相棒のジャックと俺はエース

ジャックとエースは殺し屋組織に雇われているヒットマン。
二人の元に数々の殺しの依頼が組織から暗号で送られてくる。その中からエースが仕事を選ぶのだった。
今回、気なしに選んだ仕事が、結婚詐欺と保険金目的の殺人が絡んだ容疑者を殺せの依頼。ジャックとエースにとっては朝飯前の仕事のはずだった。
ところが、この仕事を選んだばかりに、ジャックとエースに思わぬ身の危険が迫るのだった…。

俺達の仕事は…

 俺の名は鈴木欣一。
 え?オレも鈴木欣一だって!
 ああ、そうなんだ。君も同じ鈴木欣一なんだね。
 
 そうなんだよね。
 
 ヒョッとして読者の中には同姓同名がいるンじゃないかなあって思ってたんだよ。
 案の定いたの。
 まあ、鈴木なんてのはありふれた名字だし、欣一にしたってそう珍しい名前じゃない。
 
 ごめんね、君がありふれた人間じゃないことは十分に分かっている。
 
 まあ、勘弁してよ。
 
 これから書くことは、同姓同名のあんたのことを書こうとしてるんじゃない。
 第一、俺、あんたのことは知らないし、だから書きようもないから。
 これは俺のこと。
 と、言ったって物語の中の俺だからね。
 間違っても、作者に置き換えないでくれよね。
 作者の名前は鈴木欣一じゃないから。
 作者の名前は…オッといけねえこれは言わない約束だった。
 まあ、名前なんかどうでもいいんだけど、別にABCでもいいんだけどちょっと、それじゃあ味気ないからね。
 ですから同姓同名の諸君、これから書くことにいちいち目くじら立てないように。

 俺の年は二十七歳。
 大学は中退、仕事が忙しくてね。
 相棒が一人いる。
 仕事仲間だ。名前は坂下雄一。
 念のため同姓同名のあんたじゃないからね。
 
 歳は俺より一つ上の二十八歳。
 こいつは大学をまともに出ている。大学はどこだって?
 笑っちゃいけないよ。これはマジなんだから。
 ハーバード大学出身。
 冗談かって思うかもしれないが、これがマジなんだよね。
 何の因果か知らないけどね、俺たち妙に気が合うんだ。
 かと言ってゲイじゃないからね。そんな趣味は持ち合わせていない。
 お互いに、彼女はいる。
 坂下の職業は某大学の非常勤講師。非常勤だからね。
 教授、准教授、講師の下の非常勤だから、給料はスズメの涙。
 だから、俺と同じ仕事をして生活費の足しにしている。
 まあ、この仕事をコンビでやってるわけで、ツーカーの仲なのさ。
 仕事内では俺達は別の名を使っている。
 この別名が裏の界隈では知れ渡っているけどね。
 俺がエースで、奴がジャック。
 ジャックとエースって言えば知る人ぞ知るコンビ名なんだ。
 えっ?何のお仕事かって?
 大きな声じゃ言えないけどね、小さい声じゃ聞こえない、なんて書いちゃったりして…。

 実は俺たちの仕事はヒットマンなんだ。
 えっ?それ何って?

 まあ、知らなきゃ知らないでいいよ。
 そのうちわかるから。

ヒットマン

 ヒットマンって言うのは、ザックバランに言えば殺し屋。要するに人殺しをする商売。でも、俺と坂下はヤクザの元でたむろする鉄砲玉じゃない。
 つまりマルボウには属していない
 俺達は気に入らない仕事はしない。
 上からやれと言われて「はい、はい」って顎で使われはしない。
 気に入らない仕事は断るというか、引き受けない。これは、俺達が属する組織の特徴だ。
 ただし、いったん引き受けた仕事は命がけで達成しなければならない。
 途中で、投げ出すことはもってのほか。そんなことしたら、組織から逆に狙われる。

 殺し屋というのは基本は、一匹狼の生業がほとんどだ。徒党を組むことはまずない。
 なぜなら、俺達は基本、他人を信用しないからね。
 俺達のように二人でペアを組んでやるというのは極めて珍しい。
 ペアを組んでするという事は、それだけ相棒を信用しているという事だ。もちろん、仕事においてだけ。
 プライバシーはお互いに極力秘密にしている。

 仕事の依頼は封筒で送られる。封筒は私書箱に貯まる。毎日相当の数だ。
 それを取り出して持って来てくれるのが高校生のよっちゃん。
 一応バイトのお兄ちゃんを雇っている。
 バイト料は時給いくらではなく、封筒一通50円として計算している。最近は毎日三百通ぐらい来るから、よっちゃんの一日のバイト料は15000円前後。
 郵便局に行って封筒を取り出して持ってくるだけで15000円。
 時間にして一時間もかからない仕事だ、高校生のバイト料としては破格だろう。
 えっ?
 その物騒な封筒の中身を、そのよっちゃんに見られないのかって?もちろん、興味本位で見るかもしれないが、例えその封筒を盗み見てもよっちゃんにとっては意味不明なものだ。
 なぜなら、封筒に書かれている言葉は、全て暗号だ。誰が見たって、チンプンカンプンで理解不能さ。
 その暗号解読書は俺達の頭の中に入っている。
 誰も見破ることはない、と確信している。

 その、三百通前後の中から一通か、せいぜい二通を選び出すわけだ。
 俺達は一応全ての封筒に目を通す。
 俺達が所属する組織は国際的に名の知れた、いわばプロの殺し屋達が集まっている機関だ。
 だから、簡単な仕事は来ない。
 最近は開発途上国の首長の暗殺、闇組織、反社会組織の幹部やらトップの殺し、そして特に目立って多くなったのはテロ組織の黒幕の殺しの依頼。
 まったく勘弁してくれよ…だ。
 そんな仕事をいちいち引き受けていたら命が幾つあっても足りはしない。

 あまりに重苦しい仕事はパスだ。それに、いくらギャランティーがよくてもこの日本を出てまで仕事はしたくない。

 だから、今日はこの封筒を選んだ。

簡単な仕事ほど危険が潜んでいる

 殺し屋家業は大雑把な人間には、まず務まらない。
 案外、細かい雑務の積み重ねが必要不可欠なんだ。
 人一人殺すのだからね。虫を殺すようなわけにはいかない。行き当たりばったり、当てずっぽうで殺る事は俺自身は嫌いだ。
 それなりに、殺す相手に幾ばくかの敬意を払う。
 もちろん、それに値しない相手もいるが。

 相手が国の大統領、首相だろうと、そこら辺の浮浪者だろうと何の違いもない。俺達はいつものように詳細に調べ、順序だてて綿密に計画し、そして実行する。
 そこには何一つ漏れはなく、省略もない。要するに、失敗は許されない。
 
 失敗は命取りになるからね。
 失敗したことによって依頼者に恨まれることもある。下手すれば、その依頼者が逆に俺達をターゲットにすることさえあるんだ。
 組織の仲間が仲間を殺す。
 そんなつまらん理由で殺されたヒットマンをよく耳にする。
 考えてみれば割に合わない仕事かもしれないね。
 案外厳しい。
 相当の金は頂くが、決して楽な仕事とはいえないかも。

 今回、俺達が選んだ仕事はまったくもってチンケな野郎の殺しだった。
 名前は、大久保雄治。
 六人の女性を結婚詐欺で騙し、金を貢ぎさせた男だ。
 しかも六人とも不慮の事故死や自殺で死んでいる。
 その六人全員に保険金が掛けられていて、その保険金の受取人が大久保雄治本人だ。
 誰が考えたって保険金殺人事件を疑うだろう。
 ところが警察は単なる事故死、自殺として片付けた。
 だが、被害者の身内達の心に疑惑は残る
 死んだ娘たちの親兄弟は再捜査を求めるが警察はケンモホロロの対応。
 要するに、崩せない堅牢なアリバイがあるのだろう。
 
 被害者の肉親達は苦肉の策でマスコミに訴えた。
 
 動いたね。
 マスコミはこういうネタにはピラニヤやサメのような嗅覚があるんだね。
 視聴率と販売部数が全ての世界だから、そりゃあ飛びつくさ。
 マスコミは調べた。警察も舌を巻くくらいの執拗さでね。
 しかし、考えてみれば人権問題だ。
 被疑者にもなっていない男を容疑者のごとく扱い、徹底的に調べ上げるんだから。
 しかも捜査権を持たないマスコミがやるんだから。
 もちろん、名前を伏せ匿名て報道しているがこの事件は誰でも知っている有名な事件、思いつく男はただ一人、しかも完全に犯人扱いさ。

 記者達は競って大久保の身辺を洗いはじめた。週刊誌は仮名、太田という名前で書きまくった。
 その匿名太田はこんな人物だ。
 パチンコ、競馬、競輪にうつつを抜かし、借金は数百万円。
 年齢は四十歳、無職。
 前科十犯。
 犯歴はほとんどが詐欺。
 たまに傷害事件も起こしている。
 そんな男の周りで女性が次々と不審な死に方をする。

 女性達の死亡に事件性がないと言い張る警察に国民は不信感が募る。
 それにここのところ、色々警察の不祥事があったから、国民は捜査自体に疑いを持ち始めた。

 警察も色眼鏡で見られるわけだ。だが、さすがだね。こういう報道があっても警察は動かなかった。
 意地でも動くものかって感じだね。
 
 連日のようにテレビは女性六人の不審な死を取り上げている。
 テレビの報道も日増しにエスカレート。今まで低迷していたテレビの視聴率はこの問題を取り上げるだけでうなぎのぼり。
 民法各社は特番を次々作り始めた。
 
 国民の関心は頂点を極める。
 
 毎日の話題がその事で明け暮れ、その内「なぜ警察は動かないか、職務怠慢ではないか」と社会問題にもなる。そして国会議員も売名行為よろしくまるで正義の鉄槌を下さなければ日本は笑いものになると喚く。
 
 ここまでくれば、警察も動かないわけにはいかない。そんなこんなで渋々再捜査が始まったわけだ。

 俺達はそんな大久保をターゲットにする事にした。
 簡単な仕事だと思った。
 ものの五分もあれば始末できる仕事だと思った。
 もちろん、奴が真犯人だろうがなかろうが即あの世に送ってやるとつもりだった。

 でもねそれがね、実のところ、結構厄介で極めてあぶない仕事だったんだ。

大久保はホントに保険金殺人犯か?

 「大久保、もういい加減吐いたらどうだ。保険金目当てで殺したんだろう?世の中みんなそういう目でお前を見てるんだよ。このままシャバに出てもまともにお前なんか誰も相手にしてくれねえからさ。死ぬまで肩身の狭い思いをして暮らすよりゲロしてスッキリしたらどうだい」
 そう言いながら取調官の田中警部補は、背広の内ポケットからハイライトを取り出した。箱の底を指で二、三回はじき出し、一本を口にくわえ
 もう一本を目の前の大久保に見せ、「どうだ」という顔つきで勧めた。
 
 大久保は、顎をしゃくる様な横柄な相槌で、その一本を抜き出した。
 田中はライターで大久保のタバコに火を点けてやり、自分のタバコにも点け思いっきりその紫煙を肺に送り込んだ。
 
 三時間弱の尋問に田中自身、疲労困憊していた。

 ニコチンの薬理作用なのか一瞬眩暈のような感覚が田中の頭を襲った。
 
 大久保は、うまそうにタバコを吸い続けながら言った。
 「殺しちゃいませんよ、刑事さん。マスコミが面白おかしく取り上げてるんです。別件逮捕して、ありもしない事件をでっちあげるんですか。第一、俺が殺したって言う決定的証拠なんかないでしょう?勘弁してくださいよ」大久保は苦笑しながら煙草の煙を田中に吹きかけた。
 
 確かに、状況証拠だけで、動かぬ証拠というものがない。
 被害者が保険金に入ったのも、女性自ら進んで契約したという事だ。
 保険勧誘員の話では、亡くなった女性の一人は大久保が止めるのを振り切るように契約書類に署名捺印したと証言している。
 大久保が強制的に女性を生命保険に入らせたという事でもないようだった。
 
 また死因にしても二人が自殺、他の四人が事故死。
 六人のそれぞれの死亡時刻には大久保は別の場所にいてしっかりとしたアリバイがある。
 ただ、大久保のアリバイに多少の不審点があった。
 それは大久保のいた位置と、その状況だ。
 つまり、死んだ女性の近距離に大久保がいたということだ。
 正確に言えば一キロ圏内にいた。
 しかも、意識を喪失した状態で。

 だがこれも調べ上げていく内に納得させられる羽目になる。
 女性達は大久保とデートし、別れてまもなく自殺や事故死を起こしていた。
 だから近くにいた。それと、大久保が気絶していたのはこの男が癲癇持ちだということだ。
 ただ不思議なのは、大久保が癲癇を起こした時に女性達は死亡したという事実だった。つまり、六人の女性達が死んだ時この大久保は一キロ圏内いて、気を失っていた。
 
