ワールド・オブ・カタストロフィ《一章》
まだ勝手が良くわかりません。
ですので、大目に見ていただけると幸いです‥‥‥
画像は著作権フリーです。
世界を壊す、僕はその為に。
自由を求めても、何処かで常識という概念に突き当たる。
肉体から離れた精神は、いつしかその常軌を逸し、己の欲望のままに馳せ回る。それこそが真の自由だと、それこそが不穏当すら人を導く標べにしてしまうような自由だという事を、誰が現世を離れて言散らすと謂うのか。
その世界には、大きく分けて二種の人間が存在していた。一方は力を持つ者ともう一方はそうでない者。その力はフォースと呼ばれ、永年畏れられてきた。使い用によれば、人類の成長ないしは経済発展を助長したであろう。だが、それは不合理というものだ。
貪欲な人間は、愚かにもその私欲を満たす為に‥‥‥そして人類の頂点に君臨することを懇望し、意味もなくその力を振るった。
ーー結果どうなったか。
そう、フォースを纏う人間は全て否応なしに異端者とされた。異端者に人権など無い。例えサバイバルナイフで滅多刺しにしようが、その行為は誰からも咎められない。むしろ英雄としてこの先語り継がれていくかもしれないのだ。
英雄と呼ばれたその人種は、鼻高々に無意味な殺戮を繰り返すだろう。無論、異端者達はそんな殺戮を傍観する程、愚劣ではない。しかし愚劣ではない彼等が生んだものは富でもなければ自由でもなかった。
ただ一つ、戦争だけだ。世に落ちた戦火は瞬く間に広がる。
ーー力こそが人類の根源で、それを行使し続けなければならないというのなら、いっそこの手で全てを毀してしまおうか。
人類の、否、世界の終焉を知らせる足音がもうすぐそこまで迫っていることに、まだ誰も気づかない。
♦︎
ジスはどこかで爆発音を聞いた。すぐに町の方でゴオオオオオと凄まじい音を立てて火柱が上がる。続けて人々ののたうち回る声が、逃げ惑う声が聞こえてきた。
「坊や!こんな所で何しとんじゃ!早よお逃げ!!」
ジスは首を傾げる。
(逃げる場所なんてないのに)
どんなに必死に足掻こうと時既に遅し。唯の人が生を全う出来るのか‥‥‥それすらも定かではない。それなのに生きようと、戦おうと未だもがき続ける人間を、ジスは滑稽だとすら思った。
ゆらゆらと眼前を漂う、淡い色をした液体の向こうに覗く老人の輪郭が、徐々に歪み始める。しかしそんな事にはお構いなく、逃げろとこちらに向かってパクパクと金魚のように口を動かし続けていた。その言葉をそのまま返す、とジスは空を仰ぐ。
遂にそのふくよかな体躯に異変が起きる。乳白色の揺蕩う液体が老人に重なった次の瞬間、輪郭はドロリと一際大きく歪み、深緋色の鮮血を伴い八方向に飛び散った。その肉片はほんの一欠片の形跡も残さんとするように、己と煙を立てて焼けてしまった。
(‥‥‥あーあ)
老人の成れの果てとなった灰を観ていると、突如自分の腰かける瓦礫が音もなく崩れ落ちた。と同時に町の中央に聳そびえ立つ、天に向かって伸びていた城塞も一瞬にして朽ち落ちる。
方々で瓦礫が崩れているようだった。そして、この連動する瓦礫の崩壊が何を意味するのか、ジスは既に理解していた。
不意に右に一つ、背後に一つ、人の気を感じるも、ジスは崩れた瓦礫の上に横たわったまま動かない。開き切ったその瞳孔に映るものは、空を染める緋と細くたなびく火煙のみである。
「カッシュ、本当にこいつであっているのか?」
「うん。この人で正しいはずだよ兄さん」
ジャリ、と無造作に残骸の山を踏み鳴らしながら、スラリと背の高い、端正な顔立ちの男が背後からジスに近づく。
「おい、お前死んでいるのか」
「ちょっと!死んでたら何も答えないから無駄だってば」
「‥‥‥そうだな」
一見何の変哲もないこの兄弟のやり取りの裏に、何か強靭な信頼のようなものを感じた。
「どうして、」
その信頼関係こそが羨望していたものだったからなのか、それとも彼等のやり取りがあまりに愚かだったから無意識に声を発してしまったのか‥‥‥確かなことは解らない。
だがジスは失敗した、と静かに目を閉じた。
「兄さん!!」
「ああ!!」
目を閉じていても、兄弟が互いを見遣って頷いているのが容易に想像出来る。ジスはそれが不思議でならない。その対象が‥‥‥彼等が歓喜した対象が自分であるのならば何故だろうか。
仮にそうだとしたら、未だ知られざる屈強の地へ堕とされるようなそんな感覚さえ味わうことになる。
「良かった!僕はカッシュって言うんだ!僕達は君を助けに来た。そうだよね、兄さん」
「そうだ」
満面の笑みをこちらに向けて自己紹介した弟ーーカッシュは、兄とは似ても似つかない容貌だった。可愛らしい顔立ちからは、幼さがうかがえる。
ジスはカッシュの言葉に疑問を持った。
(死にに来たの間違えじゃないの)
こんな戦地に自ら赴くなど、変わった趣向をしていると小さく悪態を吐く。或いは自殺願望でもあるのか。‥‥‥どちらにせよ、自分には関係ない事だと嘆声を洩もらした。そして霧がかかっているような思考を働かせる。何故自分はこんな荒れ果てた地の中央に横たわっているのか、何をする為に此処まで足を運んで来たのか‥‥‥。
「ちょっと待って!兄さん、少し変なんだ‥‥‥」
突然の、カッシュの兄に対しての制止に、ジスは重たいまぶたをもたげ薄っすらと目を開く。先程とは打って変わり、彼は焦燥しきった表情をこちらに向けている。手にした小型探知機のようなものを時々気にしながら、言葉を整理しているようだった。
「いきなりどうしたんだ、カッシュ」
「‥‥‥これ」
カッシュは手にした小型探知機をカスベルの方へ向けた。すぐさまカスベルの、能面のような表情に変化が起きる。
こんな状況下だという事にも構わず、ジスは端正な能面が崩れる様を観察していた。
「これは一体どういう事だ」
「僕だってわからない、けどさっきまでこの荒野に‥‥‥危険区域に指定されてるディストーションゲート内に生命反応があったんだ!!」
「しかし現に今、何も反応していないじゃないか」
「うん‥‥‥そうだけど、もしかして熱にやられちゃったのかもしれないよ?」
「それは困るな。本人に確認した方が早い」
ジスは二方向から視線を受けるが、厳然と体勢を変えようとしない。依然として爆発音はその耳に、半ば当然のように飛び込んでくる。震動する大地が、地球の中心にある最奥部まで沈んでいくような感覚すら覚えた。
不意にジスの頬に降り立った高温の火の粉が、ジュッと音を立てる。果たしてその後ついた痛ましい傷が、瞬時に消失したのを兄弟は見たのだろうか。
「おい」
「‥‥‥」
「頼むから起きてくれないか。お前に尋ねたい事がある」
カスベルの影の所為で、視界が暗転した。緋が消えたことに悲哀したジスは、ここで初めてカスベルと視線を交え、怒気を孕んではいるが消え入りそうな声で応えた。
「‥‥‥何」
「かれこれ二十分以上前になるが、俺たちがこのカムサイアの土地に到着した時、生存者がいることを知らせるレーザーが光ったんだ。‥‥‥わかるか?このディテクターの画面の中央に白いライトがあるだろ?」
カスベルは、カッシュから受け取ったディテクターと呼ばれる小型探知機をジスに見せる。言葉通り、複雑な分割線の交点上には白いライトが弱々しく光を放っていた。
