the Park -1.知らない男

公園を舞台にした短編集です。

1.知らない男

売れない漫画家志望のカンタはサニー公園で見覚えのない男に声をかけられれる。
逞しい風貌の男はどうやらかつての知り合いのようだが、一向に誰だか思い出せない。
将来に対する不安や絶望を感じるカンタに男がもたらすものとは。

1.知らない男

 「うわ!久しぶりじゃないか」
 季節は十一月でそろそろコートが必要な時期だというのに、ライトブルーのワイシャツを腕まくりして、健康的な逞しい胸板が真夏を連想させる。
「はい…?」
カンタは困惑してしまった。誰もが一度見たら忘れない味付け海苔のような極太の眉毛や真っ白な歯と剥き出しの健康的な赤い歯茎に全くの見覚えがなかったのだ。
 
 カンタがサニー公園のベンチでぼんやりと煙草を吸いながら、新作の漫画のネタを考えて三十分ぐらいした頃、男は現れた。
色白で華奢なカンタとは正反対の大柄でラガーマンのような男が、3、4歩隣のベンチに腰かけているのに全く気付かなかった。見た目年齢はカンタと同年代ぐらいだろうか。ただ無精ひげと長髪パーマ、夜更かし三昧でクマだらけの顔をしたカンタと比べたら幾分若く見える。

 平日の昼間にスーツを着て見知らぬ自分に話しかけるなんて、何かのマルチ商法や宗教勧誘に違いないとカンタは聞こえぬふりをしてその場を去ろうと慌てて煙草を足でもみ消し立ち上がった。
「おいおい、何慌ててんだよカンタ!」
 カンタは自分の名前を知っていることに驚いた。男も間髪入れずに席を立ち、カンタのベンチに移動して腰かけ、まあ座れよと再び席へつかせた。

「いやあ、カンタはガキの頃と全然変わんないな。髪の毛伸ばしてるのか?そんなウェービーなパーマかけちゃってさ。でもすぐわかったぞ!」
 男はご機嫌に話すが、そう言われてもカンタ自身は誰だかわからない。仕方なく正直に聞こうと決めた時、

「そういやお前、まだ漫画書いているの?」

子供のような純真無垢な瞳で予想だにしていない質問が飛んできた。
カンタが漫画を描いていることを知っている人間はそういない。
同人誌サークルの友人の鈴木と山本。
あとは姉がこっそり知っているかどうかぐらいで、内密なはずだった。ましてや年齢が三十歳にもなって売れない漫画を書いているなんて誰にも自慢で来たものではないので、ここ最近は赤の他人なんかにもそのことを晒すのは嫌だった。
 知っているとなるとどこから情報を仕入れたかぐらいは知ってみたい。咄嗟にそう判断したカンタは男に話を同調することにした。

「あ、ああ…。」
ぼそりと答えたのは、この男相手だからというわけではなく、元々カンタは人見知りで口下手なだけであった。
逆に対人コミュニケーションにおいて緊張という言葉を知らないような男は、大阪の劇場で漫才でも見ているかのよに軽快に話す。

「へぇー!すげえじゃん。お前の漫画、とびきりにおもしろかったもんな!なんか雑誌のったりとかもしてんの?」
「ま、まあ…。」

カンタは、つい見栄を張って嘘をついてしまった。彼には虚言癖があり、それは同人サークルの友人相手にも、よくやっていた。
「○○社の編集者と知り合い」だとか
「売れっ子の△△先生のアシスタントを直訴されて面倒だから断った」などと平気で口にしてしまうのだ。

 男はさらに食いつき、興奮気味だ。
「まじかよ!なになに?ジャンプ?マガジン?サンデー?…もっとアニメ専門ぽい雑誌とか?」

男の見た目こそ、働き盛りの良い歳したサラリーマンであったが、尋ねるその姿は小学生が最新号の漫画についてドキドキしながら友人に語りかけているようだった。

「うーん、まあその手の出版系かな。」
「すっげーな。やっぱお前才能あるよ!」
 漫画家大先生を崇めるように接してくる男にカンタもなんだか気分がよくなり、嘘が止まらなくなっていく。

