招霊機 「逝く処」 最終回 エピローグ

最終回です。


 遥か昔の昭和時代のテイストで設計された店が立ち並ぶ商店街。
 すっかり夜も更け、どの店頭の照明も消えてしまった頃。
『永野リサイクルショップ』の看板の元に一人の女子高生が店の中を覗き込んでいた。
 あの赤いリボンと紺色のキュロットは曙高校の制服だ。
 奇麗に染めたキャラメルブラウンの巻き髪の瞳の大きなその少女を、店主の永野伸はニュースで何度も見たことがある。
 同級生に殺された被害者だ。
 その彼女が店の中の何に執着しているか、伸にはすっかりお見通しであった。
 店の奥に並べられているロボット達の一体―全身銀色のソイツに彼女はご執心なのだ。
 ガラッ。
 いきなり開いたガラス戸の音にびくつき、少女―木村杏奈の霊体は後ずさった。
 目の前には眼鏡をかけた青年が微笑んで立っている。
「奴に用事あるんでしょ。どうぞ」
「え、え・・・」
 この人、幽霊(私が)視えてるの・・・喉から出かかった質問に青年は頷いた。
「でなきゃ、うっかり招霊機なんて店に置けやしないよ」
 彼の言葉に甘えて杏奈は店の中に入った。
 その後を異形の霊体が2体、ついて入ってくるのを伸は視界の端で捉えたが、あえて何も言わなかった。
「J、お客さん」
 伸は店の隅っこの銀色ロボットに呼びかけた。
「あ・・・」
 初めて招霊機がオリジナル・フォーミングする過程を目にした杏奈は感嘆の声をあげる
「お久しぶりです」
 あの華麗なる金髪青年が起動前に座らされていた椅子から立ち上がった。
「お元気そうですね」
 杏奈はクスリと笑って頷いた。
 死人にその表現は妙だとは思うが、ここしばらくの自分の気分はとてもいい。
「・・・で、私に何か要件があるんですね?」
 そうだ。だから彼を捜しまわっていたのだ。
「あの・・・私を再生して下さい。」
 重々、無理なお願いだと解っている。だけど、懇願せずにはいられないのだ。
 案の定、ロボットは首を縦には振らなかった。
「私の再生は一霊体につき一度きりしかできません」
「後、一回、はないんですか!」
「・・・申し訳ありません・・・それが可能ならお受けしたいのですが・・・」
 本当に悲しそうな目でロボットは俯いた。
 杏奈も悲しくなって俯いた。
「・・・あのさ」
 店のレジ横の椅子に座った店主、伸が手を挙げた。
「訳を聞くだけなら、俺にでもできるんだけど」
「この子のお父さんには視えも聴こえもしないんだよ」
 気を落とし声もでなくなった杏奈の代わりに、彼女についてきた異形の2体の霊体達―一人は中年女性、一人は幼い子供、二人ともいわゆる餓鬼の様な姿態である―が話し始めた。
「お姉ちゃんは、お母ちゃんとおじいちゃんとは話できるんやけど、お父ちゃんだけあかんねん」
「杏奈さんのお父さんには霊能力は皆無です」
 律義にJが伸に説明する。
「・・・ノンレム睡眠中に呼びかけるとか、試した?」
 伸が尋ねると三人の表情がまた一段と暗くなった。
「・・・死ぬ程やったなぁ・・・」
「この娘のおとっつあんは、ただ今気落ちして不眠症気味なんだ・・・たまに寝たら寝たでノンレム睡眠なんて存在しないようだし」
「もともと夢も見ないぐらいぐっすり眠るタイプなのよ・・・ある意味大物だから」
 杏奈が溜息をつきつつ解説してくれた。
「そ、そりゃお気の毒・・・」
 思わずこみ上げてくる笑いを必死で押さえながら伸はJの方を見た。
「・・・どう?」
「どうと言われても」
 あくまでもくそ真面目な表情を崩さずにロボットは予想通りの答えを返してくる。
「できないことはできません。それはあなたもよく知っていることだ、伸」
「ごめん、ごめん・・・ってことでさ、残念だけど科学も万能ってわけにはいかないこともあるらしいんだ、ここは諦めて成仏・・・」
 伸の引導の言葉に杏奈が本格的に泣きそうな顔になった時。