「このライトはついさっきまで赤く点灯していたんだ。赤ければ、そこに生存者がいることを示す。この線は場所を判断する指標で、方角や経緯なんかも読み取れる。‥‥‥それで、だ。赤いライトに関してだが、俺たちがここに到着した時には既に消えていた。つまり、それは何を暗示しているのかわかるか?」
「‥‥‥生存者が死んだってことだろう」
「ああ、ご名答」
そう言って口元を歪ませたカスベルは、流れるような動作でジャンパーの内ポケットから拳銃を取り出した。その銃口は当然のようにジスへと向けられる。
「っ!?ちょっと兄さん!何してるのさ!!そんな物騒なものしまってよ!!」
「カッシュ‥‥‥今の話を聞いていなかったのか?こいつは異端者の可能性が出てきた。異端者はレーダーに反応しない。その場合すぐに撃ち殺せと、大佐からの命令だ」
「だけどっ、まだこの人の話を聞いてないよ!いくら兄さんでもそんな横暴は許されないってば!ちゃんと話を聞こうよ!!」
「‥‥‥」
カッシュからの言説に悶絶するように眉をひそめたカスベルは、渋々と言った感じに拳銃を内ポケットに仕舞う。苦々しいその表情からは、初めのようなジスへの友好的な態度など見受けられない。
カスベルの一連の動作を見て思うに、彼は公明正大な人物であるようだった。命令された任務には忠実で、それがかえって前後不覚に陥る危険性すらある。そして銃口を向けられて尚、平然と佇んでいた自分に疑心感を抱いた。
「‥‥‥お前は異端者なのか否か、答えろ」
その鋭い眼差しは獲物を狩る眼だった。それとは対照的にカッシュはオドオドと落ち着きのない様子を見せている。いくら奔放なジスでもこの時ばかりは上半身を起こす。
「僕は、」
「僕は逃げ遅れたカムサイアの一般市民だ」
カッシュがホッとした表情を見せたのも束の間、カスベルは更に尋問を続けた。
ーーまるで、決して掴むことの出来ない証拠を闇雲に探し求めるように。
「では、何故ここに留まり続けている。然るに、この有害な気体を体内に蓄積させているにも関わらず、お前は何故生きている。俺達が普通に呼吸をしている理由は言わずもがな解るだろう」
(‥‥‥解るわけないじゃないか。でも難を逃れるにはこれしかない、よね)
「‥‥‥同じだよ。あなた達と同じ方法で」
「上級官位の者にしか通じていない法を利用したのか」
ジスはカスベルの言葉が理解出来なかった。そもそも、その呼吸法とやらを知らないのだ。一か八かの勝負は駄目か、と唇を噛みしめたその時、カッシュが助け舟を出したことによって事態は思わぬ方向に向かっていった。
「兄さん、この人の言っていることは正しいよ!カムサイアの土地には収容されていた異端者が数人いたし、その中に呼吸の障壁を扱える者がいたはずなんだ!!」
「こいつが、その力の対象者だと言うのか?だが、そんな高位の者には見えない」
「うん‥‥‥何かしら訳があったんじゃないかな?」
「わけ、か。そうなのかお前」
カスベルから突然問いかけられたジスは、大体話の内容を理解したという様に口を開く。
「うん、そうなんだ。実は爆発の時に収容者も逃げちゃったみたいで、僕はその時に‥‥‥」
「待て。何故それが収容者だとわかった」
「え‥‥‥」
ジスはしまったと息を呑んだ。ここでやっとこの一連の会話がフェイクだったことに気づいたのだ。収容者とは、厳重な牢の中に収容されている異端者のことだが、この存在は一般的にその町の市民には知らされない。それをジスが知っているということは、彼等からすれば断じてあり得ないことである。上位階級の者なら話は別だが、どこからどう見ても良いところ十八くらいであろう。
考えてみれば、こんなトントン拍子に都合よく話が進むわけがない。
「やはりお前は異端者なのか。素性を偽ってまで、何を企んでいる!返答次第では厳重処分を課し、」
「もう良いじゃないか!!」
絶体絶命であったその状況下に、突如カッシュの叫びが響き渡る。
「いい加減にしてよ!兄さんだってわかってるんでしょ?この人だって一方的に疑われてばっかりいたら、混乱するに決まってる!!それこそ、追い詰められて気がおかしくなる可能性だってあるんだ!それでもまだ疑うんなら屋敷に戻ってからにして!!」
「‥‥‥それもそうだ。少々感情的になり過ぎた」
(‥‥‥助かった?)
カスベルは再びジャンパーの内ポケットに伸ばそうとした手を下ろすと、ジスを一瞥し、そっぽを向いてしまった。彼が何を考えどんな気持ちで町の方を観ているのか、ジスには見当もつかない。
「はい!」
ふと、カッシュがジスに向かって右手を差し出す。
「あなたを被害者として、僕たちフィレナワール家が保護します!だからほら、ね?立って欲しいんだ」
(‥‥‥保護)
カッシュの宣言を受けて尚、一向に立ち上がろうとしないジスを兄弟は訝しむ。
「どうしたの?もしかして、どこか痛むの?」
「‥‥‥今はもうこれ以上問わない。だからここが火の海と化する前にさっさと立て」
(無理、だ‥‥‥僕に居場所はもう必要ない)
依然として眉をひそめるだけでその体勢を変えようとしないジスに痺れを切らしたのか、カスベルは再び背を向けた。
「ちょっ!兄さん、置いてくつもりなの!?」
「‥‥‥違う。見てわからないのか、背負ってやると言っているんだ」
「‥‥‥は?背負うって、そんな高さで肩に手を置けるとでも思ってるの?兄さん‥‥‥頼むから冗談も大概にしてよ。それに口に出さなきゃ伝わらないことだってあるんだからね!」
「‥‥‥そうか」
カスベルのこの行動には、さすがのジスでも目を見張らずにはいられなかった。これが先刻まで容赦のなかった者のする行動か‥‥‥。
「ごめんね、兄さん少し抜けてるところがあるんだ」
否、抜けているか抜けていないかそういう問題ではないだろう。阿呆とか馬鹿とか、そういう次元まで問題を下げなければならない。
しかし、ほんの少し‥‥‥少しだけ、ジスの凝り固まった心がほころぶ気がした。改まって屈んだカスベルの肩に、ジスは恐る恐る手を置く。
それを確認したカスベルは立ち上がると、カッシュに無線で連絡するようにと指示を出した。カッシュは頷くとぎこちない口調で連絡した。
「‥‥‥あ、大佐!その、只今カムサイアからの避難民を保護しました。ええと、だから今からそちらに戻ります!」
カスベルの背は広く温かかった。ジスはそれをひどく懐かしいと感じる。彼等と会うのは今日が初めてであろう。だが、かつてこんな背を前にしていたようなそんな気がしたのだ。
考える事を放棄し、睡魔に負けたジスはその背でゆっくりと寝息を立て始めた。
「寝ちゃったみたいだね」
「‥‥‥ああ」
そう言ってカスベルが優しく微笑んだのを、ジスは知る由もない。
♦︎
カーテンの隙間から差し込む西日によって、ジスは目を覚ました。見知らぬ天井が目に飛び込んでくる。もう十二月も上旬を過ぎると言うのに、それは目を細める程に眩しかった。
(‥‥‥どこ?)
上半身を起こし周囲を見渡すと、部屋がだだっ広い事に気づく。それだけではない。キャビネットや鏡台、それらの至る所に高価そうな像が設置してあるのだ。壁には数枚の絵画が掛けてあった。これまた高価そうな代物だ。
(何、ここ‥‥‥)
こんな豪勢な部屋、自分には心当たりがなかった。何故こんな場所にいるのか頬を軽く叩いて睡魔を追い払い、記憶を整理する。確か自分はカムサイアの町にパティアと住んでいて‥‥‥
ーー逃げなさい。ここに居てはいずれ捕まるわ!だから早く!!
(そうだ!パティア!!パティアは!?)
