失われた夏 6 夜のフリーウェイ
夏の盛りを少し過ぎた頃の、夜の遅い時間だ。秋風を思わせる様な涼しい乾いた風が吹いてくる。快適な夜だった。
車も疎らな夜の首都高速を、一台のステーションワゴンが走っていた。
夏木雅人が運転席に座っていた。
彼は、仕立ての良い白いドレスシャツを着ていた。
ボタンは、第二ボタンまで外し、袖を無造作に捲り上げていた。
夏の太陽に日焼けした肌が、より一層と白いドレスシャツを着た彼を引き立てていた。
助手席に、森下彩が乗っている。
彼女は、身体にフィットしたノースリーブの白いコットンワンピースを着ていた。
ワンピースから覗く白い二の腕や、綺麗な曲線の脹脛の脚は、十分に魅力的に見える。
「二人でドライブするなんて、久しぶりね」
「ああ、そうだね。前は、何処をドライブしたかな」
「ゴールデンウイークに、横浜で食事した後、時間があったから湘南まで一緒に行ったじゃない」
「ああ、そうだった」
「ねえ、私の事どう思ってるの」
「え、何……。何て」
彼女は、拗ねたような顔をした。
「何度も言わせないで」
「風の音で聞こえなかったよ」
彼女は、呆れたような顔をした。それから、彼の横顔を隈なく眺めた後、再び質問した。
「私の事、どう思ってるの」
彼は、しばらく彩の質問に応えなかった。
沈黙の車内には、解放された窓から風の音だけ聞こえた。
その入ってきた風に、彼の右腕辺りの白いシャツの布地が、はためく音が聞こえた。
フロントグラスの向こう側は、都会の夜に散りばめられた沢山の光が流れてくる。
窓から、秋ような涼しい風が流れ込んでくる。その風のなかに、確かに夏の匂いがした。
彼女は、彼の横顔を見ながら応えるのを待った。随分と長い沈黙の後に、彼は応えた。
「そうだな……。友達以上、恋人未満てところかな」
彼女は、更に呆れた顔になった。
「何それ、曖昧なのね」
「もし、私が他にもいい人がいたら貴方はどうするの」
「そんな人いるのか」
「いないわけではないわ」
「そうなのか」
と、彼は穏やかに言った。
「貴方の知ってる人」
彼は、少し驚いた表情をした。
「え、そうなのか。誰……」
彼女は、彼の質問には応えずに黙ってフロントグラスの景色を見た。
彼は、湾岸線方面へ車線移動した。
夜の遅い時間帯の首都高は、渋滞も無くて、ドライブするだけでも車内の空間は楽しくいい雰囲気だ。
車内のスピーカーからラジオの音楽番組が流れている。
声のトーンに甘い雰囲気を残した魅力的な声の女性DJだった。
彼女は、番組の最後の曲を紹介していた。
「今夜は、秋ような涼しい風が吹いてきますね。その風のなかに、まだ確かに夏の匂いがします。
少し夏の盛りが過ぎたのかな。
それでは皆さん、素敵な週末をお過ごしください。
さて、今夜の最後の曲……」
女性DJのナレーションが終わると、日本の70年代の曲が流れてきた。
懐かしい曲だ。アレンジもコード進行も、凝っている。それなのに聴いていると、それを感じさせないキャッチーでお洒落な曲だ。
彼女が、曲に合わせてさりげなく歌った。
彼は、黙って彼女の歌を聴いた。
彼女は、歌が上手だ。学生の頃に、ガールズバンドのヴォーカルをしていた。
素直な感じで、伸びやかな声域で歌う。
彼女の声は、さりげなく素敵で学生時代から好きだった。
彼女は、曲の終りまで完璧に歌った。
彼は、ステアリングを軽く持った左の手の甲に右手を叩いて拍手した。
彼は、前を見ながら懐かしそうに微笑した。
「学生の頃から、この曲好きなの」
「僕も好きだ」
「曲が。それとも、私が」
彼は、迷いなく応えた。
「両方……」
「一つに選べないのね」
「どちらも、素晴らしいからさ」
「ねえ、学生の頃に阿木さんていたじゃない。貴方と仲が良かった」
「えっ……」
突然、彼女が阿木貴子の話をしたので彼は動揺した。
阿木貴子とは、去年の夏の終わりに偶然出逢った。
それから、彼女と再び関係を重ねて来た。
森下彩には、何の事実も伝えていなかった。
「ああ、素敵な女性だったね」
「だった……。何故、過去形なの」
「ん……。卒業して、しばらくは会っていたけどね。ある夜を境に、僕達の気持ちは下降線を辿り始めたんだ」
「ふーん……。そうなんだ」
「そして、秋風が吹き始める頃に決定的になった。そして、それっきりさ」
「気持ちが冷めたのね」
「要するに、彼女は秋風に吹かれたんだ」
「彼女が秋風に吹かれた為に、気持ちも冷めてしまった。と、ゆうわけね」
「そうだな。そんな感じでいいと思う」
「ねえ、まだ夏の盛りを少し過ぎたばかりよ。秋風が吹くまでには、程遠いわ」
「うん。少なくとも今は、夏に違いない」
「だったら、貴方と二人で夏の思い出をつくりたいわ」
「どうするんだ」
「そうね。貴方と海へ行きたいわ」
「素敵だね」
「素敵でしよ」
「ああ」
「今度の週末にね。花火大会が、海であるのよ」
彼は、彼女の話を興味深そうに聞いた。
「花火大会か。充分に夏らしいね」
「そうなのよ。海を眺めながら花火を見るの。素敵でしよ」
「うん」
「夏祭りの露店も出るのよ」
「祭りと言えば、浴衣だな」
「浴衣も持って行くわ」
「そうなのか、楽しみだな」
「その海岸の近くに、リゾートホテルがあるのよ。明日予約するわ」
「ああ」
そこは、太平洋側に面した国定公園がある美しい海岸だった。海も、透明度が高い青いブルーで有名な場所だった。
「予定は大丈夫」
「大丈夫だよ」
彼女は、嬉しそうに微笑した。
「本当に。嬉しいわ」
「楽しみだね」
雅人は、自動車の窓を更に開けた。
窓から夏の匂いのする風が、車内の二人を爽快な気分にさせた。
二人の乗せたステーションワゴンは、真夜中の湾岸線を更に加速して走り去った。
失われた夏 6 夜のフリーウェイ