―ネットで配信した漫画がひと月で五十万ダウンロードされた(本当は半年で五十二件)

―今、七作連載を同時に書いている。手塚治虫の再来かも(今はネタすら浮かばない毎日)

―尾田栄一郎の友達と友達なんだ(実際、そうだったとしてそれが何の自慢になるのだろうか)

 ベンチで話すうちに会話が盛り上がり、二人は気づけば公園前通りの近くの大手チェーン居酒屋にいた。
 適当なつまみとビールを片手に男相手に漫画や芸術、アートカルチャーについての持論を熱く語っているカンタ。それを屈託のない笑顔で興味津々に聞き続けていた。見ず知らずの他人相手にこんなにベラベラお喋りをしたのは、初めての経験であったし、親しい友人達にもここまで熱く語ったことはなかった。

 カンタのジョッキが空いた。何か飲むかと、男は気をきかせてメニューを手渡すと受け取ろうとしたカンタの腕が少しふらつく。

「あれ、カンタ飲み過ぎてない?」
笑いながらも心配そうに男が聞く。
確かにカンタの頬は気持ちよさそうに緩んでいるが、顔色は茹蛸のようだった。元々、大して酒には強くないのにすでにジョッキで4杯ビールをゴクゴク飲み干した。

「お水にしておくか」
男は手を挙げて店員を呼ぼうとすると、小さくカンタが何かを言っている。
「それ・・・」
「何?」
「それより・・・」
「だから何だよ?」
「それより、お前誰なんだ?」
 変わらず小さい声であったが、男ははっきりカンタの言葉を聞き取ることができ、挙げた腕を下ろし、店員を呼ぶのをやめた。
 そうしてカンタと男はしばらく見つめ合う。
店内の学生やサラリーマンの団体の笑い声やコールが飛び交ううるさい中、男はカンタに伝えようとする。

「俺はね・・・」
 ダメだ飲み過ぎた。
頭が、視界が仮面ライダーの変身場面のようにぐるぐる回る。男がニヤリと不敵に笑いながら、唇が動く。
動くがその声が聞こえない
聞こえるのは居酒屋の喧騒だけだ。
その無数の音も次第にボリュームを絞るようフェードアウトしていき、無音になった。


「お兄さん!お兄さん!風邪ひくよ!」
浮浪者のおじいさんがカンタの肩を叩き、
ビクっと吊り上げられた魚のように身体がはねた。
気づくと夕方までいたサニー公園のベンチにいた。
「夏ならまだしも、こんな時期に外で寝て風邪ひかねえ奴は、ワシらぐらいだぞ」
そいって真っ黄色でボロボロの歯を見せながら浮浪者は笑った。

時計塔を見つけると四時十五分を刺していた。
 頭がトンカチで割られたように痛い。
久しぶりだけれど酒の飲み過ぎでやられたに違いない。
 男と一緒に飲んでいたけれど、結局どうなったんだ?
「あの、僕だけでしたか?」
「え、なにが?」
「このベンチにいたの」
「いや夜中の十二時ぐらいからお前さんがベンチにいたのには気づいてたよ。でも…ひとりだったぞ。」
 浮浪者は親指で背の向こうの茂みを指す。
そこには浮浪者の人たちが暮らすテントが密集していた。
「んでよ、お前さんを起こしに行くか、ワシらで話してたのよ。んでよ、誰が行くか花札で勝負していたらこんな時間になったでよ。なはははははっ」

浮浪者は特徴的な低い声で笑った。

 昼間に知らない男と出会い、居酒屋に移動したのが恐らく夕方の四時とか五時だ。
それから二、三時間飲んでいたとしても、九時か十時。その後、飲み潰れた自分を男はこの公園の元の位置に運んでくれたのだろうか。