 ピンポーン。
 
 昭和テイストの音に設定された店のピンポンが鳴った。
「・・・はい」
 こんな夜中に・・・ユーレイはビビらないくせに生身の人間の来訪にやや警戒の色を浮かべながら伸はインターホンで返事をした。
『夜分、申し訳ありません・・・こちら水月神社の者ですが・・・』
 インターホンから若い―少女期と断定してよい女性の声。
『そちらに木村杏奈さんとジェイソンとかいうロボット、いませんか?』
「・・・美月・・・」
「水月さん・・・?」
 その声にJ、そして三体の霊体までもが反応した。
 伸は入口を開けた。
 そこには杏奈と同年代の黒髪セミロングの美少女が立っていた。
 その背後には若い男と中年男性がひかえている。
 神社の者と身元を説明しているが、三人とも普段着としか言いようのない服装である。
「こんな時間に申し訳ありません」
 少女は頭を下げた。
「説明しなくても解って頂けるとは思いますが・・・木村さんにはもう時間が残っていないので参上させてもらいました」
「時間・・・」
 話題の当人が眉をひそめた。
「この世に留まっていられる時間だよ」
 後ろの中年男性が答えた。
「それ以上、この世にいればロクな事はない・・・そういう時期だよ。解ってるよな、お嬢さん」
「でなきゃ、あせって再生不可能な招霊機のいるところには来ないものね」
 綺羅綺羅する少女の黒い瞳はJに向けられていた。
「こないだは有難う、J」
「礼には及びません」
 笑いも照れもせずJは返した。
「あの・・・」
 杏奈がほとんど泣きそうな顔になった。
「私・・・お父さんにまだ・・・だから・・・」
「話しかけても判ってくれないんでしょ、お父さんだけ」
「お嬢ちゃんの母ちゃんから、どうにかできないかって依頼があったんだよ」
「え・・・」
「私か父さんが寄り代になってもいいんだけど」
「懐疑主義者のあんたのとつっあんには、いまいち説得力ないかな、ってね」
 中年男性は後ろの青年に顎で合図した。
「はいよ」
 青年は振り向くと自分の背後に置いてあったらしいものをうんこらしょと引きずってきた。
「それは・・・」
 思わず声をあげるJと伸。
 青年―水月圭のひっぱりだしてきたものは彼らにとってはおなじみの銀色ロボットであった。
「招霊機、試作品(プロト)よ。とっ捕まえたの」
「一体、どうやって・・・」
 本当に驚いた顔をしているJを見て美月はしてやったりとニヤリと笑う。
「私が探し出して親子で中身をやっつけたのよ。こんなクセの強い気配、一度覚えたら忘れないわ」
「こいつは『探シモノ』だけは得意でね。まあ、それでこないだはヘタふんだけどな」
 美月は父親を睨みつつ、へたばっている銀色ロボットを指差した
「木村さん、Jじゃなくて、これ、使えば?」


「さすがは」
 伸が呟いた。
「水月神社だよな・・・試作品をとっ捕まえて、木村さんも君も見つけ出すなんて」
 幽霊とゴーストバスター軍団が帰った後、伸は一息つくために珈琲を入れ始めた。
「美月はリーディング能力にたけているようです」
 飄々とした中年男と、快活そうな若者、花盛り女子高生と、餓鬼姿の霊体二人。
 Jは店のガラス張りの表戸から立ち去って行った客人達を見送り続けていた。
「あの人達、君のことずっと捜してたんだな・・・よかったじゃん」
 今度はロボットの返答はない。
「J、本当に行く気ないの?」
 伸は珈琲を一口呑みこみ尋ねた。
―親父が先代の宮司からの話をいい加減にきいていたのと、今まで神社の記録なんて見ようともしなかったもんで・・・とにかく、気がつくのが遅くなって申し訳ありませんでした―
 水月家の長男、圭の切り出した穏やかならぬ台詞は正直二人共ぎくりとした。
―こないだの事件の後で、どうしてもアンタの素性が気にかかってさ。神社の古い記録とか日記とかメモとか漁ったんだ。そしたら案の定―
 刑事の勘は鋭い。
―J、アンタの設計図と記録が出てきた―
 Jは眼を閉じた。

