私の恋愛

一 不安の日々

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 こんなところか。
 自室で、私はパソコンを前に息をつく。時計をみると、23時55分、もういくらかすると寝る時間だ。私は恋愛小説を執筆していた。
 どうせまた良いことは言われないのだろうな。いや、全く反応がないパターンかな。
 そう思いながらも、途中までできあがった作品をいつもの場所に投稿することにした。テキストファイルをオンラインストレージにアップロードし、そのURLを匿名掲示板にある小説家志望者が集うスレッドに晒す。
「途中まで出来上がりました。よければ読んでください。
http://www5.sf-x.net/shosetu/cgi-bin/upload/src/si1237.txt」
 スレッドに書き込むと席を立った。
 酒でも飲んで寝よう。
 冷蔵庫から缶ビールを取ってくると、またパソコン前に腰をおろす。ビールを飲みながら、先ほど書いていた恋愛小説の内容を思い返す。こんな恋愛がしたい! 今の自分がこんな出会いに恵まれたら……! 作家志望の男が少女と出会って恋に落ちる。都合のいい、自身の願望を詰め込んだものだった。
 本当にこういうことが起こったらなあ……。でも現実は……。
 私は、恋愛にかすりもしなかったこれまでの人生と、アルバイトや執筆活動に追われ素敵な出会いなどありそうもない現在の境遇を嘆いた。
 こんな調子で結婚のパートナーが見つかるのだろうか。
 将来のことを考えると不安で胸がいっぱいになる。
 ……やめよう。
 暗いことばかり考えていたって気が滅入るだけだ。酒でぼんやりし始めた頭で、私はさっきまで書いていた楽しい恋愛小説の続きを思い浮かべた。


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二 湧き出づる

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 ……。
 …………。
 ここはどこだろう。私は何をしていたんだ。体が浮遊しているかのような感覚、それでいて一点に固着されているかのような……。私は何かを得ようとしていた、願って、切望して、藻掻いていた。
 いや、今も藻掻いている。取り憑かれたように手足をバタバタさせている、この夢の中でさえ。


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三 女と出会い

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 気が付くと朝で、私はベッドで寝ていた。いつの間にか眠ってしまったらしいが、酔っていたせいでベッドに就いた覚えはない。ベッドから降りてパソコンの電源をつけると、昨晩投下した作品に対しての反応を確かめんとした。例のスレッドを順番に読んでいくと、私が投下してから20分後のところに1つ目の感想を見つけた。読んでみると、なかなか辛口な批評だった。
 朝から読むものではないな。
 出鼻をくじかれ、減退した気分のまま、スレッドの続きを追う。しばらくすると、別の感想にぶつかった。 
「いい作品ですね。もしかして前に『はつ恋』を書いた方ですか?
あれも面白かったです。良かったら私とメールでやり取りしませんか。
setsuko1128@ahoo.co.jp」
 悪い評価がただあるのみということも覚悟していた。それが良い評価があって、しかも前に書いた作品を面白いと覚えてくれている人がいるとは……! 早速私は相手のアドレスにメールを送って、高揚した気分のまま朝食の準備をし始めた。


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四 踴った日

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 目が覚めた。パソコン前で椅子に座ったまま寝てしまったようだ。窮屈になっていた身体を伸ばす。……そういえば、メールはきているだろうか。インターネット上で見知らぬ相手と一対一の特別な交流をもつなんて初めてだ。相手からメールが届いていないかもしれない、届いていたとしてどんな内容だろう、不安と緊張でいっぱいになりながらメールボックスを確認する。
「メール嬉しいです。私は説子です。これからよろしくお願いします」
 しっかりときていた。胸をなでおろすと同時に胸の内にじんわりとあたたかいものが広がり、鼓動が少し高鳴る。
「私は小太です。こちらこそよろしくお願いします」
 これから始まる新しい関係をおもい、期待に胸を膨らませた。


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五 紅生姜

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 それから私達は何度もメールのやりとりをした。夜に私がメールを出すと朝までには返事がくる。1日双方1通ずつのゆっくりとしたコミュニケーションで、真面目に創作論を語り合ったり、気楽に世間話をしたりした。そして、そうした対話の中で私達が同じ町内に住んでいるということが判明した。
「驚きました。私達、近くに住んでいたんですね。
説子さんは郵便局近くにある喫茶店に行かれたことはありますか?
私はよく行くんですが、そこで今出してる新作ケーキがとても美味しかったのでおすすめですよ」
「小太さん! 『万利休』をよく利用するんですか!?
実は私、そこの店員なんですよ! ウエイトレスをやっているので、私達、顔を合わせたことがあるんでしょうね!
そう考えるとなんだか恥ずかしくなってきました。」
 まさか実際に会っていたなんて……! でもそうか、同じ町内に住んでいるのだ。喫茶店でなくても道端ですれ違っているなんてことが偶然でなくあり得るのだ。実際に会う……その言葉はこわいような、恥ずかしいような、待ち遠しいような響きを含んでいた。