 カンタは浮浪者にテントの方で熱燗や焼き鳥缶をごちそうすると誘われたが、丁寧に断ってから、礼をいい、ベンチを後にした。
 新聞配達のバイクぐらいしか通らない早朝の町を歩き、これから町が目覚める頃、自宅のアパートについたカンタはシャワーを簡単に浴び、ひきっぱなしのせんべい布団に潜り込んで眠りについた。

 それからしばらくの間、カンタはあの男が誰だっか考えた。卒業アルバムを押入れの奥からひっぱりだして、小、中、高校の学年一人ひとりを名前と顔を参照して、あの精悍な雰囲気の男を思い出したが、それらしい奴は一人も見つからなかった。
 ただ改めて思ったのは、友達の少なく自他ともにそう感じられていただろうカンタにとって、どの時代を探しても「あの男」のような人間との接点はなかった。そのことが余計に「あの男」の存在を謎めいたものにさせた。
 カンタは相変わらず昼に置き、漫画を描いたり、サニー公園でぼんやりし(あの男がいないか欠かさず、あのベンチには寄った)、
週に四日は夕方六時から朝五時まで漫画喫茶でアルバイトをした。
そんな生活が変わらず続き、次第にあの知らない男のことは考えなくなっていた。

 ある土曜日のバイトのことだった。
年末が近づき、忘年会やイベントごとで終電を逃した酔っ払い達が店内をごったがえしていた。
 よくあることではあるのだかが、二十代ぐらいの学生風の客が自分のブース嘔吐してしまい、その清掃と周りのブースの利用客の苦情対応にひどく苦労した。人付き合いの極端に苦手なカンタは謝るのが下手くそで、
「てめぇ、それでほんとに謝罪のつもりか!?」と罵られた。
 その後、自分より五歳も年下のチャラチャラした店長にも、「正直、迷惑なんすよ。辞めたきゃ、辞めてもらってもいいっすからね」と裏でグチグチと叱られた。
どちらにも小声で小さく「すみません」としか言えない自分自身が情けなかった。

 トイレの清掃の際、個室にこもった。 
タイル張りの壁を軽く蹴る。
トントントン。ドンドンドン。
次第に勢いが強くなった。
 憧れの漫画家たちの無数の漫画本に囲まれながら、時給千五十円で他人のゲロの清掃をして、叱られている。次第に涙がこぼれてしまう。壁には無料アダルト動画の広告が張られ、作り笑顔のAV女優がこちら見ているようなきがした。
「見てんじゃねーよ!」
思わず大きな声を出してしまった。

 バイトの帰り道。いつもは軽快に自転車をこぎ、とっとと自宅に戻って眠りにつくのだが、今日は押しながらとぼとぼと帰った。
途中、気力もなくなり、サニー公園で一休みしようとした。公園前の横断歩道を渡ろうと信号待ちをする中、公園の周り走っている男が目についた。

「おい!おい!」
気づけばカンタは自分でも信じられない程、大きな声で男を呼び止めた。
横断歩道の向こうではあの知らない男が、足踏みしながらこちらに気づき手を振っている。
信号が青に変わり、カンタは駆け寄った。
今日の男は、以前会ったときのスーツ姿ではなく、上下黒いピッタリした伸縮性のあるTシャツとレギンスを履いて、全身の筋肉が協調される格好をしていた。

「お!カンタか!」
男は相変わらずの豪快な笑顔でカンタを受け入れた。何より、男の顔を近くでみてカンタは驚いた。
切り傷や殴られたような目の上にコブができており、ケンカでもしたかのようだった。
「どうしたんだよ。その顔?」
「あ、これな」
そういって男は顔のあたりをさする様にして照れながら
「お前のほうがよく知ってるんじゃねえのか」と言ってきた。
「え、どういうことだよ」
カンタが尋ねると、男はへへへっと鼻をさすって笑いながら、カンタを置いてまた走り始めた。

