牛乳瓶のたんぽぽ
『 牛乳瓶のたんぽぽ 』
やあ、いらっしゃい
暑い中よく来てくれたね
濡らしたタオルと冷たい麦茶を用意するから
取り敢えず座って・・・
・・・何をしているのかって?
まあ・・・私の趣味ではあるが
この町の物語りを書こうかと思っていたんだよ
他に行く宛が無いのなら見ていても構わないよ
麦茶とタオルは此処に置いておくよ
巷では夏休みだから
そこから書き始めてみようか
・・・・・・
夏休み
・・・
夏休み 少女 滝
・・・
夏休みの少女が一人で滝に行く。
・・・
夏休みの朝、希美は水筒を持ち帽子を被って、歩いて滝を見る為に出かける。
・・・
天気の良い夏休みの早朝に、水筒に冷たい麦茶を入れて、
麦わら帽子を被った希美は30分かけて滝を見る為に家を出発した。
・・・
蝉が鳴く夏休みの朝。
水筒に冷たい麦茶を詰めて肩に掛け、
玄関に掛けられているリボンの付いた麦わら帽子を頭に被り、ドアを開けた・・・
「うん、いい天気」
希美は両手を前に上げ、優しい日差しに手をかざす。
そして、歩いて30分程かかる水龍の滝を見に行く為に出発した。
・・・・・
ふむ、随分良くなったが、もう少し飾ってみよう・・・
・・・・・
蝉達が木々の上で暑さを奏で始めた或る夏休みの朝。
赤い水筒に冷たい麦茶を詰め込んで、桃色のワンピースの上から斜めに肩に掛け、
玄関に掛けられた、黄色いリボンの付いた麦わら帽子を被ると、
青空へのドアが開く・・・
「うんっ、とっても良い天気!」
両手を前に上げ、優しく照らす陽に手の平をかざす・・・
そして希美は水龍の滝を見る為に、清水山の麓までの小さな小さな旅へと出発した。
出発してから五分程歩いた時、
希美の後ろから不意に声が掛かる。
「希美さん、お早うございます」
希美が振り返ると、木村さんが立っていた。
「お早うございます木村さん、今日はお早いですね」
木村さんは笑顔を見せ
「ええ、今日はゲートボールの試合があるもので、良かったら希美さんも見に来ませんか?」
希美はゆっくり腰を伸ばしながら、
「折角のお誘いですけど、今日はこれから水龍の神社にお参りに行こうかと思いまして」
木村さんは大変残念そうな顔をして、
「そうですかそれは残念、ではまた今度お誘いしますね」
希美は会釈しながら
「ええ、ここのところ腰痛も出ないので、その時は又お願いしますね」
木村さんも会釈を返し
「最近暑いので、熱中症にはお気をつけて行ってらっしゃい」
・・・・・
・・・・・
・・・少女じゃなかったのかって?
そうだったね、君の言うとおり
うっかり木村さんに合わせてしまったよ
木村さんみたいに残念そうな顔を向けなくても
話を戻してあげよう
・・・・・
外に出た希美は、満面の笑みを浮かべて振り返り、
「じゃあママ行ってくるね」
すると、希美のママが、
「希美、忘れ物ないかなー?」
と言いながら、持っていたハンカチを目の前で、ひらひらと振ると、
・・・
「あ、このみのハンカチだ、あははっ、いけない忘れてた」
ママはハンカチを小さく畳んで、希美のワンピースのポケットに入れ、
「じゃあ希美、行ってらっしゃい」
希美は小麦色の笑顔に白い歯を見せて、
「このみは、道もちゃんと覚えてるから心配しないでね」
ママに小さな手を大きく振って、
直ぐ近くの角を左に曲がり、天神川の土手に出て、
足取りも軽やかに、たまにスキップを踏んで歩いて行く・・・
土手には色とりどりの野花が、朝の澄んだ風に、くすくすと笑うように揺れ・・・
「まだまだまっすぐ、まっすぐ」
希美が確認するように小さく頷いた時、
川を流れて来た風が、不意に希美の麦わら帽子を空に上げ、
風に靡く希美の髪は朝日に黄金色に染められ、きらきらと光り・・・
小麦色の小さな手がその髪を撫で
耳の後ろで優しく押さえ込む。
「あ、このみの大事な帽子・・・」
希美のつぶらな瞳が麦わら帽子を追っていくと
竜神川の土手に群れて咲く蒲公英の上に舞い降りて、
小さな白いスニーカーが雑草に残る朝露を弾きながら
その舞い降りた麦わら帽子に駆けてゆく・・・
・・・
その時、川の和流を遮る声、
「この帽子きみのかい?うそ?本当かい?間違いない?本当?そう?絶対?本当に絶対?」
拾おうとした希美より僅かに早く拾った河童が、相当しつこく聞いてきた。
・・・・・
・・・・・
・・・おや、河童が出てきた途端に身を乗り出して
随分と興味津津の様だね
君はこういう展開が好きなのかい?
