さよならメアリ

春乃

 あいつのことがきらいだ。あのこにへんなちょっかいばかりかけるから。
 あいつと出会ってあのこはおかしくなった。明るくてやさしい良い子なのに。あんなやつと出会って会話して悪影響を受けてしまったんだ。あんなやついなければよかったのに。あいつが村にやってこなければ、あのこは今までどおりでいられたのに。そしてそれは、きっと私だってそうだ。



 ごきげんいかがと私は言った。悪くないわとあのこは言った。実際にそのようだった。顔色もよさそうだったし、髪も肌もつやつやしていた。おみやげに持ってきたリンゴをベッドの横のテーブルに置くと、彼女に向きなおった。ひとみもきらきらしている。「来てくれると分かっていたわ」
彼女がほほえみながら言うので私も笑顔を返した。「分かっていたなんて、へんなことを言うのね。おばさまから来ることを聞いたの?」
「そうじゃないのよ。わたし見えたの。メアリがこちらへ向かってくるところを見たのよ」
 へんだな、と一瞬思ったけれど、気にしないことにした。ベッドから立ち上がることができるとは思えないけれど、もしかしたら風が強く吹いたときカーテンがめくれて、窓の向こうがすこしだけ見えたのかもしれない。
私はそうだったのね、と返して、お茶でもいかがとすすめた。彼女はいただくわと言った。

 それからしばらくはなんでもないような話をして、楽しく時間を過ごした。最近おばさまが焼いたパイがとてもおいしかったとか、前から練習している刺繍が始めたころよりずっと上達しただとか、彼女の生活の一部を話してもらえることはすごくうれしくて、もっときいていたいなと思った。
私の方は彼女に話せるような楽しいことは特にないから、相変わらず今までどおりだと答えた。
彼女は目を細めていった。
「あなたはよくやっているわ。つらい仕事だって逃げずにがんばっているし、勉強だってきっと続けているのでしょう。それに、こうしてわたしに会いに来てくれるし、とても感謝しているのよ。あなたがいなければ、きっとわたしはひとりぽっちだったもの」
彼女が急に改まってお礼を言い始めるものだから、私はうれしいのかはずかしいのかよくわからないような気持ちになって手を振った。
「そんな大したことじゃないわ。ほとんどのことは今までがそうだったからただ続けているだけだし、それに、あなたに会いに来るのだって、私が楽しいから・・・」
「そうやって、楽しいと思ってくれることがうれしいの。わたしはなんにも持っていないけれど、あなたという友人と出会えたことだけは、自分で自分をほめてあげたいわ」
「なんにもないなんて、そんなはずないわ。あなたはいつも明るくてやさしいし、笑顔だって素敵だし・・・」
自分を卑下するような言い方が気になって、私はまとまらない言葉をごにゃごにゃと口に出した。
 私からすれば、彼女はすべてに恵まれているように見えた。つやつや輝く金色の巻き毛をあちこちリボンで結わえた髪型は、昔読んだ絵本に出てくるお姫様のようだと思っていたし、いつも着ているかわいらしくて細部まで凝った洋服も、歩くことが出来ないために筋肉がつかずきゃしゃなままの身体も、彼女のお人形のような印象を強めていた。ぱっちりした大きな目も真っ白な肌も薔薇色のほおも私にはないものだったから、うつくしい彼女と友人になれたのはほんとうに驚くべきことで、未だに信じられないくらいだ。そんな彼女が自分なんて大したことないかのように言うのが、なんだかとてももったいなくて、不思議で、それからほんのすこし、ほんの少しではあるけれど、にくらしかった。


あのこの家に遊びに行った次の朝、あいつに会った。相変わらずのにやにや笑いで、まったくうさんくさいやつだ。私をばかにしているのか、にこやかに接するつもりがうまくいっていないのかは分からないけれど、とにかくあいつは唇の両側のはじっこをひょいとあげたまま私に挨拶した。
「やあメアリ!元気かい」
「まあね。あんたはどうなの」
「悪くはない。悪くはないね!良好だと言ってもいい!素晴らしい一日だよまったく!今日は最高の一日だ、と表現してもいいかもしれない・・・・・・いや、それはだめだな。やめよう。最高は最後までとっておかなくちゃね」
何が言いたいのか分からないようなことをべらべらと話しながら両腕を振り回すあいつから少しずつ距離をとりながら、私は気になっていたことを質問してみることにした。
「ねえあんた、最近あのこのところによく遊びに行っているって聞いたけど」
「あのこ?あのこって誰だい?そんな名前の人間には、今まであったことがないな」
「バカ言わないで。あのこって言ったらあのこよ。大きなお屋敷の。あんたに会ったって言ってた」
「薔薇がたくさん咲いている?」
「そうよ。あんた、どうせ遊びに行っちゃべらべらしゃべっているんでしょう。よくないわよ、そういうの」
そんなことを言ったのは、今になって思えばちょっと気に食わなかったとか、いけ好かない相手に何か少し言ってやりたくなってしまったとか、それくらいの理由からだった。村一番の変人で通っているあいつに言ってみたところで、笑いながらごまかされるとか、いったいなんのことだい?とはぐらかされるとか、その程度で済むと思っていた。

