やきそばーばる
「おっさんの星ではあっつあつできたての焼きそばを贈るのが最大最強の愛情表現なのよ、んで、受け取った焼きそばを思いっきりがっついて食って、口のはしっこにソースとマヨネーズ、前歯に青のりくっつけてにっこり笑って『おいしい』って言うのがさ、愛してるって言ってるようなもんなんだ。好きって言葉にしたり、手をつないだり、抱きしめたり、キスしたりするよりかんたんだろ。なぁおまえには、好きなやついるのか。その子に買ってってやれよ焼きそば」
「うっせぇ、おっさんどこの星の人間だよ」
という話をしたのは去年の酉の市のことで、そのときおれは友だちと別行動で境内を巡っていた。屋台のおっさんは鉄板でじゅうじゅう焼きそばをつくりながら、頭がおかしいとしか思えないセールストークをおれにむかって垂れ流しつづけ、だからおれも腹ペコではあったけど意地になって焼きそばを買わずに友だちが来るまでそこに立っていた。
卑怯なことにソースの甘辛いにおいが鼻からすべりこんで胃袋をひろげるので、あともう少しで誘惑に負けてしまうところだった。
「つまりこの焼きそばもおっさんからおまえたちへの愛なわけよ。おっさんは一人だけを愛するようにはできてないの、愛の量が多すぎるんだ。安い、うまい、心もおなかもぱんぱん。コスパいいよ、おっさんの愛は」
そのばかばかしい話はすぐに忘れたはずだったけど、焼きそばを食べるたびにぼわっと浮かんでくるから、本当は脳みその内側のふだん使っていないところに一字一句刻まれてしまったみたいだ。きもい。
今年は友だちが軒並みノロウイルスにやられたのでひとりで神社へ行くつもりだったのに、直前になって母親がおれの監視役としてミノリちゃんをつけるって言い出した。
ミノリちゃんは二軒隣の家に住んでる大学生。
おれの通ってた小学校には、同じ登校班の一年生と六年生は手をつないで登校するっていうおせっかいな決まりがあって、だからしょうがなくおれはミノリちゃんと手をつないで学校に通ってたんだけど、手をつなぐのがいやすぎてわざとお腹痛いふりして後から登校したことも何度かある。そんな日、玄関でおれの母親にあいさつするミノリちゃんは必ず困ったような悲しそうな笑い方をしていた。そうですかぁ、やっぱり私きらわれちゃってるのかな、えへへ。それを聞いて罪悪感みたいなものが湧いてこなかったと言えば嘘になる。でもおれは手をつないだときに自分の手がじわじわ汗ばんでくるのがいやだった。だんだん蒸れてびちゃびちゃになってそれが相手に伝わるの、きもちわるい。
学年が上がるにつれておれがミノリちゃんに話しかけることはなくなっていった。ミノリちゃんのほうはたまに道で会うとげんき? とか学校どう? とか近所のおばさんって感じのことを訊いてくる。正直うっとうしい。まともには答えないで適当にまぁまぁですとか言うことにしている。
ミノリちゃんは大学に入ってから、髪を茶色のふわふわパーマにした。いかにもなチャラい感じであんまり似合ってない。ミノリちゃんには流行を追いかけようとして乗りきれてない感じのダサさがある。
「熊手買うお金、無駄遣いされるとやだからミノリちゃんに持っててもらうわ。はい、じゃふたりでいってらっしゃい」
「無駄遣いとかしねえから。なんでだよ、めんどくさいな。あの人はあの人で他に行く人いるでしょ」
「ミノリちゃんね、おととい彼氏とわかれちゃったんだって。あ、ほらもう来た」
いつかの朝みたいにダサいミノリちゃんが玄関の前に立っていた。ゆるふわ系をめざしているのかもしれないけど、なんかおばさんぽい。別れちゃったらしい彼氏っていうのもサークルの新歓コンパで酔っぱらってた同回生で、ミノリちゃんが介抱してあげたのがきっかけとかで、母親かよって感想しか出てこない。おまえはおれの母親かよとか言われてフラれてたりして。そもそも近所のおばさんたちと仲が良すぎる時点でちょっとどうかと思う。