・・・なる程
この後の展開も気になるが・・・
戻そうか
・・・・・
希美が麦わら帽子を、
優しく腕に抱きながら小麦色の笑顔で・・・
「もう飛んで行かないでね」
そう言って小さな指で髪を耳に掻揚げて被り、あご紐をしっかりと掛けた。
そこに咲く蒲公英を一輪摘んで、それを口にそっと充て・・・少し離し見つめて微笑む・・・
蒲公英を右手に待ったまま歩き始め・・・たまに雑草を・・・ぴょんと飛び越え、
一人ぼっちの希美は未だ涼しいそよ風に擽られ、天神川の和流に励まされながら笑顔で進む・・・
やがて希美は清水山の麓の入り口に到着すると、
「うわぁー・・・涼しいー・・・」
そこから、水龍の滝まで敷かれた、朝露に濡れるさざれ石が洗い出されたモルタルの道を進み、
その先にある見通しの良い屋根付きのテラスへ入ると・・・
テーブルの上に置かれた空の牛乳瓶を持ち出して、
テラスの横に行くと、小さくふっくりとした唇に蒲公英の茎を、そっと挟み・・・
備え付けの蛇口を開いて牛乳瓶をすすいで水を入れ、
つぶらに輝く瞳に映る、黄色い蒲公英に微笑みながら・・・
「ここが今からあなたのお家だから、いい子にしてね」
そして再びテーブルの上に置くと、肩の水筒を厚い木の板で組まれたベンチの上に降ろし、
希美には高すぎるそのベンチに両手を掛け、ぴょんと登る様に座り、
白いスニーカーを、ゆらゆらと揺らしながら・・・
カップになっている水筒の蓋を、小さな指を添えて外すと自分の横に置き、
両手で水筒をしっかりと支えながら、零さないようゆっくりとカップに注ぐ・・・
砂粒よりも小さな水滴が付き始めたカップに両手を添えると、わぁという笑顔で
「つめたあーい!」
喉を小さく鳴らしながら飲み始める・・・
・・・・
・・・・
ごくり・・・ごくり・・・ごくり・・・
「ぷはーっ、労働の後の一杯目に尽きるね!・・・あ、大将!あと冷奴と枝豆ねー!」
そして田辺部長は上唇に残ったビールの泡を手の甲で拭った。
・・・・・
・・・・・
まあまあ・・・
怒った田辺部長のように睨まなくても
・・・田辺部長よりも河童が気になるって?
その気持ちも解らなくはないな
・・・取り敢えず
戻そうか
・・・・・
希美はベンチから、ぴょんと降りると後ろを向き、ベンチに置かれた水筒の蓋を閉めて肩に掛け、
轟轟と落ちる豊かな清流の響きに包まれながら、緩やかに右に曲がる流れの速い小川の、
透き通った水面に、きらきらと映る陽を、目を細めて眺めながら進む・・・
少しの時間が流れた小川を挟んで、小さな公園に架かる橋を横目に見ながら通り過ぎると、
右手の崖の切れ目から、白く高く聳える滝が姿を現す・・・
希美は足を止め、
・・・
「うわぁー・・・見えたあー!」
輝く瞳と小さな口を、大きく開いて見上げる・・・
すると通り過ぎた橋の辺りから、
「ねえ、このみちゃん・・・」
・・・
希美は振り返ると笑顔を見せ
「あ、さっきのかっぱくん、このみを追いかけてきたの?」
・・・・
希美の前へ近付いた小さな河童は、言いにくそうな顔で下を向き、
「あ、あのさ、その・・・さっきの帽子なんだけど・・・」
・・・・
そして思いつめたように希美を見上げ、
「ぼ、僕に譲って欲しいんだ・・・」
・・・
希美は少し屈み、その小さな河童の顔を覗き込むようにして、
「これ、このみの大事な帽子なの、ごめんねかっぱくん」
・・・・
河童は残念そうな顔をしながら小川との境界の手摺りを潜り、
小川の水に片手を浸し、その手で頭の皿を、ぺたぺたと濡らしていると、
・・・
「かっぱくん、それ何やってるの?」
肩まで上げた両腕を組み、手摺りに乗せて背伸びして見ている希美に
「僕、頭の皿が乾くと、弱って死んじゃうんだ」
・・・
希美は気付いたようにポケットからハンカチを取り出すと、
「じゃあ、かっぱくんこっちにおいで」
河童が何だろうと思いながら近付くと、
「いいから後ろを向いて」
そう言ってハンカチを三角に折り、河童の頭に被せると後ろで結び、
・・・
「じゃあ、かっぱくんには帽子の代りにこれあげる」
希美が振り返った河童に笑顔を見せると、
河童は頭に被せられたハンカチの頭巾に手をあてながら・・・
・・・
「え?いいのかい?これも大事な物じゃないのかい?」
「うん、いいの、帽子はあげられないけど、かっぱくんにすごーく似合ってるよ」
・・・・・
「うそ?本当にいいの?本当?いいの?絶対?本当に絶対?ぜった・・・んんん・・・」
河童のくちばしを掴むように押さえた希美が、
「このみがいいって言うんだから、いいの」
・・・・・
河童は早速手摺りを潜り、ヒレの付いた両手で交互にハンカチの頭巾を濡らし、
・・・
「うわーい、これならすぐに乾かないんだ・・・このみちゃんありがとう」
「うん、良かったね、かっぱくん」
・・・
再び手摺りに腕を乗せた希美が
「かっぱくんってここに住んでるの?」
・・・・
河童は希美の横まで来ると、
「絶対の本当に絶対の秘密だよ?」
そう言って河童は滝の方を指差した。
希美が手摺りから腕を降ろして滝の方を向き、
「かっぱくんのおうちって滝なの?どうやって入るの?」
河童は希美に顔を向け、にこりと笑い、
「入る為にはね、凄く深いんだけど滝壺を潜っていくと、一番底の岩の陰に穴があるんだ、その穴は滝の後ろの岩の中に続いていて、少し広い空洞になっているんだ・・・」
・・・
希美が首を傾げながら、
「くうどう?・・・それってなあに?」
河童は希美に体ごと向き直ると、腕を組んだ片方の指先で、ちょいちょいとくちばしを撫でながら、
「うーん、空気もあって・・・あ、そうそう、部屋みたいにちょっと広くなってるとこなんだ、僕、そこに住んでるんだ、本当に絶対の本当に秘密だよ?」
・・・
「このみ、ぜったいの本当の、ぜったいぜったいぜったいひみつにしてあげる」
小麦色の笑顔を見せたあと
「じゃあ、かっぱくんのパパとママもそこにいるの?」
・・・・・
「ううん・・・河童は生まれてから50年経つと、親と離れなきゃいけない決まりがあるんだ、それで双子の弟と一緒に、住処を探す旅に出てここを見つけたんだ」
希美は吃驚した顔で
「え?じゃあ、かっぱくんて、このみより小っちゃいのに50才なの?」
「ううん、それから少し年数も経ってるから、僕は今176歳なんだ」
・・・
「すごーい、かっぱくんて長生きなんだね、じゃあ弟と住んでるんだね」
・・・・・
河童は寂しそうな顔で、
「住処を探す旅の途中で、人間が大きな戦争を始めたんだ・・・・・・
空から降って来る火の玉から逃げてる時に、弟と逸れちゃってそれきり会ってないんだ・・・」
河童は希美の頬を涙が伝っているのに気付き、
「あ、このみちゃん、心配いらないんだ、弟は絶対の・・・何処かで生きてるんだ、生きてる事だけは河童には判るんだ、だからもう泣かないでおくれ」
・・・・
「だって・・・このみも・・・パパがずっと帰って来なくて・・・悲しくて・・・」
・・・
「あ・・・じゃあ、このみちゃんのパパが戻ってくるように、僕がいい事を教えてあげるんだ、お願いだからもう泣かないで欲しいんだ」
希美が涙を拭いながら頷くと
「いいかい?もうすぐ滝の上にお日様が来るんだ、そしたら虹が出るんだ・・・虹が出たらすぐ息を止めてその間にお願いするんだ、すると水龍様が人間の願いを一度だけ聞いてくれるんだ」
・・・
「ほんとう?じゃあパパは帰って来るの?」
「うん、僕は人間じゃないから駄目なんだ、でも、このみちゃんの願いならきっと聞いてくれるんだ」
希美に漸く笑顔が戻り、
「ありがとう、じゃあかっぱくんは、このみがぜったいぜったいぜったいお友達になってあげる」
心配そうだった河童も笑顔で希美を見上げ、
「うん、すごく嬉しいんだ、僕は日差しに弱いから帰るけど、もう虹が出るからすぐに滝の近くに行くと良いんだ、じゃあねこのみちゃん」
・・・
「うん、また来るね、かっぱくんバイバーイ」
河童は水の中に入ると頭だけ出して、早い流れに逆らい速い速度で、
あっという間に滝壺に向かって泳いで行き、
希美は河童が見えなくなると、直ぐ先の展望場所に向かった。
・・・・・
・・・・・
「やっと希美お得意の一人芝居が終わったみたいね・・・ふふっ、あの子ったら・・・」
希美が家を出発した後から、気付かれない様にずっと付いてきていたママが笑い、
希美が展望場所の欄干に両手を掛け、滝を見上げている様子を見て、