 単なる偶然だろうと警察は片づけた。
 一番肝心なことは気を失った人間が事件を起こせるわけがないという事だ。

 そうこうしている内、田中の部下の橋本刑事が取調室に入ってきた。
 橋本は田中に耳打ちした。

 大久保は、腕を組んで首を回しながら大きな欠伸をした。

 田中は橋本刑事からの情報を聞いて改めて、大久保に質問した。
 「大久保、お前、催眠術に興味があるらしいな」

 「はあ?催眠術」

 「お前の部屋から催眠術に関する雑誌や本が出てきたそうだ」

 「ああ、確かに、二、三年前に熱中したことがあるかな。それがどうした?」

 「催眠術を使ってお前は保険金目当ての殺人計画を立てたんだ。どうだ図星だろう」

 大久保は首を傾げ、暫くして、大声で笑った。
 半泣き状態で笑い続けながら大久保は言った。
 「刑事さん、三文小説の読みすぎだよ。催眠術を使って殺人計画?笑わせるんじゃないよ。催眠術がどれほどのものか分っちゃいないね。よくテレビで催眠術師が出て催眠効果を見せるショーがあるけどあれってヤラセだよ。催眠術はね、文字通り眠らせるだけの効果だけなんだよ。しかも、それも不確かなもんなんだ。専門家に聞いてみりゃいい。そんなもんで殺人計画?ふざけるんじゃねえよ」
 
 大久保は逆切れした。

 田中は反論できなかった。
 確かに、催眠術を使って殺人計画なんかどう見ても無理がある。過去の事件を見ても催眠術を使った事件はまずない。三文推理小説でも書かないネタだ。
 もうこれ以上大久保を追求できるモノがない。

 大久保はズボンに落ちた煙草の灰を払いながら笑みを浮かべ思った。
 どう考えても逮捕できるわけねえよなあ。
 完全無欠の犯罪さ。お前らの頭で解決できねえよ。

 田中は思った。
 こいつには完璧なアリバイがあるんだ。
 どう考えても立件は無理だ。

 ということで、大久保は拘留期間を過ぎ無事解放された。

高田組の大ボスが依頼者

 俺、鈴木欣一はヒットマン。
 相棒は坂下雄一、この男も同じくヒットマン。
 俺はエースで坂下はジャックと言うニックネームを持っている。
 エースとジャックのコンビ名は裏の稼業で名が売れている。
 俺たちのコンビ名が売れだしたきっかけは実はこの殺しの依頼からだったのだ。

 仕事は、大久保雄二と言う結婚詐欺師。

 奴は、保険金殺人という限りなく黒いうわさの人物だ。ただ決定的な証拠がないため検挙されることなく悠々自適な生活をしている。もちろん、何十億円という保険金のおかげでだ。

 俺は、この仕事を請け負った。
 もちろんジャックの意見も聞いた。
 ジャックは反対した。
 ジャックの意見はこうだった。
 組織から来る仕事はそれなりに困難なものが多い。
 しかし、この仕事はあまりにも簡単すぎる、もう少し詳しく調べた方がいいのではないか。と、いう意見だった。
 
 確かに、俺達にとっては朝飯前の仕事だ。もちろん、報酬は結構いい額が付いている。

 俺だって、この仕事に関してやみくもに飛びついたわけじゃない。
 それなりに調査した。
 殺人の依頼者の名前は基本ヒットマンたちには知らされない。
 俺は、まず保険金を掛けられた女性の身元を調べた。
 保険金を掛けられ、死んだ女性の中に鎌田ルミという女性がいた。
 この女性を調べたら意外なことが分かった。
 
 鎌田ルミは父親のいない母子家庭で育ったが、その父親を調べていくと高田克己と言う男の名前が浮かび上がった。高田克己は関東地域を支配に置く広域暴力団のボスだ。
 多分、この仕事の依頼人はこの高田克己と言う男に間違いない。
 報酬の大金をペイできるのはこの男以外に誰もいない。

 ただ、おかしいのは、高田組には鉄砲玉のヒットマンがいるはずだ。
 それを使えばいいのに、わざわざ高い金を払って俺達に仕事をさせる。何か理由があるはずだ。

 ところが、俺はあまりそこのところは考えずに承諾してしまった。

 その理由が後でわかるのだが、分かった時は後の祭りだった。
 俺達はこの大久保を殺すのに身の毛もよだつ危険を味わうことになる。

 依頼人は確信をもって大久保が娘殺しの真犯人だと決めつけている。何か証拠をつかんでいるのかもしれない。
 俺達の組織も高田の依頼を引き受けたのはそれなりに大久保の確固たる保険金殺人の証拠をつかんでいるのかもしれない。
 
 だが、それは俺たちの耳には入ってこない。

 そんなこんなでジャックはこの仕事を、快く思っていなかった。

 だが考えてみれば俺達の仕事は大なり小なり危険はつきものだ。いちいちそんなこと考えていたら、ヒットマンなんかやってられない。
 やるしかないんだ。

 俺達は行動を起こした。
 まずは、奴、大久保の居場所を突き止める事。
 これは簡単だった。
 大久保に関心を持っている奴は全国にごまんといた。
 その中には奴を徹底的に調べ上げウェブに載せている奴がいたんだ。

 奴の居場所はインターネットですぐに分かった。
 大久保は都心の高級マンションに住んでいた。

 セレブが棲みついているセキュリティ万全のマンションだ。
 ガラス窓は全て防弾、防音の二重サッシ。
 出入り口はガードマンが二人、四六時中目を光らせている。
 関係者以外はこのマンションに入れないようになっていた。

 「大久保の部屋はマンションの最上階。外から奴の部屋を狙い撃ちできる高い建物はない。例え、あったところで、防弾ガラスで遮られているから狙い撃ちしても無理だ」あらかじめマンションの様子を調べ上げたジャックは俺に告げた。
 
 ジャックは射撃の名手だ。狙った獲物は外さない。百発百中の腕前を持つ男が言う事に間違いはない。
 どうやら、大久保がマンションから外に出た時を待つしかないみたいだ。
 俺とジャックは奴がマンションから出るのを観察した。
 
 ちょうど、マンションの前に喫茶店がある。
 窓際のボックス席に陣を取り見張った。
 大久保はめったにマンションから出ることはない。出たとしても一週間の内せいぜい二、三回。しかも、時間は決まってなく、出てきたとしても歩いて数メートルのコンビニに入るか、たまに自家用車で遠出をするぐらいだ。
 一度、奴の車を付けてみたが何故か、まかれて見失った。

 二回ほど奴の車を追ったがいつも見失う。
 後をつけるのは得意な俺達なのに何故か途中で奴を見失うのだ。
 俺達はお互いの顔を見合わせ首を傾げた。
 よほど、運転がうまい奴なのか。

 奴には恋人らしき女性がいる事が分かった。
 大久保の恋人らしい。青い目の西洋人。

 仕事を請け負って一か月ほど経った頃、ある男から封筒が私書箱に届いた。
 あの広域暴力団のボス高田克己からだ。
 もちろん、暗号で代筆されたモノだ。
 便箋には、意味深にこう書かれてあった。
 
 「もっとも残忍な方法で殺す事。できればそいつが苦痛で歪む顔をビデオに撮り、それを楽しみたい。そして、奴を侮るな。今まで、三人のヒットマンが失敗し、死んでいる」

追跡

 ジャックは眉間に皺を寄せ、繰り返しその便箋を読んだ。
 「三人のヒットマンが失敗して死んだ事、君は知っていたのか?」

 俺もはじめて知る内容だった。
 「知っていたら引き受けなかった」

 「死んだヒットマンがどれだけの技量を持った人間か知らないが、厄介な仕事になるかもしれないな」ジャックはため息を吐き便箋を丁寧に封筒の中に戻した。
 俺の判断でこの仕事を請け負ったのをジャックは暗に非難しているようにも見えた。
 だったら、お前が決めればいいじゃないか、と言いたいのを胸に収めた。

 「三人のヒットマンがどのように死んだのか詳細な内容が知りたいね。依頼人に聞いてみるか」
 もちろん、こちらから依頼人に連絡することはできない。
 ジャックはそれを知って言ったのだ。
 ジャックと言う男は嫌味な一面を持っている。

 今まで三人のヒットマンが失敗し死んでいる。
 しかも、大久保は命が三回も狙われたのに堂々と人目のつくところに住まいを変えずにいる。普通なら、目立たない場所に隠れ住むはずなのだが。
 よほど自分に自信があるのだろう。
 ジャック以上の銃の使い手なのか、それとも空手や合気道などの達人なのか、俺は奴の過去を洗った。射撃を習った事があるのか、武道に勤しんだことがあるのか、徹底的に探った。
 武術、射撃の愛好家、ナイフの使い手、徹底的に調べたが、全て見事にハズレだった。

 分かったことは、この大久保という男は、ほとんど体を動かすのが嫌いなただの怠け者だという事だった。
 中学、高校時代は部活もやらない帰宅部、家に帰らずゲーセンで屯し、万引きや、置き引き、たまに不良達と徒党を組み恐喝を重ねる、というどうしようもない人間だった。
 
 こんな男に安々と殺しのプロであるヒットマンが返り討ちにあったのだ。
 しかも三人も。
 信じられない。
 奴を侮るな、の言葉の意味が読めない。

 「ヒョッとすると奴をガードしている人間がいるのではないか。例えば、今現在奴の傍にいる女、あの女が相当の使い手だとしたら」ジャックはそう呟いた。
 
 「ありうるかも知れん。女という事で油断し、三人はやられた。ヒョッとすると俺達と同類の腕のいいヒットマンかも」

 「女を洗うか」
 ジャックは、タブレットガムを口に放り込みそう言った。


 黒く染めた髪の長い女は窓際に立ち外を眺めていた。
  「ジョセフィンどうした、いつまでも外を眺めている?」
 ジョセフィンと呼ばれた二十歳前後の女性は青い目を男に向け甘えた声で言った。
 「アイツラ、イツマデ、イカシテオクノ」
 片言の日本語で答えた女は男の胸に擦り寄った。
 「もう少し遊ばせてやるさ。やつらの運命は俺のここの中にある。」
 大久保はそう言いながら自分の頭を人差し指で突っついた。
 大久保とジョセフィンと呼ばれた女は、抱き合いながら道路に止めてある黒い日産GTRを見下ろした。

 ジャックがイラついている時は、タブレットガムを口一杯に頬張ってしきりに噛み砕いているときだ。
 インテリなのに多少気が短い。いや、インテリだから気が短いのか。とにかく、ジャックは自分の思い通りに事が運ばない時は苛立つ。
 
 まあ、俺はそれ以上だが。
 ただ、ジャックは俺のように四六時中苛立つことはない。
 普段は冷静沈着で物静かな男だ。
 
 レンタカーを借りて女と大久保が駐車場から出てくるのを待っていた。
 相手の車はレクサスRX450だ。
 われわれの車は今まではトヨタのプリウスだった。
 燃費はいいが、速さと機敏さではレクサスに数段劣る。

 いつも、見失う。だから今度は、日産のGTR 。
 エンジンはVR38DETTにした。
 レクサスと対等に争える。
 と言っても競争するわけじゃない。相手の車を見失わないようにするためだ。
 
 運転は俺が受け持っている。
 こう見えてもA級ライセンスを持っている俺だ。運転には多少の自身はある。

 「今日も当てが外れたようだな」
 ジャックはそう言いガムをクチャクチャ音を立ててながらかみ続けた。
 そして溜まった唾液をのどに流し込む。
 その時だけは機嫌のいい顔になる。
 
 俺はジャックに言った。
 「俺たち、考えすぎだとは思わないか。どう考えたってあの大久保って奴は何の取り柄もないチャライ男だ。例え、そばにいる女がどんな凄腕の用心棒だろうが、俺達の比じゃない。三人死んだヒットマンは大した腕ではなかったというだけの事だ。もうあいつ等を調べる必要はないのじゃないかな。実行に移そう。俺達なら完璧にやり遂げられるさ」そう言った後、俺は、この言葉はホントに俺のセリフかと自分で自分を疑った。

慎重に慎重を重ねる俺の言葉とは思えなかったからだ。

 ガムを噛みながらジャックは思った。
 いつも重箱を突っつくように下調べをするエースがこの件に関して事を早めようとしている。
 どういう心境の変化なんだ。
 ジャックはエースの顔を覗き込んだ。

 「君の言うとおりかもしれない。俺たちは少し考えすぎて臆病になっているかもしれん。だがな、綿密な下調べは必要不可欠だ。順序だてて実行しなければ思わぬ落とし穴に嵌る。と、言うのが君の口癖じゃないか。奴らの身辺調査を確実にやろう。実行はそれからでも遅くない」

 「そうだな、そのとおりだ」俺は俺にに言い聞かせるように頷いた。
 なぜ、俺はあんな事を口走ったのかと、自分で自分を疑った。

 「噂をすれば影だ」
 目の前の地下駐車場からシルバーのレクサスが躍り出た。
 
 俺はアクセルを吹かし、レクサスの後を追った。
 「今度は見失わないぞ」
 俺は自分にそう言い聞かせハンドルを握り直した。
 制限速度30キロの二車線の道路をレクサスは突っ走った。
 俺もアクセルを踏みレクサスの後を追う。
 間に車を一台置いて悟られえないように極力目立たないように走った。
 
 レクサスはいつものように一つ目の信号で左に回った。

巻かれてたまるか!

 いつもと同じだ。
 レクサスは信号が赤に変わる寸前に十字路を左に折れた。
 レクサスのすぐ後ろを走っていた車は赤で止まろうとしている。
 ここで同じように止まったらいつものパターンだ。
 すぐ巻かれてしまう。
 俺はバックミラーで右後方を確認した。
 右折する車はいない。
 目の前の信号は右折の矢印を示している。
 
 すぐさま、俺は右折斜線に入った。
 こういう時にこそマニュアルシフトがモノを言う。
 ギアをセカンドに落としハンドルを右に切り右折車線に入る。
 動きは機敏だ。
 GTRの足回りはさすがだ。
 右折斜線から交差点に入る寸前に急ブレーキを掛けハンドルを左に回す。
 もちろん、この時、GTRは軋み音を鳴らしている。
 この瞬間、俺とGTRは一体になったと感じる。
 右に曲がると見せかけ、即座に左に曲がった。
 暴走族さながらの運転さばきだ。警察やパトカーがいないのが幸いだ。

 フロントガラスの遙か向うにレクサスは小さな影になっていた。
 「あの車、どんだけスピード出したんだ」ジャックは呟いた。
 ジャックの言うとおりだ。時速百キロ以上出さないとあそこまで距離を伸ばせない。

 俺もアクセルを吹かした。

 レクサスは三つ向うの交差点で右に折れようとしていた。
 右折すれば、その通りは一方通行だ。
 そこから一キロ先に行けば南北に走る四車線の幅百メートル道路に突き当たる。
 一方通行の道路は問屋街沿いの狭くて蛇のように折れ曲がった道だ。
 制限速度は二十キロ。スピードはそれほど出せない。

 俺の頭の中に、この街の道路網が瞬時に現れ、レクサスの車の走りを俯瞰できた。
 このままレクサスと同じ道順で追えば、俺は信号で足止めされる。

 咄嗟に直感ですぐさま目の前の信号を、俺は右折した。
 右折したその道は片道二車線の直線道路。
 二キロ先にはレクサスと同様に百メートル道路に突き当たる。
 
 ここは制限速度五十キロ。百メートル道路に突き当たるまでに信号が二つ。車の往来は少なく、運良くいけばレクサスよりも早く百メートルの道路に入れるだろう。
 
 幸い今日は日曜日。人影も少ない。
 
 俺は、猛スピードでその道を突っ走った。
 はるか前方に見える二つの信号機は青に変わったところだ。飛ばせば一気に百メートル道路に辿り着ける。
 
 俺はアクセルを踏み込みスピードを上げた。
 が、運悪く、目の前に二台の改造車が道をふさぐように蛇行しながら走っていた。

 ジャックの出番だ。
 ジャックは左手にコルト45を持ち、分からないように、その上にタオルを巻きながら前方の車を狙った。

 ジャックは二台の改造車の後輪のタイヤを打ち抜いた。後輪のタイヤは思いっきり爆ぜた。続けざまにジャックは後部トランクの錠も打ち抜いた。
 改造車のトランクは勢い良く跳ね上がり開放状態になった。
 しかも、タイヤの空気を抜かれ、車高は一段と低くなり、後部車体がアスファルトを擦って火花を散らし、そして失速状態になった。 俺は易々と二台をを追い抜き、交差点へ向かった。
 
 運良く信号は青のぞろ目。
 そのまま突っ切った。
 メーターの針は百五十を振り切っていた。
 
 四車線道路に出て、俺は直ぐ左に折れた。

 目の前の幅広の道路上にはレクサスの影はない。

 見れば前方に交差点がある。
 一方通行から出たレクサスはあの交差点で左に折れるはずだ。
 その交差点はT字状になっていてレクサスは直進できない。
 左右に曲がるしかない。が、右に曲がるのはナンセンスだ。
 きっと左に曲がるだろう。

 
 俺はスピードを落とし、信号の手前の道路脇に車を止めた。
 
 レクサスが交差点に入るのを待った。

レストラン

 ジャックは双眼鏡を取り出した。
 この道幅百メートル、片道四車線の道路は少しづつ交通量を増し始めた。
 
 裸眼では、前方にレクサスの車は見当たらない。
 念のためにジャックは双眼鏡を覗いた。
 舌打ちを鳴らしジャックは顔を横に振った。
 
 レクサスの影も形もなかった。

 レクサスはまだ交差点にたどり着いてないのだろう。
 レクサスが走る一方通行の道路の制限時速は二十キロ。しかも道路は曲がりくねっている。
 レクサスがいくらスピードを上げたにしても俺達より早く、目の前の差点に入るのは無理だ。
 
 たとえ早く入ったとしても、俺の車とそんなに時間的に差はないはずだ。

 この大通りの見通しのいい直線道路から消え去るほどの時間は経っていないはず。

 二分経過した。

 「出てこないぞ。また巻かれたのか?」ジャックは、タブレットガム入りの缶の蓋を開け始めた。

 「そんなことはない。あの道路は一方通行だ。途中、左折も右折もできる道幅の道路はない。あったとしても全て進入禁止だ。結局この交差点に出るしかないのだ。たったひとつ、入った道をバックして元来た道に戻らない限り……」俺はそう言った後、口ごもった。

 「奴等、一方通行の道に入ったと見せかけバックして出たんではないか」ジャックは呟いた。

 「そんなバカな」
 レクサスが一方通行の道に入り込み、急停車しそしてバックで元の道に出て素知らぬ顔で反対車線に紛れ込む。
 
 ありうるな。

 時間は既に十分を回った。

 「遅すぎる」

 「やられたな」ジャックは不満そうな声で吐き捨てた。

 「だったら、確かめるしかない」

 「確かめるって、どうやって確かめるんだ」

 「あの道路に入るのさ」

 「入る?あの道は一方通行だ」

 「バックで入ればいい」

 ジャックは呆れた顔で俺を見つめた。
 「もういい、またの機会を待とう」

 「いや、俺は自分の眼で確かめる」
 そう言いアクセルを吹かし交差点に向かった。

 「やめろ!無茶するな」ジャックは怒鳴ったが、俺の心は収まらない。
 すると突然、レクサスがビルの間から交差点に入ってきて、急ブレーキをかけ左に折れるのが目に入った。

 すぐさまジャックは双眼鏡でレクサスを観察した。
 「奴らの車に間違いない。運転は女だ」

 「しかも、2人ともイチャついていやがる」

 「それで遅れたわけか…」
 先ほどの冷静さを欠いた俺の心が嘘のように静まり返った。しかし、俺がこんなに落着きを失うのは初めてだ。
 感情だけが無意味に高ぶる。
 確かに俺自身、気が短いところは多少あるが、仕事に関してはいつも冷静沈着を心掛けている。
 
 ついさっきの一方通行の道路を逆走するなんて発想は普段の俺なら考えもしないことだ。
 そんなことをすれば、かえって人目に付き、怪しまれ、警察に通報されるのが落ちだ。
 
 万が一事故でも起こせば任務を遂行できなくなるどころか、捕まって我々の素性が知れる事だってある。俺達にとって致命的な事態になりかねない。

 何かがおかしい。
 俺自身の中で何かが突き動かしてりるような、そんな感覚だ

 俺の心を乱すような不気味な気配を感じる。

 俺はレクサスを慎重に付けた。

 レクサスはある百貨店の駐車場に入った。
 
 「買い物だろうか?」
 ジャックは建物を見上げた。

 「確かここは三ツ星の高級レストランがあったはずだ。時間も昼の十二時。買い物をするにしてもここで食事をしないはずはない」俺達は路上に車を止め観察した。

 「すこし、奴等の様子を伺ってくる。君はここで待機しててくれ」
 そう言って、双眼鏡を持ちジャックは車を降りた。
 
 レストランは十四階にある。
 ジャックは、辺りを見回し、真向かいのホテルに入った。
 ホテルはちょうど百貨店と同じ高さの建物だ。
 
 どうやら、そのホテルから二人を観察するつもりのようだ。

 俺は車で待機だ。
 ヒョッとすると大久保たちは気が変わり突然駐車場から出て来るかも知れない。
 用心のために車の中で見張った。

 ジャックは素知らぬ顔でホテルのエレベーターに乗った。外付けのエレベーターで、前面ガラス張りになっていて外の見晴らしはいい。
 ちょうど目の前に百貨店の建物が見える。
 
 ジャックは双眼鏡を取り出し、百貨店の十四階部分を覗き込んだ。
 一番良く見える階でエレベーターを止め、すばやく通路を通り過ぎ非常口から外付けの階段へ出た。
 その場所から双眼鏡でレストランを眺めた。
 
 少し端の位置からだが、レストランはかろうじて見える。
 もちろん見えるのは窓側の席だけだ。
 しかし、大久保達が窓際の席に座らなければ何の意味もない。

 ジャックはユックリとガムをかみ締めた。

 数分後、大久保と女はウェイターに付き添われ窓際に案内され席に座り込んだ。
 ジャックは口に溜まった甘い唾液をのどに流し込んだ。
 双眼鏡の中で二人の笑い顔がよく見える。
 M40のスナイパーライフルがここにあれば今仕留められるのに。
 ジャックはそう思い下唇をかんだ。

三ツ星高級レストランのハンバーグ定食

 ジャックとエース、この呼び名は裏の世界で伝説化されている。
 ただし、このミッションが終えた後だけどね。

 俺達が殺し屋の名だたる世界最強のヒットマンと言われるまであと少し。

 大久保という男の殺害ミッションを俺達が選んだ。
 と言っても決定したのはエースというニックネームのこの俺だが。
 殺害の依頼人は、暴力団の大ボス。と、思われる。

 まあ、俺達の推測なのだが。
 なぜなら基本、依頼人の情報は明かされない。

 数か月の俺たちの地道な調査で大久保の行動がおおよそ分かった。
 奴は高級マンションに愛人ジョセフィーヌというフランス人と同居している。
 
 ジョセフィーヌは元高級娼婦。
 日本の政財界の重鎮や官僚と呼ばれる男共を相手に商売をしていたらしい。
 実は、今回このミッションの付録としてジョセフィーヌにも殺害の依頼が入っていたのだ。
 
 但し、この依頼は誰か見当も付かない。
 日本の裏のドロドロした醜い影が見え隠れするようだ。

 つまり、この女は日本のトップの恥部をすべて把握しているかもしれない。
 それをネタにユスリやタカリをして荒稼ぎをしていると、噂も耳にしている。
 もちろん影で糸を引いているのは大久保に違いない。
 
 今まで、この大久保の殺害でヒットマンが三人死んでいた。
 殺されたのか、事故死なのかその点の詳しい状況は知らされていない。
 同じミッションでヒットマンが三人続けて死んでいること自体、ハッキリ言えば異様なことだ。
 この殺しがいかに困難なのかがわかる、しかもその困難さが見えてこない。

 大久保という男は、三流の結婚詐欺師。
 一流、二流の詐欺師がどういうものかよく分からないが、ただ、大久保という男は大した男じゃない。
 何の取り柄もない奴。ジョセフィーヌという女もただの落ちぶれた売女だ。

 謎は三人のヒットマンがなぜやられたかだ。
 大久保は保険金殺人の疑いをかけられていた。
 結婚を約束した女性には高い保険金が掛けられ、そして女性達は死んだ。
 ただし、保険に加入したのは女性本人の意思だという事が分かっている。
 そして、死因は自殺と事故死。
 大久保のアリバイは完璧に成立している。
 
 つまり警察は手も足も出ない。

 俺達の勘ではこの大久保は保険金殺人犯に間違いない。
 理由は簡単、俺達と同じ臭いがするのだ。
 人殺しのね。

 とにかく俺達はこの大久保の行動を観察した。
 大久保はめったに外出しない。
 まあ、マスコミに騒がれた男だから人目を避けているのだろうと、思いきや大胆にも高級レストランに時折顔を出す。
 ただ、月に一、二度のペースだが。
 
 しかもオーダーするのは、いつもハンバーグ定食。
 デパートの中にある高級レストラン、三ツ星レストランだ。名前自体がさぞ高そうなメニューが揃っていると想像できるレストランだ。
 そこで、大久保が頼むのはハンバーグ定食。
 高級レストランに定食メニューがあること自体驚きなのに。
 しかもハンバーグ定食、俺達も参考までにそれを食してみたが、味はファミリーレストランのそれと大して変わりはない。
 しかも値段は一万円ときた。