「ひさしぶりー。不満顔だねー。ちょっとお祭り付き合ってよ、一人で行くのもなんじゃない」
「別にいいですけど」
ぶ厚い灰色の雲が有料橋のあたりで切れて、橋と雲とのあいだに帯状の空がのぞく。橙と金と白とがまだらにまじってまぶしい夕焼け。にむかって川べの道を歩いていく。
フェンスの向こうをついーっと泳ぐ鴨としばらく並んで進んで、道を渡って二回折れて、おれとミノリちゃんは神社へたどりつく。
早々に熊手を買うともう帰りたくなってきた。同じクラスのやつに見られたくない。
ミノリちゃんはばかみたいにはしゃいで、お祭りっぽいことしようよと言ってずんずん屋台を見て回る。
「射的やろう。ねえほしいものあったら取ってあげるよ」
「別にないんでいいです」
「あ、ゲーム機。あれいいじゃん。よし、見ててよ」
どうせ当たらないし当たっても落ちない。でもミノリちゃんはそんなふうに考えない。がんばればどうにかなる、努力は裏切らないって信じているタイプだから。おれの母親によると、小学校でも中学校でも高校でもミノリちゃんはミノリちゃんのやり方でがんばってきたらしい。だからそれなりに成績も悪くなくて、スポーツもまあまあなんとかなって、人にはあんまり嫌われなくて。うまくいかないことがあっても、いつも前向きでがんばらなきゃって言い聞かせて笑って。
弾はひとつも当たらない。
「けっこうむずかしいねー、取れなくてごめんね」
「別にほしいって言ってないし。もう帰らない?」
「じゃあさ、なにか食べてからにしようよ。今ね、そんなにまずくないけどおいしいってほどでもないもの食べたい気分。屋台の食べものってそんな感じだよねー。食べたいものあったら言ってね、おごるから」
たいして広くもない境内にぎゅうぎゅう詰めこまれた屋台から甘かったり香ばしかったりいろんなにおいがただよってきて、確かに腹が減る。
提灯のぼんやりとした赤っぽい光が余計に食べものをおいしそうに見せている気がする。
「あーあした月曜日かー。だるいねえ」
「いつもへらへら楽しそうにしてんじゃん」
「はー、人をばかみたいに言ってー。そういう君はどうなんだ」
「別にふつう」
気温が低いから体は冷えてくるのに、目と目のあいだあたりが熱い。いいかげん人ごみに酔ってきた。
「わたし、うざいかな」
「うん」
「正直でけっこう」
「てか、腹減ってんでしょ、何食うの。早く決めれば」
へらへら笑ってミノリちゃんは屋台をながめる。
すこし先に焼きそばの屋台を見つけた。焼きそばを出しているところはいくつもあるけど、あれは去年のあのおっさんの店だ。テントにへたくそな宇宙人の絵が描いてあるから分かる。
でも店員はおっさんじゃなかった。ちょっときつそうな雰囲気の若い茶髪の女のひとだ。おっさんはどっかに行ってるんだろうか。
つい足を止めて鉄板を見てしまう。
「おー焼きそばいいね。買ってこようか。焼きそばでいい?」
めんどくさいからうなずいた。
ミノリちゃんが小走りで焼きそばを買いに行く。財布は緑色で花柄。
おれは自販でお茶を二本買って、屋台の隣の休憩スペースに座る。
「いいにおいー、はい食べて食べて」
ミノリちゃんは後にできあがったほうをおれに渡す。ちゃんと見ていたから分かる。そういうのが母親っぽい。
ミノリちゃんはそういうひとだ。
「どうも」
受け取った焼きそばを思いっきりがっついて食う。
「そんなお腹空いてたの」
「ぐるぐる回ったから」
おれの顔を見てミノリちゃんが噴き出す。へらへらごまかし笑いじゃなくて、素の笑い。
「歯にね、青のりめっちゃついてるよ。もう全部の前歯についてる。奇蹟的。口のはしっこにもマヨついてるし。子どもか。って子どもだね」
「いいんだよ、それで。そっちも早く食えば」
「あーまたうざかったか」
いいんだよそれで。
焼きそばをほおばる。おいしいってほどでもないけどそんなにまずくもない。
やきそばーばる