プロット「二つの身代り」
Aはある全国紙で、若い女性が被害者である誘拐殺人事件の記事を読む。犯人は不明である。女性の交遊関係にはトラブルは全く無い。死因や遺体の発見場所、その場所と自宅との距離等から考えて、複数の犯人による犯行の可能性が高い。
ある日、Aはクラシックのコンサートに行く。Aの左隣の客Bは、Aと背丈や格好が似ている。Aの左後方の男の客Cが、Bに対し、鋭く一言「うるさい、黙れ!」と言う。Bは単独の客であり、誰とも何も喋っていない。Aは不審に思う。また、BはCに対し、文句の一言も言わず、黙ったままである。しばらくしてBは一言「気分を害した」と呟き、立ち上がり、会場を去る。コンサート終了後、Aは会場の係員に呼び止められ、「隣の客と口論がありましたか?」と質問される。咄嗟にAは、仕組まれた冤罪を予感する。
BとCは何らかの犯罪組織のメンバーであると仮定した場合、今回のような馬鹿らしい中傷を仕組んで何の利益があるのか、解らない。更なる大きな犯罪のために、自分の良心や記憶を偽ったり、第三者(今回の場合はコンサート係員)を騙したりするための訓練でもしているのか?
ただ一つ言える事は、道徳に反した悪にしろ法律に反した悪にしろ、自己の悪行を他者の犯行に仕立て上げようとする行為や犯罪は、ずっと昔から存在する事である。そのような犯罪を扱った代表的な小説が、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」である。
フョードル殺害の犯人であるスメルジャコフは、父フョードルとの関係が最悪であり「親父を殺す」と頻繁に公言していたドミートリイを犯人に仕立て上げようと仕組み、成功する。フョードル殺害の犯人であるスメルジャコフは、その動機や原因はイワンの哲学的指導にあるとし、イワンを主犯に仕立て上げることに「ほぼ」成功し、イワンの良心と誇りを崩す。
Aは、専門家の助言を仰ぎ、今回のコンサートでの事件の解明に専念する。
プロット「二つの身代り」