入れ替わり
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あらすじ:
一度だけ、誰にでも入れ替われたら、どんな世界になるか
入れ替わり
その力は唐突に目覚めた。
朝の通学路、僕は長い坂道を息を切らしながら登っていた。夏の日差しにあぶり出された汗が伝う僕の横を、クラスの人気者である進藤が自転車で抜き去った時、僕は常日頃、彼に対して抱いていた「うらやましい」という感情を、いつも通り抱いた。
進藤は整った目鼻立ち故に、僕らが高校1年生になった時から一目置かれていた。
清潔感のある顔立ちはどこでも映えるものだ。テストで100点を取れば「天は二物を与えた」と持てはやされる。サッカー部の練習後、彼のあふれんばかりの汗は教師にまで青春の雫と呼ばれ、彼に登校時に出くわすことは異性にとって僥倖そのものだった。
そんな男を当初は激しく妬むことも疎むこともあったが、一過性の感情に過ぎなかった。
配られた手札を駆使してどう遊ぶかが重要であるという健康な信条で行動する僕にとって、彼に対する劣等感は時折靴に入り込む小石程度の気持ちに過ぎなかった。
今日とて進藤に対する特別な感情の噴火は無く、前日に特別嫌なことがあったわけではなかった。
ただ単純に、ごく自然に「入れ替わりたい」と思った。あいつの目から見たら、この坂道、この世はどれほど輝いて見えるのだろう。
そう思った直後、気づけば僕は自転車で坂を登っていた。
無理矢理つないだテープのように一瞬で切り替わった風景に面食らい、僕はバランスを崩し、車道で転倒した。
突然の変化に僕の脳は痛みを感じるだけの余裕もなく、あたふたと自転車を起こして股がろうとした。
「進藤君、血が出てるよ!」
横の歩道を歩いていた同級生の声に、僕は振り返った。前を向いた。横を向いた。
どうやらその同級生は僕のことを呼んでいるらしかった。肘を改めると出血が確認できたが、僕は自分が進藤と呼ばれている状況に追いつけず「あぁ大丈夫、そんな痛くないよ」とだけ答えて、自転車を漕ぎ出した。
トイレで傷口を洗おうとした時、鏡に進藤の顔が映ったのを見て、僕は改めて面食らった。
自分が腕を上げれば鏡の中の進藤が腕を上げる。僕が顔を近づければ、進藤の顔が近づく。
僕は進藤と入れ替わっていた。
「頭がイカれたに違いない」
そう思い、僕はごく自然に教室の自席に向かった。そこに僕が座っていた。
「俺!?」
僕は僕に叫び、同時に僕が僕に叫んだ。クラス全員が僕らに視線を向ける。僕ら二人、いや僕二人に。構わず僕が僕に呼びかける。
「なんで俺がそこに居るんだ」
「俺がしゃべってる!」
「お前は誰なんだよ」
「お前こそ誰だよ!」
埒が明かない会話に痺れを切らし、僕の声に怒気が混じり始めた。
「ちゃんと質問に答えろよ、なんで俺がそこに座ってるんだよ」
「知るかよ、お前こそなんで俺になってるんだよ」
小型犬同士が散歩中に出会ったときのように、僕と僕はキャンキャンと(声色は低いが)得体の知れない会話の応酬を始めた。
気がふれたようにわめき合う教え子二人を訝しみながら教師が「お前ら、コントでもやっているのか?」とおそるおそる尋ねた。
「違う!こいつが俺と入れ替わったんだ!」
「お前が俺と入れ替わったんだろう!」
「俺は自転車こいでたらいきなりお前になったんだよ!」
「俺は歩いてたらいきなり自転車こいでたんだよ!」
結局隣のクラスの担任まで巻き込んで僕ら二人は抱きかかえられながら教室を追い出された。クラスメート達は溜池の鯉のように口を垂らし、無言で僕らを見送った。
しかし別の教室を通り過ぎたとき、薄いドアの向こう大声の会話が漏れ聞こえて来た。
「私がすわってる!」
「え、何コレ!」
「私が居る!」
「なんで私が歩いてんの」
さらに別の教室、廊下、校庭からも似たような声があがり、僕は学校中が阿鼻叫喚に包まれていることに気づき、これまでの日常がちゃぶ台ごとひっくり返された感覚に心臓をつかまれたような緊張感と同時に、心臓が跳ねるような高揚感を覚えていた。
その不思議な現象が僕ら高校生に限られたものではないことを、大学生の兄から送られてきたLINEで知った。僕が思っていたよりも、遥かに混乱の規模が大きいことも知らされた。
早い者で、既に2週間前から「入れ替わり」は起きていた。
