トマト姉とぐるぐる弟

 変なのです。変なのです。
 ぼくの姉は、たぶん変なのです。
 変か、変ではないかの基準は人それぞれかもしれない。けれども、ぼくの姉が変であることは誰からも一目瞭然ではないでしょうか。
 目の前にトマトがあるとする。
 ミニトマトではないトマトです。トマトは丸のままのトマトに限ります。冷蔵庫に入れる前のトマトがひとつ、時折ふたつ、みっつ、ダイニングテーブルに置いてあるとする。それを、姉が見つけたとする。
 ぐちゅ。
 という音と共に、トマトはつぶれます。手で握りつぶすのです、姉が。(姉曰く)冴えない会社でコピー機や急須とにらめっこしている二十四歳の姉が、無言でトマトを握りつぶすのです。ぼくはその現場を陰から度々目撃していた。姉の白い手からトマト汁が、ダイニングテーブルに滴り落ちる。姉はトマトがひとつしかない日も、みっつある日も、つぶすのは必ずひとつのようでした。独自の決まり事でもあるのか、姉は、握りつぶしたトマトは皿にのせ、塩を振るって食べるのですが、道具を使わずまるで犬のように食べるのでした。薄暗がりのキッチンで姉の行為はなんだか、一種の儀式のように思えるのでした。舌で皿を舐める姉の顔はどこか恍惚めいているので、自慰行為とも思えるのでした。
 笑っている。
 今日も姉はトマトをつぶしていた。姉は笑いながらトマトをつぶせるようになっていました。てのひらに収まらないくらい大きなトマトを、指を折り曲げ、じわじわと力を込めていく様が見て取れました。姉はよく笑う人なのです。それも静かに微笑むのではなく、声を出して豪快に笑う人なのです。姉の白い指が徐々に赤い表面に食い込んでいるのがわかる。姉の爪はつややかできれいです。でもあんなに爪を立てては姉の美しい爪のあいだにトマトの果肉や、黄色っぽい小さな種が挟まりそうです。ぼくは見てはいけないものを見ている気分で、目を離せないでいる。お父さんもお母さんもまだ仕事から帰ってきません。姉は先週から仕事を休んでいます。一日テレビを観たり、漫画を読んだり、家の中を歩き回ったり、ぼくたちが日中、外にいるあいだにどこかへ出かけているようですが、ぼくが帰ってくる時間には絶対家にいます。姉がトマトを握りつぶす日は以前より増えていました。それでも一日ひとつは守り通している。姉の考えていることは当然、ぼくには微塵もわかりませんが、むしろ誰にもわからないでしょうが、トマトを握りつぶす儀式をぼくはすごく変だと思うのに、姉を止めようとは思わないのです。
 ぼくは夕方から夜までの短い時間に行われる、姉の秘密の儀式を半分おかしいと思う。半分美しいと思う。悲しいけれど興奮もする。姉の握りつぶすトマトになりたいなどと、思いたくないのに思ってしまう。姉を観察していると思うことがぞくぞくと生まれるから、すこしつかれます。つかれてくると、自分が今なにをしていて、なにを考えているのか、よくわからなくなってきます。頭の中でたくさんの人間がわらわら賑わしている気がする。食べ物を粗末にしちゃダメだよ。ぼくは大声で叫びましたが、それが姉に届いたかどうか。

トマト姉とぐるぐる弟

トマト姉とぐるぐる弟

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-28

CC BY-NC-ND
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