「おい、ちょっと待てよ!」
カンタも急いで自転車にまたがり、男を追いかけた。カンタは全速力でこいだが、男になぜか全く追いつけなかった。男はそのまま超人的な速さで公園の中に消えていった。
 カンタが公園の中をうろうろ探してようやく見つけたのは同じくあのベンチのあたりだった。
「見つけた」
「見つかっちゃった」
男はこの前と変わらず、子供みたいな顔をしている。
カンタも自転車をとめ、隣のベンチに腰を下ろした。カンタは色々聞きたくなった。お前は誰だだとか、この前はどこに消えただとか。
 しかし、気づくとそれとはまったく関係ないことを自分も気づかず語り始めてしまった。
「昔、とってもラッキーマンって漫画読んだことあるか?あの漫画大好きでさ。主役のラッキーマンって全然強くなくて、強いのは運だけでさ。他にも友情マンとか努力マンとかほんと濃い脇役が沢山出てきて。それで俺、漫画にはまって、漫画書き始めたんだよね。
それから何十年も漫画書いたけど。ダメだなあ…才能ないよ。何度も何度もコンテスト送ったけど、全然だめでさ。この前、居酒屋で話したこと、全部嘘なんだよ。今はほとんど漫画もかけてなくて、週に四日漫画喫茶でバイトしているだけの、ろくでもない人生なんだよ。今日も酔っ払いのゲロ掃除してさ、年下の店長に怒鳴られてさ」

カンタはしゃべりながら、小さく笑い、またほろりと涙が出てきた。今日はなんだか表情の忙しい日だった。
 男は話を聞きながら、遠くを見つめている。
「UFOのCM覚えているか?」
ふいに男は質問をしてきた。カンタは意味がわからず聞き返すと、また同じことを聞いた。
「UFOって、焼きそばの?」
「そうだ」
「UFOのCMって言っても色々あっただろ。しかもなんで今、そんな話なんだよ」
困惑したカンタが尋ねると、男はカンタの前に立った。

ソースビーム!
揚げ玉ボンバー!
青のりフラッシュ!

 掛け声とともにポージングをして見せた。
カンタはあっけにとられて見ていたが、男は腕を組み誇らしげだった。
「それってマイケル富岡がやってたCMのやつか?九十年代に流行ったやつ」
すると男はうなずき
「ヒントは出したぞ」といった。
「なんのヒントだよ?結局お前誰なんだよ。今のCM知っているってことは同年代なのはわかったけどさ。この前からずっと俺のことばっか話しているけど、お前のこと全然話さないからさ・・・」
男は背を向けてしまった。
明け方の公園がうっすら明るくなった。
そろそろ日の出の時刻だ。
「綱橋小学校の同窓会の手紙届いたか?」
「届いていないけど…なんだよ。やっぱお前同級生かよ。綱橋小だったのかよ」
 男は振り返りにやりと右頬だけをつり上げて笑った。何か含みのある表情だった。カンタが呼び止めようとした瞬間、男はまた超人的な速さで走りだしてしまった。
カンタは慌てて呼び止めたが、その声は全く届かなかった。

 帰宅したカンタは綱橋小学校の卒業アルバムを再び開いた。平成七年第七十七期卒業生のカンタは、学年主任の先生が決めたラッキーセブンの六年生という言葉を思い出した。
七が三つ並んだ記念すべき卒業生なのだと熱っぽく卒業式の練習会で語っていた。
でもそれは単なる偶然であって、大人になって考えてみれば無理して作ったこじつけの様にしか思えない。
アルバムの見開き最初のページは屋上から撮影したもので、六年の四クラス全員で校庭に777の一文字を作ったものだった。
カンタはもしこれが平成六年六十六期生だったらオーメンみたいだからやらないのかなと、くだらないことが頭をよぎった。そのページの一人一人も、クラスごとの個人写真も改めて成長した姿を想像しながら見返した。特に自分のいた六年三組は念入りに何度も、何度も。
結局、答えはこの前と同じ、一致するものが見当たらないであった。