インターネットの掲示板で「入れ替わりは」瞬く間に周知の事実となり、クラスの人気者に始まり上司、胸だけデカいアイドル、芸能人を筆頭に入れ替わりが多発していた。
また、掲示板の情報によると、一人の人間が入れ替われる回数は一度だけで、入れ替わりをすると戻れないらしい。尤も、確認されている限りで2週間しか経過していないため、時間が経つと戻る可能性はある。確実な情報は無いと考えても良さそうだ。
また、一度入れ替わられた相手に別の人間が入れ替わり、はじめに入れ替わった人を追い出すことも出来るらしい。これを兄はダブルと呼んでいた。
入れ替わられた人々が自ら名乗り出るサイトまで生まれた。多くは一般人であったが、なかには著名芸能人の入れ替わりがサイトに上がることもあり、世間の注目を集めた。
観客と接点を持つことの多いスポーツ選手も多く掲載されていた。
コーチとの熱愛報道前後から急激に調子を落とした女子フィギュアスケーター、プロ入り後にめった打ちされ続けた甲子園のスター投手などが数年前から入れ替わられていたことを訴えたが、デマだろうと言うのが大半の見解だった。
なかでも女性問題で巷を賑わす歌舞伎役者や巨乳アイドル事務所の社長はニーズが多く、ダブルどころかトリプル、それ以上に及んでいる可能性が示唆された。
不幸なことに入れ替わりで乗っ取られた国民的アイドル「みるるん」の場合は、その後も一悶着があった。
「自分こそが本物のみるるんである」と名乗り出る者が大勢名乗り出たのだ。
みるるんのマネージャーは本人を探し出すべく、急遽オーディションを主催し、様々な質問で偽物のみるるんをふるいにかけた。当然本物のみるるんは自身に関わる質問に矢継ぎ早に回答していった。
「はじめて飼った犬の名前は」
「しばすけ」
「好きな食べ物は」
「ハンバーガー」
「好きな男のタイプは」
「自分の言うことを全て聞いてくれて私に一途で私の浮気は許してくれる金持ち」
「自分より人気が出そうな事務所の後輩を何人潰したか」
「たぶん3人くらい」
「本当は何歳か」
「29歳」
「趣味は」
「ねぇよ」
しかし困ったことに、上記を含む100問全てに正解した候補者が本人以外にも居たのだ。
「てめぇなんで私のことそこまで調べてんだよ、マジキモイんだよ」
「私が本物だからに決まってんだろ、この偽物め」
「だから私が本当のみるるんだっつってんだろ、てめぇみたいなファンはいらねーんだよ」
「ふざけんなブスてめぇ」
「言ったなデブてめぇ、ニキビ面しやがって」
「これは入れ替わられただけなんだよふざけんな畜生、体を返せ」
後に判明した事だが、オーディションの途中で関係者が入れ替わられていて、多額の金銭と引き換えに回答を横流ししていたらしい。
この問答が茶の間のニュースにそのまま公開されたことで、みるるんは従来の「癒し系アイドル」から「罵倒系アイドル」へと大きな方向転換を強いられ、あまりの豹変ぶりに多くのファンが涙を流しながら離脱した。
しかしその引き換えに特殊な趣味を持つコアなファンを新たに獲得し、素の自分をさらけ出しながらそれなりに楽しく活動しているようだ。
芸能人の入れ替わりはその後も面白半分に乗っ取ったり乗っ取られたりをしばらく繰り返した。入れ替わりを恐れて南米に逃亡したら、現地のファンに入れ替わられた芸能人も居たらしく、すでに入れ替わりが全世界的な問題になっていることが明らかになった。
しかし、芸能人の入れ替わりは氷山の一角に過ぎなかった。
日本政府による緊急事態宣言から半年が経過した頃、事態はさらに深刻になっていた。
大企業の機密情報を目当てに会社員や役員の入れ替わりが発生し、大きな社会問題となりつつあった。
最早どの企業が安全か知る由もなく株価は乱高下を繰り返し、資金の流れは完全に停止し、世界経済が大打撃を被った。
そんな中、入れ替わりに精通するスペシャリストによる「入れ替わり防止コンサルティング」が急速に注目を集めるようになっていた。とあるオフィスの応接室で、役員がコンサルタントの話に聞き入っていた。
「入れ替わりを成立させる条件は2つです。相手の顔を認識していること。そして、相手と一定距離まで接近すること。
極力ミーティングはSkypeや電話を用いて人との接触をさけること、外出の際にはサングラスとマスクを着用することで入れ替わりの大半は回避できます。
恒久的対策としては替え玉を用意して、自分は鼻や目を整形する、これを機に脂肪吸引で顔立ちを大きく変えるといったプランがアメリカでは人気です」
