桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君16

ITRA

続きです。

桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君16

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「これ、光顕、どこまで同化を深める気だ」
鹿王の声で、ふと我に返る。
おかしい。自分は都に向かうため下山している最中だったはず。
「光顕、しっかりせんか」
そう言うや、額にまたあの強烈な痛みが走った。あまりの痛みにぎゃっと悲鳴をあげて辺りを見回すと、光顕は、ふわふわと宙に浮いていた。
「うわ、なんだこれ、どうなってんだ」
慌てて眼下を見渡すと、山神姫の社が見える。
「なんで、俺、飛んでるんだ」
すぐそばで、鹿王もまた光顕と同様、空に浮いている。その姿はうっすらと透けていた。
「なんでお前透けてんの」
「実体ではないからの」
「実体?」
「つまり、思念を目に見える形にして・・・いや、長くなる、もうよいわ」
鹿王は詳しい説明を試みるも、この時点でまったく話についていけていない光顕のとぼけた表情をみて、途中で諦めてしまった。
「なんだよ。感じ悪いな。てゆーかさ、俺、鷹雄から出てもいいのかよ。まだ途中だろ」
そこで、光顕ははっとなった。
「もしかして、俺、選択を間違えたのか?あの酒、なんだっけ、仙酒?あれを呑んじゃだめだったとか?断るのが正解か?」
鹿王は口元を扇で覆ってうむと唸った。
「分岐点はそこいら中に散らばっておる。あそこでお前が野たれ死ぬのも一つの結末ではあったな」
「えーっ、勘弁してくれ、俺じゃない、死ぬのは鷹雄だろ」
光顕の訂正を鹿王は綺麗に無視して、まあよいわと呟いた。
「で、なんで、またお前が出てきたんだ」
「うむ、そこだ。お前に少し糸口をやろうと思うてな」
「糸口」
「そう、よりよい選択のための糸口だ。まあ、見ておれ」
それから手にしている扇の柄をきゅっと握った。
「鈴が耐えきれるとよいがの」
その言いぐさが不穏で、光顕は恐る恐る問いかけてみる。
「やっぱ、山神姫って酷い罰を受けたりするのか」
「見ておればわかる」
言いたくないらしい。そうこうする内、山神姫の社に人影が見えた。山神姫は「挨拶」に向かい、鷹雄も京を目指している最中だ。社は無人のはずだ。不信に思い目を凝らすと、それは見知った人物だった。
「康成だ」
鷹雄と入れ替わり社に現れたのは、鷹雄を口汚く罵った同僚の康成だった。
「なんであいつがこんなところに」
「鷹雄の後をつけたのだよ」
鹿王が場違いなまでにのんびりと口を挟む。
「つけたって、じゃあ、昨日の夜からか」
「そうだ。ほら、見てみろ」
