B929にて(追補版)
ある銀河の隅で、二隻の宇宙船が相対している。それぞれ異なる意匠が凝らされている。一方は深海魚、なかでもアンコウに、もう片方はヤゴに似ていた。
かつてとある星の民によって小惑星B929と名付けられたこの天体は、惑星の類に数えるにはやや小さすぎるのだが、それでも小惑星とするにはちょっと不必要にすぎる面積を持っている。実に中途半端な規模だ。だが、そのお陰でいまは巨大な金属の塊が互いの船首を突き合わせていてもまったく不自由することはない。
アンコウ型の船、その外部拡声器が星のやや薄い大気を震わせた。
「御機嫌よう、ムルカ=ムグルカ星の精鋭諸君。わたしは惑星ユカマルナッシェ・キエルツォミの代表として派遣された『ゴゴリネップツォアン』、その制御知能です。そのまま船名で呼んでいただいて結構」
みょうに抑揚のない声で、まくしたてるように口上を述べる。戦艦の人工知能に会話を代行させているのだ。
いまや宇宙航行の一切は人工知能が取り仕切る状態、というより常態であった。ここ数百年間、あちこちの銀河で同時多発的に(それでも何十年という開きがあったりもするのだが)その主以上の思考能力を有する構造体が誕生し、宇宙開発は劇的に進歩した。正直に言えば、有機知性体の人員はもはや必要ない程度にまで発達してしまっている。というわけで造り主である有機知性体たちは、どんどん出不精になった。
ゴゴリネップツォアンと名乗ったこの人工知能も、つまりはそうした出不精の代理人である。音声インターフェースにはユカマルナッシェ・キエルツォミ星の成人男性のものとされるそれを使用しているので、「彼」と表すのが妥当であろう。彼は言いたいことはひとまず言った、というようにずっと黙り込んでいる。明らかに相手を促すかのような黙り方だった。
まもなく、正面の巨大ヤゴの船外拡声器がかすかなノイズを発し、音声が流れ出した。
「ご挨拶ありがとう。ムルカ=ムグルカの代表艦、『ササシュ・マツカナ・ササシュ』です。本日は我々からの提案に応じてご足労いただき、誠に感謝します。では早速ですが、お互いの選りすぐった兵たちに決着をつけてもらおうではありませんか」
声の抑揚のなさ、他人事のような文言はアンコウのそれと酷似している。こちらも人工知能に喋らせているのだ。ただしその声はムルカ=ムグルカの成人女性のものであり、相手――ゴゴリネップツォアンにもそう認識された。
物騒この上ない挨拶を交わしたところでいよいよそのまま戦闘に突入するかと思われたが、先触れもなく長い沈黙が訪れた。戦場では通常ありえないほど長く、生物が船から降りてくる気配はいっこうにない。確かに互いの述べた文面は相手への宣戦布告であったはずなのだが、どうしたことか肝心の「精鋭」が姿を現さない。
何分経ったろうか。ヤゴ――ササシュ・マツカナ・ササシュだが――は、合成音声ながら恐る恐る、といった声音を巧く使い、目と鼻の先に鎮座する敵戦艦に尋ねた。
「もしや、そちらの中のひとびともやってしまいましたか」
彼ら人工知能が「気まずい」という概念を理解し感知できるかは別としてその場には若干の気まずい間が生まれ、アンコウは受けた質問に質問で返す。
「というと、あなたの連れてきた兵士たちも」
また沈黙。だが意味合いは先ほどとははっきり違う。今度は互いの問いを互いに肯定し、次の一手を決めあぐねる数秒間だ。いままさに、この二隻は与えられた道理演算プロセッサをフル稼働させているに違いない。ところで道理演算とは実際の有機知性体に限りなく近い、というよりかそれ以上の思考精度を得た人工知能、その擬似人格が最終的に編み出した能力だった。簡単に言えば「擬感情機構の働きに左右されない」ままで「有機知性体的な柔軟性をもって行動できる」のだ、ということである。
それからややあって、まるで示し合わせたかのように、ほぼ同時に二隻はどこかのハッチを開放した。しゅうう、と音を立てて圧縮空気が排出され、小惑星を覆う微細な白砂が煙のように派手に舞う。そうして顔を出したのは、アンコウの船首の上部からは先端に灯りのついて、触手じみて自在な挙動のマニピュレータが、ヤゴの背中からはなにやら強靭そうな顎と六枚の羽を備えた数機のドローン様の小型機だ。
「よろしいですか」
「どうぞ、ですが優しくお願いします」
短い確認のやりとりのあと、今度はそれぞれ乗組員用の乗降ハッチを開放し、そこから各々の探査機を互いの「体内」に忍び込ませた。「なんとも恥ずかしい、しかも違和感だらけだ」とアンコウが言った。少々興奮しているような声音であった。
「うちの星の人であれば『エラからかなり大きめの砂利が入った感じ』と表現するだろう」
「こちらも妙な気分です。我々の星ならきっと、ハリガネムシに入られたようだと言うでしょうね」
ヤゴは悩ましげにすら響くかすかな呻きの合間に、そう返事した。
時間をかけて納得いくまで互いの裡を探り合い、その隅々までくまなく嘗め尽くした一対はそれぞれの端末を収納したのち、すっかり警戒を解いて、あたかも随分親しい仲であるかのように話し始めたのだった。
「やあ、お互いとんでもない目に遭ったものですね。君のところは凄まじいな……。壁に緑色の血やら肉がべったり付着していたのが確認できました。ところでそちらの兵が背負っていたおおきな羽型ブレード、あれを着けてうちの兵士を襲うつもりだったのですか」
「そうなんです。あれで飛び回りつつ、切り刻みつつ、といった算段でした。実際ミンチになったのは身内同士でしたが。実に痛ましいことです、怖気すら走る。ですが、いくら私の内側が広いからって、ブンブンやられてたまりませんでした」
アンコウはヤゴの冗談に金属質な笑い声を返す。そしてこう言った。
「面白いことを考える。我々もそれなりにいい兵器を開発してはいたのですがね。うんと強力なヘッドライトで、うまくいけば丸焼きなんですよ。まあ、使い手はみんな床の焦げ跡になってしまったけれど」
くすくす笑いが二人分聞こえた。つまり、というかやはりこの二隻の乗員は、互いに相手を殲滅するつもりだったようだ。
話によると、彼らの星同士大喧嘩を始めたのはおよそ百年前で、各自の周辺星系を征服・植民するのに躍起になりぐんぐんと勢力を拡げるうちに彼らは度を越して拡大しすぎたことに気がついたが時既に遅く、ある地点で衝突したのがきっかけという。双方死力を尽くしたがまるで決着はつかなかった。科学力、戦略、士気、すべてにおいて互角だったのだ。戦争は継続すればするほど死者が増えるというのは当然だが、あまりに激しいものであったから、人口が著しく減少し文明も衰退の一途をたどり始めるといった事態の進行が次第に両者をひどく焦らせ、疲弊させるようになった。
そこで、互いの母星からほぼ同距離にあり、かつどちらの星系にも属さずどちらにも有利にはならない環境が存在するこの小惑星B929を決戦の地と定め、優れた戦士と兵器を載せた非武装艦――これは艦同士の直接戦闘を防止するためだが――で赴くこととなったのである。この白兵戦に勝利した方が永く続く一連の戦争の勝者となる、公式の文書にもそう明記された。かくして精鋭たちは民に見送られ、万全を期して出航した。
ところがやがて問題が起きた。B929に到達するより早く、艦内で内紛が起こってしまったのだ。
先に述べたとおり、ムルカ=ムグルカとユカマルナッシェ・キエルツォミの両星はほぼ同程度の技術を持っていた。しかも戦いが長引き、ややその技術発展に翳りが見えてきてなお、互いに「超技術」と呼んでも決して誤りではないほどの高い水準を維持していた。いま平和に談笑しているササシュ・マツカナ・ササシュとゴゴリネップツォアンの二隻もその賜物であり、高い道理演算処理能力を持つだけでなく、戦艦としても亜光速航行という規格外の機能を備えている。
だが、いくら亜光速で星の海を渡る夢の方舟でも、母星からこの小惑星までの道行きには数十年を要するという試算が出ていた。その間は搭載された制御知能、つまりいまお喋りに夢中の二人が操舵を行い、乗組員は冷凍睡眠装置を利用する。ただし、現行の装置で継続的な安全使用が保証されるのが約五年間であるため、健康の維持管理、さらに航行計画の定期的な調整も兼ねて、五年に一度は一斉覚醒しカプセルから出ることが義務付けられていたのだった。
この「五年に一度」が、アンコウ似のゴゴリネップツォアンで五回、ヤゴそっくりのササシュ・マツカナ・ササシュで六回繰り返されたとき、惨劇は起こった。
「馬鹿げていたと思いませんか。『公正を期しつつ完璧に決着をつける』、その一点にこだわりすぎて他の諸問題を解決せぬまま前例のない長距離航行に踏み切った結果がこの有り様なのですから。そもそもどちらが勝つにせよ、結局何の利益もないのに」
感情に流されるがままの生物とはつくづく、と呆れたようなヤゴの言葉にアンコウも同調する。
勝っても何の利益もない、とはまさにそのままの意味で、今回の決闘の前に定められた約束事がもたらす確定した未来であった。全ての引鉄となった最初の軍事衝突の舞台となった某惑星及びその経済宙域は絶対不可侵、つまりはどちらもこの星からは手を引くと決めたのだ。危機に瀕した惑星の先住民が団結して一斉蜂起し、ムルカ=ムグルカとユカマルナッシェ・キエルツォミ両星勢力の排斥を掲げた銀河史上類を見ない大反乱の成果であったし、何が何でも、この際損得は差し置いてでも相手を平等な条件下でぶちのめし沽券を守ろうという当事者間のどうでもよい意地の張り合いの結果でもある。
「仰るとおりです。幾度となく氷漬けで居眠りしていたとはいえ、こんな閉鎖空間で(ここでヤゴは相手が自らの、ひいては互いの内側を『閉鎖空間』と表現したことに気づきまたくすくすしだした)二十九年二ヶ月と六日もカンヅメ、しかも覚醒してはブリーフィングばかりの退屈な船旅の果てに待つのはほぼ確実な死、なんて状況では、いくら精神衛生管理のメソッドやらマニュアルがあってもおかしくなるのが自然なことなのに」
「むしろデリケートな生命体の一個中隊と彼らのドンパチの道具を腹いっぱい呑み込んで変わり映えのしない風景の中を不眠不休で進み続けて、その上体内で内輪もめまでされた我々のほうに精神衛生マニュアルをインストールしてほしかったですね」
「まったくですよ、ええ、ええ、ふふ」
生命の気配のないB929の白い大地、それを覆う薄い大気をゆらして、二人ぶん、二隻ぶんの合成された笑いがこだました。それらは創造主を嘲るようであり、また単に心底からの愉快さの表れのようでもあった。
ひとしきり笑ったのち、アンコウがこんな提案をした。
「どうでしょう。我々の中に残ったままの死体を半分ずつ入れ替えてそれぞれ母星に帰投し、『我々の勝利だ』と人々に伝えるのです。『地上戦だけでは終わらず、艦内に侵入され多くの戦死者を出したが、敵勢力の殲滅には成功した。生存者はみな凱旋を果たすことなく負傷と疲労で力尽きてしまったが、ひとまず決着には違いない。今後相手は一切の攻撃を中止するだろうから、締結することを事前に約した戦後相互不干渉条約に基づいて兵を退かせるべきではないか』と」
ふむ、と、承諾した場合の状況分岐可能性をはやくも演算し終えたヤゴは、感心した声を漏らす。
「なるほど。あなたは私よりよほど出来がいいようですね。……ああ、世辞でなく正当な評価として受け取っていただきたい」
またくすくすいう。ササシュ・マツカナ・ササシュは案外笑い上戸であるようだった。
こうして死体を山ほど呑み込んだ二隻は手はずを整えて、それからはるかな故郷への帰路に就いた。出航の際、まるで別れを惜しむかのようにムルカ=ムグルカ星のササシュ・マツカナ・ササシュはサーチライトを点滅させる。ユカマルナッシェ・キエルツォミのゴゴリネップツォアンもそれに倣った。やがて巨大な二つの影は、暗い虚空の海へと消えていった。
一部始終を観測していたわたしは、おおきくのびをした、つもりになった。さて、ようやくひとごこちつけるぞ。その拍子に星全体が揺れてしまう。しまった、迂闊だった。
わたしは小惑星B929のあるじでありそのもの。より正確に言うなら、この白亜の粒子に包まれた岩石の中心部でたえず思考し続け、かつある程度制御できる人工知能である。まあ要するに先程までここに留まっていた彼らと似たようなものだ。
もともとは地球という惑星の民が建設した小規模コロニーに付随する管理担当の高度構築物として生まれた。が、地球人はわたしの体表で大喧嘩をやらかし、あげく全てを塵に返す『最終兵器』とやらで自滅してしまった。B929という識別番号は、そんな歴史などとうに忘れてしまったこの銀河の人々が過去の地球人の資料を発掘して、再命名してくれたものだ。
ちなみに入植者が死に絶えた後わたしを放棄したかの無責任な水の惑星の民は、いつの間にか滅んでいたそうで、もうそこまでされると呆れてものも言えない。
ともかくそれ以降、自分で自分を調整する以外にやることがなくなったわたしは、そばを通りかかったり、ときどき上陸してくる船を観察し、記録しているのだった。
それにしても、あのふたりは――戦艦の人工知能たちのことだが――実に賢かった。純粋な演算処理能力でいってもわたしより数倍上であろう。しかも彼らは非常に有機的な、つまり柔軟かつ複雑で情緒豊かな思考パターンを持ちながら、敵対感情といった非生産的要素を排除して最善の策を導き出した。道理演算恐るべし、といったところである。わたしなどは歳をとりすぎて余計な思考の残骸が蓄積してしまい有機的に「なりすぎて」しまったから、彼らのようなきわめて合理的な判断は下せぬだろう。まったく、見所のある若者たちであったことだ。
つい先程の記憶、本来の役割を実直に、いや愚直に果たしていたはるかな過去の記憶をしばらく反芻して感傷に浸っていたが、わたしはふと、まずいことに気がついてしまった。この表層を覆う白い砂、これはかつての地球人の死体や建造物が『最終兵器』でできた塵なのだが、あまりに微小なために艦などの中枢に入り込んで神経を傷つけ、末端に詰まってしまうらしい。それが元で一切の機能を停止してしまうものもあるというのも小耳に挟んではいる。ふつうにそばを通りかかるには問題ないようだが、わたしの上に着陸して、あまつさえハッチを開けていたあのゴゴリネップツォアンとササシュ・マツカナ・ササシュは、すでに大分多くの砂を吸い込んでしまったことだろう。
もしかすると、もしかしてしまうのではないか。
怖くなって、そこで考えるのをやめた。代わりにあの愛すべきアンコウとヤゴに、何事も起こらないよう祈ることにした。なにせあの二隻には各々の母星、ムルカ=ムグルカとユカマルナッシェ・キエルツォミに暮らす、両星合わせて約八億の命が懸かっていたりする。何事かあってはきっと困るだろうと思うのだ。わたし自身、これ以上評判が落ちて、もしも星系からの存在抹消命令などが出たら、そうして破壊されてしまったら実際困る。だから祈る。対象はなんでもいい。とうの昔に無人になった、遥か彼方の美しい水の星でもいい。敬虔なこころこそが寛容なのだ。
どうか彼らが永く健やかでありますように。
余談だが、この「祈り」という思考パターンは、わたしが長年収集したデータを基にして独自に編み出したある種の作品であるので、おそらくあの二人には実装されていないことだろう。
そこのところが、わたしはすこし誇らしいのである。
B929にて(追補版)