子連れ

子連れ

上司 幾太

人間の手、それは誰のためにあるんだろう。 自分のためなのか人のためなのか。

その人は決してその手を離さなかった

 「ただいま~」いつも通り仕事を終えて戻ってきた俺は帰りの言葉を放ち、自宅へと足を踏み入れた。

いつもならすぐに「おかえりなさい」と妻の返答があるのだが、どうしたものか今日は水を打ったような静けさだった。

「先に寝ちゃったかな」と思い、リビングのドアを開けると、テーブルの上に俺当ての白い封筒が一通置いてあった。

俺は嫌な予感がしながらも、恐る恐るその封筒の封を開けて中身を確認した。そこには一通の手紙が入っており、「あなたとはもう暮れしていけません。さようなら、お元気で」と短い一文が紙に書いてあった。

俺はすぐに事態が呑み込めずにただ呆然と立ち尽くしていた。しばらくすると、「あ、パパお帰り~」と5歳になる息子が俺の後ろから声をかけてきた。

 俺はその声と共に正気に戻り、ようやく事態を把握することができた。妻は家を出って行ったのだと、息子を残して家を出って行ったのだと。事情はわからないが、そのことだけは確かな事実だった。

息子を不安にさせるわけには行かないと思った俺は何事もなかったかのように「お~今帰ったぞただいま~」と言って息子を抱きかかえた。

息子に見せた笑顔とは裏腹に俺の心の中は「これからは俺一人でこの子を育てていかなければ」という重大な決意を固めていた。

 それからは俺の日々は変わった、朝は早起きして朝食を作り息子に食べさせ、平日は保育所で息子を預かってもらい、仕事場へと向かった。息子の夜の迎えはどうしても遅くなってしまい、いつも息子には寂しい思いをさせていた。

そんな日々が一カ月、二カ月、三カ月と続いたとき、さすがに肉体的にも精神的にも疲労がピークへと達していた。

 フラフラと歩く俺の姿を見て会社の同僚が「大丈夫か?」と声をかけてきた。「大丈夫、大丈夫これくらい」と言いながら会社の階段を降りようとしたとき、俺はうっかり階段から足を踏み外して転がり落ちてしまった。

全治三カ月の入院になってしまった俺は事実上会社からは解雇の宣告を受けてしまった。「なにやってんだ!俺は!」とベッドの上で両手で顔を覆いながら己の情けなさを呪った。

 そうしていると「パパ大丈夫?」と息子が保育所の方に連れられて病院に尋ねてきた、俺は保育所の方にお詫びをして、息子と病室で二人きりになった。

「ごめんな、父さんが不甲斐ないばっかりに寂しい思いさせて」と息子に言った。「ううん、パパは頑張ってたよ、ママが居なくなってからも頑張ってたよ」と息子は俺に左右に大きく首を振りながら言った。

妻が出て行ったことは息子には伝えなかったのだが、やはり三カ月も家に居ないとなると息子も気づいてしまっていたようだ。それなのに息子は俺に妻のことは一切尋ねなかった。

俺は悔し涙が止まらずに思わず泣きだしてしまった。「パパ大丈夫?泣かないで、泣かないで」息子はそう言いながら俺のことを心配してベッドの上に乗り俺の頭を撫でた。

俺はそんな息子を抱きしめて、「心配するな、絶対俺は居なくならない、居なくなったりするもんか」と泣きながら言った。

 それから、三か月後俺は退院し、新しい職場を何とか見つけ、また息子と二人の生活を始めた。

毎日忙しい日々は変わらないが、あの出来事があって以降は、精神は充実していた。誰かのためならこんなにも人間は強くなれるものなんだと俺自身も驚いていた。

 こんなことにはなってしまったが、俺は妻を憎んだりは出来なかった。それどころかそんな心境になるまで気づけずに居た俺の未熟さを呪っていた。もし、妻が顔を出してきてくれることがあるなら、そのときは笑って迎えようと思う。

まぁそんな日が来るわけはないか・・・。

子連れ

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-13

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