 三ツ星レストランという名だが、正確には三ツ星高級レストランという店名だったことに改めて驚いた。
 自ら三ツ星高級と名づけるオーナーの顔が見たい。

 ともあれ、俺達はこのレストランを決行場所と決めた。

 最後の問題は、どのようにしてやるか。
 つまり店内で仕留めるか、店外から狙い撃ちで仕留めるかだ。
 できれば、レストラン内で事を起こしたくない。
 目撃者、証拠等を残す恐れがあるからだ。
 外から狙い撃ちが一番安全だ。
 だがその心配は解消された。
 神は俺達に味方した。
 もちろん、神は神でも死神だがね。

 大久保達は窓際の席で、外から狙いやすい場所に席を採っている。
 しかも、いつも同じ席だ。
 俺達は真向いのホテルの一室を借りた。

 『グリーンホテル』の十四階。
 145号室。
 その部屋を決めたのはジャックだ。
 その部屋からレストランの窓際の席が見下ろせる。
 絶好の場所だ。
 ジャックは部屋に入るとまず中をくまなく調べた。
 隠しマイク、隠しカメラが取り付けてないかを気にしているのだ。
 まずそんな仕掛けはないのは分かっているのだが、俺達の性分だからしょうがない。

 完璧に調べ終わった後、ジャックは次にライフルの銃身の方向、位置を決めた。
 
 ジャックはライフルの照準器を覗いた。
 その場所から百メートル先のレストランの窓際席に照準を合わせる。
 その角度を伸ばした先に当たる窓ガラスにテープでしるしを付けた。
 
 ジャックはコンパス状のガラスカッターをカバンから取り出し、窓に張ったテープの位置に吸盤の付いたガラスカッター押し付けた。
 ユックリと半径五センチのガラスを切り取った。
 吸盤に着いた円形のガラスをユックリ外すと、丸い直径十センチの円形の穴ができた。
 ジャックはその穴から目を近づけ、三ツ星レストランの窓際の席を見下ろした。

 「完璧だ」そう呟きタブレットガムを一つ口に入れた。

 俺達は実行することに決めた。
 
 三人のヒットマンが死んだ理由は分からずじまいだがいちいち思いを巡らしても埒が明かない。
 実行すればその理由も見えてくるはずだ。
 
 その時に対処すればいい。

 ジャックをホテルに待機させ、俺が大久保を見張る役目を受け持つ。
 
 大久保が三ツ星レストランに向かったらジャックに連絡する。
 ジャックは、ホテルの一室で狙撃の用意をする。
 
 大久保が窓際の席に座ると同時にジャックはライフルの引き金を引く。

もう一人の敵

 実行の計画を立て、ほぼ一ヶ月が過ぎた。

 大久保達は外出しない。
 マンションの居心地がよほどいいと見える。
 俺は一日中マンションの前の喫茶店で作家気取りでパソコンのキーを打ち鳴らし横目で大久保達がマンションから出るのを今か今かと待ち続ける。

 喫茶店の店主と顔馴染みになり、世間話に花が咲くこともあるが、そんな時も俺は絶えずマンションの駐車場の出入り口に神経を尖らせる。

 そして、仕事を引き受けて数か月経った。

 俺たちの仕事には時に、時間的な制約が付きまとうことがある。
 俺は極力そういう仕事は避ける。
 三ヶ月の間に殺せとか、何月何日の何時に始末しろとか、中には場所まで指定してくるものもあるがそういう仕事は無視する。
 
 この仕事に焦りは禁物だ。
 時間的制約が頭にあるとどうしても事を早く済まそうと細かなところに気が回らなくなる。
 焦りが生じる。
 そこに、チョッとしたミスや見落としが起き、大きな失敗につながる。
 時間的な制約で暗殺の成功の確率は半分に落ちると言っていいだろう。
 報酬がどんなに高くてもまずそういう仕事は避けたほうが無難だ。

 だが、なぜかこの仕事に関しては気が急く。
 何かに追い立てられるような感覚だ。
 たとえて言えば、子供がおもちゃの後片付けを自分でしようとしているのに、横から親が急きたてて、あわてさせるみたいに。

 ただ俺の場合、親ではなくなにか得体の知れない強烈な力のようなものだ。


 グリーンホテルの一室にこもっているジャックはエースからの連絡を待っていた。
 携帯電話は仕事用のものだけ一台を持参した。
 その携帯電話はエースからしか連絡が入らないようになっている。

 もう数ヶ月近くになるがエースからの連絡はない。
 ホテル住まいも長くなりすぎる、体がなまってしまう。
 ほとんど軟禁状態に等しい。
 
 エースからいつ連絡がかかるか分からないから、ドアの外に出ることもままならない。
 食事もルームサービスを毎回利用している。
 持ち込んだ分厚い何冊かの小説もあっという間に読み終えた。
 手持ちぶさたなジャックは、腕立て伏せ1000回、腹筋運動1000回、スクワット1000回を毎日欠かさず行うことにした。
 自虐的で、マゾヒストの一面を持つエースにとって鍛錬と言う言葉は神聖な意味を持つ。
 反復練習、たゆまぬ努力をモットーとするのがジャック。
 
 銃を持たせればジャックの右に出るものはいない、これも、毎日の鍛錬の賜物。
 実はジャックの家の地下には射撃場がある。
 地下十メートルに分厚いコンクリート壁に覆われた空間は、射撃練習のみの特別な場所だ。
 毎日一時間の射撃は欠かしたことはない。
 射撃ができない時はイメージトレーニングを行う。

 テーブルの上に置いてある携帯電話を眺めながらジャックは呟いた。

 「今日も待ちぼうけか」
 ジャックは1000回目の最期の屈伸運動をしようと膝を曲げようとした時、携帯が鳴った。

 ジャックは素早く携帯を取った。

 「死神が笑った」

 エースの声だ。
 『死神が笑った』この言葉が決行の合図だ。
 大久保がホテルから出た事を意味する。

 ジャックは素早くベッドの下のボストンバックを出しバックのファスナーを開けた。
 中にはマット型の空気緩衝材が敷き積まれている。
 それを取り除くと、黒い油のシミで染まった鹿皮が見える。
 その汚れた鹿皮に包まれた物、数個をバッグから取り出した。
 ジャックは鹿皮をユックリと開き、中のものを出した。
 出てきた物は組み立て式のライフルだ。
 ベッドの上に銃身、本体、銃床、マガジン、スコープ等が丁寧に順序良く並べられた。
 手馴れた手付きでジャックはそれを並べられた順番通り素早く組み立て、一丁のライフルを完成させた。
 一分もかからない速さだ。
 
 ライフルを持ったジャックは、ベッドの横にある三脚の台にそれを取り付けた。
 ライフルを固定するための三脚だ。
 銃口を円形に切り抜いた部分に向ける。
 その先百メートルには三ツ星レストラン窓側の席。
 大久保が座る座席だ。
 
 ジャックはライフルスコープを覗き微調整できるように台座の固定をわずかに緩める。
 腕時計を見た。連絡から三分経過した。
 大久保があの席に座るまであと十分はかかるだろう。
 ジャックはタブレットガムを一つ口に入れ目を閉じた。
 
 昂ぶる心を静めるため深呼吸をした。

 一瞬ジャックの胸に得体の知れない不安がよぎった。
 
 「奴は三回命を狙われた。なのに、窓際の席にしかも同じ席で食事をする、なんて無用心な男だ」
 そう思った瞬間突然、体中に電気が走った。身震いし、慌ててガラス窓を注意深く見渡した。
 隅から隅まで窓全体を注意深く観察した。

 「あった」ジャックは思わず叫んだ。

 カーテンが束ねてある位置の窓ガラスにそれがあった。
 丸く切り取られたガラスが修復されている。
 透明の合成樹脂を合わせ嵌め込み接着剤で付けてある。
 たぶん、ホテル側が修理したのだろう。
 この大きな一枚ガラスを取り換えるには相当な金額がかかる。
 プラスチック様の透明な素材で、強力な接着剤を使って合わせれば値打ちに修復できる。
 もちろんほとんど、分からないように直されている。

 という事はつまり、亡くなったヒットマンの誰かが俺と同じようにここから
大久保を狙い撃ちしようとしたのだ。
 この切り取られたガラス窓の修復が物語っている。
 ところが、失敗し自らの命を落とす羽目になった。
 
 「その失敗の原因は何だ」
 ジャックは想像した。
 ジャックはもう一度修復したガラス部分を覗きこんだ。
 「おかしい、そこから狙うことができるのは大久保ではなく、テーブルを挟んでの真向かいの席つまり、ジョセフィンが座る場所だ。ジョセフィンを狙ったのか?」
 ジョセフインを仕留めてから大久保を仕留めるつもりだったのか?
 しかし、メインは大久保だ。
 なぜなら、依頼人は自分の娘の恨みを晴らすために大久保の殺害を頼んだんだ。
 ジョセフインもやれと言う依頼は俺達がこの仕事を請け負った時からだ。
 三人のヒットマンはあくまでも大久保を狙っていたのだ。
 という事は、どういう事だ?

 ここから見えるジョセフインの席が実は大久保の席だった、という事だ。

 つまり大久保が席を替えたということか。
 何のために?ヒットマンに狙われたからか。だったら、席じゃなくレストラ自体を変えるべきじゃないのか。

 携帯がまた鳴り出した。
 二回目の携帯が鳴る時は、大久保達が百貨店の駐車場に止めたという合図だ。
 ジャックは両手を合わせ軽く指に息を吹きかけた。
 そして、ライフルのスコープを覗きこんだ。

 「どうして、大久保は席を替えたのだ?」
 ジャックの頭の中にその疑問が大きく渦をなし始めた。



 (時は少し遡りここは、エースが大久保を見張る喫茶店)

 大久保達の乗ったレクサスがホテルの駐車場を出たのを見て俺は直ぐジャックに連絡した。
 「死神が笑った」その言葉を言い終え
 直ぐに、喫茶店を出て車に乗った。

 俺は三ツ星レストランに入り、ジャックが大久保を仕留めるのを見届ける役目だ。
 仕損じたときは、代わりに俺が大久保を殺すという段取りだ。
 俺はいつもの近道で三ツ星レストランに向かった。
 ジャックの腕は確かだから俺の出る幕はないはずだ。そう思いたい。俺は先に三ツ星レストランの前に車を止め大久保達が来るのを待った。
 
 バックミラーに奴等のレクサスが写った。
 助手席に乗った大久保は運転しているジョセフィンに顔を近づけ首の辺りを嘗め回しながらイチャついている。
 ジョセフィンはそれに合わせるように笑顔を見せ体をくねらせていた。

 「イチャつくのはいいが頼むから事故は起こさないでくれよ。ここで事故ったら計画は水の泡だ」
 レクサスはエースの車を素通りし駐車場に入り込んだ。

 エースは携帯を取り出しジャックに着信音を鳴らした。
 二度目の合図は大久保が駐車場に入ったことを知らせる合図だ。
 
 少し間を置き俺もも駐車場に入った。


 ジャックはスコープで狙う位置をわざとずらしながら、ライフルの動きの感触を確かめていた。
 頭の中はいまだに大久保が席を変えた理由を考えていた。
 
 前任者はこのホテルのこの部屋に泊まりこの機会を待っていたんだ。
 俺と同じように狙う場所を決め窓ガラスに円形の穴を開けた。
 俺が穴を開けた位置と少しずれている。
 
 カーテンが死角となり俺の位置からは見えない場所に前任者は窓に穴を開けた。
 
 見えない場所?
 
