ホウセンカ

自サイト『lache』における
ハナコトバシリーズ作品。

14.02.17

「秋月さん、おはよう」


僕が彼女にそう声を掛けると、いつものように胸まで伸びた黒い髪の毛をさらりと揺らしてこちらを一瞥する。そしてまた、両手に収まる真っ白のブックカバーを被った文庫本に視線を落とすのだ。

彼女が纏う赤いワンピースと髪の毛と文庫本のコントラストは、いつみても陳腐な言葉にしてしまうのが躊躇われる魅力を持つ。

僕は満足して彼女からそっと離れ、広い講義室の中で指定席となった場所へ足を向けた。


「おまえ、本当に飽きないよな。脈無しもいいところなのに」


既に着席していた友人が僕に投げかける言葉も、いつも通りのものである。呆れたように、頬杖をついてこちらをじっと見つめる。


「飽きるとかじゃないんだ」


飽きるとかではない。脈が有るとか無いとかでもない。ただ、気になるのだ。

真剣な双眸を向けた僕に、友人は苦い笑みを向ける。


「しかもよりによって……」


言いたいことは分かる。

彼女の持つ、触れないでという雰囲気は誰もが察するものであり、空気を読む他の生徒は要望通り彼女に話しかけることはない。彼女はいつもひとり真っ白な文庫本のページを捲るのだ。


そんな中毎日懲りずにあいさつを続ける僕を、皆はきっと空気の読めない奴だとか、恋は盲目だとか、そういう風に思うのだろう。実際に、彼女からのあいさつが返ってきたことは無いのだから、皆の視線の意味にも頷けるし友人の言葉ももっともだと思う。


斜め右の5列分前に座る彼女の旋毛はじっと静かにその位置のまま動かない。ページを捲る時にだけ、ほんの僅かに動く。そしてその時、ワンピースの影も動く。



がちゃり、と前方の扉が開いて教授が入室し教壇へと登ると生徒たちも自分の席へと戻っていく。遅刻ぎりぎりに慌てて駆け込んできた友人が、隣に腰を下ろすのをただ横目に見ながら、やっぱり僕の視線はその向こうの彼女を捉える。



――ただ放って置けないのは、彼女がいつも赤いワンピースを着ているせいだ。


僕は比較的ロジカルな人間であるから、理解が出来ないのだ。


誰よりも存在を隠すように講義室の隅でひたすらにひとり読書を続ける彼女が、誰よりも存在を主張するような赤いワンピースを着ているという矛盾、それは。


もし、君は僕が話し掛けることを止めたらどう思うだろうか。


彼女は授業外の時間は、大抵中庭にいる。木陰に設置されているベンチで読書をしているか、花壇の前にじっとしゃがみ込んで花を見つめている。それはまるで花と会話をしているようだ、なんて友人に話したらとうとう病院に連れて行かれるかもしれない。


(……あ、秋月さん)

今日も彼女は、綺麗に咲き気持ちよさそうに風に揺らぐ花をじっと眺めていた。花壇一面を赤く染めたそれは、まるで彼女と同化しているようだった。


僕は腕時計を見て、間もなく次の講義が開始することを確認した。
けれど足はそのまま廊下を進まずに中庭へと進む。


じりりと僕を焦がすのはこの熱い日差しだけではないはずだ。一歩、一歩と近づくにつれて、焦燥感のような罪悪感のような言いようのない気持ちが溢れてきた。


彼女の後ろに立つと、太陽に伸ばされた僕の影が彼女を覆った。

ぴくり、と肩を上げた彼女は怯えたようにゆっくりと振り返る。



(嗚呼、どうして。そんなに泣きそうな顔をしているの)


僕は先程の気持ちが、彼女との境界線を越えてしまうことに対する憂慮だったと気付いた。そして後悔した。


ただ立ち尽くす僕を見上げた彼女は、小さく口を動かした。紡いだ小さな空気の束は音にならずに空間に放り出されただけだった。
それ以降、口を噤んで僕から目を逸らすように伏せた瞳。睫毛が小さく震えていた。



「ごめん、ね」

ぽとり、と。落ちるように口から出た言葉。


僕の自意識過剰で都合の良い解釈は、結果的に彼女を傷付けた。越えてはいけない境界線を矛盾への好奇心で踏みにじってしまった。


彼女は話し掛けないで欲しい反面、それでも赤いワンピースに自分という存在を投影しているのだと思っていた。人と関わるのに怯えながら、実は誰よりも寂しがり屋なのだと思っていた。



――もし、君は僕が話し掛けることを止めたらどう思うだろうか。


自分が浅はかで馬鹿馬鹿しくて。思わず力が抜けたように、自嘲の笑みがこぼれる。
早鐘を打つような自分の鼓動音や蝉の鳴き声や、遠くで響く始業の合図も全部五月蝿い。



じゃり、と地面を踏んで踵を返す。

よかった、これで僕は病院送りにならなくてすむよ。なんて、友人たちへ告げる言い訳を考えておかないと。やっぱり二人の言う通りだったよ。


痛いくらいに照り付ける陽を、目を細めながら睨んだ。



と、


ふわり。


目の前で赤いワンピースが揺れた。


それと黒く靡く髪の毛、今日も右手に収まる真っ白な文庫本。



やっぱり目が逸らせなくなるんだ。


「……あ、の!」

小さな唇が紡いだその二音は、上ずった声で酷く不格好だった。


視線を地面に往来させて、言葉を探すような素振りをみせる彼女はくっと手の平に力を入れるようにすると、息を吸って顔を上げた。


一瞬怯んだように双眸は揺れた。


「ホウセンカって、言うんです」

「、ん?」


その言葉に首を傾げると、彼女は先程の花壇に視線を向ける。

あの赤い花の名前。



「……花言葉は、私に触れないで」


なるほど。……まるで、秋月さんのようだ。

彼女が何を伝えようとしているのか、僕には全く分からなかった。見当も付かないことは苦手だけれど、僕は聞いてみたいと思った。静かに耳を傾ける。


「実が、なるんだけど……触れると弾けてしまう、だから」


彼女越しに見たホウセンカのふわりと揺れる花弁は、やはり秋月さんのようだと思った。


僕はじっと彼女を見る。

さらり、と風に攫われた髪の毛を耳にかけると下手糞な笑顔を見せたのだ。



「朝倉君、いつも、ありがとう」


彼女に対して初めて驚きという色を表したかもしれない。


「……僕の、なま、いや。やっぱり何でもない」


彼女が首を傾げ、どうしたの?と覗き込むから、今度は僕が視線を下げる番になってしまった。


視界の片隅で揺れる赤いワンピースを、少しだけ睨み付けた。



僕のご都合主義な推測も、少しは的を射ていたのだろうか。



どちらにせよ。
すっと流れ込むこの不可思議で温かい感情に、僕はこれからも振り回されてしまうのだろう。



――その花の名は

『ホウセンカ』

( 花言葉:私に触れないで )
( それでも僕は、君に触れてみたいと思うんだ )

ホウセンカ

ホウセンカ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-23

Copyrighted
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