僕の話
前
僕は幸福だった。
もしも僕が、この先どんな苦しみを味わうかや、どんな泣きそうな寂しくて惨めなたった一人の時間に突き当たるかを、祝日の浮かれた僕とすれ違うサラリーマンに囁かれても、僕にはきっとこたえないことだろう。僕はどんな辛酸だって、それは嫌だろうけど、幸福な僕があるのだから、嘗めることも耐え、僕はいつだって、未来があることを希望に思って目を瞑るだろう。
僕は特別裕福とは言えないものの、十分に安寧な家に生まれた。母はいつも優しくて、たまに昔の古い歌を鼻歌で僕に聴かせては趣味の裁縫をした。父は僕が成長するにつれてきちんと真面目な話を持ち出してきてくれるが、普段はお酒を飲むと決まって顔を茹で上がらせて大笑いをし、そのうち居間で寝ていた。弟とは、幼い頃は喧嘩も絶えなかったが、そのうち互いのどこか踏み入れないところを弁えるようにはなり、一言二言話したかと思えば、何も話さぬうちにでも笑い合うような仲であった。
裕福ではなかったが、たまの外食などは本当に楽しみであったし、満腹を抱えながら父の運転する車の中でうとうとと揺られるのはとても心地よかった。
家に帰れば家族全員が居間に集まって、コンビニエンスストアで買ってきた小さなケーキと、母の淹れてくれるインスタントコーヒーを食べながら、テレビに熱中していた。
僕はまた、学校に行くのが楽しかった。それはもちろん、たまに億劫になって仮病を使うこともありはしたが、平常僕は人と話すのが好きであったし、また勉学も好きだった。小学校や中学校は田舎のとても小さい学校で―中学校は僕が卒業したのちに生徒不足で廃校になってしまうほどであった―それは小さい学校だからこその自由に溢れていた。児童生徒はみんな家族のようなもので、僕は生徒会長なんぞを務めたが、リーダーシップなんて不要なくらいにみんなが一つの方向を見ていた。学習発表会と名を打つ文化祭や、運動会は、僕らの保護者だけではなくて、地域のお年寄りや、まだ子供が学校にはいらないくらいの親たちが訪れる、町の祭りのようであった。主役はもちろん僕たちだ。僕たちの何か月も前から準備していた劇や、合奏や、対抗エール、設営や企画、進行。生徒が少ないから一人当たりの役割も多かったが、僕らはみんな楽しんでいた。
初秋の運動会の、すこし湿り気の混じった朝の空気と、国旗掲揚塔のすぐ横から僕らの健やかな四肢にエールを送る太陽。校長先生のお話は普段から短かったが、僕たちはそれよりも急いて競技に移りたがった。僕は短距離走ではいつも一位であって、リレーのアンカーを飾る時などには、僕なら絶対に勝てるという自信を持っていた。呼吸が上がる、胸の鼓動が全身を打つ、校庭の隅のスピーカーから流れるお決まりの「天国と地獄」が足の付け根を震わす緊張を奮う、バトンを受け取る。それからは一心不乱だ。そして僕はいつだって一番にゴールテープを切った。
十一月の文化祭の体育館、その袖部屋の、人の熱気。それから袖部屋から続く地下倉庫の空気の冷たさ。僕らの学校の文化祭は、体育館が中心で、そこで演劇から、合唱までを全部行う。特に演劇にはみんなが力を込めた。人が少ないから一人何役も兼ねることもあるし、そんなときには上手の袖部屋に引っ込んだのちに、地下倉庫を横切りながら着替えて、今度は下手の袖部屋からステージに姿を現すのだ。そのときの熱い緊張たるや!さっきまでステージで和服を着てゆっくりとした殺陣を演じたかと思えば、僕はすぐさまこの服を脱ぎ捨てて、今度は真っ黒いローブを着込む。僕は少し汗ばんだ前髪を手で払って、やはり冷たい地下倉庫を全速力で駆け抜け、少し埃のにおいがするローブを身にまとい、さっき引っ込んだのとは逆の袖幕に身を隠して、再登場の機会を待つ。そして出るときが来ればそれは僕の台詞の出番だ。僕は高らかに声を張り上げ、熱風にも感じるスポットライトに照らされながらステージに躍り出た。
中学校では好きな人もできた。それは何年か越しに、僕が高校に進学するときにようやく電話を通して告白した。夜には冷え込む三月のことであった。そんな残冬の寒さにか、それとも告白の成就にか、僕は震えながら喜びをかみしめた。
残念ながら高校に入ってすぐに交際は終わってしまったが、今では笑い話だ。
高校はそれまでの学校とはかけ離れていた。だけれども僕は相変わらず学校が楽しかったし、友達も徐々にできて、勉強は少し難しかったが、時にはクラスの上位者に入る程度のところで安定していた。片思いの子がいて、その子の顔を見ることに幸福を感じ、挨拶ができた日にはその日一日中含み笑いが消えなかった。焦りと緊張で顔を赤くして早口になりながら話をしたり、あれやこれやと文面を考えたメールを送っては一日帰ってこなかったときにたまらなくもどかしくなったりもした。
僕は部活に入った。弓道部だった。単純にかっこよかったからだったが、僕は真剣に取り組んで、大会にもレギュラーチームで弓を引くことが出来るようには上達した。そのうちに部長を務めることにもなり、高校総体の時には全校生徒の前で選手宣誓をすることもあった。やっぱり僕は、こういう立ち位置に置かれることが多いのだなと苦笑もしたが、僕に注目が集まるのが楽しくて、その立ち位置も嫌いなわけではなかった。
僕はまた、ギターを弾き始めた。最初一か月で挫折したが、そのうちバンドを組むようになると否応なく練習するようになり、そのうち毎日のようにギターを弾くのが当たり前になった。前から好きだった音楽を、今度は僕が奏でられる面白さがたまらなかった。弓道部の部員やクラスの友人と組んだバンドで、文化祭に出ることもあった。中学校以来のステージは興奮を掻き立て、熱いスポットライトの光に照らされながら、僕はステージ下の観客の頭上にピックを投げた。
高校生の最後の晩夏には再び彼女ができた。それは一年生の頃好きだったあの子ではないが、どう考えたって僕にはもったいないくらいに可愛い子だった。夏の通学路を、彼女の家まで送っていく名目で時間稼ぎをした僕は、僥倖に恵まれて掲示板に張り出された夏祭りのポスターを見つけのだ。数週間後に僕は、浴衣に身を包んだ背の小さい彼女に告白をした。なんてすばらしいことであったろう。夢ではないのかと思った。それから僕はお盆の花火大会に再び浴衣の彼女を連れて、夢ではないとようやく実感に至った。秋には彼女の自宅でキスをして、冬にはレストランでプレゼントを渡し、春には互いにずっと付き合おうと囁き合った。
高校を卒業した僕は、東北の実家を離れて、関東の大学に進学した。彼女とは遠距離での交際を続けることにした。
僕は幸福だった。
今まで生きてきて悪い人と関わった記憶などないし、実家に帰ってアルバムを開けばいくらでもその時の思い出を笑い顔で話せた。中学や高校の友人と再開して、互いにお酒を酌み交わし、そういえばあの時のお前はなどと肴の話にも事欠かないことだろう。
普段一緒に講義を受けたりご飯を食べたりする友人がいて、サークルではギターを弾きながらバンド仲間とあの曲を今度やろうと話したことだろう。
たまの休暇を使って僕は彼女に会いに行き、知己の友のごとく互いをけなしながらもやはり恋し合っている平穏な一日を暮らすことだろう。
僕はこれからだって幸せに生きたい。それは僕がもっとも安心を覚えていた一日を繰り返すがごとく心はいつも穏やかで、しかし僕の未来はすこしずつ輝きを増してくる、そんな幸せなのだ。僕の周りで泣く人はいなくて、たとえ涙がこぼれてもそれは嬉し涙で。不要な競争や、争いにまきこまれるようなことがない。選択に迫られるのではなく、僕が自由な選択をする。好きな人と好きな時間を過ごす。いつかはその人と家庭をもって、仕事に就き、休みの日には家でソファに体を預けながら添う。夕方の買い物帰りには一緒に公園に立ち寄って全力で遊具にまたがって遊んでみる。またいつか子供ができて、僕にも親の気持ちというのが少しわかり、それからきちんと親孝行をする。愛する人と子供の成長を見守りながらちゃんと歳をとり、あの時の母や父のように、なにかつまらないことでも言って笑い合う。互いに老け込んだ顔を見合わせて笑い合う。そうしていつか、「ああ今日も楽しかった。少し休もう」そう言って死ぬのだ。
僕はいつだって、未来があることを希望に思って目を瞑るだろう。
後
そんなはずがあるものか。
僕は今、飲めない酒の空き缶に躓き、空が白み始めたころようやく瞼を閉じる。日々弾力を失っていく心に対して、僕の人生にはまだ茫漠とした時間が横たわっている。体は重く粘着質のスライムを纏わせたようにして、カウチに雪崩れていく。感動や刺激に徐々に鈍くなる僕を、僕はまたその対面に座り込んで、「救いようがない」と思っている。
僕が殴り書いた過去は確かに本当のことであった。
だがそれは本当の過去の半分であった。それぞれの過去の経過や顛末には、必ず裏があった。僕はそれを見ていたくなかったんだ。
僕が幸福な家に育ったことは確かだ。
だが僕はやはりどこかで劣等感を感じることもあったし、家族を貶してみることもあった。僕はそれを彼らに面と向かって言ったことがほとんどなかった。
小学校や中学校が楽しかったのは確かだ。
だが僕は何をやってもおままごとのような様子の学校が時にいやになったし、当然ながら嫌いな人もたくさんいた。僕が生徒会長になったのは、押し付けられたからだった。
高校だって楽しかったのは確かだ。
だがその頃の僕は自身の容姿に劣等感を感じていて、僕よりも明らかに劣っているとわかる人の前では大仰にふるまい、またそのあとで、僕はその罪悪感に悩まされた。初めのころはできていた数学の問題や弓道の型が、だんだん難しくなっていった。僕はそのスランプを乗り切れることが出来なかった。現実を知って、現実が嫌いになった。
僕に可愛らしい人がいたことも確かだ。
だが僕は大学に入ってわずか一か月で彼女に別れを告げた。彼女と離れている時間に耐えられなかったからだった。次第に僕は心の中で、責任を彼女になすりつけた。自分の好きという感情に自信が持てなくなった。
今の僕には気力がなかった。この先の生き方なんて見当もつかなかったし、快活に活動的に世間に出ていくなど、まるで他人事のように感じていた。だが、否が応にも僕にもそうしなければならない時が近づいていた。
現実が嫌いになるのに比例して、インターネットにアクセスすることが多くなった。インターネットの掲示板では互いのことを知らない人間が一つの話題で盛り上がっているのが楽しそうに見えた。だが次第に、電子で加速する欺瞞と無配慮と匿名と誹謗の波にのまれた。怖くなって逃げた。
僕が好きな綺麗な言葉と安心する空気感は、僕の家の本棚の中だけにあった。僕はその本棚から何度も同じ本を取り出しては、カウチに体を預けながら読んだ。
自分が何をしたいのかわからない。他人が何をしたいのかわからない。
なぜそんなに笑う。どうしてそんな言葉を言う。お前は。お前は僕をどうしたいんだ。やめろ。僕に話しかけないで。人と話す気分じゃない。やめてくれ。違う。僕はこんなことを言いたかったんだじゃない。僕はお前のことなんて好きでも嫌いでもない。だけど人と付き合うなら少し好意を持っているくらいがちょうどいいだろう?だから僕は笑っているんだ。やめろ。お前の笑顔は本物だから僕に向けちゃいけない。嫌だ。こっちを見て。だめだ。その言葉は。いや。隣にいて。黙って。ほらテレビでも見よう。やめろ!こっちを見るな!話しかけるな!違う。やめて。行かないで。違うんだ。僕は。消えたい。ごめん。わかってる。わかってるから何も言うな。ほらコーヒーを淹れよう。おいしい?うるさい!黙って飲め。畜生め。ああ。行ってしまった。ああ。あああ。消えよう。いなくなってしまおう。だからこれが、僕が話す僕の最後の話だ。さよなら。誰か。
僕の話