少年と肉

クダラレイタロウ

ふくよかな痴漢被害女性の話。

 まただ。
 尻の肉が不自然に歪む感覚を覚え、私はまた真っ暗な気持ちになる。最大限、遠慮しながら可能な範囲で周りに目を配る。女子高生もいるし、谷間の見える、胸を強調させた服を着ているのもいる。
 私よりきれいな女の人なんていくらでもいるのに。本当に、なんで私なんだ。デブ専なのか? だとしたら業が深すぎるのでは。
 歳は二十五。若くないとは言わない。しかし、自分を見て実年齢を当てられる人間はそもそもあまりいない。三十代ならまだいい。四十代に見られることだってある。
 尤も、九十五キロある女の年齢を考えようと思う輩はそうはいない。考える前に、決めつけてくるパターンが多い。お子さんはいくつ? だの、ずっと年上だと思っていた(言ったのは三十オーバーのオバサンだ)だの容赦なくそういった言葉を叩きつけてくる。
 体重が九十を超えたのは中学生の時だし、男子もとい男性にそういう目でみられたことなど一度もない。底抜けに明るいとか、コミュニケーション能力が高いとか、デブを跳ね除けられるようなプラス要素もないので、当然ながら男とつきあったことなどない。その手のことはもう諦めている。図体はずうずうしいほどに大きくて、迷惑をかけるだろうから、それ以外のことは慎ましく、目立たないように生きていこうと決心はできていた。こんな朝の通勤ラッシュなどはきっと、自分でも気をつけられないレベルで、絶対に誰かを不快にさせてしまっている。
それだけでもつらいのに、なぜ尻など触られないといけないのか。
憤りを感じるが、かと言ってどうすることもできない。痴漢だなどと叫んだとしても、私を見てそれを信じる奴などいないだろう。
誰がお前に痴漢など。そんな顔をされるのは目に見えている。それはどれくらいつらいことか、何となく想像はつく。
――それに。
今さら意味もないし、触られている感触でもう分かりきっているのだが、いちおう私のすいか二個分の尻を弄んでいる手の主を確認する。混雑している車内で、しかも自分の身体の大きさのせいで確認するのもひと苦労だ。今日は振り向いてすぐ、小さなその手が見えた。
一年生だろうか、二年生だろうか。たぶん、三年かそれより上ってことはないだろう。ランドセルは背負っているけど、きっとそれがなかったらそれより下にも見えていたかもしれない。学童帽子を被らせたら幼稚園児としても通る。こんなことをされていなかったら、人と人につぶされるんじゃないかと心配になっていたと思う。あまりに混雑しすぎているせいか、私が視線を配っていることに、この小さな痴漢は気付いていない。かわいい子だったが、たぶんクラスの中でも背が低いほうだろうし、自己肯定するわけじゃないけど、この子はちょっと痩せすぎている気がする。今日もまた、学校の前のバス停で降り、走っていく少年のふくらはぎは本当に細くて、力強く走れていることに強烈な違和感があった。