「どうしてそう思うんだい?」あいつはめずらしく、ほんとうにめずらしいことに、いつもはりついているうさんくさい笑顔をさっと消して真面目そうな顔を作って見せた。村のどの子供ともちがう変な色のひとみがぎらぎらと光っている。

「どうして?どうしてって、どういう意味?」
「なぜきみがぼくの行動を制限しようとするのか、それが分からないよ。ぼくが彼女のところへ遊びに行って、楽しくおしゃべりして、それだけだ。うまくいってる。いったい何が不満だっていうの?」
「不満なんてないわよ。別に私は不満があるわけじゃなくて、あのこにあんたが迷惑かけないようにって・・・」
「迷惑?なにが迷惑だっていうんだ、僕はとても楽しんでいるし、彼女も楽しいって言ってくれてるよ。誰も迷惑なんて感じてない」あいつはばかにしたような、あるいはよわって動けなくなった野良猫か何かを離れたところから眺めているような、なんともいえない顔をして私を見ている。
「言ってないだけかもしれないでしょ」
「そうだね。言っていないだけかもしれない。でも事実迷惑だとは言っていない。そこが大事だ」
「大事?」
「大事なことだよ。本当に迷惑なら直接ぼくに言えばいいだけのことだ。でも彼女はそれをしていない。だったらそこまで気にしなくてもいいんじゃないかな?」

何を言われているのかちっとも分らなかった。もし仮にあのこが迷惑がっていないとして、だからと言ってそれをそのまま信じていいわけない。あのこはすごくすごくやさしいから、あいつが来ても追い払えないだけだ。だから私が代わりに注意をしなければならない。なのに、このよそ者は私の言葉をちっとも聞きやしない。
「きみが彼女をだいじにしようとしていることはわかったよ。でもそれは本当に必要なものなのかな?」
やっぱり変人と話すなんて時間の無駄だったんだ、と私は思った。



あいつと会って話をしてからの数日は、とてもあのこに会う気にはなれなくて、会いに行くことであいつの持っているよくないものが私を通してあのこに伝わっていくのではないかと不安で、部屋にこもったまま過ごした。言われた言葉の意味は結局わからなかった。考えようとすること自体、無駄だったかもしれない。おかしなやつの言葉なんかきくんじゃなかった。


「彼と会ったのね。楽しかった?」
久しぶりのお見舞いに持って行った花を花瓶に活けているとき、あのこはほほえみながら言った。目の前がまっくらになるような感じがして、近くにあったちいさなテーブルに手をついた。
「どうしてそう思ったの?」声が震えそうになるのを必死に抑えてきいた。
「なんとなくそんな気がしただけよ。もし仲良くなったのなら、うれしいなと思ったのだけれど・・・」
「仲良くなんて、そんなのじゃないのよ、ただ通りかかったからあいさつしただけなの、声をかけないのもよくないかなって思って、それで・・・」

口の中がからからに乾いて、自分がなにを言っているのかわからない。私はどうして焦っているのだろう?あわてて弁解するようなことはなにもないはずなのに、あいつと会ったことをへんに誤解されるのがいやで、頭に思い浮かんだことを端からべらべらとしゃべった。お天気が良かったから散歩しようとしたらあいつがいたの、あなたの家へ行った帰りに偶然会ったのよ、森から出てくるところを見たの、ずいぶんあなたのところに通っているみたいだったから、ちょっと注意しようと、だから仲良くなくて、だからと言ってけんかもしていないの、気にするようなことは何にもないのよ、信じて。
あのこは最初のうちすこし驚いたような顔をしていたけれど、だんだん小さく肩を震わせながら笑い始めた。
「ごめんなさいねメアリ、笑うつもりはなかったのだけれど。あなたがあんまり一生懸命に彼のことを話すのがおかしくて」
顔がかっとあつくなった。
ああこのこはなにもわかっていないのだわ、と思った。私はあいつのことを一生懸命話したかったわけじゃない。ただ誤解されるのがいやで、理由付けのために必死で言葉を探しただけだったのに。なにより、私には友達なんて一人で十分で、他のやつと仲良くなりたいなんてこれっぽっちも思わないのに。

