慢してきた・・・誰にも相談できなくて・・・家にばれるのが怖くてずっと我慢してきたのに・・・なんで貴方は踏み込んでくるんですか・・・!」
 彼女を押しとどめていた何かが外れたようで、泣きながら僕に縋ってくる。
 なにがここまで彼女を追い詰めたのか。四五が言っていた授業を放棄していた理由と関係しているのだろうか。
 ここまでの流れは彼女が目を覚ましてから約五分の出来ごと。
 展開が速すぎて僕自身も付いていけてないけどこのまま進みまーす。

 彼女をベッドに座るよう促して、僕もさっきまで座っていた椅子に座る。
「・・・そういえば名前、まだ教えていませんでしたね。僕は築地正義です。あなたは?」
「紫崎、澄麗です。それで、あの、なんで私のこと御存じだったんですか?」
「風紀委員って御存じですか?」
「えぇ」
「僕、風紀委員長なんです。あなたをここに連れて来た後、失礼ながら調べさせていただきました」
「・・・」
 悲しい顔。なんだか彼女のそんな表情を見ていたら僕自身の心が締め付けられるように痛んだ。
「さっき言ったことなんですけど、実はあなたが屋上から落ちてきた原因はわかってるんです」
「え!?」
「うちの委員があなたを突き落としたと証言したんです・・・その時のことを詳しく教えていただけますか?」
 彼女の目が見開かれる。
「・・・今から話すこと、誰にも言わないって約束していただけますか?」
「えぇ、もちろん」
 彼女は今にも泣き出しそうな目で僕を見つめる。けど、僕の言葉を聞いて少しは安心したのか、ポツリポツリと自分のことを話し始めた。
「私は・・・」

 この学園に来た初日からいじめを受けたこと。
 家に知られるわけにはいかず誰にも相談できなかったこと。
 あの日クラスメイトに屋上に呼び出され、見知らぬ男子生徒に突き落とされたこと。

 全てを聞いた僕は、正直言って腸が煮えくりかえっていた。
 この学園に救いを求めてきた彼女をいじめたクラスのやつらと、一番に気づかなければならない風紀委員をこんな腑抜けの集まりにしてしまった僕自身にね。
 全ての責任は僕にある。
 だから僕は、彼女を、助けなきゃ。
「・・・正義さん?」
「・・・ごめん。今まで君のことに気づくことができなかったのは僕の落ち度だ。だから・・・僕が君を助ける。家のことを含めて、全て」
 誰にも依存することなく今まで過ごしてきた。
 困っている人を見つけても、ただ助けてそれまでの関係。
 けど彼女は、なんだか放っておけないような気がした。
 自分と境遇が似ているからなのだろうか。誰にも相談できずに一人で耐えることの苦しみは僕も知っている。
 でも、それだけじゃない・・・
 分からないけど、それでもただ何となく、彼女を守らなきゃって思ったんだ。

