クリスマスコンタクト

クリスマスコンタクト

 このくそ寒い中、歯をガチガチ鳴らしながら帰れるはずもなく、だから友人たちと飲み歩いて、アルコールでもって身体を温めていたわけだ。別にクリスマスを一人で過ごすのが辛かったからとか、そういった他意なんてもっての(ほか)で、純粋に男同士で盛り上がりたかったんだと言っておく。負け惜しみじゃないぞ。ちくしょう。
 とまあそんな動機は少なからずどうでもよく、いや、そういうことにしておいてもらえると助かるんだが、ともあれ俺たち男三人組は、ホワイトクリスマスを祝うカップルどもにこっそり毒づきながら、夜の駅前通りをこぞって歩いていたわけだ。ああ楽しいなあ。
 ふと、友人のひとりがなにかを見咎(みとが)めるように、脇に目を凝らした。誰かに睨み(ガン)でも飛ばしてるんじゃないかとも思ったが、そうでもないようで、彼の視線をたどっていくと、その先には、この町のチョボい観光名所らしい噴水の端に座るひとりの女がいた。
 アルコールで身体が温まっている俺たちはまだいいとして、この寒い中、その女は身じろぎひとつせず、ただうつむいて、自分の足元を見つめている。ひょっとしたら彼女も飲んでいるか、もしくは全身にカイロでも仕込んでいるのかもしれない。単に寒さに耐性があるだけとは考えにくいな。この寒さはほとんど殺人的だ。
「おれ、口説いてきていいか?」
 第一発見者たる友人が、頭をふらふらさせながら名乗りを上げ、彼女に近づいていった。
 ちなみに彼女の周りを通り過ぎる人間は、もちろん何人かいたわけだが、彼らはちらりと不思議そうな視線を送るだけで、すぐに忘れてしまったかのように、暖を求めて足早に去っていく。声をかけようという俺の友人が奇特(きとく)なんだろうね、やっぱり。
 さてさて、俺ともうひとりの友人が見守っているのが、彼女から十五メートルほど離れた位置だ。これが何でもない平日の夜中なら会話も少しは聞こえただろうが、生憎(あいにく)とクリスマスの定番曲が四方八方から溢れ出ているこの状況では、そんなことは望めない。そんな願いは口を突く前に喉元で霧散(むさん)してしまうよ。
 そんなわけで、挑戦者たる友人の挙動でなんとかやりとりを把握しようと目を細めていたんだが、これがまたうんともすんとも言いやしない。友人は派手なモーションというかボディランゲージというか、ともかく彼女になにかしらアピールしているなあということくらいは分かるのだが、いかんせん彼女のほうがこれまたピクリとも動かないときたもんだ。
 わずか一分。がっくりと肩を落とした友人がすごすごと帰還し、大きくため息をついてみせた。
「だめだ、あの女。この寒さにやられてフリーズしてやがる。どれだけ声をかけても眉ひとつ動かさねえ。あいつを動かすことができたヤツに一万やってもいいくらいだぜ」
 両手を広げてぼやくその言葉を、年末の資金難に困窮(こんきゅう)していた俺が聞き逃すはずはなかった。
「本当に一万出すんだな?」
「ん? おお杉崎、お前やってみるか? 一万プラス次の店の支払いを任されたっていいぜ」
 自信満々に言う友人に再度念を押し、俺はアルコールの勢いのみで女のすぐ横手までずんずん歩いていった。さあ、なんて声をかけてやろうかな。「手元にゴキブリがいますよ」とでも言えば瞬間的に驚いてくれるかもしれんな、真冬だけど。
 そんなことを考えながら、ふと彼女の横顔を見やる。
「お……」
 そこには夜中でも分かるくらい、ネオンに照らされた涙の筋がくっきりと浮かび上がっていた。こいつ泣いてたのか……。
 脳内の九割を占めていた福沢諭吉大先生が急激にしぼんでいく。俺は彼女の横にうっすらと積もった雪を手で払い、そこに腰を下ろした。彼女はやはり動かない。でもいいさ、俺は言いたいことだけ言って退散するとしよう。
「我慢大会か?」
 我ながら皮肉たっぷりなブラックジョークだと思うね。
「残念ながら、ここには主催者もギャラリーもいないぞ。賞金だって出ない。粘ったところで誰も喜びはしないさ。変化があるとすれば、明日あんたが風邪をひくくらいだな」
 俺の横で彼女がどんな顔をしているかは分からない。俺が彼女を見ていないのだから当然だ。「だから」と俺は続ける。
「何があったのかは知らんが、さっさと帰って暖かくして寝ろ。あんたが体調を崩すことで困る人間だっているだろう」
 会社とかな。
 言いたいことを全部吐き出してしまうとすっきりするもので、さて、仲間のもとに帰るかと腰を浮かせかけたとき、不意に首根っこを掴まれた。誰に? 決まってる、彼女だ。動くはずのない石像が、急に俺の(えり)を掴んだんだ。そりゃあ目を白黒させても無理からぬことだろう。ともあれ俺は、あまりの唐突さに思わず彼女の顔を凝視してしまった。
 綺麗な部類に入るであろう整った顔立ちを、今はどう見ても怒りの形に変化させている。それでもってその矛先はもちろん俺で、なぜかと言えば、たぶん俺の言葉のどこかに気に入らない点があったのだろう。
「……あなたに何が分かるの?」
 しんしんと舞い振るこの雪のように、透き通った声だった。
「何も分からないのなら放っておいて!」
 分からないんだろうと言われれば確かに至極もっともな話だが、それでもなんとなくは分かる。彼女の逆鱗(げきりん)に触れた言葉なんて探すほどのものでもない。
「人を待ってんだろ?」
 俺の言葉にはっとなる彼女。
「それはあんたの大切な人だ。少なくとも、あんたがこのくそ寒い中で我慢してでも待ってなきゃいけないやつだ。違うか?」
 肯定も否定もせず、彼女は無言のまま俺の首から手を離した。まあつまりは肯定ってことだろう。外れていてもニアピン賞くらいは狙えそうだ。
 彼女がゆっくり口を開いた――かと思ったらすぐさま閉じる。背後から足音が近づいてきたのは、そのすぐ後だった。
「おい、杉崎」
 振り返ると、そこには友人一号二号の面々。すばらしいタイミングだな、おまえら。
 俺は肩をすくめて見せる。
「一万と飲み代、よろしくな」
「あ、ああ……」
 呆気にとられる友人たちの脇をすり抜け、大通りへと戻っていく。やつらも俺の従者よろしく後ろをついてきた。俺は最後に振り返り、涙の跡を隠しもしない女に声をかけた。
「一時間後にまた来る。俺に絡まれたくなかったら、今のうちにさっさと帰れ」
 彼女の反応を待たずして、再び俺は歩き出した。
 