少し離れた大きな櫟の木の陰から、希美の近くで声をかけようと踏み出した時、
「由紀恵・・・」
・・・・・
滝の轟音に混ざるその声に、ママが悲痛な表情を浮かべて振り返り、
・・・・
「何しに来たの?このみには会わないでって言ったでしょ?・・・・・
・・・貴方はそれを承知で出て行ったんじゃなかったの?」
・・・・・
希美のパパは訴える様な顔で、
「それは分かってる、今日はその為に来たんじゃないんだ・・・」
・・・
「じゃあ何よ、私をからかいに来たの?これ以上私と希美を振り回さないで頂戴・・・
解ったら帰って!貴方には私にも・・・希美にも会う資格なんてないのよ・・・お願い、帰って・・・」
・・・
手で顔を覆うママの前で、希美のパパは跪き、地面に両手と額を着け・・・
「お願いだ、もう一度だけでいいから、俺にやり直す最後のチャンスをくれないか?
俺には絶対、由紀恵と希美が必要だったんだ・・・頼む、俺が馬鹿だった・・・」
・・・・
咽び泣崩れるママ・・・
「俺は本当に守らなきゃいけないものが、由紀恵と希美だって今更になって気付いたんだ・・・」
・・・
パパは顔を上げ、ママにしっかりと顔を向け、
「信じて欲しい!もう一度やり直したいんだ!」
・・・・・
ママは取り出したハンカチを目蓋に押し当て・・・
・・・そして、涙に震える声で、
「・・・本当に、今度が最後だからね・・・・・・」
・・・・・・
「有難う・・・由紀恵、本当に有難う・・・」
パパの涙が、漸く乾いた地面を再び濡らす・・・
・・・・・・
・・・
暫くして泣き顔の消えたパパとママが希美の後ろへ歩いて行き、
「希美」
・・・
「あ、ママの声だ」
ぴょんと元気良く振り返り…
・・・!!
「パパ!・・・パパー!」
その笑顔の三人を、それはとても表現出来ない程綺麗な虹が、
七色の光を放ちながら優しく見下ろしていた・・・
・・・・・・
・・・
「俺、虹を見てて思い出したんだけど・・・」
虹を見上げていたパパがママに顔を向け、
「ここの水龍の伝説で、虹が出たら息を止めて願うと、願い事が叶うって伝説・・・
俺たちが小学生の頃流行ってたんだけど、由紀恵は知らない?」
ママもパパに顔を向け、
「うん、そういうのあったわね、なんだか懐かしいわね」
再び虹を見上げるママ・・・
「実はね・・・凄く恥ずかしいんだけど・・・俺が小学6年の時・・・
いつか由紀恵が俺の事、好きになってくれるようにお願いした事があったんだ、ははは・・・」
恥ずかしそうに笑ったあと、虹に照れ笑いを見せているパパを、
ママは笑顔で見つめ、繋いでいた手を更に強く握り・・・
パパに聞こえない小さな声で・・・
「貴方もだったんだ・・・」
ママはそっと呟いて・・・その様子を微笑みながら見ている虹に、嬉しそうな笑顔を見せた・・・
・・・・・・
・・・・
翌日の朝・・・
希美はパパとママと三人で滝の近くのテラスに居て、
テラスのテーブルに置かれた牛乳瓶には、三輪の蒲公英が、
笑顔溢れる三人を見つめ、黄色い顔で微笑んでいる。
「このみは向こうで遊んでくるね」
笑顔で見送るパパとママに手を振って・・・
・・・・・
・・・
希美が小川の方へ行くと、そこに二匹の河童。
「かっぱくん良かったね、弟かっぱくん見つかって」
・・・・
「水龍様に聞いたんだ、このみちゃんがお願いしてくれたんだ」
希美は弟河童の頭に、兄河童と色違いのハンカチの頭巾を被せながら、
「このみは、ぜったいぜったいぜったいパパは帰って来てくれるって・・・
ずうっと信じてたんだもの」
・・・
弟河童の頭巾を結び終わると満面の笑顔で、
「だから、虹が出た時に、かっぱくんの弟くんが見つかりますようにっ・・・
ってお願いしたの・・・このみのお願い聞いてくれたから、
すごーくすごーくすごーくうれしいよ!」
・・・
流れ落ちる清流の喝采を聞いた陽射し達が、拍手を送る木々達のこずえから射し
小川の水面を跳ね出逢えた笑顔に燥ぎ
希美の頬に笑窪を作る夏休み。
・・・・・・
・・・
・・・・・
河童が出たら喜んでいたね
・・・少し外の空気を吸いに出るが
ついでに井戸水で冷やしておいた水ようかんを食べるとしよう
そうそう、君にもいつものやつが冷やしてあるよ
一緒に裏の井戸まで行くかい?