仕方がないので、男の言っていた「同窓会の手紙」を辺り信憑性を確かめようとした。
 カンタの古い知り合いには家を出たことを知らせていないので、この前あの男が言っていた同窓会のお知らせが本当ならば、実家にあるはずだ。
そう思いたち、何も考えずそのまま部屋を飛び出し、実家に向かった。
 カンタの実家は歩いて十五分ほどのサニー公園を挟んだ反対側にあった。
 美大を卒業した後、漫画家になると両親と大喧嘩をし、飛び出してしまった。カンタは一人っ子で内心はとても親思いの優しい青年だった。大学卒業まで両親に毎年誕生日にはプレゼントを送った。父母共に十二月生まれだったので、毎年手袋やマフラーをさりげなく部屋の前において置く。両親もこよなくカンタを愛していた。大手証券会社に勤める父の影響もあり、有名企業に入れようと躍起になっていた。そのため美大の進路は猛反対であった。その上、漫画家になると言うものだから、ほぼ勘当のような形で追い出された。
とはいえ、カンタも両親も内心は離れたくない。結局、カンタは駅の向かいの隣町に下宿することにし、母親も週に一度はカンタの家の様子を見にくるようになった。最近では父親のいない時間を見計らって、実家に立ち寄るようにもなったが、それでも父との関係だけは修復できずにいた。 
 カンタは実家の玄関に立ち、チャイムを鳴らすのをためらった。今日は土曜日。普通のカレンダー通りの仕事をしているカンタの父は恐らく休みだ。勢いで来てしまったが、もう八年も顔を合わせていない父と対面するには心の準備がまるでできていない。何を話していいかまるでわからない。
 カンタは二階を見上げた。玄関上の二つの窓のうち左はカンタの部屋、右側は父の部屋。
どちらもカーテンがかかっている。カンタの部屋は美大を卒業した春から止まったまま、カーテンは開けられていない。
父は規則正しく几帳面な人で、どんな想定外の事が発生しても決まった時間に起き、カーテンを開け、丁寧にベッドメイクをし、三分間歯を磨き、トイレを済まし、必ずゆで卵とトーストと紅茶の朝食をとる。平日は朝七時には出勤する。時刻はそろそろ七時半だが、まだカーテンが開いていない様子を見ると、本日はやはり休日だろう。
そして休日なら七時半に起床するのが日課だった…そんなことをカンタが思い出し、急に全身に寒気が走り、俺は何をこんなところでしているのだ、今はまだ実家に戻るべきでないと判断した瞬間、父の部屋のカーテンが開いた。
 窓の外の景色を眺める父。白髪が増え、髪が随分薄くなっている。どこか晴れやかな表情をして一日の始まりを祝福しているような優しい表情だった。八年ぶりに見る父は当時の威圧的な表情がなく、随分柔らかい印象を与えた。それは一般的に言う老いなのだろうか。もしくは以前も朝一番にカーテンを開く時はこんな表情をしていたのかもしれない。こんな時間に父を見上げることなんてなかったのだから。
 父はすぐにカンタに気づき、一瞬曇った表情をした。カンタはすぐに振り返り帰ろうとした。
「おい、ちょっと待ちなさい」
慌てて窓を開けた父が呼び止めた。
止まるべきなのか。本当は漫画で少しでも収入を得られるようになったら顔を出そうと思っていた。まだ多少なりとも紙面に載ること、それに準ずることを成し遂げてしていないのに、ここで顔を合わせるのは情けない。
今じゃないんだ。あんな知らない男のことはどうでもいい。
カンタは自宅の前の通りを戻り始めた。
「カンタ!おい」
父の呼び止める声がするが振り返らない。
「同窓会の手紙来てたぞ!」
思いがけず、予想外の呼び止めだった。
なぜそんな手紙を知らせるために呼び止めるんだろうか。しかもタイミング的にはバッチリである。本当だったら「バカ息子!いつまでフラフラしているんだ!」とか「お前とは勘当したはずだ!そう易々帰ってくるな!」と叱咤してもおかしくないはず。
意外性と偶然の出来事にカンタも戸惑い立ち止まってしまう。
「ほれ、明日らしいぞ。当日急遽参加でも構わんらしいから行って来たらいい」
そういって青いストライプのパジャマに茶色いチャンチャンコを羽織った父が皺くちゃになった封筒を差し出した。
受け取ってカンタは封筒を眺めた。
「ああ、すまんすまん。人の封筒なのにな。
勝手にとは思ったが、何せ封筒に最重要なんて書いてあるから慌ててな」
確かに封筒には赤いボールペンでそう書かれていた。
八年間の溝を埋めるのには、同じく膨大な時間を要するとカンタは家出した時からずっと思っていた。それがいとも簡単に、それも漫画や今の生活には全く触れず、さらっと関係のない一通の手紙の話から始まったのだ。
本当はもっと伝えなきゃいけないことがお互いあるはずだ。
カンタは震えながら、声を振り絞った。
「親父、俺さ…」
「あー、さむいさむい!俺は冷えるから戻るぞ。」
 遮るように父は体を震わせ、大げさな声を出した。カンタがこんなにニコニコした父の顔を見たのは、子供の頃、近所のサニー公園でキャッチボールしていたあの頃以来かもしれない。ともかく話を遮り、久々の息子の再開がうれしかったにせよ、父にも息子の話を聞くだけの準備がまだできていなかったのだろう。丁度よく、たまたまなのか、手紙をつかって会話を成立させた。
父はカンタの肩をポンと叩き、
「正月には顔だせよな」と一言だけ残し家に戻っていった。八年ぶりの会話はほんの数秒で終わってしまったが、幾分カンタは身体が軽やかに感じられた。


 翌日は手紙にあった通り小学校の同窓会に参加した。小学校ともなると、ほとんどの人が卒業以来の再会であった。一部住んでいる地域が同じため、中学も同じ人もいたがそれでも十五年はあっていないため、名前を言われても、顔と全く一致しなかった。
 友達がたたでさえ少なかったカンタは同窓会なんて本来行きたくない。それに加えて、必ず聞かれる質問、「今、何してんの?」
がとにかく嫌だった。
 周りの皆は良い歳になり、それなりに収入を得ていたり、社会的地位を得たり、美人な奥さんを貰ったりしている中、漫画家志望のフリーターは三十歳を超えると自分でも痛々しいのはわかりきっていた。
 それでもここに来たのは、サニー公園で出会ったあの男を探すためである。カンタにとって、今あの男は誰だという次元ではなく、あの男は今後の俺の人生に何か大切な助言をもたらす、そんな気がしてたまらなかった。
 駅前のホテルの宴会場の立食スタイルで行われ、百五十名ほどの同級生や先生達が集まった。まわりのみんなの華やかな格好と比べると、自分はなんて安っぽいのだろうか。
大学の卒業以来のダボダボの黒いスーツは旧モデルのようで、この場にいるのも恥ずかしい。
 最初は興味津々にみんな話しかけてきて、少しだけ会話を楽しんだ。一番嫌な「今なにしてんの?」という質問には「デザイン関係の仕事」という無難な答えを用意しておいた。  
それでも中々、その場に打ち解けられず、話にもついていけず、気づけば会場の壁際にぽつり、シャンパングラス片手に輪の外側にいた。不思議とそれはカンタにとって辛い感じはなかった。外からみんなを眺める感じは、学生時代なかなか友達ができなかったあの頃をいやに懐かしくさせた。
ああ、そうだった。昔もこんなんだったなぁと。
 会場内をグルグル探し回ったが、あの男は見当たらない。体格の良いだとか、爽やかそうなやつを見つけては、あの太眉や剥き出しの白い歯を参照するが別人ばかりだ。
 一人で集団を眺めながらチビチビお酒を飲み続け、次第に小便が近くなりトイレに向かう。白を基調とした大理石張りの清潔なトイレの小便器で用を足していると後から誰かが入ってきた。
十台ほどの小便器があり、カンタしかいないのにわざわざ隣で用をたし始めた。
気色の悪いと思い、隣の顔を眺めると涼しい顔してあの男が小便をしている。
「わっ!お前いたのか!」
「なっ!カンタ!的ずれてる!俺にかかるから!」
驚いたカンタは便器から滴をこぼしてしまった。
「あれだけ会場探したのにどこいたんだよ」
「俺か?ずっといたぜ。カンタもいるの知ってたし」
「どうして声かけてくれないんだよ?」
「別に今日だけじゃないさ。ずっとカンタとは一緒にいたんだよ。お前が思い出さなかっただけだよ」
「お前と俺がずっと一緒に?何だよ、それ気持ち悪い。お前みたいな暑苦しいやつと一緒にいたら、ゲイか何かと勘違いされるじゃないかよ。そんな濃い顔でさ…」
そう言いかけている最中に、そそくさと男は用を足し終え、手も洗わずにトイレから出て行ってしまった。
「おい!悪かったって。ちょっと言い過ぎたよ!」
 慌ててドアをあけ、廊下にいた男の腕を引っ張った。
 振り向いた男は全くの別人だった。
カンタはすぐに謝った。
 初めて男の存在そのものに疑問を感じ始めた。もしかしてあの男は俺にしか見えていないのかもしれないと。
 会場に戻ると、舞台の上には大きな木箱が大量に用意されていた。泥を拭いたような真っ黒な木箱はもろく、腐りかけているようで
なんとかその箱の形を保っているようだった。
幹事でありお調子者の生徒会長でもあった男がマイクをとり、挨拶をする。
「えー、宴もたけなわではございますが、そろそろ同窓会をお開きにしたいと思います。ですが、その前に今日この日のために、卒業生の代表有志により、十八年前に埋めたタイムカプセルを掘り起こしに、私たちの遊び聖地、サニー公園に行ってまいりました。お名前をお呼びしますので、取りに来ていただいた方から解散になります。」
渡されたのは当時大好きだったミニ四駆の箱で、父が一緒に作ってくれた思い出の一台だった。
 その上にマジックで「六年三組 伊藤カンタ」と書かれているが、雨のしずくか何かで滲んでいる。
誰にも気づかれないよう、静かに持って帰った。そのおもちゃの箱を受け取った瞬間、何がこの数日起きていたのかを思い出したのだ。
 カンタは一人、サニー公園のあのベンチに戻り、こっそり箱を開けた。中には初めて自分で書いた漫画が一冊入っていた。主役はもちろん、あの男。
ごん太眉毛に、真っ白な歯、超人的スピードの「バキソヤン」だった。
 なんだよ、ヤキソバンのパクリじゃねーか。
笑いながら涙が止まらなかった。
 下手くそで、パクリ丸出しで、ストーリー性もゼロ。けれど、今より数万倍楽しく漫画が描けていたあの頃をこの男が思い出させてくれた。それだけでなく、切れていた家族や旧友とのつながりも少しだけ修復してくれた。
奴は本当にスーパーヒーローなのかもしれない。
カンタは久々に漫画片手にワクワクしながら、公園の広場をスキップしながら帰った。

the Park -1.知らない男

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the Park -1.知らない男

公園を舞台にした短編集。 どこにでもあるような住宅街と駅前商店街の真ん中に位置するサニー公園。 昼夜問わず、悩める周辺住人たちが色々なドラマを持ってきます。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-04

Copyrighted
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