alive

プロローグ
 八月。私は東京と世界を繋ぐための国際空港にいる。
 だが、私の乗る便は、航空会社にあるものではない。
 自家用ジャンボジェット。持ち主は友人だ。その友人を待つ間、本を読む。
 ガラス張りの空港に射す夕日が、本の文字を明るく照らす。
 けれど、私の気分は落ち着かない。
 外国に行くのが初めてだからではない。
 そう、問題は別にある。
 一週間前の事であった。

1、発端

警視庁治安維持課一係。
 私、秋月リゼを含み全部で八人。新らたに二人増えた。
 隣の弓月アレンは同期で、警察学校からの相棒。
 御堂マリヤ。一係をまとめる係長であり、私の上司だ。
 柳ツカサ。元は一係の係長だったが、御堂さんにそれを譲った、ベテランの捜査官。
 蘇芳ライラ。私とアレンの先輩であり、普段はやる気のない素振りを見せるが、捜査の時は人一倍真面目だ。
 小梅エリ。私達の後輩で、情報収集能力に長けている。
「先輩、これ、書き終わりました」
 私のデスクの横に立つのは、二年前の事件で逮捕した集団の一人。
 茶髪にヘーゼルの瞳。
 クラリス・エアハート。イギリス人の彼女は、優れたクラッキング技術を持つため、特例により一係に配属。
 礼を述べ、彼女の報告書を受け取る。
 始めは私達に、というよりも仕事に慣れていなかったが、さすがに二年近くも経つと風格も変わった。
 特例が適用されたのは、私が上に掛け合ったためだ。
 彼女に試験を受けさせ、治警に入れた。しかし、数々の厳しい制限付きではある。警視庁の管理する社宅で暮らすこと、一人での外出には申請がいるなど、様々だ。
 それでも、彼女が私達の仕事仲間になるのには理由があった。
 クラリスが崇拝していた人物であり、二年前の事件の首謀者、リリス・カーライル。
 彼女がクラリスに宛てた遺書が死後、数日経って見つかった。奴が自分だけが逃げ延びるためにあなたを見捨てたのだと、私はクラリスに言った。
 しかし、実際は違ったようだ。
 彼女は取り調べ室で遺書を、涙を流しながら読んでいた。
 内容は聞かなかったが、彼女にとってこれから生きる希望になることでも書かれていたのだろう。
 自分の席へと戻る彼女を目で追うとそのことを思い出してまった。
 そして、彼女のデスクの横にいる眼鏡をかけた若い青年に視線を移す。
 私が仕事のことで声をかけると、怯えたような返事がなされる。
 そして、案の定仕事が出来ていなかった。
 責めることはせず、次からは気を付けるよう注意だけはしておいた。
 片目が隠れる程に少し伸びた髪の彼、日向ツバキ。
 クラリスの同期にあたる彼も試験を受けて警視庁治安維持課一係に配属された。仕事に関しては未熟だが、彼の正義感を好いているし、それは教育係という立場なのもある。
 一係も人が増えたことで、多少は捜査も楽になるだろう。
 そう思っていた私の予想は見事に裏切られた。
 ここ最近の犯罪件数がまた増えている。些細なものは一般刑事課が真っ先に解決にあたるのだが、私達にはその分厄介な事件が舞い込んでくる。

 東京二三区は、もう呼び名などなく、全て数字で呼称されている。
 一三区に一係全員で向かっている。
『現場は一三区から隔離区画に近いビル。犯人は数名のグループで、全員男です。人質を数名取って、立て篭っています』
 私とアレンが乗る車両のモニターを使い、小梅が事件の状況を報告する。
「また立て篭りか。しかも、今回は数人」
 アレンが疲れたように座席を少し倒す。自動運転にしているので、ハンドルを握る必要は無い。
『犯人は全員武装しているため、下手をすれば死傷者が出る。気を引き締めるように』
 係長の言葉に、全員が無線越しに応答する。

 現場に着き、早速準備を始める。
 車両のトランクに入っている、黒いケース。OPENという、私の声に反応してゆっくりと開く。
 中には、銃の形状をしたものが収まっている。
 犯罪者鎮圧用特殊銃『ハンター』。警視庁最上階にある、犯罪捜査のために作られた“テミスシステム”とオンラインで接続され、事件と状況を判断し、弾の種類が変わる。
 今回の立て篭り事件ならば、犯人はその場で射殺。炸裂弾が発射される。
 突入の前にブリーフィングが行われた。
「現場である階への行き方は全部で三カ所。エレベーター、非常階段、隣接するビルの窓。強引ではあるが、敵の意表をつくにはいいだろう」
 係長がそれぞれどこから入るか、班を分ける。
 C班、私とアレンは隣接するビルから。B班、小梅とクラリス、日向の三人は非常階段。A班は係長と柳さん、蘇芳さんがエレベーターで現場に直接赴く。

 隣接する隣のビルから、犯人達のいる部屋をスキャンする。
 私の視界には、ビル内部を透視したかのように内部の様子を伺うことができた。テミスシステムによる生体感知機能を使うことで、突入の際などに敵の居場所を把握することができる。
 中には全部で一〇人。全員がマシンガン、予備の拳銃を所持している。人質は五人。この会社の社員だという情報が表示される。
「C班、配置完了」
『B班、所定の位置に着きました』
『了解。私達A班が扉を開けると同時に、スモークを投げ入れる』
 それを確認したら各自突入せよ、そこで係長は無線をオフラインにした。
 係長達がエレベーターに乗り込むのが、スキャンにより確認できた。大きく深呼吸をして時を待つ。
 エレベーターが目的の階に着くのを確認し、私はハンターのグリップをしっかりと握る。
 そして、扉が開くと同時にスモークが投げ入れられた。
 私は窓枠に足をかけ、そこから犯人達のいるビルの窓に向かって飛び込んだ。床を転がった私の姿は、すぐに部屋を満たしたスモークで掻き消される。
 側の机を倒して身を隠し、生体認知システムの加護を受けて、スモークの中にいる敵に狙いを定めて一発撃つ。
 音で相手が爆散したことがわかる。
 相手も発砲を始めた。
 アレンが一人の攻撃を躱しつつ、接近して銃を弾く。そのまま、敵の胸ぐらを掴み、足をかけて地面に叩き付けた。
 引き金を引いたことで、倒された敵の体が爆散する。
 態々危険を犯してまで接近する意味は分からなかったが、彼の後ろに迫っていた敵に一発撃ち込んで援護した。
 ようやくスモークが晴れた時だ。
 部屋の奥。非常階段の扉を背後にした犯人グループの一人が、人質の一人を盾にしている。
 そこは、小梅達B班のいた場所だが、犯人から一番攻撃を受けていたので、離れないと危険が回避出来なかった。
 犯人の男は非常階段をそのまま下りていく。
 私とアレン、日向はエレベーターを使って下に下りることになった。
 犯人の逃走ルートの予想とそれの封鎖にとりかかる。
 端末から車両の操作を行い、道路を順に封鎖していく。
 その最中、私の後ろにいたツバキが謝罪する。
「まだ、完全に逃げられた訳じゃない。これから挽回してくれればいい」
 彼の肩に手を置き、努めて冷静に答える。すると、彼は力強く返事をした。同時にエレベーターが一階に着いたことを知らせる音が鳴る。
 開いた扉から見えたのは、人質を連れた男がビルから出るところであった。
 私はすぐに発砲する。しかし、当たる思われた所で扉に防がれた。
 そのままビルの外に出た男。
 だが、彼の横から車が走ってくる。
 治警に貸し出されている車両の一台が、人質を連れた男に接触する寸前に止まった。男は人質を掴んだまま倒れ込んだが、それで十分だった。
「動くな」
 男の頭部に銃口を押し当てる。
 身柄を確保して護送車に乗せ、警視庁に連行した。
 人質達は外傷こそなかったが、心的ショックを受けていると思われるので病院へと搬送される。
「皆ご苦労だった。人質、私達も共に負傷者はなし。よくやった」
 係長が満足したように告げる。
 犯人達の遺体処理は、医療課と鑑識課に任せて、私達は本庁へと戻る。

 係長は私達治警を纏める和泉局長の元へと報告に赴き、他の捜査官は報告書の作成をオフィスで行う。
 だが、私だけは休憩室に来ていた。煙草に火を点け、一服する。
 全身が怠い。椅子にもたれ掛かり、天井を見上げる。
 ここ最近は忙しいので、こうしているのが落ち着く。だが、辛いのは皆同じだ。私だけ弱音を吐いていたのでは示しがつかない。
 そんなことを思いながら、もう一度煙草を咥えた時だ。
 扉の開く音が聞こえた。入ってきたのは日向だ。
「報告書は進んだ?」
 私の問いに彼は、曖昧な返事をする。
 コーヒーの入った紙カップを手に、私から少し離れて隣に座った彼。
 少しして重い口を開いた。
「先輩、今日は本当に――」
 その言葉を遮るように私は掌を彼に向けて差し出す。
「気にしなくていい。日向、あなたはよくやってる。ここへ来て二年近くにしては、頑張ってると私は思う」
 すみませんと力なく謝罪した彼は、綺麗に磨かれた床を眺め、私は手を戻す。
 少しの沈黙が流れたが、それを終わらせたのは私の方だった。
「この仕事を始めた頃の話しだけど」
 突然話し出した私に驚いたが、彼はすぐに話を聞く態勢に入った。
「私はプログラムとかを弄るのが好きだったから、体を動かすことはないと思ってた。でも今はそうじゃなくて、現場に向かって犯人逮捕に勤しんでる。最初はこんなの合わないって思ったけど、慣れてみると案外できちゃうのよね」
 彼は力のない声で問う。
「なら、僕は何が合っていたのでしょうか?」
「それは分からない。私も最初はこうなると思わなかったって言ったでしょう。だから、あなたもこれから自分に役割を見つければいい」
 しかし、彼は戸惑いを見せて言う。
「なれますかね。先輩と同じように」
 私は煙草を一服して、吐く。
「同じようになんてならなくていい。あなたは、自分のペースで成長すればいいのよ」
 灰皿に押しつけて煙草の火を消した。立ち上がって日向に手を差し出す。
 私の手を取った彼は椅子から立って私に並び、共に一係へのオフィスへと歩き出した。

 立て篭り事件の解決から二日目、私は和泉局長の前に立つ。
 呼ばれた理由は思い当たらない。顔には出さないが、不安を感じていた。
「ここ最近、アメリカからの攻撃が激しいのは知っているかね?」
 局長の言う攻撃とは、物理的なものではなく、サイバー攻撃。ハッキングやクラッキングを行おうとする輩はどこの国でもいるが、この頃アメリカからのサイバー攻撃が頻繁に行われている。
 私は、知っていると答えた。
 なるほど、と局長は机から一通の封筒を取り出して、再び質問する。
 それは、私が出していた行方不明者の捜索願についてだ。
 二〇歳の時に出したもの。およそ九年になるが、未だにその人物は見つかっていない。
 それを覚えているかという問いに、私は答えた。
 何年経っていたとしても、流石に自ら申請した物の存在を忘れることはない。
 局長は納得したように頷いたかと思うと、先日の立て篭り事件に話しを変えた。犯人グループのこと。
 彼らは全員日本人では無かった。
 しかし、アメリカ人でもない。また別の国の人間だ。詳しくは現在調べている最中とのこと。
「それで、何故私が呼ばれたのでしょうか?」
 そろそろ目的を知りたいと思い始めた私は、自分から訊いてみることにした。局長は先程取り出した封筒の中を見るよう、私の目の前にそれを滑らせた。
 手に取り、中に入っていた物を取り出す。何枚かの写真だった。
 街頭カメラのものだろう。どこかの通りが写されており、人が沢山入り込んでいる。だが、そこに写っているのは、日本人ではないので、国外であることはそこで分かった。
 そして、気付く。全ての写真のほぼ中心にいるその人物。
 それを見た私の口からひと言だけ言葉が出る。
「父さん」
 そこには、私が見つけてほしいと捜索願を出した人。
 父である秋月カガリの姿が写っていた。
 驚きとも言えない感情が私の中で渦巻く。
 局長がその写真の経緯を話し始めた。
「アメリカの情報機関から送られてきたものだ。君のお父上で間違いないね?」
 写真を眺めたまま、はい、と短く答える。
「謎の外国人による不法入国。繰り返されるアメリカからのサイバー攻撃。そして、行方不明とされていた人物がそのアメリカで発見された。私には偶然とは思えないのだよ」
 私も同じ考えに至った。
 とにかく、身元不明の外国人の情報を集める必要がある。局長室を後にし、一係のオフィスに戻ると、全員取り調べ室にいると伝言メッセージが送られてきた。
 ちょうど良い、あの外国人について知る必要がある。
 取り調べを行っているのは係長、隣の部屋に残りの一係の全員が集まっていた。入ってきた私に挨拶した日向に返事を返し、アレンに様子を訊く。
「何とも言えない。相手は一向に質問に応じないし、話そうともしない」
 係長が翻訳機能をオンにした端末を机に置いて話す。大体の言語を解析して、翻訳してくれるため、相手に言葉が通じないとは考え難い。
 私は、取り調べ室への入室許可を申請した。
 許可が下りたので、私は入室する。
「係長、少し変わってもらってもらえませんか?」
 彼女は立ち上がると同時に、頼んだと、扉横の壁にもたれかかる。
 犯人グループの男の前に座る。俯いたまま私のことを見ようともしなかった。
「出身はどこ?」
 翻訳された機械音声が幾つか流れる。
 しかし、男は答えない。
「日本に来たのは、事件を起こすため? それとも何か別の目的が?」
 一向に答えない相手に質問を続けるが、時間の無駄だと判断した私は、あの写真を取り出した。
「この人を知っている?」
 男はゆっくりと写真を見る。
 すると、微かに反応を見せた。私の顔を真っ直ぐに見つめ、ひと言だけ述べる。
 どこの国の言葉か分からない。端末の翻訳も対応していない言語だと分かる。しかし、今の音声を解析することで、解析できるだろう。
 何と言っているのか分からないため、こちらの言葉も通じていなかっただろう。笑みを見せた私は、席を立ち上がる。
 続きは係長に任せ、一係のオフィスへと戻った。
 すると、アレンが後ろからついてくる。デスクにつき、何があったのか問われた。先程の写真を渡し、写っているのが、私の父だと説明する。
「行方不明だった父さんがアメリカで見つかった。アメリカは今、日本にサイバー攻撃をしかけてきている。ただ、誰がそれを行っているのかはまだ向こうも分かってないみたい。そこに謎の不法入国者。局長も言っていたけど、偶然とは思い難い」
 私の言葉に彼は、複雑な表情だった。「どうするんだ?」
 私自身もまだ悩んでいることをアレンが聞いてくる。
 深呼吸をして、決断を下す。
「局長に国外捜査の許可をもらうわ」
 その言葉にアレンは小さく笑う。何もおかしなことは言っていないはずだが。
 彼は笑うのを止めて言った。
「やっぱりそうじゃないとな。なんだかさっきのお前、いつもより怖い顔してたぜ」
 その言葉に多少引っかかるが、私も笑みを浮かべた。
 その後、私は局長に海外捜査の許可をもらいに行く。
 すると、彼は私が来るのを分かっていたかのようにすぐに承諾してくれた。
「但し、移動手段の確保まではできない」
 と言うのが局長の言葉で、それだけは自分で確保しなくてはならなかった。
 だが、許可をもらえただけでも充分だ。局長室から出た私は、歩きながら渡航のための移動手段を探す。
 アメリカには住んでいたことがある。生まれて直ぐ、父は私を連れてアメリカに立った。あのMOGシステムを脅かすテロ行為が起こっていたからだ。
 向こうにいたのは三年程で、日本に帰国して以降、行っていない。
 航空会社から搭乗できそうな飛行機を探してみたが、今の時代、外国へ行こうという人間は激減しているため、数が少ない。
 世界では未だに紛争が起きている。
 日本が一番の平和を保っているのだ。
 端末を睨むようにして歩いている所で通信が入った。
 ちょうどいつもの休憩室に差し掛かったので、中に入り、その通信に応じる。
「どうしたの、こんな時間に」
 相手は私の親友、神代(かみしろ)キルアであった。財閥の令嬢でありマフィアのボスの娘という表と裏の顔を持つ、私とは住む世界の違う女性だ。
『今度また海外に行くのだけれど、何か欲しいものでも聞いておこうかと思って』
 嬉しそうに話す彼女に、どこへ行くのか訊ねた。
『もう何度か行ってるけれど、今回もアメリカに行くわ』
 その言葉に私の意識が集中する。
「何を使って行くの?」
 私の問いに彼女は自分の所持するジャンボジェットだと答える。
 連れて行ってほしいと頼んだ。
 理由を求められたので、父がアメリカで見つかったこと等を話す。
 不法入国の事件については、流石にこれ以上の守秘義務を破る訳にもいかないので言わなかった。
 納得したキルアは、私を連れて行くことを了承してくれた。
 詳しい時間などについてはまた電話するということで通話が切れる。
 私はこの好機に胸が踊ったような気分であった。
 一係のオフィスに戻ると、皆も取り調べ室から戻ってきたところだったようで、係長に少し場所を移して話をしたいと申し出た。
 あまり人の出入りがない資料室で係長に国外捜査について話す。
 最初は厳しい表情を浮かべた彼女だが、大きく息を吐いた。
「何かあるのは分かっていた。何か写真を見せた途端に、犯人の顔色も変わっていたからな」
 すみませんと、勝手な自分の行いを謝罪した。
 すると、肩に手を置かれる。
「必ず戻ってきてくれ」
 係長は力強く言うと、資料室を後にした。一人残された私は、机に腰掛けて一息つく。

 その日の夜、キルアから連絡があり、四日後に発つと教えられた。
 私はそれまでに色々とすることがあった。
 何よりも日向に私の指示がなくても出来るようになってもらわなくてはならない。
 入って二年近く経つのだが、まだ教えきれていないことがあるので、この四日間はそれのために費やした。
 例の外国人グループの調査等を任せ、アメリカに発つ日を迎えた。
 キルアの自家用機は、空港が管理しているため、結局空港に赴くことになった。
 本を読む私に声がかかる。
 満面の笑みを浮かべたキルアと付き人である和久井キヨシが歩いてくるのが見えた。
 私と会う時、いつも彼女は自分の髪色と同じような白いワンピースを着ていたが、今回はシャツにデニムといった軽装だった。
「何だか珍しいわね、そんな格好」
「いつも海外に行くときは、こんな感じよ。向こうで目立つ格好はできないからね」
 対照に私は、いつものスーツであった。
 そんな会話の後、私は、改めて彼女に礼を述べた。
「問題ないわ。話し相手もいない空の旅ほど、つまらないものはそうないから」
 相変わらずといった調子の彼女に続き、乗り場に行こうとした時だ。
 キルアが来たのと同じ方向から再度、私を呼ぶ声が聞こえる。
 声の主は、日向であった。
 いつものスーツ姿で走ってくる。
「日向、あなたどうしてここに?」
 驚きを交えた私の問いに、息を整えて答える。
「鑑識課の川内(せんだい)課長から、これを渡すように頼まれたので」
 手に持っていた小さな箱を渡してきた。中は見ずに、それを受け取って礼を言う。 しかし、まだ何かを言いたげな彼。
 どうかしたのかと、問う。
 だが、彼の口からは何もありませんという返答と、お気を付けてという簡潔な言葉だけが発せられた。
 もう一度礼を述べて、キルアの元へと歩く。
 すると、何故か彼女が笑顔で立っている。いつものことなので、珍しい訳でもないが、理由を聞いても特に何もないと誤魔化されてしまった。
 ジャンボジェットに搭乗し、座るとアナウンスが流れる。乗客は私達三人だけだというのに、丁寧なものだと思った。

 キルアの所有しているこのジャンボジェットならアメリカの首都まで約一二時間で到着することが出来る。
 離陸して間もなく、私は寝てしまった。目が覚めたのは、日本を立ってから五時間ぐらい経った頃だ。
 隣では座席を心置きなく倒し、本を読むキルアの姿があった。
 和久井さんは私達から少し離れた場所で眠りについているのが見える。
「まだ寝ていても大丈夫よ」
 キルアが言う。
「大丈夫。何故か目が覚めてしまった」
 窓の外を眺めると、雲が見える。
 鉄の塊がこんなにも高い場所に来れるのかと思うと、何だかおもしろくなってくる。
「緊張している?」
 相変わらず本から目を離さない彼女に問われた。
「空の旅って、人生で三回目だから。緊張していると言えば――」
 言い終わる前に、彼女が私の言葉を遮った。
 「聞き方が悪かったわね。お父さんに会うのを緊張していないかということよ」
 その言葉に戸惑い、再び窓の外を眺める。ゆっくりと答えた。
「分からない。父さんがいなくなった時は必死で探した。だから、警察にも捜索願を出した。でも、いつの間にか忘れそうになっていたわ。その時、私は薄情な娘なのかもって思った」
「リゼは悪くないわ。そう思うのが当たり前よ。私も本当の父が見つかったと聞かされたら、今更どうすればいいのか分からないと思うもの」
 彼女は本を閉じ、座席から体を起こす。

 出発前の二日前、私はキルアの父に会った。
 彼女のいない時に家に呼ばれて。
「本日はお越しいただきありがたく思います」
「そんなに改まらないでください。お久しぶりです」
 キルアの家に何度か遊びに来たことはあるが、彼女の父である神代ギンジに会うことはあまりなかった。
「それで、ご用件は?」
 私は早速、話を聞く姿勢に入る。
 彼が話し始めたのはキルアのことであった。
 彼女の実の父親が彼でないことは知っていた。何故それを改まって話し始めたのか気になるが、私は続きを聞く。
「あの子は、私が援助している養護施設にいた子どもなのです。ひと月に一回は顔を出しているので、子ども達も私のことは知っていました。しかし、一人だけ窓から差す光を浴びながら本を読む女の子がいたのです。見たことのない女の子が」
 それが、キルアなのだろうと思った。
「彼女の隣に座り、私は何を読んでいるのか訊きました。まだ読める字も少ないであろう年の彼女が読んでいたのは、とても難解な本だったのです。他の子とも遊ばず、黙々と本を読む彼女に遊ばないのか問うと、私の顔を見ずに言いました」
『つまらないから』
 まるでキルア本人が目の前で言ったかのように、私の中で言葉が反芻された。
 その子の名前がないことを知った彼は、“キルア”という名を付け、自分の後を任せられる子どもとして引き取った。
 だが、この話を、私を呼びつけてまでする理由はまだ分からない。
 もちろん続きがあった。
「キルアを引き取ってから数日後です。電話がかかってきました。彼女を養護施設に預けたという男性から」
 私はそこからひと言も聞き漏らすことがないよう、神経を耳に集中させる。
「彼の名は秋月カガリ。あなたのお父上でした」
 私は驚きで満たされた気分であった。父がキルアを施設に預けたという話。
 もしそうだというなら、私が彼女と全く面識がなかったというのも、おかしな話ではないだろうか。
「リゼさん。あなたがお父上を探しに行くというのをキルアから聞きました。そこでお願いが3あるのです。彼に私の娘が一体どういう人間なのか、どこから来たのかを教えてもらいたい。私はもう二〇年以上キルアの面倒を見ましたが、未だにそれが分からずにいる」
 キルアの謎、それを教えてほしいというのが、彼女の父親の頼み。