ついでにタオルを濡らしても冷たくて良いよ
・・・よし、では一緒に行こう
戻ったら田辺部長を登場させるとしようか
・・・・・・
・・・
営業部のデスクの前で書類片手に腕を組んだ、怒り心頭の田辺部長・・・
その田辺部長に、沢木は頭を下げ、
「すいません!部長!・・・すいません!」
田辺部長の怒りは治らず、
「折角俺がお前に引き継いでも、お前がぶち壊したら、今迄の俺の苦労が全て台無しになるんだ!」
そう言って書類を自分のデスクの上に叩きつけ、尚も、
「今回の木村医院はな?例え規模は小さくても、俺が入社した当時からお世話になっている大事なお得意様なんだ、お前の不注意で全て水の泡になったら、その責任は取れるのか?」
沢木は未だ頭を下げたまま、
「すいません、明日もう一度、北村院長に謝罪に行きます」
「休日に押しかける気なのか?いくら何でもそれは間違ってるぞ・・・俺が今から行って謝って来る」
・・・
「それなら私もご一緒させてください、一緒に謝ります」
・・・
「最近のお前には、以前の様な誠意が見受けられない、そんなお前が来ても北村院長に対して失礼になるだけだ、それが判れば来なくていい」
「・・・・・・・・」
「沢木、少しは今の自分の状態を考えてみろ・・・よく考えれば先ず何をすべきか判る筈だ」
鞄を持った田辺部長は、申し訳なさそうに下を向いている沢木に、
「自分の事ばかり考えていても、答えは見えないぞ」
そう言い残すと、会社を出て駅へと向かう・・・
駅に着くと、時計を見ながらホームへ登り、間もなく到着した電車に乗り込んだ。
電車の窓から黄昏る街の景色を眺めながら、二つ下った目的の駅へ到着する・・・
田辺部長は、お土産コーナーで水ようかんの詰め合わせを買い、
北口から通りへ出ると、北村院長の自宅へと足を早めた・・・
地平線の朱色に折り重なる橙色の後ろを、薄い黄色が大きく包み・・・やがてそれを追いかけて来る澄んだ青色が、後ろに星を引き連れて間もなくやって来る頃・・・
田辺部長は北村院長の自宅に着くと、ハンカチで汗を拭いネクタイを整え、ゆっくりと深呼吸をし・・・
玄関のチャイムを鳴らす・・・
北村院長の妻が出て、
「あら、田辺さん、ご無沙汰ですね、主人も今帰って来た所なので、よろしければお上がりになってお待ちになってくださいな」
・・・
「どうも奥様、ご無沙汰しております、突然に押しかけてしまいましたので、どうぞお構いなく」
玄関先で田辺部長が深々と頭を下げると、
「そうですか、お急ぎのご様子なので、早速主人を呼んで来ますね」
北村院長の妻が中へ戻ると、間もなく、
「やあ田辺君、こんな時間にどうしたんだい?」
田辺部長は深々と頭を下げ、
「お寛ぎの処失礼致します・・・昼間の件で伺いました、部下の事とはいえ、上司である私にも責任はあります・・・北村院長には大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳御座いませんでした」
・・・
玄関の外まで進み出て来た北村院長が、
「田辺君、その話なら沢木君と私の間で、もう済んでいる事だよ、君が来た処で私の気持ちは変わらない、解かったら引き取ってくれないか」
その時、後ろから駆け寄る音が田辺部長の横で止まり、
「北村院長、本当に申し訳御座いませんでした」
そう言って土下座をするのは沢木であった。
それを見た北村院長は、一喝する様に、
「土下座というのは、そう安々とするものではない!いいから立ちなさい!」
一喝された沢木が立ち上がると、
「良く聞きなさい、そういうのは、みっともないと言うんだ、許してもらえるかも知れないという下心と、許しを強要するような自分本位の土下座は、逆に相手を不快にさせるものなんだよ」
沢木が深く頭を下げ、
「申し訳ありません・・・・・・」
・・・・・
「男が土下座をするのは、許しを請う為ではないんだ・・・本当に守りたいものがある時に、それを守る為にだけ使うものだ・・・本当に気持ちがあれば、目を見るだけでも伝わるものなんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「沢木君は幼い頃から私が診察しているだろう?顔を見ればどんな状態かが良くわかる・・・
君の気持ちの迷いから引き起こした事が、そんな軽い土下座で許せるのなら、昼間の時点で許している筈だろう?よく振り返って考えなさい」
・・・
「はい・・・確かに私には、幼い頃から通っていたという甘えがありました・・・」
・・・
「それくらいなら私も許している、何か心の迷いが誠意の妨げになっているのではないか?