そんなんじゃないよ、と私がなんとか絞り出した言葉も冗談のように聞こえたらしかった。あのこはにっこり微笑んだ。真っ白な顔の中であかい唇が弧を描く。
「メアリが彼のことを気に入ってくれて、わたしとってもうれしいわ」
やっぱり分かってない。私は弁解することを諦めかけていた。

「…ねえ、どうしてあいつと仲良くなったの?」
ふと浮かんだ疑問だった。どうしてこんなにやさしくて砂糖菓子のようにすてきな子が、あんなやつと、村でも変人として疎まれているようなあいつと、突然仲良くなったりしたのだろう?あのこは視線をちょっと窓の外へやりながら、彼はとても素敵な人よ、と言った。微笑みは消え失せていて、眉をほんのすこしだけ寄せた、私が今まで見たことのない表情だった。「わたしの知らないことをたくさん教えてくれたの。外の世界のことを。彼と出会ってわたし、いろんな所へ行きたいと思った。…やってみたいことができたのよ」

それは今までに聞いた言葉の中で、一番わけがわからないものだった。外の世界?なにを言っているのだろう?病気で立つことも歩くこともなかったあのこが、自分の部屋以外の場所を知らない彼女が、一体どこへ行こうというのだろう?そんなこと、できるわけがないじゃないか。

あのこはいつもお人形のように、塔に住むお姫様のようにそこにいた。私が着たことのない上等な洋服を着て、ふわふわした金髪をたくさんのリボンで結わえて、ほっそりした手は薄手のカップか縫い針かお気に入りの絵本しか持つことができないくらい、きゃしゃにできていた。折れそうなほど細い首に、小さな頭をのせていた。夢みたいに可愛らしい顔をした女の子。

これほど繊細な人間が外の世界に耐えられるとは少しも思えなかった。一歩足を踏み出すのだってだめだ。ひとつ深呼吸するのだってだめだ。この部屋にいた方がいい。ここにいれば完全に安全で、誰にも汚されることなく、何にも苦しめられることなく、美しいままいられるはずなのに。
「だめだよ」と私は言った。「ここから出てはだめ」気づけば私は泣いていた。


あのこは風が起きそうなほど長い睫毛をぱちりと動かして私を見た。「どうして泣いているの」
「あなたがばかなことをいうから」私はしゃくりあげながらなんとか言葉を返した。あのこは首を傾げたのち、メアリこちらへ来てちょうだいと言った。
私が近づくと、ここへ掛けてと言う。椅子に?違うわ、ベッドへ上がってちょうだい。
ベッドの横に置いてある椅子に腰掛けるのがいつもの決まりだったから、少し戸惑った。それでも私はあの子の言葉に従った。あの子はさらに言った。メアリ、わたしの目を見てちょうだい。

私は言われた通りにあの子の目を見た。ガラス玉のように透き通った瞳。つやつやした白目。くっきりした睫毛。血管の透けそうなほど薄いまぶた。私は礼儀を忘れて、顔を近づけてあのこの目に見入った。それほどに美しい目だった。ほんの数十秒のはずの時間が永遠に思えた。ずっとこのままいたいと思うほどだった。「目を見て、メアリ。じっとよく見て」言われずともそうしていた。逸らすことができなかった。私はひとつため息をついて、その目をさらによく見ようと身を乗り出した。



そのとき、私はあのこの瞳の中になにかを見た。



私は恐ろしくてたまらず、悲鳴をあげてあのこを突き飛ばした。怪我をしていないか心配する余裕もなく、あのこの家族に挨拶することもなく、私はそのままその家を飛び出してしまった。


昼過ぎに訪ねたはずなのに、あたりを見回すともうすっかり夜になっていた。満月には少し欠けるけれど、大きくまるまるとした月が黄色に輝いている。月があんまり明るいので目立たないが、よく見れば空のあちこちに星も見える。しんと静まりかえった空間のおかげで、気持ちはだいぶ落ち着き始めていた。