 この機内での彼女との会話で思い出してしまった。
 キルアにはこのことを話していない。
 父に会って確かめなくてはならないことが色々とある。
 考え事をしていた私は、何かあったのか問われたが、何もないと答えておく。
「あまり考え込まないことね。会ってから決めればいいのよ」
 何を決めるかまでは言わなかったが、それを考えるのは私の役目だということだ。
 それからはたまに会話をする程度。
 最近読んだ本や仕事のことなど、普段会うときとあまり変わりはなかった。
 アメリカに着いたのは日本を発って一一時間と少しで、予定より早かった。
 『ワシントンD.C.』、この国の首都。
 バージニア州、ワシントン・ダレス国際空港のターミナルから出た私とキルア、和久井さんの三人。
 懐かしい。私が三年間住んでいたのはワシントンではないが、アメリカの空気を吸うのは実に二六年振り。
 それでも、何となくは覚えているのだ。
 自分が二〇代の最後に差し掛かっていることに時の流れを感じる。
「リゼはこれからどうするの?」
 彼女の問いに答えるように、迎えに来てくれているであろう人物を探す。
 すると、少し離れた場所に停まっている黒いセダンモデルの乗用車から誰かが下りてくるのが見えた。
 強く差す日差しを浴びるその人は、女性であった。サングラスに黒いスーツ、それに対照的なブロンド。
 女性は、私達の元に歩いてくる。
 しかし、近づくにつれてその速度は増し、最後には走っていた。
 そして、私に抱きつく。
 私が少し困惑した声をあげると、離れた彼女は笑顔で言う。
「リゼ、久しぶり。五年振りかしら?」
 サングラスを外した彼女の、ヘーゼル色の綺麗な瞳。クラリスと同じものだが、髪の色が違うので印象が変わって見える。
「覚えているに決まっているでしょう。五日前にエアメールを飛ばしたばかりじゃない、ジェシカ」
 私も笑顔で答える。
 ジェシカ・マルティネス。
 私がアメリカ住んでいた三年間、隣の家にいた女の子だった彼女。この国で初めてできた友達。それはキルアよりも前に。
 彼女は今回の事件の調査に当たっている『FBIサイバー対策部』の一員であり、私の国外捜査にあたっての協力を申し出てくれたのだ。
 五日前にエアメールを飛ばしたのは、そのためでもある。
「じゃあ、私はホテルに行くわ。これ、ホテルの住所」
 キルアは私に紙片を渡すと、ジェシカに一礼してその場を去った。
「独特な雰囲気の人ね」
 ジェシカが離れていくキルアの後ろ姿を見て感想を述べる。
「ジェシカ、早速で悪いけど、本部に案内してくれる?」
 私の言葉に頷いた彼女は、離れている車を時計型の端末を操作して呼び寄せた。
これは日本の技術だ。端末による操作も可能にされた車は、日本が国外に輸出した代物。
 スーツケースをトランクにしまい、助手席に乗る。
 FBIの本部がある首都ワシントンの町並みを見るのは、初めてであった。
 もっと楽しみたい所だが、そんな余裕はない。
 ジェシカが口を開く。
「一緒に入ってた写真見たけど、実際に見ると前よりも大人っぽくなったわね」
 自動運転に変更し、スーツの懐から私が送った写真を取り出す。
 私は彼女との連絡手段に手紙を用いている。これは現代においてとても不便である。メッセージを出すための手順が多い。
 そのため、手軽に送ることの出来る端末のメッセージはとても重宝されている。
だが、彼女はそれを嫌う。人の書いた文字を読み、自分の書いた文字を読んでほしいという彼女の拘り。
 その気持ちは何となくだが、同調できる部分があるので、私も手紙を使う。
 その際に、お互いの変化も分かるよう自分の写真を同封している。
「五年前からあまり変わってない気がするけどね、私」
 五年前、ジェシカが一度日本に来た。私の家に泊まった彼女と多くのことを話した。
 その後も何回か手紙のやり取りをしているので、私にはジェシカもあまり変わったように見えなかった。
「それで、今回の事件。アメリカはどう考えているの?」
 私の言葉に引き戻されたのか、写真を懐にしまい、真剣な面持ちで語る。
「アメリカが日本に行っているサイバー攻撃、これは私達でも捜査中なの。どこから行っているのか、誰が行っているのか分からない状況。国としては、必死よ。技術提供してくれる日本に恩を仇で返しているようなものだから」
「確かに、日本のお偉方はそう思うかもね。私個人としてはあまり気にしないけど」
 その言葉に彼女は苦笑する。
「相変わらずね。私もあなたに嫌われちゃうのは悲しいから、そう思ってもらえてるなら嬉しいわ」
 本部に着いた車は自動で停まる。
 下りてからジェシカが端末のボタンを押すと、ひとりでに本部の車庫へと入っていく。
 FBIの本部、ジェシカが所属するサイバー対策部のオフィスへと案内される。自動ノックがなされ、中から入室の許可が下りたことで、開く扉。
 その部屋の奥にあるデスクには、一人の白髪混じりの鋭い目をした男性が、立ち上がる姿があった。
「連邦捜査局サイバー対策部部長ジェームズ・クラークです。遠路からようこそ」
 こちらに向かってきた彼と握手を交わす。応接用ソファに私と彼が向かい合って座り、ジェシカは彼の後ろに立つ。
「今回の事件について協力を感謝します」
 私が言うと、ジェームズは首を横に振る。
「いえ、礼を述べるのは私達の方です。日本にサイバー攻撃を行う謎の人物、あるいは誰かが作ったプログラムかもしれない」
 彼は苦い表情をして言う。
 私は事件について、可能な限り分かっていることを教えてもらった。
 やはり、私の父が容疑者候補に入っていると教えられた。
 そこで、例の写真を取り出して訊ねた。
「これが撮られたのは、どこですか?」
 彼等の調べによると、撮影された場所はニューヨーク。
 私の目を見て、ジェームズは口を開く。
「彼が関係しているとは思いたくありませんが。目撃された日は何度目かのサイバー攻撃が行われた日」
 偶然とは言い難い、と和泉局長の言葉が私の脳内で思い起こされる。
「ですが、今ニューヨークに彼はいません。あなたがここに来るまでの間に捜索したのですが、発見には至りませんでした」
 では、今は何処にいるのか。それを訊ねると、ジェームズは申し訳ないと言ったように首を横に振った。
「分かりました。まずはニューヨークに向かおうと思います」
 その言葉に彼はお気を付けてと返す。一礼して部屋を出る際、ジェシカもついてきた。
 車に戻った私は、ここからどのぐらいかかるのか訊いた。
 旅客鉄道(アムトラック)なら四時間はかかっていたが、日本の技術を導入したこの車と、ルート選択二時間程で着くとルートの選択に入る。
 しかし、先に荷物を置きたいと思った私は、キルアからもらった紙を渡して頼んでみた。
 彼女は快く了承してくれた。
 ホテルへのルートに変更がなされた車は、その場所へと向かう。
 メリーランド州にある都市、『ボルチモア』。どの群にも属さない独立都市。
 向かう途中、先程の会話を再開する。
「FBIの仕事はどうなの?」
 彼女は面白い質問ね、と答える。
「どうって聞かれても、中々困るね。私はサイバー対策部に入ってもう八年ぐらいかな。未だに難解で悪質な事件ばかりで辛いけど、何故か楽しいと思える自分がいるの。事件を楽しむなんて不謹慎極まりないけれど」
 職種が職種なだけに、楽しいという感情は希有ではないかと思ったが、彼女自身がそう感じるのなら、態々言う必要もないだろう。
「リゼの仕事はどうなの? 日本は最近になって、犯罪件数が少し増えてると聞いたけど、一番平和な国なのでしょう?」
 今度は私に質問が来た。
 車窓から並んでいる建物を眺める。
 外の景色を見る限りでは、アメリカも大差はないように思えた。
 しかし、それはこの場所に限ってのこと。他の部分に目を向けずに決めつけることはできない。
「確かに平和かもね。でも、技術の発達した場所程、厄介な事件が多い」
 何故、と問われたので続ける。
「システム自体、又はその力を利用している私達の目を欺いて、捕まらないように知恵を働かせる。システムと同様に人も進化する。いや、逆の方が正しいのかもしれないけど」
 その答えにジェシカは笑ってみせた。
「なるほどね、技術の発展に伴い、犯罪者の心理と手口が向上すると。やっぱり、リゼと話していると楽しい。身近にあなたのような人がいてくれたら良かったわ」
「なら、日本に来て職を探す事ね」
 私も少し笑って、そう返す。
 
 ホテルに入り、フロントにキルアの名前で予約された部屋を訊ねた。
 三階の一番端にある部屋。
 礼を述べ、エレベーターで上がる。
 扉が開き、直ぐに左に向かって歩く。左右に別れた道。右側の一番奥が彼女の予約した部屋であった。
 スーツケースを引いて、そこまで歩く。
扉の前に立つと、中に誰か入っていないか先に確認するための、防犯用カメラの映像がホログラムディスプレイによって映し出される。
 そこには、ベッドの上で荷物の整理を行っているキルアの姿があった。
 映像を終了してノックすると、キルアが鍵を開けてくれた。
「悪いけど、またすぐに出ないといけないの」
 そう告げると、彼女はいつもと変わらぬ笑みを浮かべて、いいのよと言われた。仕事とは言え、私は勝手な行動ばかりしている。
 そんな私の考えがお見通しとでも言うように、彼女は両手を後ろに回し、顔を覗き込むようにして言った。
「じゃあ、今夜は私も誘ってくれない?」
 当然断る訳にはいかない。折角国外にまで来たのだ、キルアと一緒に過ごす時間は多い方がいいに決まっている。
 苦笑して、分かったと返す。
 私も荷物の整理を始めた。外にジェシカを待たせているので、必要最低限な物だけを取り出す。
 すると、キルアがある物を渡してきた。両膝に乗る程度アタッシュケース。
 開いてみると、中には自動拳銃(オートマチック)が入っていた。
 何故、こんなものを所持しているのか問う。
「この国ではあの銃は使えないでしょう? 護身用にしては大きいけれど、持っておいて損はないはずよ」
 理由は分かったが、どこで手に入れたのかと言う問いに関しては、秘密のルートだと笑って誤魔化された。
 ステルス機能付きのホルスターまで用意していた。
 警視庁でも使われているこのホルスターは、収まっている銃の姿まで消してしまう。そう簡単に所持しているとは思われない。
 ケースから取り出した自動拳銃をホルスターに入れて装着する。
 端から見れば、普通にスーツを来ているだけにしか見えない。
「あくまで護身用だからね。無理に使わなくていいのよ」
 彼女に礼を言い、部屋を後にした。
 だが、車に戻るとジェシカにはすぐに銃の所持が見破られ、銃の名前まで当てられた。
 サイバー対策部だが、色々な犯罪者を見たからこそ鍛え上げられた目だと言い、危険なこの国で生きるためであるとも言った。
 しかし、一般人なら見分けがつかないだろうと付け加えた彼女。
 私の不安は少しだけ軽減された。

 ニューヨーク。世界最高水準と呼ばれていた都市。
 今はもうそう思われていないが、それでもアメリカ内部では大きな都市であり、様々な店や施設がある。
 楽しみは夜にしようということで、私は父の写真が撮られた場所まで案内してもらった。
 街頭カメラの視界にある場所は、確かに写真と一致している。
「彼がその後、この辺で目撃される事はなかったわ」
 ジェシカが端末を眺めながら言う。
「この辺で聞き込みは行った?」
 私の問いに、付近の店に聞いて回ったと答える。
 しかし、彼はどの店にも入店した記録はなく、当然目撃者もいない。
 では、何故この場所に姿を見せたのか。一旦考えるのを止めて、ニューヨーク市内を意味もなく歩いてみることにした。
 その際、他に撮られた場所に差し掛かった時だけは、周辺を調べ、再度歩き出した。
 付近の店などに聞き込みを行ったが、やはり何も情報は得られない。
 すると、ジェシカが少し行きたい場所があると言うので、ついていくことにした。
 事件の捜査で来る際によく寄る店だと言って、一軒のレストランに入った。
 店の雰囲気は、静かで落ち着いた音楽が流れている。
 ジェシカは顔なじみである店主に挨拶をして、私を紹介した。
 席に案内され、メニュー表を開く。
 そこで私は、エッグベネディクトとクラムチャウダー、チーズケーキを頼む。初めて来た店なので、ジェシカの真似をして頼んだに過ぎない。
 最初に出されたマンハッタンクラムチャウダーは、何ともさっぱりとした味であった。
 ニューイングランド風の牛乳をベース
にしたものとは違い、こちらはトマトスープである。玉葱とベーコンの相性が良く、二枚貝もいい味をだしている。
 エッグベネディクト。ルイジアナで朝食としてよく食べられるが、発祥は諸説あり、ニューヨークという線が一番強いとされている。
 トーストされたマフィンの上にカントリーハム、ポーチドエッグを乗せ、オランデーズソースをかけた一品。カントリーハムの代わりにサーモンを乗せたものも出てきた。
 ジェシカの友人ということでサービスだそうだ。
 ありがたくいただく事にした私の隣で、彼女は豪快にもナイフで真っ二つに切る。私も同じように中心から二つに切った。
 すると、ポーチドエッグから出た黄身が綺麗な黄色を広げる。
 それがしみ込んだマフィンごと口に運ぶと絶品であった。
 最後に出されたチーズケーキ。ニューヨークチーズケーキの特徴としてチーズやクリームがたっぷりと使われているため、しっとりとした食感を残している。上にイチゴの乗せられたそれを全て食べ終えた私は、水を口に含む。
 日本では中々味わう事のできない料理に、私は自然と笑みを浮かべていた。
「考え事をするときはよく来るのよ」
 ジェシカが私の様子に微笑んで言う。
「確かに、いいね。このお店」
 店内を見渡しながら答えた。
「落ち着いた?」
 彼女の言葉に、この店に入ったのは、単に観光の一環ではなく、私を落ち着かせるためでもあったのかとようやく気付く。
 自分でも知らずの内に冷静さを欠いていたのか、悪い癖だ。
 店を出た私は、再度付近で聞き込みを始めた。
 しかし、同じく情報は得られない。
 焦らず、今日はじっくりと考えてから明日出直そうと思った時、ちょうどキルアから通話が入ったので,今日の捜査は終える事にした。
 彼女がこちらに合流するまでの間、ジェシカと二人で、車の中で待機する。
 道行く人を眺める彼女が漏らした言葉。「この前、飼ってた犬が死んだんだ」
 唐突に放たれたその言葉。反応出来ずにいる私の事も見ずに彼女は続ける。
「急に体調が悪くなったみたいで、夜通し病院で看病してた。けど、朝にはもう動かなくて、それでも体は暖かくて……」
 話しながら俯く彼女。
 突然、そのような話をしたことを謝罪するジェシカ。
「生きるって何だろうね?」
 そう問われて私は、自分の中での最適解を考える。
 しかし、その間にもジェシカは口を開く。
「私と一緒にいて、楽しかったのかな。そうであってほしい、死んだらもう何もしてあげられないから」
 暫しの沈黙。それは仲の良い友人同士のものとは思えない程に長く感じた。
 私は先程の質問の答えが、ようやく脳裏に浮き出る。
「生と死は、紙一重」
 ジェシカが私の顔を見る。
 それを横目で確認した私は、真っ直ぐに前を見ている用にして語る。
「死とは、生に付随するもの。死があるからこそ生があるとも言える。生きるとは、死に辿り着くまでにできることを探す時間だと私は思う」
 生きるものの全てに備わっている、死。逃れることはできないそれを前に、何が出来るのかを考えるのが生きるということではないか。
 私の言葉に、ジェシカは少し笑った。
 彼女の様子をみた私も少し安心する。何故、唐突にこんな話をしたのか問う。すると彼女は、自分でも分からないと答えた。
「きっと、リゼなら何かしらの答えをくれると思ったからなのかな」
 自問するように、そう呟いたところでジェシカは、車を走らせた。

 合流したのはキルア一人であった。和久井さんは彼女の代わりに、今回の取引相手との食事会に出席していると言う。
 彼女が、夜はアメリカらしい料理を食べたいと言ったので、ジェシカが昼とは別の店を紹介してくれた。
 連れてこられたのはハンバーガー屋であった。日本でも同じ物はある。
 しかし、店が違うからか、日本とは規格外の大きさのそれは、バンズとレタス、パティが通常より明らかに大きい。
「何故、あれが食べたいの?」
 私の問いに、キルアは静かに笑う。
「日本であれほど体に悪そうに作られたものを食べられないでしょう? だからこそよ」
 そこで丁度、 ウェイターが持ってきた皿に乗るハンバーガーを持ち上げた。キルアが豪快に一口齧り付く。
 その様にジェシカが口笛を吹いて拍手した。
 アメリカ人としてか、負けていられないと彼女も同じように頬張った。
 私も二人程ではないが、大口を開けて齧り付く。
 溢れる程の肉汁とレタスの水分が口の中に広がり、中和された気分だ。
 確かに健康に悪そうだが、美味しい事に変わりはなかった。
 昼を食べたのも結構遅い時間ではあったはずだが、その後も歩き回ったために、もう空腹に近い状態であった。
 そのため、割と早く食べきってしまう。満足感に浸りながらも、初日にして父の情報は何も得られなかったことを頭の片隅に置きながら。
 明日からは更に本腰を入れて探さねばなるまいと思いつつ、瓶に入ったコーラを口に流し込む。

 ジェシカにホテルまで送ってもらった時には、もう日付が変わりそうになっていた。
「ごめんなさい、明日も仕事があるのに」
「それは、リゼも同じ事でしょう。お休みなさい」
 そう言い残して、車を走らせて行った。シャワーを浴びる私は、壁に手をついて考える。
 もし、父さんに会えたら、何を話せばいいのか。
 実を言うと、手紙でやり取りをして、五年前にもあったジェシカとも、上手く接することが出来たとは思えない。
 そんな不安を拭い去るように顔を洗う。 今度はキルアがシャワーに入る間、私は端末を捜査して今日の進捗状況をメモすることにした。
 だが、出鼻を挫かれるように通信が入った。知らない番号。
 応じて、誰かを問う。
 少しの間が空いて、もう切ろうと思った時だ。
『明日、アラバマ州にあるエドマンド・ペタス橋に来てください』
 声は男のものであった。
 そのひと言だけで通信が切れ、かけ直しても番号が使われていないと返される。
端末が自動で音声ログを残しているため、録音された音声から誰かを割り当てようと検索した。
 しかし、外国では支給されたこの高性能な端末でも、出来ないことが多い。
 海外の人物検索などできなくて当然に等しいため、私は無駄な行動だと思い止めた。
 得体の知れない人物からの言葉に従うのは癪(しゃく)だが、もしかすると父に繋がるきっかけになるかもしれない。
 だから、この通信の指示に従うほかないのだ。
 キルアがシャワーから戻る前にベッドへと入った私は、いつの間にか眠りに就いた。

2、過ち

アメリカに来て二日目、私はアラバマ州を目指す。ジェシカの車を借りて運転し、後部座席にはキルアが座っている。
「電話の相手は、リゼのお父さんに関係しているのかしら?」
「分からない。でも、無視するわけにもいかなくて」
 突然の無理な頼みに謝罪するが、彼女は仕事の一環だから気にすることはないと言った。
 およそ五時間。長距離移動でも体が痛まないよう自動調整される座席から下りて、橋の入り口に立つ。
 ダウンタウンを出てすぐ、アラバマ川を渡る『エドマンド・ペタス橋』。
 セルマという町は、このアラバマ川に面している。
 その橋のすぐ横を、土手の草を踏みしめながら川原に下りる。
 昼下がりの日が照る今、私とジェシカはうっすらと汗をかいていた。
 キルアだけが平気そうな顔をしている。川沿いに少し歩いていくと、遠くを眺める一人の人物が立っていた。
 黒いトレンチコートに、同じ色をした中折れ帽。襟で横顔はよく見えないが、後頭部から対照的な白髪の男性であることが分かった。この真夏にコートとは不自然以外の何ものでもない。
 まだ少し遠い場所からなので、完全に誰かは把握できない。
 ジェシカとキルアを待機させて、私だけ歩み寄る。
 彼との距離二m程の所で、立ち止まった私は日が映える川を同じように眺める。しばらく何も言わなかったが、先に口を開いたのは男性の方であった。
「随分と綺麗なお嬢さんだ。私の愛した女性にとても似ている」
 低い声の彼は私の方を向く。
 私も同じく、彼の方へと全身を向ける。
「久しぶりだな、リゼ」
 笑う男性こそ私の父、秋月カガリであった。
 私の前から姿を消して約九年。
 アメリカに来てまだ二日しか経っていないというのに、目当ての人物はこうも簡単に姿を現したのだ。
 そんな父の顔を少し睨んで言った。
「久しぶり? ええ、そうね。あなたが私を捨ててもう九年よ」
 皮肉を込めて言ってやった。
 だが、私の心はスッキリとしない。
「何でいなくなったのよ。私には父さんしか……」
 その先は言えず、父に歩み寄った私は、ゆっくりと彼を抱きしめる。
 父の首元に私の頭が当たる。
 彼がコートを着ているせいか、暖かい。私の背中に少し躊躇うような動きをした手が触れる。
 次第に落ち着いたその手は、私の背に片手を、もう片方は頭に置いた。
「すまなかった」
 ひと言、少し震えた声で謝る父。
 何故か、私の目からは涙が溢れていた。

 数分後には私も父も落ち着いた。
 ジェシカとキルア、二人の友人に父を紹介した後、何故私が二〇歳を迎えたと同時に姿を消したのかについて彼が話し始めた。
「馬鹿げていると思うかもしれないが、私は今でも母さんのことを愛している。リゼにとっては憎い存在かもしれん。しかし、彼女を今でも探している。せめて、リゼが大人になるまでは側にいようと思っていた」
「だから、私が二〇を迎えた日に」
 許してほしいと懇願する父に対し、もう怒りの感情は皆無であることを告げる。
 実際に会うまでは、その感情はあった。しかし、いざ顔を会わせると不思議な事に嬉しさのような感情の方が大きかった。父が無事でいてくれたことに、安心したのかもしれない。
 それに私が一人でも生きていけると思うまではきちんと育ててくれた。それは素直にありがたいと思う。
「父さん、もう一つ大事な話があるの」
 そこで本題を切り出した。
 アメリカから日本にサイバー攻撃が為されていること、そしてその犯人の疑いをかけられているのが父であること。
 だが、父はそれを知っていた。
 むしろ、そうさせるのが狙いだったとでも言いたいようであった。
 どういうことか説明を求める。
 すると、彼が連れて行きたい場所があると言うので、車まで戻ることになった。運転をジェシカに任せ、その車中での彼の話に私は集中する。
「私がニューヨークに顔を出したのは、街頭スキャナに映るためであった。それは、お前にこの国に来てもらいたかったからだ」
「私をこの国に?」
 疑問に思うのは当然だろうと、彼は続ける。
「サイバー攻撃の首謀者を捕まえるためだ」
 それは、父が容疑を否認する言動であった。
「父さんが行っていたわけではないのね?」
 父は頷く。証明できるものはないが、私は信じる。実の娘として。

 父の指定した場所で車を下りる。一〇分程で着いたので、それほど遠くはない。目の前には大きな建物。
 ここが家だと、父が言う。
 中に入ると、何人かの男女が二列に向かい合って並んだ机、しかし間に人が通れる通路が開いた形で、デスクトップのキーボードを素早く叩いていた。
 父がその間を通る度に彼ら、彼女らは挨拶する。
 それに応じながら、真っ直ぐに奥の部屋へと入った。
 丸い机に沿って、椅子が円のように置かれていた。
「ここで何をされているのですか?」
 ジェシカが質問する。まずは座ることを勧められたので、それに従う。
 父はカップを四つ用意して、コーヒーを入れて持ってきた。
 キルアが私にミルクを渡す。
「ブラックは苦手だったでしょう?」
 礼を言って、それを受け取る。
 父はそれを聞いて笑った。
 私が今でもミルクがないとコーヒーが飲めないのは父の影響だ。
 昔、彼が傍らに置いていたブラックコーヒーを勝手に飲んだとき、あまりの苦さに気持ち悪くなった。
 それ以降、ミルクがないと飲めない。
「成長したと思ったが、まだまだだな」
 少し恥ずかしくなった私は、話を始めるように促した。
 コーヒーを一口含んだ父は、カップを置いて話し始める。
「ここで国から日本へ向けてのサイバー攻撃を行っている人間を探している。私達は極秘に作られた組織だ」
 その言葉にキルアが微笑する。
「随分とおもしろいことを言うのですね。政府の人間が絡んでいると?」
 ああ、と父が頷く。
「私はこの国に来てすぐ、妻の行方を探した。彼女がリゼと私の元からいなくなったのは、あのMOGシステム崩壊後の宣言から一年が経った時。それから一六年の時を経てアメリカに来た私は、まず政府に呼び出された」
 そこで、ジェシカが制止する。
「待ってください。何故政府はあなたの
ことを知っているのですか?」
 私も同じことを思った。その問いに彼は答える。
「私の会社はMOGシステムの運用に関わっていた。この国にも以前、リゼを連れて避難した時に政府の人間に会った」
 一緒に暮らしていた私は、父の仕事が何かを全く知らずに育っていたことを自覚した。
 いつも机に向かう父は難しい顔をしていたのを覚えている。
 でも、背後の私に気がつくと、いつも笑顔になって抱きかかえてくれたことも。
実業家であった父、私の祖父の仕事を引き継いだとは聞かされていた。
「MOGシステム崩壊後、しばらくは新たなシステム開発の援助していた」
 テミスシステムのことね、と私の言葉に頷く。
「私自身も開発に深く関わっていた。だから、妻を探しにこの国に来た私の腕を買いたいと言った政府の元で、身を隠して生活していた。君達の組織にも極秘でね」
 ジェシカの顔を見て父は言った。
 彼女がFBIだということは知っているようだ。
 ここまでの事を整理しよう。そう思った私は、気分を落ち着かせるために煙草を取り出した。
 ライターを出そうとしたところで、いち早く父が火を差し出す。
 礼を述べて、咥えたままの煙草を火に近づけた。
「母さんが見たら何と言うかな」
 苦笑しながら言う父に、私は表情を曇らせた。
 彼に一つ不満があるとすれば、母の事を口にすること。あの人の話は好きではない。
 それを拭い去るように煙を吐き出した私の隣から再び、ジェシカが質問した。
「では、何故アメリカに来たのですか? リゼのお母さん、あなたの奥様がこの国いたと確証が?」
「彼女が去る前に言ったんだ。“もっと世界を見る必要がある。まずは主要な場所から”と」
 だから、アメリカに来たと言うのか。
 それで彼女は見つかったのかという私の問い。
 そのような呼び方で母を示したことに対してか、今度は父が少し表情を曇らせた。
「私がアメリカに来た時、彼女はもういなかった。だが、ここに来て政府に力を貸していた私は帰国する機会を見失い、今もこの国を裏から援助している」
 吸い終えた煙草を父の用意してくれた灰皿に押し付ける。
 彼がアメリカで何をしていたのかについては終えようと提案した。
 もう充分知ることができたからだ。
 ここからが本題である。
「犯人の目星はついているの?」
 それは、件の日本に行われているサイバー攻撃の首謀者ついて。
 父は懐から何かを取り出し、私の目の前に置いた。写真であった。写るのは、白のスーツにサングラスをかけ、長めの金髪にあご髭を生やした男の姿。
「サムエル・ウルバーノ。スペイン出身の、所謂(いわゆる)マフィアのボスだ。何の意図があってかは知らんが、奴が凄腕のハッカー達を雇って日本へのサイバー攻撃を行っている可能性が高い。ハッカーよりも、マフィアや重役達の最近の動向を探った方が早く見つかったよ」
 写真の男について語り終えた父。
 キルアが写真を手に取る。
「つまり、彼を捕まえる。あるいは殺してしまえば、リゼの仕事は終わる訳ね」
 相変わらず物騒な物言いをする彼女だが、父は冷静に返事をした。
「それなら、すぐにでも本部に戻って奴の逮捕に乗り出さないと」
 ジェシカは思わず椅子から立ち上がる。
「彼はどこにいるの?」
 私の問いに、ジェシカを宥めようとしていた父は答える。
「ロサンゼルスだ。奴はそこにある別荘でバカンスを楽しんでいる所だろう」
 ワシントンから随分と離れた場所だ。
随分と呑気なものだと思う。
 それを聞いたジェシカは、早速本部に連絡を入れると部屋を出た。
「彼女は随分と仕事熱心だな」
 その様子を見た父が私に言う。

 夜は父の家に泊まることになった。彼の助手である研究者達は、それぞれ自分の家に帰るので、私達が泊まっても余裕がある。
 キルアとジェシカとは別の部屋。父の部屋でベッドを借り、彼は床で眠っていた。
 不意に目が覚めた。
 見回すと、父の姿がない。
 起き上がった私は、念のためにホルスターを取り付け、外に出る。
 家の後ろに流れるアラバマ川を眺めながら立つ父の後ろに歩み寄る。
 確認せずとも私が来たことを分かっているように話し始めた。
「ここではかつて、酷い人種差別があった。知っているか?」
 私は、知らないと答える。
 川沿いを歩き始めたので、私もその隣についていく。
「今からもう一五〇年以上前の話だからな、無理もない。父さんが生まれた時ですらもう一〇〇年は経っていたからな」
 ゆっくりと川の流れる方へと歩き続ける。
「世界の平等が謳われるシステムが出来るまで、人々は数々の過ちを犯し続けた。ここで起きた人種差別は有名でな、様々メディアを通して語られたらしい。差別を受けていた黒人の人々は、選挙権の獲得のため、大規模なデモ行進を実行した」
「そんな状況でデモなんてできるの?」
 私の問いに父は首を振る。
「行進があの橋を渡りきろうとした時だ」
 あの橋とは、アラバマ川を渡るあの橋のことだろう。
「警官隊が彼らの行く手を阻んだ。町へ帰れと言う警告にも動じなかった彼らに、白人の警官達は暴力による制裁を行った。無抵抗だった人々が怪我を負い、血を流した事件は“血の日曜日”と呼ばれている」
 その単語を小さく自分の口で言い直す。
「だが、一回では諦めなかった。何度目かで行進を止める者はいなくなり、彼等は自由の獲得のために歩いていった。その甲斐もあって、改善された方ではあるだろう。しかし、人が犯した過ちというものは消えない。いつまでも」
 父がなぜ私にその話をしたのか。
 それを問う。
 すると、彼は立ち止まって私に微笑みかける。
「母さんは、きっとそんな世界をよりよい方向へと持っていけるよう頑張っているはずだ。かつてあった過ちを知っておくことが大事だと言っていた」
 私の頭に手を置く。
 だが、半ばそれを振り払うように私は少し前に歩く。
「結局、あの人が関係しているのね」
 振り返らずに告げた言葉。
 父の声が背後から聞こえる。
「私は、もう一度家族をやり直したかった。ここに来た本当の理由はそれだったのだ」
 彼の顔を見ることなく答える。
「何となく、分かってた。でも、私はあの人と一緒に暮らしたいなんて今更思えないわ。父さんにとっては最愛の女性でしょうけど、私にとっては違う」
 そうか、と声だけで父が悲しんでいるのが分かる。
 振り返って言った。
「この話、もう止めよう。聞きたいことがあるの」
 私はキルアの父、ギンジから頼まれていたことを話す。
「キルアを施設に預けたのが、父さんだって、本当なの?」
 その問いに父は少しの間を置いて頷く。「何故、父さんがキルアを預けたの?」
 返ってきたのは、意外な返答だ。
「幼かったあの子を連れていたのは、私じゃない。母さんの方だ」
 また彼女が私達の会話に出てきた。
「どういうことか、説明して」
 私は彼の目を見て言った。
「三ヶ月の混乱が終わる直前に、お前を連れて帰国した。それは覚えているな?」
 問われたので頷く。
「日本に帰ってきた時、母さんはリゼに内緒であの子を連れていた。友人の子だと言われたよ。私は施設に預けるのを任されたに過ぎない」
 あの人の友人の子がキルアの本当の親だというのか。
「分かった。この話も、終わりにしましょう」
 キルアの出生については、父も詳しくは知らないだろう。
 しかし、ギンジとの約束は概ね達成できたと思う。
「期待に応えられず、すまない」
 いいのよ、と私は返した。
「明日にはロサンゼルスに向かうことになると思う。それで、父さんはどうするの? もう日本には帰らないつもり?」
 私の問いに彼は少し考えているようであった。
「私の居場所があるのなら、帰ろうか」
 苦笑する父。二人で家に戻る道中は、夏の夜にしては肌寒かった。

 翌日の朝、一旦ワシントンへと戻る私達は、家の前で父に見送られる。
「お前達が奴の元へ向かうのは、私からも政府に話しておいた。許可はすぐにおりるだろう」
 礼を言うと、厳しい表情で私を見た。
「気を付けるんだぞ」
 父は私を強く抱きしめる。私も同じように。

 ホテルに戻った私はスーツに着替え、銃の整備をしておく。
 ジェシカは部長への報告に向かった。
「気をつけてね」
 準備を整え、ホテルで待機している私に声がかかる。
 キルアは連れて行けない。
 当然、捜査には無関係だからである。
「大丈夫よ。相手がどう来るかは分からないけど、そんなに簡単に負けるつもりはないわ」
 言い終わると同時に端末に通信が入る。投影されたホログラムディスプレイには、ジェシカからだと分かるように彼女の情報が表示されている。
『リゼ、準備はできた? 部長が捜査部にも協力要請してくれたの。本部のヘリを出すから、今からそっちに迎えに行くわ』
 分かったと答えると、通信が切れた。
「行ってくるわ」
 キルアは部屋から出て行く私にひらひらと手を振る。いつも通りの笑顔で。

 迎えに来たジェシカの車に乗り、連邦捜査局本部へ向かう。
「奴は今もロサンゼルスにいるの?」
 自動運転に切り替えた彼女は、私の端末にデータを送信する。
「ロサンゼルスの西にあるサンタモニカに、奴の別荘があるわ」
 軍用ヘリでおよそ八時間はかかる。今回の突入に当たって、全部で三機のヘリが用意された。
 本部に戻った私は、彼女の上司であるジェームズに挨拶を済ませた後、捜査部の人間数名が乗ったヘリにジェシカと乗り込む。
 上昇を始めたヘリ。
 しかし、中は音を感じさせない程に静かで、充分過ぎる程にゆとりのある作りであった。
 ジェシカは真剣な面持ちで端末を操作し、サムエルの居場所を入念に調べているようだ。
 私はといえば、昨日父と遅くに川原で話していたこと、ヘリ内の静かな空間による、眠気に襲われていた。

 うつらうつらとしている私に、聞き覚えのある声がかかる。
「下手をすれば死ぬかもしれない場所へと行くのに、随分と呑気ね」
 その声で、眠気が一瞬で消え去った。
 ヘリに乗っているはずのない人物。
 この世にいるはずのない人物。
二年前、私の所属する治安維持課一係が追っていた事件の首謀者、リリス・カーライルが足を組み、あの時の姿のまま隣に座っている。
 すぐさまホルスターから銃を引き抜こうとしたが、何故か所持していない。
 それどころか、先程まで向かいに座っていたジェシカを含め、周りに誰もいなかった。
「そう慌てることはない。ここはあなたと私の二人きり。それに通常より広いとはいえ、ヘリの中。こんな場所で戦おうなんて気が起きないわ」
 余裕の笑みは相変わらずであった。
 ここで戦ったとして勝てるかも分からない私は、奴の存在を何とか忘れようと外の景色に目をやる。
「私がこれから行うのは、捜査の一環。正義による執行よ」
 まるで問われたことに、答えるかのように私の口からその言葉が出た。
 奴の笑う声が聞こえる。
「きっとそう言うと思っていたわ。あの時から何も変わらないのね」
「それが分かっていたなら、何故姿を現した?」
 私は奴を真っ直ぐと見据えて問う。
 組んでいた足を解き、立ち上がる奴の姿を、首を動かして追う。
「一つ忠告に来た」
 忠告、と私は聞き返す。
「正義の名の下で、然るべき処置として殺すというなら、迷わず殺せ。それが、生き残るための選択だ」
 突然目の前に現れて何を言うのかと思えば、結局は私に人を殺せという内容であった。
「状況による」
 私は出来るなら殺さない選択をすると誓っている。
 人を殺す事に無抵抗なこの女とは違う。「なら、それでいい。私を殺したあなたに簡単に死なれてはつまらない。どこまでやれるのか見させてもらうわ」

「リゼ」
 私は、名前を呼ばれて目を覚ました。目の前には不安な面持ちで、私の肩に手を置くジェシカがいた。
 いつの間にか、眠っていたようだ。
 そうだ、奴はもういないのだった。
 分かっているはずなのに、真剣に語ってしまったものだと思いながら、ジェシカに心配をかけた事を謝罪し、ヘリから下りた。
 もう夕日が顔を出している頃、私達はロサンゼルス、『サンタモニカ』の地を踏む。

 サムエルの別荘は、海辺の端にある。ヘリを下りてからは現地警察の使うパトカーを借りて向かう。
 モニターに示される目的地までの地図を観ながら、運転するジェシカが口を開く。
「こんな風に本拠地に赴くの、もう何回目かな」
「サイバー対策部なら、普通はデスクワークじゃないの?」
 ジェシカは苦笑する。
「たまに呼ばれるの。今回みたいに私達が協力している事件で、突入が必要になった場合なんかはね。初めて突入任務にあたった時は、思うように動けなかった。目の前で犯人グループの頭が弾けた時、私は思わず胃の中から全部吐き出して――」
 そこで、彼女は言葉を止めて片手で口を抑える。
 大丈夫、と声をかけた。
「今する話じゃないね。ごめん」
 無理もない。私だって、目の前で人が死ぬのを初めて見たとすれば、同じような反応をするだろう。

 車を目的地であるサムエルの別荘前に停めた私達。
 だが、妙に静かであった。
 マフィアのボスがいる別荘という割に、警備の一人も立っていない。
「本当にバカンスを楽しんでるのかしら?」
 ジェシカの言葉が本当ならいいのだが。FBIと日本人捜査官が現れるなど、当然知りもしない彼ら。それにプラスしてバカンスを楽しんで浮かれているとすれば、意表を突かれた彼ら全員を逮捕できる確率は格段にあがるだろう。
 二階一戸建ての白塗りの建物、海を眺める別荘としては理想的な物件だろう。
 入り口となる大きな門を左右から開けてもらう。
 私達は銃を構え、敵の襲撃の事も考えて用心する。
 だが、それが無意味な行為だと門の先を見て思った。
 車両の出入口であるカーブを描いたスロープには、黒いスーツを更に赤黒く染めている血まみれの死体が、幾つも転がっていた。
「これは……サムエルの部下だわ」
 近くの死体に端末をかざしたジェシカが、表示される情報に驚愕する。
 どうやら先客がいたようだ。
 私達は、別荘の内部に突入するべく、スロープの死体達を置いて走る。
 一階部分から伺える屋外プールも赤く染まり、ここにも多数の死体があった。
 私とジェシカは建物に入り、二階へと急ぐ。幾つか扉があったが、その中でも奥の、見晴らしがいいように作られた部屋の前に立つ。
 扉に手をかけ、慎重にノブを回す。私が小声で合図をすると同時に、二人で中へと突入し、銃を構える。
 だが、私達が銃を向けた相手は全て死体で、奥の方に苦悶の表情で荒い呼吸を繰り返す、サムエル・ウルバーノだけがソファに座っていた。
 奴の元に走り寄る。そこで、奴の腹部に銃創があることが分かった。
「警視庁治安維持課一係、日本警察の者だ。誰にやられた?」
 ホログラムで投影された警察手帳を見せる私の後ろで、ジェシカが病院に緊急連絡を入れる。
 奴は苦しみしながらも、何とか口を開く。
「日本の……警察。あんたが秋月……リゼか」
 初対面であるはずの彼に名前を呼ばれたことに驚きを隠せなかった。
 警察手帳を見せたのは一瞬だけ。今にも死にそうにしている男には名前まで見えたとも思い難い。
「あんたに……伝えろと言われた事が……ある」
 私は小さくなっていく奴の声を聞くため、口元に耳を近づける。
「大洋州にある『サルベリア』に……あんたに行けと伝えるよう……」
 そこでサムエルが吐血する。スーツに血がついた事など気にしてはいられない。「誰に言われた?」
 私の呼びかけに対し、更に息苦しそうにする奴は、何とか続ける。
「神は……そこにいる」
 その言葉を最後に、抜け殻のように力の抜けた体が、ソファにもたれ掛かったまま動かなくなった。
「まさか、死んだの?」
 ジェシカが目を見開いて訊ねる。
「私達よりも先にここに来ていた何者かに殺された。そして、その人物は私達がここに来る事を把握して、奴に伝言役をさせたんだわ」
 推測を話した私は、サムエルのものと思しき机のPCに目をやる。
 点けられたままのそれを調べると、メールの履歴を見る事ができた。
 ハッカーと思しき人物に送られたメールが何件も見つかる。
「父さんの言っていた事は間違いないようね。けど、こいつは使われたに過ぎない人物だった」
 その晩、サムエルの別荘の事後処理を行った。

 サムエル・ウルバーノのファミリーは壊滅に追い込まれる程の大打撃を受けた。ボスが殺されたのだから当然だろう。
 そんな彼の死から一日経った所で分かった事と言えば、彼に雇われていたハッカー達も殺されていたことぐらいだ。
 真相を知る者は誰もいなくなった。
 だが、まだ追う事は出来る。
 奴が言い残した場所、『サルベリア』。オーストラリアの近く、太平洋に位置する島国。
 昨年から突如、経済の発展を見せ、国内で起きていた紛争は終息に向かっているとのこと。
 そんな場所に行ったことはもちろん、呼ばれる心当たりはない。
 だが、行かない事には始まらないだろう。そう決断した時、日本から新たな情報が入る。
 サイバー攻撃の首謀者が亡くなった事を係長に報告した。それと交換する情報というわけではないが、不法入国者の身元が分かったそうだ。
『サルベリアだ。大洋州にある――』
「急速な経済の発展を見せる島国、ですか?」
 先に言うであろう言葉を私が推測して言うと、彼女は知っていたのかと納得する。
 これからそこに向かうことを告げる。

 国外捜査において、移動することは特に制限をかけられていない。
 ただ、残された期間は一週間。それを過ぎると、強制送還される。
 捜査はアメリカだけで終わると思われていたので、係長は当然理由を訊いてきた。
 首謀者であるサムエルが残した言葉について話す。
 すると、係長は意外にもすんなりと了承してくれた。
『そうか。何かあった際には連絡をくれ。私達も出来る限り協力する』
 礼を述べて通信を終えた私は、ホテルに戻った。
 部屋の前に立つ和久井さんが私を通す。ベッドの端に彼女が座っている。
「おかえり。昨日は大変だったようね」
 キルアが昨日と同じ笑顔で私を迎える。
ほぼ一日眠っていない状態なので、今すぐにでも休みたい所だが、彼女に話さなくてはならないことがある。
「お願いがあるのだけど、いいかしら?」
 アメリカに連れてきてもらった身分で、更に別の国に連れて行けという図々しい頼みを切り出す。勿論、事情はある。
 そのことを話す。すると彼女は、
「ここでの用事は済ませたし、暇だからいいわよ」
 と答えた。
 本当にありがたいと思う。
 明日にはもうサルベリアに発とうという予定変更が為されたので、その前にやることを済ませるべく、私はホテルを出てある場所へ向かう。
 FBIから借りた車に乗り込み、自動運転に切り替える。
 走り始めた車内で通信を入れた。相手は父だ。
『サルベリアに行け、確かに奴はそう言い残したんだな?』
 ええ、と私が答えると、少しの沈黙が生まれる。
『行くのか?』
「奴は、“神はそこにいる”と言っていた。何かあるに違いない」
 そうか、と力ない返事が返ってくる。
「今、そっちに向かっているの。会える?」
 私が訊くと、問題ないと答えた父は、昨日の川原で待っていると言った。

 橋の側に車を停めた私は、土手を下り、昨日と同じく川を眺める父に声をかける。
「サルベリアなんて行った事もないし、調べた事もなかった。そんな私を態々指名して呼びつける人間がいるはず」
 その問いに、父は首を横に振る。
「見当がつかないな。助手にもその国の出身はいなかった」
 私は父にこの国からのサポートを頼んでみた。サルベリアでの私の位置情報を常に父に知らせる事ができるように。
 彼は家に戻り、小型の発信器を手渡してきた。
「位置情報がされなくなった瞬間、FBIと日本の警視庁に通知が届くようになっている」
「警視庁にも?」
「FBIだけでは、リゼのために動いてくれるとは限らんだろう。だが、自分の所属する組織なら変わるかもしれない」
 私は父に礼を述べ、その発信器を受け取る。
「ねえ、父さん」
 車に戻るまでの道中、付き添ってくれた父に話しかける。
「日本に帰ってくる気はないの?」
 その問いに、難しい顔をする。
「お前が無事に帰ってくれるなら、政府に話してみよう」
 その表情は笑顔へと変わっていた。

 翌朝、私とキルア、和久井さんは空港にいた。
 アメリカにいた期間はわずか四日と短いものではあったが、目紛しく動く状況に疲労を隠せない。
「私は、サムエルの事後調査がまだ残っていて動けない。海外捜査の許可も下りなかった……」
 目に涙を浮かべ、謝るジェシカ。空港まで来てくれただけでも充分ありがたい。
「いいのよ、ジェシカ。また手紙書くわ」
 震える彼女の肩に手を置いて、抱き寄せる。
 彼女は、出来る限り上と交渉すると言った。
 私としては、彼女の立場が危うくなる事を望んでいなかったが、言っても聞かないので、無茶は絶対にしないようにとだけ伝えておいた。
 ジェシカとの別れを終え、キルアの自家用ジェットに乗ろうとした時だ。
 和久井さんだけが、別のゲートに向かうので呼び止めた。
 振り返った彼は話す。
「ボスから、私は日本に帰国し、アメリカでの事を伝えるよう言われました。そして、緊急の自体に備えての人員を集めておくようにも」
 彼自身は納得がいかないと申し立てたらしいが、ボスに強く言われては従うしかない。
「ボス」
 私の後ろにいるキルアに近寄ると、彼は頭を深く下げた。
「どうか、お気をつけて」
 そうひと言を残して日本に帰国するための搭乗ゲートに歩いていった。
 それを見送った彼女は、行きましょうと私を促す。
「良かったの?」
 ジェットに乗り、座席に着いた私は、隣で眠るかのように背もたれを倒すキルアに問う。
「いいのよ、彼は一番信頼しているから」
 それにと続けて彼女は、危険に巻き込みたくないからと静かに告げた。
 それは今までに見た事のない、友人としての神代キルアではなく、五〇〇〇人の部下を持つマフィアのボスとしての神代キルアであった。
「あなたも寝た方がいいわよ。これからが正念場でしょう」
 彼女を見つめていた私は、そう言われて同じように座席を少し後ろへと倒す。
 サムエルの事後調査の際にもあまり眠れていなかったので、私はすぐに眠りへと就いた。

 どれくらい眠っただろうか、目を覚ました私は辺りを見渡した。
 すると、キルアの姿が見当たらない。探すように背伸びをした私に背後から声がかかる。
「サルベリア、経済発展の急成長を見せる、大洋州に位置する島国」
 振り返らずとも、その声の主が誰か分かってしまう自分に少し嫌気が差す。
「内紛は終息に向かっていると言うが、果たして本当にそうなのかしら?」
「何が言いたい、リリス・カーライル」
 私の問いに奴は鼻を鳴らす。
「急速な経済成長を遂げた国、神がそこにいると言う言葉が何を意味するのか、興味深いと思っただけよ」
「あなたには関係ないでしょう。もうこの世にいない人間が」
 お互いの顔を見る事なく交わされる言葉の応酬。
 それを終わらせるかのような言葉を奴が言う。
「まあ、私を殺したあなたがどこまで頑張れるのか、せいぜい見させてもらうわ」

 そこで、目が覚めた。
 隣には心地よいといった感じで眠りについているキルアの姿があった。

3、血縁


 ワシントンからジャンボジェットでおよそ一三時間。
 大洋州に浮かぶ島国、サルベリアの首都空港に着陸する。
 その際、窓から軍のものと思しき車両が幾つか伺えた。
 ジャンボジェットから下りた私の前に、長身、痩身の男性が背後に同じ服を着た者達をしたがえ、下り立った私とキルアの前に一歩出る。
 そして、お手本であるかのような敬礼を見せられた。
「お待ちしておりました、秋月リゼ様。サルベリア国政府軍少佐、ウィリアム・ニールと申します」
 私も同じように敬礼をし、捜査協力に感謝の意を込めた挨拶を済ませる。
 すると、彼は私の同行者扱いであるキルアに目をやった。
「お連れの方ですね。神代キルア様、話は聞いております。それでは、移動しましょう。秋月様にはお会いになって頂きたい方がいます」
 彼に促され、軍用車両に乗り込む。
 車内は私達とウィリアムが後部座席で向かい合う形で座り、運転を部下が行う。サルベリアに立つ前、アメリカから私はこの国への国外捜査許可を申請した。返事は直ぐに届き、歓迎するとのことであった。
「あなた方の国を尊敬していますから。その日本を脅かす存在がもし、この国にいると言うなら、我々も全力で協力いたします」
「心強いです。お力添えに感謝致します」
 会釈すると、彼は柔和な笑みを浮かべて応える。
 だが、そんな彼に私の友人は嘲笑うかのように言った。
「捜査の協力ねえ。さっきから見てれば、この国は内紛も終息に向かっていると聞いたけれど、随分と野蛮に見えるけど?」
 彼女の言う通り、私達が今通っている公道は酷い渋滞に巻き込まれている。
 そして、ゆっくりと走るこの軍用車両を睨むような視線が路地やマンションのベランダから向けられているのが、車窓から微かに伺える。
 流石に長く続いた内紛が一年やそこらで全ては丸く収まるはずもない。
 無礼な物言いをする友人を制止しようとしたが、彼は声を上げて小さく笑った。「いや、これは手厳しいですね。お恥ずかしい話、私の掃討部隊は彼らと今でも殺り合っています。ここではない所で、ですがね」
 その時の彼の顔は笑っていたが、何故か引っかかる物があった。
 公道を抜けた車両は、速度を増してこの国のトップがいる議事堂まで入っていく。

「ようこそ、おいで下さいました。サルベリア国議長のローレンス・ソローです」
 平然と握手を交わした私だが、まさかこの国の議長と顔を会わせるとは思ってもみなかった。
 向かい合って座った私に早速、質問が飛ぶ。
「今回の捜査にあたってですが、アメリカで殺されたというマフィアのボス。彼がこの国の名前を出されたと」
 その問いに私は応え、質問を返す。
「彼は、この国に“神がいる”と死に際に私に向かって言いました。何か心当たりはありませんか?」
 だが、彼は首を横に振る。
「その神というのが、何を意味しているのかは分かりません。そもそも、神という存在はどの国にもいるものでしょう。アメリカにも、そして――」
 そこで一瞬の間を置く。
「日本にも」

 議長への挨拶を終えた後、ホールで待たされているキルアの元に赴く。
「何か怒っているようね」
 私の顔を見て言う彼女。確かに当たっているので、口調を強める。
「さっきのあれは失礼でしょう」
 全てを語らずとも、そのひと言で彼女がウィリアムに向けて車内で言った内容だと分かっただろう。
 彼女は独特なリズムを刻んだ足取りで扉の前まで歩く。
 そして、振り返った。
「そうね。リゼの仕事に支障を来すかもしれなかったのよね」
 楽しそうにしていたのかと思うと、突然しおらしく謝罪の言葉を述べ始めた。
 そして、私の顔を真っ直ぐに見据えて、「ごめんなさい」
 そう短く謝った。
 彼女も悪いと思っていたのなら、これ以上言う必要もないだろう。
 もう怒っていないと私が告げると、いつもの笑みを浮かべて議事堂から出た。彼女に甘い部分を治さなくてはと思う。

 軍の用意してくれたホテルに着いた私達は、荷物の整理をする。
 アメリカだけのつもりが、また別の国に行く事になるとは思っても見なかった。足りない物を買うため町に出ようとすると、部屋の見張りをしている傭兵に止められた。
「町に行かれるのでしたら、ガイド役の人間がいますので、必ず付き添わせるようにと言われております」
 今その人物を呼んでくると、小走りでその場から離れていった。
 この国では、治警やFBIのように端末の支給が行われていないようだ。そのため、位の低い兵なら自ら連絡に行かなくてはならないのだろう。
 少しして戻ってきた見張りが連れてきたのは、女性であった。
 私とそう変わらないであろう、端麗に整った顔の女性が名乗る。
「この度、ガイドを努めさせていただくことになった、クロナと申します。よろしくお願いします」
 深々と頭を下げた彼女に私も名乗る。すると、顔を上げた彼女に、何故かじっと見つめられた。
 何かあるのか問う。
 しかし、失礼と、踵を返して歩き始めた。
 少し疑問に思ったが、気にせずキルアと後ろについていく。
 出かける際には、軍の車両は使えない。もっとも、町の様子を先程よりしっかりと見たかったのでちょうどいい。
 乗用車に乗り込んだ私は助手席に座り、運転をクロナに任せた。
 外出の条件として加えられたのが、この国にある内紛地域には立ち入るなとのこと。
 そこまで念を押されると、単に危険な場所だからという理由だけではなさそうだと思った。
 道中、クロナに問う。
「何故、ガイド役を?」
 その問いに、彼女は笑顔で答える。
「本当はガイドというより、監視役ですね。私の他にも同じような役割を担う人はいます。外国人を歓迎しているようで、裏では信用しきっていないのがこの国です」
 笑顔でそのような事を語る彼女に私は、あまりいい返事は返せなかった。
 今度は、後部座席にいたキルアが問う。
「お勧めの観光スポットのようなものはないのかしら。捜査のためとは言え、少しぐらいは海外を楽しんでもいいと思うのよね」
 確かにそれもいいかもしれない。私もキルアの言葉に賛成した。
「町からですと、噴水公園が近いですね。ただ、内紛地域からそう遠くもないので、危険が伴うのですが」
 この国の争いがそんな身近な所で起きているとは思わなかった。
 もっとも、この国自体がそれほど大きい訳ではないので、離れていなくてもおかしくはないだろう。
「買い物を済ませたら、そこに行きたいのだけれど」
 私の提案に彼女は快く返事をくれた。

 サルベリア、セントラルタウン。この国の都市部として栄えた町。
 しかし、ウィリアムが言っていたように今でも内紛の尾を引いている部分があるようだ。
 車だと好きな場所に止めることもできないので、町に入る前に駐車場に止めて、歩いた。
 町の歩道を歩く。建物は全体的にくすんでいた。
 たまに視線も感じる。
「外国の方は珍しいですから」
 私が周りを気にしている事に気付いたのか、クロナが言った。
「見世物のようで申し訳ありません。どうか、気分をお悪くされないよう」
 謝罪する彼女に非はないことを告げ、買い物を始める。
 必要なものは一通り揃ったので、例の噴水公園に来た。
 中央に大きな噴水、その周りは大きな円を描いた地形の公園。
 別段変わったことはないが、左を向けば比較的栄えた町。
 しかし、右からは何やら爆発音と共に煙が上がるのが見えた。
「今日も統制軍と反乱軍が争っているようですね」
 クロナが厳しい目つきで煙を眺める。ここまでは来ないだろうが、特に見る所もないので、昼食が取れる場所を案内してもらうことになった。
 しかし、キルアは立ち止まって吹き出す噴水を眺めていた。
 彼女の側に歩み寄り、何かあったのか問う。
 彼女は真っ直ぐにそれを見据えたまま、
「懐かしい気がして」
 と呟いた。

 昼食のために入った店。
 私達の机に料理を置く時の店員は最悪であった。
 だが、キルアは笑顔であった。
「日本を尊敬しているから、か。随分な皮肉じゃない」
 店員の後ろ姿を見ながら言う。
「申し訳ありません。早く出ましょうか」
「いえ、気にしてませんので」
 実際、どうでも良かった。私はこの国と深い関わりを持つつもりもないから。車でホテルまで戻る最中、私は運転するクロナに問う。
 サンタモニカで聞いたサムエルの死に際の言葉について。
「神がいる、ですか。すみませんが私にも分かりません」
 彼女ならそれにまつわる観光の地となる場所などを知っていると思ったのだが、その地は政府に抵抗しようとする反乱軍の拠点になっているという。
 ホテルのロビーで彼女と別れ、部屋に戻った私は、端末で通信を入れる。
 投影されたホロディスプレイに映るのは、日本にいる私の相棒であった。
 アレンに、そっちはどうかと問われた。
「何とも言えないわね。色々と裏がありそうだけれど」
「危険な事だけはするなよ。無事に帰ってきてくれ」
 彼の真剣な言葉に私は微笑む。
「大丈夫よ」
 彼は安心したように、そうかと言う。
「こっちの国のこと、そっちで調べてほしいの。出来る限りでいいから」
 通信を切る前にそれだけを頼んでおいた。
 大きく息をついた私は、キルアの隣で、今日買った物の整理を始める。
 その中の一つ、袋を開けると中から紙が出てきた。
 二つ折りになったその紙を開く。
“明日の午後、噴水公園へお迎えに上がります。ご友人の方もお連れになって下さい。”
 丁寧な字で書かれた日本語。
 横から見ていたキルアにそれを渡す。
「面白そうね。私も、というのが」
 確かに、キルアはただの同行者という形で来ているに過ぎないはずだ。
 それでも私をここまで連れてきてくれ
たのは彼女なので、感謝している。
「行ってみる価値はあるかもね」
 その紙を洗面所で燃やす。念のための証拠隠滅として。

 翌朝、指定された場所に向かう前に準備の再確認を行った。
 キルアから借りたままの銃を装備し、日本を立つ際、川内課長からだと日向から預かった物をベルトから下げているバッグに入れる。
 今日はスーツで移動はしない。動き易いようラフな格好にしておく。
 準備を済ませたキルアも似たような格好であった。
 見張りの傭兵に昼から出かけることを伝えると、その際にはガイド役のクロナを連れてくると言った。
 車だけを貸してほしい所だが、それは叶わないだろう。
 窓際に備えられている椅子に座り、本を読んでいる彼女。
 私は向かいの椅子に座り、昨日の事を訊いた。
「噴水公園が懐かしいと言っていたけれど、以前も来た事あるの?」
 その問い彼女は、本から目を離さずに答える。
「いえ、ないわ。ただ、何故か見た事のある気がしただけよ」
 この国に来てから彼女は何かおかしい。今までに見せた事のない表情、初めて来たわけではないかのような言動。
 心配にはなるが、本人はむしろ今までで一番調子がいいと言う。

 昼になったので、外に行く事を伝えると、傭兵はクロナを呼んできた。
 運転は私がすると言い、真っ直ぐに昨日の公園に向かう。
 助手席のクロナに訊かれた。
「あの公園に向かわれるのですか?」
 彼女にもあの手紙をことは言えない。「少し待ち合わせをしている人がいるの。だから、その時には私と彼女だけにしてもらってもいいかしら?」
 手紙のことは言わないよう、彼女には大事な話があるという事だけは分かるように言った。
 頼みを受け入れてくれた彼女に感謝し、噴水公園近くに車を停めた。
 時刻は正午。それを知らせるかのように噴水がより一層激しく吹き出すのが見えた。
 そして車を下りた途端、キルアはそれを見入っていた。
 その背中に軽く触れる。
「ごめんなさい。やっぱり見た事があるのよ、あの噴水ではないけれど」
 頭に手を当て、何かを考えているようだ。彼女を支えようとした私の背後から声がかかる。
 振り返ると、スーツを着た若い男性が立っていた。
「秋月リゼ様、神代キルア様。お迎えに上がりました」
 キルアの様子を見た男性は何かあったのか問うが、それよりもまず彼が何者かをはっきりさせたい。
「自己紹介は後ほど。こちらに車を用意してますので、どうぞ」
 クロナを置いていく事になってしまうので、彼女には先に戻ってもらうよう伝える。
 帰りには知り合いの車で送ってもらうと言っておいた。
 意外にも彼女はすんなりと受け入れ、車を走らせて去る。
 男性の車に乗った私は、問う。
「何故私達を知っているのか、教えてくれないかしら?」
「質問にはお答え出来ません」
 その言葉に少し怒りを帯びた声を出す。「自己紹介は後ですると言ってたわよね?」
「もちろん、後でさせてもらいますよ。今ではなくてね」
 私は盛大に舌打ちする。
 男性は自動運転に切り替えると、バックミラーの角度を調整して後方を確認してから口を開いた。
「上の者に会ってもらえば全て分かります。神がいるという言葉の謎を、知りたいのでしょう?」
 何故彼がそのことを知っているのか。私はとにかく、これ以上のやりとりは無駄だと判断し、車が目的の場所に着くのを待った。
 後部座席からキルアがバックミラーに映る男性の顔をじっと見つめていることに気付く。
 男性も気付いたようで、後部座席のキルアに笑みを浮かべて問う。
「私の顔に何かついていますか?」
 キルアは首を横に振り、今度は彼女が問う。
「どこかで会ったかしら?」
 その言葉に彼は前に向き直ってから答えた。
「ありません。ですが、前世で会った事があるのかもしれませんね」
 その言葉にキルアは笑い、そうかもしれないと述べた。
 気障な男だと、助手席に座る私は思う。しばらく走った所で、周りの風景が変わり始めたことに気付く。
 栄えた町のそれではなく、辺りの建物は老朽化が進んだだけではない事を、無数の弾痕が訴える。
「ここは今も内紛の続いている場所です。昨日も政府軍にやられてしまいましてね」
 その口振りから、彼が反乱軍と関わりを持っている事が分かった。
 敢えて何も聞かないことにしておく。
 しばらく走った所で車が止まった。
 目の前には大きな建物が見える。
 ここで下りるよう言われたので、私は扉を開け、後部座席の扉を開けた。
 ありがとう、と礼を述べた彼女はいつもとなんら変わりはない。
 目の前の建物が何なのか、ようやく気が付いた。
 上を見上げると十字架が立てられている。教会であった。
「神がいるって、ここのことかしら?」
 彼は否定した。
 教会の扉を開け、ついてくるように言われたので、私とキルアは中に入る。
 そこには信じられない光景が広がっていた。
 教会と言えば、信者達が座るための椅子が備え付けられ、明るいイメージがあった。
 しかし、そこは椅子などはなく、ステンドグラスは割られて日の光が差し込んでいる。
 焦げの臭いに紛れて漂うのは、血。
 その臭いに思わず鼻を覆う私だが、男性はおろかキルアも、慣れているかのように真ん中の道を歩く。
 傷ついた人々が横たわっている。
 忙しなく動いているのは、治療をする者達であろうか。
 しかし、その数はけが人に対して圧倒的に少ない。
 鳴き声が所々から聞こえてくる。
 この世の地獄ではないかと私は思った。男性が近くでけが人を看護している男性に何かを訊いている。
 礼を述べた彼は振り返って言う。
「どうやら今は出ているようです。しかし、もう帰ってくるでしょう」
 私の様子を見た男性は、やはり外で待とうと、来た道を引き返させた。
 外に出た私は大きく呼吸をした。
 息を長く止めていたせいなのか、それともあの光景を見たからか、目には涙が少し溜まっていた。怒りを露わに問い質す。
「どういうつもり? 私をここに連れてきたのは、あの光景を見せるためか!」
 彼は先程までの笑みなどとうに忘れたかのような面持ちで、教会の近くに並ぶ劣化した建物を見回しながら落ち着いた声で言う。
「これが世界です。あなたは今の光景を見てどう感じたか。この国はもうずっと前からこのような争いが続いていた。今はそれが、政府軍と反乱軍の争いに変わっただけでね」
 何が言いたいのかと問う。彼は、待ち人が帰るまで少し昔話をしようと続けた。
「この国の内紛は、かつてA派とB派に別れていました。Aは新しい発想や変革を求める者達の集まり。Bは古き良きを大切に貫く者達の集まり。この二派が同じ国で暮らした時、争いが起きた」
 落ち着いた彼の声に混じったのは、同じく落ち着いたキルアの声であった。
「今ではAは政府軍、Bは反乱軍ということね。改革を求めこの国を良くしようという政府に対し、自分達の文化が犯されるのを恐れた市民」
 彼女の言葉に男性は力強く頷く。
 私もようやく口を開いた。
「だとすれば、ここで手当を受けている人は皆政府の意向、新たな文化の取り入れを恐れた人々ということ?」
「そうです。彼らは長い間戦い続けてきています。しかし、相手は変革を求める者達。当然海外からの援助もあるということになります」
 その言葉に私はまた少し怒りを帯びた声で質問する。
「なら、止めればいいでしょう。変革を望む者達と共に暮らさない彼らは、何を必死に守っているというの?」
 彼は冷静で重みを感じさせるその声で言った。
「人が人として生きる事が出来る場所」
 その言葉と同時に車の音が聞こえてきた。
 背後に目をやると、私達がここまで来た道路を走ってこの教会に向かってくる車が数台。
 中には、天井部を切り抜いて機銃が取り付けられたものまで伺えた。教会の前で止まった車を見た男性は、ちょうどいいと呟く。
 一台の車から複数の男性が下りてきた。他の車には女性も乗っている。
 男性はその集団の中心にいる人物に声をかけた。
 黒く、フードのついたマントを着ているので顔が見えず、性別がはっきりとしない。
「今日も無事で何よりです」
「また沢山の犠牲を出した……」
 震えた声は女性のものであった。後悔の念を感じているであろう彼女に男性は首を横に振る。
「彼らは戦う事を選んだ。死ぬという覚悟を持っていたからこそ。それはあなたが一番お分かりでしょう――」
 一瞬の間を開けて彼の口から述べられた名前。
「セリア」
 その言葉を聞いた瞬間、私の鼓動が早くなった。
 呼応するかのように震える足。
 何とか動かして、前に進む。
 こちらに気付いた女性は、フードの中から覗く瞳で私を捉えると、それをゆっくりと外した。
 露わになった女性の顔を見て、驚きしか持たない声で言った。
「何故、あなたがここに……?」
 私の言葉に、女性は何事かという表情を浮かべる。
 普通なら、私が問われるべきであろう内容の問い。
 しかし、今回の場合は私にも彼女にそのように問うことができる。
 私の目の前に立つ彼女は、幼い頃の私と父を捨てた時から、容姿の変わっていない、どうしようもない母親。
 清江(きよえ)セリアであった。

 この町には山があった。中腹にある景色を眺めるために作られたベンチの上に座る。
 父と再開したばかりだというのに、その父以上に顔を合わせていなかったあの人に会うとは思ってもいなかった。
 それは、彼女も同様であったようだ。私をここに呼んだのは彼女ではなかったから。

 数十分前。再開を果たした母と娘、本来なら仲良く話でもするのだろう。
 私の母であったあの人はゆっくりと問う。
「もしかして、リゼ?」
 名を呼ばれて我に返った。見開いていた目は彼女を睨みつけ、怒りが伝えるように口調を強めて声に出す。
「どうしてあなたが、こんな所にいるのよ?」
 その問いに彼女は、驚きと哀しみを混ぜたかのような表情で俯く。
「君を呼んだのは、私と仲間だ。理由も話す」
 男性が間に割って入る。
「大体、あなたは何者なのよ。そろそろ教えてくれてもいいのではないかしら?」
 冷静に見えるよう、しかし声に力を込めて男性に言う。
 勇水(いさみ)カイル、それが彼の名前。
 その名前を知っていた。かつて、日本だけでなく世界を混乱に導いた組織の一員に同じ名前があるのを、警視庁にある資料で読んだことがあったからだ。
 次に、車の方から声が聞こえた。
「そうよ。私と彼があなたをセリアに会わせるために仕組んだの」
 聞き覚えのある声。
 それは、私達のガイド兼監視役としてついてきたが、先に戻ったはずのクロナであった。
 状況が掴めない私は、頭で整理しながら問う。
「あなたがあの紙を仕込んだのね。どういうつもり?」
 返答次第では全員逮捕するつもりだ。実の親だろうが関係ない。私は親だと思っていないから。
 クロナが歩み寄ってくる。
「騙してごめんなさい。あの場所に潜入するにはこうするしかなかったの」
 彼女が手首にはめた端末を操作する。すると、彼女の全身にノイズのようなものが走り出した。
 ホロ投影だ。中から出てきたのは日本人の女性であった。
「本当の名前は御崎(みさき)クロエ。二〇年以上も前だけど、あなたのお母さんの相棒として一緒に仕事をしていた」
 二〇年、その言葉に引っかかるところが明確になった。
 何よりも気になるのは、三人の容姿だ。あの人もクロナであった人もカイルという男性も、多少の年は取っているように見えるが、明らかに若すぎる。
 私の疑問を察したかのように彼女は話し始めた。
「私達のかつての上司、そしてあのシステムの産みの親でもあった人が研究していた物があるの。“老化抑制技術”、名の通り老化を抑制して遅らせることができる技術のことよ」
 老化を遅らせる。噓のようなそんな技術をいきなり信じろと言われても信じきれない。
 しかし、今はそのことを置いておく。まずは、彼女達が反乱軍にいる理由を訊く方が先だ。
「そのことに関してはまた聞かせてもらうわ。それよりも、何故あなたが反乱軍の人間と一緒にいるのか答えなさい」
 母であった彼女を指差し、私は知りたいことの答えを要求した。
 応えようとしたクロエを手で制したのは、今でも俯いていたあの人であった。
「私が答えるわ。少しついてきてほしいのだけれど」
 私は渋々その頼みを聞くことにする。しかし、彼女はキルアも連れてくるように言う。
 また呆然と立ち尽くしていたキルアの背中に触れると、我に返ったかのように反応してみせた。
 具合が悪いのかと訊いても、彼女は問題ないとあの人の後ろをついていく。
 少し歩くと、複合商業施設についた。勿論、営業はしていない。そこが彼女達の一番の拠点とされていると言う。中には先程の教会と同じく、けが人がいたが、その数はまだ少ない。
 皆が皆、私とキルアの前を歩く彼女に頭を下げる。
 エレベーターを使い、屋上に上がった。その頃にはもう日が落ちて、夕日に変わっていた。
 屋上からは使われなくなったこの町をより分かり易く見る事ができる。
 落下防止のフェンスもない屋上の端から見た、夕日が映える町の風景をバックに、彼女は私の方を向いた。
 苦笑したその顔で訊ねてきた。
「大きくなったわね、リゼ。今仕事はしているの?」
 話してやるつもりなどなかった。
「関係ない話をしている時間はないの。あなたが何故ここにいるのか説明しなさい」
 相変わらず怒りを露わにした私の言葉に、彼女は怒る事はしなかった。
 自分にはその権利がないことを分かっているとでも示しているのだろうか。
「一年と少し前、突然この国が経済的成長を見せたことを知っているかしら?」
 その問いに頷く。
「私は、あなた達を置いてからずっとある物を探していた。そして、各国を渡り歩く内にここへと辿り着いた」
 ある物が何かを問うと、彼女は冷静で、落ち着いた声で続ける。
「かつて世界の全てを管理した究極のシステム。“MOG”システム」
 その言葉に私よりも反応を見せたのは、背後にいたキルアであった。
「MOGシステム――」
 呟いた瞬間、彼女は苦しそうに頭を抑えてその場に膝をつき、呻く。
 今まで見た事のない親友の姿に、私はどうすればいいのか分からず、ただ側に寄る。
 しかし、そんな私達を見つめるあの人は、冷静な声で言った。
「思い出した? 以前のあなたのことを」
 何を言っているのか、苦しむキルアの隣で、厳しく追求する。
 彼女は厳しい表情で私を見て、言う。
「彼女は、私があのシステムの崩壊の時に預かった女の子。元MOGシステムの中枢として生きていた人間よ」
 その言葉が、私には理解できなかった。聞いたのに、頭には意味が入ってこなかった。
 キルアがシステムとして生きていた? そんなはずはない。私は中学の時から彼女と親しかった。
 私が頭の中で様々な考えを巡らせていると、苦しんでいたキルアが鎮まった。
「キルア?」
 心配して、名前を呼んで問うと、彼女はゆっくりと立ち上がった。
 呆然とした表情で彼女の口から出た言葉は、
「ここにいるんだね、カノン」
 という誰かへ向けたものであった。
「やはり、あなたには分かるのね。亡白ハイネさん」
 あの人がキルアに向けて聞き覚えのある名前で呼んだ。
 それは、確かにかつてMOGシステムの中枢として生きていた人の名であった。
 そう呼ばれて、キルアは笑った。
 しかし、いつもとは様子が違う。
 言うなれば、彼女の体、顔をした別の誰かが笑っているかのような。
「ええ、思い出したわ。ここに来て、薄々と感じていたこの感覚も、今ではあの時を思い出させるものになっている」
 キルアの中にいる人物が、あの人に笑いかける。
 思わず立ち上がった私は、親友である彼女の名前を呼んだ。
 しかし、こちらを見たキルアの顔は相変わらず、別の者の笑みであった。
「清江さんの娘さんよね。秋月リゼさん。警視庁治安維持課に所属して、コーヒーはミルクがないと飲めない。好きな本のジャンルはSF、音楽はロックを好む」
 見た目が自分の親友なので、知っていても違和感は多少薄れるが、やはりキルア本人ではない。
「あなた、本当にあの亡白ハイネだと言うの?」
「今はね。この体の持ち主はもうあなたと仲良くしていた、神代キルアという人格のモノだから、本来の主導権は彼女にある」
「じゃあ、返して。私の親友に戻って」
 私は厳しく要求した。
 しかし、彼女は少し待てと言う。
「知りたくないの? あなたの親友がどうしてできたのか」
 キルアの皮を被った亡白ハイネは、私に問う。
 確かにそれは気になることであるので、私はあの人に説明を求めた。
 清江セリアは話す。神代キルアという人物について。

 MOGシステムの崩壊後、亡白ハイネはその生涯を終え、新たな生を受けてこの世に舞い戻った。
 少女の体で戻ってきたハイネを、セリアは大切な親友から任せられる。
 だが、自分にはまだ使命があるとしたセリアは、夫の秋月カガリに彼女を施設に預けてほしいと頼んだ。
 カガリは事情を探ろうとはしなかった。そして、彼が彼女を預けた養護施設が神代ギンジの援助しているものであった。
 二人ともギンジが引き取るまでの一ヶ月間、キルアの元に顔を出していたという。
 セリアはMOGシステム崩壊から一年が経った所で、日本を離れた。夫と娘を置いて。

「じゃあキルアは、あの子は以前システムの中枢として生きていたというの……?」
 私の力のない問いに、彼女は頷く。
 横では相変わらず、笑みを浮かべる亡白ハイネの姿があった。
 ハイネはセリアに問う。
「そういえば、あの子もいるのでしょう? ここは、MOGシステムが生きている」
 その言葉に頷く。
 そして、私に顔を向けた彼女は自分が何故この国に来たのかという理由を話し始めた。
「あなたの言う通り、ここにはあの子がいる。志弦カノンが」
 聞いた事のある名が、また出てくる。私の母の親友であった女性の名だ。
「システムは崩壊したと思っていた。でも、日本政府は国外に何かを輸出した。私は、それが何かしらの方法で残ったシステムだと思っている」
 それを探すために、彼女は世界中を旅したというのか。そんな確信の持てないものを探すために。
「ふざけないで! あなたはいつもそうだった。私と過ごした一年間もことあるごとにその名前を出して、そして私達を捨てたんだわ。父さんは今でもあなたを愛していると探していた。その思いまで裏切るの? そのために、老化を遅れさせる程にその親友が大切だと言うの」
 興奮したせいか、母に失望したせいか、目に涙を溜めて大きく呼吸をして叫んでいた。
 そんな私を見ずに、彼女はただ謝るだけであった。
 堪らず、私はその場から走り去る。彼女は追う事もしてこなかった。

 リゼが去るのを見届けた後、ハイネの意思が入った体は糸が切れたかのように倒れるところであった。
 セリアは慌ただしく、彼女の体を支えた。
 目を開いたハイネは、もう彼女ではなく。元の神代キルアとしての人格に戻っていた。
「あなたが、私を預けたのですね」
 立ち上がったキルアは、背を向けてセリアに言う。
「話を聞いていたの?」
 セリアの問いに、彼女は自分の深い場所に意識があったと話す。
「あの子は、一度も私を母として呼んでくれなかった。でも、当然のことよね。私は母として、人としても最低な行いをしたのだから」
 寂しく、哀しそうに俯くセリアに向けてキルアは声をかける。
「今は気持ちの整理が出来ていないだけでしょう。心配しなくても、リゼは優しく、そして強い人です」
 そう笑って見せる彼女の方が、本来は混乱していそうなものだ。
 自分がかつては神のシステムとして人生を送っていたなどと言われれば、普通は困惑するだろう。
 だが、キルアは以前から自分がただの人間でないと感づいていたという。
 彼女にはまだ微かだが、視認できない、MOGシステムの力が働いている。

 母とキルアを残した私は、建物から出た。とにかく一人になりたかったから。
 町から山の方へと進んでいく。
 納まらぬ怒りを鎮めるため、いつもより速い歩速で、煙草を咥えて火を点ける。
 吐いた煙が自分の後ろに逃げていく。山はそう遠くなかった。
 それ自体も大きいことはなく、登り始めて一〇分程で景色を楽しむためとして作られたであろう、休憩場所に着いた。誰一人としていないその場所に備えられたベンチに座る。
 あの人は、母は今でも変わらぬ思いで親友のことを探している。そのために私と父さんを捨てたのだ。
 この国で、もしかすると生きているMOGシステムの変革を恐れたB派の一員、いやそれを率いるクラスの人間として活動しているのだろう。
 自分の国でもない場所が、どう変わろうと自由であろう。そんなことに手を貸して何の意味があるのか。
 新しく火を点けた煙草の煙を吐き出す。
「随分とお怒りだな。秋月リゼ」
 最悪のタイミングで、私の怒りを更に逆撫でする人物が隣のベンチに座る。
 どうせ、幻覚だと決め込んだ私は、無視を決め込むことにした。
 だが、奴はお構いなしと言ったように勝手に話し始める。
「新しい文化に国が浸透するのを恐れるB派。そこにいる自分の母に怒りを感じられない」
 淡々と話す奴の幻覚の言葉を聞き流し、煙を吐く。
「けど、あなたに怒る資格なんてないでしょう」
 私の手が止まる。
 その言葉を聞き流してはならない気がしたからだ。
「どういう意味よ?」
 反応した私の問いに、面白がるように答える。
「そのままの意味よ。あなたと母親は、変革を嫌った者同士。やはり親子ね」
「一緒にするな!」
 思わず叫んでいた。
「私があの女と一緒だなんて、まっぴらごめんよ。断じて違う!」
 では何が一緒なのか教えてやると、リリスがその理由を話す。
「清江セリアは、MOGシステムによる変革を嫌っている。まあ、それはここにいる自分の友人を助けるべく、反乱軍に加わっているかもしれないけれど。そして、あなたは二年前。日本に変革をもたらそうとした私を殺した。つまり、ここでいうところのA派が私、そしてB派は――」
 そこで私は引き抜いた銃を、確認もせずに、話していた奴に向けて撃った。
 リリスの幻覚は、言い終わる前に消え去った。
 私が銃を下ろすと同時に、煙草の灰も落ちる。
 奴が何を言おうとしていたかなど、聞かなくても分かっていた。
 どれだけ嫌おうと、どれだけ離れようとも同じ血が流れている。
 そして、自分が知らずの内に同じ事をしていたのだと思うと――。
 背後の草むらが揺れた音で、私の思考は掻き消された。
 誰、と音のした場所に銃を向けて歩み寄る。煙草は携帯用灰皿に入れておく。すると、私が近寄る最中で、その音の主は姿を現した。
「すみません……。セリアさんと一緒にいるのを見かけたので、後を……」
 怯えながら出てきたのは、真っ白な服に対照的な、綺麗に黒く染まった長い髪の少女であった。
 銃をしまい、努めて浮かべた笑顔で、彼女に謝罪する。
「ごめんなさい。大丈夫、撃ったりしないから」
 カレン、それが少女の名前であった。反乱軍にいるという、まだ齢一四の彼女。
 そんな彼女に何があったのか問われた私は、少し逡巡したが話すことにした。
 誰かに話せば、少しでも気が紛れると思ったからだ。
 反乱軍に自分の母がいた事、MOGというかつて稼働していたシステムが生きているかもしれないという事など色々と話すことはあった。
 少し長くなってしまったが彼女は、微笑んでいた。そして、うらやましいと言う。
 先程の話のどこにそう思える部分があったのか訊いてみた。
 すると、彼女の笑みは力ないものに変わった。
「私はもう、お父さんもお母さんもいないから」
 その言葉に私は思い出した、教会での光景を。
 血の臭い、肌の焼ける臭い、死の間近にいる人々の臭いが。
「もし日本にいたら、私のお父さんもお母さんも死ななかったのかな」
 彼女をゆっくりと抱き寄せる。
「ごめんなさい。無神経なことを言ってしまって。あなたは強い子だわ。私なんて足下にも及ばないぐらいに」
 いつの間にか、自分でも震える声で話していた。
 しばらく彼女を抱きしめた後、落ち着いた私は離れる。
 もう日が完全に落ち、辺りも暗い。
 反乱軍の拠点とされている場所まで彼女を送ろうとした時だ。
 私は、カレンを巻き添えにその場に倒れ込む。
 同時に銃声が響き、私達の座っていたベンチに着弾する。
 銃だけを突き出して、銃声の聞こえた方へと撃つ。
 カレンについてくるように指示を出して走る。
 さっき彼女が隠れていた辺りに、銃を撃った人間がいるのを見つけた。
 敵の意表をつこうと真っ向から走る。勿論敵からすれば絶好の機会を与える行為だが、途中で私は地面に転がって撃つ。
 すると被弾を恐れた敵が姿を現した。
 まるで軍人が着るかのような服を着た男。それは、反乱軍でも政府軍のでもない。
「誰に雇われた? 何故、私達を襲う」
 私が腕につけている端末からこの国の言葉に翻訳された音声が流れる。
 男は笑みを浮かべて答える。
「死に行く者に教える義理などない」
 言うと同時にナイフを突き出してきた。寸での所でそれを交わし、その腕を肘と膝で挟み込んで折る。
 それは砕けるにも近い程の威力だったはずだ。
 しかし、男はそれでも平然として襲ってきた。
 まるで痛みや死の恐怖がないかのように。
 首を掴まれた私は、体を持ち上げられ、背後にある木に押し当てられた。
 瞬間、意識が飛びそうになるが、顔面に蹴りを入れた際に隙が生じた。
 すぐに抜け出す。
 続けざまに頭を掴み、力一杯に膝蹴りを顔面に喰らわした。
 男は動かなくなった。
 意外にも簡単に勝てたことに違和感があるが、今はそれどころではない。
 男が持ってきたであろう装備が積まれた車を見つけた。
 カレンに急いで町に戻る事を告げ、車を走らせる。
 町に残してきたキルアが心配であった。

 日が落ちて夕日に変わろうかという頃だ。仕事机に向かい、書類整理を行うウィリアムの元に部下が写真を持ってくる。
 街頭の監視カメラに映ったものだというそれは、日本から捜査に来ている秋月リゼとその同行者、神代キルアが被写体となっていた。
 二人がスーツの男と話す様子が公園で撮られている。
 男の名は知っている。
 勇水(いさみ)カイル。反乱軍に加入し、中でも比較的地位の高い部分にいる日本人だ。
 そんな男と会う彼女達も同じ日本人。無関係というわけではないだろう。
 しかし、ウィリアムには最初から予想が出来ていた。
 反乱軍に手を貸しているのは、日本人ばかりだからだ。
 捜査のためなどという理由を建前に、秋月リゼ並びに神代キルアが、この国の反対勢力に力を貸すかもしれないという考えが少なからずあった。
「議長には内密にしろ。彼女達の処分は私が決める」
 それだけを告げて、部下を退室させた。
 いくらウィリアムと言えど、勝手な判断で殺したことを知られると分が悪い。そこで、外部に頼むことにしている。
 何者かの襲撃を受けた反乱軍の中に、運悪く日本から来ていた捜査官が巻き込まれた事にすれば、彼女が何故反乱軍に混じっていたのかに注目が集まる。
 端末に番号を入力し、ある場所へと通信を入れた。

 古臭いバーを改築し、ビリヤードとダーツを楽しむ事ができるように施された建物。
 ビリヤード台に一組の男女。琥珀色の髪の男性と、妖艶な雰囲気を漂わせる紫の髪をした女性。
 ダーツを楽しむ一組の男女。常磐色をした髪の男性と、三原色の一つ、シアンの髪をした女性。
 その様子にお構いなしと言ったように、奥のソファに寝転がる女性が一人いた。
 ハードカバーで作られた『完全社会』というタイトルの本を、自分の顔を隠すかのように置いている。
 側に置いた端末から、通信を知らせる音が鳴った。
 本を顔から落とさず、ゆっくりとそれを取った女性は、応答ボタンを押す。
「仕事だ。時間は今夜」
 挨拶もせずに告げられた男の声。ウィリアムのものであった。
 彼女は、何となく分かっていたので気には止めない。
 相変わらず寝転んだままの態勢で女性は答えた。
「昨日やっとアメリカから帰ってきたんだけどね。マフィア一つを壊滅させるのも中々骨が折れる仕事だったのだけど」
「報酬は弾ませてもらう」
 男の言葉に、彼女は溜め息を吐いて起き上がった。
 少しだけ長い紅の髪を整えながら、応じる。
「仕事の内容を」
 ウィリアムがデータを送信すると、女性はそれをスクロールする。
「反乱軍幹部の確保と日本警察関係者の殺害、しかし同行者だけは確保せよ。いいのかしら、こんな事勝手に決めて?」
 女性は笑って問う。電話の相手は早急に仕事に入るようにと、誤魔化すように話を切り上げた。
「まあいいわ、汚れ仕事をそれに見合う対価で引き受けるのが私達だ」
 立ち上がって通信を切る。
 女性が手拍子をすると、先程までビリヤードとダーツを楽しんでいた者達が集まった。
「仕事よ。目標はこの女二人、今日の夜行うから、薬も忘れないようにね」
 室内で響く声で告げられた者達は、早速仕事にかかるべく動き始める。

 リゼが去ってしまった後、キルアはセリアの他の仲間達と顔を合わせた。
 先の人格が入れ替わった際、キルアにもハイネの記憶が若干蘇っている。詳細にではないが、特徴的な人物は思い出せた。
 そのため、自分達をここへ導いた男性が、勇水カイルというかつて信頼を置いていた部下の一人であることも思い出した。
「リゼは日本ではどんな感じなの? さっき、ハイネさんが警視庁とか言っていたけれど」
 本来なら、リゼ自身から聞きたい答えであろうが、キルアは代わりに答える。
「リゼは日本が新しく作ったシステム、『テミスシステム』が下す裁きを実行する、警視庁治安維持課に所属しています」
 キルアの言葉にセリア、そうとだけ答える。
 相変わらず、何かに悲しんでいるかのような表情を浮かべて。
「あの子には、危険な仕事はしないで欲しいと思っていた。それこそ、以前私がいたような部隊の仕事は」
 だが、リゼは今犯罪捜査の最前線に立つ組織にいる。
 セリアの願いは叶わなかったことになるのだ。
 話題を変えるべく、キルアは切り出した。
「戦況はどういった感じで?」
 セリアの代わりにクロエが、苦い顔をして答える。
「芳しくないわ。私達は圧倒的に不利な状況にある」
 教会の前でカイルが言っていた、海外からの援助を受けている向こうに比べれば、こちらは当然不利になるだろう。
「では、この戦いをいつまでお続けになるのですか?」
 それに関してはセリアが答える。
「あの子を助け出すまでよ」
 それはこの国でまだ現MOGシステムの中枢として生きているかもしれない、志弦カノンの事を指している。
 だが、そのシステムがあったとして、それが無くなれば、この国は良くなるのだろうか? 町の方はまだ栄えていた。
 一年という短い期間でここまで経済的な成長を遂げさせる完全なる管理システムを破壊することは、果たして正しいのか。
 セリアがMOGシステムについて話し始めた。
「私達は世界平等を謳うそのシステムによって、完全なる世界を手に入れたと思っていた。でも、実際は違ったの。この国だけではなく、他の国も、私達が来る前から争いは続いていたの。それもMOGシステムの崩壊前からね」
 その言葉にキルアは、自分なりに至った答えを話す。
「稼働している最中、つまりそれはMOGシステムが完全に全ての世界を管理している訳ではなかったということですか」
 元システムの中枢であった記憶を持つ彼女でもその事は知らない。
 セリアは頷いてみせた。
「それを知った時、私もクロエも信じられなかった。あのシステムの崩壊は何も関与していなかったことを」
 管理の神は、完璧に世界を掌握していた訳ではなかった。日本を始めとした主要国だけがシステムの恩恵を受け、それ以外の国は無いものとされていたに過ぎないのだ。
「MOGシステムがなぜ残っているのかは私にも分からない。ただ、今まで全てを投げ出していた日本政府が機能した時、国外に何かを送り出したことが確認できた」
「その何かが、崩壊したと思われていたMOGシステムであったと?」
 キルアの問いに彼女は頷く。
「信じたくはなかったけれど、私はもし本当にあの子が生きているのであれば、また会いたい。助けたいと思った」
 それが家族を捨てることになってもかと、リゼの言っていたことがキルアの頭の中で反芻される。
 暫しの沈黙が訪れた時だ。
 拠点の外から爆発音が聞こえた。
 急いで走ってきた仲間の一人に、クロエが厳しく問う。
「政府軍じゃありません! 見た事のない連中です!」
 ついてくるように言われたキルアはホルスターを可視化させ、銃を引き抜いて後に続く。
 再度屋上に戻ってみると、すぐ側の建物付近から煙が上がっているのが分かった。
 そして、セリアとキルアの前に軍用ヘリがその姿を現した。
 飛び出てくる二つの影。
 一つはセリアに襲いかかり、もう一つはキルアに降りかかる。
 キルアに襲いかかったそれは、女性だ。
 軍人かどうかは分からないが、空中から振ってくると同時に放たれた拳を腕で防ぐ。その際、持っていた銃を蹴りで弾かれてしまった。
 威力、速さともに優れていた。
 少しの間合いを一瞬の内にして詰めてきた相手に対し、キルアは右足を蹴り上げる。
 相手は避ける。
 だが、体を回転させたキルアは上げていた右足を振り下ろす形で相手の頭を狙う。
 しかし、相手にそれが当たる事はなく、キルアはそのまま倒れる形となった。
 だが、ただ倒れるわけにはいかなかった。その状態から敵の足を蹴り払う。
 まだ始まったばかりの戦いで、ここまで頭を働かせる事になろうとは思っても見なかった。
 そんなことを考えながらキルアは、態勢を立て直す相手と同じように跳ね起きる。
「結構やるのね。ただのマフィアのボスだと侮ってたわ」
 厳しい表情を浮かべる、青い髪の女性。それに応えるようにキルアは笑う。
 今度はこちらからしかける。自分の中でも速いと思える右のストレート。
 相手もその速度には流石に反応が遅れ、頬を掠めたことで、血が出ていた。
 そのまま反転させた腕で敵の顔を掴んだキルアは、力一杯にその体を曲げさせる。
 相手は抵抗を見せたが、尋常ではない彼女の力はそれを許さない。
 近寄ってきた相手の胸部目がけて膝蹴りを入れる。
 肋骨が折れる感覚を感じたキルアは高揚した。吐血し、倒れる相手に容赦なく、下がってきていた後頭部に肘を叩き下ろす。
 女性はその場に大きく倒れた。念のためとでもいうかのように、その頭を更に踏みつける。
 休む間もなく、セリアの方へと向き直った。
 彼女の方は劣勢であった。
 セリアは決して弱い訳ではない。男の方が異常なのだ。
 大柄な見た目に対して、素早い動き、それだけではなく、力(パワー)もあるのが見て取れる。
 すぐさま、横から助けに入った。
 二人を前にして相、さすがの相手も危機感を感じたのか、距離を取る。
 そして、懐から取り出したペン型注射器を首に刺すのが見えた。
 男の顔に血管が浮き出る。
「あれはなにかしら?」
「恐らく、“強化ドラッグ”のようなものでしょう」
 MOGシステム崩壊後、スポーツがまた盛んに行われるようになった。
 以前は危険だとされるもののほとんどが制限をかけられ、無断で行うことは許されなかったのだが、システム崩壊からしばらくしてその制限というものは解除された。
 運動選手(アスリート)という職が復活を果たしたが、それに同調するかのように、“違法ドラッグ”も出回るようになった。
 それが確認されることは滅多にないが、用途は様々で、別にスポーツに限られることはなくなった。
 日本では入手が困難だが、国外ならその入手率は上がるのだろう。
 セリアの問いに答えたキルアは、考えながら走り出す。
 相手がドラッグのようなものを使っていたにせよ、キルアは負ける自信はなかった。
 日頃から鍛えることを怠らない彼女からすれば、薬に頼るような人間に負けるなどあり得ないと思っていた。
 
 だが、それと同時にもう一つ、新たな影がヘリから飛び出た。
 月明かりに照らされたそれは、深紅に染る髪をした人。
 地面に下り立つと同時に、接近してきたキルアへと鋭い蹴りを繰り出す。
 しかし、彼女は顔に迫る蹴りを避けた。
 そのまま拳を真っ直ぐ突き出すが、キルアのそれは紅い髪の人物に防がれる。
 続けざまに相手は、左手で伸びきったキルアの肘に、下からの掌底を当てる。
 キルアの腕が折れる音が聞こえる。
 透かさず、接近すると同時に彼女の首にペン型注射器を押し当てる。
 それは男の打ったものとは別。即効性の強力な麻酔であった。
 苦悶の表情で倒れるキルア。
 駆け寄ろうとしたセリアは、背後から繰り出された男の攻撃で気絶する。
「とりあえずは、目標の半分達成ね。“アンバー”、二人をヘリに乗せて、後で迎えに来なさい」
 アンバーという琥珀色を意味するその名前で呼ばれた男は、大柄なだけあってか、二人を抱えて軽々と着陸したヘリに乗せた。
 紅い髪の女性は、無線を入れる。
「こちら“チェリーレッド”。目標二名捕獲。その他の目標を追跡再開。“エバーグリーン”、状況報告」
 女性の言葉に通信機から呻くような声が聞こえる。
『こちらエバーグリーン……目標を消失(ロスト)しました……すみません』
 謝る無線の男に対し、彼女はいやと否定する。
「問題はない。たかが一人に捕まるような奴ではないだろうと思っていた」
 チェリーレッドと名乗る女性は無線を切ると、キルアにより倒された女性の元に歩み寄る。
「随分と酷くやられたわね、“シアン”」
 言葉とは裏腹に、笑みを浮かべた彼女は、先程と同様のペン型注射器を、シアンと呼ばれた女性の首に刺す。
 動かなかったはずの彼女の体が激しく痙攣する。
 それが止んでしばらく経ち、大きく息を吹き返して上半身を起こした。
「おはよう」
 荒い呼吸を整えようとしている彼女に、チェリーレッドが微笑んで声をかける。
 シアンは、怯えたように、しかし哀しみも感じさせるような声で答える。
「申し訳ありません。私は――」
 彼女の言葉を遮るよう、チェリーレッドは手で制した。
「気にしなくていい。あれは相当な手練れだった。薬なしでよくやったと思うわ」
 だが、それはチェリーレッドも同じはず。彼女は手を貸してシアンを起き上がらせると、
「落ち込んでいる暇はない、行きましょう」
 そう言って歩いていく。
 その背後をシアンはついていく。
 歩きながら、チェリーレッドは再度通信を入れる。
「こちらチェリーレッド、“モーブ”、状況報告」
 紫色を意味した名前で呼ぶ。
 無線越しに妖艶さを感じさせるような声が聞こえてきた。
『こちら、モーブ。エバーグリーンの見失った目標は補足済み。彼が乗っていた車両を奪って山を下っている途中よ。そっちに向かっているわ』
 了解、と通信を切ったチェリーレッドはシアンを連れて反乱軍の拠点である複合商業施設の中に入っていく。

 車を全速力で飛ばす。
 日本でこんなことをしては、緊急事態と言えど捕まるだろう。
 ようやく山から出て、平らな道路に辿り着いた。
「大丈夫ですか? 休んだ方がいいんじゃ……」
 そう心配そうに問うのは、助手席に座るカレンであった。
 車に乗っていても、凹凸の激しい山道を下っている内に、息切れも激しくなっていた。
 少し息を整える。
「大丈夫よ。あなたを巻き込んでごめんなさい」
 苦笑して答える私を、変わらず不安な眼差しで見つめる彼女。
 私は、あの複合商業施設に向かって車を走らせる。
 しかし、その道中で上空を飛ぶヘリが見えた。
 車を急停止した私は、カレンに動かないよう指示をして、車を下りた。
 後部座席に置かれていた“G36”をそれに向けて発砲する。
 しかし、風に煽られた弾がヘリに命中することはなかった。
 為す術もなく、そのヘリの姿が小さくなっていく。
 私は、苛立を抑えきれずに地面を踏みつけた。
「リゼ!」
 背後から名を叫ばれたので、振り返る。
 装甲車とまではいかないが、改造された車両から御崎クロエとあのスーツの男性が慌ただしく下りてくる。
「キルアは?」
 彼女の安否が一番の心配であった。私の頼みでここまで連れてきてもらったのだから。
 苦い顔をしたクロエは歯を食いしばって答える。
「連れて行かれた。セリアと一緒に」
 その言葉に私は、持っていた銃を落とした。
 その両手で彼女の胸ぐらを掴む。
「何で、何でキルアが攫われたの!」
 怒りも含んだ私の問いに、彼女も同じく怒りを含めた声で返す。
「分かる訳がないでしょう。それよりもあなたが心配するのは、彼女だけじゃないはずよ。実の母であるセリアの事は気にもしないつもり!」
 その言葉に私は手を上げそうになった。側にいた男性に、制止される。
 クロエはそのまま続けた。
「家族よりも、自分の友人を優先したセリアに怒りを感じているなら、同じ事をしているあなたにも怒る資格はないでしょう!」
 そう強く言われた私は、魂が抜けたかのように力を失くした。
 クロエの方も落ち着いたようで、深呼吸する。
「カイル、放してあげて。私達はあのヘリを追う。市民達の避難はもう大丈夫だから。それで、あなたはどうするの?」
 その問いかけに私は答えられなかった。放された手が力なく垂れる。
 その時だ、クロエ達の乗ってきた車両が爆発した。
 私達はその場から吹き飛ばされた。
 側にあった建物の壁に背中を強打した私は、朦朧とする意識の中、人影に気付く。二人いた。
 クロエ、そしてカイルと呼ばれていた男性が運ばれているのが見えた。
 人影の一人がこちらに歩み寄ってくる。動かなくては、そう思うも体が自由に動かない。
 背中を強く打ち付けた激痛が走る。
 目の前に迫ったその人物は私の目線に合うよう、身を屈めてきた。深紅に染まる髪の少し長い女性。
「目標捕捉」
 笑顔を見せた彼女が言った。
「気分は最悪なようね」
 太腿につけていたホルスターから銃を抜き、私の頭に向けた。
「人は死んだらどこに行くと思う?」
 唐突に問われた。
 声だけなら何とか出せる。必死に振り絞って答えた。
「死んだら行く場所なんて、ないのよ……。魂なんて……漠然としたものは、この体に……その居場所を留めているに過ぎない」
 私の言葉に彼女は興味を持ったように目を輝かせた。
「興味深い。私は今まで何度も殺す前にこの言葉を口にしたけど、あなたのような答えは初めて聞いた」
 そして、女性は銃を下ろした。
「殺すのが惜しいと思ったのも初めてだわ。あなた、長生きするわよ」
 そう言うと、立ち上がり、踵を返した彼女は手をひらひらと振りながら歩いていった。
「ま、待て……」
 掠れる声で、自分から出ているかも分からないその声を最後に、私の視界は真っ黒に染まった。

 再度迎えに来たヘリの中でチェリーレッドに怒鳴りつけるウィリアムの声が、モニター越しに響く。
『失敗しただと、ふざけるな! それでも精鋭だというのかお前達は!』
「そう怒るな、私達も人だ」
 オプション付きだがね、とチェリーレッドは微笑む。
『報酬は半減させてもらうぞ』
 吐き捨てるように言ったウィリアムとの通信が切れた。
「どうぞ、お好きに。貴様からの報酬なんて、対して役に立たないわ」
 ヘリの窓越しに町の風景を見ながら、彼女は笑みを崩さずに言った。
 その彼女に疑問の声がかかる。
「何故、撃たなかったのですか?」
 正面に座るシアンのものであった。
 チェリーレッドは足を組んで、問いに問いで返す。
「あなたは、死んだ人間はどこに行くと思う?」
 その問いで返されると思っていなかった彼女は、少し驚いたこともあって、返答が遅れる。
「分かりません」
 簡単な答えだ。
「それでいい。それも正解だ」
 チェリーレッドは微笑む。シアンにはその理由が分からなかった。
 ウィリアムから送られてきた情報に再度目を通す。
「日本警視庁治安維持課一係、秋月リゼ。また会えるといいわね」
 反乱軍の町を去り行くヘリの中から、煙が上がる場所を眺めて囁く。

4、人生

 ここはどこ?
 私は何をしてた?
 分からない。
 ただ、今はとても体が重く、痛みも伴っている。
 哀しい。何故この感情が出てくるのかも分からない。
 でも、起きなくては。行かなくては。
 何かが私をそう思わせる。

 重い瞼を開く。明るいランタンの光が、ぼやけた視界の中に入り込んで眩しい。体を起こそうとすると、激しい痛みに襲われて動けない。
 自然と呻き声が出てしまった。
 服を着ていない変わりに包帯が巻かれていることに気付く。
 何があったのか思い出そうとする所で誰かの声が聞こえた。
「目が覚めたか。まだ動かない方がいい」
 少し低い女性の声。見上げると、眼鏡をかけて白衣を着た長身の女性が立っている。
 私よりも少し年が上に見える彼女は、ベッドに寄り添って眠るあの少女、カレンの頭を撫でる。
「この子に呼ばれて行ったら、君が倒れていた。酷い打撲で体が痛むだろう」
 打撲、私は思い出した。
 爆風に巻き込まれ、そして壁に打付けられたことを。
 そこにいたのは紅い髪の女。私に向けた銃を戻し、去っていった。
 何故か涙が出てきた。
 殺されもしなかったことか。痛みのせいなのかも分からず。
 痛みにも少し慣れた私は、同時に落ち着きを取り戻した。
 目を覚ましたカレンは私が彼女と話したいと告げると、部屋から出て行った。
「まずは、手当てしてくれたお礼を言うわ。ありがとう」
 上半身だけを起こし、壁に背をつけて言う。
「いや、礼などいらん。自分の役割を果たしただけだ」
 自己紹介をした。時計型端末は爆風の影響で駄目になっていたため、情報表示は出来ない。
 私が名乗ると、彼女は驚いたように目を開く。
「君は、もしかして清江の娘か」
 その言葉に私は、少し厳しい表情で頷く。
 七瀬ユアン。この反乱軍で軍医として勤めている。
 市民の避難を行ったのも彼女。
 ここは町の地下で、上を放棄する時が来た場合に備えて作られていたという。
 少し寂しさを思わせる表情で語る彼女。鎮痛剤をもらった私は、痛みが和らいだ所で彼女の用意してくれたシャツを着て、ベッドから立ち上がる。
「これから、皆の様子を見に行く」
 同行を申し出ると、意外にも了承してくれた。
 部屋を出る。
 私の目には、上とは違う、もう一つの町の様子が広がった。
 地下を照らす人工的な光は、上の町よりもこの町を活気づけている気がした。
「地上と程ではないが、似たような町を作ろうということでな。私達がここに来る前から現地の人が作っていたものを私達が完成系へと近づけた」
 二〇年以上前から進められていた地下の町を構築するという計画には圧巻だ。まだ、完成はしていないというが、充分出来上がっているように思う。
「ここにいると思い出すよ。昔は戦いの最前線に立っていたことや、こんな場所で生活したことをね」
 苦笑しながら語る彼女についていく。
 昨日、教会や複合商業施設にいたけが人達は皆ここに来ている。
 この町の広場にあたる場所に一斉に横たわるその人達は、やはり酷い傷を負っていた。
 ユアンはそこに着くと、近くにいた助手と思しき人達に指示を出し、手当に入っていく。
 彼女が始めに手当てをした男性。
 腹部に鉄の破片が刺さっている。
 局所麻酔を打ち、その破片をゆっくりと取り除く。
 それが終わると、次のけが人だ。
 医療に関する知識はほとんどない私だが、何か出来ることはないか探した。
「私にも手伝わせて」
 忙しなく動く彼女の様子を見ているだけの自分に我慢ができなかったからでもある。
 ユアンは私も同じけが人だと言ったが、大丈夫だと半ば無理やりに彼女や他の助手を手伝うことにした。
 無惨なけが人を前に何かが私の中で渦巻く。いつも日本で爆散した犯罪者を見て、平然としていた自分はどこにいったのか。

 二時間程して、彼女達は一通りの手当てを終えたために休憩に入った。
 水の入ったペットボトルを手渡された私は、乾いていた喉を潤す。
「助かったよ。しかし、君もけが人だということは忘れるなよ」
 木箱に座る私の隣に来た彼女は、煙草に火を点けた。
 日本にいる私の同僚が見れば、医者が煙草などと文句を言うだろうと思いながら、同じように私も煙草に火を点ける。
「訊きたいことがあるんです」
 母のことだ。
「彼女の名前を出した時、君は恐ろしい顔をしていたぞ。それでもいいのか」
 先の部屋でのことに私は、少し恥ずかしさを味わう。
 それでも訊きたいと、答える。
 ユアンが煙を吐き出して話す。
 MOGシステムの崩壊後、刑務所に入れられた彼女を含む『神殺(かみさい)』の面々。
 釈放の目処はないとされていた。
 しかし、そこに現れたのが私の母だと言う。
 刑務所から出してやると言った母は、ある条件を提示した。
 彼女は政府が国外にあるものを輸出したことを仲間のクロエと調べた。
 MOGシステムがまだ生きているのでは、という考えを述べた。
 それに囚われている自分の友人を助けに行くのに協力しろ。
 ユアンは考えた結果、ついていくことを決意した。勇水カイルも同じ条件の元、母についていくことを決めたのだ。
 母達は様々な場所へと赴いた。行く先々でMOGシステムを探し求めた。
 そして、一年前からこの国に目をつけて居着いたという。
「この国に来た時は栄え始めた頃で、政府軍の住む都市部は特に文化が進んでいた。だが、それを好まないここの人間達に対する彼らの行いは卑劣なものでな」
 煙草を傍らに押し付けて、続けた。
「清江はここの住民を助けることで、MOGシステムに近づこうと考えた。私も始めは同じ思いだった。だが、私は毎日死に行く仲間を見ている内に、本気でこの場所を救いたいと思い始めるようになっていた」
 けが人を手当てしている時の彼女は、確かに彼らを別の目的のために助けているというより、本気で助けようとしていたことが私には分かった。
 休憩は終わりだと立ち上がった彼女。
 次はけが人の手当てではなく、上に残してきた物をここに運ぶというものであった。
 避難した市民の中でも動ける者を何人か連れて地上へと上がる。
 その道中、質問する。
「あなたも老化を遅らせているの?」
 その言葉に、ユアンは苦笑した。
「私達の旅はいつ終わるか本当に分からないものだった。現に今でも続いてる。体の若さを保つことは大事だからな」
 だが、と彼女は続ける。
「中身だけは、年を取ることを遅らせてはくれない。だからこそ、私もこの役割に就いていると最近になって思うよ」
 穏やかな声で言う彼女。
 見た目がいくら若かろうが、中身まではそれを保てないという人間の限界を彼女は感じているのだろう。
 上の町に出る扉を慎重に開ける。誰の気配もない。
 敵はおろか仲間もいないようだ。
「昨日襲ってきた敵は、私の友人とクロエ達を攫っていきました。恐らくそれが目的だった」
 だからと言ってもう敵が来ない訳でもない。
 油断はしないようにと念を押された私達は、物資を運ぶ作業に移る。
 ユアンは私をある場所へと連れていった。
 あの複合商業施設だ。
 そこに彼女達、反乱軍の中でも上の者だけが持つ、個人の部屋がある。
 そこから必要な物を取ってくると言うのだ。いくら本人がいないとは言え、人の部屋に勝手に入るのは少し気が引ける。ユアンは私にある部屋を指定した。
 母の部屋だ。あまり物がないが、机に置かれた写真立てで分かった。
 二つある。一つは私が生まれる前に撮られたであろう、誰かと二人で映っている写真。
 もう一つは、家族三人が映っている。
 当時住んでいた家の前で撮ったのを思い出した。
 その数日後に母が出ていった事も。
 写真立ての後ろには、『二一二四年、七月二〇日』と書かれていた。
 私がまだ四歳の頃、今から二五年も前になるのかと時の流れを感じる。
 その写真を置いて、机の引き出しを開けると、大量のノートが出てきた。
 全て母の日記だ。今時日記などつけなくても、端末で残せる。
 しかし、母は全て手書きで行っていた。何冊か手に取り、読んでみる。その日の彼女の思い、そして所々に私と父のことが書かれている。
 どれも、会いたいというものばかりであった。そして、こんな自分を許してほしいと懺悔の言葉が書き連ねられている。
 読んでいる途中、自分でも知らずの内に涙が溢れてきた。
 昨日の母への態度を少し後悔する。こんな所まで母親譲りなのかと思うと、怒る気力もない。
「セリアは毎日、君とお父さんを置き去りにしたことを悔いていたよ」
 いつからか、部屋の扉に寄りかかったユアン。私は、日記をしまって彼女にあることを頼んだ。

 地下に戻った私は、川内課長がツバキを使って私に持たせたあの箱を開ける。
 そこには、前のものよりも更に機能が追加された新しい端末が入っていた。
 それを起動し、ユーザー認証を済ませた後、ある場所へと通信を試みる。

 その日の遅くに、ユアンは私の頼んだものを揃えてくれた。
 ボディアーマーに89式小銃、救急用のバッグ。
 彼女に礼を述べ、それを確認していく。
「本当に行くのか?」
 その問いに私は手を止めることなく、答える。
「私の親友が捕まった。それに、ここに必要な人員も取り返さないとね」
 笑って応えてみせる私に、彼女は少し疲れた笑みを見せた。
 睡眠をしっかりと取った私は翌朝、ユアンに連れられてあの複合商業施設に赴いていた。トラック搬入用のゲートを開けると、中には軍用車両“ハンヴィー”が一台停まっている。
「使ってくれ。ちゃんとメンテナンスはしてある」
 鍵を私の手に握らせる。
「君一人に背負わせて申し訳ない。私も一緒に行きたい所だが――」
 険しい表情を浮かべる彼女だが、もし大けがでもしたら、ここで彼女の手当てを待っている人達を助けることができなくなってしまう。
「私が選んだことです。ユアンさんは充分協力してくれた」
 改めて礼を述べ、固い握手を交わす。荷物を乗せ、エンジンをかけた時だ。
 誰かが後部座席に乗り込んでくる。
 カレンだ。息を切らした彼女が後部座席に座り込んでいた。
 驚いた私は、何をしに来たのかと問う。カレンは強く、私の目を真っ直ぐに見て言った。
「お願い。私も連れて行って」
 当然断った。自分の身すらも守れるか危うい場所に彼女を連れて行くなど絶対に出来ない。
 だが、車から下りようとしない彼女と、しばらく言い合いが続いた。根負けしたのは私だ。
 これ以上言っても聞かないであろう彼女との言い合いで、時間を使うことをしたくなかった。
「約束よ。絶対に私の指示に従うこと」
 その条件を了承したカレンを連れ、ユアンに別れを告げて車を走らせた。この国の都市部にある、『スカイタワー』へ向けて。

 私は連れ去られた。リゼの母と共に。しかし、私の置かれた状況は、敵に捕まったと思えないものだった。
 政府軍の本拠地である施設には、セントラルタウンの全てが見渡せる程の建物が存在した。
 その部屋は、華美な装飾を施され、無駄な物は一切置かれていない。
 気に食わない事と言えば、自分を拘束する手錠と、起きた時に着せられていた白いワンピース。天使の羽根のように柔らかな私の肌を包み込むそれが、どうも落ち着かない。
 折られた腕はもう骨が繋がり始め、完治は近かった。
 これも、自らに残されたMOGシステムの力なのだろう。
 今まで病気にかかったことはないし、傷もすぐに癒えていたのは、完全に消え去ったとされるはずのシステムの力が、私に残っていたからだと、今になって痛感する。
 考え事をしていると、扉をノックされた。
 開いた扉の先に立っていたのは、この国に来て一番に見た顔。
 ウィリアムが微笑んで入ってくる。
「気分はいかがですか?」
 その問いに、最悪だと笑顔で応えてみせる。
「それは残念です。ゲスト用に作られた軍の上級客室なのですが」
 笑顔のまま言う彼。
 笑むのを止めた私は、冷酷な目で彼を見つめる。
 恐ろしいと戯けてみせた彼に問う。
「昨日の連中は、私を保護しようとしたわけではなさそうだった。なのに、実際連れてこられた場所は、拘束する気があるとも思えない。私をどうしたいの?」
 彼は黙って、私の背後にある窓の側まで来た。私から少し離れて隣に立つ。町の風景を眺めながら、話し始める。
「何故、私達があなたを狙ったと言いきれるのですか?」
「この手錠と服が、お前を逃がさないと物語っているから」
 手錠で拘束された両手を上へと持ってきて見せる。
 一瞬だけそれを見たウィリアムは、再び窓の外に視線を戻す。
「私はこの国をより良い方向へと持っていきたい。それは人間だけの力では叶わないこと。そこで、私達にはある物が与えられた」
「やはり、ここにはシステムがあるのね」
 私の言葉に彼は、
「ご存知なら話は早い。神代キルアさん、私達はあなたの前の姿を知っている。その力を存分に発揮してもらいたく思っているのです」
 こう答える。
 用件は伝えたと言わんばかりに、部屋を出て行った。
 大きく息をついて、ベッドに寝転ぶ。
 今頃リゼはどうしているだろうか、捕まった彼女の母も無事なのか。
 そんなことを考えながら、私は再び眠りにつく。

 人が寄り付かない場所がある。
 治安が悪い場所。見た目で判断できる碌でもない連中のいるそこは人が少ない。改築されたバーの地下に色とりどりの髪をした男女とセリア達がいた。
 青い髪をした女性、シアンが柱に拘束されたセリアの顔を殴打する。
 彼女は血を吐き捨てた。薄暗い地下室の、灰色に床に赤黒い血がべたりと付く。「他の反乱軍の仲間がどこに行ったのか話せば、解放してやると言ってるんだ」
 シアンが苛立を露わにした声で言う。セリアは頑として口を開かない。その態度が、シアンの怒りを増幅させるものになっている。
「止めなさい、シアン」
 木箱の上で膝を立てて、本を読んでいる赤い髪の女性。自らをチェリーレッドと名乗る彼女が制した。
「しかし、奴から情報を割り出せば、一気に反乱軍の人間を――」
「私達の任務は、彼女達を捕獲しろということだけ。反乱軍を潰すために動けとまでは言われてない」
 ですが、と反論を述べようとしたシアンは、チェリーレッドの冷酷な眼差しで睨まれたことで黙った。
 本を置いた彼女は木箱から飛び降り、セリアの元に歩いていく。
 そして、拘束していた鎖を解いた。
 床に倒れ込もうとしたセリアを片腕で支えた。
 再び、柱に叩き付ける。
 苦悶の表情を浮かべるセリアに、チェリーレッドは言った。
「秋月リゼは、あんたの娘よね?」
 問われたセリアはゆっくりと、そうよとだけ答える。
 その言葉に笑みを浮かべたチェリーレッドは、手を離した。
 柱を背に座り込んだセリアに目線を合わせるため屈む。
「人は死んだらどこに行くと思う?」
 一昨日もした問いを、今度は彼女の母親に向かってする。
 セリアは、大きく息を吐いて落ち着いたところで答えた。
「どこにいくのかしらね。私は哲学者でもなければ思想家でもない。だから、明確な答えなんて分からない。ただ、私は死後の世界なんてものはないと思う」
 その答えに呆気に取られた彼女は、少しの間を開けて笑う。
 彼女の仲間も、クロエ達も二人の様子をただ見守ることしかできなかった。
「私からも質問、いいかしら?」
 チェリーレッドの顔を真っ直ぐに見据えたセリアが問う。
 可能な限り答えてあげる、と彼女は答えた。
「あなた達は、何者? 政府軍の人間でもなければただの民間人でもない。それにその髪の色、あの薬が原因でしょう」
 セリアの言う薬とは、昨晩、キルアと目にした注射器のことだ。
 問われた彼女は、立ち上がって背を向ける。
「この国では昔、紛争の最中である薬の投薬実験が行われていた。人間の力を限界以上に引き出させるというもの。それは、当然体に大きな負担をかける。大人では無理だった。適齢期があることに気付いた学者連中は、それに合う人間を大勢用意した」
 そこで、言葉を区切ったチェリーレッドは、自分の首筋を摩って続けた。
「集められたのは、紛争で親を亡くした子ども達。彼ら彼女らは、毎日使い捨てのように投薬実験の材料にされた。隣の部屋に男の子が、連れて行かれた日にはもう戻ってこなかった」
 セリアだけでない、それを語る彼女以外の全員が、その言葉に集中している。首を摩っていた手を、見つめるようにしたチェリーレッドは、セリアの方を向き直る。
「でもね、ある日薬の適合者が出た。その子の記憶は少し飛んでいてね。気が付くと、周りには研究者達の死体だけが残っていた。その子は自分がやったのだと確信した。でも自分以外にも同じ子がいた。実験は同時に幾つかの部屋で行われていたけれど、適合者が一気に五人も出来るとは、研究者達も思わなかったでしょうね」
 まさか、とセリアとチェリーレッドの二人を眺めていたカイルが呟く。
「あなた達は、その薬の適合者だと言うことね」
 クロエが言った。
「私達の体には耐性があった。何故かは解明されていない。私達を保護した別の研究機関の人間は、薬を新しい人間に打つことを禁止し、薬を抑制する新薬の開発を始めた」
「でも、あなた達はそれを拒んだのでしょう? その証拠に昨日も注射器を打っていた」
 セリアの言葉に彼女は笑った。
「当たり前でしょう? 折角強くなれたのに、力を使わないなんて勿体ないにも程がある」
 彼女達は、保護をしてくれた研究機関から逃げ出す際に、彼らが保持していた薬の作成資料を持ち出した。
 それにより、今で自分達で薬の作成を行うことができる。
「自分達の人生を崩したそれなしで生きれないとは、随分と皮肉なものね」
 挑発的な発言をしたクロエを、シアンが厳しく睨みつける。
 チェリーレッドは何も言わずに、手で制した。
「でも、私は薬を必要とするこの体を、悪いとは思っていない」
 笑顔でそう答えた彼女。
 そこで、この会話を終わらせるかのように、チェリーレッドの端末に通信が入る。
 相手はウィリアムであった。
『そこにいる反乱軍の連中を夜の九時に、スカイタワー屋上に連れてこい』
 それだけ言うと、ウィリアムは一方的に通信を切った。
モーブとアンバー、にせリアの手当てを指示する。
 残りの二人をエバーグリーン、シアンに運ばせ、一人地下室に残った彼女は、木箱の本を再び手に取って読み始める。

 都市部に入ると同時にハンヴィーは置いていくことにした。移動に使えただけで十分だ。堂々と町の中に入り込むと、面倒になるので、カレンを連れて人気のない道を歩く。ここから反乱軍の拠点まではそれほど遠くなかったが、今回は回り道をしたので時間がかかった。
 日が落ちて、町は賑わっている頃合いだが、やはり私達の格好は目立ってしまう。特に私は日本人だ。
 車内でずっと考えていたことがある。私の後ろをついて歩く少女、カレンのことだ。
 出会ったのは一昨日。今日も突然自分を連れて行けなどと言い出した彼女は、本当にただの齢一四の少女とは思い難い。路地裏を辿って行き、スカイタワー付近に来た。
この町の、いやこの国の中心となる場所に、きっと議長ら上層の人間達は何かを隠している。
 それこそがMOGシステムではないかと私は考える。
 政府軍の人間が出入りを完全に封鎖しているのがそれを物語っているからだ。
 正面突破は無理だろう。
 ビルの周りを囲む塀伝いに裏側へと回る。こちらの方が警備は手薄であった。非常口から塀の先にあるスカイタワーの中に入れるが、扉の前には傭兵が一人立っていた。
 スカイタワーの裏は公園になっている。茂みの中から口笛を吹く。
 音に気付いた傭兵は左右を確認し、道路を渡って、私の隠れていた茂みへと近づいてきた。
 覗き込もうと身を乗り出した瞬間、服を掴んで引き寄せ、首を絞め落とす。
 傭兵の持ち物を調べ、鍵を手に入れた。無能な兵士に鍵を預ける馬鹿な上官で助かったと思いながら、カレンを連れて非常口をゆっくりと開ける。
 塀からスカイタワーまでの距離は意外にも長かった。
 所々に停められている軍の車両に身を隠しながら、巡回する傭兵をやり過ごす。裏口に辿り着いた所で、電子ロックがかかっていることに気付く。
端末を使い、解除用コードをダウンロードする。
 その最中、カレンが小声で問う。
「リゼさんは、ここにある物をどうするの?」
 その問いの真意は様々だろうが、とりあえず、仲間を助けることが最優先だと告げた。
 解除用コードのダウンロードが済んだ所で扉が開錠され、中に入る。

 スカイタワーはかなり巨大な建物だ。階数は警視庁とそう変わらないが、一階ごとの面積が広い。
 タワー内を3D展開したマップに目を通す。目指すべきは管制室。
 エレベーターを使おうとしたが、敵に遭遇した際のことを考えると、階段を使うことにした。
 カレンには辛いかもしれないが、彼女は私の提案をすんなりと受け入れてくれた。
 二年前のことを思い出す。警視庁でのことを。

 屋上には政府軍の傭兵とヘリが集められていた。
 中心に立つ、政府軍少佐ウィリアム。彼の目の前には三人の人間を銃殺するための壁が立ちはだかる。
 足音が響く。誰も動かないこの場所でのそれは、この壁に立たされる人物が来たことを示していた。
「遅かったな」
 彼は先頭に立って歩く、赤い髪の女性、チェリーレッドを睨んで言う。
「ちょうど九時よ。約束は守っている」
 嘲笑うかのような彼女の態度が余計に彼の怒りを増幅させる。
 鼻を鳴らしたウィリアムは、連れてこられたセリア達を壁の前に立たせるよう命令した。
「あいつはいいの?」
 チェリーレッドの言うそれは、恐らくリゼのこと。彼は、問題ないと答える。
 日本の捜査官など、すぐにでも見つけて殺せるだろう。事故を装いでも誤魔化しは出来る。
 まずは反乱軍を潰すことが優先だが。ウィリアムは壁に結びつけられるセリアの元に歩み寄った。
「娘が助けに来るのを願うか?」
 笑って問いかける。
 しかし、彼女も同じように笑った。
 死を前にして何がおかしいのかと問う。
不審な顔を見せるウィリアムに答える。
「あの子は、リゼは私を助けになんて来ないわよ。助けてもらう資格がない」
 その言葉にクロエとカイルの方が反応を見せた。セリアの顔は穏やかであった。
 ウィリアムは先程同様に鼻を鳴らして、同情しないと告げた。彼女の元を離れる。
 そして、部下に銃を構えるように指示を出した。
 ここで終わりかとセリアは思った。
 カノンを救うことも、娘であるリゼとも親子らしい会話をすることもなく、仲間を徒(いたず)らに殺した罰を受けるのかと諦めた。
 しかし、それを妨害する音声が、屋上に取り付けられた拡声器(スピーカー)から鳴り響く。
『お楽しみの所悪いけれど、宴は中止よ』
 大音量で響くその声に全員が注目する。チェリーレッドは笑みを浮かべた。
「やっぱり来たのね、秋月リゼ」
 そう彼女は呟く。
 ウィリアムはタワー内の制御室に連絡を入れる。
 しかし、その様子がまるで見られているかのようにリゼの声が響く。
『今このタワーは私の手中にある。テレビを観た方がいいわよ』
 屋上で端末を持つ者全員が、ホロ投影された画面に釘付けになる。
 自分達の姿が映されている。
 政府軍が反乱軍の人間を処刑しようとしている映像が国中に流れているのだ。
「どうなっている!」
 ウィリアムが叫びながら、テレビ局に連絡を入れるよう部下に命令した。
 簡単なことだと、制御室の隅で気絶する警備員達を眺めながらリゼは言う。
 スカイタワーのネットワークにアクセスして、権限を全て乗っ取った。カメラの映像をリアルタイムでテレビ放送できる。
 リゼはウィリアムに向けて言う。
『人質を全て解放しなさい。応じないなら、この映像はずっと流れるわよ』
 その言葉に、ウィリアムは端末を地面に叩き付け、引き抜いた拳銃をセリアに突きつける。
「いい気になるな! 反乱軍が死んだ所で、問題はない」
 カメラを睨みつけてそう叫ぶ。
 今のリゼには止めにいくことはできない。だが、誰かが彼の元に歩み寄るのがモニターに映る。
 チェリーレッドが、ウィリアムの目の前に立った。
 不審に思った彼は叫ぶ。
「何をしている、早くあの女を殺しに行け。そうすれば報酬は――」
 ウィリアムが全てを言い終わる前に、彼女の右腕が彼の胸を貫く。
 苦しそうに呻く彼の耳元で囁かれた。
「悪いがもうお前は楽しませてくれそうにない。今までご苦労様」
 引き抜かれた手には、心臓が握られていた。
 それを握りつぶしたことで、血が飛び散る。
 シアンが走り寄って叫んだ。
「何をしているのですか! 今は彼の言う通り、あの女を止めることが先決でしょう」
 その言葉に彼女は答える。
「これで自由に動ける。お前達、今から好きなように暴れなさい」
 チェリーレッドの浮かべる笑みに、シアンは恐怖を覚える。
 その時、上空に新たな軍用機が数台現れた。

 制御室を出たリゼは、端末から屋上の様子を観ながら走る。
 その後ろにカレンが続く。
「疲れてない?」
 走りながら、リゼは顔だけを後ろに向けて、カレンに問う。
 大丈夫と答える彼女。リゼは走る速度を落とさず、屋上を目指す。
 すると、通信が入った。

 “応答“、と私が声に出すと、通信に応じた。新しく開発された端末は音声認識機能が付与されたのだ。
 前から実装されていたが、情報検索の際にしか使用できなかったため、新たに認識できる部分を増やしたのだ。
 リゼの言葉に反応した端末が通信相手をホロディスプレイで投影する。
『リゼ、無事か?』
 緊迫した声で問うてきたその声は、日本にいるはずの相棒のものだった。
「アレン、どうしたの?」
 私が驚きを交えつつ訊ねると、ディスプレイに映る彼の顔が笑みに変わる。
『話は後だ。今スカイタワーの屋上に着いた。一係総出でな』
 その言葉に更に驚き、自分でも間抜けだと思える反応を見せてしまった。
 すると、また別の人物から通信が入る。『リゼ、私も助けに来たわよ』
 アレンの隣に新しいホロディスプレイが映る。そこには、アメリカにいたはずのジェシカの姿があった。
 時間もないので、走りながらここに来た理由を聞く。
『日本でサルベリアの事を調べたら、不正なデータが山程検出された。その調査に兼ねて、お前を助けに来たんだ』
『私達も同じよ。部長にかけあって、捜査の許可をもらったの』
 この状況下で,心強い味方が来てくれたことを嬉しく思う。
『スカイタワーの最上階付近、議長の部屋がある真下に例のシステムがあるはずだ』
 アレンの転送したマップが、MOGシステムがあると思われている場所を示す。屋上にいた兵士達は一係とFBIの協力で何とか抑えると言い、彼は通信を切った。
 残るジェシカが私に言う。
『リゼ、無理だけはしないでね』
 そのひと言に、私は頷く。
 通信を切り、私は再び上を目指す。

 屋上に着いたのは一係、FBI、そして神代グループの面々を引き連れた和久井であった。
 キルアの端末に仕込んであるGPSの反応が消えた時、助けにくるよう命令を受けていたのだ。
 屋上にヘリを着陸させ、リゼに通信を入れたアレンは、他の仲間の元に戻る。
「これより、サルベリア政府軍関係者の一斉摘発を行う。抵抗する者に対しては容赦なく発砲許可が出されている」
 係長の言葉に全員がハンターの銃把を掴んで、運搬用機器から引き抜く。
 この運搬用の機器は携帯型のサーバーとしてもの機能も有しているので、半径一〇km以内であれば国外でもハンターが使える。
 ただし、これの持ち出しは係一つが総出の時にだけ許される。
 ユーザー認証の音声がそれぞれの脳内に響く。
 指揮官を亡くした事、日本とアメリカのヘリが突然現れた事に混乱している傭兵達を拘束する。走り出したと同時だった。
 アレンの目の前に太い上腕が迫る。
 だが、彼も警視庁に勤める身。それなりに鍛えてはいる。
 反応は遅れたが、紙一重でそれを躱す。
 髪が“琥珀”色の大男が、アレンに襲いかかる。
 援護しようとした蘇芳がハンターを男に向ける。
 しかし、彼女の手に持つそれを誰かが弾いた。妖艶な雰囲気を漂わせる“濃い紫”色の髪を持つ女性が立っていた。
 傭兵達とは明らかに格の違った者達。
 屋上の反対側にいたジェシカもその一人であろう、三原色の一つ、“シアン”に染まる髪の女性を前にしていた。
 近い場所では、“常磐”色の髪をした男性に日向と小梅、そしてクラリスの三人が対峙する。
 色とりどりの髪をした四人は、懐からペン型注射器を取り出し、首の横にそれを力一杯に刺す。
 ボタンを押すと薬が体内に流れ込む。それで準備が整ったと言わんばかりに襲いかかってきた。
 その場に、チェリーレッドの姿だけはない。

 4

 非常階段がそこで終わっていたので、扉を開けて出た。
 そこは、ガラス張りで、外にある建物の光が薄らと差し込んでくる広い空間。
 3Dマップを確認すると、ここはシステムがあると思われる場所の真下のようだ。
 上へと続く道を探そうと足を踏み入れた。
「待っていたよ」
 誰かの声が響く。いや、この声の主をリゼは知っている。
 聞こえた方へと89式小銃を向けて撃った。
「そんなもので殺せはしない」
 別の場所から聞こえた声に向かって更に撃つ。
 ガラスが割れ、風が吹き込んでくる。
 カレンに下がって扉を閉めるように言った。
 来る前にした約束を彼女は守る。
 リゼに言われた通り、カレンは扉を閉める。その際、気をつけてとだけ言い残した。
 リゼは手当り次第に銃を撃つ。
 光が差し込まず、暗闇になっている部分に向けて。
 弾倉が空になったので、新しく装填すると同時に言う。
「いい加減出てきなさい。これ以上は時間の無駄よ」
 その言葉に反応したかのように笑い声が聞こえる。
 リゼが銃口を向ける先から、その人物が姿を現す。
 窓から吹き込んできた風にリゼの黒い髪と、彼女を殺さなかった女性の赤い髪が揺れる。
「二日振りね、秋月リゼさん」
 まるで使用人が主人にする挨拶かのように体を曲げた。チェリーレッドと名乗るその女性。
「チェリーレッド? それが本当の名前? それにあなたには仲間がいるでしょう?」
 それは、エバーグリーンだろうと彼女は答える。
 名前の由来について、彼女達が昔投薬実験に使われた子ども達であると聞かされた。
 納得したところで、更にリゼは問う。
「何故、私を殺さなかった?」
 自分を殺す事、それは彼女が請け負った仕事だったのだろうと思っていた。
 当の本人は、首を傾げながら答える。
「気まぐれというやつかな。面白い奴は殺したくないんだ」
 プロ意識のあるのかないのか、分からない奴だと思った。
 銃を構えたまま、続き言うように促した。
「人は死んだらどこに行くのか。殺す前にその質問を必ずする。いつもありきたりな答えしか言わない奴ばかり。でも、あなたは違った」
 彼女は、笑みを浮かべて指を指す。
「私とまったく同じ事を考えている。死んだら無に行くというのは、正しくそうだと私も思う」
 リゼは引き金を引いた。
 弾はチェリーレッドの頬を掠めて背後の壁を削る。
「でも、私はあなたのように人を殺すことが仕事じゃない。思想が同じというだけで、あなたとは全く違った人間よ」
 呆気に取られた顔をしていたチェリーレッドは、頬を伝う血を舐めると、嬉々とした声で笑った。
「そうか、やっぱりおもしろい。やはり私が相手をするのが一番だろう」
 腰につけていたナイフを引き抜いた。
 フルオートで、銃弾を散蒔(ばらま)くかのようにしてリゼは撃つ。
 しかし、チェリーレッドはそれを掠りもせずに距離を縮めてくる。
 真下に潜り込んだ彼女に、銃身を蹴り上げられた。
 邪魔になる、と銃を瞬時に投げ捨てたリゼは、ボディーアーマーからナイフだけを抜き取り、それも脱ぎ捨てた。
 二年前から、リゼはより一層自分を鍛え上げてきたつもりだ。
 あらゆる格闘術を学んできた。
 しかし、ナイフを用いての実戦は初めてだ。
 下手をすれば死ぬ。その思いを頭に起きながら、迫っていたチェリーレッドのナイフを防ぐ。
 刃が触れる度に火花が散る。
 リゼの方が押されていたために、切り傷が徐々に増えていく。
「そんなんじゃ、すぐに死ぬわよ」
 嬉々とした表情で、チェリーレッドが身を屈め、足をかける。
 いとも簡単に倒されたリゼの顔めがけて、逆手に持たれたナイフが迫る。
 彼女は寸でのところで、ナイフを持つ手を抑えた。
 刃が顔に当たる程に近い。
 拮抗していた力も徐々にリゼの方が押され始める。
 このまま、本当に死ぬのか。そう考えると、途端に恐怖を感じる。
 まだ助けなくてはならない人がいる。しかし、思いだけでは勝つ事はできない。足を動かし、チェリーレッドの脇腹に膝を当てた。
 ナイフにかかる力が緩んだ隙に、押し返した。
 立ち上がって向き合う二人。
 リゼはここまでの疲労と、一昨日からのけがの影響もあって息が荒い。
 チェリーレッドは懐からペン型注射器を取り出す。
 だが、何を思ったのか、それを床に落とし、踏み潰した。
 こんなものは必要ない、そう呟いた彼女は、相変わらず笑っている。
 時間がない。決着をつけなくては。
「そろそろ終わりにしよう」
 リゼの言葉に、彼女も頷く。二人は構えて、地面を蹴る。
 一気に距離が縮まった。
 しかし、チェリーレッドの動きが遅い。何かに耐えるようにして、彼女が体に力を込めているのをリゼは感じ取った。
 突き出した刃は、リゼの脇腹に、チェリーレッドの胸に深く刺さる。
 彼女程の人物にこんな攻撃が当たるのかとリゼは驚いた。
 呻きながら倒れそうになるチェリーレッドの体を支え、ゆっくりと仰向けに寝かせる。
「さっきの注射器、何故使わなかったの?」
 チェリーレッドが捨てた注射器に、何が入っているのかリゼは知らない。
 だが、あれを捨てた事こそが、チェリーレッドの敗因なことは推測できる。
 吐血により呼吸が困難な状況で、彼女はゆっくりと話す。
「最後の最後、ぐらいは、自分の力でかちたかった……」
 精一杯の言葉だろう。
「あんなものに頼って勝つ事は、したくなかった……。あなたに、殺されるなら本望よ……」
 出会って二日の人間に殺されても本望だと言う彼女が、リゼには相当な変わり者に思えた。
「あなたは充分強かった。あの注射器を使われたら、間違いなく死んでいた」
 その言葉に、チェリーレッドは力なく笑う。
 そのまま、ゆっくりと瞼を閉じた。
 見届けたリゼは、自分の腹部に刺さっていたナイフの痛みを思い出し、呻き声を漏らしながらも何とか引き抜く。
 出血を抑えるため、バックパックから取り出した軟膏を塗り付け、包帯を巻く。早く傷口を塞がなくては危険だが、今はそんなことをしている場合ではない。
 非常階段の扉を開けたリゼに、カレンは今にも泣きそうな顔で近寄る。
「大丈夫よ。こんなの慣れてるから」
 彼女の頭を撫で、努めて笑みを浮かべて不安を和らげる。
 銃を杖代わりに、上へと続く階段を見つけたので、上り始める。

5、限界


 スカイタワー最上階は議長のものであった。だから、その真下に私達の探している物がある。
 そこは目を疑う光景だった。
 先程、チェリーレッドと戦った場所と広さは当然同じなのだが、窓が一切ない。しかし、真っ暗闇ではなかった。
 奥に青い球体の存在が確認できる。それが、この空間内を薄暗くする唯一の光。カレンに肩を貸し、銃口を床につきながら私は見た。
 かつてこの世界を、そして今はこの国を収めていた神のシステム。
「これが、MOGシステム――」
 驚きに満ちた声に答えるような拍手が、私の言葉を遮った。
「その通り。これが、この国の神です」
 サルベリア国議長、ローレンス・ソローが球体の側から姿を現した。
 私は杖にしていた銃口を上げる。
 議長はそれを向けられているにも関わらず、動じない。
「今すぐにシステムを止めなさい。従わないなら、どんな手を使ってでも――」
 叫ぶようにして彼に言う途中、金属音が響いた。
 議長の隣に、ひとりでに動く車椅子が現れる。
 それに座るのは、私の親友。
 天使の羽根のような、純白のドレスに身を包んだ神代キルアがそこにいた。
 名前を呼んでも、彼女は応じない。
 議長を睨みつける。答えを求めるようにして。
 私の無言の問いに答えるように、議長は話し始めた。
「MOGシステムがここに訪れたのはおよそ一年前。当時、私は議長の座に就いたばかりでした。国は酷い争いの最中で、このセントラルタウンもその一つ。このシステムが力により、この国は大きな変貌を遂げた」
 だが、と彼は続ける。
「システムはもう限界に近い状態であった。一年が経った今でも、国を脅かす不穏分子が残っている」
 ソローは、MOGシステムの中枢を見つめて語り終えた。
 では、何故キルアを誘拐する必要があったか。
 その問いの答えは聞くまでもなかった。
「キルアを、またMOGシステムとして利用する気ね」
 怒りを露わにして言った。
 しかし彼は、淡々と答える。
「少し違います。彼女は元MOGシステムとしての力をまだ少し残していた。その力をもらえれば、またシステムは力を取り戻す」
 食い縛った歯が音を立てる。
 その時、背後から声がかかった。
「やっぱり、そんなことだろうと思ったわ」
 振り返った私の目の前には、議長に向けて拳銃を突きつけた母の姿があった。「母さん……」
 母さんの顔にある殴打の後に、私は少し胸が痛む。
 けれど、母さんは私が母と呼んだことに驚き、そして傷ついた顔で微笑む。
再び厳しく顔を正す。
「ローレンス・ソロー、もうシステムを、私の親友を好きにはさせない!」
 母さんの叫びに、議長は答える。
「あなたは、この国を滅ぼす気ですか?反乱軍であるあなた達は、国を滅ぼすことになっても、構わないと?」
「私はね、あの子を助けるために、全てを投げ打ってきた。ここでそれを止めたら、これまでの犠牲を無駄にすることになる……」
 母さんの声は表情と共に弱っていった。しかし、彼女の側に一人の少女が寄り添う。
 今まで、何も語らずこの場にいたカレンが、母さんに抱きしめる。
 抱き着かれている彼女自身も戸惑いを隠せていなかった。
 離れたカレンは一度微笑みかけると、歩いていく。
 球体へ向かって、神のシステムの中枢へ向けて。
 その球体の前へ向かうのを誰も止めはしなかった。いや、動けないのだ。
 まるで何かに縛られているかのように、彼女以外の人間が動けない。
 ここにいる全員を見渡せる位置に立った彼女は振り返って言う。
「セリア、ハイネ。また会えたね」
 その言葉に母さんが銃を取り落とした。少女は、カレンという戦争孤児の女の子ではなかった。
 さっきの一言で、その正体を、知ることになった。
「まさか、あなたは――志弦カノン?」
 私の呆気に取られた声に呼応するかのように、球体が激しく発光し、光に呑まれた。

 恐る恐る目を開けた。
 そこは、広くどこまでも続く草原。空気は澄み、綺麗な日に照らされるその場所は、とても穏やかで優しく。
 理想郷(ユートピア)だ。そう思った。
 だが、私はここではない場所にいたはず。そうだ、スカイタワーの最上階付近。MOGシステムのある大きな部屋に私はいたのだ。
 一体何がどうなっているのか、状況を飲み込めないでいる私。
「気が付いたのね」
 背後から聞こえた声に振り返る。
 そこに立つのは、漆黒のドレスに身を包む、妖精のような女性。シクラメンのピンク色をした長い髪は黒によく映える。
「自己紹介、しましょうか?」
 女性は手を差し出して言った。
「初めまして、秋月リゼさん。MOGシステムの中枢、志弦カノンです」
 とても整った顔で、笑顔を見せる彼女。
名前を聞いた瞬間、私はその手を反射的に弾いていた。
 激しくなる動機を抑えようと必死だった。すると、彼女は強引に私に迫る。
 拒絶しようとした腕を振り払った彼女は、私の腹部に手を当てる。
 すると、チェリーレッドのナイフによる傷が完全に塞がった。他の小さな切り傷もなくなっていた。
 心なしか、体も軽くなった気がする。
「体は大切にしなくては駄目よ。あなたは、特に無茶をしているみたいだから」
 薄い笑みを浮かべ、私から離れる。
 先程の無礼を詫びようとしたが、彼女は歩き出してしまった。
 その後ろをついていく。
 しばらくいったところで声をかけると、彼女は歩みを止めて振り返った。
 その背後は全てを一望できるかのような崖。
 先には森と滝、川が流れているのが見える。
 その風景から、カノンへと視線を戻す。先程と変わらぬ薄い笑みを浮かべる彼女に問う。
「カレンという女の子は、あなただったのですか?」
 ゆっくりと頷かれた。一挙手一投足が艶やかでな彼女は、まるで女神のようで、全てを知っているといった風であった。
「あれは、私が作り出した自分の分身。ハイネがやったようにはできなかったけれど」
 その名前に反応する。
 元MOGシステムとして日本を管理し、今は私の親友として生きる女性。
 まだ聞きたい事はあった。
 しかし、私よりも先に彼女が言う。
「聞きたいのでしょう。どうして私が生きているのか」
 全てを見ているかのような瞳に恐怖を覚えるが、私は頷く。
 彼女が手を上げた。その指先に鳥が乗る。
「私は話さなくてはならない」
 彼女は語る。
 MOGシステムの中枢として生を。

 二一二三年、日本MOG管理局本部の最上階で、セリアを見送った私は、MOGの本体に納まる。
 カイルの作った爆弾を持って。
 メインPCと繋がるための電極が体に刺さり、培養液が私の体を包むかのように流れ出す。
 意識の遠退く中、私は見た。
 メインPCが伸ばした機械の腕(アーム)が、私の持つ爆弾を取り上げ、球体の扉が閉じられる前に投げ捨てるのを。

 次に目を覚ました時。そこはとても綺麗で、穏やかで、完成された理想郷だった。
 人間は私一人。いや、もう私も人間ではなかった。
 この場所はMOGシステムに与えられた最高の環境。
 理想郷、楽園、天国と様々な呼び名が浮かび上がる。
 外の世界を、この場所から観る事ができた。
 日本政府の姿が映し出される。
 MOG本部は封鎖されていた。
 しかし、それはあの三ヶ月の混乱の後、私の残した手記が読まれてから一年後のことであった。
 姿を現した政府は、私の存在を恐れ、国外への持ち出しを決意した。
 当然のことだろう。だが、これで良かった。
 私はもうこの国を管理の力から解放したかった。
 例え、追放されることになっても、それはそれで良いと思える程に私は、自分が生きていることに嫌悪した。
 日本の外を初めて見た。
 そこで、生かされる理由が知ることになる。
世界は凄惨な争いで埋め尽くされていた。アメリカですらそれの例外ではなく、日本は三ヶ月で混乱を終わらせたにも関わらず、そこでは私が送り込まれるまで戦いが続いていた。
 システムなんて、もうなかったというのに。
 私は全国民を管理し、争いを終結させた。
 アメリカが自らの足で立つ事が出来るようになった所で、次の戦場へと送られた。
 続く。神による管理は、次こそ本当に世界中を平和へと導こうとしていた。
 だが、私は知ってしまった。
 私は本当の神ではない。
 “限界”というものがある。
 それを感じ始めた頃に、このサルベリアに送られた。
 けど、私がここでまた管理を行おうとした時、国民の中に紛れた日本人の情報があった。
 こんな紛争地域に観光などで来るはずがない。
 その子は、最も大切で、今も私が愛する親友、清江セリアであった。
 彼女が何を思ってここを訪れたか、私には分かってしまった。
 崩壊したと思われていたシステムに囚われた私を助けるため。
 半分は自惚れであった。
 彼女が戦う姿を見て、私はとても哀しく、申し訳ない気持ちで押しつぶされそうだった。
 彼女に諦めさせなければ。私を助けるという使命を。
 そこで、私が見つけたのは彼女の家族であった。
 一人はアメリカ、そしてもう一人は日本にいる。
 家族を大切にしてほしい。
 その思いもあって、私はセリアの家族を呼び寄せることを決意した。

 寂しさを思わせる表情で、話終えたカノン。
「じゃあ、あなたは一年をかけて、ここまでの計画を……?」
「ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまった事は、この程度で許されるものではないわよね」
 彼女は私と父を呼び寄せるつもりだったらしいが、父が来なかったのは彼女の力が衰えているのを表しているかのようであった。
 アメリカにいる父を使って私を会わせ、サルベリアのウィリアムとチェリーレッド達にサムエルを殺すように仕向け、そしてサムエルに私をここへと導くよう伝言を残させる。
 私を呼ぶためだけに、どれほど多くの犠牲が出たのか。
 そんなことを考えている私の側で、カノンは話す。
「私はね、生きていて後悔した。システムのない世界で本当の自由を手に生きて欲しかったから。でも、その後悔は最初だけ。外の国を訪れる度に、私は自分の力で人々を平和に導ける事に快感を覚えていたのだと思う。でも、それが自分の親友に辛い使命を背負わせていることになるとは思わなかった」
 豊かな草に覆われた地面を見つめる彼女に、私は言う。
「あなたのせいではありません」
 上げられた彼女の顔を見ずに。
「母は、自分の意志で私達を置いてあなたを助けるための旅に出たんです。そのことであなたを恨まなかったかと言えば、嘘になります。でも、今は間違いなくあなたのせいではないと言い切れます」
 苦笑私の顔を、彼女は見つめる。
「私の母は、あなたを助けるために二〇年近くもの歳月を重ねてきました。娘の私としては、空白の時間を無駄にしたくはない。だから――」
 そこで少し口籠ってしまう。
 だが、はっきりと言わなくてはならない。
「あなたを助けたい。出された犠牲は、私達家族が元に戻ることだけでは償えないもの。一緒に日本へ帰ってほしいのです。システムとしてではなく、人として」
 言い切ることができた。
 母の思いを、私の思いに重ねて彼女へと伝えた。
 すると、彼女は笑った。
「やっぱり、あなたはセリアの子どもだね。あの子に似て優しくて、でも優し過ぎる」
 しかし、彼女の顔からゆっくり笑みが消える。次にその口から告げられる言葉は、冷酷で、悲しみを詰め合わせたかのようなものであった。
「でも、無理なの。私は、もう人として戻ることはできない」
 その言葉の真意を私は求める。
 彼女はゆっくりと話す。
「MOGシステムの平均的な稼働年数はおよそ一〇年。それを大幅に過ぎてしまった私の体とシステムは、もう限界を過ぎている」
 その言葉は、つまり彼女が生きて帰ることはできないというものであったのだ。
 近寄って、私の頭に手を置いて抱きしめる。そして、耳元で囁く。
「三つ数えたら、あなたの意識は元の場所に返る。ハイネ――今はキルアだったわね。彼女達を救ってほしい」
 カウントダウンが始まる。
 唐突な出来事に、私は慌てて拒否した。しかし、それは間に合わず、私の視界は暗転した。

 二三年前と似たような場所にいたはずの私は、いつの間にか草原の中に立っていた。
 ここはどこなのか。その問いに答えるかのような声が背後からかかる。
 私は、ゆっくりと振り返る。そこにいるのが、私の望む人物であることを願って。
 そして顔を合わせて、彼女は一言だけ言った。
「久しぶりだね、セリア」
 笑顔の彼女は、あの時と随分変わった風貌であったが、私には分かる。
「カノン……!」
 その場から、跳ぶようにして彼女を抱きしめる。
 震える私を、彼女の手が包み込む。
 少し離れたカノン。
「酷い顔してるわね。動かないで」
 そう言って、私の顔に手を近づけ、横に滑らせる。
 私の顔の傷と、疲労感が消え去った。「カノン、あなた」
 薄く笑う彼女は、やはり私の知っていた彼女ではなかった。でも、それでいい。今そこにいてくれるだけで。
「セリア、私のために辛い思いをさせてごめんね」
 その言葉に、私は首を振る。
「やっぱり、何をしてでもあなたを止めるべきだった。でも、こうしてまた会えてよかった」
 涙ながらに笑う私に、カノンは微笑む。「さあ、帰ろう」
 けれど、私が手を差し出すと、彼女の顔は悲哀を帯びた。
 そして、
「本当にごめんね」
 小さな声で言われた。
「何を謝っているの……? 私、怒ってないよ。だから――」
「違うの」
 カノンは、私の言葉を遮る。彼女の言葉を黙って聞くしかなかった。
 もう限界を過ぎて稼働しているシステムは、彼女の体ごとその生涯を終えようとしているのだと。
 信じられなかった。カノンを半ば強引に抱き寄せた私は、聞き分けのない子どものように言った。
「あなたは、きっと助かる。絶対そうよ。だから、帰るのよ日本へ」
 涙が混じった声を聞いた彼女は、うん、うんと返す。
 しかし、それはどうしても受け入れなければならないもの。
 死とは、生きるということあってのもの。物語には必ず終わりがあるのと同じことなのだ。
「あっちに戻ったら、娘さん達を助けてあげて。あなたに似て可愛い娘ね」
 カノンの頼みに私は力なく頷く。
「愛してる、セリア。ありがとう」
 私の意識が、元の場所に戻る前、彼女の口から聞こえた最後の言葉であった。

 目が覚めた。手錠は外されているが、この真っ白な服は相変わらずだ。
 夢の中なのか。あの囚われた部屋で寝てから目を覚ました覚えはない。
 辺りを見回している私に、側から声がかかる。
 その声の主は、私と対照的な黒のドレスを着た綺麗な女性。
 彼女は名乗る。
「志弦カノンです。初めましてか久しぶりか分からないけれど」
 差し出された手を握り返す。
「神代キルア。元は亡白ハイネという名前だったらしいですけど」
 カノンは、知っていると返した。
「あなたは確かに元MOGシステムの中枢、そして私の友達だった」
 私と彼女が友達。そう言われて、何故か懐かしく感じる。
「もし、私にまだ亡白ハイネの記憶が鮮明に残っていれば、あなたと話せていたかもしれない」
 彼女は苦笑した。
「ここは、システムの世界。本当の、理想郷」
 澄んだ空気に、広大な草原。綺麗な緑が目に優しさを与えている。
 ここを見ていると、段々と私が私でなくなる気がする。そんなことを思った時だ。志弦カノンは口を開く。
「私は、もう戻ることはできない。この世界に長くいすぎた」
 そう言って、私の目の前に立ち、頭に手を置いた。
 私は不思議と抵抗を感じなかったのだ。そのまま彼女が小さく、しかし私にも聞こえるよう呟く。
「ハイネ、分かったよ。あなたの気持ちが。今度こそ人が人として生きれる世界を作ろう」
 私の頭から手を離すと同時に、もう一人が姿を表した。私の中から出てきたかのように。
 同じ髪の色。しかし、それは長い。
 反動で後ろによろめく私と、逆に前に倒れる新しく現れた彼女。
 その彼女を支えるように抱きしめた志弦カノン。
「また会えた」
 抱きしめられた彼女が目を覚ますのが、後ろ姿からでも、分かった。
「カノン?」
 名前を呼ばれた本人は、嬉しそうに笑っている。
 そして、一人残されたかのような私に語りかけたのだ。
「神代キルアさん、あなたの中に僅かながら残っていたハイネの意志は、私が連れて行きます」
 それはすなわち、私の中から完全にMOGの力が消えるということ。もう丈夫な体ではなくなる。
 だが、そんなことは問題ではなかった。私は今目の前にいる二人が求めた、本当の人間、システムの恩恵を受けない本物の人間となったのだ。
「亡白ハイネさん」
 私は彼女の名を呼ぶ。彼女は私の一部であり、私は彼女の一部であった。
「ありがとう」
 それだけであった。長年、存在は気付かなかったにせよ、一緒に生きてきた彼女への言葉はそれだけ。
 シンプルながら、その言葉には私の思いを宿している。
 伝わったであろう。証拠に、ハイネは微笑んで見せた。
「あなたの意識は、元の場所に戻ります。でも、まだ動けないと思います。目を覚ますことはできるでしょう」
 カノンに言われた私は、頷く。
 そして、私の意識は、元の体に戻る。去り際、二人が彼方に消え行くのが見えた。

 夢を見ていたかのような気分であった。私も、母さんも、そしてキルアも目を覚ましたような感覚であった。
 しかし、夢ではない。
 そこは本来いた場所。カレンの姿だけはない。それと、傷が癒えていることが全てを教えてくれた気がした。
 ただ、恐らくこの場で唯一彼女に会っていないだろう、議長が光に眩んでいた視界が回復したばかりのような動きをしていた。
 悪態を吐きながら、まだぼやけているであろう視界のまま銃を構えた。
 私が持っている銃を構えるよりも、先に一発の銃声が背後から響いた。
 母さんが撃ったのだ。続けざまに撃ち込まれる弾丸。
 議長は二歩、三歩と後ろに下がった所で倒れた。
 大きく息を吐いた母さんは銃を捨てた。まるで全てが終わったと言いたげに。
 私は、目を覚ましたキルアの元に駆け寄った。
 体が動かないようなので、車椅子に乗せたままにする。
 直ぐ側の球体を見る。
 培養液の中には、人の姿がある。
 だがそれは、帰ってくることのない人。誰も何も言わなかった。
 すると、球体から音がする。蒸気を上げて、開き始めたのだ。
 突然の事に私は、足下に流れてくる培養液に気を回すこともできなかった。
 中から滑るようにして、作られたスロープに彼女の体は落ちる。
 あの世界で会ったのとは少し違うが、彼女が志弦カノンであることは分かる。母さんが走り寄ってその体を抱き起こす。すると、カノンの体が発光した。
 さっき、カレンであった彼女が光ったのと同じだ。
 今度はその逆、カノンの容姿がカレンへと姿を変えた。寝息を立てているのが分かる。
 これは、という母さんの誰に対してでもない問いに声がかかる。
『彼女は新たな人生を歩む』
 母さんは顔を上げて球体だった装置に目をやる。
「なるほどね、あの時と同じ」
 再度、答える声。
『私は、何故彼女を助けたのか分かりません。プログラムの構造上、中枢として使われた人間よりも私達システムが生き残る選択肢を取らなくてはならないはず』
 システムが中枢とされていた人間の人命を優先した。そう語るのだ。
 母さんは、答える。
「あなた達は、カノンだけでなく多くの人間を見てきた。管理されることを幸せに願う者が大勢いれば、その逆の人間も同じ程にね。その中で形成された意識ではないかしら? 本当の意味で人を助けるという」
 何もかもを管理して掌握していたシステムは、自分の行いを振り返った。そして行き着いた結論が、人を管理するのではなく、本当の幸福へと導こうというものだったのだ。
 しかし、それを実行しようとした時には、システムとしての力は残されていなかった。
『長い間、志弦カノンと共にいたことで芽生えたこれは、“感情”というものなのでしょうか?』
 そうだとすれば、惜しいものだ。システムに管理されるのではなく、共存できる世界がようやく創られようとした所だったのだ。
 しかし、それは叶わない。
「私達はいつもそう。これからという所で、つまずく。でも、それがあったからこそ私達は今でも生きている。あなたの役目は今度こそ終わったのよ」
 そう語りかける母さんに向かってか、あるいは全ての人類へ向けてなのか、球体であったものはいよいよ途切れ始めた声で言う。
「これが――死。今まで決めてきた――もの。全てのものが行き着く――結末」
 その言葉を最後に、システムは完全に機能を停止した。唯一の明かりが消えたところで、後方からの扉が開き、光が差し込んでくる。
 政府軍の拘束を終えたアレン達が駆けつけたのだ。
 私達はシステムの完全なる終わりを見届けたのであった。

 MOGシステムの消滅から一週間。
 私は日本へ帰国するための準備をしていた。
 あの後、サルベリア政府軍の関係者は全員身柄を拘束された。
 今は新しい議長を選出する準備に取りかかっている。
 チェリーレッドの率いていた仲間も、ハンターによる神経麻酔薬を撃ち込まれ、全員逮捕された。
 例の薬については、今後一切の使用を禁止。開発中のワクチン作成に協力させるとのこと。
 逮捕するにあたり、こちらもかなり手を焼いたとアレンは語る。
 彼らは大学病院で傷の治療をしている所だ。薬の定期的な投与を断ち切っただけで、回復力に関しては普通の人間と同じレベルにまで落ちていると聞かされた。危険を分散させるため、それぞれ別の病室に移されている。
 その中の一人、シアンの元を私は訪ねた。
 ベッドで上半身だけを起こした姿勢の彼女は、私のことを厳しく睨む。
 しかし、背けてはならない。
 やがて彼女が口を開く。
「彼女は、最後まで笑っていた?」
 ええ、と返事をした私は、布に包まれたものを彼女の目の前に置く。
 チェリーレッドが使っていたナイフであった。
 自分を恨んでいる者を前にしてこの行為は馬鹿げているだろう。
 だが、彼女はナイフの刃に触れる。
 洗浄されてはいるが、私の血の跡が微かに残っている。
 シアンが肩を震わせる。
 彼女が落ち着いた所で、私は話した。今後について。今度こそ、ワクチンを作るための協力を惜しまないと彼女は答える。
「最後まで人として戦った彼女は、とても立派だと思うわ」
 病室を出る前に彼女に告げた。
「あの人らしいわね」
 シアンの答えはそれだけ。
 やるべきことは終えた。
 後はこの国の人間に任せるしかない。
 A派とB派が共存できる国を作るのは、ここに住む人達の使命だから。

 日本に戻る前日、私は海岸に呼ばれた。呼んだのは母さん。
 月が浮かぶ海を見て、立つ彼女の隣に立つ。
「ごめんなさい」
 最初に謝ったのは、私であった。
 再会して彼女に取った態度のこと。
 けど、母さんは穏やかな声で私に言う。
「いいのよ、あなたは悪くない。私があの人とあなたを捨てたことは事実だから」
 苦笑する母娘。私は問う。 
「日本に帰るの?」
「そうね。でも、まずはアメリカへ」
 父を連れて日本へ戻ると言う。
「あの人は、どうだった?」
「変わらないわ。父さんは父さんのままだった」
 お互いに質問しかできない。二〇年以上の溝は簡単に埋まりはしない。
 少しの沈黙の後、母さんが口を開く。
「リゼ、一つ頼んでもいいかしら?」
 カレンの事であった。
 彼女は、志弦カノンの時の記憶を一切持っていないことが分かった。
 母さんが彼女を育てると申し出た。
 だが、彼女をアメリカには連れて行けない。
 だから、父さんを連れて戻るまでの間だけ、彼女の面倒を見てほしいと頼まれた。
 だが、私は一係のみんなが乗ってきた軍用機で帰ることになっていた。
 頼めるのはキルアだけであった。
 彼女には私から話すと伝えると、礼を言われた。
 部屋に戻ると言う母さんの背中に声をかけた。
 振り返る彼女の顔を見て、私は何を言おうとしたのか忘れたと告げた。
 そう、と微笑んで、母さんはホテルへと戻っていった。
 しばらく残って、海を眺める。
 そして、いつもの気配を感じた。
「何の用?」
 気配へ向けて話しかける。
 すると、奴は私の隣に立った。
「随分と面白かったわ、秋月リゼ。あなたは私の期待通りだった」
 奴は、リリス・カーライルは月を眺めて話す。
「人間は脆くない。システムの恩恵など必要ない。あなたは私と同じ思想を持ったのね」
 嬉しそうに語る奴を、私は否定した。
「私は違う。この国にシステムは必要ないと言ったに過ぎない。あなたのように全てを否定した訳じゃない」
 リリスは笑う。
「そうか。なら、それでいい」
 意外な反応に私は、思わず奴がいた場所を見た。
 隣には、奴の姿はない。
 もう二度と現れることはないであろう、彼女。
 そして、母が親友の手記を読み上げた夢を見ることも。そんな気がしたのだ。

 翌朝、サルベリアの新政府関係者は私達を見送るべく、スカイタワーの屋上に来ていた。
 彼らへの挨拶を終わらせた後、それぞれの場所へと向かう。
 日本の軍用機に乗ろうとした時、ジェシカが走ってきた。
「リゼ、元気で」
 握手を交わす。
「本当にありがとう。ジェシカには色々と助けられた」
 そこでもう一つ頼みたいと付け足す。
「母さんのこと、頼んでもいい?」
 私の問いに、ジェシカは頷く。
 また手紙を書くと言い残し、彼女はアメリカのヘリに乗った。
 軍用機に乗ってシートベルトを締める。飛び立ち始めたその窓から、離れていく町の様子を眺めな、私は疲れを感じて眠りについた。

 警視庁とFBI、二つの組織が帰るのを見送った後、キルアはカレンの手を引いて空港へと向かう。
 和久井は部下を連れて、ここまで乗ってきた飛行機で帰るため、キルアとカレンの二人だけでジャンボジェットに乗ることになった。
 飛び立つ前、カレンは窓際の席から外を眺める。
「心配しなくても、日本に帰ればまたリゼ達に会えるわ」
 キルアが隣で本を読みながら告げる。
 それからしばらく会話はなかった。
 元MOGシステムの中枢として生きていた二人。
 記憶が残っていれば話題はいくらでもあるだろうが、その記憶がない二人は、まったくもって他人に等しい。
 口を開いたのはカレンであった。
「システムとして生きている時は、どんな気分でしたか?」
 彼女にはシステムであったという事は隠していた。
 しかしその質問は、覚えていると語っているような口調。
 キルアは本を閉じて、しかし彼女の顔は見ずに答える。
「中にいる時の前の私は、後悔していたはず。だから、志弦カノンという女性を後継者に選んだのではないかしら」
 その答えに、カレンは満足したのか再び窓の外を見た。

エピローグ

サルベリアから帰国して一ヶ月が経った。
 日本に帰ってからも私はいつも通り仕事に励む。
 でも、今日は違った。いつものスーツはクローゼットにしまい、代わりに真っ赤なチュニックを着る。
 髪を整え、軽くメイクを施して、車に乗り込む。
 場所は以前行ったことのあるフレンチレストラン。
 場所を登録しているので、自動運転で向かってくれる。
 母は父としばらくの間、アメリカに住むと連絡してきた。
 父の仕事が一段落してから、日本に戻れるようになると言う。
 カレンはキルアの家に引き取られ、しばらくはそこで生活することになった。本人の希望だ。キルアもそれを良しとしているので、私は止めなかった。

 日本に戻ってきた私は、ある場所へ向かった。
 警視庁最上階、テミスシステムがあるとされる部屋。
 以前クラリスが侵入を試みようとしたが、叶わなかったその場所は扉が開いていた。
 中に入ると、明るく、白が強調された大部屋の中央に誰かが立っていた。
「やはり、来ると思っていたよ」
 それは私達を纏める人物、和泉シモン。
 彼の背後に見えるのは、あのサルベリアで見たのと同じ球体。
 しかし、中には誰も入っていないのが分かる。
「テミスシステムとは、MOGシステムを元に作られた下位互換のモノであった」
 私の言葉に彼は頷いた。
「正義とは、もう人の手に委ねられたモノではないのだよ。システムが決めるのだ。裁く人間を」
 管理はされなくなった。だが、それは自分の身の回りのことだけ。
 私達の命は、このシステムに今も握られているに過ぎない。
 本当の機械に命を掴まれている。
 MOGの神託がなくなったとは言え、まだシステムに支配されている。
 彼と、その球体に向けて言った。
「確かに、よりよい理想社会を作れるならシステムに従うのも悪くはないかもしれない」
 けれど、と私は続ける。
「それは人の願いではなく、システムの願いである。人の在り方は変わるもの。でも、その意識を失ってはいけない。いつか、完全にシステムから離れた時代を取り返す時が来る」
「だが、少なくとも、今はその時ではない。そうだろう?」
 局長の言葉に私は頷いて踵を返す。
 すぐにとはいけないが、いつか人が人を裁く時が戻ると私は思って、その大部屋から出た。

 犯罪は相変わらず減らない。
 テミスシステムは捜査の手助けをすることに違いはない。
 しかし、犯人を生かすも殺すもこのシステムなのだ。
 考え事をしているうちに目的の店についていた。
 店に入り、待ち合わせをしている事を告げると、奥の席に案内された。
 スタッフは、私を近くまで送ったところで去っていった。
 近づくと、誘った本人が慌てたように立ち上がった。
「ごめんなさい、待った?」
 それは後輩の日向であった。
 日本に帰ってから一週間が経った時だろうか。国外捜査の件についても落ち着きを取り戻したところで、彼から交際を申し込まれた。
 戸惑いはあったが、了承した。
 今日は交際から一ヶ月も近いということでどこかに出かけようと誘われたのだ。
 普段からは考えられない程の積極性に少し驚かされた。
 態々私が座る椅子を引くというエスコートまで見せてくれた。
「そんなに気を遣わなくていいわよ」
 それとなく諭す。理解したのか、彼は自分の席に戻って恥ずかしいとでも言いたげに顔を隠す。
 しかし、話し始めるとお互いに最初の事は忘れたようであった。
 その中で印象に残るものがある。
 日向が、自分に今日のような日が来るとは思わなかったと述べた事だ。
 私も同じだ。今まで仕事ばかりに生きてきた。
 単にこういうことに興味がなかったというのもあるが、自然と両親の事を意識していたのかもしれない。
 母さん達を見ていると、とても自分が誰かと共にいることなどできないと思っていた。
 けれど、実際に彼の想いを聞いた時、嬉しかった事は噓でなかった。
 この気持ちは、人ならではのものだろうと私は思う。

 一ヶ月記念ということで食事を終えた数日後、キルアの家を訪ねた。
 カレンの様子を聞くために。
「元気に学校へ行ってるわ。帰国子女なんて、今でも相当珍しいうえに頭もいいから、クラスでも人気があるそうよ」
 本を読みながらに語る彼女。
 その顔は何故か嬉しそうであった。
 母さんに報告するための情報をもらったところで、私は彼女と話す。
 これは普通の友人としての会話。
 日向とのことを聞かれたので、この前の一ヶ月記念を話すと、今度またあの店に行こうと提案された。
 約束をし、次に私が話す。
「システムに命を握られない世界、あるいはそのシステムと共存できる世界はくると思う?」
 あの警視庁最上階、テミスシステム管理室でのことは明かさず、キルアの意見を求めた。
 本を閉じた彼女は、それを机に置いて大きく息を一つ吐く。
 そして、ゆっくりと口を開いた。
「システム、というのが、何のためにあるのかを考えるべきではないかしら。単に人の全てを管理するだけでは、人が人として与えられた“考える”という行為、“知る”という意識を忘れ去ってしまう。明確な使い道のあるシステムなら、いつか人はそれの正しい使い方を見つけられるはず」
 キルアの考え。私は、微笑んであなたらしいとしか言えなかった。
 椅子から立ち上がった彼女は、窓を開け、日の射している広いテラスへと歩いていく。手すりを掴み、こちらを振り向く。
 風が吹いているため、カーテンがはためき、彼女の白いショートボブが揺れる。
「その世界を創るのは私達次第。そうでしょう、リゼ?」
 薄らと笑う彼女の元へと私も歩く。

神がいるとすれば、見守っているのだろうか、私達人類の明日を。
 そんなことを考えながら、私は友人であり、かつては創られた神として生きていた彼女と空を仰ぎ見るのであった。

alive

ここまで読んでくれた方がいるならありがとうございました。
夏休みに入って、唐突に書き始めたものが、ようやく終わりました。
自己満足の小説であり、誤字や読み辛い表現などが多々あったと思います。
これからも一応は書いていきます。
明確なテーマを考えていた訳でもないので、どう言えばいいのか難しいです。
最初の作品は、”システムに生かされている世界”、次は”正義と悪”。
そして、最後のこの作品は”生きるとは何か”について重点を置いたと思います。
また作品を上げるので、その時に読んでもらえると嬉しいです。

alive

世界の全てを"管理"していた『MOG』システムの崩壊後、治安維持のため創られた「警視庁治安維持課」。 治安維持課一係の一員・秋月リゼが、テロ集団による事件を解決に導いてから2年が経った頃、ある一件の立て籠もり事件が起こる。 その事件が始まりと言うかのように、リゼはある場所へと導かれていく。

  • 小説
  • 長編
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-31

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 1、発端
  2. 2、過ち
  3. 3、血縁
  4. 4、人生
  5. 5、限界
  6. エピローグ