**

 次の日の朝、いつもと違う柔らかな布団の感覚に私は目を覚ましました。
 いつもなら部屋が荒らされていて寝れないのでタオルケットにくるまって座って寝ているのですが、今日は柔らかな布団に横になって寝ているようです。
 ここどこでしたっけ・・・?
 周りを見渡していると、だんだん昨日の記憶が戻ってきました。
 それと同時に、殿方に初めて抱擁された上にそのまま泣きじゃくるという記憶まで思い出してしまいました。きっと今の私は耳まで真っ赤になっているでしょう・・・
 そういえば正義さんはどこにいるのでしょうか。
 昨日の夜はたしか・・・
 正義さんが私を助けると言ってくれたところまでは何とか覚えています。その後はそれまでの緊張が解けたのか気を失った・・・んだと思います。
 つまりここは正義さんのお部屋で、このベッドは正義さんのべっ・・・
「・・・//////ッ」
 ととととと殿方のベッドに私はなんてこと!!!
 き、昨日は気が動転していたんですよ!そういうことにしておかないと私がおかしくなりそうです!!!!!
「と、とと・・・きゃッ」
 ベッドの端でもがいていたら床に落ちてしまいました。
 ・・・私ったらなんては恥ずかしいことを・・・
 周りに誰もいないからって淑女として恥ずかしい振る舞いをしてしまいました。
「ただいま~ってそんなところでどうしたの?」
「あ、正義さんお帰りなさい。な、なんでもないですよ」
 反省をしつつうなだれていたら、正義さんがなにかいい匂いのするトレーを持って部屋に入ってきました。
「そう?ならいいけど。はいこれ、昨日から何も食べてなかったでしょ?朝食作ったからよかったら食べて」
「ありがとうございま・・・」
グゥ~・・・
「/////ッ!!!!」
「ふふ、おなかが減るのは元気な証拠だよ。さ、遠慮せずに食べて」
 穴があったら入りたい・・・
 トレーを受け取った私は一つ違和感に気が付きます。
「正義さんは食べないのですか?」
「僕は下で済ませてきたから大丈夫だよ。あと、今日はもうみんな食べ終わったからここに朝食を持って来たけど、これからは下の食堂で一緒に食べようね。大勢で食事をすることは心の回復にもつながるから」
「皆、というのはこの寮の皆さんのことでしょうか?」
「うん。と言っても僕以外に三人しかこの寮には住んでないんだけどね。気兼ねしなくていいよ」
「・・・わかりました」
 正義さんの優しげな表情に、また私は涙ぐんでしまいます。
 でも・・・本当に信じてもいいのだろうか。
 誰も信じずに一人で生きてきた私が、なぜここまで正義さんに心を開いてしまったのか。
 私でもよくわからないけれど、でも。
 家のことも含めて全て助けてくれると正義さんは言ってくださいました。もし本当に助けてくれたとしたら・・・私はこの学園を出ていくことにしましょう。
 全てのしがらみから逃れて、自由になることができたら。
 それ以上正義さんに迷惑を掛けないように、この学園を自主退学します。
「・・・美味しい・・・!」
「気にいってもらえたようでなにより」
 でもこのご飯が食べられなくなるのはちょっともったいないかも~・・・
「あ、そうそう。君の転寮手続きしておいたから」
「へ?」
「あの寮に戻るのも嫌だろうし、僕の方で申請しといた。だめ、だったかな」
 正義さんは少しだけ心配そうな目で私を見てきます。
 昨日も思いましたが、正義さんは意外と子供っぽいところがあるみたいです。
 でも、正直あの寮から出られるということはとても安心しました。あの寮に私のプライバシーなんて無かったものですから。部屋は荒らされ寝る場所も無い。いつ死んでもおかしくないような状態でしたしね。
「いえ、全然だめなんかではありません。ありがとうございます」
「そう?ならよかった。あと、君の荷物なんだけど今他の部屋が使えないからとりあえず僕の部屋に運んでおくね」
「はい・・・あ、私の部屋・・・」
 あんなに汚い部屋を殿方に見られるわけには!
 自分でしたわけではないもののやっぱり恥ずかしいですもの。
「足の踏み場もないほど汚いので、自分で取りに行きたいんですが・・・」
「僕はそんなこと気にしないけどな。それに君、あの寮に戻ったら今度こそ死ぬんじゃない?」
「え?」
「昨日君が突き落とされた場面にいたクラスメイトもその寮に住んでるだろ?だとしたら、君が死んでいないと知って口封じのために本当に殺そうとするんじゃないかな。殺したはずの人間が寮に戻ってきた、なんてわかったらきっとパニックだろうね」
 確かにあの寮にはクラスメイトが住んでいます。というか私の部屋を荒らしたのはそのクラスメイトですし。
 でも、殺されるためにわざわざ寮に戻ることはできません。
 どうしましょう・・・
「部屋を荒らされたんだろう?そのクラスメイトに」
「なぜそれを・・・」
「前例からだよ。こんな全寮制の学校でいじめるのが校舎だけっていうのも少ないからね。心配しないでここで待ってて。ついでに君のクラスメイトにもお灸をすえてくるから」
 満面の笑みが怖いです。
 どんなことをするのか分かりませんが、一応心の中で合掌しておきます。
「となると君は登校も出来ないのか・・・。僕の本棚勝手に見ていいから、今日はここにいてもらってもいいかい?たぶん一日暇しない程度には本入ってると思うから」
 本棚の位置を教えてくださった後、正義さんは私が食べ終えた食器を持って部屋を出ていってしまいました。
 この学園を自主退学することにしたのはいいですが、それまでの道のりが長そうです。
 ベッドに座るのも気がひけたので、私はカーペットの上にぺたりと座ります。近くにクッションがあったので一つ手にとって顔を押しつけました。
 本を読むのもいいですが、ただ何もせず時間を過ごすのもいいかもと思ったのです。
 いつもはびくびくしながら授業を受けていたので、こんなにリラックスした時間を過ごすのは久しぶりです。
 なんだか眠くなってきました・・・
 まだまだ正義さんが帰ってくる気配もありませんし、出かける際に扉の鍵を閉めて行かれたようなので他の住人の方が入ってくることもありません。
 もうこのまま眠ってしまいましょうか・・・