プレゼンテーションを一通り終えたコンサルタントがクライアントである役員に目を向けた。
「まだご不安のようですね?」
「えぇ、まぁ外部の人間との接触をさけるというのは分かるのですが、社内でも常に目を光らせなければならないと、人間不信になると言いますか…」
コンサルタントは目を光らせ、パソコンのキーをいくつか叩いた後、新しい資料を見せながら話を続けた。
「既にご存知かと思いますが、一度入れ替わった人間は二度と入れ替わりが出来ません。裏を返せば、一度入れ替わった人材は安全ということです」
「なるほど。しかし、過去に入れ替わっているかどうか、私には判断できませんが…」
「実は多くのクライアントから同様のご要望を伺っておりまして、オプションプランですが人材マネジメント支援もご用意しております」
コンサルタント曰く、独自調査によって構築したデータベースから、候補者の入れ替わり履歴を確認し、社内でも安全な人材を見分けられるそうだ。
その会社では結局言われるがままに人材マネジメントサービスを導入し、社内では「入れ替わり済み」の人間が重宝されて出世するのに対して、一度も入れ替わりをしていない社員が肩身の狭い思いをすることになった。
当然「入れ替わり済み」の出世頭が入れ替わられるため、社内全員が入れ替わり済みという企業が続出し、そういった企業は「社員全員入れ替わり済みマーク」を取得することで企業としての信頼を得ることが一般的になった。
どの国でも「妬み」や「競争」に触れる機会の多い社会人や学生から入れ替わりが完了し、やがて主婦層でも入れ替わりが完了すると、この珍妙な現象が発生してからわずか1年で世界の総人口の5割が、日本の総人口の7割が入れ替わりを完了した。
幼児をのぞくほぼ全員が入れ替わり済みとなり、勃発当初の勢いは消沈し、徐々に入れ替わりに対する恐怖は遠のき始めていた。
ようやく入れ替わり問題のほとぼりが冷め始めたある日の朝。僕はブラジルのサンパウロに居た。進藤に入れ替わったその日、混乱に乗じて学校を抜け出した僕は、進藤の特権を活かして街にナンパに出かけたところ、彼に憧れていた女子生徒に入れ替わられ、性別が変わった。味の好みも変わり、何を見ても「かわいい」としか言えなくなった。それ以外の感想をひねり出そうと頭を絞っても、「かわいい」としか言えなかった。不思議な感覚だった。
しかしその苦痛もつかの間、女子生徒に惚れていたブラジル人に入れ替わられ、今度は国籍が変わった。
そして、たまたまブラジルから日本に遊びに来ていた従兄弟に入れ替わられた。日本語がカタコトになり、ポルトガル語を流暢にはなせるようになった。そのまま僕はブラジルに帰国することになった。
家族のもとを離れる不安が無かっと言えば嘘になる。しかし、父も母もそれなりに会社で成功してステータスを納めていたこともあり、既に部下だか誰だかに入れ替わられていて、本人がどこに居るのかも分からない。
小さな反抗期を迎えていた僕にとって、どうせ見知らぬ人間と暮らすことになるのであれば、異国での生活に対する好奇心を満たす方が正解に思えた。
合理的な理由もあった。仮に自分に入れ替わったとしても、その後自分が入れ替わられたら二度と自分の体に戻れない。だとすれば入れ替わりのカードは事態が収束するまで取っておいた方が良い。
諸々考慮した結果、僕は新しい父母、ホルヘとマリアと共にブラジルの土を踏んだ。不思議と、初めて訪れる土地のようには感じなかった。
初めて出会う昔からの友達カルロスとホルヘ、新しい見慣れた家、食べなれないお気に入りのポンデケージョ、全てがチグハグの日常が始まった。
それでも見上げる空はいつもと同じで、吸い込む空気も同じ味がした。
やがて僕は異国での生活にも慣れて、一抹の寂しさを思い出すようになった。
わずか1年で世界中の人々が入れ替わり、家族は散り散りになり、人は休み、地球はつかの間の平穏を享受した。
やがて人々はまた動きはじめ、関わり、交わり、新しい歯車が回り始めた。
入れ替わり
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ここまで読んでくれてありがとうございます!
他にも短編を書いているので、もしよければ、
ぜひ一度以下のブログにも遊びにきてくださいね。
http://mypage.ameba.jp/