 修復した窓を俺に気づかせないようにするために大久保は席を変えたのか。
 つまり、ここでヒットマンが死んだという事を気づかせないようにするため…。
 
 では、この部屋で亡くなったヒットマンの死因は何だ。
 どうやって殺されたんだ。
  
 もう少し、丁寧に事前調査をすべきだった。
 
 疑問点は全て洗うという、この基本が仕事の出来不出来を左右する。
 しかし、ここにきてそんなことを考えても意味がない。

 ここにいたヒットマンは狙いを定めている時に殺された、としたら、この部屋に入った者がいる。
 当然、ヒットマンは部屋のキーをロックしていたはず。
 
 この部屋に忍び込むには合鍵がいる。
 マスターキーだ。
 このホテルの従業員の中にヒットマンを殺した人間がいるのか。
 
 ジャックの頭の中は次から次へと妄想が膨らんでいく。
 スコープの中に大久保の姿が現れた。
 
 ジャックは頭の中の邪念を振り払うように首を振った。
 神経を集中しろと、自分に言い聞かせた。
 大久保が席に座り始めた。
 
 ジャックは人差し指をトリガーに微かに当てた。スコープの中にある十字線の中心に大久保の頭部を合わせるためライフルの銃身をわずかに動かす。

 突然、大久保が視界から消えた。

 ジャックは、慌てて座席の周りを見渡す。向かいに座っているジョセフィンが立ち上がった。
 
 消えたと思われる大久保の席に移動した。
 どうやら、大久保は失神して椅子の上で倒れているようだ。
 ウェイターが駆けつけジョセフィンと何か話している。あせった顔のウェイターはジョセフィンの説得で少し安心したかのように席を離れた。
 
 たぶん、癲癇の発作が起きたのだろう。
 しばらくの間そのままの状態にしておくようだ。
 
 ジャックは、大久保が目を覚まし椅子から起き上がったところを狙い撃ちにする構えに入った。

 一分が過ぎ、二分が過ぎ…ジャックの張り詰めた神経が少し途切れかけたとき恐怖が背中を襲った。

 誰かが背後にいる。全身にそれを感じたと同時にジャックは体をベッドに投げ出し、同時に腰のベルトに挟んだハンドガンを右手で素早くつかみ出し銃口を相手に向けた。

 ジャックは呆然と相手の顔を見つめ、言った。
 
 「何やってるんだ。何のまねだ!」

相手は魔物

 この部屋の鍵を持っているもう一人の男を忘れていた。
 ジャックの身に何かが起きた時のために合鍵を作った男だ。
 ジャックは目の前の男に怒鳴った。

 「何をしているのか分っているのか!」

 「分ってる。分ってるけど俺がやってるんじゃない」

 「エース、落ち着け。君は俺に銃を向けているんだ。銃口を俺に向けてるんだ。さっさと銃をおろせ!」

 「おろしたいのは山々だが、できないんだ」

 「できないはずはないだろう。銃を持っている手を下ろせばいいんだ。それだけの事だ。それもできないくらい君はボケたのか?」

 「これでも必死に抵抗してるんだ。君を撃とうとしているのを俺は必死に止めているんだ」

 「言っている意味が分からん。三つ数える。銃をおろさなければ、エース、君の頭を打ち抜く」

 「待ってくれ、ホントに俺の意思ではないんだ。君を撃とうとしているのは別の意思なんだ。俺はそれを必死に止めている」

 「一つ」

 「ジャック、お願いだ。俺があんたを撃つわけがない。信じてくれ。誰かが俺の中に入っているんだ」

 「ほざくな。二つ」

 エースの指がわずかにトリガーに触れたのを、ジャックは見逃さなかった。

 「三…」
 数え終える前にジャックは躊躇なくトリガーを引いた。
 45口径の火薬が爆裂するけたたましい音はしなかった。銃口の先に取り付けてある消音器が音を吸収したのだ。
 しかし、弾の威力は変わらない。
 銃口から発射された弾はエースが握るベレッタの銃口に向かって正確に飛んだ。
 ベレッタの銃身を打ち砕きながらエースの体を一メートル後方に吹き飛ばした。

 壁に後頭部をしたたかに打ち付けたエースは脳震盪を起こし数秒間気を失った。
 気がついたエースの第一声は罵声だった。
 
 「ジャック!何てことするんだ」

 「それはこっちの台詞だ。俺に銃を向けるなんて一体何のまねだ」

 「すまない。でも、本当なんだ。俺じゃない誰かが俺の中に入り込みあんたを撃とうとしていたんだ」

 「誰が入り込んだ?」

 「分からない。俺の体を支配しようとした魔物のようなものとしか言いようがない」

 「魔物?」

 ジャックは暫く考え込んだ。
 「その魔物が入ったのはいつだ?」

 「確か、大久保達の後をつけ百貨店のエレーベーターに乗り込んだ時だった」

 ジャックは眉間に縦皺を寄せ右の眉を吊り上げた。
 「もし、大久保が癲癇発作を起こした時と同時としたら…」

 「癲癇発作?大久保が発作を起こしたのか」

 ジャックは部屋の中を暫くの間、嘗めるように眺めそしてある一点を見つめ自分で納得するように頷いた。

ジャックはエースの顔を穴のあくほど見つめながら呟くように言った。
 「大久保を狙った三人のヒットマンの内の一人が、ここで命を落としたらしい」
 ジャックはこの部屋でヒットマンが自分と同じように大久保を狙い撃ちしようとした痕跡を説明した。

 「そして死んだ理由が今分かったよ」

 「なんで死んだんだ?」
 エースはせかす様に畳み掛けた。

 「たぶん、自分で自分の命を絶ったんだ。要するに自殺したんだ」

 「なぜ?」エースはジャックに尋ねた。

 「君と同じようにそいつの体に魔物が入り込んだんだ。自分が持ち込んだライフルで自分を撃った」

 「何故そんなことが分かる?」

 ジャックはドア近くの壁に立ち天井を指さした。
 「見ろよ、あの部分の天井を。天井の一部が張り替えられている。そしてこの壁のボードも張りなおされている」

 「どういう事?」

 「自殺した時に、体を貫通した弾があの天井にめり込んだ。そして同時に血と肉片が壁と天井に飛び散ったのさ。だから張り替えてある。調べればわかるだろう。俺の感に間違いはない」

 エースは不思議そうな顔でその天井と壁を眺めた。

 「魔物の正体は大久保だ」ジャックは呟いた。

 「どういう事だ?」

 「大久保は人の心に入り込み、人を動かす能力を持っているんだ。サイコキネシス?って言うのか…よく分からんがその能力で今まで人を殺してきたんだ」

 ジャックはライフルスコープを覗き込んだ。
 すでに大久保達は窓際の座席から消えていた。
 
 「大久保は君の体に入り込み、俺と君を相撃ちさせようとした。だが、君の意思の強さのおかげで大久保は君を思うようにコントロールできなかった」

 「ジャック、俺達の相手は化け物なのか」

 「ああ、エース、俺達はどうやら最悪の相手を選んでしまったようだ」

ジャックが抜ける

 ジャックは調べた。案の定、あのホテルの一室で一年ほど前にライフルで自殺した男がいた。
 新聞には自殺と書かれてあった。
 が、間違いなく大久保によって殺されたのだ。

 死んだ男はたぶんヒットマン、いや確実にヒットマンだ。
 自殺するのに望遠装置を取り付けたライフルを使う奴はいないだろう。
 
 しかも、わざわざ窓ガラスに円形の穴を開けた後に自分の頭を打ち抜くなんて理解不能だ。
 その不可解な部分をマスコミはこう解釈した。
 そこから無差別に人を狙い撃ちにした後に自殺を考えたが、良心の呵責を覚え
 それを思いとどまった。
 俺に言わせればそんな事はまずあり得ない。
 
 自殺する人間には二種類いる、とジャックはかつて言った。
 一人で決行する者、と他人を巻き込む者。
 他人を巻き込む自殺願望の人間にとって自分を殺すのも他人を殺すのもたいして違いはない。
 それだけ、命を軽んじているからだ。
 奴らは、他人を殺すのに躊躇しない。
 なぜなら他人を巻き込む自殺者は道連れがほしいからだ。
 凶器を持った自殺願望者は他人の命を奪うことに無頓着だ。
 
 間違いなく良心の呵責などおきる訳がない。

 ジャックの予想は正しい。
 ヒットマンは大久保によって心を奪われた。
 大久保によってライフルのトリガーを引かされたのだ。
 きっと、自殺や事故死で亡くなった大久保の女たちも同じように殺されたのだろう。

 俺は自分のマンションの一室で大久保の殺害計画を練っていた。
 人の心を自由に操る大久保を抹殺するにはどうすればいいだろうか。
 大久保は既に俺たちのことを知りぬいている。俺達の考えは手に取るように分かるのだろう。
 特に俺は大久保にコントロールされた人間だ。かろうじて何とか回避できたが、今度コントロールされたら抵抗する自信はない。
 そんな奴をどのように暗殺すればいいのか。

 そのときドアのチャイムが鳴った。
 
 午前零時。こんな時間に尋ねてくる人間はまずいない。

 「まさか」

 俺はテーブルの引き出しから銃を取り出した。
 ドア近くの壁に身を寄せながら、尋ねた。
 
 「誰?」

 「俺だ、ジャックだ」

 ジャック?
 確かにジャックの声だ。
 だが、一体何の用で俺のマンションに来たのだろうか。
 今まで、お互いの住まいは知っているが、行き来したことはない。
 プライベートはお互いに干渉しない事にしている。
 どちらかと言えば俺よりもジャックの方がそれに関して徹底している。
 そんなジャックが俺を訪ねてくるのはどう考えてもおかしい。
 ジャックの身を借りた大久保の可能性だってある。

 俺は銃を持ったままキーを外し、チェーンロックはそのままにしてドアを開いた。

 ドアの隙間からジャックが見える。

 「本当に、あんたジャックなのか?」

 「ああ、そうだ。君こそほんとにエースか?銃で俺をまた狙ってるんじゃないのか」

 「銃は持っているが、今の俺は俺だ」

 「エース、君が俺だという証拠は」

 「そんなものはない」

 「おれもない。だから、とりあえずお互い信用するしかない」

 「じゃあ、聞くが。いったい何しに俺のところに来たんだ。今まで俺のマンションに来たことがないのに」

 「君に伝えたいことがあるのだ」

 「明日、事務所で伝えればいいじゃないか」

 「いや、今日どうしても伝えておきたいんだ。もう君とは会えないからな」

 「どういう事だ?」

 「俺はこの仕事から降りる」

 「え?仕事を降りる。止めるという事か」

 「そうだ、それを言いに来た。じゃあ」

 「ジャック、ちょっと待て」俺はドアチェーンを外し、ドアを開けた。

 ジャックはどうやら大久保に支配はされていないようだった。
 俺は改めてジャックに尋ねた。
 仕事を降りるという子細を。

 「どう考えても大久保を仕留めることは無理だ。エース、君もそう思うだろう。どんな作戦を練ろうと奴はそれを見抜いている。俺達の上手を奴は仕掛けてくる。間違いなく俺達は返り討ちに会うぜ」

 「ジャック、いったん引き受けた仕事を投げ出す事はどういう事か知っているのか?」

 「もちろん、だから今日の夜日本を発つ」

 「どこへ逃げるんだ?」

 「それは君にも言えないな。命に関わることだからね」

 「一生逃げ続けるわけか。世界中のヒットマンに狙われるんだぞ」

 「かまわん。逃げ切るさ」そう言い残し、ジャックは部屋を出て行った。

数撃ちゃ当たる、最悪な作戦で

 信じられない奴だ。もう少し骨のある奴だと思っていたのに。
 
 クソ!

 俺はジャックを片腕と信頼しきった自分に腹立たしさを覚えた。
 この仕事が終わった後、きっと俺の手であいつを始末してやる。
 俺は、そう心に誓った、が、まず、この仕事が無事終わるかどうかが一番の問題だった。

 それに、今度は一人で事を運ばなければならない。
 
 まず、無理だろう。
 俺の眼前に絶望と言う壁が立ちはだかった。

 数日後、意外な人物から連絡が入った。

 高田克己だ。
 関東地区の広域暴力団のボス、と言っても今では光商社という上場企業の隠れオーナ。
 大久保の毒牙にかかった鎌田ルミの実の父親だ。
 俺に会いたいと言う内容の文面だった。

 俺達の組織では、ヒットマンが依頼人に直で会うことは禁じられている。組織を仲介して連絡を取り合う事になっている、
 もちろん、依頼人も俺達に会う事は出来ない。
 そういうシステムになっている、のだが、時には例外と言うものも出てくる。

 俺達の組織では、いくらかの金を積めば全て例外は自然発生する。

 上層部に大金が積まれたのだろう。
 俺は依頼人、高田克己と会う約束をした。

 場所は大久保が住んでいるマンションの前の喫茶店。
 時間は午後十二時。
 俺は一時間前にいつもの席に座った。
 この喫茶店の店長にあらかじめ席を予約しておいたのだ。
 
 その店長は俺の前に並々注いだ生暖かい水を置いてくれた。
 冷たい水は体に悪いからと、人肌に暖めてくれるのだが、俺はそんなこと頼んだ覚えはない。
 
 第一、生暖かい水などどんな寒い時期だって飲む気にはなれない。

 五十は過ぎた独身の女店長。
 俺に気があるのは良く分かるが、当の俺は年増は趣味じゃない。が、まあ嫌われるよりはこのペースを維持したほうが仕事もスムーズに運ぶ。
 俺も愛想よく店長と無駄口を交わす事にしている。

 「今日は、ここである人と待ち合わせなんだ。京子さん」
 京子というのはこの店長の名前だ。
 名前で呼んでくれと店長のたっての願いを聞き入れた次第だ。
 そのうち呼び捨てで呼んでくれと強請るかもしれない。
 
 その時はその時で、まあ、お安い御用さ。

 「待ち合わせって、ヒョッとして白根さんの彼女?だったら私がその女性を吟味してあげる」
 そう言いながら京子の顔が一瞬だが少し険しくなった。

 白根と言うのは俺の仮の名。

 「とんでもない。仕事関係の人さ。大事なスポンサーだよ。彼女は今募集中」


 「あら、そうなんだ、白根さんだったらいい人の一人や二人ぐらいいてもおかしくないのに」

 「できたら京子さん紹介してよ」

 「そうね、二、三人見繕って合わせちゃおうかしら」

 「京子さんみたいなグラマーな女性を期待してますよ」
 リップサービスは忘れない。

 俺は冗談をぶっ飛ばしながら、壁掛けの時計を眺めた。
 十二時になろうとしている。
 
 そろそろ、高田が来るはずだ。

 喫茶店のドアが開いた。
 背の高いロマンスグレーの髪をオールバックにした初老の男が現れた。
 歳は六十代半ばぐらいだろうか。
 青い背広にピンクのカッターシャツ、赤いネクタイのコーディネートで現れると、言っていたが、まさしくその通りのいでたちだ。