「よっ、色女」
 安池は同じ高校から同じ会社に就職した同期だ。事務仕事をしている私のところに、いつも領収書の束を届けに来る使いっぱしりの平社員である。お前ももう二十五だろう、そんなことでいいのか安池よ。私に嫌味を言いに来る暇があったら、そろそろ出世を目指してはどうか。ま、高卒じゃなかなかそれも難しいか。
 しかし、そんなことを指摘してこいつと同じレベルに並ぶのも癪だ。
「とっととその領収書、ここに置いて仕事に戻りやがれ。あんたがいなくてもこちとら処理できんだよ」
 二十五にもなって、嬉々としてこんな小学生みたいなちょっかいのかけ方をしてくる男をここに長居させるのも不憫だ。ただでさえ、私と結婚してやれだの、お似合いなのではと入社の時からからかわれているのだ。中肉中背だし、外見的には何の取っ掛かりもない男だが、だからと言ってこんな肉塊をあてがわれるのは、噂レベルでも御免だろう。
「ずいぶんだな。てことは今日も触られたな?」
 高校の時はクラスも違い、入社から話すようになって。かと言って社内だけでしか接点がないのに、安池はこんな風に私の発言ひとつでこうやって言い当ててくる。ときどき気持ち悪い。
 初めて触られた時は、あまりにも衝撃的過ぎて、ただの同期であるこの男にもついうっかり話してしまったのだ。涙が出るほど笑い転げていたこの男を見て、話したことを今も後悔している。
「今日も最終的には抱きつかれたよ」
 バスが揺れた時にばすんとあの子がタックルしてくるような形になった。何故か両手を広げてぶつかってきたので、まさに抱きつくような形になった。それでも、両手が私の身体に完全に巻きつかないのを肌で感じて、私は毎回それに傷つく。
「そろそろ引っ越せば? それともエンゲル係数高すぎて預金も無ェのか」
「お前のデリカシーよりはあるわボケ」
 引越は正直なところ、本気で考え始めている。今はまだ実家なのだが、一人暮らしもそろそろしておきたいというのもあったところに、この痴漢少年が現れた。実家から会社は微妙に遠くて、電車とバスを乗り継がなくてはならないのだが、少年と乗り合わせるバスをどうしても避けることができない。しかし、理由が理由だし、仮に両親にこの理由を信じてもらえたとしたら、むしろ外に出してはもらえない気がする。こんなデブでも、親からみれば嫁入り前の大事な一人娘だ。もともと家族が離れて暮らすのは寂しがる人たちだし、一人暮らしをしてみたいと言い出すには、今さら感が拭えない。どういう理由付けで切り出そうか迷いあぐねている。
「ま、別にいいと思うけどね。触ってくれる男なんて他にいないだろ? ガキの気まぐれだろうし、すぐにやんなくなるだろ」
 そうなのだ。ただのガキんちょのいたずらで引越まで考えているのも、妙に馬鹿らしい気もしてしまうのだ。引越そのものも面倒な作業だし、痴漢そのものはやめさせるのもそう難しくない気もするし、やらなくなったりすることもあるだろうし、気持ちがついていかないところもあるのだ。
 しかし、そろそろ失礼な物言いをしてくる男を追い払わないといけない。
「うっさいわ。そろそろ戻んないとまた私と噂されるぞ」
 もう既に、背後から他の事務員の生暖かい視線を感じてはいた。追い払わないと、背後から面倒な話題を振られる気がする。
 それを言うと速攻踵を返す安池に、ちょっと傷つけられながら、私は領収書の束に取り掛かる。