断片的ではあるが、徐々に記憶が定まってくる。ジスは流れ込んでくる多量の情報に耐えられないと言うように、頭を抑えた。
パティア、彼女は自分の育ての親だ。
確か昨日の夕方頃‥‥‥突として振動し始める床、倒れる本棚、そこから飛び出た本は暖炉の中に勢い良くその身を投げ込む。紙に引火して燃え上がった炎はあっという間にリビングを呑み込んだ。
逃げなさい、と何処からともなく聞こえてきたパティアの叫び。その声に半ば強制されるように、ジスは外へ走り出たのだ。
‥‥‥パティアもその後すぐに逃げているだろう。しかし陽気な彼女とて、若いわけではない。それが一抹の不安へと繋がっているのだった。
(それから‥‥‥)
一人の老人に会った。だが、異端者の能力に殺られたのか、すぐに燃え上がって灰になってしまった。あれは‥‥‥もうどうしようもなかった。
(多分、あのユラユラしていた物体は強塩基の個体物か何かだ。それを応用させて殺したって考えるのが一番辻褄に合う気がする。塩基を応用させる能力だったのかな?あのお爺さんは既に標的ターゲットにされてたし‥‥‥まあ、特殊能力って言っても自然の原理に反してる訳じゃないよね)
「‥‥‥僕のは例外、だけど」
無意識のうちに口から出たその言葉は、虚しく宙に消えていった。
と、思われたその時だった。
「何が例外なんだ」
「!?」
背後に見覚えのある人物が悠然と佇んでいた。初対面の時のラフなジャンパー姿とは一転して、身なりが良い。
漆黒のロングコートは彼の艶やかな髪を強調させる。その琥珀色の髪は後ろで一つに束ねられていた。決まりに細身のスキニーは、スラリとした足を存分にひけらかしているようだ。
ジスは色んな意味で自分を情けないと思った。ドアが開く音は聞かなかったし、それ以前に数十歩あるかないかのこの距離で、自分は人の気配に気づかないほど夢中で物思いに耽っていたと言うのか。
(はあ‥‥‥)
「目が覚めたのか、ジス」
「‥‥‥カシベル。僕は名前なんて教えてないんだけど」
「カスベル、だ。悪いが、お前の素性はこっちで全て調べさせてもらった」
カスベルは小さく咳払いをすると、ジスへ一歩近づいた。ジスはその場から動かず、ただじっとその端正な顔に睨みを据えている。
「本名をキルシュトル・ジス、十七歳。カムサイアで出会ったロシェ・パティア五六歳と二人で生活を送るも、ジスのそれ以前の暮らしは不明。生まれも不明。親族も不明。カルテに関しても不明。大佐にも申請を出し、お前の事を調査してもらったが、何も分からなかった。‥‥‥どういう事か説明してもらおうか」
「ちょっ、そんなの知らないよ‼︎その前に一体何なのさ⁉︎何の権限があって僕の個人情報を調べてるの?本人にも確認取らないで許されると思ってるわけ⁉︎」
「無論、思っていなければこんな事はしない」
「‥‥‥はあ?」
「簡単な事だ。我々はお前の事を、純粋な人間であると認めていない」
「それって、もしかして僕はまだ疑われてるって事‥‥‥?」
「そうだ」
「‥‥‥」
「ジス、お前が今ここで保護という名目の下にあるのは、カッシュの進言のお陰なんだ。あいつが大佐に必死になって頼んでいた。だから、お前がフォースを纏う異端者ではない、と明白になるまではしばらくこの屋敷に居てもらう」
「‥‥‥へ!?ちょっと何勝手なこと言ってるの?僕は早くパティアのところに戻らないといけないんだ!!」
「‥‥‥」
「‥‥‥何、その顔。じゃあ僕はもう行くから!!」
勝手過ぎるカスベルの態度に腹を立て、部屋を出ようとした時、力強く腕を掴まれた。
「いたっ!‥‥‥今度は何!?」
「話は最後まで終わっていない。聴け!!」
その強い口調とは裏腹に、彼の表情には悲しみの色が見え隠れしていた。それにひどく胸騒ぎを覚える。
「いいか、落ち着いて聴け」
「‥‥‥何」
「ロシェ・パティアは、一昨日の正午に焼死体として発見された」
「!?」
「その時にはほとんど原形を留めておらず、焼け残った服飾品の指輪、それと歯型鑑定により身元を確認したとの報告が来ている」
「一昨日なんて‥‥‥そんなの嘘だ!!」
「嘘ではない。ここにしっかりと、」
「嘘だ、そんなデタラメ言うなよ!!」
「っ!おい待て!!」
ジスはカスベルの制止を振り切り、手で押し退けるようにして乱暴に部屋を出た。
(嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!)
走馬灯のように次々と浮かんでくる、パティアと過ごした日々。それは儚い夢のように浮かんではすぐに消えていった。
(パティア!今行くからね!!)
寝室から出て長い廊下を真っ直ぐ走り続け、その勢いのまま階段を駆け下りる。ホールのような開けた場所に出たが、ジスは気にせず無我夢中で走り続けた。息絶え絶えになりながらも、自分の育ての親の元へ行くことだけを考えて。その無事を確認することだけを頭に置き、一心不乱に走り続ける。
だから、その時のジスには周りが見えていなかった。
「ぉわっ!!」
「っ!!」
この広いホールを横切ろうとしていた人物がいたことに気づかなかったのだ。ジスの勢いに半ば飛ばされるようにして、その人物はレッドカーペットの敷いてある床に倒れ込んだ。
「す、すみません!本当、ごめんっ!前、見てなくて」
ジスは息を切らしながらそう告げる。そして、倒れた人物の見覚えのある背格好を見て驚いたように声を上げた。
「君は、確か‥‥‥」
「‥‥‥ひ、久し振りだね」
「あ、その‥‥‥ごめん!急いでて周り見てなかったんだ」
ジスは手を差し伸べながら、謝罪の言葉を投げかける。カッシュはその手を取りながらも、顔を頑なに上げようとしない。
「ありがとう。僕は大丈夫だよ、ええと‥‥‥ジスは怪我してないかい?」
「ああ、うん大丈夫だけど‥‥‥名前」
「あ、呼び捨てにしてごめん!兄さんに聞いたんだ。もし嫌なら呼び方変えるから言って欲しい」
「え?いやそうじゃないんだ。全然呼び捨てで構わないんだけど‥‥‥」
彼等の会話は不自然な程にぎこちなかった。自己紹介をした時の態度とは似つかず、カッシュはいやによそよそしい。ジスはカッシュに対し、好感を抱いている。事情は分からないが、自分の為に上官の人に進言をしてくれたようなのだ。だから感謝はしているし、その気持ちを伝えたいと思っている。
だが、そんなジスの態度とは対照的に、カッシュは先程からこちらを見ようともしない。口元を手で覆いながら、時折チラチラと視線を寄越すだけだ。
(‥‥‥怒らせた?)