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六 虜になりそう

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 深夜、彼女からきたメールを眺めぼんやりとしていた。あの日彼女とやりとりするようになってから、こうしていることが増えたが、あれから幾日経つだろう。随分仲良くなったように感じる。もっと深い関係を求めても良いのではないか。ふと今日のメール内容を頭に思い浮かべた。
 説子さんはあそこのウエイトレスだったのだなあ。
 あの店のウエイトレスは3人だ。一人は20代前半に見える少し可愛らしい娘で本田という名札をつけていた。もう一人は文岡という女性で彼女は30前半程だろうか、マスターの奥さんらしい綺麗目のお姉さんだ。最後の一人はあまり記憶に残らない感じでよく覚えていないが、本田さんと同世代くらいの地味で平凡らしい娘だったように思う。どれが説子さんなのだろうか。私はこれから先の行動を起こす前に、彼女が自分のことをどう感じているのか考える必要があると思った。そして、もし私と実社会で交流をもちたいと思わなければ、自分があの店のウエイトレスだと明かさないはずだと考えつき、私は覚悟を決めた。
 彼女と現実で会って、話をして、それでデートに誘ってみよう。
 そのためにはともかく、あの3人の中で誰が説子さんか分からないといけない。メールで聞いてみようか。そしてどの店員が彼女か判明したら遂に……。


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七 妙ちきりん

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 ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
 今は土曜日の午後2時30分、私は例の喫茶店にいた。今日のこの時間頃に店に来るということになっているのだ。席案内の際に対面し、意味ありげに微笑んでみると、相手もぎこちなくそれっぽい笑みを返してきた。ああこの人かあ、となんだか納得した。地味で平凡そうな方の人だった。しかし、なんだか心惹かれる。パソコンの前で相手に抱いていた気持ちが、目の前の人に抱く印象と重なって、大きくなった想いが心臓を叩き始める。会ってみると、予期していたより緊張して、話そう話そうと思っていたことが、あれを言ってこれを言おうとしていたその内容が、口から出るとすっかりへんてこな安物になってしまいそうで、結局なにも言えそうもない。
 でも今日はこれでいい。ゆっくりゆっくり距離を縮めていけばいい。 


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八 勇気

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 あれから1ヶ月弱経ったが特に進展はなかった。あの後、4回喫茶店に行ったが普通の客と店員として時間を過ごしただけだったように思う。というのは、緊張して、正直何をどうしていたかも覚えていない。まあそれでも好きな人と同じ空間に居て心地よいものだったという気持ちはあるのだが、さらにもう一歩先へ進みたい。デートに誘いたい。しかし、なかなか勇気がわかないし、デートのために心得ておくべきことなど私にはとんと分からない。
 説子さんの同僚に相談してみようか。
 あの喫茶店の少し可愛らしい娘、本田さんはどうだろう。説子さんと歳が近いようにみえるから、プレゼントとして同年代の女の子が好むところのものや彼女ら理想のデートなどのようなものまで様々に分かっているだろうし、彼女の同僚として親しい立場から有益なアドバイスが得られるに違いない。
 そういえば今日のメールで、前に中途で掲示板に投稿した恋愛小説が遂に完成し、読みたいからということで、話の流れで、せっかくだから原稿用紙に印刷して手渡しするという手筈になっている。同僚の娘に相談するついでに喫茶店で受け渡しできないか。


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九 妻に頼もう

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 仕事が終わるのを待って、喫茶店の同僚、本田野辺美さんに相談してみた。出会った経緯から今の関係まで、まるっきり赤裸々と打ち明けて、二人の仲を進展させるためのアドバイスを求めた。彼女はあまり気乗りしない様子であった。しかも、私がトイレに行き、席を離れた際に、私が横においていた例の原稿の中身をいくらか読んだらしく、戻ってくると変な顔をしていた。これからの私達の関係に反対であるらしいし、これまでの私達の間にある気持ちについても懐疑的だった。どうやらただ一方的な想いで、しかも質の悪い偏執的なものだと思っているらしい。何にしても、彼女の協力は望めなさそうだと分かった。