沢木君・・・私の目は節穴ではない」
「・・・・・・はい」
「迷ったままの心で謝罪をされて許す程、私はそんなに甘くは無い・・・・・然し、甘い物には目がないので、此処まで来た事に免じて、その水ようかんは頂いておこうか」
田辺部長が、水ようかんを差し出すと、それを受け取った北村院長が、
「明日から医院も夏休みだから、休み開けに、迷いが無くなったら来なさい・・・・・
その上で、今回間違えた機材が、今月中に間に合うのなら、それでいいだろう」
・・・
「北村院長・・・・・・」
沢木は北村院長を混混と見詰め・・・
そして再び深く頭を下げ、
「有難う御座います・・・北村院長」
厳しい言葉の中に幼い頃から知っている院長の優しい面影を見出し、
沢木の涙が外灯の明かりを受け、キラキラと地面に落ちる・・・
・・・・・
・・・
田辺部長はその場に沢木を待たせると、院長と玄関へ入り、小声で会話を始めた・・・
「田辺君、少しは彼の気持ちも変わった様だ、君が絶対来ると言うから待っていたよ」
「北村院長、提案に乗って頂き、感謝致します」
「はははは、まあ、上司と部下の良い絵が見られただけでも、良しとしておこうか」
「北村院長、お時間まで頂き、本当に有難うございました」
「礼には及ばないよ、私も偶然、友人に聞いたので君に協力する事にしたんだよ・・・
・・・では、最後の仕上げは君に任せたよ」
・・・・・
・・・
その帰り道・・・
「いつまでも泣くな、沢木、結果は良かったじゃないか」
・・・・・・・
「はい・・・でも、院長の言葉が・・・厳しかったけど、何だか懐かしくて、嬉しくて・・・」
・・・
「どうだ、沢木、折角だから一杯やって行くか?俺のおごりだ」
・・・・・
・・・
そして二人は駅前にある焼き鳥屋に入ると、カウンターテーブルに並んで座り、
「大将、取り敢えず生ビール、ツーね」
部長が指を二本出して言うと、らっしゃいと言葉が返り、早速ビールを注いだ店主が、
「お待ちどお、こちらさん生ふた丁」
出されたジョッキを手に持ち、
「もう終わった事だ、気にしないで行こう!」
「はい、部長、頂きます」
・・・
「乾杯!」
「乾杯、お疲れ様です」
・・・
コク・・・コク・・・コク・・・
「うーん、ママの作った麦茶、すごーく美味しいー」
希美は顔を上げ、牛乳瓶の蒲公英に笑顔を見せた。
・・・・・・
・・・
・・・・・・
・・・話が前後しているって?
