三河好仁の絵画
明治中期くらいをイメージ。ホラーでミステリという体ではありますが、その要素は薄めです。
真っ暗な地下室に入ると、カビの臭いがむわりと襲ってきた。私は鞄から瓦斯ランタンを取り出すと、ポケットの黄燐マッチを埃塗れの机で擦り、「シュボ」と点火する。たちまち照らされたその光景に、息を呑んだ。
有り得ない。こんな寂れた占屋の地下に、かの著名な画家─「三河好仁」の作品が保存されていたとは。それも、一枚や二枚ではなく。
もしや贋作かと一枚に近づき、舶来品のルーペで凝と眺めてみたものの、迷いなきその筆遣い、麗しい色合いといい、本物としか言いようがない──いや、知られている作品以上に素晴らしい絵画であった。
数年前、自ら命を絶った彼の作品は、「閃光」「雪路を行く」「鬼門」そして、絶筆である「因果」以外に無いとされていた。─ここに来て、数十枚もの絵画が見つかるとは。
「満足頂けましたかな、三河好仁の絵は」
背後から、老人の声がする。我に返って振り返ると、好々爺然とした髭男が杖を突いていた。濃く出た口元の皺が、好ましく感じる。
「ええ、ええ。三河さんの新たな作品を、見られる時が来るとは!」
「ははは、ご満足頂けたようで。煉獄の甥もさぞかし喜んでいることでしょう。」
「は、煉獄…と、いいますと」
戸惑った私の問いに、老人は笑い皺を一層濃く浮かばせ、
「煉獄…日本にはまだ浸透していない言葉ですがね。西洋人─特に切支丹が持ち込んだ言葉です。」
煉獄。慣れない言葉だ。
「天国に登るほどの徳は持ち得ていないが、地獄に堕ちるような罪を犯してはいない…そういう人間が往く世界だとか。甥は生前、何度も『おれは罪人だが、きっと煉獄に往くだろう。地獄の責苦を受けそうになったら、奇麗な宗教画をこさえて牛頭馬頭に許しを請えるからな』などと笑っておりました故…」
「へえ。三河さんは大層面白い方だったんですね。」
「ええ。…ささ、こんな埃臭い蔵になんぞ居ないで、我が家にお上がりなさい。」
彼はやや早口にそう言うと、一足先に階段を上ってみせた。
「すみません、その…写真屋を呼びたいんですが。」
「おお、おお、申し訳ない。言ってませんでしたか。写真は撮れないのですよ、この絵画達の」
写真が撮れない。何故?生前の三河氏に言いつけられていた、奇麗に映らない素材だ、など、理由は思い浮かぶ。しかし、この老人の急くような態度が怪しい。
「何故、撮れないのですか。教えてください。」
私がやや威圧的に問い詰めると、老人は困ったように肩をすくめ、白い眉を曲げて呟いた。
「どうしても知りたいのなら、仕方がない。そうですね…。」
私は息を呑んだ。老人は一体、何を言い出すのか。
「あの絵たちは、煉獄に棲んでいるのですよ。甥…好仁と共に。」
「絵が、煉獄に?…有り得ない、まずあの絵画たちは、ここに在るではありませんか!」
私が埃をかぶった絵画たちを指さすと、老人は口元を歪ませた。
「ならば、写真屋をお呼びなさい。あの絵たちがどこに存在しているか、嫌でも分かりますよ。」
半刻ほど経つと、呼びつけられた数人の写真屋が地下室にやって来た。彼らは手馴れたように写真機を構えると、マグネシウムをボッと焚いた。しかし彼らは困ったように首を傾げると、もう一度焚き、これも首を傾けた。
「どうしましたか」
私が一人に近づくと、その写真屋は両の眉を曲げながら、
「それが…。どうしても映らないんだ、あの絵たち。どうなっているんだ、幽霊絵画か何かなのかね。」
そうぼやきつつ、彼らは機材を片付けて帰っていった。
幽霊絵画。その言葉を聞いた瞬間、肌がぞくぞくと粟立つのを感じていた。
「ははは、幽霊絵画ですか。逆ですよ、あの絵は霊が抜けた後です。」
私が写真屋の言葉を伝えると、老人は心底おかしそうに笑った。
「写真を撮ると魂を抜かれるという話、知っているでしょう。あれはつまり、魂がある物しか撮影できないということなんです。」
「ば、馬鹿馬鹿しい。迷信ですよ。大体、絵に魂などある筈など無い…」
「おやおや、貴方は、一筆入魂という言葉を知らないのですか。甥は絵画に命を掛けていました故、あの絵たちにも、魂が宿っていたのですよ。」
好仁氏があの世へ飛ぶとき、絵画たちも付いていったというのか。有り得ない。しかし、あの絵たちは確かに撮影されなかった。
「そういえば、世間に知られている四枚の絵画は、彼の死後に私が描いた物です。いえ、贋作したもの、と言うべきですね。」
「何故…」
「何故って貴方、贋作とは気付かずに騒ぐ世間が、どうしようもなく滑稽だからですよ。…さて、貴方は新聞記者でしたね。書いてください。見出しは、『驚異!魂の抜けた絵画』なんかでどうでしょう。」
老人は笑い皺を一層濃く浮かばせ、そう言った。私はそれを、心底不気味に感じた。
三河好仁の絵画
衝撃の事実!主人公は新聞記者だった!というオチ。雑ですわね。