 遠目から見て頬から右口元にかけての稲妻状の切り傷の痕が日焼けした顔に白く映える。

 間違いはないだろう。

 この男が関東一体を支配下に置く暴力団の大ボスか。
 
 俺は席を立ち軽く頭を下げた。
 とりあえずは、店長にこの場を離れてもらうことにした。

 少し離れた窓際の席なので、周りからは目立たない。
 話し声も聞かれることはない。
 目の前に現れた男は、腰の低い男だった。

 「あなたが私の仕事を請け負ってくれている人ですか」
 俺は笑みを浮かべ頷いた。

 「私は…」高田は自己紹介するするつもりなのか、背広の内ポケットから名詞を取り出そうとしたが俺はそれを制した。

 「この場でお互いの自己紹介は止めましょう。要件だけを伺います。掛けてください」
 店長の京子が水を持ってきた。

 「何になさいますか」
 俺は京子の代わりに高田に尋ねた。

 「熱いコーヒーを」

 「はい、スペシャル・ホットですね」
 京子はこの店にしか通用しない英語を発して立ち去った。

 「どうですか、仕事の目途は?」
 高田は俺に尋ねた。

 「今、思案をしているところです」
 俺は正直に答えた。全く先の見えない思案だ。

 「提案があるんです」
 高田はそう言った。

 「提案?」

 「ご存知ですか?あの大久保は人を操る事ができるのです」

 高田は大久保の秘密を知っていた。
 俺は少し腹が立った。知っているならなぜ、その事を事前に連絡してくれなかったんだ。
 
 俺は頷き言った。
 「そのことで少し苦労してるんです」

 高田はテーブルの上に肘を載せ身を乗り出し、俺に話しかけた。

 「大久保を仕留めるたった一つの方法を考えたのです。今、考えられる最良の方法を」

 「なんですか、その方法とは?」

 「それは…」

 京子がコーヒーを持ってこちらにやって来た。
 俺達は、会話を中断した。
 テーブルの上に分厚い陶器のコーヒーカップが置かれた。
 香ばしいコーヒーの香りがテーブルの周りに漂う。
 
 「豆はジャマイカ産のブルーマウンテンです。
 酸味を抑え、多少の甘味を含んでいます。まずは砂糖を入れずに単味で味わってください」
 高田は京子に言われるまま、何も加えずブラックで一口飲んだ。

 「おいしい」

 京子はその言葉に満足したのか、最高の笑みを浮かべながらその場を離れた。

 「で、最良の方法とは?」
 俺は、高田に訊いた。

 「大久保は、自分に危険を及ぼす人間を事前に察しその人間の心に入り込み自在にコントロールします。今まで、それで三人の請負人が失敗し、そして亡くなりました。三人の請負人の中で三人目の男が考えたのです。大久保がコントロールできる人間が一人だけなら、複数の人間が一度に大久保を狙えば成功するのではないかと考えました。その請負人は仲間を四人集め大久保を狙ったんです」

 俺は高田の話に身を乗り出した。

 「それでもだめだったわけですね」

 「そうです。奴は一人の心だけでなく、一度に複数の人間をもコントロールできる能力を持っているんです。しかも同時に」

 「全員が殺された?」

 「はい」

 俺はもう大久保を殺害する気力が失せた。
 奴はもう不死身に等しい。

 「で、私の案は、もう一度複数の人間で奴を狙うんです」

 「えっ、また複数で?」

 「そうです」

 高田はこう言った。
 今度は数十人と言う数で大久保を狙うという案だ。要するに数撃ちゃ当たるという事らしい。
 何だいこの人?
 人数の問題ではないはずだ。
 俺はもう完璧に落ち込んでしまった。

 「高田さん、残念ですがそれだけの仲間を集める程、僕には余裕がないんです。それに僕の考えに集団で実行する作戦はありません」

 「数は全て私が用意します。あなたは決行の日取りと、場所と時間を知らせてくれるだけでいいんです」

 「もし断ったら…」俺はどう考えても成功するとは思えなかった。

 「成功しようがしまいがこれを最後にします。もちろん成功の可否に関わらず報酬は全額あなたの口座に振り込みます。どうかお願いします」高田は深く頭を下げた。

 俺は考えた。
 高田は自分の部下、つまり組員を差し出すのだろう。
 数十人が一斉に銃弾を大久保めがけて発射すればそのちの一発ぐらい大久保に当たるかもしれない。
 
 万に一つもないが…。
 
 しかも、この作戦を最後に、この仕事から解放される。
 だが、この仕事が俺の最後の仕事になるかも知れない。
 要するにこの仕事で俺はあの世行き。
 
 だが、失敗しても金は入る。
 他に手立てはない、としたら、高田の意見を組み入れてもいいんではないか…。
 と、俺は思い始めた。
 
 「分かりました。やりましょう」
 
その時の俺の顔はきっと青ざめていただろう。

マイナス100%の勝算に捨て身の覚悟

 「じゃあ、連絡を待っています」そう言って高田は席を立ち一礼して喫茶店を出て行った。

 俺は、高田がテーブルの上に置いていったメモ用紙を開いた。
 そこには、高田の携帯番号が書かれてあった。
 俺はそのメモを暗記し細かく破り捨てた。

 まあ、やるしかないだろう。これが俺の仕事なんだから。
 死ぬかもしれないな。
 
 いや、死ぬな。ふと、絶望が俺の頭を掠めた。
 
 俺なりに死はいつも覚悟している。
 この仕事を始めて、組織の上層部から手渡されたものがある。
 それは小さなカプセル。
 首に掛けたネックレスのロケットにそれは潜ませてある。
 
 青酸カリだ。
 
 小さな小さなカプセルの中の白い粉。
 それを飲めば一分もかからず確実に死んでいく。
 なぜ持っているかって?
 
 殺し屋稼業だっていつも成功するとは限らない。逆に相手に倒される場合もある。
 ひとおもいにコロッと死んでしまえば世話はないが。
 
 もし、殺しの相手が闇の組織だったり、テロ組織、反体制国家の人間で、下手に捕まれば簡単には死なせてはくれない。
 拷問の一つや二つは覚悟しておいたほうがいい。
 俺達の組織を徹底的に調べるため、あの手この手でいたぶるだろう。
 つまり、青酸カリ入りカプセルはその時の為の物だ。

 早い話が組織保全のためのもの。
 自由な組織だが掟破りはご法度だ。

 忍びの者が敵方に捕まるとき舌を噛み切って死ぬ、時代錯誤も甚だしいその掟が俺達の組織にはいまだに続いている。
 だが、今回はそのカプセルを使う必要はないだろう。
 あの大久保が三途の川に送ってくれるから。
 あいつに、今度心を支配されてしまえば、俺がどんなに必死に抵抗しても無駄だろう。

 あの時俺の心の中にジャックを撃てと強い意志が働いた。なんとかそれに抵抗したが、俺の人差し指が痺れたように感覚が亡くなった時、完全に俺は大久保に支配された。
 指がトリガーに触れ絞り込もうとした矢先にジャックは俺に弾を発した。
 俺の頭を撃ち抜かず、俺のベレッタの銃口に撃ちこんだ。
 ジャックだからできた神業だ。後頭部をしたたかに打ち、人差し指の捻挫はしたが。

 そのジャックも組織から抜けた。

 元はと言えば俺が何の考えもなくこの仕事を請け負ったのが原因だ。
 ジャックは組織を離れたのではなく、俺を見限ったのだろう。
 俺のせいであいつは世界中のヒットマンから狙われる立場になってしまう。
 
 俺が一言ジャックのことを組織に言えばの話だが・・・。
 しかしもうよそう。ジャックは俺のたった一人の戦友だ。
 あいつが俺の事をどう思っているか知らないが、少なくとも俺にとってはかけがえのないたった一人の友だった。
 奴は奴の人生を生きればいい。
 
 とにかく、請け負った仕事を俺なりに命を掛けてやり抜くことだ。

 俺は心を新たにし、大久保の行動を観察した。
 驚いたことに大久保の生活パターンは変わっていない。
 月に一、二度の三ツ星レストラン通いは週に一度になった。
 命を狙われていると分かっているのに、恐れを知らない大胆不敵な奴だ。ただ、三ツ星レストランでは窓際の席でなく中央に位置するテーブル席に変わった。
 
 真向かいのホテルから大久保を狙うには、水平な位置から狙うしかない。

 ジャックが狙ったのは一つ上の階からだ。窓際のテーブル席ならそこは狙うには最適な位置だ。確実に大久保の頭を狙うことができる。

 しかし中央のテーブル席となると話は別だ、同じ高さから水平に狙うしかない。しかも、窓際に人が座っていればそれを縫って大久保に命中させなければならない。

 至難の業だ。
 俺の腕ではまず無理だろう。
 
 結局、レストラン内で大久保を倒すしかないようだ。ただ、ホテルの窓から狙おうがレストランで狙おうが結局大久保の魔力には逆らえない。

 結局、死を覚悟でやるしかない。

血の日曜日

 秋風が吹く肌寒い日曜日の昼前。
 俺は喫茶店で大久保がマンションの地下駐車場から出てくるのを待っていた。
 
 今日の朝方に高田から連絡が入った。
 下準備のために高田とは連絡を取り合いながら計画を進めていた。
 
 高田は三ツ星レストランの従業員に金を握らせ大久保が予約したときに高田に通報するようにと、示し合わせていた。
 
 今日の昼に大久保が予約を入れたようだ。
 高田はその旨を俺に知らせてきた。

 三ツ星レストランの客席は六十五席。
 全て予約席だ。
 
 高田は約五十名ぐらいの組員をそのレストランに配置した。最初は十数名の予定だったがいつの間にか大久保の席を除く全席をヒットマンで固めたのだ。
 
 大久保は五十人のヒットマンを全て」コントロールできるのだろうか?まあ、今日の昼には分かるはずだ。

 マンションの地下駐車場から大久保たちの乗ったレクサスが現れた。
 俺は携帯で高田に連絡をした。
 
 「奴が出た」

 一方、ジャックから連絡を受けようとしている高田は三ツ星レストランの窓際のテーブル席に座っていた。
 レストラン内は既に男女数十人がテーブル席で談笑している。
 この席の客の全てが高田の組員達だとは誰も想像すらできないだろう。
 皆それぞれ、気ままな私服のいでたちで、思い思いの話の花を咲かせているがすべて台本どおりに事が進んでいるわけだ。
 一人一人、ハンドガンを隠し持ち、合図と共に大久保に向け一斉射撃を始めるのを手ぐすね引いて待っている。

 高田は時折真向かいのホテルの窓を気にしながら眺めていた。
 窓に人影が微かに動いている。
 レストランの中の様子を覗っているようにも見える。
 突然、高田の携帯がなった。
 談笑していたレストラン内の客が一瞬話を止め高田に注目した。

 エースからだ。
 大久保がホテルから出たとの連絡だ。
 高田はレストラン内の部下に目配せし、コップの水を一口飲んだ。
 それが合図かのように再び店内は喧騒の渦と化した。

 気になるのか高田は再びホテルの窓を眺めた。窓からはカーテンの隙間からキラッと光る何かが見えた。
 それを見た高田はおもむろに立ち上がり中央の空いている席に向かった。
 そこは、大久保たちが座る指定席だ。
 高田は窓を背にその席近くに立った。
 大久保の座るであろう席を見おろし、自分の立ち位置を確かめる様に足元を見つめた。
 そして、自分の立ち位置が決まった高田は、ユックリと後ろを振り返った。
 
 自分の座る席の窓が見える。そしてその窓の向こう百メートル先にホテルの建物が見え、高田が気にしている部屋の窓が覗いている。
 窓のカーテンの隙間からキラキラと鏡の照り返しのような光がちらつく。
 高田はその光に満足そうな顔を浮かべ、呟いた。
 「大久保、お前を地獄に送ってやる。娘の恨みを今日こそ晴らしてやる」
 そう言いながら両手の拳を握りしめた。

 大久保は車の助手席でくつろいでいた。

 「今日は記念すべき日だ」そう言いながらペットボトルの水を口に含んだ。

 「ナゼ?」ハンドルを握りながらジョセフィンは大久保に尋ねた。

 「今日は多くの人間が血にまみれるんだ」

 「血ニマミエル?ドウイウコト」

 「五十人以上の人間がお互いに撃ち合い殺しあいをする。レストランは血の海となる。
 これから先、この日を血の日曜日と名付けられるだろう。
 俺はレストランの席に着いたら直ぐハイになり奴等をコントロールする。
 弾丸は飛交うがジョセフィン、安心しろ。
 君には絶対に当たらない。食事をしながら、殺し合いをユックリ見物するんだな」