忘れてしまうといけないから
抜けていた所を書いておいたんだよ
私も中々親切だろう?・・・・・・
・・・分かった
戻そうか
・・・・・
漸く、上司と部下の会話が弾み・・・
「北村院長には、俺も入社当時こっぴどく説教されたよ、わはははは・・・」
「そうなんですか、でも、昔から温かみのある先生でした」
・・・
「ああ、患者にでも、ズバズバものを言うけど、結構人気もある先生だな」
「・・・幼い頃から通ってたけど、あんなに厳しい姿は初めて見ました、お蔭で目が覚めた気がします」
・・・
「そうか・・・まあ、俺も体調が悪い時はよく説教されに行くんだけどな、わはははは・・・」
「そうなんですか?ははははは・・・」
・・・
「お、ちょっと電話しなきゃ、うちの女房がうるさいからな」
そう言って田辺部長は携帯電話を取り出し、
「大将!うるさい女房に連絡入れるから、携帯失礼するよー」
「はいよー、皆で聞くから、大声で奥さんに愛の告白して構わないよー」
・・・・・
・・・
電話が終わり、田辺部長がカウンターテーブルの上に携帯電話を置くと、その画面に五才位の女の子が写っていて、田辺部長はそれを沢木が見ているのに気付き、
「ああ、これは去年嫁いだうちの娘だ、一番可愛かった頃の写真を携帯に入れたんだよ・・・
な?俺に似て可愛いだろ?わはははは・・・」
「・・・・・・・・・・」
ぼんやりと携帯電話の画面を見ている沢木に、
「・・・沢木は今、別居してるんだったな・・・」
・・・
「あ、ええ・・・・・可愛い娘さんですね・・・」
・・・・
「沢木・・・本当は戻りたいんじゃないのか?・・・まあ俺も口は出したくないけどな、
最近ミスが多いのもその所為じゃないかと思ってな・・・」
・・・
「ええ・・・自分でも集中しないのは解ってます・・・」
・・・
「沢木、きっかけを探してるのなら、少し俺の話を聞いてくれ・・・
実はな、俺は女房に離婚届を突きつけられた事があってな・・・」
・・・
「え?部長がですか?・・・いつも携帯で仲良さそうに話すじゃないですか」
・・・
「ああ、今はな・・・・・・俺は以前、家庭を振り返らず、営業成績ばかり考えて、仕事に明け暮れてた時期があったんだが・・・流石に離婚届を突きつけられた時は焦ったよ」
・・・
「部長の家には何度かお邪魔した事もありますけど、その時の様子からは考えられないですね、見ている僕の方が恥ずかしくなる程でしたよ」
・・・
「わはははそうだったか・・・・・・それで今の続きだが、私も沢木の様に集中できなくて、仕事にも迷いが出始めたんだ」
・・・
「そうでしたか・・・でも部長はどうやって今の様に仲が戻ったんですか?」
・・・
「それなんだがな、俺は迷った末に北村院長に相談したんだ・・・」
・・・・
「はい・・・良いアドバイスをして頂いたんですか?」
・・・
「ああ、曇ってた気持ちが一気に晴れ上がったよ・・・勿論、その時の言葉は今でも覚えてる・・・沢木、その言葉を聞きたいか?」
・・・
「はい、きっかけになると思います・・・是非教えて下さい」
・・・
「では、明日から会社も夏休みだ、その間に沢木が別居中の女房と会う約束をするなら、喜んで教えてやるが、どうだ?」
・・・・・・・
「約束します!部長の気持ちにも答えさせてください!」
部長はその沢木に確かな笑顔を見せ、
「院長はこう言ったんだ・・・
自分の前ばかり見て歩いていても、道に迷う事もあるが、
振り向いて、そこにある笑顔を見るのに迷う事は無い」
街の喧騒に包まれる焼き鳥屋の、静かになった客たちは、二人の会話に耳を傾け、
ビールの泡を上唇に残して頷き、其々の家族や恋人に思いを馳せる・・・
・・・・・・・
・・・・・
翌日の早朝・・・
沢木は電車からバスに乗り換え、妻の住むアパートの近くのバス停に着いた。
朝の陽射しに手をかざしながらバスを降り、アパートへ向け歩いていると、
「おや、沢木の卓ちゃんじゃないか、出張は終わったのかい?」
沢木は声の方へ振り向き、
「あ、木村のお爺さん、お久しぶりです・・・え、と、出張って?」
・・・
「おや、由紀恵ちゃんが、卓ちゃんは出張で忙しくて、帰って来れないって言ってたけど違うのかい?」
・・・・・
沢木は取り繕いの笑顔を見せ、
「・・・あ、いえ・・・え、ええ、そうなんですよ、本当忙しくて、中々ね、帰れなくて・・・ははは」
・・・
木村さんは頷くと、天神川の方へ歩き出し・・・気付いた様に足を止め、
「ああ、そうそう、さっき希美ちゃんに会ってね、水龍の滝に行くんだって言ってたよ・・・
そのあと、由紀恵ちゃんも歩いてたから、そっちにいるんじゃないかな」
・・・・
天神川を眺める木村さんが担ぐ、細長いバッグに気付き、