そんな疑問を抱いていた時だった。カッシュは不意に顔をこちらに向ける。そして口元の手を退けた。
「‥‥‥ねえ、ジス。その、僕の顔に何か付いてない?」
言われてみれば、口の周りに赤いものが点々と付着している。
「‥‥‥口のとこに赤いのがちょっと」
「本当に!?」
カッシュは焦ったような表情を見せると、袖で強引に拭い取った。
「‥‥‥恥ずかしいなっ。さっきオムレツにかけたケチャップが付いちゃったみたい」
「そ、そっか‥‥‥」
「やだなぁ、僕も兄さんに似ちゃったのかな。はは、困った困った。」
「ははは、は」
「ちょっと、そんなに畏まらないでよ。それでジスは何をそんなに急いでいたんだい?」
ジスは思い出したようにハッとした。
彼の感じたカッシュへの違和感は残るものの、その豹変した態度に対する不信さを追求しようとは思わなかった。だから、カッシュが話題転換をした事など気に留めず、受け流した。それよりも今は優先すべき事があったのだ。
「そうだ‥‥‥ごめんカッシュ!僕行かなきゃいけないところがあるんだ!!」
「‥‥‥待って!!君ここが何処だか分かってるの!?道は知ってるの?」
「それは、分からないけど‥‥‥適当に行けば、」
「‥‥‥適当って、そんなんで辿り着けるわけないよ!僕も一緒に行ってあげるから。それで何処に行きたいの」
「え、でもそれは‥‥‥」
「いいから!ほら、何処に行くつもりなのか教えて」
「わかった‥‥‥けどカッシュ、君のそれは寝間着じゃないの?」
そう、彼の服装は上から下までストライプ柄だった。これを寝間着と言わないで何と言うのだ。仮にこれが私服だと言うのなら、そのファッションセンスを疑う。
「あ‥‥‥」
カッシュはバツが悪そうにジスから視線を外すと、ここで待っていてとだけ言い残し、回れ右をして来た道を引き返していった。
彼ーーカッシュは自分の言動に矛盾があったことに気づいたのだろうか?その寝癖のついた髪のままで、ストライプ柄の寝間着を身につけ食事をしていたとでも言うのか‥‥‥
とてもじゃないが、彼がそんな常識外れな行動をとるとは思えなかった。
(‥‥‥何か隠してる)
果たして彼の口元に付着していた物質は本当にケチャップだったのか、ジスは疑念を抱かずにはいられなかった。
♦︎
「ごめん、待たせたね!」
カッシュは十分と経たない内に戻って来た。元々癖っ毛ではあるようなのだが、しっかりとワックスでセットしたのか、先程のように寝癖だと確認出来るものはなかった。
「それで、ジスは何処に行きたいんだっけ?」
「‥‥‥僕が住んでいたカムサイアの家に、パティアの無事を確認しに行きたいんだ」
「‥‥‥‥‥‥え?」
その言葉を聞いたカッシュの顔が曇る。
「パティアって人は、確かジスの育ての親だよね」
「うん、そうだけど」
「‥‥‥兄さんに、聞いてない?」
ジスはかぶりを振る。
「知らないっ!聞いてないよ!!そんなわけないんだ、一昨日死んだなんて嘘吐いて僕を騙せるとでも思ったのかな‥‥‥‥‥‥ははっ、笑える」
「‥‥‥その様子じゃあ、聞いてるよね」
「聞いてないって!知らない!!」
「ジス、」
「うるさいっ!!」
ジスは半ば発狂したように、カッシュを制すと、その場にうずくまるようにして座り込んだ。勿論、パティアが生きていると信じている。だが、カスベルが手にしていた資料。実を言えば、そこからチラリと覗いた“死亡”という文字がはっきりとジス目には映っていた。それが尚更精神を不安定にさせ、その懸念を煽っていたのだ。
「ジス、何か勘違いしているようだけど、君は三日間眠り続けていたんだよ」
「‥‥‥‥‥え」
「カムサイアで爆発が起こったのが、十二月十日。今日は十三日」
「そ、そんなのっ、」
「嘘だって?それならこれを見ると良いよ」
カッシュは上着の袖を捲ると、金縁の腕時計をこちらに見せた。カチリ、と横のバーを小さくずらすと、真ん中にデジタル文字が浮かび上がる。活気的な技術であった。
「ここ、読んで」
「‥‥‥じゅ、十二月、十三日、日曜日」
「僕の言葉よりは電波時計の方が信用出来るだろう?」
「そ、そんな‥‥‥だって!」
「恐らく君は、この三日間同じ夢を見続けていたんじゃないかな?カムサイアで異端者が反乱を起こした所から、僕たちに会うまでの出来事を繰り返し、ね」
「‥‥‥それ、じゃあ」
「うん、兄さんの言葉は正しい」
「っ!!」
ジスはその姿勢のまま、床に手をつき崩れ落ちるようにして項垂れる。鼓動が、その息遣いが、徐々に速くなる。あれから三日も経っているのなら、カスベル達が町を調査する時間など裕にあっただろう。
その手を握りしめるようにギュッと力を入れれば、カーペットが段々と熱を持つ。ジスの頬を伝って落ちた涙が、ジュッと音を立てた。熱気と、燃えたような臭いが辺りに充満していく。
「え!?‥‥‥ジス!ちょっとそこどいて!!」
(‥‥‥あ、しまった)
「断線!?な、何これ‥‥‥水!水水水!!」
「ふ、風呂場どこ」
「それっ!そこ真っ直ぐで右曲がって左の右っ!!」
「‥‥‥」
目の前でいきなり煙が上がったのだ。カッシュの焦りようにも納得はいくが、彼の指示は全く理解出来なかった。こちらには目もくれず、一心に煙の根源を踏んでいる。
ジスが為す術なく狼狽えていた時、パタパタと正面玄関から走って来る人影が見えた。
「坊ちゃん!!どうされたんですか!?裏の火災報知器まで反応していたので水を持って参りました!!」
「ユファ!これっ、これ消して!!」
「かしこまりました!!」
(‥‥‥メイド?)
この屋敷の火災報知器は、一つが反応すれば全て連動するように作られているようだった。
ユファと呼ばれた女性は、フリルの付いたスカートをたくし上げ、逞しくバケツに入っていた水をばらまく。その大半はジスにかかった。
「ふう‥‥‥坊ちゃん、怪我はありませんか?」
「うん、僕はだい、じ‥‥‥ジス!?」
(寒い‥‥‥)
カッシュの言葉にメイドは、たった今ジスの存在に気づいた、という風に目を見開く。
「ああっ!私は坊ちゃんのお友達に何て事を!!」
(‥‥‥?)
「も、申し訳ございません!!只今っ、お着替えをお持ちしますので、少々お待ち下さい!!」
ジスの頬から流れていた涙は、頭からかぶった水と共に流れ落ちていった。その表情はどこか虚ろで、心ここに在らずっといった感じだ。朦朧とした意識の中、最後に聞いたのは切羽詰まったカッシュの叫びだった。
「ジス!!どうしたの!?ジス‥‥‥っ」
♦︎
ーージス。
(パティア‥‥‥)
ーージス、逃げて。
(ダメ!行かないでパティア!!)
ジスはパティアに置いて行かれないように、仄かな光に向かって必死で手を伸ばす。ぼんやりとした輪郭で形取られた彼女が振り向いた、と歓喜したその途端、何の前触れもなくその顔がドロリと崩れる。眼球は朽ち落ち、パティアの見る影もない。
ーージス、ほら早く。こっちよ、ジス。
(い、嫌だ!お前はパティアなんかじゃない!!)
ーー早く、早く!!!
(い、いや、だ‥‥‥く、来るな!!)
地響きのように暗く、陰鬱な“それ”はパティアどころか既に人の形を成していない、得体の知れないものだった。後ずさりすればそこは壁だ。見えない壁で四方を塞がれているような場所でジスは叫び惑う。既に光は閉ざされた。
(来るなっ、嫌だ‥‥‥っ!!)