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十 舅かお前は

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 もう夜が更けきった頃、自室の椅子に座って考えを巡らしていた。考えていたのは野辺美さんの反対にあったことと、この先どうするべきかということだった。彼女の反対にあうということは予想していなかった。誠実な態度で頼めば快く了承してくれるものだと勝手に信じこんでいたので、彼女の反応は意外だったし衝撃を受けた。
 しかし改めて考えるとそれはどうということもないことだ。これは私と説子さんの問題だ。元々第三者である野辺美さんに何か助力を期待することが間違いだった。そうだ、私は自分自身の力のみで説子さんと向き合うべきだったのだ。今、はっきりそのことが理解できた。そう思うとさきの野辺美さんの反対も天が私に与えたもうた必要なプロセスのように考えられた。
 ともかく次の土曜日、この足で喫茶店に出向き、面と向かってデートに誘う言葉を告げる。


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十一 姑です私は

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「でてってください!」
 野辺美さんの大きな声が喫茶店の中に響き渡った。土曜日の午後2時30分過ぎ、私達は驚いてただ彼女の方を見ていた。
「これ以上説子さんに付き纏うなら警察に言いますよ!」
 警察に言う……? 付き纏う……? 彼女の主張せんことを把握しようと努めた。
「付き纏うって……私が?」
 一瞬の間のあと自分を指さした。
「あなた以外にないでしょ! ストーカー!」
「ストーカー!? ちょっとあなたねぇ」
 心外だ。ストーカーなぞではない。
「はっきり言ってきもいですよ! こんな小説まで説子さんに贈って!」
 そう言って野辺美さんは封筒をテーブルの上に叩きつけた。叩きつけられた封筒は原稿の頭を吐き出した上、テーブル上のグラスを倒して衣服にその中身をぶちまけた。
「なっ! おい、私のっ!」
「さっさと出てってください!」
 彼女は速やかに言い放った。
 何様のつもりなんだこの女は。てんで話にならない。
 その後もいくらか言い合って、結局喫茶店から出て行った。


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十二 男のイカリ

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 まさかこんなことになるとは。
 私は自室で今日の喫茶店でのことを考えていた。
 なぜあの女は邪魔をするんだ。もう少しで上手くいくはずだったのに。だいたい私がストーカーだと? あの女は根本からして勘違いしてるんだ。そりゃあ確かに彼女が恋人として私の事を好きかは分からない。だが少なくともメールの内容なんかを見ると好意を抱いているのは確実だし、そこに通常の好意以上のものを期待したって良い程だろう。あの馬鹿はメールのやりとりでも見せれば納得するんだろうか。
 私はいつものように自分用のメールサービスにアクセスしようと思った。そして、怒りにまかせたままパソコンを操作し、メールボックスのメールを順次見ていった。
 これが最初のメールだ。ここから始まったんだよなあ……。次のはどうかな。そうそうこんな感じだったなあ。あっ、こっちのはあのときのか。懐かしいなあ。
 私と説子さん、二人の通信の思い出がよみがえり、その仲が再確認されるとともに、やはり彼女と一緒になるのだという気持ちが強くなってきた。
 しかし本田野辺美、あいつは厄介だなあ。
 今後どのようにアプローチしていくべきだろう、そう思って何気なく視線を変えて、目を向けた先が、当アカウントからの送信メールの情報、送信者のメールアドレスを表示するところだった。
 「setsuko1128@ahoo.co.jp」
 setsuko1128……setsuko……せつこ……説子……説子? あれっ。setsuko――説子――の送るメール? そのメールはこのアカウントから送信されたものだ。それを目にしているのだから、私はいま説子のアカウントから説子の送信メールを見ている……。
 何で私は彼女のメールアカウントにアクセスしているんだ……?
 なんだかよく分からなくなってくる。
 さっき私は怒りで頭の中がいっぱいになったまま、よく確認もせずにメールサービスに接続した。そのときに彼女とのことを考えていたから、無意識に彼女のメールアドレスをアドレス欄に入力して、アカウントにログインしてしまったのか。いやしかし、いくら彼女とのことを考えていたって、彼女のメールアドレスとパスワードを入力するなんてしたものだろうか。というかそうだ、そもそも私が彼女のパスワードをしっているはずがないじゃないか。それとも以前に彼女が私にパスワードを知らせてくるなんてことがあったろうか。でも知らなくてもまさか当てずっぽうで適当に入力したのが……いやいやいやだからそもそもそんなことをするはずが……。
 頭を抱えた私に、傍にあった封筒が目に入った。
 これは例の原稿の……あの日掲示板に投稿され……私と彼女の出会うキッカケとなった恋愛小説の……。
 私は封筒から原稿を取り出し、手にとって読んでいった。そしてすぐにあることに気がついた。
 ここの文章……いや、ここも……こっちもそうだ。さっきいくつも見ていたメールの文面と全く同じだ。そしてこの小説の内容は……私と説子さんの交際の様子そのまんまじゃないか! いやそれだけならまだよかった。ここには……私と説子さんが将来メールで話すということを、この私が知っている文面が載っている! どうして私は! 私が説子さんにどういうメールを送り! 説子さんが私にどういうメールを送るか! どのように二人の仲が進んでいく予定であるか! これら未来のことを知っているのだ!
 私は私を抑えつけようとする恐怖の手を振りきって私の中にその原因を探り始めた。身体に刺さったガラスの破片を取り除くように、意識に蓋していたものをどける。私はかすかに感じる異様な気配を頼りに、心の内の深いところへずんずんずんずんと潜っていった。そして、潜在意識の奥底の、暗い暗い雲が覆い漂うそのところに、黒くこびりついたようにじっとしていた、澱のようなものを遂に見つけた。
 こいつだ。
 私の目が一筋の光を照射して、底に滞留していた暗雲が少し紛れる。黒く不気味な生物と目があった。そいつはどろどろと蠢き、片鱗を、顔を、現し始めた。
 こいつは――。
 私はあの日を思い出す。あの日とは例の恋愛小説を掲示板に投稿した日だ。あの日私は自身の願望が詰まったあの小説を執筆していた。執筆したものを掲示板に投稿し、もう寝ようかとしていたとき、私は小説の内容が現実に自分のものとなるように望んだ、痛烈に、切実に。そして私は創りだした、パソコンの中の恋人を。それは小説の通りに考え、行動する。私達の関係が私達のなかに収まっているうちは筋書き通りに話は進んだ。でも次第に現実のあたたかさを求めた私は、喫茶店で会うあの人に姿を重ねて――。
 私は全てを悟りそうになっていた。部屋の中をペーソスが満たす。気づけば私は心の内で殻のようなものに手を触れていた。殻はヒビ割れがすすんでいて、このままこれが崩れてしまうともう完全におしまいだ。殻は中空でばらばらになって修復ができない。
 そうするとどうなるのだ。
 中身は大気に晒され陽の光に照らされる。肌を刺す冷たい空気に、見上げると薄目になる、全てを空々しいくらいに白く溶かしていく眩しい光……!
 そんなのはだめだ。そんなのは耐えられない。どうしてこうなったのだ。どうして……。
 私は探した、ほころびをつくった元凶を、私を攻撃する敵を。……そして見つけた。
 あの女だ。あの女のせいで。
 ひび割れた殻が急速に回復していく。私は携帯電話に手を伸ばした。


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十三

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「次のニュースです。昨晩、○△市の喫茶店『万利休』の駐車場で、女性が刺されて倒れているところを通りがかった男性が発見しました。刺されたのは同市に住む本田野辺美さん。かけつけた警察官が、近くで包丁をもって立っていた柿本説子容疑者を逮捕し……」


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私の恋愛

某所でお題をもらって作成したものです。もらったお題は「パソコンの中の恋人」と「ペーソス」です。わかりにくいと思うので少しだけ説明すると、章ごとに主観(と言っていいのでしょうか)が、かわりばんこになっています。あの変な章タイトルがちょっとしたヒントとなっていて、よく見ると、「タイトルの内に『女』を含む漢字のあるもの」と「タイトルの内に『男』を含む漢字のあるもの」があることに気がつくと思います。12章以降は特別です。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

私の恋愛

私は執筆していた恋愛小説を中途で掲示板のスレッドに投稿した。朝起きて反応をチェックすると、私とメールでやりとりしたいという書き込みがある。私は喜んでそれに応じた。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-10

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 一 不安の日々
  2. 二 湧き出づる
  3. 三 女と出会い
  4. 四 踴った日
  5. 五 紅生姜
  6. 六 虜になりそう
  7. 七 妙ちきりん
  8. 八 勇気
  9. 九 妻に頼もう
  10. 十 舅かお前は
  11. 十一 姑です私は
  12. 十二 男のイカリ
  13. 十三