きょろきょろと辺りを見回す、その姿はあからさまに挙動不審だった。そして、社の寝殿にまで入り込むと、わき目もふらずに二階棚へと足を進めた。
「あいつ、徳利を」
光顕が言い終わる前に、康成は徳利の入った桐の箱を抱えると、一目散に階を駆け下り、鷹雄とは別の下山道をひた走って行った。
「あいつ、マジで盗んでいった。あり得ないだろ」
「手癖の悪い輩だ」
「おい、山神姫を呼べよ。阿狛と吽狛は何やってんだ」
光顕は苛立たしげに、髪を掻き毟った。
「狛犬達は山神姫がお方がたと会う間、神世と人の世を結ぶ扉の警護にあたっておる。その間、お社は無防備になるのじゃ」
「なんだ、それ。不用心だな」
「この御山に、お前達人間のように山神姫を害するものなどおらぬからな」
そうこうするうち、阿狛と吽狛だけが母屋に戻ってきた。寝殿造りの板の間を巻き毛の獅子が我が物顔で歩くさまは異様だった。
「やや、吽狛、大変じゃ」
先に異変に気付いたのは阿狛だった。
「徳利が、徳利がなくなっておる」
それを聞いた吽狛も慌てて、そばにやってくる。
「何っ、どこかに置き忘れたのではあるまいか」
「そうかもしれぬ・・・いや、しかし、姫様は確かにこの二階棚の上に戻されたはず。いつもそうされているではないか」
「そうじゃな。では、どこへいった。なぜないのじゃ」
「困ったのう。あれを失のうたとなれば、大問題。姫様の咎となってしまう。なんということじゃ。困った、困った」
 二匹は鼻面を突き合わせ、ふがふがと話し合う。
「あの人間、鷹雄が、あやつが持って行ったのではなかろうか」
吽狛がはばかるように声をひそめた。しかし、いつもなら、人間に厳しい阿狛は無言で棚を見つめるだけだった。
「他に考えられぬではないか」
さらに言いつのる吽狛に、阿狛は小さく、反駁とも言えない弱い声音で呟く。
「しかし、あの男がそんな真似をするであろうか。どうにも信じられぬ」
それを聞いて吽狛も、今にも剥きだしそうになっていた牙を収める。
「そうじゃな。しかし、事実、徳利はなくなっておるのだ。もしも、天津が原の神々にこのことが知られれば、姫様といえど、ご無事で済むとは思えん」
「その時はっ」
相棒の言葉を遮って、阿狛が声を荒げる。何かを切り捨てるような強い意志がこもった言葉だった。
「ワシがあの男をかみ殺す。それでお方だたのは御怒りを納めていただこう」
「馬鹿なことを申すな。我らは神使ぞ。人間を殺せば、堕ち神となって永久にこの人の世をさ迷うことになるのだぞ。とにかく今は、あの男が山を下りてしまう前に、もう一度ここへ連れ戻し、ことの仔細を聞くとしよう。山をでられると、ここに括られている我々にはての出しようがない」
吽狛の提案に阿狛は応えなかった。どんな言葉も受け付けない頑冥な顔つきで、阿狛は天を睨んで、一足飛びに空へ駆け上がった。