「面白イ。ワクワクスルワ。ショータイムヘマッシグラ」

 そう叫びジョセフィンはアクセルを踏み込んだ。

俺に懺悔は似合わない

 だいぶ前の事だ。 俺がある麻薬シンジケートのボスを目の前にし、そいつの頭に銃を向けている時だった。

 その男が、俺にこう尋ねた。
「お前のような人殺しにも罪悪感ってものはあるのか?」死ぬ間際にそんなつまらんことを聞くとは、全く笑わせる奴だ。

 逆に俺はこう聞いてやった。
「お前はあるのか?」

 そいつはふざけたことを言いやがった。
 「俺は、いつも寝る前、神に懺悔する。今日一日の罪を告白し、許しを請う」

 俺はそれを聞いて胸くそ悪くなった。
 一発で楽に死なせてやるつもりだったが考えを変えた。

  俺はその男の腹部に二発、弾を食らわした。
 苦痛に歪んだ顔を俺に向け性懲りもなくまた言いやがった。

  「獣め、地獄行きのファック野郎め」

 腹に受けた銃弾の傷は、放散しながら徐々に痛みを増していく。
 腸が破れその中の汚物が腹部を満たしていくのだ。

 その時とてつもない痛みを生じる
 そいつの顔は青ざめながら脂汗を流し始めた。

  俺はそいつにこう言ってやった 印籠代わりにね。

 「俺に罪悪感なんてない。まして、神に懺悔などするものか。お前の腹を撃ったのは俺じゃない。いいか、よーく聞け。お前の腹を破ったのはこの銃だ。そして腹を貫いたのはこのベレッタM92の9㎜弾だ」そう俺は言ってやった。

 そしたら、男は首を傾げてこう言った。
 「何言ってるんだ?」

 「恨むなら、お前の腹に入った、二発の9㎜弾を恨めってことさ。糞ファック野郎」
 そいつは糞尿の臭いを傷口から漂わせ、涙を流し苦痛に歪んだ顔でユックリ死んでいった。

 人を薬漬け、廃人にしてそれで稼いだ金で贅沢三昧。
 何が懺悔だ、何が許しを請うだ。
 笑止千万な奴だ。
 例え、お前たちを何人殺そうとも、俺に罪悪感など起こるものか。
 起こったとしても、歓喜の叫びぐらいだ。


 俺はレクサスの後を追った。
 スポーツタイプのサスペンションのGTR、タイヤが受けるわずかな振動も俺の全身に伝わる。
 しかも、振動するたびに巨大な異物が俺の腰を圧迫する。
 ベルトに挟んだ銃が俺の背中腰に当たっているのだ。
 
 FNP-45と言う目新しいハンドガンだ。
 俺の愛用のベレッタではない。
 45口径の重量のある銃だ。
 これは、高田が今日この日に用意したハンドガンだ。なぜか高田はこれを使ってくれと願い出た。

 理由は言わなかったが、こだわりがあるのかもしれない。
 俺は使い慣れたベレッタを使用すると言ったのだが、どうしてもこの銃、FNP45を使ってくれとの事だった。
 依頼人のたっての願いを聞き入れない訳にはいかない。
 
 どちらにしても、俺の銃の腕からしてベレッタもFNP45も大して違いはないだろう。
 俺は高田の用意したごっついハンドガンを使用することに決めた。

 レクサスは駐車場に入った。
 日曜日の昼時、車はほぼ満杯だった。
 俺は駐車場の整理員に案内され空いている枠に入れた。

 大久保たちは既に車から降りデパートに入ろうとしていた。

 一方、ここはデパートの真向いのグリーンホテル、13階135号室の部屋の中。
 窓のカーテンは十センチほどの隙間を開け閉じられている。
 その隙間には窓に円形の穴があけられ、ライフルの銃身がその穴に向けられている。
 ライフルのスコープの照準は三ツ星レストランにいる高田の頭部に合わされていた。
 射撃手の狙いは高田のようだ。

 大声を上げ笑いながら大久保はデパート内の三ツ星レストランの自動ドアの前に立った。
 ドアが開き、大久保はしばらくその場に立ち尽くしたままでいた。

 自動ドアは開きっぱなしだ。

 大久保は大きく深呼吸をしてレストラン内に入った。
 大久保のコメカミに異様なほど怒張した青い血管が放射状に浮き出た。
 眼はみるみる充血し、今にも目尻から赤い血が垂れてくるような状態になった。

大久保の魔力

 蝶ネクタイでタキシード姿のズングリムックリの小男がレストラン内を眺めていた。
 三ツ星レストランの支配人、小倉恭三だ。
 今日は朝早くに団体の予約が入った。
 総勢五十二人の宗教団体の信者さんだ。
 つい一か月前からこのレストランを利用している新規の団体さんだ。
 しかもこの団体は、いつも開店と同時にレストランに入り、おもいおもいの席について話の花を咲かせ、昼時間一杯まで過ごして帰る。

 そしていつも、食事代は前払い。
 上得意ランクの団体さんだ。
 ちょうど、今日は大久保という常連のお客と重なったが、席は十分余裕はある。
 時計はまだ十二時前。
 団体さんはすでにフルコースの前菜を口に入れ談話に興じていた。
 店内の真ん中にポッカリと空いた席がある。
 大久保の座る席だ。
 
 「そろそろ、現れてもいいころだが」
 そう思いながら小倉は店内の自動ドアを眺めた。

 ドアが開いた。
 男が現れた。
 
 少し猫背で、派手な色目のアロハシャツを着ている。
 アロハを着ているのに日焼けはしていない。
 今まで、入院生活をしていたのだろうかと思わせる程に白い。
 小倉は、さっそく大久保の方へ出向き席に案内しようとした。

 「大久保様お待ちしていました」一礼して小倉は大久保の顔を見た。

 小倉は一瞬、言葉を失った。
 大久保の眼が黒目を除いて全て赤く染まっているのだ。
 それも普通の充血の赤さではない。赤い焔のごとく輝いてみえる。

 「早く席に案内してくれないか?」
 ジッと立ち尽くす小倉を急かすように大久保は言った。

 「は、はい。どうぞ」小倉は慌てて大久保達を席へ誘導した。

 席に着いた大久保達に小倉は言った。

 「いつもの、ハンバーグ定食でよろしいでしょうか」

 「エエ、イツモノニシテ」ジョセフィンは獲物を狙う猫の目付きで答えた。

 「早速用意してまいります」小倉は慌てて厨房に向かった。

 大久保は椅子の背もたれに体を預けながら言った。

 「この周りにいる客の声が俺の耳に容赦なく入ってくる。本当の声が。初めて銃を打つ不安な声。初めて人間を撃てると有頂天になっている奴の笑い声。
俺を軽蔑の目でこき下ろしてる奴。中には俺をヒーローと勘違いしている奴もいる。おおそうか、早く殺したいってか…なるほど。
ジョセフィン、ほら、奴を見ろよ」

 大久保はジョセフインに顎で、ある男の方を指した。
 三列先の席に顎髭を生やした二十代後半の男がこちらをジッと見ている。
 
 「あいつは、俺を撃ちたくてウズウズしている。ズボンのベルトに挟んだ銃を
右手に持ちそして立ち上がり俺の方に早足で近寄り、手に持った銃を俺に突き出す事を考えている。でも、引き金は引けない。

 なぜなら、俺がそれを許さないから、ウウウ、ヒャハハハハハ」大久保は、笑いだした。

 「ハヤク、ウチアイ ガ ミタイ」ジョセフィンは腰をくねらせ大久保にねだった。

 その時、大久保が指摘した三列先の顎鬚の男が突然立ち上がった。
 そして大久保に駆け寄り、リボルバーのハンドガンを両手で握り締め大久保の顔に向けた。
 周りの客は一瞬、話を止め、顎鬚の男に注目した。
 と同時に窓際に座っている高田にも目を向けた。

 「撃てるものなら撃って見ろよ」そう顎鬚の男に言った後、大久保は目を開けたまま気を失った。

死神がやってきた

 銃を構える顎鬚の手が徐々に震え始めた。
 次第に銃口を自分の方に向け始めた。
 顎鬚の男は顔を小刻みに震わし必死に抵抗している。

 銃口が口の中に入った。
 男の眼から涙が流れた。
 
 
 顔は青ざめ絶望の表情が現れていた。

 それを見かねた高田は席を立った。
 それが合図かのように周りの客を装った高田の部下達も一斉に席を立ち、懐に隠し持った銃を取り出し大久保に向けた。
 ゆっくり大久保に近寄り狙いを定めていった。

 店内にいたウェイターやウェイトレスは何事が起きたかと呆然と立ち尽くした。
 
 ウェイトレスの一人がトレーに乗った食べ物を床に落とした。
 皿やガラスのコップが勢いよく割れ店内に響いた。
 その音で従業員達は我に返り、その場から一目散に退避した。
 
 小倉も慌ててカウンターの中に入りその場にしゃがみ込んだ。
 「何が起きたんだ」小倉はそう呟きながら、この場合の対処法を考えた。
 今まで覚えたマニュアルの項目をつぶさに思い浮かべたが、このような時の項目が見当たらない。
 客が銃を構えた時の対処法など、マニュアルにあるはずもない。
 それほど、小倉は動転していた。

 エースは大久保の後を追いレストランに入った。
 突然、銃声が鳴った。

 エースは思わず腰を屈めベルトに挟んだ銃をとり出した。
 顎髭の男が口から血を流し仰向けに倒れている。
 
 「始まったか」と、エースは舌打ちした。

 見れば、客を装った高田の部下達が一斉に銃口を大久保に向けていた。
 その大久保は椅子の上で失神している。
 同じ席に座っているジョセフィンは両手で耳をふさぎ楽しそうに周りを見ていた。
 
 エースも銃を大久保に向けたが手の自由が思うように利かない。
 五十人程の高田の部下達は大久保に銃を向けているが誰も引き金を引かない。

 エースは思った。

 「俺を含めて全員がコントロールされている」

 一方、高田は大久保のテーブルの前で仁王立ちして銃を構えている。
 だが、弾を発射しなければ意味がない。

 エースは焦った。
 銃を持つエースの手が、大久保から徐々に高田の方に照準を合わせ始めた。
 抗うことができない。
 それほど、大久保のパワーは強い。
 周りもそれぞれ銃の狙いを大久保から、仲間に向け始めた。
 大久保は周りのヒットマンたちに同士撃ちを仕向けるつもりだ。

 ついに銃声が鳴った。
 仲間同士撃ち合いが始まったのだ。
 エースも、大久保のコントロールに抗いきれずトリガーを引いた。

 銃声が鳴り響く。
 銃からはじき飛ばされた空の薬莢が絶え間なく床に落ち、銃声が鳴り響く。
 
 薬莢は飛び出し床に舞い落ちていく。
 高田の部下たちは、仲間に向けて休みなく撃ち続けた。
 ジョセフィンは嬌声を上げ周りを眺めていた。

 ホテルの一室から三ツ星レストランの窓に銃口を向けるをライフルがあった。
 ライフルは高田の背中に照準を合わせている。
 立ち尽くしている高田の背に照準器の十字が少しづれた。
 何かを迷っている風に十字が僅かに動いている。
 ライフルのトリガーに右手の人差し指が微かに触れる。

 だが、まだトリガーは引かれない。

 レストランは火薬の臭いで充満していた。
 銃声は鳴り響いている。
 ジョセフインは指で耳栓をしながら、辺りを見回しキョトンとした顔で首を傾げた。
 
 誰も倒れていない。

 「チガデテナイ!ダレモシンデナイ!」ジョセフィンは大声で叫んだ。

 エースすでに高田に向けて銃弾を三発発射していた。しかし、高田は倒れていない。
 高田もエースに向けて銃を発射しているがエースの体には何の衝撃もない。

 銃を発射しながら高田は一人呟いた。
 「早く引き金を引け」

 その時、失神している大久保の体に痙攣が起きた。
 右腕を激しく震わせながらジョセフインへ指をさしている。
 何かを訴えるかのようだ。

 ホテルから高田を狙うライフルはまだ照準を合わせかねているようだった。
 突然、スナイパーの左目にジョセフインが見えた。
 ジョセフインはバッグの中から何かを取り出そうとしていた。
 スナイパーは女の目の動きを読み取った。
 
 スナイパーはトリガーを引いた。

 銃口から出たライフル弾は回転しながら一直線に飛んだ。まっすぐ高田の背中に向かって飛び続ける。
 弾丸はまずレストランの窓を打ち砕いた。弾の勢いは衰えず回転を繰り返しながら高田の右脇腹を貫いた。
 弾はそのまま、痙攣を繰り返している大久保の頭、左こめかみに命中した。
 大久保の眼はカッと開き、口を歪めたのは弾が大久保の右のこめかみを突き抜けた時だった。

