純文学の書き方
まず風景や行動の描写を出来るだけ長くしてみて下さい。そうですね、鳥居を抜ける恋人達のこの写真を見てただ単に「二人は鳥居を抜けた…」ではなく、「二人は熱い想いをそれぞれの胸に秘めて真っ赤な朱色の鳥居を加速する鼓動の早さと同じ速度で通り抜けた…」と表現してみては如何でしょうか?そうする事により恋人達の感情が温度となって読み手に伝わりますし、芸術的要素も加味されるのではないでしょうか?芸術的要素は純文学にとってとても必要不可欠な要素です。ありふれた風景や何気ない行動を美しく、芸術的に描写する様に意識して下さい。それだけで印象が格段に違ってきます。
また、真っ赤な朱色と描写する事により恋人達の幸せな未来を想像させる事が出来ますし、逆に「二人は静かな想いをそれぞれの胸に秘めて真っ青な蒼色の鳥居を絶望の淵をゆらゆらと漂いながら通り抜けた…」と描写すると、前者とは全く異なる幸せな恋人達ではない未来を示唆する事が出来ます。とても興味深いですよね、言葉の選択によって状況や想いを操作出来るのですから。作者は読み手を言葉一つで誘引するが出来ますね。この物語を幸せな物語にするか不幸せな物語にするかは貴女自身に委ねられているのですよ。
そして純文学を書く事に於いて豊富な語彙も重要な要素ですね。今私が口にした、「胸に秘めて」や「絶望の淵」などという言葉は日常生活を送る上では決して必要とする言葉ではありません。文字として目で見ても不自然ではないけれど、言葉として耳で聞いて不自然だと感じる文章が純文学の骨頂だと言っても過言ではありません。普段決して使わない言葉を使用する事により知的な印象を与える事が出来ますから。貴女の持つありとあらゆる、日常生活で決して使わない言葉を総動員させて物語を紡いで下さい。「紡ぐ」という言葉も正に純文学に相応しいですね。
状況設定を考える上では日常を非日常に塗り替える、或いは非日常を日常に塗り替える事も必要不可欠だと思います。泥々とした人間関係や感情を深く掘り下げ、炙り出すのです。難しく考える必要はありません。先程も話した様に作者の書き方次第で計らずも純愛が不純に、不純が純愛になり得るのが純文学だからです。例えば…既婚者の売れない小説家の私が未婚者の美しい若い貴女と恋に堕ちたとして…不倫という不道徳な行為が言葉ひとつで、描写ひとつで美しい愛の物語になり得るからです。極論、作者の考え方ひとつで物語の方向性は変わりますし、人生の方向性だって変わります。読み手は非日常を求めていますからね。日常に非日常を溶け込ませ、非日常を日常に融合させるんです。非日常の経験がなくても大丈夫です。経験の無い事でも想像する事によって物語を紡ぐ事は出来ます。ただ…逆に言えば経験の無い物語は真実味を帯びないという可能性があります。利口な貴女ならこの意味が理解出来ますよね?
そろそろ講義の終了の時間ですね…結局のところ純文学の定義などというものは存在しないのかもしれません。何故なら自分自身が純文学だと自負しているものが他者から見れば純文学でもなんでもない、塵の様な言葉の羅列に過ぎない文章だと捉えられているかもしれないからです。そういう意味では明確に言うと文学なんてものは自己満足の総体性に過ぎない。自己満足の先にあるものが純文学なのかもしれません。
本日の講義はここまでですが…この後、お酒でも飲みながらもっと深く純文学について貴女とお話しがしてみたい。純文学を書きたいんですよね?貴女自身の人生の物語を面白い物語にするのか面白くない物語にするのかは…貴女自身に委ねられているのですよ?
純文学の書き方