人物列車
短編で幾つかの話を書いていけたらと思います。
山高帽
青の国、私が育った国。
私のお母さんが生まれた国。
青い空と青い海、青い屋根の家と青い服を着た人たち。青い眼の女王様が住んでいて、
みんなが穏やかに暮らしている国。私の大切な故郷。
だけど、それも今日でお別れ。
今日、私は狭い一色の世界を飛び出して、新しい色を見に行く。
きっと今の私はまだ青々としているけど、これからたくさんの知らない色に染められていくのだろう。
カタンコトンと古びた列車がレールの上を走るのと同時に青く染まった私の故郷は小さくなっていく。
鼓動が速くなって、トクトクと胸に響いてくる。きっと不安なんだ。
見慣れた青の街並みが懐かしく思えて仕方がない。
笑顔で送り出してくれたお母さんの顔が思い出されて、つい弱気になってしまいそうだ。
こんなことではダメだ。
もはや豆粒のように小さくなってしまった青い国に背中を向けて、列車の一番前の座席に腰を下ろした。
行き先は赤の国、私が生まれた国。
私のお父さんが生まれた国。
私は自分が生まれた国のことをよく知らない。私が生まれてすぐにお父さんは戦争に行ってしまい、二度と帰らなかった。
お母さんは青の国で私を育ててくれたけど、赤の国には一度も戻らなかった。
「赤は血の色、赤の国は戦争が好きだから血で染まっているんだ。」
青の国の人達は揃って同じことを言った。
彼らは赤い国が嫌いだ。
お母さんも、私が赤の国に行くと決めた時は散々悩んだ挙句にやっと納得してくれた。
それに、私だって青の国で育った青の人。赤の国が好きってわけじゃない。
だから、私は確かめたい。
私の生まれた国が、お父さんの故郷が、本当に争いの絶えない国なのか。本当に血塗られた国なのか。
自分の目で見ないとわからないことが、世の中には沢山あるって知っているから。
甲高い金属音をあげて列車が止まった。数人の乗客たちが下車したところで車掌さんがやって来て切符を切って回った。
まもなく列車がゆっくりと発進して、加速していく。私の体は一瞬座席に押し付けられたあと、すぐに元通りになった。
カタンコトンと小気味の良い音が再び聞こえてくる。
私は残る不安を取り消すように、あるいは誤魔化すように列車の刻むリズムに耳を傾けた。
すると、今度はカツンカツンという音まで聞こえてくる。何かが床を叩くような、軽快な音。
カツンカツン。
音はちょうど私の斜め後ろの方で止まった。私がそちらを向くと背の高い山高帽をかぶった紳士が立っていた。
「お隣、よろしいですか。」
紳士は私の隣を指差しつつ、低く落ち着いた声で尋ねた。
私が軽く頷くと紳士はにこりと笑い、私の隣に腰掛けた。
「後ろは座り心地が悪くてかないません。」
彼は肩をすくめてみせた。山高帽の下から高くて長い鼻と綺麗に整った髭をのぞかせている。
私は彼の装いがあまりにも場違いであったので、彼を見つめたまま言葉を忘れていた。
「おっと、これは失礼。わたくし、クライムと申します。以後、短い間でしょうが旅のお供を。」
クライムは山高帽を脱いで深くお辞儀をした。
ますます不思議な男だ。普通、上流階級の紳士は移動に列車など使わない。
「ところで、このように可憐なお嬢さんとご一緒できるのは光栄なことです。お名前を聞かせてはもらえないでしょうか。」
思考停止状態だった私の頭に電撃が走ったのは、彼がそう言いながら私の手を取ったからだ。
私が半ば条件反射で彼の手を振り払うと、クライムは少し困った顔をして髭を撫でた。
「……アイです。」
私がようやく名乗ったので、紳士は顔を緩めてよろしくと言ったあと再び山高帽をかぶった。
それからしばらく彼は外の流れ行く景色を見つめていたかと思うと、ふと顔をあげておもむろに話し出した。
「まだお若いお嬢さんが1人で旅をするのには、きっと大変な理由があるのでしょう。しかし、外の世界であなたのように真っ青な方が生きて行くのは極めて困難です。」
彼は顎髭を撫でながら遠くを眺めるような眼差しで続けた。
「世界はあなたが思うほど、色に満ちてはおりません。この世は往々にして真っ黒です。あなたは青の国出身とお見受けしますが、お嬢さんは運が良い。あそこは不思議なほどに穏やかだ。」
クライムの顔は話している間ずっと悲しげだったが、青の国について話すときは優しい顔をした。
「差し支えなければ、旅の目的をお聞かせ願えますか。」
最後に力のこもったような声でそう言って、彼は私を見た。
人物列車