 いよいよ、この日がきた。

「ミナヅキモデルって名乗ってたし、神刀のレベルも知ってたし、もしかしてって思っていた・・・Jは水月神社(うち)で造られたんだよね?」
「そうです」
 そう答えたきりJは黙り込んだ。
 ロボットに奇妙な表現ではあるが、あんまり嬉しそうではない。
 その理由は、彼の過去について知ってしまった水月一家には十分判っていた。
「無理強いはしねえさ」
 父和夫が後頭部をポリポリと掻きながら切り出した。
「あんたにとって辛い記憶がある場所なんだから今すぐ帰ってこいとは言わないさ。ただ、野良犬ロボットなら所有者がいなけりゃ身分が安定しないだろ?だからそんな時は俺らを頼ってくれ、ってことだよ。娘も息子も世話になったんだからな」
「宮司・・・」
「ありがとうございます!」
 伸の手がJの頭を下げさせた。
「こんなユーレイ鷲掴みするしか能のないボーっとしたロボットに情けをかけてくれるなんて・・・よかったな、J!これで万年リサイクル候補生活から脱出できるぞ!」
 Jは頭を上げ、すっかり舞い上がっている伸を見つめ言った。
「・・・私はここにいます。その方が試作品の行方を掴みやすい」
「水月神社にいる方がチャンスは掴みやすいと思うんだけどな。現にこの人達はこうやって試作品を見つけだしてる」
「だから、無理に来いとは言ってないわよ。困った時には頼ってきてね、ってことよ」
「ついでに寄り代のバイトも頼むぜ」
 ウインクする宮司に子供達が突っ込む。
「やっぱりアンタは金儲けかい」


「もう逃げられないね。J」
 彼の言葉を待つうちに珈琲は飲み干されてしまった。
「こないだの君を買っていった奴が君をあの神社に放棄したのも偶然じゃない」
Jがやっとこっちを見てくれた。
「・・・気がついていなかったのですか、伸」
「いや、気がついてたよ」
 伸はコーヒー・サイフォンに手を伸ばす。
「君を買っていったあの男、どんなに記憶をひっくり返しても顔も声も格好も思い出せないからね―あれは人外の者だ」
「―私の記憶(メモリー)にも空白があります」
「え?」
 初耳だ。
「彼に買われてから水月神社の拝殿で美月の顔を見るまでです。勿論、彼の人相の記録もデータにない」
「・・・今言うかぁ―?それ」
「申し訳ありません」
 どうやらこのロボット、プライドが傷ついたから黙っていたようだ。
 製造後50年作動し続けているうちにそういう感情が芽生えたのか学習したのか。
 それとも元から設定されていたのか。
 彼との付き合いは長いが、まだまだ解らないことがいくらでも出てくる。
 伸は二杯目のぬるいコーヒーを一気に飲みほした。
 一連の出来事についての推理や分析や議論など必要なかった。
 二人共、男の正体は見当がついている。
「君はズーッと昔からあの水月神社に呼ばれている。だったらもう逃げられないな」
 ロボットの顔が歪んだ。
「『彼女』を護れなかった私を、ですか」
「それは俺もだ。それがあそこに帰られない理由か?もう一度の失敗が恐ろしいのか?」
 Jはガラスの向こうを見つめてた。
 すでに誰の姿も見えないというのに。
「もう、一度の・・・失敗・・・」
「美月ちゃんは『彼女』に似ているね・・・将来は凄い霊能者になれるよ」
「しかし美月は成長が遅い。今だまだ十六夜丸までしか扱えないレベルです。『彼女』は小学生の時点で満月丸を扱えていました」

『彼女』の名は水月香音(かのん)。

 彼女は招霊機を作製した水月博工学博士と水月神社85代目宮司である水月麻里亜の一人娘であった。
 同じ水月の姓がついていても、美月をはじめ、現・水月神社を構成する一家とは血の繋がりも面識も全くない。
 今の水月一家は先代との養子縁組で成立したものであるし、その先代も40年前に管理者もおらず寂れきったこの神社に縁あっていついただけの人物である。
 85代目水月一家―彼らは50年前にはもうこの世にはいなかった。
 最初に母親の麻里亜、続いて父親の博、そして最後に娘の香音が弱冠17歳という若さで何者かに殺害されている。
 その事件は未解決のまま警視庁のセントラルコンピューターに記録されているはずだから警察関係者が家族にいる水月一家が父の記憶を手掛かりに、こっちの事情を調べるのはいとも簡単だったに違いない。