 
 そしてきっかり一時間後。
 タダ酒と臨時収入のおかげですっかり気をよくした俺は友人たちと別れ、再び駅前通りの噴水へと足を向けていた。どうせあの女は帰っている。俺が気にすることじゃないさ。じゃあなんで向かっているかって? その答えは簡単だ。そのほうが家まで近道だからさ。
 そして意気揚々と(くだん)の噴水を横切ろうとして、その足を止めた。
 見覚えのある女がじっと座って、しかしさっきと違って空を見上げていたのだ。
 明日の朝には溶けてなくなるであろう細かな粉雪を浴び、笑うでも怒るでもなく、ただじっと、暗く黒い地球の天井を眺めている。
 俺は彼女の脇に歩み寄り、もう一度訊いてやった。
「我慢大会か?」
 彼女は俺に視線を移すことなく、「そうね」と静かに答える。
「我慢大会だわ。終わらない我慢大会。こんなに会いたいと思っているのに、どうして会えないのかしら。わたしはあとどれだけ我慢すればいいの」
「さあな」
 彼女に(なら)うわけではないが、俺も空を見上げてみた。なんにも見えやしねえ。
「だが終わらないことはないだろう。待ち人が来るか、あんたが諦めさえすればそこでゲームセットだ。ハッピーエンドかバッドエンドかは、そうなってみないと分からないけどな」
 しばらく黙っていた彼女だったが、ふいに口を開いた。
「……長い話になるわ。聞いてくれる?」
 ひょっとしたらだが、彼女はもう、自分の中で決着をつけているのかもしれないな。ただそれを認めたくなくて、おもちゃをねだるガキのように、頑固に願いを曲げなかったのかもしれない。だからそれを誰かに話したかっただけなんじゃないだろうか。誰かに背中を押してほしかっただけじゃないかな。――ま、おれの勝手な解釈だけどね。
 だから俺は、その勝手を貫くことに決めたんだ。
「断る。俺はこんなところで凍死する気はない」
 言いながらポケットをまさぐって、さっきコンビニで買ったそれを取り出すと、彼女の顔の前に突きつけてやった。きらきらと輝くちいさなキーホルダー。クリスマスツリーをかたどったそれのあちこちでLEDが点滅している。
「だから飲み屋で聞いてやるさ。俺はもうさすがに飲めないが、あんたの話に耳を傾けるくらいならできるぜ」
「……これはなに?」
「俺からのクリスマスプレゼントだ。メリークリスマス」
 これでも俺はわりかし真剣だったんだが、彼女は突然ぷっと吹き出した。
「あはは、バカじゃないの? こんなおもちゃ貰うなんて、子供でもそうそうないわよ」
「なんだよ、いらないなら捨てるぞ」
 今度は俺が憮然(ぶぜん)とする番だ。酔っているせいか感情の起伏もやや大きいみたいだ。そう分析できてもコントロールまで回らないのが酒の怖いところだな。
「ごめんね、ありがと」
 彼女はそう言って受け取ると、楽しそうにそいつを眺めた。
「そうね、あなたのオゴリなら行ってもいいわ」
「任せておけ。さっき臨時収入があったばかりだ」
 あんた絡みでな、とはさすがに言わなかったが、ともあれ俺は立ち上がり、続いて彼女の手を引いて立たせてやった。その手は雪女のように冷たくて驚いたものだが、これから暖まることを考えればそう大した心配もいらないだろう。
 さて、これからが長丁場になりそうだ。しかしまあそれでも構わないさ。なんてったって今日はクリスマスだ。ひとりで過ごすより何倍もマシってもんだよ。それに――こんなきっかけの出会いがあってもいいだろう?

クリスマスコンタクト

クリスマスコンタクト

「我慢大会だわ。終わらない我慢大会」

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-24

Copyrighted
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