ジリジリと追い詰められ、殺される、と諦めかけ目を閉じた時だった。頬に強い痛みを感じ、ハッと身を起こす。
「‥‥‥馬鹿が。いつまで唸っている」
カスベルに力いっぱい頬をつねられていた。だがその痛みは勿論、すぐに消える。
「カ、カスベル‥‥‥僕は、助かった、の?」
「訳のわからん事を抜かしてないでさっさと外に出る支度をしろ」
そう言われて自分の格好を見れば、いつの間にかホールで会った時のカッシュ同様、寝間着姿になっていた。
「‥‥‥え」
「カッシュは既に外で待機している。‥‥‥積もる話もあるだろう。言いたいことがあるなら帰ってから聞いてやる。早くそれを着ろ」
「は?」
「愚図早くしろ、日が暮れる!!」
「‥‥‥わ、わかった」
理解が追いつかないが、カスベルの有無を言わさない態度に気圧され、ジスは布団の上に放置されていた服を手に取った。
貴族が着るようなその服に些か抵抗はあるものの、ジスは諦めたように袖に腕を通した。
♦︎
「ジスっ!もう大丈夫なの!?ごめん、そのユファが‥‥‥」
「一応大丈夫。ただ体が少しだるい、かな」
「そうだよね。やっぱりまだ調子悪いよね‥‥‥兄さん、本当に連れ出したりして良いの?」
「すぐに済む」
「だからってまだ外は、」
「へ、平気だよカッシュ!」
「‥‥‥」
カッシュは困った様に微笑むと、口うるさくカスベルを咎め始める。しかし、ジスにとってそれは兄弟の戯れでしかなかった。叶う事のない願望を思い、以前と同じように羨望の眼差しを向ける。だが、そんな事をしようが自分は蚊帳の外であるという事実だけが胸を焼くだけである。
カスベルはと言うと、依然として頑固一徹に構え続けている。つまり、今彼に何を言っても鉄壁に跳ね返されるだけで無駄なのである。
「行くぞ」
カッシュからの説教を、目を閉じたまま静聴していたカスベルがふと声を上げた。そこでジスは目的地を尋ねていないことに気づく。
「‥‥‥どこに行くの」
「カムサイアに決まっている」
「え?」
「何だ、お前が行きたいと言い始めた事だろう」
「い、いいっ!行かない!!もういい‥‥‥っ」
「‥‥‥は?」
「カムサイアには、行かなくていいから‼︎」
「‥‥‥何故だ。パティアの、」
「あーーーー!!」
ジスはカスベルの言葉を遮ると、何も聞きたくないという風に耳を塞ぐ。そんなジスの様子を黙って観察していたカスベルは、彼を強制的に連れて行く事を試みた。
頑なにイヤイヤと首を振るジスの右腕を、力強く掴み、カッシュにも反対腕を持つように指示するが、それは拒まれる。
「えっ、僕はやらないよ‥‥‥っ!本人の意思に関係なくこんな事しちゃダメだって!!」
「‥‥‥今はそんな事を言っている場合ではない。次期にわかる。だからそっちを持て」
納得した様子はないものの、カッシュはごめんね、とジスに一言断りその腕を掴んだ。ジスは抵抗する気力も失せ、半ば引きづられるようにして屋敷を後にしたのだった。
♦︎
カムサイアに到着した時、熱気と煙たさ、そして異臭により、ジスは咳き込んだ。目が霞んで、町全体に靄がかかっているように見える。
「‥‥‥酷いな」
その瓦礫の山を、所々に転がる頭蓋骨を、腐敗した死体の臭いを痛感してカスベルは言う。カッシュはそれらから目を背け、口を一文字に結んでいた。
「兄さん、やっぱり帰ろう」
「‥‥‥ここまで来て何を言う」
「だ、だって無理だよ!!ジスだって‥‥‥」
「ジス、お前の“元”家の場所は何処だ」
「ちょっと‥‥‥っ」
「‥‥‥良いよカッシュ。もう、大丈夫」
「‥‥‥」
ジスは全ての感情を押し殺すように、血が出る程唇を噛み締める。先を見据えなければならないという事はとうの昔に分かっていたのかもしれない。
「その大きいガラス片のとこを右に曲がって‥‥‥」
更地の隅から隅まで、瓦礫や人骨を敷き詰めたかのようなその場所は、酷としか言いようがなかった。以前は此処に人間の産物が本当にあったのだろうか、と疑問に思ってしまう程に‥‥‥
「‥‥‥見る影もないな。本当に此処がお前の家だったところか」
「‥‥‥っ」
ジスは瓦礫の山に走り寄ると、それを拾い上げる。他の家屋同様、原型などなかった。ジスの表情には何の色も見えない。
カスベルはそんなジスに向かって、彼等の予期せぬ言葉を投げた。
「ジス、お前は全て分かっていたんだろう」
「な、何を‥‥‥っ」
「お前が家から避難した時、パティアが既にこの世にはいなかった事を、だ」
「そんなっ、」
「違うと言うのならば答えろ。何故俺たちと会った時、生きる事を諦めたただの木偶の坊のような姿をしていた。機械的な返答を繰り返す、魂が抜け落ちた仮象に見えた。カッシュにも聞いたが、パティアの話題を出した途端、豹変したらしいじゃないか。お前は自分の中でシナリオを作り続けていたんだ。現実を認めたくなくて、な。違うか」
「‥‥‥怖かったんだ」
「は?」
「だからっ!怖かったんだよ!!認めるのが嫌だった、現実を受け入れたくなかった!!リビングが炎に包まれた時、僕はパティアを捜した。っ、彼女は床に倒れてて割れた食器で、お腹にガラス片が‥‥‥っ、それで血が、血がいっぱい流れてて、でもっ!パティアは逃げっ、」
「もういい」
「逃げてって僕の事だけをっ、ガラス抜こうとしたけど、でもっ、そしたらもっと血が出るなんてっ」
「もういい!!」
「‥‥‥‥‥‥」
「もう、分かった。それ以上は聞かん。つまりお前は自分の都合の良いように記憶を改竄していたって事だな」
「兄さん!!」
「‥‥‥都合の悪い事は全て記憶から消し去れる。利便性の高いめでたい脳だ」
「兄さんっ!!!ちょっと!いくら何でも、」
「カッシュは黙っていろ。現実から目を背けても何も変わらない。人には寿命がある故、死にたくないとどう足掻こうがいずれ死ぬ。それが単に早いか遅いか、それだけの事だ。必然は必然であってそれ以外の何者にもならない。未だその死に向き合おうとせず、いつまでも面影に縋り付いているお前を見たらパティアは何を思うんだろうな」
カスベルはそう吐き捨てると、一人で颯爽と何処かへ歩いて行ってしまった。彼の言葉は想像以上に心に絶大な影響を及ぼした。
ジスは腰が抜けたように地にへたり込む。黒々と深い闇色に染まった瞳は全てを拒絶するかのようにゆっくりと閉じられた。目頭から涙が溢れんばかりに流れ出る。
「‥‥‥ジス」
「‥‥‥っ、うっ」
「兄さんも、ね‥‥‥悪気があってあんな事言った訳じゃないと思うんだ」
「別にっ、い、いい」
ジスは幼い子供が駄々をこねるように、その小さな肩を震わせ、嗚咽をもらす。側からみれば、そのジスの姿勢は滑稽だとも捉えられたかもしれない。そんな彼を憐れに思ったのか、カッシュがゆっくりとジスの肩に手を置く。
「あのね、ジス。僕には‥‥‥僕たちには母さんがいないんだ」
見上げれば、そこには遠い目をしたカッシュがいた。一つ一つ慈しむように言葉を紡ぐ。
「いくつだったかな、はっきりと思い出せないくらい曖昧な記憶なんだけどね」
「僕が三つくらいの時。庭でボール遊びをしていてね‥‥‥ボール遊びって言っても、ただそこら中にボールを適当に投げるだけなんだけど。それを母さんが褒めながら取りに行ってくれてた」
「それで、何度目かに投げたボールが道路に出てしまって、母さんはそれを取りに行く途中でかなりスピードの出た対向車線の車に轢かれた」
「即死だったって。それが父さんに聞いた話」
「‥‥‥ふふ、ありがちな話かもしれないけどね」
ーー何故こんなに笑って母の死を語れるのか。
そんな思いは瞬時に消え去る。ジスはカッシュの憂いの表情を垣間見た。それは悲哀でも追弔でもない、憎しみだったのだ。
「カッシュ‥‥‥っ、君は相手を、相手を殺したいと思ったの?」
そんな問いを投げかければ、返答など決まっていた。
「勿論さ」
しかし彼は、でもねと続ける。
「例え母さんを轢き殺した犯人を突き止めて復讐したとしても、母さんは帰ってこない。人を殺して何かを得ようだなんて、そんな都合の良い話はないって、そう叱られたんだ」
誰から叱責を受けたのか、などという愚問は必要なかった。
「そうだよね、兄さん」
その訓えの持ち主ーーカスベルはいつ戻って来たのか白や黄、紫色の花束を抱えて言う。
「‥‥‥さあな」
彼がその手に持つ花はこの荒れ果てた町で、言語に絶する程輝いて見えた。
♦︎
カスベルに連れられて来たのは、当初この屋敷を訪れた時に通された見知った部屋だった。そこかしこに豪勢なものが置いてある、自分とは縁のない部屋である。
「ここって‥‥‥」
「この部屋をお前に貸してやる。俺の寝室だが、大抵は仕事部屋で睡眠を取っているから問題ない」
「仕事?」
「‥‥‥何だ、お前は俺が一日中惚けて過ごしてるとでも思っていたのか」
「いやっ、違うよ、そうじゃなくて!」
「‥‥‥」
「い、忙しいんだなあって」
「‥‥‥当たり前だ。大佐から任された仕事は全て、粗相のないようにこなさなければならん」
「ふーん」
ジスは何度か話に出てくる“大佐”という言葉に関心を示す。どうやらこの硬骨なカスベルが一目置いている存在らしい。一体どんな立場の人間なのか、興味がある。
「その大佐ってどんな人なの?」
「‥‥‥この辺りの特殊部隊を全て取り仕切っている指令官だ」
「へえ、偉い人なんだね」
「ああ、俺にとって恩人に値する」
「恩人?」
「‥‥‥‥‥‥要らぬ小話だ。それで、お前はカッシュが戻るまでここにいるか?」
「あー、うん」
「そうか。では俺はまだ仕事が残っているからもう行く。ユファに話は通しておくから何かあれば彼女に言え。いいな?」
「ユファって‥‥‥あのメイドだよね?わかった」
「くれぐれも先刻のように屋敷内を徘徊しないように。俺はまだお前を完全に信用している訳ではないからな。肝に銘じておけ」
「‥‥‥うん」
カスベルが話を逸らした時点で、大佐という人物にますます興味を持ったが、それ以上深く追求しようとはしなかった。どうせ教える気はないのだ。それならば、親切なカッシュの見舞いがてらに、それとなく尋ねてみようという魂胆がジスの中にはあった。
ジスはふかふかのダブルベッドに横になると長く息を吐く。今日は色々な事があった。日常が非日常へと大きく揺れ動いたはずなのに、あまり実感がないのは何故だろうか。
ただ見知らぬ境地へ立たされたような、漠然とした不安だけがどこまでも纏わりついてくるようで、不愉快だ。ジスはそれを振り払うために目を閉じる。
(疲れた‥‥‥)
先のことを考えれば、不安が増すだけだ。それならば今、これから自分がどうしたいのかを考えようとジスは思い為す。
(パティア、僕はどうなるんだろう。特殊部隊ってカスベルみたいに銃とか所持しちゃって、犯人はお前だ!とかやるのかな‥‥‥あ〜、ちょっと格好いいかも)
‥‥‥それは刑事ドラマの見過ぎである。実際、実物を扱うのは大人でも一苦労だろう。至近距離からの発砲では鼓膜が敗れる可能性もあるのだから。それにジスの華奢な身体では、的の隅を撃てれば良い方だ。
ジスが枕を抱いてウトウトし始めたその矢先に、扉がノックされた。
「ジス様、失礼致します」
そう断って部屋に入ってきたのは屋敷のメイドであるユファだった。火事騒動の時の慌てた様子はなく、肩で揃えた艶のある黒髪を左右に揺らし、毅然とした態度を示す。まさに出来る屋敷の使用人といった感じだった。
それを見習うようにしてジスも眠い目をこすり、布団から起き上がって姿勢を正す。
「初めてお会いした時、あのような粗相をしてしまい申し訳ありませんでした。後に、替えの衣服は召されましたか?」
「うん、着たよ。‥‥‥水のことなら大丈夫だから心配しないで!」
「そうですか、良かったです」
微笑んだユファはとても可愛らしかった。歳はジスと然程変わらないだろう。くりっとした黒目がちの大きな瞳が、ジスの緩んだ顔を映し出していた。それがみっともなくて目を反らす。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はフィレナワール家の使用人の一人で、ガレット・ユファと申します。皆様はユファとお呼びになられるのですが、お好きなように呼んで頂いて結構です」
「じゃあ僕もユファって呼ぶ。いいかな?」
「はい!承知致しま‥‥‥っ!?」
言い終わらないうちに、ジスは鋭い殺気を感じ取り、ユファの肩を強く押した。ユファは何が起きたのか理解出来ないという風に目を見開いたまま後ろに尻もちをつく。
刹那、ユファの立っていた位置に、不快な金属音と共に細長い棒状のものが、物凄いスピードで天井を突き破って落ちてきた。
「ジ、ジス様!?」
「く‥‥‥っ!!」
それはジスがユファを突き飛ばそうとして前に出した右腕に刺さり、貫通して床に落ちた。ジスの腕から血が噴き出る。
しかしそれも束の間、次の瞬間には腕に空いた穴は何事もなかったかのように元どおりに塞がっていた。
「‥‥‥‥‥‥え?」
ユファの大きな瞳が更に見開かれる。ジスは唇を噛み締め弁解しようと歩み寄るが、それは部屋の窓が叩かれる音によって遮られた。
ジスは強引に怒りを抑えると、大股で窓に歩み寄り、カーテンを引きちぎらんばかりの勢いで開けた。
「お初にお目にかかります。お見事ですね」
「!?」
窓の外には狐の面をかぶった人間がいた。否、人とは呼べない、恐らく異端者であろう。ジスがそう捉えた決定的な証拠、それは男が直立姿勢のまま宙に浮いていたからだ。それも狐の面にスーツ姿という異様な格好で、だ。
男は窓の隙間に手をかけると、身体をスライドさせあっという間に室内に入り込んで来た。
「く、来るなっ!!」
「‥‥‥おやおや。そんなに怯えずとも、今日は挨拶に来ただけですよ。実に残念です、貴方の所為でそのお嬢さんが助かってしまいましたね」
「っ、お前が‥‥‥っ!!」
「おおっと、これだから成長期の小僧は困る。すぐに手が出るんですから」
「何でっ、何でこんな事するんだ!!!もう少しでユファに刺さってたんだぞ!?」
「ですから、そう言ったじゃないですか」
「‥‥‥は!?」
「今日は挨拶に来ただけです。先ずは一人、犠牲でも出しておけば良いと思いましてね」
「お、お前っ!!」
再びジスが怒りに身を任せ、狐面の男に掴みかかろうとした時、その腕が背後から掴まれた。
「‥‥‥貴様」
ジスを制したのは再び戻って来たカスベルだった。その形相はジス同様、怒りに囚われた鬼のごとく凄まじい。鋭い視線はジスを通り越して狐面の男に向けられている。
「フフフフ、剣士のお出ましですか」
「っ!ふざけるな!!」
「ふざけているのはどちらですか?まさかそんなガラクタで私を斬る、などと、」
「殺す!!」
「‥‥‥おっと」
冷静さを欠いたカスベルは、手にした剣を振り回し、部屋のものを片っ端から薙ぎ払う。その姿はまさに飢えた獣そのものだった。
カスベルが振り下ろした剣が花瓶を割ったその時、窓の外から新たな声が聞こえた。
カスベルに連れられて来たのは、当初この屋敷を訪れた時に通された見知った部屋だった。そこかしこに豪勢なものが置いてある、自分とは縁のない部屋である。
「ここって‥‥‥」
「この部屋をお前に貸してやる。俺の寝室だが、大抵は仕事部屋で睡眠を取っているから問題ない」
「仕事?」
「‥‥‥何だ、お前は俺が一日中惚けて過ごしてるとでも思っていたのか」
「いやっ、違うよ、そうじゃなくて!」
「‥‥‥」
「い、忙しいんだなあって」
「‥‥‥当たり前だ。大佐から任された仕事は全て、粗相のないようにこなさなければならん」
「ふーん」
ジスは何度か話に出てくる“大佐”という言葉に関心を示す。どうやらこの硬骨なカスベルが一目置いている存在らしい。一体どんな立場の人間なのか、興味がある。
「その大佐ってどんな人なの?」
「‥‥‥この辺りの特殊部隊を全て取り仕切っている指令官だ」
「へえ、偉い人なんだね」
「ああ、俺にとって恩人に値する」
「恩人?」
「‥‥‥‥‥‥要らぬ小話だ。それで、お前はカッシュが戻るまでここにいるか?」
「あー、うん」
「そうか。では俺はまだ仕事が残っているからもう行く。ユファに話は通しておくから何かあれば彼女に言え。いいな?」
「ユファって‥‥‥あのメイドだよね?わかった」
「くれぐれも先刻のように屋敷内を徘徊しないように。俺はまだお前を完全に信用している訳ではないからな。肝に銘じておけ」
「‥‥‥うん」