 そして、『永野リサイクル』(こちら)も、あの水月神社の事情を知っている。

 コーヒー豆が切れている。
 伸は机の引き出しから煙草を取り出し火をつけた。
「伸、煙草は止めたはずだ」
「・・・この一本だけ」
 ふうっと勢いよく伸は煙を吐き出した。
「J。水月神社というのは特別な場所だ。そんな神社の僕(しもべ)である霊能者を何者も放ってはおかないのは君も充分知っているはずだ。だから今だに十六夜丸のレベルの彼女を護ってやらなくていいのか?」



 夜明け前、杏奈は木村家のドアを開けて入ってきた。
 総司も容一も春奈も、水月神社から連絡を受けて、彼女が帰ってくるのを待っていた。
「ただいま」
 照れくさそうに、杏奈は笑って言った。

 その日は誰も事件のことなど話そうとする者はいなかった。
 そんなこと、これからうんざりするほど残された家族が立ち向かっていかなくてはいけないことなのだ。
 だから今日一日だけは、その話は忘れていたかった。
 皆、リビングの彼女の仏壇に目をやるのを避けていた。
 杏奈は春奈が作った好物を食べ、いつもの様に母親と談笑した。
 総司とは、いつものように彼が手入れしているささやかな家庭菜園を共にいじり、反抗期まっさかりの父とは、これもいつものように会話はしなかった。
 彼は一日中リビングで新聞を読むか本を読むかで過ごしていた。
 もちろん内容なんて頭に入っていない。
 まともの娘を見れば号泣してしまうから、それでは帰ってくるにあたって娘と交わした約束を破ってしまうことになるから、彼なりの方法で涙腺の出口を閉鎖したのである。
―明日一日、絶対に泣かないで。泣いたら即消えてやるわよ―
 昨日、総司の携帯の向こう側で、自分こそベソをかきながら娘が言ったのだ。
―娘さんが会いたいとおっしゃっていますが・・・―
 水月神社の水月宮司直々の電話がかかってきたのは、もう日にちも変わる頃であった。
 もちろん、家族の誰一人反対する者はいなかった。
 そして杏奈は帰ってきた。
 今日、たった一日だけ。
 極普通の平穏な日曜日は、あっという間に終わりを迎えた。
「もう行かなきゃ」
 夕飯を終え、杏奈は告げた。
「行ってきます」
 昼間のうちに自分のお気に入りの物を詰め込んだ大きなバックを肩にかけ玄関先で杏奈は笑った。
「・・・体に、気をつけるのよ」
 春奈の眼からぽたりぽたりと涙がこぼれた。
「母さん」
 娘は母の涙をハンカチで優しく拭った。
「私は、就職して家族と離れて一人暮らしをする為に家から出て行く、っていう設定でしょ」
 そんなシチュエーションで見送って欲しいと、杏奈は予め頼んでいたのだ。
 だがそんなこと無理に決まっている。
 容一はもう我慢ができず腕を目にあてて肩を震わせている。
「泣いてばっかりいないで」
 多少、母親に対してよりもきつい口調に変わって杏奈は問いただした。
「私が頼んだ事、忘れてないでしょうね、お父さん。仕事で大阪出張があったら必ず?」
「り・・・りくろ―おじさんの、チーズケーキを買ってきて、仏壇に供える・・・」
 子供のようにしゃくりあげつつ容一は答える。
「忘れないでよ。堂島ロールじゃないわよ・・・あ、それもありね」
「お、お前、し、招霊機借りてまで俺に言いたかったことって、それか・・・」
 ますます父の眼は洪水状態である。
「ワシが最初に行くからな。その時には迎えに来てくれよ」
「気長に待っているわ、おじいちゃん」
 杏奈はドアに手をかけた。
「・・・ごめんね。私が先に逝ってしまって・・・でもね、私、この家に生まれてきて幸せだった」
 そのままの姿勢で杏奈は俯いた。

