イチゴオレと恋慕

イチゴオレ、何だかあざとい。


初めて彼女を見た時、漂う少女のあどけなさとは裏腹に、透き通った肌にしっとりと落された睫毛の影、口元を縁取る少しばかり艶を孕んだ薄紅から目を逸らすことができなかった。


その時も、彼女はイチゴオレを飲んでいた。しばらく経ってから購買の横に備え付けられた自販機で、それを購入して飲むことが彼女の日課であると知った。そしてもう一つの日課。



「池田せんせー」


一面を青く塗り潰された屋上は俺専用の喫煙場所だったわけだが、いつのまにか彼女の侵入を許してしまっていた。俺が居ることを確信しているように、扉を勢いよく押し開けながら僅かに鼻にかけた声で名前を呼ぶ。そして、俺を視界に捉えた彼女は白くて頼りないくらいに細いストローを咥えたままゆっくりとこちらへ歩みを進める。たかがストローのくせに、妙に意識してしまう。それを決して覚られないように、そっと避けるように視線を移した。


「危ないからストロー咥えたまま歩かない、何回言わせるんだよ」

「はーい」


聞き流していることを隠そうともせずに間延びした返事をした彼女は、俺が凭れかかっているフェンスに同じように体重を預けた。と、独特の甘ったるい香りがふわりと鼻腔に入ってきた。

彼女の手に収まったピンク色の紙パックが放つある意味忌々しい匂いを掻き消すように、吸っている途中だった煙草をもう一度咥えた。深く呼吸をし、肺と嗅覚を満たした。


「池田先生、壊滅的にイチゴオレが似合わないよね」

「うるせー」

「甘党だっけ?」

「敬語使えよ」


紫煙をくゆらせながら、煙草とは反対の手に収まる彼女と同じピンク色の紙パックに視線を向ける。残量を確かめるためにそれを持つ手を少し揺らすと、中でイチゴオレが波立ち容器の壁にぶつかった。間接的に伝わるその感覚は、殆ど飲んでいないため重かった。……甘いものは、苦手だ。


「またまた、嫌じゃないくせに」

「敬え」


嫌じゃないから困っているのだ。この小娘は。

彼女は屋上を吹き抜けた風に攫われた栗色の髪の毛をそっと耳にかけながら、からからと無邪気に笑う。

ふ、と自分の唇から小さく空気が漏れた。その微かな揺らぎに目敏く気付いた彼女は、そっと手を伸ばして俺のスーツのワイシャツをくいっと小さく引いた。



「ねえ、せんせい?」


敢えて逸らしていた視線は、彼女によって半ば強引に絡ませられる。



「……私のこと、好き?」


控えめに甘えた声色で、俺の思考までもを溶かしてしまうように。首を傾げて覗き込まれると、黒目がちの彼女の双眸に輪郭を暈した自分の姿が映った。そこにいる俺は酷く情けない表情を浮かべている気がした。


「宮村みたいな生徒、キライ」

「ひどいなあ」


彼女はわざとらしく頬を膨らませてから、可笑しそうに肩を竦めた。このやり取りも、もう数えきれない程繰り返している。


そして小柄な彼女は強請るようにして俺のネクタイを引っ張って、二人の距離を縮めようとする。決して強い力ではないけれど、それに従って少しだけ屈み、彼女の扇情的な唇にそっとキスを落とす。まるで、一種の引力だ。


二人の同じ、イチゴオレの大袈裟な甘さが絡む。




彼女のブレザーのポケットで携帯が揺れた。



ぴたり、と動きを止めて引力が消散してしまったかのように距離がとられる。宙に浮いた二人の香りは容易く、風に流されていく。

彼女はディスプレイを覗き込んで、一瞬だけ躊躇いを見せると俺に視線を返した。だから、小さく頷いて電話に出るように促した。



「……どうしたの?」

『莉帆いまどこ?』

「友達のクラスで話してた」

『いつものとこ、来て』

「うん、分かった。すぐ行くね」



彼女との間には、一歩分の距離もない。目の前で交わされる電話の向こうにいる相手との会話は、何の綻びも無く当たり前に刻まれていく。電話口から漏れるそれは、俺の耳にも届いている。


今日のタイムリミットだ。



「じゃあね、先生。また明日」

「……松井」


彼女は電話を切ると、そのまま距離を開けて行き、眉尻を下げた微笑を浮かべながら柔らかく手を振る。くるり、と背中を向けて彼氏の所へ向かう彼女を、無意識の内に呼び止めてしまう。


「なーに?」


スカートをふわりと揺らしながら振り返る彼女を、俺の腕の中に閉じ込めてしまって自分のものにしたいという独占欲が駆ける。伸ばしかけた右手は途中で空気を掴んで、元の場所へ戻る。


「授業はさぼるなよ」


いかにも教師といった台詞を必死に口先だけで紡いで、自分自身に言い聞かせる。喉元まで出かかった言葉は強引に飲み込み、身体の中にそっと隠した。そして、しっしっと手の甲で彼女を追い払った。



と、一瞬の間に詰められた空間。

再び引かれた彼女のものと似た色のネクタイ。今度は少しだけ乱暴だ。

そして、背伸びをして俺の唇と熱を共有した彼女。


ゆっくりと離れて、ほんの少しだけ照れくさそうにはにかむと、今度こそ屋上を後にした。


離れない感情と感覚に、イチゴオレの甘ったるい匂い。


それが掻き消されてしまわないように、疾うに短くなっていた煙草の火を消した。そしてやり場のない気持ちを持ったまま、がしがしと自分の髪の毛を混ぜる。


俺の渦巻く感情を嘲笑うかのように何処までも青く澄んだ空を、じっと睨みつけて大きく息を吐いた。



左手に持ったままのイチゴオレを一口含む。彼女が残したものと、同じ味。

選んだのは、俺自身なのに。



――嗚呼、本当に。甘ったるくて咽せ返りそうだ。

イチゴオレと恋慕

イチゴオレと恋慕

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-23

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