コダマくんは雪の町に住んでいる

 コダマくん。
 そう呼ばれるようになってから一年と三カ月が過ぎた。
 ぼくの名前はコダマである。姓はない。
 コダマ、と名付けてくれたのは近所に住む龍太郎、現在、十四歳。ぼくは二十歳であった。
 それまでのぼくは、コダマ、なんて可愛らしい名前ではなくて、もっと角張った男らしい名前だった気がする。今でも誰かにその名前で呼ばれる夢を、ときどき見る。夢は所詮、夢であるが、その角張った男らしい名前を名乗っていた時期がぼくの記憶の断片の、さらに細切れにした一部分に焼き付いていることは確かであった。肝心の名前や当時の面容は、焼きが強すぎたのか焦げて黒ずみ、まるでわからないのだけど。
 朝、カーテンをしゃっと開けた瞬間や、夏でも氷みたいに冷たい井戸水で顔を洗っている最中に、また、まっさらなキャンバスに指を這わせ、表面の微妙な凹凸を楽しんでいるときなんかに、二十歳を迎える前の、コダマではなかった時代のぼくが、今のぼくを斜め上から眺めている気配を感じるのだった。
 なにはともあれ、今のぼくはコダマである。
 姓は、必要なときだけ、龍太郎の姓名である葉山を名乗らせてもらっているが、まあ、なくても差し支えなく生活している。
 今日もぼくは、朝の日課である三十分の読書のあと、テレビを点ける。
 テレビは、龍太郎の兄がくれた中古である。
 テレビは好きだ。騒々しくて、安心する。
 ぼくの住むこの町は、朝も、昼も、夜も、いつも真夜中みたいに静かで、雪が降った日なんかは、よく謂うところの「世界に自分しかいない感じ」を味わうことができる。
 ぼくは静寂のときの、あの、か細い金属音が断続的に耳をすり抜けていくような耳鳴りが、好きではなかった。だから、なるべくラジオやテレビは点けっぱなしにしておきたいのだが、ラジオはともかく、テレビの観過ぎはよくないと、一日に観る時間を決められてしまっている。龍太郎に。ぼくより年下だが、ぼくよりしっかりしているのである、龍太郎は。
 テレビでは犯罪心理学の専門家が、薪ストーブの上でしゅんしゅんと音を立てる沸騰した薬缶のように、熱く語っている。清々しい朝に不釣り合いな、陰鬱で、凄惨なニュースが、世界にはあふれている。
 窓からの陽射しは積もった雪の照り返しもあって、眩しいくらいに白い。
 犯罪心理学の専門家が出ているニュース番組では、一年と半年前に起こった殺人事件の、犯人に繋がるかもしれない情報が警察に寄せられたと報じている。殺人事件で亡くなったのは、四十代の女性。事件発生からの経緯を振り返り、改めて事件の残虐性を専門家が語っている。頭が痛くなってくる。ぼくには関係のない事件である。そんなことを言ったら、世の中の事件ほとんどが、ぼくには関係ないのである。
 琺瑯のマグカップにインスタントコーヒーの粉を二杯、三杯といれながらチャンネルをまわすと、仔猫の特集をやっていた。テレビ画面のなかで数匹のちいさな猫たちが、ひとかたまりに丸まり、ふわふわの毛を震わせ、くりっとした瞳を潤ませている。
 うちにいる猫にも、あんな無垢な時代があったのだろうが、どうにも想像がつかなかった。
 猫は、ぼくのペットではない。単なる居候だから、名前もない。
 あれは幼い頃から鋭い眼で、唾を吐き捨てながらひとり、世間を渡り歩いてきたにちがいなかった。あれを見ていると、何故だか胸が苦しくなってくる。血が沸き立ってくる。なにかを壊したい衝動に駆られる。すると、目の奥で赤い光が明滅し始める。ぱっ、ぱっ、ぱっ、と。明滅の間隔が狭まってくると、穏やかな笑みを浮かべた女性が現れる。ぼくは彼女に向かってなにかを叫んでいるのだが、なんと叫んでいるかはわからない。耳になにか詰まっているのか、そのくせあの、か細い金属音が断続的に耳をすり抜けていくような耳鳴りはするものだから、なおさらに苛立つのだった。
 気づくとあの虎猫に、拳を振りかざしているぼくがいる。
 猫は昨日、外に出かけたまま姿を見せないが、一日二日、彼が帰ってこないのはよくあることである。ぼくは知っている。近辺に点在する家々をまわり、寒さと飢えを凌いでいることを。いっそ、どこかの家の飼い猫にさせてもらえばいいものを、なにを想ってか、しばらくするとぼくのところに帰ってくるのである。いやなやつだ。自分のことすらままならないぼくを、傍で嘲笑っていたいのか、コダマになったぼくが最近はじめた絵を描く作業を、彼はじっと見ている。はじめたばかりなので仕事とは呼べないが、コダマになる前のぼくはそれなりに絵を描いていたのか、絵筆は指にすんなり馴染み、キャンバスに触れると描きたい被写体が自然と頭に浮かんでくるのだった。
 ぼくは薬缶のお湯をマグカップにそそぎ、木のスプーンでおもむろにかきまぜた。お湯をそそいだことで隆起したインスタントコーヒーの丘は、渦を巻いて、あっという間に溶けていった。
 そろそろ龍太郎がくる時間だ。
 葉山家で飼っているにわとりが生んだ卵を、学校に行く前の龍太郎が届けてくれるのだ。
「コダマくんの描く絵のひとは、いつもおなじひとだ」
 そんなつもりはないのだが、龍太郎はぼくが描いた絵を見比べて、そう言うのだった。
 髪が長かったり、短かったり、くちびるが厚かったり、薄かったり、顔が丸かったり、あごが細かったりするけれど、すべて同一人物であると龍太郎は指摘する。モデルはいるかと訊かれたが、いないと答えた。キャンバスに触れたときに自然と浮かび上がってくる被写体は、一様に女性ではあるが、ぼくの知らない人物である。てっきり架空の人物だと思っていたが。
 コーヒーをすする。
 にがい。
 にがいので、角砂糖をひとつ落とす。
 飲む。
 まだ、にがい。
 角砂糖をさらにひとつ、ふたつと、ミルクポーションを加える。
 毎朝、これをやるのである。
 仔猫の特集が終わり、テレビでは天気予報をやっている。
 きょうの天気は、晴れのち雪。雪は夕方から、明日の朝まで降り続けるでしょう。
 薪ストーブから薪が燃え折れる音が、一際おおきく聞こえたと同時に、ガラスの引き戸を叩く音がした。きっと龍太郎である。
 はあい、と返事をしながら向かうと玄関に、黒い学ランに深緑色のマフラーを巻いた坊主頭の龍太郎が、卵の入ったかごを抱えて立っている。
「おはよう、コダマくん」
「おはよう、龍太郎」
 ぼくはコダマである。
 名前を呼ばれて、きょうも、コダマくんとしての一日が始まるのである。

コダマくんは雪の町に住んでいる

コダマくんは雪の町に住んでいる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-31

CC BY-NC-ND
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