 頭を破壊しと脳漿を撒き散らしながら弾は一つ向こうの椅子の側面にめり込んだ。

あいつが舞い戻る

 仁王立ちしていた高田は力尽き、床に両膝をついた。
 脇腹の傷口からは、おびただしい血が溢れ内臓が顔を見せていた。
 高田は手でそれを押し込むよう腹を押さえ大久保の顔を覗き込んだ。

 「遂にやった。ルミ、敵(カタキ)は取ったよ」そう言い終え床に崩れた。

 大久保は椅子の背もたれに頭を預け、眼を開けたまま息を引き取っていた。ライフル弾は大久保の右半分の側頭部を完全に砕いていた。

 ジョセフインは、この状況を理解できないと言うように頭を振り大声で叫んだ。
 「ナニコ レ!シンジラレナイ!!コンナノウソ!」
 そう叫びながらバッグの中に隠し持った銃を取り出し、立ち上がりざまエースに向けた。

 「オマエノセイダ。ジゴクニイケ!」女は絶叫した。
 と、同時にジョセフインの白い額がザクロのように爆ぜた。
 
 エースの顔にその血飛沫がかかると同時に、銃弾の風きり音がエースの耳元をかすめた。
 
 エースの目に光が射した。真向かいのホテルの窓から一瞬光が反射したのだ。
 エースはそれを見て確信した。

 ライフルスコープだ。
 あそこから狙い撃ちしたのか。

 一体誰が。と思いながら、エースは自分の命が助かったのに安堵した。
 周りのヒットマン達も同じ思いだろう。

 「俺を含めて全員が空砲の銃を撃ちまくったわけか」
 床に散らばった数え切れない薬莢を眺め、エースは呟いた。もし実弾が入っていたら、全員が血に染まって死んでいただろう。
 
 エースは、高田のもとへ走りより頚動脈に触れた。
 微かだがまだ脈はある。

 エースはカウンターの中でうわ言を呟いている蝶ネクタイの男に怒鳴った。

 「救急車を呼べ!」
 そう言われた蝶ネクタイの男は、自分が今何をしなければならないかをはじめて悟ったようだ。
 エースは店内を見渡し呆然と立ちすくむヒットマン達を見ながら言った。

 「全て終わった」エースはその場をすぐ立ち去った。


 この事件はその日のトップニュースになり、全国に知れ渡った。

 数日経った週末の土曜日。
 高校生のよっちゃんこと、篠田よしおが溢れんばかりの封筒をリュックサックに背負って持ってきた。
 俺はよっちゃんに尋ねた。
 
 「今日は何通あったの?」
 
 「二百四通です。今まで百通前後だったのがだんだん増えてきました」
 
 「という事はよっちゃんのフトコロモ暖かくなるわけだ。よっかたね」

 「はい、でもいいんですか」

 「なにが?」

 よっちゃんは申し訳なさそうな表情で言った。
 「封筒を持ってくるだけで、いつもたくさんのお金を戴いて」

 「そういう約束なんだから、遠慮する必要はないよ。一通五十円だから今日は一万二百円だね。はい、ご苦労さん」
俺は手が切れるようなまっさらの万札と、真っ新な百円玉二つをよっちゃんに渡した。

 よっちゃんは両手で受け取り、深々と頭を下げた。

 「よっちゃん、そのお金で少しは生活の足しになる?」
 
 よっちゃんの家は母親と子供三人の母子家庭だ。よっちゃんが長男で下に中学生の女の子と小学生の男の子がいる。
 母親は病院の看護師だ、が、三年ぐらい前から癌を患い療養生活をし、今では生活保護を受け細々と暮らしている。
 下の子供の面倒はほとんどよっちゃんが見ているらしい。
 よっちゃんはこのバイトの他に新聞配達もしているようだった。

 「おかげで僕達家族は安心して暮らせます。ほんとにありがとうございます」

 「よっちゃん、何度も頭下げなくていいよ。もういいから、帰りな」

 俺はよっちゃんが帰った後、テーブルにある溢れんばかりの封筒を開けて中身を吟味した。
 大久保をジャックとエースが仕留めたという情報は俺達、裏の世界にも広まっていた。大久保殺害のミッションは俺達仲間内では地獄行きのミッションとして皆避けてきたのだった。

 それを俺は知らずに引き受けてしまった。
 それを知った仲間達はジャックとエースは終わった、と確信したらしい。
 ところが、きれいに仕事をやり終えてしまったからみんなビックリだ。
 それ以後、ジャックとエースは伝説化されることになる。

 この事がきっかけで俺達への仕事量は毎日増え続けることになった。
 と、いってもジャックはもういない。

 これからは俺一人で仕事をこなすしかない。
 エースはため息をしながら封筒の便箋を読み続けた。
 
 「しかし、あのホテルから大久保とジョセフインを撃ったのは一体誰だろう。
高田の部下か?それとも新たにプロのヒットマンを高田は雇ったのか。
でなければもしかして……」

 そんな時、ドアをノックする音が聞こえた。

 何か忘れ物をしたのかな?俺はよっちゃんが舞い戻ったのかと思った。
 が、ノックの調子はよっちゃんとは違う。

 このノック音の調子は…まさか?

 ドアが開いた。

 「いやあ、久しぶり」
 そう言って男が入ってきた。

 「あんた、…一体なんで?」
 エースはドアの前に立っている男を見上げた。

 目の前に立っているのはジャックだった。

死神ジャック

 ジャックは何事もなかった様にキッチンへ行き、コーヒーを沸かす準備をした。

  「君の行きつけの喫茶店『マドンナ』。あそこのコーヒーを一回飲んだが、あれはおいしいね。ジャマイカ産の豆を使ってるのかな。エース聞いたことあるか?」
 ジャックはそう言いながら、コーヒーミルで豆を挽いた。

 「ジャック、あんた、この仕事から手を引くと言ってたけど何で戻ってきた?」

 「ああ、あれはホンの冗談さ」

 「冗談?ジャック、意味が分からない。冗談ってどういうことだ」俺はジャックの言い草に抵抗を覚えた。

 「全ては、大久保を殺るための芝居だったのさ」

 「芝居?始めから順序だてて説明してくれないか。大久保を殺すための芝居ってどういうことだ」俺は次第に腹が立ってきた。

 「そんなに怒ることはないだろう。全てうまくいったのだから」

 「向いのホテルから狙っていたのはあんただったのか」

 「ああそうだよ」

 「でもどうしてあんたは、大久保にコントロールされなかったんだ」

 「その話はコーヒーができてからにしよう」

 しばらくしてコーヒーの香りが部屋中に漂い始めた。
 ジャックはコーヒーを入れたカップを二つテーブルに置いた。

 「さあ、飲もう」

 ジャックはうまそうにコーヒーを一口飲んだ。
 コーヒーカップに手をつけないエースにジャックは言った。

 「なんだ?飲まないのか」

 「コーヒーは飲み飽きた」

 「なるほど、ほとんど毎日マドンナ通いだったからな」

 「それより、ジャック、あんたなぜコントロールされなかったんだ」

 「分かった、教えよう。・・・・大久保は人の心を支配できる」

 「そんなことは知っている」

 「そうだな。今までの大久保の行動を綿密に俺なりに調べた。そしてある結論が出たんだ。奴が支配できるのは二つのタイプの人間だということだ」

 「二つのタイプ?」

 「一つは、大久保が良く知った人物、そしてもう一つは大久保に殺意を持った人物。俺達がコントロールされるのは大久保への殺意を持っているからだ。俺はその逆を言ったのさ。それが俺がコントロールされなかった答えだ」

 「ジャック、俺はあんたのように賢くない。俺に分かるように説明してくれないか」

 「俺がライフルで狙ったのは高田さ。俺の頭には大久保のことなど念頭にはなかった。あくまでも狙って撃ったのは高田なんだ。ただし、俺のライフルの威力は強力だ。百メートル先の鉄板を簡単に撃ち抜く事ができる。
 高田を撃った弾が高田の体を貫きその向うの人間に当たったとしてもそれは俺の考えの及ばないことさ。逆に言えば少しでも俺の頭に、高田の向うにいる大久保への殺意が浮かべばコントロールされてしまうということなんだ」

 「俺に言ったこのミッションから抜けるという事は、大久保への殺意を消すことだったのか」

 「そのとおりだ」

 「だったら、俺にそれを前もって話してくれたっていいじゃないか」

 「君は既に大久保にコントロールされた人間だ。俺の計画を知れば大久保に筒抜けになる恐れがある。だから君を騙すしかなかったんだ。悪く思うな」

 「あのレストランで空砲を撃たせたのもあんたの計画か?」

 「そうだ、ただ、一人で大久保に向かった髭の若者が口の中に大火傷したけどね。あれは、想定外だった」

 「高田は大久保の能力を事前に知っていたようだが、…」

 「いいや、俺が説明したのさ。確かに複数で大久保に立ち向かったヒットマンがいたがすべてコントロールされて仲間同士撃ち合いして死んだ。その時でさえ、奴が超能力の殺人鬼だという事は高田自身も分からなかったようだ」

 ジャックはコーヒーを飲み終え言った。
 「多くの人間で大久保を殺そうと提案した高田の意見を君はどう思った?」

 「絶望を味わったよ」

 「そうだよな、実はそれが狙いだったのさ。大久保は君の心を読み、油断した。俺の存在など頭に浮かばなかったはずだ。当日、皆はハンドガンを持ち席を立ちあがった。狙いを大久保に向けながら移動した。おかげで、俺のライフルスコープには高田の背中を遮るものは何もなくなった」

 「分かった、でも良くそんな危険な役目を高田が承知したな」

 「俺がその提案をしたとき、高田は喜んで引き受けてくれた。積極的だったのは高田の方なんだ。
 高田は大久保が座る位置を確かめ、そして自分の立ち位置を決めてた。俺が狙うのは極力高田にダメージを与えない場所、そしてそこから大久保の急所を撃ち抜くこと。
 だが、いざとなると、どうしてもためらいが出てきた。
 へたをすると依頼人高田の急所を撃ち抜いて大久保を外す恐れもあるからな。
 だが助かったのはジョセフインの目だった。
 周りのヒットマンが倒れないのを見てジョセフインはおかしいと感づいたのだろう。大声で大久保に訴えた。
 失神していた大久保も何かを感づいたんじゃないのかな。
 今まで周りをキョロキョロしていたジョセフインが立ち上がり、大久保を見つめたのだ。
 それが俺の視界に入った。ジョセフインの視線が高田の背中に隠れた大久保の位置を割り出してくれたわけさ」

 「おかしいじゃないか。ジャック、あんたその時点で高田の背中に隠れた大久保の位置を割り出したんだろう。殺意を意識したんじゃないのか?」

 「俺の大久保に対する殺意は、最初から消えている」

 「ジャック、意味が分からん。俺だったら大久保の位置を確かめた時点で殺意を持つ」

 「エース、その時点で俺は大久保の事等コレッポチも浮かばなかったぜ」

 「どうして?」

 「俺が思い浮かべたのはカボチャさ」

 「カボチャ?」

 「俺がいつも射撃の練習をするとき、時折カボチャを的にするって言ってたろう」

 「ああ」

 「つまり高田の背に隠れたカボチャを狙ったのさ。カボチャに殺意は湧かないだろう」

 「かぼちゃか…そうだな。…確かに」

 「大久保をカボチャに見立てるためには、どうしても高田が遮蔽物代わりになってもらわなければならなかった。いくら俺でも、大久保を直に見てカボチャと想像することはできないからな」

 
 俺は神を信じない、無神論者だ。
 だが、今、目の前に神を見た気がした。

 ジャックこそ死神だ。


 その後高田は傷も癒え病院も退院した。が
 警察にこの事件の重要参考人として取調べを受ける事になった。
 その数ヵ月後
 俺達の事は他言せず墓場まで持っていくと、メモを残し
 
 死んでいった。

 死因は癌であった。高田はこの事件を起こす前、主治医からあと数ヶ月の命と宣告されていたのだった。

相棒のジャックと俺はエース

相棒のジャックと俺はエース

  • 小説
  • 中編
  • アクション
  • サスペンス
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-07

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 俺達の仕事は…
  2. ヒットマン
  3. 簡単な仕事ほど危険が潜んでいる
  4. 大久保はホントに保険金殺人犯か?
  5. 高田組の大ボスが依頼者
  6. 追跡
  7. 巻かれてたまるか!
  8. レストラン
  9. 三ツ星高級レストランのハンバーグ定食
  10. もう一人の敵
  11. 相手は魔物
  12. ジャックが抜ける
  13. 数撃ちゃ当たる、最悪な作戦で
  14. マイナス100%の勝算に捨て身の覚悟
  15. 血の日曜日
  16. 俺に懺悔は似合わない
  17. 大久保の魔力
  18. 死神がやってきた
  19. あいつが舞い戻る
  20. 死神ジャック