触れられない恋

 電車の中には若いカップルや子連れの夫婦、男子高校生の集団など、クリスマスを楽しもうとどこかへ向かっている人もいれば、「私には関係ありません」とでも言いたげな表情のお姉さんや疲れた顔をするおじさんもいた。
 満員とまではいかないが、そこそこ混んでいる電車で、俺は扉の前に立って景色を眺めていた。外はもう陽が沈み、少し暗くなりかけている。
 クリスマスを家で過ごすのも、馬鹿な男友達と遊ぶのもやめて、俺は母親が勤めている飲食店へと向かっていた。「お金がないなら手伝いなさい」と言われ、しぶしぶ家を出たが、あまりの寒さにすでに後悔している。
 景色が駅のホームへと変わり、電車が止まる。ぼうっとしていたら、勢いよく流れ込んできた人に危うく倒されそうになった。
 なんとか踏ん張って元の位置に戻り一息つくと、扉が閉まる合図が鳴った。そのときにするっと俺の隣に小柄な女の人が入ってきた。顔は見えないが、サラサラの長い黒髪に臙脂色のカチューシャが大人っぽく見えた。大学生だろうか。いや、俺と同じ高校生かもしれない。
 彼女は大きめな紙袋を両手で抱えていた。車内が揺れる度に、危なっかしくよろけたが、紙袋は大事そうに持ったまま離さなかった。
 混んでいるために足場の少ない彼女は、何回も俺の足を踏みそうになって、それをなんとかして避ける様子が可笑しかった。だが、次の駅に着いたとき、とうとう揺れに耐えられず、俺の胸に飛び込んできた。しっかりと足を踏んで。
「あ、す、すみません!」
 俺のジャンパーを掴んで謝りながら、彼女が顔を上げた。
 思わず、息を呑む。
 白く、透明感のある肌に、吸い込まれそうなほど黒い瞳とピンク色のふっくらとした唇。切りそろえられた前髪が彼女の可愛さをさらに引き立てていた。
 一目で惹かれた。俺は彼女から目をそらすことができなかった。
「……いえ、大丈夫です」
 平静を装ってそう答えたが、上手く声が出せなかった。誤魔化すために咳払いをして、やっと目を外の景色に向けることができた。
 彼女が手を離し、体勢を直したとき、反対側の扉が開いた。乗り込んできた人のせいでますます身動きが取れにくくなる。なんだってこんなに混んできたんだ、と思う反面、彼女が俺に近づいたのを嬉しく思ってしまう。
 そのとき、彼女の後ろに無理やり入ってきた男がぐいっと彼女を押す。俺の腹に紙袋が当たり、くしゃっと音がした。中身は何か分からないが、きっと大事なものなのだろう。お菓子のような俺の腹に当たって潰れるものだったら危ない。
 俺は彼女の近くの人を強引に手で押し、スペースを作った。まだ狭いけれど、マシな方だろう。
「大丈夫ですか?」
 そう訊くと、彼女から「え?」という声が漏れたので、俺は紙袋を指差した。もちろん彼女自身の心配もしたけれど、不思議そうな顔をする彼女になんて答えろというのだ。
 俺の行動の意味が分かったのか、彼女はすぐに顔を下げて申し訳なさそうに言った。
「すみません」
 彼女は少し俺から離れると、抱えていた紙袋を片手に持った。そのとき、見えてしまったのだ。彼女が大事にしていたものが、分かってしまったのだ。
 淡いベージュのマフラーと思えるものが紙袋の中にはあった。彼女が編んだものなのか、所々毛糸が飛び出している。それが俺には『頑張って作った証』にしか見えなかった。
 もしかしたら、友達にあげるものかもしれない。自分のために無理やり考えたが、その可能性はすぐに俺の中で消えてしまった。
 わざわざ友達に作るか? それにクリスマスだぞ?
 俺にはそのマフラーが、彼女が恋人に渡すものだと思わずにはいられなかった。
 白いダッフルコート、カチューシャと同じ臙脂色のスカート、そして首に巻かれた桜色のマフラー。こんな可愛い格好も、恋人のためなのかと思うと、ひどく虚しい気持ちになった。
 ふっと静かに笑ったとき、ちょうど駅に着いて、扉が開いた。一気に人が出て行く。その波に乗り、彼女も降りて行った。少し空いた車内にまた容赦なく人が乗り込んでくるため、彼女の姿を見失う。俺は扉の近くを離れないように踏ん張った。
「え……」
 なんとか人が乗り終わった後、ふと外を見ると、彼女が立っていた。
「ありがとうございました」
 彼女の声が消えると同時に、扉が閉まる。ガラス越しに目を合わせたまま、電車が動いていった。
 高鳴る心臓に手を当てる。彼女の姿が見えなくなっても、俺の脳裏には最後にふわりと笑った彼女の顔があった。
 ……触れられもしなかったな。
 暗くなった窓を見つめ、映る自分に向かってため息を吐く。そして、下を向いて苦笑した。

触れられない恋

触れられない恋

心に触れられもしないときもある。 メリークリスマス。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-25

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