 帰りのバスから降り、駅に向かう道中、私はいつも途中にあるマクドナルドの前で立ち止まってしまう。いつもはすぐにいけないと思い、逃げるように駅へ急ぐ。
 しかし今日はそうできなかった。携帯電話を取り出し、すぐに母へ連絡する。
「もしもし? お母さん。またマックがチキンタツタを出してる。どうしよう」
 どうしようと言いながら私はたぶん店内に吸い込まれてしまう。電話している時点で、夕飯キャンセルを兼ねているからだ。
 チキンタツタは最近、年に一度、期間限定でしか出してくれない。私はこんなにチキンタツタを愛しているというのに。
「はいはい。ご飯はいいのね。その代わりあんた、分かっているね?」
「何個?」
 迷うような沈黙が少し広がる。私は返事を待つ。
「……2」
「承知」
 電話を切る。私がチキンタツタの大ファンなのは、紛れも無く母譲りだ。ちなみに母の体重も九十キロを超えている。私も母も、百にはならないように日々戦っている。気をつけないと五十キロをきってしまう痩せぎすの父の倍にはなってしまうからだ。それだけは避けなければ。やはり本音を言うと父に似たかったが、こういう食の楽しみを母と共有できるのは、単純に楽しい。
 私はうきうきしながら店内に入っていく。
「あっ!」
 声が右から飛んできた。何かと思うと、痴漢少年が一人でチーズバーガーを片手にこちらを見ていた。私が見やると、明らかにバツの悪そうな顔をして、目をそらしぶるぶる震えだした。
 罪悪感があったのかちゃんと。それだけでとりあえず私は安心した。
 しかし、周りに親がいる様子がない。二人がけのテーブル席に少年は腰掛けているが、向かいの席にはランドセルが置いてある。こんな人の多いところで、一人で食事もするのか。バスくらいはいいかもしれないが、親はどう考えているんだろう。もう六時近いというのに。
 私はチキンタツタと、ハンバーガーのセットを頼んだ。母の分は包んでもらう。盆を持って私が向かったのは少年の席だった。狭いテーブルの上に、自分の盆を置いた。ランドセルは、テーブルの隣の壁に、物を置けるスペースがあるので、そこによけた。私にしては大胆な行動に出れた。もしかしたら親が来てしまうのかも知れないが、手短に済ませてしまえると思う。用件も、食事も。
 私がそこに座ったことに驚きを隠せない少年は、顔を上げて、私の顔をまんまるな目で見て、絶句していた。あまり正面からしっかり顔を見たことがなかったが、本当に痩せすぎている以外は、普通のかわいい男の子だった。痴漢さえしてなかったら、こんな子どもが欲しいなと思わせるような。地面につかない両足を、ぴたりと椅子のパイプにくっつけて、動かない。恐怖で固まっているようで、ちょっと可哀想だった。
「いただきます」
 私はいつもより急ぎめに、チキンタツタを食らう。揚げた鶏肉と油の匂いが口の中に広がる。うまい。これだ。少年から見れば、一瞬だろう。目の前の食べ物があっという間になくなると驚かれたことは、一度や二度ではない。チキンタツタをドリンクで流し込み、あとはもっと小さくできているハンバーガーを食べる。先ほどかみしめたチキンタツタの油の匂いが残った口内に、ケチャップの酸っぱさが際立つ。
 結局、少年は私がすべてを平らげるまで何も手をつけなかった。歯型のついたチーズバーガーは、私がこの席に座った時のまま、形を変えていない。
「ごちそうさまっがふぅ」
 幻滅してあんなことをやめてくれるのが一番なので、私は控えめながらげっぷまでしてみせた。周りにまで不快感を与えたくはないので、あまり大げさにやらない。少年にだけげっぷをしたことが分かればいい。
 しかし、予想外にも少年が口を開いた。
「わ、げっぷまで母さんといっしょだ」
「は?」
 少年を見ると、きれいな目がきらきらと輝いている。何だか恐ろしい。
「おばさん、やっぱり死んだ母さんにそっくりだ」
 どこの安っぽい口説き文句だと思ったが、口説き文句だったらわざわざおばさんとは言わないだろう。ていうか、おばさんはやめろ。妙齢だと思われたことこそあるが、おばさんと真っ向から言われるのは初めてだった。
 相手が子どもだし、ちょっとデリケートな話だったので聞き出すのがちょっと手間取った。
 まず、少年の死んだ母親に似ているのは本当のようだ。少年が持っていたスマートフォンの中の母親の画像を見せつけられる。
 細かく見れば顔は言うほど似ていないだが、体型はほとんど私と一緒の洋梨体型だった。こんな小さな少年からすれば、同じに見えてもおかしくはない。たぶん、少年の周りには母親以外、洋梨体型の女性はいなかったのだろう。
 母親が亡くなったのは今年の頭の話らしい。少年はこの春、小学校に上がったばかりで、それと同時にあの時間のバスに乗るようになった。その中で見つけた私を、母親と重ねてしまい、どうしても甘えてしまいたくなったと、そういうことのようだった。あと顔はやっぱり違うけど、触れた時の肉の感触がこれまた母親と同じだったようで、そう言えば、何度も私は触ってくる少年を見たが、目が合うことは無かった。少年は顔を見ずに、私の贅肉の感触だけで母親を思い出していたのだ。少年の立場からすれば、罪な贅肉だったわけである。
「でもおばさんはやっぱり、母さんじゃないね。ごめんなさい」
 私があげたポテトを食べながら、痴漢少年はあっさり謝罪した。罪悪感こそあったようだが、たぶん、自分がしたことが痴漢と変わらないのだという意識はあまり無い。
「……うん」
 しおらしくぺこっと頭を下げられてしまうと、返事するくらいしかできなくなってしまった。あとでおばさんではないことをちゃんと言いたかったのに、それすら言えなくなった。
「お姉さんね、もうすぐ引っ越すから、あのバスにも乗らなくなると思うし。もうやめようね」
「はい」
 顔は違っても、私を見たらきっと母親のことを思い出させてしまうだろうと思うと、するりとそんな言葉が出てきてしまった。本格的に引越に乗り出さなければいけなくなった。
「あ、もう父さんが降りてくる」
「あ、そう」
 電車が到着する時間が決まっているのだろう。
「じゃあねおばさん」
 お姉さんだと言ってみたが、伝わらなかったらしい。
 盆の上の包み紙を慣れた様子で片付け、少年は店外に出て行った。ちょうど父親が改札から出てきたようで、少年は父親に向かって一直線に走っていき、全力で抱きついた。少年は私と逆で、父親に似たようだ。抱きつかれた父親も、そのまま吹っ飛ぶんじゃないかと思うほどに痩せぎすだった。
 くそ、子ども欲しいな。
 すっかり諦めていたからこそ、こんな気持ちにさせていった少年が小憎たらしかった。
 冷めているであろうチキンタツタを持ち直し、私も店外に出る。少年と父親は既にどこにもいなかった。
一人暮らししてダイエットして、安池でも騙したろうか。馬鹿みたいに短絡的な考えを一瞬のうちに打ち消し、狭い改札を押し出すように抜けた。

少年と肉

本編で挿し込めませんでしたが、少年は学校帰り、祖父母の家にいます。
早く父親に会いたいのと、びっくりさせたいので駅まで内緒で迎えに行き、一緒に帰るのです。
だけど、待っているあいだにどうしても我慢できなくて、ハンバーガーを買い食いしてしまうのです。
持たされているお金はバス代なので、後で買い食いは怒られます。

少年と肉

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
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