「澄麗、部屋のことなんだけど・・・っと」
 食器を片づけて部屋に戻ると、澄麗はクッションを抱いて床に座ったまま寝ていた。部屋が荒らされているって言ってたから、座ったまま寝ることに慣れちゃったのかな。
 そっと抱き上げてベッドに寝かせる。クッションは強く握っていて手放さないみたいだから、そのままにしておいた。
「さてと」
 鞄に必要な書類やら道具やらを詰め込んで部屋を出る。流や読子が部屋に入らないとも限らないから部屋の鍵を閉めて寮を出た。



「委員長、例の参考人を連れてきました」
「どうぞ、入ってください」
 今朝方意識を取り戻したあの委員をもう一度取り調べた際に、あの時一緒に屋上にいたというクラスメイトの名前を聞きだしていた。
 人数は四人。全員女だ。一応女子の風紀委員を迎えに行かせていたのだが、今到着したらしい。
 ぞろぞろと部屋に入ってきた女子生徒達は揃ってびくびくしていた。
 まぁ人が一人死んだ現場に居合わせた次の日に僕に呼び出されたとしたら当たり前の反応なのかな。
 女子だからって容赦しないけどね。
「さて、事情は全て知っているから隠さずに話してね。まず一つ、君達は昨日の放課後、どこにいたのかな?」
「屋上に・・・いました」
「よろしい。では次の質問。なぜそんなところにいたんだい?」
「帰ろうとしたら、変な男の人に呼びとめられて・・・」
「この女を屋上に連れてこい、さもないとお前ら全員殺すぞって・・・」
 二人の女が目配せをしながら話している。
 なんだかイライラするね。
「呼び出せと言った男は他に何か言っていたかい?」
「・・・屋上に着いてから、女を屋上の端に誘導しろって言われて・・・」
「ハンカチを風に飛ばしたんです・・・そしたらあいつ、本当に端の方に行っちゃって・・・」
「わ、私達脅されてたんです!だからっ」
 聞きもしないことをまぁべらべらと・・・
 しまいには私たちは被害者ですってアピールかよ。
 ふざけるなよこのクソ女どもが。
「あいつ、つまり呼び出した女の子のことですよね。クラスメイトだったんじゃないですか?」
「はい、だから私達呼び出すの嫌だったんですけど、脅されて仕方なく・・・」
「まさかあんなことになるなんて・・・」
 ふは、もー限界。
「ごめーん。部屋の鍵、閉めてもらえる?」
 部屋の奥にいた委員にそう言うと、委員は青ざめた顔でうなずいて部屋を出た。カチャリと音がしたところを見ると、外から鍵を閉めたんだろう。
 ある意味賢明な判断かな。
「さて、いい加減にしようか君達。事情は全て知っているって言ったよね?まさかお前らが彼女に何をしてきたのか知らないとでも思ったのか?」
 だんだんと余裕がなくなってきたのが自分でもわかる。
 彼女が受けてきたことを考えると今にもこいつらを殺してしまいそうになるが、自分の中の理性を総動員させてそれを押しとどめる。
「あ、あいつが悪いんですよ!お嬢様だからって私達を見下して、一人でお高くとまってるから!」
「・・・そ、そうよ。あいつの自業自得だわ。私達は仲良くしようとしてたのに、庶民だからって私達を蔑んでたのはあいつじゃない!」
 今まで質問に答えていた二人が口を開く。二人の言っていることはすべて嘘ばかりだ。自分が助かりたいがために、ただ自分の保身のためだけに彼女の悪評を言いふらす。
 一人でお高くとまっていた?
 お嬢様だから見下していた?
 仲良くしようとしていたのに蔑んでいた?

 死にたいのか貴様ら。

 プツリと僕の中の何かが切れる。
 ここに僕の刀が無くてよかった。いつもは鞘に納めたまま殴る程度だけど、きっとこいつらの前ではそれだけじゃ済まない気がするから。
 なんだろう。自分の気持ちが自分で押さえきれてない。昨日の夕方ごろから頭がうまく回ってないんだ。多分、彼女が降ってきたあの時から。
 もし、こいつらをこの場で殺したら彼女は学園に戻れるのだろうか。彼女の望む普通の生活を、僕はかなえてあげることが出来るんだろうか。

『私はただ・・・幸せになりたいんです』

 彼女の笑顔が頭をよぎる。
 ・・・あの笑顔を曇らせるわけにはいかないか。


「ふぅ・・・」
 委員長に言われて思わず部屋の外に出てしまいました・・・。
 たまにやり過ぎてしまった生徒に対してキレることはありますが、あんなに余裕の無い委員長を見るのは初めてです。
 一応見張りのために部屋の外に待機していると、冷たく重い空気が部屋から漏れだしてきます。
・・・きっと委員長の殺気でしょう。委員長をここまで怒らせるなんて彼女達は何をしたのやら。
朝礼で報告のあった委員の不祥事も気になります。
昨日の夕方ごろ気絶した委員の治療をしましたが、委員の額はあんなにパックリと割れているのに委員長の額は少し赤くなっている程度でした。
何というか、委員長は人一倍人間らしい感情を持っているのに人一倍人間離れしている気がします。
 部屋から溢れてくる殺気が自分に向いてこなければいいんですが・・・。

 ガシャンッ!

「!?」
 死体の処理だけは勘弁してぇ・・・


 すっかり憔悴しきった彼女達を外で待機していた委員に任せて僕は部屋を出た。
 まだ午前中なのに疲れ切っちゃったよ・・・
 今回の首謀者はまだ見つかってないし、あと何をしなきゃいけないんだっけ。
 四五の口座に報酬振り込んで、流に渡すバイト代を用意して報告書も書かなきゃいけないのか。あとは澄麗の荷物を寮から持ってこなきゃいけないのと、澄麗のクラスの連中と数学教師にお灸をすえなきゃいけない。ってことは口止めと先生方への事情説明もあるわけだ。
 学園ですることはこれだけかな。
 今日はとりあえず報酬の手続きと荷物の運び出しをしようか。寮で待たせてる澄麗の様子も気になるしね。

 委員長室で報告書を書いていると、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ~」
 ちなみに僕が言ったどうぞ、というのは入室を許可する意味ではなく外のインターホンを通して話してもよい、と言う意味だ。ここの扉は僕じゃなきゃ開けられないからね。
 風紀委員の胸元、正確にいえば鎖骨の辺りにマイクロチップが埋め込まれている。例外はなく全員にね。そのマイクロチップにはGPS機能と、個人の識別機能が付いている。この庁舎の扉にはその識別信号を読み取る機能が付いてるから、委員以外の人間はカードを使わない限り建物に入ることは出来ないし、委員長室には委員長の識別信号を持ったものしか入れないってわけ。
『倉本です。すみません、お仕事中でしたか?』
「いや、大丈夫だよ。それより用件は?」
『先程委員長が取り調べを行った生徒達の収容が完了したのでその報告に参りました』
「そうか・・・ありがとう。わざわざすまないね。あと任務は終わりだから、授業に戻っていいよ」
『分かりました』
「あ、君のデスクに書類を置いておいたからあとで確認しておいてね」
『はい、では失礼します』
 監視カメラの映像が映っているモニターには、丁寧にお辞儀をした委員が映っている。これまでも特殊な任務はこの子に頼んできたんだよね。他言無用なもの、手を汚さなければならないもの。目立った能力こそないものの、全ての仕事を正確にこなす点では信頼している。
名前は・・・えっと・・・そう!倉本 紗希(くらもと さき)ちゃん。
実力的には僕に次いで二番手だけど、任務が任務だけに目立つ役職は付けれない。ってことで普通の委員として在籍してもらっている。

「くぅ~・・・疲れた・・・」
 書類をまとめ終えた僕は大きく背伸びをする。まだ若いはずなんだけどだんだん年寄り臭くなってきたな・・・
 委員長室を出た僕は会計課に書類を提出しに二階に移動する。
 エレベーターもあるけど、それは一階から三階まで上がる時にしか使わないようにしているからこの時は階段で移動していた。
 他の委員が二階まで階段で移動しているのに僕だけエレベーターじゃ示しがつかないからね。

「委員長・・・一般生徒に報酬を出すなら御自分の給料から出してください。風紀委員で正式に依頼するならまだしも委員長の個人的な依頼なんでしょう?」
「まぁまぁ。実際犯罪件数は減少してるんだし多めに見てよ」
「まったく・・・」
 階段を降りてすぐに会計課の受け付けはある。委員の給料の管理や任務などに発生する特別手当の割り振りなど、風紀委員会の財布を管理しているのがこの会計課だ。
 受付の委員に書類を渡すと、目を通した瞬間に嫌な顔をされてしまった。
 確かに流への依頼は個人的なものだからしかたないかもしれないけど、うちの委員に流の代わりになるような人材はいないからね。みんな笑顔のくせにお腹真っ黒だし。僕も含めて。あからさまに不機嫌なオーラを出せる流はかなり素直な方だと思うよ。
「いつも通り現金でいいんでしたよね?」
「うん。僕が直接渡すから」
 判を押した書類と現金の入った封筒を受け取る。と、委員が僕を手招きして耳を貸すように促してきた。
「・・・四五さんに渡す報酬、お前の口座に入れておいたから後で振り込んでおけよ。書類は俺の方ででっち上げて置くから」
 さっきまで正義に接していた声は鈴の様な女の子の声だったが、耳を貸した時に鼓膜を震わせたのは低音の響く男の声。
 ま、もう察していると思うけどこいつは男の娘です。姿も声も女の子だから、風紀委員会でもこいつの正しい性別を知っているのは僕と倉本だけじゃないかな。
 僕とは幼等部から一緒で、名前は紀村 祥(きむら さち)。幼等部から一緒とはいえ、流は祥のことを知らない。
 単純に流は人の顔を覚えないっていうのもあるんだけど、祥が幼等部から小等部に進級する時に一度学園を出て、僕らが中等部になってから戻ってきたからあんまり繋がりの無い流は祥のことを知らなかったんだと思う。
 祥の言葉にうなずいて返事を返すと、僕は四五に報酬を振り込むために会計課を後にした。


 四五の口座(もちろん他人名義)に報酬を振り込み終えた僕は、高等部の校舎に向かった。授業に出ないのにこの校舎に来るのはなんだか違和感があるね。
 事務室に事情を告げて職員室に入る。先生方は僕の顔を見て、『また何かあったのか』的な顔をするだけで不思議そうな顔をする人は誰もいなかった。
 それだけ委員長である僕は授業に出れてないんだけどね。その立場が優遇されて出席日数はどうにかなっているものの、テストで常に上位キープするのは大変なんだ。しかもいつも授業中寝てる流が僕よりも上だなんて悔しくて仕方ないよ・・・。
 表情を変えずに仕事に勤しんでいる先生方の中でも、一人だけ僕の顔を見た瞬間に青ざめた人がいた。
 澄麗のクラスの担任だ。生徒の中で澄麗が死んだ(まぁ死んでないけど)ことを知っているのはあのクラスメイトだけだ。でも、生徒が一人欠席するのに担任が理由を知らないのは無責任だろうと紗希ちゃんに事情を説明してもらったんだ。
 それゆえのこの表情だろうね。
「先生、事情はもうお分かりかと思いますが少々お時間頂けますか?」
 僕の中でも最大級の愛想笑いを先生に向ける。
 先生は怯えた表情のまま頷くと、面談室の鍵を持って僕と共に職員室を出た。


「風紀委員長の築地です。急にお邪魔して申し訳ありません」
「た、担任の栗田です。あの、委員の方にも説明していただきましたが何があったんでしょうか・・・?」
 自分の担当するクラスであんなことがあったっていうのに何も知らないんだな・・・。
 まぁ見るからに生徒に対して強く言えるような先生じゃないけど。
「その前にいくつか質問が。紫崎さんのクラスでの様子を教えていただけますか?」
「・・・あの子は転校初日からとても真面目な生徒でした。ただ、時々授業に遅れてくることや欠席することがありましたね。理由を聞いても、図書館にいたら時間を忘れて読みふけってしまったとか、体育で転んだので保健室で治療していたとか。それだけを聞けば納得する理由なんですけど、明らかに紫崎さんの様子がおかしかったんです」
 大体前情報と同じような内容だな。
「様子がおかしかった、とは?」
「頬にかすり傷があったり、髪が濡れていたりしたんです。理由を聞こうとしたんですけど、何も聞くなと言わんばかりの目をされて私も聞くに聞けなくて・・・」
 そこまで澄麗の様子がおかしいことに気づいていたのに何も対処しなかったのかこの教師は。
「その後は何も?クラスの様子がおかしかった、などありませんでしたか?」
「そうですね・・・とても仲のいいクラスで、紫崎さんの髪が濡れていた時にはタオルを掛けて上げていましたし、特に変わった様子はありませんでした」
 先生にばれないようにクラスではそう装っていたってことか・・・。
 あのクラスメイトだけじゃなく全員にお灸をすえる必要がありそうだ。
「そうですか・・・。では今回の件についてと、今後のことについて説明させていただきます。昨日の放課後、紫崎さんが屋上から転落しました。ここまでは御存じで?」
「え、えぇ。今朝委員の方が教えてくれたので」
「紫崎さんはとくに怪我も無く今は風紀委員で預かっています。そこは御安心を」
 僕の部屋にいるけど嘘は言ってないよね。
「それで、紫崎さんは少しショックを受けているようなのでお休みを頂けないかと思いまして」
「具体的にはどの程度・・・?」
「一か月ほどでしょうね。欠席ではなく休学の方がありがたいかと。それと、クラスの方には僕の方から話をさせてください。少し特別な案件なので慎重に扱いたいんです」
 っていう口実でお灸をすえに行きます。
「・・・分かりました。明日丁度LRHがあるのでその時に時間を作ります」
「ありがとうございます。ではこのことは御内密にお願いいたしますね」
 顔の前で指を立てる仕草をすると、教師は見とれたような顔をしていた。
 この分だと誰にも話さないかな。
 そういえばこの先生の名前なんていうんだっけ?

