自称、魔法使いの少年

 自称、魔法使いの少年と出逢いました。
 少年は道ばたに倒れていたのでした。私は仕事の帰りで、夜の十時過ぎだったかと思います。雪のちらつく夜でした。このあたりで雪が降るなんて珍しいことで、私は子どもみたいに傘を差さずに歩いていた。
 もしもし、少年。
 俯せに倒れている少年にそう声をかけた記憶があります。死んでいたらやだなァと思いつつ、具合が悪いようなら救急車を呼んで、家族に引き渡すまでは一緒にいてやろうと考えていました。少年は背丈から見るに小学三、四年生のようでした。紺色のコートに深緑の半ズボン、深緑の半ズボンから伸びた牛乳色の細い脚を辿ると赤と黒のボーダーのソックスが、履いている靴はこげ茶色の革靴と、どこかのお金持ちのお坊ちゃまなのだろうかとしげしげ観察しながら、今度は少年のからだを軽く揺さぶりました。見た目の華奢さからもっと骨っぽい感触を想像していたが、少年は思いのほか柔らかかった。私は二度、三度と少年のからだを揺すりました。少年の背中に舞い落ちた雪が一瞬で溶けていく様に、私は十秒ほど目を離せずにいました。少年の紺色のコートはざらっとした生地だった。街灯のせいか、少年の牛乳色した脚は眩しいくらい白光していた。
 少年は変声期前の高い声で呻き、両腕を支えにゆっくりと起き上がりました。
 お姉さん、どなた。
 少年は言いました。私の顔を下から見据える少年の眼に、私はぎょっとした。少年の眼は白目が黒く、瞳が白かった。少年は目に被るか被らないかくらいの長さの前髪を指で掃いながら、からだの中から絞り出したような溜息を吐きました。「失敗した、また場所を見誤ったかなァ」
 少年が立ち上がった途端に、雪の降りが強まった気がする。紺色のコートに整列した金ボタンに、私は目を奪われていました。先ほどは確かに白目が黒くて瞳が白かったのに、なにやらぼやきながら洋服の汚れを叩く少年の瞳の白目は白く、瞳はこげ茶色をしておりました。
「キミは、迷子かな」
 私の問いに少年は一呼吸置いたあと、おもしろおかしそうに笑いました。ちょっと馬鹿にされたような感じがして、嫌でした。
「いいえ。僕は姉を探しに人間界にやってきました」
 ニンゲンカイ。
 マンガや本ではよく目にしますが、現実ではあまり聞き慣れない言葉に私は身じろぎました。友好の意味を込めて握手を求めようと伸ばしかけた右手を、すぐに引っ込めました。
 少年は饒舌をふるいました。少年のお姉さんは人間の男に恋をし、家出同然で魔法界(彼が住んでいる世界だそうです)を飛び出した。人間界にいることはわかっているが、どこに住んでいるかは知らない。少年はお姉さんを魔法界へ連れ戻そうとナントカの森の切り株にナンチャラという魔法をかけ、人間界に渡ってきたそうですが、降り立ったところが地上から三メートル上だったらしく、着地に失敗し地面に叩きつけられた少年は気絶していたそうです。そこに偶然、私が通りかかったという、まァ、フィクションの世界ではよくある設定よねと思いながら、少年の話を聞いていました。
 少年の頭がうっすら白くなり始めていた。おそらく私の頭も。
 少年は言いました。
 姉をたぶらかした人間を許さないと。
 その際に一瞬間ですが、少年の眼の白目が黒くなり、瞳が白くなりました。私は夢を見ているのだと思いました。連日の残業のせいで疲れているのです。次第に冷たくなってきた指先をこすり合わせながら、会社を恨みました。
「お姉さん、寒そうですね」
 少年が微笑んだ。すると私の手が突然カッと熱くなり、そのあと、なにやらごわごわしたものに包まれている感覚に陥りました。両手を見ると、なんと、パステルイエローのミトンの手袋をしているではないですか。こんな女の子らしく可愛らしい手袋、私は持っていませんし、なにより少年が微笑むまでは手袋なんかしていなかった。会社からここまで素手で歩いてきたのですから。
「プレゼントです。声をかけてくださり、どうもありがとうございました」
 少年はぴんと背筋を伸ばしたまま、腰から曲げるきれいなお辞儀をして見せました。魔法使いというよりはやはり身なりや所作から、どこかのお金持ちのお坊ちゃまにしか思えませんでしたが、パステルイエローのミトンの手袋は冷えて麻痺しかけていた私の指先を温め解してゆきました。
 ありがとう、小さな魔法使い君。
 少年はほんのり朱く薄い唇の両端をくいっと上げました。そして突如として吹き荒んだ雪の中に、魔法使いの少年の姿は消えていきました。
 その年、このあたりで雪が降ったのは私が遭遇したあの不思議な夜だけでした。

自称、魔法使いの少年

自称、魔法使いの少年

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-31

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND