焔の泡沫

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 ――あ、駄目だ。
 その感想を抱くのは人生で二度目で、その時も今と同じように死にかけていた。当時と些か趣は異なるけれども、目を閉じれば遂げられてしまいそうな死の実感は知っている。奇跡という金貨を持っていなければ、未来を買い取ることも許されないような。
 ただ、述懐の真意は別。駄目だと思ったのは俺の人生ではなくて。
 ――これは、叶わない。
 ささやかな身の程知らずの、成れの果てを。
 引き潮のように遠ざかる気配が、俺にも分かるように教えてくれた。

     *     *     *

 間抜けなくらいが丁度いい。この国はあまり権力者に良い思い出が無いから。
 でも、理由としては下の下か。俺が寝床を出たままの頭で、刀も佩かずに歩いていると知れば、名実揃った女王様たる我が姉は烈火のごとく怒り、宰相様こと我が弟は鼻で笑うことだろう。
 しかしどうも、王族としての義務だとか体面だとかは、自分には重すぎていけないのだ。
 ――別に、過去を清算出来た訳でも無いのだし。
 なんて白けたことを言うと、やっぱり姉は劫火の如く怒り狂い、弟は俺の無知を嗤うに違いない。長きにわたって虐げられてきた俺たち焔竜の民には、こうして国として独立したことだけでも大きな意味があると。一方的な弱者ではないと知らしめたことに意味があるのだと、澱んだ瞳で俺を詰るだろう。
 それでも良いと思う。連中が俺よりほんの少しだけ前向きに後ろ向きなだけだ。それは俺には分からない感覚だから、相互理解を図ろうと苦心する方が阿呆らしい。言いたいことなんて苦情が一、二件くらいで。
 少なくとも、今こうして城下町を歩いている時だけは、そんなしがらみからも自由だ。支配者を嫌うがゆえに、城下の住人たちは王族を必要以上に立てることをしない。俺たち王族が担うべき責務は唯一であって、それを果たしているなら日頃遊び呆けようがタダ飯を食おうが構う国民は多くないのだ。
 そうでなくても、『決定権』は彼らが持っている。その主従が明らかなうちは、誰も傷つかないで済むだろう。
 だからこそ、城下に下りて経済の活性化をささやかに支援するのが、俺の公務と言ったっていい。木とぼろ布で組まれた屋台がずらりと並ぶ大路を歩いていれば、この国の姿を肌で感じることが出来る。
 砂埃と岩と、そこに点在するあばら家の民家。石塀で囲むことが出来た唯一の平城を、身を寄せ合うように取り囲んで、今日も焔竜は朝を迎える。

「今日のお出ましは早いな。女にでも泊めてもらったか」
「昔の話だろ。別に今朝は麗しの女王様と顔を合わせなかっただけさ」
 曇った朝に似合いの言葉を交わして、屋台の奥に陣取る。朝露で湿気た席はお世辞にも居心地が良いとは言えない。そうでなくても、この店で気が利いているのは、注文を催促に来る旧知の店主の物言いくらいだ。
「そりゃ良かったな。相変わらずなんだろ、お前さんとこは」
「まあ、ね。どうせ今夜には顔合わすから、意味ないと言えばそれもまた」
「公務か? 最近増えたな」
「新参だから、あちこちに威嚇しとくに越したことはないんだよ。無駄に血税搾り取ってる訳じゃないぜ」
「当たり前だ」
 叩きつけるように杯を渡され、薄い木の机に埃が舞う。俺以外に来ないのだから、と彼が掃除を怠けるようになったのは何時からだったか。
「他の国、なあ。俺ら平民にはあまり想像できん」
「だろうな。ツラを拝んで帰るだけなら楽しいが、政治の話は面倒だ」
 俺には向かん、と杯を呷れば土の味が広がる。思わず目を見張った俺に、店主はしたり顔で腕を組んだ。
「いつまでも粗悪な水を出す訳じゃないぜ。今日のは上等だろ」
「ああ……驚いた。臨時収入でもあったか」
「ん、まあ――そうだな。いい加減、あんたに馬鹿にされるのも飽きてたんだ。そりゃあ、城で出るモンには劣るだろうが」
「いや、おべっかは抜きで美味いよ」
 手放しに褒めたのが悪かったのか、その後も店主は何かと照れ隠しのようなものを呟いて、いつもより早々と俺を追い出しにかかった。本当なら昼を過ぎるまで粘るつもりだったのに、こうなっては行く当てがない。
 最後の一口を転がすように飲み込んでから、城に戻ると告げる。
「ああ。他所の王様たちによろしくな」
「ただの付き添いだって。宰相閣下に言えよ」
「だったら宰相に言え、前みたく外に出て働けってな」
「手厳しいね」
 考えとく、と返せば店主はふいと片付けに取り掛かった。
 いよいよ帰るしかなくなって、気は乗らない。振り返って見れば、ちょうど中天の太陽を戴く城は支配者然としていて、俺の家と言うにはやはり少し大袈裟すぎる気がした。

 焔竜の国を作ると言い出したのは祖父の代だ。長く虐げられた奴隷たちの記憶でも最も過酷だった時期で、五体満足で働いている奴隷の方が少ない有様だった。
 正直な話、奴隷なんていうのは先に心を殺した方が得だ。自分が真っ当な生き物であるなんて、露ほども考えずに。自己評価なんて低いに越したことはない。現に、尊厳なんてものを夢見た祖父は両脚を無残に焼き潰され、まともに働くことが出来なくなったがために『処分』された。
 その記憶は見せしめとしては十分な効力を発揮していたと言えるだろう。結局、焔竜という国が興るまでには俺たちの代を必要としたし、今だってその呪いは根深く残っている。目的を果たすために文字通り手段を問わないのが長生きのコツだったが、その信条は殆どの国民の中に健在だ。
 古巣を飛び出して、この荒涼とした地に辿り着くまでにだって、取った手段が美談と呼ぶには血生臭すぎる。流れた血で水練くらいなら軽いかもしれない。
 それでも、こうして過ぎる時間を慈しむことが出来るのだから、俺たちの神経も都合が良いというか。要は、すべてを自らで勝ち得たのが無条件に嬉しいのだ。『自分の所有物』なんてついぞ持ったことのなかった俺たちは、貧困も、犠牲も、何だって見逃せた。――少なくとも、初めのうちは。
「お早いお戻りですね」
 石門をくぐって、その足で自室に戻るつもりだった。それを阻んだのは、変声期を迎えたばかりの掠れ声。
「おっと、捕まった」
 やれやれ、と振り返れば、ゆったりとした普段着に身を包んだ宰相閣下――実の弟が渋面で立っていた。
「ええ、捕まえましたよ。朝から姉さ――陛下を泣かせましたね」
「身に覚えが無いな。そんな罪作りなことはしないよ」
「今夜の公務のことです。朝食の時に答えると約束したのではないですか」
「あー……」
 弟とはいえ、地位は俺より高い相手に詰られ、俺は視線を逸らす。少し前なら可愛いものだと笑い飛ばせたのだが、こうも真面目に来られては却って茶化しづらい。
 ――何を必死に。
 そんな問いは飲み下して、俺は恭しく臣下の礼を取る。見よう見まねだが何とかなるもので、宰相はごくりと喉を鳴らした。背伸びしすぎなんだよ、とも言わずに俺は謝罪を口にした。
「忘れてました、お許しください。かといって、この後お会いするのも面倒なんで、『良いと思います』って伝えといてくれ」
「何でそこまで陛下を避けるんですか? どれだけ兄さんを頼っているか分からない訳じゃないでしょう」
「頼る? 馬鹿言うなよ、八つ当たりの相手役なんかごめんだね」
 は、と笑い飛ばすのは簡単だった。
 しかし、弟は頬を紅潮させると押し殺したように続けた。
「慣れない重責に不安なんですよ。ついでで言うようなことじゃありませんが、昨夜は食糧庫が襲われました。見張り番が殺されて、陛下は心を痛めておいでです」
「そりゃ災難だったな、陛下にとっても見張り番にとっても。それで、話は終わりだな? いい加減に戻りたいんだが」
「兄さん!」
 いよいよ踵を返して部屋に戻ろうとすれば、弟は声を荒げる。顔が見えないせいか、泣いているのかと思うほど悲壮な声だった。
「なあ、おちびさん」
 それに免じてではないが、足を止めて振り返る。
 俺も大概甘いな、と思いながら。
「賓客を迎えるって日にそんな事件が起きたんだ。だったらお前がやるべきは、ここで俺を責めることでも大好きなお姉ちゃんを慰めることでもなく、いかに粗相を隠蔽し通して何食わぬ顔で準備を整えるかだろ、宰相閣下」
 口をついて出たのは、何ともそっけない進言で。仕事は終わりだ、とばかりに今度こそその場を後にした。
 宰相はもちろん泣いてなどいなかった。

 自室、と言っても我ながら安らぎの場所とは程遠い場所で。
 最も値が張った寝台で横になれば、腐りかけた梁が目に入る。それも仕方のない話で、この城は辛うじて『それらしい』廃屋を、何とか国民と一緒に修繕しただけなのだ。雨が降ればこの寝台だって水溜まりとそう変わらない寝心地になるし、それなら初めから物は少ないに越したことはない。
 どうせ食べて寝るのに苦労しなければ、どこででも生きていける。
 そう思うのは、奴隷の頃の性分が抜け切っていないのだとよく言われるが、真理だと信じている。
 執事も侍女も、当然だが奴隷も要らない。
 ただこれだけのことに満足してはいけないのか、と思うのだが。
「――私は私でない私でありたいの、か」
 目を閉じなくとも思い出せる、鈴を転がすような声。
 何かの巡り合わせが悪かったとしか思えないような、無垢な笑顔。
「まるでお姫様だなあ、あんた」
 それでも。
 叶えてやりたいと思ってしまうだけ、夢見がちなのはどちらかなんて分かったものじゃないだろう。

「あたしだって、覚悟は固めてたつもりなんだが?」
 その微笑はどこか、触れれば崩れる脆い結晶にも見えた。
「この国の王があんたじゃなくて、『私』になった時から。昔から女の務めなんて決まりきってる、万国共通だろ」
 ――即ち。
「婚姻と、出産。元奴隷だから必要なんじゃない。女である以上は、やらなきゃいけない仕事だ。そうでなきゃ立ち行かなくなるものが多すぎる」
 長年の労働で擦り傷が茶色く沈着した肌。炎天下に晒され続けたシミだらけの顔。必要最低限の脂肪すら足りていない、痩せこけた体躯。かさついた髪に櫛が通るようになったのは最近の話で。
「きっと、これが最後の犠牲になるさ。もう皆、明日を不安に思わなくたって良くなる。希望はなくたって、絶望もしなくて良くなる。だから」
 骨ばった手が、俺の手を取る。お世辞にも抱こうとは思えない、貧相な女。それが、今度はとびきりの笑顔で。
「私は私でない私でありたいの。その手伝いをしてちょうだいね」
 と。
 何でもない、姉からの頼み事のように。ひどく残酷な勅命を下した。

 遺恨の大いに残る怨黒の国を除けば、隣国との関係はそう悪くない。
 理由は単純で、労働力という面において俺たちの右に出る集団はそういないからだ。傭兵が戦闘能力を売っているように、俺たちは労働力を売っている。個々は取るに足りない消耗品でしかないが、まとめて買い上げることの利点は大きい。今までの奴隷暮らしと違うのは、俺たち自身が報酬を手に入れられることで、焔竜の財政も各自の生活も俺たちだけで回すようになったことだ。
 それを元手に微々たるものながら税制を敷き、開業を奨励している。その中身が日雇いまがいの派遣労働に似通うのはもう仕方ない、習い性だ。何もないところからここまで来た俺たちが切り売りできるものなんてたかが知れている。
 男は労働力。女は体。
 それは今でも、あまつさえ王族であっても例外ではない。
「皆様お揃いです。進行は私が請け負いますが――」
 礼服に身を包んで現れた宰相は、玉座に気遣わしげな視線を投げている。その前に俺を睨みつけることは忘れないあたりが可愛いような、可愛くないようなだが、動きやすい平服のまま立っている俺には当然かもしれない。
 そして玉座に身を預けていた女王は、その言葉に背筋を伸ばして微笑んだ。
「宰相が同席してくれるなら心強いこと。辛い役目だけれど、お願いね」
「は、精一杯勤め上げます」
 健気な言葉にまた微笑みを深くして、ついと女王の視線が俺を捉えた。
「留守は頼みましたよ。くれぐれも寝過ごしたりなんてしないように」
「子供じゃあるまいし。ご心配なく、女王陛下」
 恭しく頭を下げれば、衣擦れの音がする。横を素通りする時に焚きしめられた香が鼻先をくすぐって、思わず目を閉じた。追従する宰相の足音が去って初めて、まともに玉座を見上げられる。
 先刻までそこに腰を下ろしていたのは、この国の象徴たる女王。
 透き通るような白い肌に、金糸のように染め上げた髪。濡れた瞳で男を招き、滑らかな肢体で搦めとる。
 忠臣になれない理由をこじつけるなら、『彼女』が姉とかけ離れすぎているから。
 彼女に尽くせぬ理由をかこつけるなら、『姉』との約束があるから。
 そのためならば、閨に赴く彼女を見送ることなど、いとも容易い話だというだけだ。
 今回の接待――なんて言うと例によって女王と宰相は怒り狂うが――は、要は見合いの宴席だ。といって、今日明日で婚姻が決まるという訳ではなく、招かれているのは祖国からの使命を帯びた大使たちばかり。
 そして今回の女王の仕事は、彼らを相手に自分を文字通り『売り込む』こと。その身体と抱える労働力とを引き換えに、有力者の子種を手に入れられるように取り計らってもらうのが最終目標だ。
 そんな話し合いと『味見』の現場に立ち会うなんて、宰相もご立派な自己犠牲精神をお持ちだ。今回断ったのはそれが理由ではないとはいえ、ごく普通の神経として遠慮したい役回りではないか。
 部屋から見える、丘の向こうの天幕――今回の会場で何が進行しているところかは分からない。それでも常ならぬ腹の底の滾りを覚えて、思わず踵を返す。今宵は、各々がそれぞれの使命を果たしている。

 王として、宰相として、家族として。

 それらの全てを免じられた我が身も、唯一の役目を果たさなければならないだろう。

 塀の外に出ようとしたところで、無機質な音に阻まれた。横合いから突き出されたのは、鋭い槍だ。
「……何の真似だ? 宰相ならまだしも、俺に夜の外出はさせられないのか」
 睥睨した先では、得物を構える門兵が唇を噛み締めていた。もちろん普段なら居もしない番人は、その手つきからして不慣れなのが明らかだった。
 こういった見栄を張らなくてはならない時だけに雇われる私兵の一人だが、俺のひと睨みで竦んでいるようではあまり上等ではないと見える。生唾を嚥下する音がこちらにも聞こえるほどだった。
「その宰相からの命令です。会合を邪魔されては困るので、今宵は城から出すなと」
 警告の声も震えており、ここまでくると何とも可哀相になってくる。
「――は」
 知らず洩れた笑いに、兵士は怯えを見せながらも引かなかった。
「どうぞ、お戻りを。宰相は『国益を優先せよ』と仰せでした」
「お前に伝言を残した時点で食い止めるなんて無理な相談だぞ。本当に止めたいなら、宰相が自分で言い含めれば良かったんだ」
「しかし、ここを通す理由にはなりません」
「必死だな、お前も。ああ……仕事だから仕方ないか」
 あくまで手に職があってこその、この焔竜の国だ。それだけに頼りきった国政が行き着くのは、実のところ仕事の出来ない弱者を切り捨てる未来でしかない。
 潤沢でない財政を割くことが出来るのは、真に仕事を果たせる人材に限られる。そこから零れ落ちないようにと、誰もが身を寄せ合っているようでいて蹴落としあう。
 世知辛い縮図だと。
 俯瞰できるのは、たまたま俺に地位が転がり込んできたからだ。公正ではない、公平ではない。
 たまたま、身内に意欲ある先駆者が多かっただけで。俺が成したことなどただの一つも。
「まだ、何一つやってない」
「え……」
「国益を優先、だろう? お望み通りにしてやる、だから通せ」
「しかし」
「そんなに心配ならお前も一緒に来いよ。どうせ姿を現さないだけで、他にも大勢お守りが残ってるだろ? 少しの間、代わりのお留守番を頼んだぞ」
「お待ちください!」
「付いてこい。安心しろ、走って逃げたりしないから」
「は……」
 呆気に取られる兵士に、二度は告げず足を踏み出す。後方でざわつく気配があったが、一つとして制止しようとはしない。唯一ついてきたのは、例の兵士だけで、俺は慣れた道を進んだ。

 夜闇の中、星明り以外の光源はなく、城門に面した大通りでさえ人の気配はなかった。今夜のような招待客の多い日には不必要な外出を禁じているが、そうでなくても夜の外出に用がある人間は少ない。
 俺たちにとって夜とは、昼間の労働に軋む身体を休める時間であり、花街の女でなければ部屋の外に出ることすらしないだろう。
 動いているのは、餌を探し回る野犬と、羽虫と。
「よう」
「!? ――何だ、あんたか」
「驚かせたか? 悪かったなあ」
 手で暖簾をのけると、頼りない油差しの火で照らされた店主の顔が緊張を解いた。握られているのは抜き身の短刀で、傍には肉厚の燻製が転がっている。なかなか上等に見えるが、店主はすぐさまそれを背中に隠した。
「何で、今夜は宴会じゃないのか? 悪いが、仕込みをしてなくて」
「あいにく俺は列席できる立場じゃなくてだな。酒の一杯も出してもらえないか?」
 俺の言葉に、ちらりと店主が目をやったのは俺の背後に控える兵士だった。彼自身はいまだに戸惑いが勝っているのか全く口を挟んでこないが、携えた得物の威圧感は格別だろう。
「……火酒でいいか」
「ああ。悪いな、無理を言って」
 だから、どこか怯えたような様子ながらも屋台に招き入れられたのは意外ですらあった。
 目だけで兵士に控えているよう伝え、暖簾をくぐった。

 供されたのは、焔竜で最も生産されている火車草の実から出来た醸造酒だった。辛い口当たりは人を選ぶがこの場合、俺の好みではある。
 唇を潤して、美味いと言えば、店主は落ち着かなさげに手を揉んだ。
「何で、こんな夜にわざわざ……」
「常々言ってるだろ、城で引きこもってるのは性に合わないんだよ。こうやって外の空気を吸って、旨い飯にありつく方が好きだ」
「……それは、ありがたい言葉だ」
 揉み手が戦慄く。
 乾した杯にまた酒が満たされたところで、口火を切ったのは俺だった。
「良い肉だったな。どこで仕入れた?」
「は……」
「さっき持ってたろ。仕込みがまだってことは、そのうち食わせてもらえるのか」
 視線を、店主の背後に投げる。ぎち、と何かを握り込む音がした。
「……あんたの口に出すような代物じゃない」
「そう言うなよ。見たところ遜色ないと思ったんだが」
「気のせいだ。ありゃ俺のまかないで」
「俺が城で失くしたのと似てたな、あんたが持ってた短刀」
 ――耳元を、風が横切った。
 そう思ったのは少し後になってからで、その時に突き出された刃物を避けたのはただの反射だった。
「くそ、くそ、くそ……!」
「おいおい待てよ、まだ話は始まってもないぜ」
 がたん、と椅子を蹴倒した俺を、屋台の向こうから短刀の切っ先が追撃する。明かりのゆらめきも相まって、店主の脂ぎった顔には鬼気迫るものがあった。
「やっぱりあんたが! そうだったんだな!」
「何の話だ? 落ち着いて話してもらえないか」
「三兄弟でただ一人遊んでるなんて、信じると思ったのか!? そうやって油断させて、俺たちを監視してるくせに!」
 悲鳴のような猛攻をいなして、暖簾をはね除ける。騒ぎを察していたのか兵士は得物に手をかけていたが、そんな場合ではない。
「城に戻れ。今頃俺の留守を知って仲間連中が乗り込んでるところだ」
 と追い返せば、色を失って踵を返した。
 人は減ったが、騒ぎは収まらない。
 とうとう屋台を乗り越えてきた店主に、徒手空拳で向かい合った。
「ここのところ頻発した強盗騒ぎ、お前の仕業だな?」
「ああそうだよ! 何か可笑しいか!?」
 ざり、と。
 減った気配が増える。
 睥睨すれば、屋台の物陰から男たちが増える。
「てめえが悪い……! せっかく糞みたいな奴隷階級が無くなったってのに、生活は変わらなかった!」
「前の主人と違って、支払いも滞る」
「それが女王は贅沢に夜会三昧、傍には甘ったれの宰相が」
「極め付きはお前だ、殿下」
「遊び暮らしてただ飯を食らう」
「今までの主人どもと何が違う」
「お前は悪だ。この国には要らない」
 囲まれ、憎悪を一身に浴びる。
 ――要らない、要らない。
 ――お前に資格はない。
 ――この国に要らないと。

「黙れ」

 静まり返る。
 敵意はそのままに、風の音を残して。
「お前たちが決める。そういう約束だったな」
「――……」
「建国の時の話だ。主に年寄り連中の遺産でしかないが、建国の碑文なんぞを残していやがった。曰く、俺たちは自由であるために」
 息を吸う。
 夜が肺に染み込む。

「気に食わなければ殺していいと、定めたな」

 ――翌未明、大通りの沈黙を切り裂いたのは、引き攣れた女の悲鳴だった。
 小さな屋台の出店があった場所は一面が血だまりで、五人の男がそれぞれ血の付いた得物を手に絶命していた。その中でも特に、店主の遺体は損傷が激しく、検分を任された警邏は彼を狙った強盗のあと、仲間割れを起こしたと結論付けた。そして幸か不幸か、彼らが城に押し入った強盗と同一犯であることも判明し、焔竜の国を騒がせた一つの事件が幕を下ろした。

* * *

「報告は以上です。見張り番の親族には強盗団の財産から見舞金を出させました」
 宰相の報告を、玉座に沈み込むように座っていた女王は安堵の溜息と共に聞いていた。
「そう。何から全てご苦労でした。使節の見送りはどうなってます?」
「それも間もなく黄煌の方が戻られて完了します。報告を受けたらまたお知らせを」
「任せた。私は……少し下がるわ。さすがに前のようにはこなせないわね」
「寝室の準備は済ませてあります。どうぞごゆっくり――姉さん」
「ありがとう」
 微笑を浮かべて、うっそりと立ち上がった女王の背を、宰相は深く腰を折って見送る。
 遠ざかる衣擦れの音と入れ替わりに去来するのは、昨夜から姿を見ていない兄のことだった。

「……入っておいで」
 長椅子に横たわる女王の声に応じたのは、浅黒い肌にところどころ傷を作った男だった。本来ならも名乗りもせずに入室することなど許されないが、女王は鷹揚に男を迎える。
「手伝ってくれるか? 足腰が立たないってのはこういうことだな」
 言葉とは裏腹に、甘えたように伸ばされた女王の手を、骨ばった手が取るとそのまま横抱きに抱え上げた。三人の王族の中でも最も柔らかく調えられた寝台に運ばれながら、女王は男の胸板に頬を擦りつける。
「五人相手では、疲れたろう。それなのに待っててくれたのか」
「仕事と家庭の両立は男の甲斐性だとさ。馴染みの店の主人が言ってたよ」
「そうか……いつかお前も、嫁を取るんだな」
「あんたが望むのなら、そうするよ」
 ――望まないなら、しない。
 暗に続けられた言葉に、女王は見るものが微睡むような微笑を見せた。
「良い子だ。宰相……あの子では、不安だからな。強い子が、私は好きだよ。何だったら、強い子が生まれると分かっていればお前の――」
 言葉を切るように、女王の身体は寝台に横たえられる。ふ、と震えた瞼を冷たい手の平が遮った。
「ゆっくり休んでください、陛下。貴方を傷つけるものなどいませんから」
「――うん、そうしよう」
 おやすみなさい、と世界を消す子守歌。
 見たくないものは見せません、と告げる声。
 まるで愛の告白のような寝物語を。
 その声の主は、ほどなく寝息を立て始めた女王に背を向けると、物音ひとつ立てずに部屋を去った。

* * *

 布団に身体を沈めると、触れる境界が溶け出していくような錯覚さえあった。
 瞼を閉じたらそのまま二度と開かないかもしれないし、手足の神経は千切れているかもしれない。
 ――あ、駄目だ。
 諦念に似て、非なる述懐は朧げだ。
 ――これは、叶わない。
 鼻先を掠めて残るのは、脂粉と男の残り香。腕の中にあった頼りない肢体を、くまなく塗り潰すかのような。

 自分が守るのは、あんなもの。

 手折るのは、今までの相手よりはるかに容易いだろう。
 俺が持って生まれたのは才知でも美貌でもなく、ただの純然たる力。
 立ちはだかるものをなぎ倒す以外に能がない。そんな出来損ないが戴くには似合いだろう。

 貴女のための騎士になどと。

 そんな身の程知らずを押し込める暴力にも事欠きはしないから。



【了】

閑話

「――――」
 寝覚めは女の引き攣れた悲鳴だった。
 日々の仕事に疲れた身体は、異常事態を認識していても動き出すには至らない。硬い板の上で軋む筋肉は、出来るならこのまま二度と動き出したくないと喋りだしそうだ。
「誰か、誰か……」
 悲鳴の主は、人間らしい。二本足の足音が遠ざかる気配とともに、大通りは喧噪に支配された。今日の始まりはいつもより早いようだ、と自分も板張りの寝台から抜け出せば、夜露で重くなった尻尾が土床に落ちた。
 ひび割れた窓硝子に映りこむ自分は、今朝も陰気な獣の鼻面を、憎たらしくも健康的に湿らせていた。

「今朝の騒ぎ、聞こえてたか?」
「耳元で怒鳴られたようなものよ。勘弁してほしいわ」
「そりゃ災難だったなあ」
 はは、と軽快に笑うのは、その笑みに似つかわしくないほど濃密な死の匂いを纏う人間の雄だった。互いに名前も知らず、何か荒事を生業としていることすら推測にすぎない。多分にその憶測は当たっていると見ているが、ありもしない尻尾を掴ませないところがかなりの手練れだと思わせた。
 城下のあばら家。
 出入りは多いが、決して活気があるとは言えない。それも当たり前だ、ここは傭兵や日雇いの兵士が依頼を待つ寄合所のようなもので、私を含めても柄の良い面子とは言えない。
「それで、仔細は知ってるの? 何だか訳知り顔だけど」
「知ってるさ。仮にも傭兵なら情報は押さえといたほうがいいぜ、お嬢さん」
「そんな歳じゃないわ、からかわないで」
 やや気分を害して返すと、素直な謝罪と共に頭を下げられた。
 獣人を相手に、奇特な男だ。酷使され、消耗される奴隷の中でも獣人は長らく冷遇されてきた。その原因は、圧倒的すぎる体躯の違いだとか、仲間の一部が知能で劣ることに由来するものの、とうに慣れた。別にこの国でなくても起きえる話で、ましと言えば兄の暮らす黄煌の国くらいのものだ。
 そんな彼らもまた、永遠の命という悠久の時を得て、果たしてそれは正気と言えるのかどうかが無学な私には分からないが。
「まあ、そう特別な話なんかじゃない。不幸な屋台の店主が強盗に遭って、その強盗団が仲間割れで総倒れしたってだけの話だ」
「強盗? 城下で?」
 目を眇めて聞き返すと、彼は肩を竦める。身体中の夥しい生傷は血が滲んでいるが、その拍子に脂粉の匂いが鼻先を掠めた。
「この国じゃあ、よくある話だろ? 何といっても、お上が私闘による制裁を許してるんだから」
 しかし、続けられた言葉にそんなことは頭から吹き飛ぶ。
 私闘による制裁。
 それはこの国で、私怨での殺しも正当化されているという意味だ。
「本気にしてるの?」
「してないのか?」
「だって……あまりにも愚かだわ」
 そんなこと、この聡い男ならば承知しているとばかり思っていた。
「疑ったことはないの? たったそれだけの条文じゃあ、王族だって例外じゃないってことよ」
「……それが、何か?」
 ふ、と。
 男は淡く微笑んで首を傾げる。
 それが無性に不可解で、私は思わず声を荒げていた。
「そうして王族が無暗に殺されたら、国としての姿なんて保っていられないわ。この貧しい国が拠り所に出来るものが大きく足踏みするの。あなたなら分からない訳じゃないでしょう?」
「分かってるさ。でも、王族が殺されるような真似をしなけりゃ良いんだろ? でなきゃ返り討ちに」
 淡い微笑みは、今や人形めいている。
 総毛立つ自分の肩を自分で抱きしめて、私は何とか言葉を継いだ。
「気に入らないものを等しく排除していく。それを人間は無法と呼ぶのではないの」
「――――」
「特権階級の人間たちが私たちに強いたことと何も変わりはないわ。それが嫌で、自由になりたくて飛び出してきたのに、そんなことじゃ私たち」
「――女王を信じられないか?」
 ひり、と。
 刺すような気配に思わず反射で仕舞っている爪が飛び出しかける。男は殺気を隠そうともしなかった。
「実に単純な話だと思うけどな。国が国であるためには、汚いものは少ないに限るだろう? それを掃除する大義名分を出せるのは国だけだ。果たすべき役割を果たしてるだけで、女王には何の落ち度もない」
「……では、王族に刃を向けるのは逆恨み?」
「女王に限ってはな。宰相は頼りないから失策を敷くかもしれないし、長男に至っては遊び回ってるだけだろ? 見かねて暴徒化しても、それは仕方ないかもしれない」
 ふむ、と顎を撫でる仕草は、本当にそう思案している様子だった。
 それで確信する。
 脂粉の香の主も、そこに紛れた火酒の残り香も、まとわりつく血の匂いも。
「……あんまりだわ。人間って、本当に救えないほど愚か。情と義の区別さえ付かなくなるなんて」
「まるで獣?」
 言いたかった言葉を先回りされ、今度こそ二の句が継げなくなる。
 そんな私を、男はどこか慈愛すら感じさせる表情で見下ろした。
「後先は考えないほうが良い。その方が楽だ。いつ覚めるとも分からないのなら初めから」
 ――信じるものが一つあれば良い。
 その科白は、傷ついた獣の慟哭のようで、私はただ彼の平たい鼻先を舐めた。

