題名は『自由』
曲線を描く時、僕はいつもそれ用の定規を使っていた。
だが今日は気まぐれに、そのアイテムを使わずにフリーハンドで線を描いてみた。
長年愛用している、見知らぬ企業の名が入った古いボールペンでの試みだった。
いざやってみるとなかなか美しい線が描けたので、僕は気を良くして続けざまに幾つか直線を引いてみた。
ずっと定規を使っていたためか、その癖が身に付いていて、不思議とどの線も様になった。
これこそ唯一無二だ。
僕はもう無性に嬉しくなって、どんどん線を描き足した。
曲線、直線、波線、点線、何でもアリだった。
乱雑な線の重なりが清潔な紙面をみるみるうちに傷つけていった。
僕は夢中かえった少女のように、手を叩いて思いきり笑い出したい衝動に駆られていた。
「何をしているの?」
ふと、不安げな眼差しの妻がひょっこりと僕の後ろから顔を出して紙面を覗きこんできた。
僕は肩をすくめて彼女に答えた。
「アートさ」
ミューズが降りてきたんだ、と僕が付け加えると、妻は首を傾げて僕を睨んだ。
僕はさらに一本、今度は太めのサインペンで縦に直線を引いた。
稲妻のごとき逞しい直線だった。
僕は、どんなもんだい、と得意になって、その「詩」を両手で掲げた。
奥にあるアクアリウムの照明によって透かされたその詩は何とも言えず幻想的で、天啓もかくやとばかりに意味深げだった。
「何でもいいけれど、自分でちゃんと始末してよね」
妻はつまらなさそうに呟くと、さっさと部屋を出て行った。
僕はしばらく自分の作品を満足感に浸って眺めていた。
水槽の熱帯魚たちは素知らぬ顔で青い世界の中を行き来していた。
…………詩の意味?
それはミューズに聞いてみないとわからないことだ。
言葉は時に絵画的で、絵画は時に凄まじく詩的だ。
僕は独り納得し、目の前の紙をくしゃりと丸めてゴミ箱へと放った。
完璧である。
失せることで今、詩は完成した。
終
題名は『自由』