幸せの連鎖
人は生まれてから死ぬまでに
数えきれないほどの幸せと
数えきれないほどの辛い何かを経験する
私はいったい
何人の人に
いくつの幸せを
与えることができるだろう
幸せって?
20歳の冬、私は初めて近しい家族を亡くした。
亡くなったのは、78歳だった母方の祖父。私が18歳の時から肺ガンを患っていた祖父…じいちゃんは、ガンだと診断を受けてから入退院を繰り返し、何度も何度も生と死の境をさまよっていた。
18歳で高校を卒業してすぐ、地元の市役所に就職した私を、じいちゃんは近所の人に自慢して回っていた。それは、じいちゃん自身が昔、市役所で働きたかったという夢があったからだと、私はじいちゃんが亡くなってから、ばあちゃんに聞いた。
亡くなる何ヶ月か前、病院にお見舞いに行くと、じいちゃんは自分の病気のことはほとんど話さず、仕事はどうだ?辛くないか?と私の心配をしてくれていた。本当は自分が一番辛かったと思う。病院を出るとき、痩せて枝のように細くなった手を力なく振りながら、体に気を付けて頑張れよと言ってくれたじいちゃんの姿が、私の脳裏に焼き付いて離れない。
葬儀が終わり、喪に服すること3日。私は未だに、じいちゃんの死を受け入れられないでいた。もともと実家では一緒に暮らしていなかったじいちゃん。さらに19歳で職場の近くのアパートで一人暮らしを始めていた私は、じいちゃんと会うのはお盆とお正月くらいで、なかなか会うことはなかった。じいちゃんの家にいけば、またじいちゃんが笑って迎えてくれて、私の仕事のことを心配してくれるような気がして…。人の死を経験したことのなかった私には、初めての近しい人の死は、思っていた以上に辛くて、悲しくて、立ち直れないほどの出来事だった。
「なに?姉ちゃんまだ仕事行けてねぇの?」
私には、2歳下と4歳下の弟がいて、上の弟である和磨は、今年私の住むアパートの近くにある電気工場に勤め始めた。父親から私がアパートに引きこもって仕事に行けていないことを聞いたらしい和磨から電話がきた時、私はカーテンを閉め切ったくらい部屋で一人、感傷に浸っていた。
『うん…なんか家から出ようとすると気分悪くなって出かけらんなくて…』
電話の向こうの和磨は、じいちゃんが亡くなってから5日が経った今、もう平気で仕事へ行っている。それをおかしいとは思わなかったけれど、なんて強い人間なんだろうと思った。
「まぁ…人はいつか死ぬし、じいちゃんだってもともと半年の命とか言われてたから覚悟はしてたし…。俺は同級生が死んだ時の方がショックがでかかったよ。突然だったから」
和磨は、中学生の時に、同級生を交通事故で亡くしていた。たしかに、突然の死と、宣言されていた死とではショックの大きさは違う。私は、これが、このじいちゃんの死が初めて経験する死だから、きっと立ち直れないんだ。
「まぁ、ゆっくり休んで」
『うん、ありがとう』
それじゃあ、と和磨がいう声、そしてその後携帯から流れるツー、ツーという無機質な冷たい音。また一人になった私は、とは言ってもこのままでは良くないと、まずは散らかし放題の部屋の片付けを始めた。脱ぎ散らかした喪服や、葬儀でもらってきたお茶っ葉を片付け、掃除機をかけ、洗濯をして、玄関の掃き掃除をする。換気のために窓を開けると、冬の冷たい張り詰めた空気が、淀んだ部屋の空気と入れ替えに入り込んできた。清々しい気持ちもあったけれど、冷たい空気が鼻を通り、喉を締め付ける感じがなんだかいやだった。
幸せの連鎖