「そうですか、有難うございます、木村のお爺さんはゲートボールですか?」
木村さんは振り向いて、
「ああ、私は涼しいうちに練習しようと思ってね」
沢木は歩き始めた木村さんを、駆け足で追い越すと振り返り、
「暑くなりそうなのでお気をつけて、ではまた」
その会釈に笑顔で、
「ああ、卓ちゃんもな、じゃあまたな」
そして沢木は水龍の滝を目指す・・・
・・・・・・
・・・・・・
「あら、希美ったら休憩かしら・・・」
希美のママが少し離れた杉の木の影から、テラスに座る希美の様子を見守っている。
やがて希美が小川に沿って歩き出し・・・今度はママがテラスに座る・・・
ママが思わず笑みを漏らすその先は、牛乳瓶の一輪の蒲公英。
再び希美に目を遣って、
「ふふっ、何だかいつもの一人芝居が始まったみたいね・・・」
ママは向こうに見える橋の近くで、何やら一人でお喋りをしている希美を見ながら・・・
・・・意地を張りすぎて、あの人を追い詰めてたのは、きっと私ね・・・
責めてばかりできつく当たってた私が悪かったのよ・・・
・・・でも、私はそんなに強くないの・・・貴方に気付いて欲しかっただけなの・・・
本当は、私にも希美にも・・・貴方が必要だったの・・・
でも、このままじゃいけない・・・そろそろ希美にもはっきり言わなきゃ・・・
もっと私が・・・しっかりしなきゃ駄目ね・・・
・・・・・
・・・
木陰を縫うそよ風が時を運んで行き・・・その先に見える大きな櫟の木を見て、
「あそこなら希美に気付かれないで滝も見えそうね」
立ち上がったママは髪を片手で押さえると前屈みに首をかしげ、牛乳瓶の蒲公英をそっと撫で、
見つめる蒲公英・・・
「お留守番お願いね」
・・・風に揺れ頷く蒲公英
そして希美のままは櫟の木へ向かう・・・
・・・
轟轟とこだまする大地の響きに、櫟の木は悠々と葉を揺らしながら
間もなく振り返ってくれる笑顔の予感に
ママを木陰で包み見守る夏休み。
・・・・・・・
・・・・・・・
沢木は駆ける・・・
蒲公英の咲く天神川の土手を駆け・・・
さざれ石が洗い出されたモルタルの道を駆け・・・
ふと、木陰から訪れる涼しい風に足を止め、
息を切らし、テラスに腰を降ろすとハンカチで汗を拭い・・・
・・・由紀恵は俺が出張に行ってる事にして、
待っていてくれたのだろうか・・・
それとも希美がいるからそう言っていただけなのだろうか・・・
今迄自分勝手過ぎた俺が悪かったんだ・・・
はっきりしない自分の気持ちが、由紀恵を苦しめていた事にも気付かないで、
二人を置いて出て行ってしまった俺を、
・・・今更許してくれるだろうか・・・
少し不安な気持ちになり、躊躇っている時、
沢木がふと目を止めたその先は、牛乳瓶の一輪の蒲公英。
・・・見守る蒲公英
「笑顔を見るのに迷う事はない」
風に揺れ頷く蒲公英・・・
そして希美のパパは迷いも無く立ち上がる・・・
・・・
射す木漏れ日をすり抜けて、木々を縫い追いかけて来るそよ風が
間もなく振り向いて出逢う笑顔の予感に
パパを招いてそっと背を押す夏休み。
・・・・・・
・・・・・
・・・
さて、私の趣味の時間も終わりだ、ずいぶんと遅くなってしまったが
折角だから君の診察を始めるとしよう・・・
おや、随分と日に焼けてひび割れているね、どれ、軟膏を塗ってあげよう・・・
希美ちゃんと遊ぶのもいいが、もっと木陰で遊ぶ様にすると良い
最も、希美ちゃんは元気が良いから無理もないな、私も友人にしてもらったよ
此処へもよく遊びに来て、パパとママの話を聞かせてくれるが、私も大変心が和む
その友人の為に、少しだけお手伝いをしたが、パパはしっかり振り向いてくれた様だ
君の弟も、私が方々に声を掛けておいたのが功を奏して良かったよ・・・
よし、これで大丈夫・・・この軟膏をあげるから、日差しが強い時は塗りなさい
今度は弟も連れて来るといい、休診日に限るが、私が居ればいつでも診てあげよう
そうそう、井戸水で冷やしておいたこれは、弟と一緒に食べなさい
・・・・・・
・・・
胡瓜を両手に持って夕暮れの中を帰って行く、ハンカチの頭巾を被った河童を見送ると、
ふと、思い出す・・・
・・・そういえば水龍の伝説は、希美ちゃんのパパとママが未だ小学生の頃だろうか・・・
二人共其々が真剣に相談しに来るから、両想いだと知った私が作って聞かせたんだったな・・・
・・・・・
そして院長は笑いながら、北村医院を後にして家路につく。
・・・
優しく頬にキスをする夕暮れの陽に、恥じらいながら赤く染まる雲を見て
振り返る夕陽に想い馳せ
院長がひぐらし達と笑い暮ゆく夏休み。
Happy summer holiday and
たんぽぽの笑顔を 君に
牛乳瓶のたんぽぽ
夏の浜辺に寄せては返す穏やかな波・・・そんなイメージに仕上げてみました。