ランタンの火が消えるまで
「トリックオアトリート!」
子供たちの愉快な声が、今年も町中に響く。
今夜はハロウィン・パーティーだ。
悪霊を払うという本来の目的などすっかり忘れ、普段とは違う風変わりな衣装に身を包み、無償でもらえるお菓子に心を踊らせる子供たちの様子は実に滑稽で、騒々しく、そして可愛らしい。
ドン、ドン、と、玄関のドアを叩く音。
甘い匂いの立ち込めるキッチンで、姉がはぁい、と返事をする。
そして慌ただしく足音を立てる姉は、小さな悪霊たちにあげるためにたくさん作った焼きたてのパウンドケーキを持って、彼らを出迎えに行った。
「羨ましいねぇ、子供ってのは」
姉の背中を見送って、俺は飼い猫のキャシーに話しかける。
白地に黒渕の艶やかな毛並みを持つこの猫は、俺の問いににゃあん、とだけ返して、首の鈴を鳴らしながらするりと姉のあとを追った。
壁の向こうの賑やかな声を聞きながら、音のしなくなったダイニングキッチンで1人、寂しいねぇ、なんて呟きを漏らしてみる。
テーブルの上には目玉と口をくりぬかれた南瓜の頭。
ご丁寧に鼻の穴まで彫ってある。
窓の向こうに目をやれば、街や家のあちこちに飾られたジャック・オ・ランタンの光が赤々と燃え、まるで夜空のミルキーウェイのように子供たちの行く道を照らしていた。
「昔は俺が主役だったんだけどなぁ」
「いつの話をしてるのよ」
独り言のつもりで漏らした言葉に返事が飛んできて、振り返ればお菓子を捌き終えた姉が扉の前に立っていた。
ちりん、と鈴を鳴らすキャシーもすぐ横に並んでいたが、すぐに猫らしく空いたテーブルの上に飛び乗り、甘い匂いの染み付いたその場所に丸くなる。
「あれ、子供たちもう帰ったんだ。早かったね」
「他のおうちからもお菓子をもらわなくちゃならないからね。悪霊さんたちは大忙しなのよ」
そう言って姉は椅子に腰掛け、キャシーの頭を撫でる。
「私だって子供の頃はハロウィンの主役だったわよ? あれはあなたが産まれる前ね、私が6歳か7歳くらいのころの話よ……」
「姉さんまたその話? 俺もう聞き飽きたから良いよ」
ハロウィンの頃になると、姉はいつもある物語を語りだす。
当時はまだ少女だった姉と”かぼちゃのお兄さん”の、或る夜の物語だ。
それはとても不思議で非現実的な作り話のようなストーリーで、本人は全部本当だと主張するけれど信憑性は薄い。
飽きたとはなによ!と抗議する姉の声を背に、俺は席を立ってコートを手に取った。
「あら? どこかへ出掛けるの?」
「うん、ちょっと子供達にお話を聞かせてあげようと思ってね」
「お話? あなたが?」
首を傾げる姉の表情は年の割にとても幼く見えて、昔から変わってないなあ、と笑いそうになるのをぐっとこらえる。
「うん。いつも姉さんが話してくれるその話。それを俺なりにちょっとアレンジして、”かぼちゃのお兄さん”側からのお話を作ってみたんだ」
姉さんも聞きに来るかい、と聞くよりも先に、姉は「なあにそれ!素敵じゃない!私も聞くわ!」と言っていそいそと外出の準備を始めた。
「キャシーも来る?」
テーブルで丸くなる猫に姉が聞くが、キャシーはちらりと俺を見ると、ふい、と顔を背け、目を閉じて尻尾を揺らす。
「キャシーは興味ないってさ。行くよ、姉さん」
「待って!今出るわ」
慌ただしい足音を残しながら外に出る。
ハロウィンの夜空はちらほらと白い雪も散らしていた。
「……懐かしいわ、あの時もこんな夜だった」
聞き取れるか聞き取れないか、そのぐらいの声で姉が呟く。
姉がいつも話してくれる物語の冒頭もそうだ、こんなふうに始まっていた。
――それはハロウィンの近づく寒い夜でした。空からはやわらかな雪がちらほら舞って、色のない病室をさらに白くさせていました……
ランタンの火が消えるまで