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狛犬達の一連のやり取りを空から見ていた光顕は、急に鼻先をかすめて飛んで行った阿狛に驚いて、バランスを崩した。
「安心せい。我々はそもそもいるはずのない存在。彼らにはお前の姿は見えておらん」
「あーびっくりした。それを早く言ってくれ。食い殺されるかと思った」
鷹雄のなかに長くいたせいか、自分が追われているような気になってしまう。
「さて、ここからが大変じゃな。ちょっと鈴のほうの様子も見に行こう。光顕お前もついてこい。見ておいて損はない」
言いざま、鹿王は光顕の耳をつまむと、扇を開きそれを大きく上から下に仰ぎおろした。
 一瞬にして山の景色が吹き飛び、視界がほの暗くなる。周りをごつごつとした岩肌に覆われたここは。どこかの洞窟の中のようだった。岩肌から染み出る水が滴になって、ひとつまたひとつと静かな空間に音の波紋を広げている。さっきまでは汗ばむほどの陽気の中にいたはずだが、ここは肌が泡立つような冷気に満ちていた。
地面は対照的に磨き上げられたタイルのように平面で、そこには大小の丸を重ねた幾何学模様が描かれている。その中心に、山神姫が立っている。山神姫の頭上には八つの光の玉が輝いている。
「伊佐津泰山の山神姫、此度のこと、まずは申し開きをきこうか」
一番巨大な光球の左側の玉が口火を切る。この光球達が、「お方々」なのだろう「妾の山に重い病を患うた人間がやってきた。それを助けただけのこと。何を咎められることがあろうか」
言い返す山神姫は鷹雄や狛犬たちと接している時とはまるで違う、毅然とした態度でこの場に臨んでいた。
「それは人に仙酒を与えたということか、それを認めるというのか」
別の光が問いただす。
「いかにも」
山神姫の答えに、光たちは俄かにざわめいた。
「仙酒はそもそも神世の宝。それを易々と人に与えるとはいかなる所存か」
「この酒は、御山の清流と、御山が育んだ桃の果実にて作ったもの。山の恵みは皆のものでありましょう。ヒトとて例外ではござりませぬ」
「しかし、仙酒は御主の神力なしには作れぬ。みだりに神の力をヒトに使うは理に反する」
「神は、生きとし生けるもの万物のすべて、草木や動物、土に潜む小さきものや空気に混じる命のかけらまで分け隔てなく愛しむもの。なぜ、ヒトのみを例外なされるのか。妾はそれが解せませぬ」
光球たちが、怒りをあらわすように激しい明滅を繰り返す。
「貴様、下賤な獣神の分際で、神世の理にもの申すか!」
ついに光球の一つが声を荒げる。若い男の声だった。しかし、山神姫はひかなかった。
「貴き方々、ならばお教えくださりませ。理とは何でござりましょうか。目の前の命を救えぬ神になんの価値があろうか。何をもって救う命と見捨てる命をわけ隔てなさるのか」
「詭弁だ」
「妾の申した言葉のどこが詭弁と宣ふか」
「ならば。貴様は真に万物への愛をもってあの人間を救うたのか。貴様の愛しみなど、神の慈愛などとは程遠いではないか。大御霊主様、この化生は、あろうことか人間と情を通じておったのです。此度、仙酒を与えたのはその情人にございます。賢しげに弁を弄しておりますが、耳を傾ける価値もない。獣が情に溺れ道を誤った。ただそれだけのことにございます」
光たちは戸惑うようにちらちらと光を放つ。そのなかにあって、一番中央にいる一際巨大な光が、声を発した。
「伊佐津泰山の山神姫、まことか」
朗々とした、壮年の男の声だった。山神姫は一度俯き、それから意を決したように顔をあげた。
「まことにございます。妾はあの人間を、鷹雄を慕うてございます」
光達の間に怒号のような光が走った。
「なんと愚かな」
「人間となどと。気でもふれたか」
「これだから獣の神は」
汚らわしい 汚らわしい 獣姫
所詮は下賤な獣の化生よ
神々は悪しざまに山神姫を罵った。
「やめろよ。何なんだあんたら、本当に神様なのか」
聞くに堪えず、思わず光顕が割って入るが、誰の眼にも光顕は映らない。
「やめよ、光顕。過去の映像にすぎぬ」
鹿王がやんわりと止めるが、光顕には納得がいかなかった。
「信じらんねえ。神様ってこんな感じ悪いやつらなのかよ」
「感じ悪い?まあ、確かに。神も仏もあるものかとはよう言うたものよ」
何がつぼに入ったのか、鹿王が珍しく肩を震わせて大笑いしている。
光顕が文句を言っている間にも、神々の裁判は続いていた。
ふと、山神姫を攻撃する急先鋒だった若い光球が、底意地悪気にちらちらと光った。