「元気でね、皆」
 
 それが本当に一番に言いたかったこと。

 遺された人々にそれは到底無理な願いだと解っているけど、逝ってしまう者は皆そうあるように祈っていること。。

 ドアが開いた。
 たまらなくなって春奈が杏奈を抱きしめた。容一も総司も抱きしめた。
 暖かい確かな人間そのものの温もりがこんなにあるというのに、彼女はもうこの世の人ではないのだ。
 杏奈は泣きながら家族の腕の中から離れた。
「私が出た後、ドアは開けないで」
 涙をふいて杏奈はしっかりと家族の顔を見て言った。
「もう、限界・・・今の姿を保つのも」
 杏奈は玄関を出た。
 ドアを閉める前に、もう一度振り返った。

 とても美しく幸せそうに笑っていた。

 春奈も容一も総司も涙でぐしゃぐしゃながらもせいいっぱいの笑顔を見せた。
「・・・行ってきます」
 ドアが閉まった。

 家を出て最初の角を曲がったところで水月美月とJが待っていてくれた。
 彼女は街灯のもたれ俯いていた。
「ありがとう、水月さん」
 杏奈は持ってきたバックを彼女につきだした。
「頼んでばっかで悪いけど、これあとでいいから家に届けてくれる?で、これだけ形見にしてあとの荷物は処分してって母さんに伝えて」
 美月は言葉もなくバックを受け取った。
「ウチ、狭いからね―。私の部屋、そのままにしとくのもったいないじゃん」
 美月はやはり無言で俯いたままであった。
「ありがとう」
 杏奈の手が、美月の顔を覆っている髪をかきあげた。
「とても嬉しかったよ。私が殺されたのもあなたのせいじゃない。家族の皆も解っているわ・・・だから、泣かないで」
 街灯に照らされた美月の頬をいくつもの涙が伝っていた。
「私が死んでから皆すごく泣いてくれた・・・嬉しいんだけど、いつまでも泣き続けられるとつらい・・・」
 美月は杏奈に顔を向けた。

 もう終了だった。
 
 銀色ロボットの姿に戻った試作品の胸部をJの拳が打ち砕き、杏奈を導いた。
 
 引きぬかれた彼の片手は天高く挙げられ、その手を宙に浮いた杏奈が握っていた。
「おばさん、ボク?」
 杏奈の濡れた瞳は美月の足元の地面を見つめていた。
 ぼこっ。
 アスファルトの地面から、土気色の二人の上半身だけが浮かび上がってきた。
「・・・皆に会えてよかったね」
 おばさんは微笑んでいた。
「おばさん・・・!」
 何故、二人の下半身が地面に埋まったままなのか、その理由を察した杏奈は手をせいいっぱい差し出した。
「だめだよ・・・もう。」
 首を横に振るおばさんの顔はどこまでも穏やかであった。
「私達は理由はどうであれ誘惑に負けて人を殺しちゃったんだ・・・罪は罪なんだよ」
「でも!」
 この後に及んで泣きもせずまっすぐ杏奈を見上げるボク。
「この子は?ただ暴力をふるうバカ親の元に生まれてきてしまっただけなのに!」
 杏奈が嘆いている間にも二人の体はどんどん地面に引き込まれていく。
 がしっ。
 美月はたまらなくなってボクの手を掴んだ。
 杏奈はJに繋ぎとめられながら腕を必死に伸ばす。
「ううっ!」
 なんて力だ。
 一体、誰が彼らを地の底へとひっぱっていくのだろう。美月の体も彼らと共にどんどん引きずられていく。
 だけど諦めたくない美月は足を踏ん張り両手でボクの手を引っ張った。
「J!、もっと木村さんをこっちに!」
 思わずロボットのパワーを頼ってしまった美月をおばさんが優しく諭した。
「この力には何者も敵わないんだよ・・・J君だって杏奈ちゃんを繋ぎとめるだけでせいいっぱいのはずだ」
 美月はJを見上げた。
 泣きじゃくっている杏奈を手を伸ばして捕まえたままの姿勢の彼は何も答えてはくれなかった。
 ぞっとするほど凍りついた表情。
「・・・ありがとう、巫女さんのお姉ちゃん」
 ボクの手が離れた。
 もう、二人は首まで埋もれてしまっている。
「この子のことは私が閻魔様にお願いするよ。心配しないで」
「ボクもおばちゃん許してってお願いするし!」
 顔だけが残り、二人はせいいっぱい微笑んだ。
「さようなら」