間話

 良い仲か、と尋ねられ首を横に振った。
「妹ですよ」
「妹御がいたのか」
「手酷く置いてきたので、もう会ってはもらえないでしょうがね」
「手紙を寄越すのに?」
「当てつけですよ。あれは賢い子だ」
 尋ねられるままに答えると、友は毛足の長い尾を引きずって去っていった。その背中を見送ったのは僅かの間で、届けられた手紙を持って家に引っ込んだ。
 とっくに野たれ死んだとばかり思っていた妹から便りが届くようになったのは、焔竜の国という貧しく小さな国家が芽吹いて暫く経った頃。とうに記憶からも薄れようとしていた名前が再び現れ、夢中で封を切った。
 この黄煌の国で、永遠の時間を生きるという仙境の心持ちは、いとも容易く乱された。
 紙面にあるのは間違いなく妹の筆跡で、息災であること、焔竜の国で手に職を得ていることなど、近況を細かく知らせてくるものだった。
 彼女との別れは望まぬものだったと、自分は言える。日々冷たい目に晒され、ただ人間ではない混ざりものだからという理由で搾取され続けた。そんな日々を苦に、弱っていく両親を見捨て、妹だけの手をとって雪の山道を通った。故郷以外の場所ならどこでもいいと思った。
 それが、どこからともなく飛来する鉛の礫に足を取られ、坂を転げ落ち、燃えるような痛みで意識を取り戻した時には黄煌の国だった。雪道で倒れているところを保護され、篤く看病してもらえることに涙が出るほど感激したが、同じくらい妹のことが気がかりだった。しかし近くには誰もいなかったと保護者には告げられ、身を裂かれるような思いと共に別離を確信した。
 それからの日々が穏やかで、ただ静謐な忠誠心に従う朝夕を送るたびに、ひりつく胸の痛みも覚えた。
 妹が、怨黒の国で奴隷として使役された後に、焔竜の国の民として新たな生を得たと知ったのも、彼女からの手紙が初めてだった。そこに綴られた理不尽な日々の恐怖と、僅かな自分への恨みを目にしながら、甘んじて受け取めたのは記憶に刻みつけられている。
 それでも、手紙を締めくくったのは今の生活に満足しているという穏やかな言葉で、兄にも息災であれと祈る言葉が添えられていた。
 それからだ。この永い命を、妹の幸せを祈って過ごすと決めたのは。
 一番はこの国に迎えて二人で暮らすことだが、それはおよそ叶わない相談だ。ならばせめて今の暮らしで幸せを掴めるよう祈ると。王子たちへの忠誠とは別に、決意を固めていた。
 それが、今日届いた便りに目を通し、曇る。
 例の如く近況報告で始まった手紙は、唐突に人間たちへの不理解を嘆く述懐に変わっていた。

『獣のような煩悶に悩みながら』
『それを是とすることでしか人間性を保てず』
『あまりにも哀れ』
『獣に身を落とすのならば救えることもありましょう。しかし悲しいほどに彼らは人間くさい』
『半端なのは我らと変わらない。後にも先にも進めない袋小路です』

「――可哀相に。お前も、国を深く思うが故に惑っているのだな」
 焔竜の国で、彼女の望みは未だ判然としない。月並みなことを言えば、女として、雌としての幸せを掴んでほしいと思うのが肉親の情というものだが、この国で捨て去ったはずの懊悩がそれは出来ないだろうと無常に告げる。
 だからこそ、もう国しか残っていないのに。
 その国さえ、信じられずに。
「心細いことだろう。信念なき畜生にもなり切れない、その惑いは」
 ただ君に幸あれ。
 そんな切なる願いさえままならない。

 君が惑い、満たされないのは、この兄が仙境にあってさえ飽くことを知らない代償かもしれないと。
 ただ愛する者が望みを見つけられるようにと、また欲深の手を伸ばしてしまう。

焔の泡沫

序から閑話までが、『焔竜の国』という全国民が元奴隷という貧しい国での話。
間話は、閑話の関係者が暮らす半獣人の『黄煌の国』での話。

初めての企画参加で風呂敷を広げるのも楽しかったです。
お付き合いありがとうございました。

焔の泡沫

Twitter上で参加中の企画作品。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-16

CC BY-NC-ND
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