「伊佐津泰山の山神姫よ、お主は神世の理に背いてでも、お主の欲望を満たすために神の恵みを人間にも分け与えるべきであると考えておるのじゃな。」
「・・・」
追い討ちをかけるように、光の声が響く。
「ヒトの世では、どうやら人間がお主の徳利を奪って逃げたようじゃが?」
光達が嘲弄するように、さわさわと明滅した。
「まさか。何かの間違いじゃ!」
「なんの間違いがあろうか。お主と違い、我々は手に取るように見えているのだ。して、どうする山神姫。お主が軽率にも神の奇跡をヒトに与えたがゆえ、欲深い人間は眼が眩み、徳利を奪って行きおったわ。いかにするつもりじゃ」
「奪ったとは限らぬではないか。なにか事情があるやもしれぬ。大御霊主様、今しばらく、事の仔細を調べる猶予をくださりませ」
大御霊主と呼ばれた光球はまばゆいほどに光度をあげると、厳しい声で言い放った。
「伊佐津泰山の山神姫、此度の件はお主の軽率な行動が招いたものであることは明白。神世の理に背いたのだ。その代償は払われねばならぬ。また、徳利は神世の至宝である。ヒトの世に堕ちれば混乱を招くに違いない。よって、山神姫、いかなる手段を用いてでも、あの徳利を奪い返して参れ」
山神姫は青ざめた顔で沙汰を聞いていた。
「して、その代償とは」
どの光からはわからなかったが、落ち着いた女の声がした。すると、急にどこからか暗雲が立ち込め、大地を揺るがすような雷鳴が轟いた。うす暗い洞窟の内部を紫に光る雷光が幾度も切り裂く。その雷が、鞭のように山神姫の頭上に降りそそいだ。光顕が叫ぶ暇さえなく、小さな山神姫の体が無数の稲妻に貫かれ、不規則な痙攣を繰り返す。稲妻は幾度となく山神姫を打ち、狭い洞窟内は、その情け容赦ない光で埋め尽くされた。
 視界が戻ったとき、初めに光顕が眼にしたのは打ち捨てられた山神姫の姿だった。まとっていた衣は焼け焦げ、美しかった髪は無残に溶けてしまっていた。
 ふと、鈴の容姿が脳裏を過ぎる。
鈴、鈴は。鈴はどうした
そう思うと、いてもたってもいられなくなる。鹿王が、耐えられるかと心配した意味がようやくわかった。自分ならば耐えられない。思わず、駈け寄りそうになった光顕を鹿王が蝙蝠扇で制した。視線の先で、山神姫がもぞりと体を動かした。力が入らないのか、何度も立ち上がろうとしては崩れ落ちる。
「阿狛、吽狛」
一度だけ泣きそうな声で狛犬を名前を呼んだ。しかし、すぐに思いなおしたように歯を食いしばった。あの二頭を頼るつもりはないようだった。神々の怒りが狛犬たちにまで及ばぬよう恐れてのことだろう。あくまでも自分だけで解決するつもりだ。山神姫はよろよろと心もとない様子で壁際まで這うように進み、手のひらで岩肌を確かめると、それを伝って歩き始める。違和感のある動きだった。
「おい、あれってまさか」
思わず光顕がつぶやくと、鹿王が扇で口元を隠しながらそれに答えた。
「惨いことだ。眼を潰された」
光顕は言葉をなくし、しばし呆然となる。
「おい、鈴は大丈夫なのか。あの中に入ってるんだろ」
「あれは修行を積んだ沓部の当主じゃ。お前のように飲まれるようなことはなかろう」
「それでも、痛いとか苦しいとか、そういうの全部感じてんだろ」
鷹雄の病の苦しみを光顕が経験したように、鈴もまた雷に打たれ眼を潰される恐怖と痛みを体感しているはずだ。
「そんなこと、あっていいわけないだろう。今すぐやめさせろよ」
「馬鹿者。目的を忘れるな。お前たちが終わらせねば、山神姫は永遠にこれを繰り返す。増幅した怒りと悲しみは、あの穢れに力を与え続けるのだぞ」
そうだった。光顕は唇をかむ。早くこの流れを止めないと誰も救えない。鈴はこの世界で山神姫が味わう苦痛をともに永遠に味わうことになる。榊は戻らず、光顕自身も鷹雄のままこの世界に閉じ込められるのだ。このまま見ているしかないのか。
すると、山神姫は力を振りしぼるように、一陣の風に姿を変えると、そのまま都へと飛び去った。
「鈴!」
 なんとしてもこの世界の未来をかえないと
黒く焼けた地面に目を落し、光顕は決意を新たにした。

桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君16

桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君16

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-08

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