 残ったのは少女達の慟哭の声。

 そして力尽きた杏奈の手もJの手からするりと抜けた。

 杏奈は星の輝く夜空に吸い込まれるように昇っていき、消えた。
 

 残されてしまった美月は泣きじゃくり続けた。
 彼女にできることはなかった。
 天の摂理というものに、これっぽっちも抗することのできないちっぽけすぎる自分の存在がこれほど悔しく思えたことはかつてなかった。
 彼女の背後にJがいる。
 そのまま『永野リサイクル』に帰ればいいものを黙って美月の後に立ち尽くしている。
 振り向いた美月の涙でぼやけた視界の向こうに、やはりあの凍りついた顔があった。

 Jの人工頭脳はまたもやあのデータを再生(リピート)していた。
 決して消去(デリート)できない、決して薄れることのない、あの記憶(データ)。
 
 床一面に波打つ血液。
 それが誰だか判らない程バラバラになった人間の身体。
 Jにはすぐさま、それらが自分に近しいあの二人の遺体だということが判った。
 二人の魂は見つかった。
 しかし彼には解っていた。

 二人の魂を取り込んで『再生』したところで、それはあの彼と共に「生きていた」二人ではないことを。

「解決方法が見つからない」
 認めがたい人工頭脳の敗北。
 どこから湧いて出てくるのか体中を駆け巡る制御できない解読不可能な情報。
 初めて胸部の奥深くから湧き上がる聞いたことのない自分の絶叫する音声。

「J・・・」
 それから半世紀経った今、「彼女」の面ざしを思い出(リピート)させて仕方がない少女が尋ねてくる
「あなたは招霊機やってて嫌になる時って、ない?」
 それは、彼がそのように造られたロボットだからという答えしか返ってこないことは重々美月にも判っている
 だけど、違う言葉を聞きたい。
 あの、彼が時折見せるあの凍りついたような切ない表情が頭からどうしても離れないから。

 しばしの沈黙の後、返ってきた言葉。

「科学も医学も魔法も打ち勝つものができないものがこの世界のどこにでもある。そしてこの敗北は永遠に続く・・・」

 自分の人工知能が『記録(データ)』を捜している。
 あの日、あの人が彼に言ってくれた、あの言葉を。

 そうだ。
 
 私はこんな『記憶(データ)』も持っていたのだ。
 
「私のそんな分析に、私と共に育った人がこう話してくれました・・・」

 その『言葉(データ)』が初めて自分の人工頭脳から人間に伝えられる。

「それでも再び立ち向かっていく行為を人間は『愛』と呼ぶんだ、と・・・」

 美月の姿が遠ざかって行く。
 言葉は伝わったのだろうか。
 香音が死んだ時と同じ年齢の少女に。
 その答えは今は判らない。


 結局、佐々木は証拠不十分で無罪、すぐに釈放された。
 木村杏奈殺害時に現場にいたのは、いつものようにストーキングしていたから、という理由であった。
 それから数週間は学校にも来ないで、家族のいない家でただ一人過ごしていた。

 そしてある日、佐々木は家の中で一人息絶えていた。

 検死の為に彼の腹部を開けた医師達は息を呑んだ。
 内臓が、細切れとしか表現できない状況で腹腔内でぐちゃぐちゃに混ざって詰まっていた。
 もっと奇妙なことがあった。
どうみても本人の骨ではない、白い小さな動物の歯が内臓の破壊物から多量に出てきたのだ。


 通学路の駅前の交差点。
 梅雨入りした後の久し振りの晴れの日は息苦しい程に蒸し暑かった。
 信号待ちしている人々は皆うんざりした表情である。
 美月は信号が赤の間に急いで返信メールをうった。