 面談室を出た僕はまた職員室に来ていた。
 次に用があるのは今回の元凶を作り出したともいえるあの数学教師だ。
 だが、数学教師の席に姿は無かった。
「数学の細木先生がどこにいるか御存じありませんか?」
「細木先生なら今授業に出てらっしゃいますよ。確か・・・」
 職員室の先生に居場所を聞くと、授業を行っているのは僕のクラスだった(笑)

 コンコンッ
 ノックをして自分の教室に入るなんて奇妙すぎるだろ・・・
 扉を開けた瞬間に視線は集まったものの、また何かあったんだなって感じ雰囲気だ。
 遊びじゃないんだからな!
「なにをやっているんだ築地。早く席に着きなさい」
 ったくこの教師は知れじれと。
 自分が犯した事の大きさも知らずに!
「いえ、今日は委員長としてここに来たので。先生、授業が終わったら面談室に来ていただけますか?」
 頭にはキているものの笑顔で対応するのは忘れない。
 僕は仮にも風紀委員長なんだからね。
「ん?風紀委員ってのは授業も受けずによくもまぁ指図出来るもんだ。風紀委員ってのはそんなに偉い立場なのかね?」
 このクソじじい言わせておけば・・・
 この僕を怒らせるとどうなるか見せてやる。流が。
「・・・うるっせぇんだよ。あ?」
 さっきまでうつろな目で外を眺めていた流が苛ついた様子でこちらを睨んでいる。
 実は僕が教室に来た時に流が目を覚ましたのが見えたんだ。
 だから教師に言われた直後に少しだけ殺気を出して流の神経を逆なでしたってわけ。
 寝起きの流は機嫌悪いぞぉ~。
「なんだ杉浦。今まで散々寝ておいて何か言えるのかね?」
「うるっせんだよクソ教師。どうせお前の授業なんか受けなくても点数はとれんだよ。それよりも撤回しろ」
「・・・なにを」
「正義に言ったことだろうが。風紀委員ってのはお前みたいな教師の代わりに生徒を取り締まってんだよ。それも知らずに教師ずらしやがって」
 え、僕のことで怒ってくれたの?
 普通に僕が睡眠を邪魔したとこでキレてその矛先が教師に向けられたんだと思ってた。
 どうしたの流。
 頭でも打った?
 いやいつも打ってるか。
「教師が生徒よりも偉いのは当たり前だろうが。年功序列という言葉も知らんのかね」
「年功序列ってのは企業なんかで年齢によって昇格する制度のことだろうが。そういうのは長幼の序っつうんだよ、馬鹿が。年少者は年長者を敬い、年長者は年少者を慈しめっていう意味でお前にゃ当てはまらんがな」
 数学教師は顔を真っ赤にして激情している。教室全体がざわつき、微かに笑い声も聞こえてきた。
 うわーこんなに饒舌な流久しぶりに見た。
「・・・私に歯向かったこといつか後悔するからな。今日の授業は以上だ!」
「あ、先生ちょっと!」
 流にコテンパンにされた先生は、授業を途中放棄して教室を出て行ってしまった。
 教室ではあの厳しいことで有名な先生に報復することができたとクラスメイト達が喜々とした表情で話している。流はというと、寝起きで頭を使ったことに加えていつにもまして饒舌だったことから疲労が限界に達したのか、眉間に深い皺を寄せて寝息を立てていた。
 今日仕事が終わったら迎えに来よう。多分あの様子じゃ放課後まで起きないだろうし。
「ごめんみんな!あとで事情は説明するから」
「なにがあったか知らないけど頑張れ~」
 クラスの一人がそう言って僕を見送る。
 なんだかんだ言っていいクラスなんだよな、うちは。
 僕は教室を後にして出て行ってしまった先生を追いかけた。

「失礼します。・・・先生、話をさせていただけませんか?」
「・・・」
 職員室に行くと、まだ怒りが冷めないのかブラックコーヒーをがぶ飲みしている数学教師がそこにいた。
 元凶である僕が現れたことでさらに頭にきたのか顔がだんだんと赤くなっていく。汗が吹き出し乏しい頭髪がさらに悲惨なことになっているが、かろうじて笑いをこらえることに成功した。
 ・・・やばい、そのうち吹きだしちゃうかも。
「先程のことは謝りません。僕はこの学園の正義として正しいことを行うまでですから。撤回してほしいとまでは言いませんが、考えを改めて欲しいとは思っています」
 あくまでも委員長として振る舞う。風紀委員をまとめる者として、委員を守るのも僕の仕事だ。先生の信用失くして活動は出来ないからね。
「・・・考えを改めろだぁ?何が学園の正義だ、馬鹿馬鹿しい・・・そういえばあの生徒、杉浦と言ったかな。あんな学園の汚点とも言えるような生徒を野放しにしておくなんて風紀委員が聞いて呆れるわ」
 流が、学園の汚点・・・?
 ずっと我慢してきたけど、もう限界かも。
 僕の風紀委員を悪く言われるのはいい。けど流のことを悪く言うのはいただけないかな。
 澄麗のことといい、流のことといい、この教師はよほど早死にしたいみたいだ。
 もう消してもいいよね。
「・・・先生、面談室に来ていただけませんか・・・?」
「だから話など聞かんと何度も・・・っ!?」
「来ていただけますね?」
 笑顔のままで教師を見つめる。
 ピンポイントで教師に対して殺気を向けると、それに気付いたのか突然怯え出した。
 そこまで鈍いってわけでもなさそうだ。

 職員室を出て面談室に向かう。
 さっきもここで澄麗の担任と話したけど、ここは防音室になってるから勝手がいいんだ。
 どんなことをしても周りにはあまり聞こえないからね。
「手短に話を済ませたいので、いくつか質問に答えていただきます」
「・・・」
 怒りと恐怖が混じった複雑な表情。
 教師は大汗を掻きながら椅子に座っていた。
 僕は窓のカーテンを閉めると、先生の方を振り返った。
「まず一つ。紫崎澄麗を御存じですか?」
「・・・知っている」
「ではもう一つ。あなたは紫崎さんのクラスに自習と偽ってクラスの様子を見に行ったことがありますね?」
「・・・あぁ」
「その時の様子を教えていただけますか?」
 教師は足を小刻みに揺らしながら俯いている。
 滑りやすそうな頭皮から汗が一滴床に落ちた。
「・・・廊下にある窓から教室の中をのぞいて様子を見ていた。そしたら紫崎以外の生徒は教室の中を歩き回り無駄話をしていた。私はそれを見て絶望し、説教をした」
 うん。ここまでは僕も知っている。
 そしてその後のことも。
「その時何と言って説教をしたか、覚えていますか?」
「・・・『廊下にある窓からのぞいてみれば、プリントをしているの紫崎だけじゃないか。流石紫崎は出来が違う。あの学校に通っていただけあるな』」

 バンッ!

 僕は隣にあった机を片手で叩いた。
 叩いたって表現は間違っているかもしれない。ちょっと机へこんじゃったし・・・。
 僕は別にキレたわけじゃない。至って冷静だし、ちゃんと委員長としての判断を下すことが出来ると思う。
 ただこうした方が、怯えた相手の心を支配するにはちょうどいいんだ。
 例えば警察なんかの取り調べで大きな声を上げて机を叩く刑事がいるけど、それと同じ原理。供述しなければもっとひどいことをされるっていう恐怖から、簡単に口を割るってわけ。
「先生。その言葉は教師としてあるまじきものだとお気づきになられませんでしたか?」
「・・・教師がいないからと自習を放棄していたクラスの連中に目もくれず、一人黙々と課題をしている紫崎が立派だと言ったまでだ。それの何が悪い」
 自分の考えが正しいと思ったのか、強気に出た教師は僕に対しての恐怖が消えていた。
 目は復讐心に燃え、僕を睨みつけている。
 愚かな人だ。
「ずっと教室の中をのぞいておきながら、クラスの様子がおかしいことに気付かなかったのですね」
「そんなもの私が知るか。生徒は黙って授業を聞いていればいいのだ」
 教師。
 多くの生徒と関わり合う中で、教師は生徒同士の関わりを見抜かなければならない。それなくしてよい授業は出来ないものだ。
 クラスの中にAとBがいるとしよう。AとBは仲が悪く、クラスメイトもそれを認識していた。ある時、AとBの関係を知らない教師が授業の中で二人組を作らせた。それも、わざわざもっと話す機会を与えようとこの二人を組ませた。結果は最悪。二人は授業の後言い争いになり、Bがクラスの中で省かれることになった。
 これがもし、二人の関係を知っている教師ならばこのような浅はかなことはしない。稀に知った上でおせっかいなことをする愚か者もいるが。
 この数学教師のみならず、生徒と深い関わりを避ける教師は少なくない。
 僕がしらみつぶしに一人一人の教師を諭したとしても、それは意味の無いことだ。
 けれど、少なくとも僕の目に映るところでは・・・
「あなたはとても愚かだ。大人として恥ずべき存在だ。正しい道を示す教師でありながら、その義務を全うせず自らの主張のみ弱い犬のように吠える」
「貴様ッ・・・!?」
 僕は教師の胸倉をつかみ、鼻先が触れるほど引き寄せた。
「・・・そうだな。お前はただの犬だ。この学園に雇われ首輪の繋がれた犬だ。粗相をした犬ならばしつけをしなければならない。もう二度と繰り返さぬように」
 教師の瞳に反射した僕の顔が見える。
 僕は今、笑っていた。
 冷静に残酷な判断を下す時、僕は仮面をつける。
 僕の中にある黒い感情を隠すように、僕の中にある黒い感情を見せつけるように。
「・・・終わりだ」

 その日、一人の教師がこの学園を去った。


 目を覚ますと、数時間前に見た覚えのある天井が見えました。
 なぜ天井が見えるのでしょうか・・・?
「はっ・・・!」
 ま、また私は正義さんのベッドの上にっ!
 床に座って寝ていたはずなのになぜ・・・
 まさか正義さんが戻ってきて私をベッドに・・・!?
 不覚です・・・。
 机の上にある時計を見ると、針は1を差しています。
 どうやらだいぶ長いお昼寝をしていたようです。ですが、正義さんが戻ってくるまでまだ時間がありそうですね。
 私は部屋を見渡し、本棚に目を止めました。
 高等部用の教科書の他に、児童文学やファンタジー、現代文学に絵本などの本が規則正しく並べらています。
 正義さんはなかなか子供らしい御趣味の様ですね。
 私は本棚から一冊の本を手に取りました。
『眠れる森の美女』
 なかなか子供の生まれなかった夫婦の間に生まれた待望の女の子は、魔女の呪いによって百年の眠りにつく。その眠りから覚めるためには王子様のキスが必要だった。眠りについた姫は棘の茂る城に閉じ込められるが、助けにやってきた王子様のキスによって目を覚まし、二人は幸せに暮らした。
 いつも眠っているなんて私みたい・・・なっ、私ったらなんて恥ずかしい妄想を・・・
 火照る顔を手で仰ぎながら、また別の本を手に取ります。
『塔の上のラプンツェル』
 ラプンツェルを食べたかった両親は、魔女に頼みラプンツェルを受け取った。その代わりに魔女は母親のお腹にいる子供を要求し、生まれたのちに引きとった。魔女は子供を入口の無い高い塔の一番上に閉じ込めた。子供は女の子で、金髪の長い髪をしていた。魔女は女の子の髪を塔の窓から垂らし、その髪を使って登り降りしていた。
 ・・・ここまでは一般的な内容のようですね。原作では少々過激な表現があるので、絵本などでは子供向けに書かれていると聞いたことがあります。この本はどうでしょうか。
 ある日女の子は歌っていた。魔女が出かけていたため、窓から髪を垂らした状態だった。歌声に誘われて塔の下にやってきたのは一人の王子だった。王子は髪を蔦って塔に登り、女の子と王子は出会った。王子は魔女の目を盗んでは女の子に会いに行き、会うたびに性行為を・・・。
 原作通りですね・・・
 がっつり書いてあります。
 少しだけページを飛ばして読むと、おなかの大きな女の子と、視力を奪われた王子が描かれていた。逢引をしていたことがばれた二人は塔を追い出され、女の子は髪を切られ、王子は視力を奪われたのだった。けれど、二人は森で再会し喜びの涙が王子の視力を回復させ、二人は幸せに暮らした。
 正義さんは原作に忠実なものがお好きなようです。どの本も絵本とはいえだいぶ厚いものばかりですし。
 あ、原作もあるみたいですね。英語に仏語に独語・・・正義さんは全部読めるのでしょうか?
 私も少しは読めますが、ほとんど話すことを中心に教わりました。
 ・・・嫌なことを思い出してしまいました。知識を与えてくれたことは感謝しますが、その方法は強制的なものばかり。楽しい思い出など一つもありません。
『僕が君を助ける。家のことも含めて、全て』
 ・・・正義さんはとても強いお方です。私の悩みを全て受け止めてくださいました。
 私はただ幸せになりたいだけ。ただそれだけだから。
 とりあえず今は正義さんの帰りを待ちましょう。出来るだけ笑顔でね。暗い顔でいたら、また正義さんが悲しい顔をしてしまいます。そんな顔は見たくありませんから。

大罪と死神 ~もうひとつの物語の昔話~

大罪と死神 ~もうひとつの物語の昔話~

大罪と死神のもうひとつの物語に登場する人物たちのスピンオフとなります。恋愛ものですが、暴力的な表現がありますので苦手な方はご注意ください。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-13

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著作権法内での利用のみを許可します。

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