カスベルが話を逸らした時点で、大佐という人物にますます興味を持ったが、それ以上深く追求しようとはしなかった。どうせ教える気はないのだ。それならば、親切なカッシュの見舞いがてらに、それとなく尋ねてみようという魂胆がジスの中にはあった。
ジスはふかふかのダブルベッドに横になると長く息を吐く。今日は色々な事があった。日常が非日常へと大きく揺れ動いたはずなのに、あまり実感がないのは何故だろうか。
ただ見知らぬ境地へ立たされたような、漠然とした不安だけがどこまでも纏わりついてくるようで、不愉快だ。ジスはそれを振り払うために目を閉じる。
(疲れた‥‥‥)
先のことを考えれば、不安が増すだけだ。それならば今、これから自分がどうしたいのかを考えようとジスは思い為す。
(パティア、僕はどうなるんだろう。特殊部隊ってカスベルみたいに銃とか所持しちゃって、犯人はお前だ!とかやるのかな‥‥‥あ〜、ちょっと格好いいかも)
‥‥‥それは刑事ドラマの見過ぎである。実際、実物を扱うのは大人でも一苦労だろう。至近距離からの発砲では鼓膜が敗れる可能性もあるのだから。それにジスの華奢な身体では、的の隅を撃てれば良い方だ。
ジスが枕を抱いてウトウトし始めたその矢先に、扉がノックされた。
「ジス様、失礼致します」
そう断って部屋に入ってきたのは屋敷のメイドであるユファだった。火事騒動の時の慌てた様子はなく、肩で揃えた艶のある黒髪を左右に揺らし、毅然とした態度を示す。まさに出来る屋敷の使用人といった感じだった。
それを見習うようにしてジスも眠い目をこすり、布団から起き上がって姿勢を正す。
「初めてお会いした時、あのような粗相をしてしまい申し訳ありませんでした。後に、替えの衣服は召されましたか?」
「うん、着たよ。‥‥‥水のことなら大丈夫だから心配しないで!」
「そうですか、良かったです」
微笑んだユファはとても可愛らしかった。歳はジスと然程変わらないだろう。くりっとした黒目がちの大きな瞳が、ジスの緩んだ顔を映し出していた。それがみっともなくて目を反らす。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はフィレナワール家の使用人の一人で、ガレット・ユファと申します。皆様はユファとお呼びになられるのですが、お好きなように呼んで頂いて結構です」
「じゃあ僕もユファって呼ぶ。いいかな?」
「はい!承知致しま‥‥‥っ⁉︎」
言い終わらないうちに、ジスは鋭い殺気を感じ取り、ユファの肩を強く押した。ユファは何が起きたのか理解出来ないという風に目を見開いたまま後ろに尻もちをつく。
刹那、ユファの立っていた位置に、不快な金属音と共に細長い棒状のものが、物凄いスピードで天井を突き破って落ちてきた。
「ジ、ジス様⁉︎」
「く‥‥‥っ‼︎」
それはジスがユファを突き飛ばそうとして前に出した右腕に刺さり、貫通して床に落ちた。ジスの腕から血が噴き出る。
しかしそれも束の間、次の瞬間には腕に空いた穴は何事もなかったかのように元どおりに塞がっていた。
「‥‥‥‥‥‥え?」
ユファの大きな瞳が更に見開かれる。ジスは唇を噛み締め弁解しようと歩み寄るが、それは部屋の窓が叩かれる音によって遮られた。
ジスは強引に怒りを抑えると、大股で窓に歩み寄り、カーテンを引きちぎらんばかりの勢いで開けた。
「お初にお目にかかります。お見事ですね」
「⁉︎」
窓の外には狐の面をかぶった人間がいた。否、人とは呼べない、恐らく異端者であろう。ジスがそう捉えた決定的な証拠、それは男が直立姿勢のまま宙に浮いていたからだ。それも狐の面にスーツ姿という異様な格好で、だ。
男は窓の隙間に手をかけると、身体をスライドさせあっという間に室内に入り込んで来た。
「く、来るなっ‼︎」
「‥‥‥おやおや。そんなに怯えずとも、今日は挨拶に来ただけですよ。実に残念です、貴方の所為でそのお嬢さんが助かってしまいましたね」
「っ、お前が‥‥‥っ‼︎」
「おおっと、これだから成長期の小僧は困る。すぐに手が出るんですから」
「何でっ、何でこんな事するんだ‼︎もう少しでユファに刺さってたんだぞ⁉︎」
「ですから、そう言ったじゃないですか」
「‥‥‥は⁉︎」
「今日は挨拶に来ただけです。先ずは一人、犠牲でも出しておけば良いと思いましてね」
「お、お前っ‼︎」
再びジスが怒りに身を任せ、狐面の男に掴みかかろうとした時、その腕が背後から掴まれた。
「‥‥‥貴様」
ジスを制したのは再び戻って来たカスベルだった。その形相はジス同様、怒りに囚われた鬼のごとく凄まじい。鋭い視線はジスを通り越して狐面の男に向けられている。
「フフフフ、剣士のお出ましですか」
「っ!ふざけるな‼︎」
「ふざけているのはどちらですか?まさかそんなガラクタで私を斬る、などと、」
「殺す‼︎」
「‥‥‥おっと」
冷静さを欠いたカスベルは、手にした剣を振り回し、部屋のものを片っ端から薙ぎ払う。その姿はまさに飢えた獣そのものだった。
カスベルが振り下ろした剣が花瓶を割ったその時、窓の外から新たな声が聞こえた。
「ちょっとぉ、フォックス遅いんだけどおぉ!あたしの落としたやつはちゃんと女のコ殺したワケ!?」
甲高い女の声だった。いかにも頭の悪そうな口の利き方に、ジスは苛立ちを覚える。
「嗚呼、残念ですが外しましたよ。邪魔が入ったのでまた次の機会に致しましょう」
「っ、待て!!」
カスベルの制止も虚しく、フォックスと呼ばれた狐面の男は、それではまた、と言い残し窓から飛び降りた。すぐにジスは下を覗いたが、そこには手入れのされた花壇が並んでいるだけだった。
「逃げられたか!‥‥‥ッチ、連れが居たとはな」
何事もなかったように、カスベルは剣を腰の鞘に収めるとジスと尻もちをついたままのユファの方に向き合った。
「怪我はないか」
ジスは顔を強張らせる。そして懇願するような視線をユファに向けた。
「‥‥‥な、ないよ。ね、ユファ?」
「は、はい!ございません!!」
挙動不審なジスたちの様子が何を物語っているのか、カスベルはそれを見抜くようにこちらを注視するが、結局そうかと一言残しただけで、後は仕事に戻ると言って部屋を出て行った。
嵐が過ぎた今、部屋には沈黙だけが残る。
「‥‥‥ユ、ユファ」
「っ!は、はいぃ!!」
ユファの声が裏返ると、ジスは安心したように少し緊張を解く。そして自身を落ち着かせるように深呼吸すると核心に迫った質問をした。
「ユファ、その、見たよね?」
「‥‥‥な、何をでございますでしょうか!?」
「僕のさ、僕の腕の傷が勝手に塞がったの見たよね?」
「‥‥‥‥‥‥申し訳ございません」
「やっぱり」
「‥‥‥わ、私っ、誰にも言いませんから‼︎だからっ心配しないで下さい!!それに、私はジス様に助けていただきましたから、異端者であろうがそんな事気にしません!」
「‥‥‥」
異端者であろうが気にしない、か。それはなんて甘美で不合理な言葉なんだろう。ユファは本心からその澄んだ心で言っているんだろうが、ジスにとってそれは‥‥‥あなたは人の道からはずれていますが、私はそんな事気にも留めません。助けてくれたのには感謝しますが、異端者であるあなたとはこれから先相容れぬ存在のままでしょう。‥‥‥そう言っているように聞こえた。
無論、ユファの本心など知らないが、今のジスには他人の言葉をそのまま純粋に受け取る事は出来なかった。
「ごめん、今は一人にしてもらっていいかな」
「か、かしこまりました!」
何故怯えるんだ、何故こうも真っ当に本音をぶつけ合うことが出来ないんだ‥‥‥それがジスの心情だった。そして異端者は人を殺す事を躊躇わない。これがジスの中に芽生えた新たな認識だ。
危ない、と本能的に危機を感じユファを突き飛ばした。その選択が間違っていたとは思わない。だが、この本能は唯の人間としてのものではない事くらいジスにもわかっていた。
そしてカスベルが狐面に向けた殺気、あれからはただならぬ執着心を感じた。狐面に対しての殺気ではない、どちらかと言えば“異端者”全般に対して殺意を抱いていると言った感じだった。
(‥‥‥カスベルは一体何を追っているんだろう)
思えば知らない事ばかりである。狐面は剣士と言っていた。カスベルが腰に差していた剣と何か関係があるのだろうか?
「‥‥‥ジス、何これ?」
(本当に何なんだろ、う‥‥‥?)
「!?」
いつ入って来たのか部屋の中にはカッシュの姿があった。扉は先程ユファが閉めたはずなのだが‥‥‥この兄弟は音もなく部屋に入って来られる特技でもあるのだろうか。
「ねえジス、これ何?」
「カッシュ‥‥‥具合は大丈夫、なの?」
「それならもう問題ないよ。ほら!この通り元気元気!!」
手を広げてバレリーナのように回って見せたカッシュは、本当に元気そうだった。洗面所で見た暗い影が消えていて、ジスはホッとする。
そしてカッシュの質問の意図を読み取る。どうやら彼は手にしている枝を指差してこれは何かと尋ねているようだった。
「それは‥‥‥枝だよね?どこに落ちてた?」
「ここ。室内なのに何で枝なんてあるのかなぁって思ったんだ」
そう言ってカッシュが指をさした場所は、狐面と女が襲撃して来た時、金属棒が落ちてきた場所だった。そう言えば、金属棒がどこにも見当たらない。
「‥‥‥もしかして、能力だったりして」
「え?」
「あ、いやこっちの話!」
「‥‥‥ふーん?」
狐、狐、狐‥‥‥金属棒に木の枝‥‥‥
刹那、ジスはハッとしたように顔を上げた。先程天井を突き破り落ちてきた金属棒は、窓の外、即ち屋根の方から聞こえた声の女が落としたものだとばかり決めつけていた。だが違う。
古くから、狐は人を化かすと言われてきた。まさに狐面の男の能力はそれではないのか、とジスは考える。例えばその木の枝、それを一時的に金属棒に変質出来るのだとしたらどうだろう。そうすれば辻褄が合うのだ。大方、女の方は透視だとかフォースの強化ではないのか。
狐面がカスベルの剣に一度も掠らなかった理由、それも彼の能力が“まやかし”だと仮定すれば自然と結論が出る。
カスベルが適当に剣を振り回していたのではないことくらい、ジスにだってわかる。こんな屋敷に住んでいるくらいだ、ただ単に高位に居座っている訳ではあるまい。技術が伴ってこそなんぼというものだ。
「‥‥‥ス」
ユラユラと揺れるように全ての攻撃を避けていた狐面は、かなりの手練れだと判断した。
「ジス!!」
「っ!?」
カッシュにデコピンをされてジスは我に返った。仏頂面でこちらに怪訝な表情を向けているカッシュを見て、背に冷や汗が伝った。
「何さ、さっきから呼んでもちっとも反応ないんだから‥‥‥」
「ご、ごめん!ちょっと考えごとしてて!」
「‥‥‥それってさっき兄さんがエスパダ・ロペラを持ち出してたのと関係あるの?」
「何それ?人の名前?」
「ふふっ、違う違う!兄さんが腰に付けてたレイピアの名称だよ」
「へぇ、そんな名前なんだ。カスベルってその、剣士とかじゃないでしょ?」
「剣士だよ」
「‥‥‥ん!?」
剣士とは、狐面がカスベルをからかうために適当に吐いたデタラメかと思っていた。
「そういえばまだ話してなかったよね。さっき聞きたいって言ったのはその事でしょ?」
「まあ、そうだけど‥‥‥」
「よし、良い機会だし教えてあげるね。ええと、まずは特殊部隊についてで良いかな?」
「うん」
「特殊部隊っていうのはね、勿論だけど総員普通の人間から構成されてるんだ。異端者を取り締まるために作られた部隊だからね。それで一人一人職業を持ってるんだよ」
「職業?」
「うん、例えば兄さんなら剣士でソードマンって呼ばれてる。僕は‥‥‥‥‥‥いいとして」
「えっ、何で?カッシュにも職業あるんでしょ?」
「‥‥‥まあ、ね。そのうち分かるよ」
再び垣間見たカッシュの暗い表情。彼が何かしらの闇を抱えているのは確実だが、まだ友人という関係にあるかどうかさえ怪しいジスにはそれを聞く権利などないと思っていた。
「えっと、それで他にはどんな職業があるの?」
「うん、主にウォーリアーとランサー、それにアマゾネスとかかな。アマゾネスっていうのは女戦士のことね」
「‥‥‥そうなんだ。特殊部隊って、僕が入ったらどれかに振り分けられたりするの?」
「するよ、ジスは何だろうなぁ?あ、そうだ!一度父さんに会って聞いた方がいいね。まだ会ってないでしょ?」
「会ってないけど‥‥‥父さんって」
彼等の父とはどんな人物なのか気になってはいたが、次にカッシュの口から出た言葉には度肝が抜かれる思いがした。
「大佐のことだよ」
「‥‥‥えっ、えええええぇ!?」
「そんなに驚いた?父さんはこの辺を取り仕切る司令官なんだ。だから僕たちは裕福な生活が出来てる」
「そっか‥‥‥だから豪勢な部屋もこんなにたくさんあるんだ。僕はこんな世界を見て良かったのかな」
「ジス、僕もね、実を言えば同じことを思った時期があったんだ。全部が父さんのお陰で、僕なんてただここに居るだけ。起きて朝ご飯食べて、ゴロゴロしてお風呂に入って夕飯食べて寝る。毎日同じローテーションで流石にこれで良いのかって自分を戒めた」
「‥‥‥もしかしてカッシュはそれで」
「うん、僕はちょっとでもここが居心地の良い場所になるように特殊部隊に入隊させてもらったんだ。自分は何もしないで、父さんの保護下で生活するのにも限度があるなって」
「そう、なんだ。カッシュって、何歳なの?」
「君と一緒だよ」
「‥‥‥十七?」
「そうだよ。だから親近感持ったんだ」
「あ、だから初めて会った時に僕のこと助けてくれたんだ‥‥‥」
「うーんと、初めて会った時はジスの年齢知らなかったから一概にそうだとは言えないけど‥‥‥同じくらいの歳だなって思って、その境遇の違いに何ていうか感化されたんだ」
「っ!やっぱりそれって同情じゃ‥‥‥」
「それは違う」
カッシュからやんわりとした雰囲気が消える。彼はジスを真っ直ぐ見据えた。まるで、何故わからないんだとジスを咎め立てるかのように。
「君はまだわからないの?僕も兄さんも、同情なんかでここまですると思う?況してやあの硬骨な兄さんが疑ってるとか言いながらジスに部屋まで貸してる。それなら聞くけど、ジスにとって僕たちはどんな存在なの?」
「‥‥‥それは、」
「僕はね、ジス、君のことをもう家族同然の存在だと思ってる」
「っ!家族!?」
「うん。別に驚くようなことじゃないよ。血が繋がってない家族、兄弟だって‥‥‥世の中にはたくさんいるんだ」
「それは、そうかもしれないけど‥‥‥僕なんて」
「ほら!そうやってすぐ自分を卑下する。あのね、君は一人の人間なんだ。この世界でたった一人の貴重な存在。君にとっての家族がパティアだったように、今の僕たちにとっての家族は君なんだ。きっとそう言うのが気恥ずかしいだけで兄さんもそう思ってる」
「‥‥‥は、話が急過ぎるっ、例えカッシュたちがそう思ってくれてたとしても、今の僕にはそれを認めて受け入れるなんて無理だ!そもそも君の父親にだって許可取ってないんだから!」
「は?何、許可って‥‥‥」
カッシュの雰囲気がまたもやガラリと変質したのが目に見えてわかった。下を向いた彼への違和感が徐々に大きくなる。
わなわなと震え出したカッシュが顔を上げようとしたその時、部屋が乱暴に叩かれた。そして、勢い良く扉が開かれ、カスベルが焦ったような顔つきでスッと入って来る。
「カッシュ!駄目だ!!」
「‥‥‥」
「ジス、すまんがこいつを借りる。それから話は聞かせてもらったが、カッシュの言っていたことは正しい。‥‥‥少し考えてみろ」
「‥‥‥え」
さらりと吐かれたカスベルの言葉は、カッシュの摩訶不思議な態度よりも衝撃的だった。
(話は聞かせてもらった、だって?仕事に戻ったんじゃなかったの?)
ジスの心の奥からじわじわと、言葉では言い表せない感情が這い上がってくる。悲しみか憤りか‥‥‥そのどちらとも言えない奇妙な感情。
実を言えばフィレナワール・カスベルーー彼の仕事は今日は既に完了している。ほぼ一日中、偶然を装って監視兼、ジスに付き添っているようなものだった。
「‥‥‥こ、こん畜生おおおおおぉ!!」
現在の感情を言い表すにはこれが一番適切だと判断したジスであった。
ワールド・オブ・カタストロフィ《一章》
段々本文を追加していきます。