『奴の逝く場所はありません』
 
 相手は木村春奈、杏奈の母親だ。
 佐々木信也が死んだ。
 彼はとうとう法に裁かれることなく、この世を去ったのだ。
 お陰で今朝の水月神社の境内に義兄の圭の歯ぎしりの音が響き、氏子さん達を怯えさせていた。
 だが美月に届いた春奈のメールは佐々木が正当な裁きを逃れた悔しさというものだけではなかった。
『佐々木が杏奈と同じ所へ追いかけて行かなければいいのですが』
 だから美月は答えた。
『奴の逝く処はありません』
 その証拠が今、眼の前にある。
 
 多くの人々と車両が行き来する交差点の中央、今のところ彼女の他は誰にも『それ』は見えていない。
 
 アスファルトから突き出す、佐々木の首。

 彼はそこから動くことはできない。
 行き交う車のタイヤが彼の頭部を轢き潰し、信号が変われば、今度は横断歩道を渡る人々の足が、彼の顔をぐにゃりぐにゃりと踏みつける。
 青痣と腫れと血で生前の彼の面影はもうない。
 佐々木は、そんな状態でも美月を見つけたようだ。
 血の唾を飛ばしながら何かこちらに喚いている。
「記録終わりました」
 頭の上から聞いたことのある声が降ってきた。
「うわわっ」
 横にいるのは金髪の王子様外人。
「J!い、いつのまに」
 およそ一カ月ぶりの再会だ。
「この映像を木村さんの御家族に送信します」
 お久しぶりですの挨拶もなくJは美月に指図してきた。
「いいけど・・・またなんでここに?」
「異常なエネルギーの流れを察知したので」
 Jは佐々木の首を指差した。
 美月が眉をひそめた。
「やだ」
 佐々木の首を挟んだ位置に青白い手首が生えている。
 生前、術を使えたからだろうか。
 天の采配にも、ささやかに逆らう力があるようだ。
 今、新たに生えてきた両手は、必ず何か掴んでやるぞとばかりに開いたり閉じたりしている。
「このまま放置しておけば、ここを通行する者に支障がでる恐れがあります」
 美月が印を結んだ。
 Jがその手を押さえた。

「その手段では彼全体を除霊してしまう」

 美月は、たちまち彼のしようとしていることを悟った。
 信号が青に変わった。
 先にJが少し遅れて美月が横断歩道に一歩踏み込んだ。
 二人はゆっくりと佐々木の首に向かって歩き始めた。

 Jは始終無言だった。

 美月は口の中で祓詞を唱え歩みながら思う。
 この横断歩道を無事に渡ったらJに―ちょっと水月神社(ウチ)に寄りなよ、って言おう。

 そのうちどんどん佐々木の青首が近づいてくる。
 嫌な声が耳に入ってくる。
 胸が悪くなる波長を持つその声で吐き出される言葉は、もう何を言っているか解からない程破ぐらい破壊された言語で形成されていた。

 Jは左足、美月は右足で、その手を思い切り踏みつけた。

 ぐちゅ。
 気味の悪い、肉を踏みつけた感触。
「ギャ―アッ!」
 その世界が視えない者には決して聞えることのない、濁りきった悲鳴。
二人が踏みつけた手は、泡をたてて膨れ上がり、どろっとした赤黒い血と肉を撒き散らし破裂し、そして消滅した。
 Jと美月は何食わぬ顔で、その場を立ち去った。
 佐々木は喚き続けている。
 手だけ狙って消せる力があるのなら、何故、俺ごと消さない―そんな意識が二人の背中に突き刺さる。
 
 Jが呟いた。
「それでは意味がない」


 信号が変わった。
 また再び、尽きることのない車と人の流れが、佐々木の首を踏みしめては走り去って行った。

 自分達が何を踏みしめているかを気づくことなく―。

(完)
 


 
 

招霊機 「逝く処」 最終回 エピローグ

最後までお付き合い頂いてありがとうございました。

招霊機 「逝く処」 最終回 エピローグ

『招霊機』ジェイソン・ミナツキモデル001―通称「J」。彼は霊魂を収容し再生し、また攻撃・破壊する機能を持つ霊能者守護用ロボットである。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-04-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted