シアワセノトキ
#01
2010年2月
風が鋭い刃物のような冷たさで街中を駆け抜けていく。乾いた空気がやけに埃っぽく、思わず唇を硬く閉じた。
土曜日の午後。遠野誠人は旧知の友人のオフィスへ向かった。横浜駅からほど近くにある新築ビルのワンフロアーに「株式会社I.C.」はあった。
オフィスには受付兼総務兼秘書の女性スタッフがひとりおり、誠人が扉を開けると愛想よく奥の部屋に通してくれた。
「鈴木さん、ご無沙汰してます」
「よぉ」
株式会社I.C.の社長、鈴木啓太郎は手に持っていた雑誌をテーブルに置くと、ソファから立ち上がった。学生時代アメフトで鳴らした体は、今や運動不足がたたりジャケットの上からでもメタボが分かる。
「元気そうだな」
「おかげさまで。いつまでも海底にいるわけにもいかないですから」
誠人は、そう言って啓太郎が差し出した右手を握った。
「どうだ日本は?」
「まぁ、この不景気では。商売上がったりです」
誠人は適当な回答をして勧められるがままに座った。癖で足を組みそうになり慌てて戻した。ここは日本だ。年長者への礼儀を忘れてはいけない、と誠人は自分を戒めた。
「土日も仕事してるなんて鈴木さんらしくないですよ」
「真面目な経営者なんで365日働いてるのさ。なんてのは冗談で、今日は1件、来週早々にあるプレゼンの最終チェックがあってさ」
株式会社I.C.(イマジネーションサークルズ)は、デザイン会社だ。営業が苦手・嫌いなデザイナーや若手のデザイナーを囲い、鈴木が仕入れた仕事を各デザイナーに振り分けている。若い頃に大手広告代理店で経験を積み33歳で独立した鈴木は、親の遺産でI.C.を起業した。
何人かの能力あるデザイナーと契約することに成功し、ここ数年の業績は悪くない。広告、プロダクトデザイン、エディトリアル、ウェブと様々なところでI.C.のデザイナーたちの名前を見ることができる。
鈴木のような元来金に困っていない人間だからこそできる仕事だと誠人は思う。このご時勢、デザインだけで事業していくのは難しいことだ。おまけに虚栄心の強いデザイナーをコントロールするのは至難の技だし、マイワールドに篭りがちな才能を大衆化させられるのはディレクターとしての高い能力が必要だ。
女性スタッフがコーヒーを持って現れた。テーブルにカップを置くスタッフに鈴木は、
「チトが来たら呼んでくれ」
「了解です」
#02
女性スタッフは、誠人に品の良い笑顔を見せる。
コーヒーの香りが部屋を満たし、冷えていた体の芯がほぐれていく。
「君のほうこそ、毎日出社してるの?」
「当然じゃないですが。これでもサラリーマンの端くれですから」
「サラリーマン、ね」
鈴木は、苦笑する。
誠人は、カップに口を寄せながら「日本でネクタイ締めたらサラリーマンですよ」と嘯いた。
「もう2年経つのか?」
鈴木の問いかけに誠人は視線を上げた。
「NYの投資銀行を退職して、2年以上経つか?」
「・・・ええ、2007年の6月でしたからね」
「どうして予感したんだ?」
その質問に誠人は、口元をゆがめた。
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