「やあ、良い夜だね」
足音と背後からかけられた声に振り向くと、最低なことに、あいつが立っていた。どうしてこんな時に、こんなやつと出会わなければいけないのだろう?あいつは例の口の端を奇妙にあげた笑顔でこちらを見ていた。「彼女のところへ行った帰りかい?」心の底から腹がたつ笑顔だった。

「あんたのせいよ」私は目の前の男が憎らしくて仕方なくなった。「あんたがあのこにおかしなことを吹きこむから!あのこが変な考えを持つようになったんだ!」
「変な考えって?」
「外に出たいなんて!今まで一度も言ったことなかったのに!」
あいつはわざとらしく首をかしげた。「口に出さなければ、思ったことにはならないのかい?」
「なんですって?」
あいつは月を背に両手を広げて、べらべらと話し始めた。両目がぎらぎらと光っている。

「彼女は変わったんだよ。変化を遂げたんだ。成長していくんだ。ずっと今まで通りでいられるものなんてないのさ。同じ気持ちでい続けることはできないのさ。君がどんなに留めようとしたって無駄だよ、彼女は彼女自身の意志を持ち、それを守り通すべきだ。出ていきたいなら出て行くのがよい。やりたいことがあるなら全てやってみてかまわない。外部の有象無象が言うことなんて気にしちゃいけない。彼女はもう、ほんとうに目覚めたんだ」

「何を言っているの?」私は声が震えるのを必死にごまかしながら言った。あいつの言葉は半分も理解できなかった。あのこについて何か言っているのだろうけど、頭がついていかない。目覚めたってなんのこと?ある時ふらっと突然現れたこいつが、あのこのなにを知っているっていうの?
「私はずっとあのこと友達で、長い間一緒にいたのよ。あのこのことならなんでもわかるの、何があのこにとって一番良いことであるかもね。部屋の外になんて出るべきじゃない」
「なにが彼女にとってベストであるかについては、ぼくたちちょっと意見が分かれるようだね」

「……君にもわかるように言うと、つまり今まで通りはもう終わりということだ。さあ、もう寝たほうがいい。家はどこ?送るよ」
あいつはさっきまでの真面目な顔を急にひっこめてにこやかに言った。これ以上私と会話する気はないらしかった。私は一人で帰れるからと断って、あいつと別れて歩き始めた。


どうやって玄関にたどり着いて、自分の部屋までたどり着いたのかは分からない。私はあれからしばらく眠り続けたようで、目が覚めてからもしばらくはぼうっとして、なにもする気が起きなかった。そのまま数日が経ち、気づけば誕生日の朝を迎えていた。

起きてすぐ、私はベッドサイドのテーブルに、見たことのない箱が置かれていることに気づいた。奇妙な文字のような模様のようなものが表面に書かれている。ほんの少し、甘い香りがする。私はリボンを解いて箱のふたを持ち上げた。

中に入っていたのは、いろんなベリーを飾り付けた小ぶりのケーキだった。つやつやと朝の光に照らされて輝いている。とってもかわいい。なんて素敵なプレゼントだろう!
私はこのケーキの贈り主を知りたくて、カードや手紙がないか探した。目的のものはすぐに見つかり、私はケースのはじに添えてあった、四つ折りになっていたメモを開いた。贈り主の名前はなかった。誕生日おめでとうのメッセージもない。紙にはただ、よく見慣れた文字で、「さよならメアリ」とだけ書かれている。

私はメモを握りしめたまま部屋を飛び出し、会った人全員にあのこのことを質問した。あのこを見なかった?あのこは今どこにいるの?母さん、近所の子供、村一番の長老、あのこの家族。
答えを知っている人は誰もいなかった。あのこのおばさまですら首を振った。どこにいるのか知らないばかりか、みんなは口々に私へ言った。ねえメアリ、誰のことを言ってるの?

村中を走り回って、足を引きずりながら部屋へ戻ると、かわいいケーキは朝開けた時のまま、つやつや輝いてそこにあった。
私はどうしたらいいのか分からなくなって、ベッドのそばへ座り込んだ。そのまま何十分も何時間も、涙がかれるまで泣き続けた。

あのこはいなくなってしまった。もうこの世界のどこにもいない。

さよならメアリ

さよならメアリ

友達のことをとても大事におもっていた女の子の話です

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted