ゲマトリア153~triangle・number
【日陰の向日葵の回想 序曲】
今日もまた全身が燃えるように発熱して痒い。痒い、痒い、痒い。
掻いた場所は発疹が出来て血が滲んでいる。
年季の入った良く言えばアンティークな蓄音機に手を伸ばしドビュッシーの月の光をかけた。
これが、緩和材となるよう癖が付いている。
鏡を黙視する度、過去の亡霊が見えた。
顔の半分が焼け爛れた無様な女。
片側の目の視覚を失った滑稽な女。
この異形の塊は何者だろうか?
目を疑いたくなるような現実を、目の当たりにするこの鏡さえあれば拷問の器具など無くても私の正気を蝕む事は容易いだろう。
だが、何よりも忌々しいのはこの肉体ではなく、この姿を通して回想される過去の記憶だ。
残酷な神の啓示を体現する私に手を差し伸べる者など居ない
いや、私自身がそれを拒んでもいる。
希望も切望も無い
草臥れた虚空な意識をひたすら往来している。
鏡の向こう側の虚ろな眼と視点を共有し合うと、深い記憶の断片が蘇ってきた。
金花虫が舞い翔ぶような火花の中で手を伸ばす女がいた
その後方で叫び声をあげて駆け回る男がいた。
私が知らない人間
火の粉と同化するbackgroundでしかない。
胸糞悪い熱気と共に奇声共々消滅してくれればいい。
悪夢の終焉であり、新たな序盤を物語る光景が繰り広げられている中
唯一火の海から孤立したグランドピアノのある白い聖域の部屋で
ドビュッシーの月の光を弾き終ると
私はゆっくり立ち上る
室内の大きなテラス窓を閉め切り
側に立て掛けて置いた灯油の缶を逆さにして抱え上げ頭から全身に被った。
そして、マッチをすり足元へ落とす。
声も息も殺してる程静で穏やかな一時だった。
まるで、今までの人生が嘘のように
緩やかに意識は視界から脳へ転送していった。
これで、微かな月の光のような希望を抱いては裏切られて落胆する残酷な日々に幕を閉じることが出来たのだ。
私は、安堵の中で痛みを覚えるまでもなく酸素濃度の薄れる世界で意識を失った。
視点は暗闇に呑まれて、歪んだトンネルへと変わる。
壁を伝う黒い無数の生き物が遠い蜃気楼の中の小さな光を目指して蠢いている。
私は、爛れた顔に手を覆い、片足を引きずりながら光を目指して歩いていた。
「記憶だ 私はそれを 喪う事が出来る
私は この先の光に辿り着けばこの肉体と精神から解き放たれ
皆無という新境地へ導かれる
痛い 痛い
だが
後、もう少し。」
光の地点へ到着すると、焼けるように眩しい光に包まれて再び意識を失った。
微かな音色が聞こえる。これは…聞き覚えのある………。
意識が覚醒されると重い瞼を開いた先に映し出される
恐ろしい顔付きをした女と視線があった。
その女は渇いた笑い声をあげ
た。
それは、
他でもなく私であった。
【αとΩ】
深い溜め息は白く染まる。
夜の公園のベンチの背もたれにぐったりと体を預けて上を見上げる。
満月が恐ろしいほどくっきりと闇に浮き出ていた。
もしも、あんな奥深く歪で引き込まれるような美しい女がいたら何て良いだろう。
網膜まで焼き付けられるほど壮大に神美な姿を露にしていながら、けしてその全貌を掴めず触れることさえ許されない。
でも、目を背けても追うように視覚に脳内の片隅に現れては、
抗うことができない残像にさえ危うい程に翻弄される。
そんな、女がいるはずもない。
もし、奇跡的に居たとしても出会える確率は途方もなく少ない。
もし、今執拗に着信件数を数分置きで無数に残すこの女がそんな女であれば、ここまで邪険にする事もなかっただろうに。
今度は、携帯のメール着信音が鳴った。
着信光がチカチカと確認を促すのにうんざりしてメールBOXを開いた。
本文《何故、電話に出てくれない
の?
私は、貴方の何なの?
私は、こんなにも貴方が必要な
のに。
お願い、電話に出て。》
…………………。
「私は、私は、私は……、主体的な主張ばかり。
これだから女は嫌なんだ。
俺は誰のものでもなく、何ならあんたは俺にとって 何者でもない。
大体、あんたは俺の何一つ知りもしない。
それなのに、俺を一分一秒離れるのが耐えがたいほど必要だと思い込んでいる。
だが、俺の真実を教える気もない。知る必要もない。」
着信した携帯番号と受信したアドレスを拒否設定にした。
俺がこの女に接触したのはある理由からだった。
その思惑を理由に近付いたとも知らず、女は俺に熱をあげて簡単に口を滑らせてくれた。
始めこそ、その好意は好都合ではあったが情報を手にした後は、不快でしかなかった。
この女にはもう用がない。
ベンチに深く凭れていた上体を起き上げて路上に停車させていた自家用車へと向かう。
「わたしはアルファであり、
オメガである。最初であり、最
後である。
初めであり、終わりである」
そう、呟くと
エンジンをかけて、次の目的地へと向かった。
【日陰の向日葵の回想 Ⅰ】
締め切ったカビ臭く埃っぽい室内の窓を、数日ぶりに開けると、
渇いた風が音もなく入ってきた。
外に足を運べば、 酸素需給して細胞の老化を保身しながらも、無意味に生きる
というだけの生態的な利害だけが、私と一致した
世にも不愉快な人間共の醜い心と奇異の眼に晒される。
でも、恐れるものはそれではない。
数年、外出というものをもっぱら拒み続けてきた。
どうせ、奴等の思惑なんて高々知れてる。
性に欲に金に地位に虚栄に溺れ、その虚空の亡者に一生翻弄されてるゾンビ達。
それを、生きる事で矛盾した欲望さえ正当化するが為に所在している。
あの事件が起きる以前から、人間社会にほとほと落胆をしていて、一定の距離感を保つことで薄汚い欲望の渦に巻き込まれないよう保身してきた。
私の重厚な皮革の下にどんな心裏が眠るか人は気付かない。
その方が優位だ。
何かあれば眠らせておいた鋭利な言葉で核心を突き唖然と失望を与えられるのだから。
だが、無意味に多用せず気付かないふりをする。
それが、一番私にとって楽であるから。
それに、私の力を知られてはならない。
世の中には沢山の闇が眠ってる。
知らなくて良いものから知りたくないものまで。
本当に汚れなき美しいものがあるとすれば、動物や植物など自然に抗わない者達だ。
高知能と唱える人間は、自ら滅びの世界を歩むだろう。
自ら滅びの世界を歩むだろう。
技術、機能、それらよりもっと根本的に大切な、部分の、
根底、心理、心得を御座なりにしていく人間社会の闇が発端になる。
じわじわと侵食し、何れ大きなものとなり形を変えて降りかかってくるのだ。
その被害を被るのは、発端となる人間だけでは無いだろう。
組織は恐らくまだ私を探している。この力を悪用する為に
それは、またしても世界の滅亡を呼ぶ
私はどんな事があっても掴まってはならない。
【日陰の向日葵の回想Ⅱ】
私の両親でさえ、私の力を恐れた。
何故なら、私は人の思想を読めてしまうからだ。
また、それだけでは無く・・・。
幼い我が子が、知りもしない事まで知っていたり、
それを察してしまう姿を見て恐れた。
その我が子の知る真実は、彼らにとって羞恥するものから、
く知られる事で都合が悪くなるものまであったのだから。
そして、母親は薄気味悪い私のこの力を早速、政府に暴露した。
初めは、政府も家庭内のいざこざの鬱憤を晴らすサイケデリックな母親の話に耳を傾けなかった。
だが、一度この子に会って力を目の当たりにしてみて。
あなたたちの有益な力になるわ。
政府の力になれるなら幾らでも我が子を協力させるから。
そう、電話越しに伝えてから私の家には政府の人間が幾度も訪れるようになった。
そして、その都度私に沢山の質問と指示をした。
それに返答すると、彼等は半信半疑だった無機質な表情から一変し驚愕の表情をしては、持ってきた書類に記述をしたりビデオカメラや録音テープで記録を始めた。
ある日、その政府の人間は母親に伝えた。
これが契約書だ。金額もここに。
この子の為の研究施設もしっかりとしたものを整える。
ここに記載された期日に、この子を連れに来る。」
『7月23日ね』
母親は笑顔で答えた。
「良かったわ!これで!私達は!えぇ、政府のお力になれるんですもの。
別れは辛くないわ。
この子も分かってくれる筈。」
そういって、政府関係者の人間に渡された書類にサインをすると今だかつて無いほど私を強く抱き締めた。
心の声が聞こえた。
『これで、薄気味悪い子が居なくなってくれる。
それでいて、私達はこの子を受け渡し政府の研究へ多大な貢献した事で定期的に資金を援助して貰えることになる。
何て素晴らしい事でしょう。これで全ては、思惑どうり。』
頭を撫でる母親の優しい顔から相反する不気味な笑い声が脳裏でこだましていた。
【日陰の向日葵の回想Ⅲ】
7月18日結構日。
私は、この能力のせいで、良くも悪くも両親の思惑と私が政府へ受け渡される日取りを知っていた為、例の計画をその前に決行した。
寝静まった深夜3時に、家の周辺を火炎性のあるあらゆるもので撒き散らした。室内
には所々に事前にまいてある。
ガソリン、灯油、シンナー、所々にライターも、
発火したら爆発する備品は全て散乱させて置いた。
そして、結構日の食卓に並んだ夜食には購入した睡眠剤を数錠、粉末にして事前に入れておいた。
彼らは、室内の僅かな灯油の匂いに気付く嗅覚も失うほどの眠気に襲われる。
そして、もう一人唯一可哀想な犠牲者も同様に。
特に両親の部屋の周辺には逃げ場のない火の海が出来るように、発火したら炎上、飛散する物まで。
でも、直ぐ様 事件性を疑われ無いように悪魔でも生活品を選んでいた。
そして、地獄絵図の様に火の海に包まれた。
両親の寝ている寝室の二階には父親は喚き散らしながら部屋を往復していた。
爆発音も聞こえた。
と同時に、母親の旋律な声が響く。
眠剤でも、この痛みと現実を緩和させる効力は無かったようだ。
そのまま静かに火葬されてくれれば良いものを………。
持続性が高い眠剤で、錠数も増やしておけばよかった。
味覚への影響と寝室に行ってから炎上して貰えないとといった計画的な問題から心配をしていた。
だが、計画通りに進行している。それぐらいの過失は仕方ないだろう。耳障りな声を耳でも脳裏でも聴かされるのはこれで最後だ。
あとは、時間が解決してくれる。
そして………。
これから私の人生は要約始まるんだ。
【日陰の向日葵の回想Ⅳ】
私は、女の子の啜り泣く声を聞いた。
「お姉ちゃんどうして?」
彼女の部屋の前で火を放った時、
向こう側の、密室されて炎上を始める室内のなか妹が、疑念の目で私を見上げてこう言った。
この言葉が今でも心に残っている。
押し黙る事しか出来ず、少しの沈黙を残した後 背を向けて私は自室へと向かった。
私の部屋の扉を閉め、腰窓を開いた。
風が通り抜ける。
直ぐ様、一酸化炭素中毒にはならない。
そして、ピアノを弾いた。窓から落ちる月の光の中で。
最後まで引き終えると、私は自らに灯油を被りマッチで火を放った。
燃える屋敷、ただならぬ叫び声。
近所の住民が通報して、消防車が恐らくそろそろやってくる筈だ。
扉を叩き壊す音が階下で聞こえた。消防士が到着したようだ………。
熱さと痛みの中で意識を失いかけていた。
本当にこれでいいのか?
私もろとも消えた方が楽になるのかもしれない。
それが、この世の為なのかもしれない。
私もこの煩悩から救われる。
私は、燃え盛る炎そのものになりながらも最後の力を振り絞って開いていたテラス窓へ向かって閉めた。
賭けてみよう、もし私が助かってこの計画が成功したならば、
それは、生きるべくして生かされてるのだと。
そして、この力とこの人生を運命だとし、
そのカルマと正面から対峙しようと。
そう心で決意した瞬間、私は意識を完全に失った。
【日陰の向日葵の回想 Ⅴ】
家族で住んでいた大火災の跡の更地を売り払い火災保険やら両親のかけていた保険金等含め資金を集めて遠くに引っ越した。
不幸な事件によって身寄りを失った唯一の生存者が事件の凄まじさを思い出し、フラッシュバックに苛まれ再び心を痛めるのを嫌がり、遠くに引っ越す事などよくある話だ。
ありったけの資金で出来る限り遠くの土地の人里離れた家を借りた。
、裏では、私は政府に追われているという表沙汰には出来ない事情を抱えていたが大火傷を負った事による心意的なものによる陰遁生活として表上は送る生活をした。この不幸な容貌を目にしたら誰も疑いようが無かった。
でも、暗く湿っぽい室内に籠りっきりでは、息が苦しくなる時もあったので
唯一夜間には夜風に当たりに近くの公園へ足を運んだ。
朧気で不鮮明なベールに包まれた危うい光を放ちながら闇に形成する月輪は、私の境遇と似ていた。
なので私は、この生態不明な月輪を見ていると、
何か潜在的に眠る深い心底と同調するかのように心が落ち着いた 。
【日陰の向日葵の回想 Ⅵ】
人通りがそもそも少ない町だったが政府にマークされている可能性も視野にいれなくては成らない身の上少しの目撃者や追跡者の目に触れてはならない。
深夜に0 時決まって借家から徒歩七分もかからない更地と大差無い民間公園へ足を運んだ。
又、日課の様に通うようになって
ある時、不審な男を目撃するようになった。
神妙な顔色でおぞましい程に美しく、無機質な造形をしている。
全身漆黒のスーツの出で立ちで気だるそうにベンチに腰掛けては携帯を開いて、
溜め息をついていた。
その後、決まって何分か満月を見上げては恍惚していた。
私とこの男だけが、暗闇に漠然と浮かび上がる歪でミステリアスな満月の美しさに、
ただただ、魅了されていた。
不可思議な時間の共有が、私とこの男の間に生まれたのだった。
【満月の囁き Ⅰ】
最も、美しく残酷な女
強かで艶やかで妖艷で
この女の抗えない満月みたいに見るものを理屈抜きで魅了し惑わす魔力に、誰もが心を奪われた。
そして、同時に奪われるものが
心だけで済んだ者は誰一人として居なかっ
た。
僕もその一人だったのかもしれない。
幼く無垢な僕は、この神秘的で独特のカリスマ性のある美しいこの女に、絶対的な信頼と忠誠心を持っていた。
こうして、今でもこの女を回想する時は服従心や幼さを反映するかの様に
何時もの一人称であった筈の「俺」から、「僕」になる。
これは、今でも確かにあの女の記憶や存在が俺の中で所在し刻まれている証拠だ。
して、未だにこの女から解放されず、記憶の中のこの女にさえ恐れを持っているのだ。
女は、幼い僕にその蝋より白い血管が分かるほどの色素の薄い肌を持つ長い指を滑らせて、鏡の目の前へ立たせた。
鏡の向こうで僕とあっち側の女が目を合わせる。
そして、何時もの呪文を囁いた。
「貴方には私の血が通っている。
こんなにも鬼気迫る程残酷に美しい。
何を搾取するため?
心?違う
体?違う
益?違う
魂そのもの。
奪われるのではなく、奪うのだ。
言葉で訴えるのではなく
目で、訴えなさい。
沈黙の重さを与えよ。
貴方に深みが宿るから
多くではなく
真実の力を語りなさい
言葉では無く
魂が宿る眼で語りなさい
我が子よ
貴方なら、自ずと自覚するでしょう
抗えない血と抗えない運命に
それに、翻弄されるではなく
魔法のように使いなさい。」
そして、僕の瞼に手を当てておでこにキス
をした。
「これは、呪文よ。
貴方の潜在意識を目覚めさせ
貴方のDNAに滞在する眠った力を強め開花する為のね。」
「どういう事?」
「分からなくていいのよ。今はね。
何れ、嫌でも対峙する日が来るから。
でも、しっかりとこうしてる今でも貴方の中でそれは、力を高めながらも息をしているのよ。
この呪文っていわば
だから、お腹の赤ん坊に囁くのと同じことね。」
「対峙?」
「ええそうよ。
直面しなくてはならなくなる日が来るって
こと。」
「そうすると、どうなるの?」
「貴方は本来あるべき生き方を知ることに
なる。
分かりやすく言葉を変えて言えば
私と同じになるって事。」
「早くそうなると良いなぁ。」
「ええ、そうね。
私も待ち遠しいわ。」
あれから、僕は、その言葉がいかに残酷なものだったかと気付く事になる。
でも、結局僕はあの女の血を受け継いだのだ。
抗えない運命と共に。
【満月の囁き Ⅱ】
母親の呪文が潜在意識にしっかり沈着したおかげで
僕の恐ろしい美しさには、それだけではない何かとてつもない魔力が宿ったようだった。
美しい造形の人間なら山ほどいるだろうが、
僕のそれは母親同様唯一無二の異様さを放っていた。
例えば、その瞼の動きにしても妖艶で意味深な余韻を残したり、
言葉ひとつにしても放つときの間も、闇雲に多くを語らずとも目力と静観さの中で的
を得た言葉は、剣の如く相手の心を強く貫いた。
又、理屈ではまるで説明がつかないような本能に訴えかける魔力。
俺は、この力を自覚するようになった頃には意識的に状況に応じて使うようにしていた。
ただ、無意識の内に関係のない人間にまで
効力を持ってしまい苦労したこともある。
面識ない人からのストーキングやら俺をストーキングしたり、俺が好意を抱いてると思込んだ者や色目を使って俺を誘惑しようと目論む者への陰湿な裁きが俺を、崇拝する者たちから下るので、俺と接触すると怖い罰が待っているとか、悪魔の血が通ってるとか近づいたら自分の命が危ないとまで噂が広まるほどだった。
在学中は他の生徒から嫌でも孤立するようになっていったし、それをどこか心地よいとまで思っていた。
遠巻きに崇拝する信者、遠巻きに噂して接触を躊躇う人々。
これらが、俺のフィールドを脅かし邪魔する事はないからだ。
学校を卒業して仕事を転々とした時期があった。どこもそう長くは続かなかった。
所属した狭い社内で、勝手な噂が広まり辞めるか辞めさせられるかのどちらかだった。
職場の異性を誘惑したとか、関係を持ったとか、他の社員がいつもと違って社風が乱れてしまうとか、そういう類いの覚えがないものばかり。
俺は定職に就くことも躊躇うようになり、
暗く湿っぽい酒場に入り浸るようになっていった。
ある日、何時ものように俺が酒場で酒を飲んでたら、向かいの席に見知らぬ初老の男が、腰を下ろしてきた。
「悪いが込み合ってるんで同席させてもらっていいかね。」
そう言う以前に椅子に腰かけてるいる男を黙視した。
「カウンターの席も空いている。
悪いが一人で飲みたい気分なんだ。」
そう答えても男は腰をあげる気配を見せなかった。
「たまには誰かと飲んでみるのもいいものだ。
きっと、楽しい夜になるさ。」
「たまには?
俺が何時もは一人で呑んでるとどうして分
かる?」
「分かるさ。
見てればな。
それよりもだ、面識もない不可解な初老の男に快く同席を承諾してくれた、心優しい好青年の無礼にあたらぬように名を名乗ろうじゃないか、
私はバートンだ。
とうぞ、今後とも宜しく。」
「俺は同席を快く承諾してもいなければ、好青年でもなく、今後ともあんたと接点を持つつもりもないよ。
初老で不可解極まりない、バートンさん。」
「いや、持つことにならざる終えなくなると思うよ。」
「凄い自信だ。
どういう意味か興味深いね。
ならば、同席するがよい。
拒んでもきっと、俺が席を立つまでらちが明かないだろうから。
俺は、今夜も飲みたい。
だが、邪魔になるようなら他へ行ってもらう。」
「邪魔はしないさ。
所で君は、魔女って信じるかね?」
【満月の囁きⅢ】
「魔女?・・・どうかな?」
「もし本当に魔女が現存したら?
どういうことになると思う?」
「そりゃあ、面白い事になるんじゃないの?」
「そうだ。
お前さんはまだ若い。
だが・・・まぁ。
これは、今はいい。
ここで、ある女の話をしよう。
ある所にそれはそれは見目麗しい女がいた。
氷のように肌は白く、サファイアブルーの様に美しく透き通った瞳、
まるで、おとぎ話から飛び出たかのように生活感の無い謎に包まれた恐ろしく美しい女がいた。
その女に関わると
ある男は半狂乱に発狂したり、露出狂になったり、
青白い顔で震えながら逃げ出したり、
まるで別人のように気が可笑しくなっていった。
老若や地位も問わず、どんな男必ず豹変した。
そして、彼等の末路は決まって死だった。自殺した者も居れば、狂ったように線路や路面に突っ込んで事故死した者もいる、
何時しか、女は世間から【魔女】と呼ばれるようになった。」
「へぇ・・・。バートンさん。
なかなか、面白いネタ持ってるじゃない。少なくとも、退屈しない夜になりそうだ。
「だろう?」
「それで、その女は最後どうなったと思う?」
「魔女なんだろ?なら火炙りじゃないのか。」
「さぁな。
それは、内緒にしておこう。」
「何でだよ。
オチを言わないのは卑怯だろう?」
「すまない。
この魔女の末路が、実際のところどうなったのか
真相は、わしにも分からんのだよ。
噂は、沢山あるんだがな。」
「どんな噂だい?」
「あぁ・・・、それが。
例えば、魔女に怒りを覚えた男に集団で串刺しにされたとか、自ら命を絶ったとか、大富豪の男に買われたとか、
ある男の子供を身籠ってひっそり何処かで生きているとか・・・色々だ。」
【満月の囁きⅣ】
「それで、何故そんな話をわざわざ俺にし
たのかそろそろネタばらしでもしてもらおうか。」
すると、男の目の色が変わった。
「ありゃ、
お前さんお見通しだったのかね。」
「あぁ、恐らくその魔女って呼ばれてた女
に心当たりがあってね。
そんな女は、いくら、探してみても中々居ないもんだ。」
「そうだな。
で、その血を引き継いだ御前さんに頼みが
あるんだよ。」
「血か・・・・。
それで、その頼みは聞ける話か?
それとも・・・。」
「さぁ、聞けると祈るくらいしかわしには出来な
い。」
「そうだろうな。
で、その要件は?」
「ある女を探し出したい。
いや、これは指令なのだ。
探さなくてはならない。」
「その女って?
何で探さなくてはならないんだ?」
「その女は特別な能力を持っている。
よって政府がその力を悪用しようと総力をかけて裏で探している。
だが、政府の手に渡る前に見つけ出さなくてはならない。」
「どんな力だ?」
「人の心を読んでしまう能力だ。
相手の思惑から心境まで。
相手から何も聞き出さずに。
表情や言動から相手の心理や思想を不鮮明に分析して読み取るのとは違い、
相手の心理や思想そのものが彼女の脳裏に反映される。」
「それは、怖い話だ。」
「あぁ、だからこそ政府はその能力に目を付けた。
商談や交渉を思うままに運べ、機密情報全て漏洩させずに有利な情報を収集できる。
その為のスパイも必要ない。
他にもあらゆる手段に駆使するだろう。
そして、彼女の能力を研究し、クローンを何体も生み出し、政府が依頼した
任務を遂行する為に何ヵ国へも派遣させるだろう。」
「なる程、その能力の利用先は広がりそうだな。」
「そうだ。そして、その先に待つのは暗黒だ。
そこで、君にはまた彼女とは違う能力がある。
人を恐ろしいまでに惹き込んで離さない力だ。圧倒的な支配力となるだろう。
これは、ただ造形が美しいもが者が持つレベルの力ではない。
もっと、厳格で高尚で、抗えない魔力のようなもの。
わしには分かるよ。
その力で、彼女の居場所を突き止め
連れてきて欲しい。
勿論、生存した状態でな。」
「それで、俺に何の利益がある?」
「君の願いは何だ?」
「この魔女に植え付けられた、
くだらなくて残酷なカルマから解放される
事だ。」
【満月の囁きⅤ】
「その願いを聞いてやりたいが・・・
そのカルマを、わしに解けるか難しい問題
だよ。」
「じゃあ、話しは終わりだ。
この女を助ける義理は俺に無い。
それに、このカルマのせいで、
俺は、ろくに職も持てない
ただの飲んだくれなんだ。
明日の我が身もわからなければ、
死んでしまえば良いとさえ思ってる。
そんな男に頼んで、込み入った任務を遂行すると思うか?」
「住む家はどうしてる?」
「あぁ、廃れたボロアパートに住んでる
よ。そろそろ、追い出されそうだがな。」
「なら、少なくとも心地よい住まいと生活に困らないだけの金銭を君に約束しよう。
任務を続行する事によるだ。
なので、任務を遂行する度に報酬は受け渡す。例えば、この女の足取り等の情報を掴んだり進展がある度にだ。
また、この任務を降りない限り御前さんが生活に困ることもない。
君のカルマに関しては・・・少しこちらでも調べてみるよ。何か力になれないか。
どうかな?」
「・・・・・。
いいだろう。」
「なら、決まりだ。
暫くはホテルで生活してもらう事になる。
彼女が住んでいる場所を掴むまで
転々とする事になるだろうから。
移動費や必要な備品等も、言ってもらえれば全て用意する。」
「その女幾つ位だ?」
「恐らく今年で25になる。」
「俺と同じ。」
「あぁ。」
「どうして、この女の能力が政府にバレた
んだ?」
「ある時、女の母親から政府に連絡が行ったんだ。
その当時、まだ子供だった娘のその能力を、薄気味悪がったんだろう。
政府に娘の能力の利用性を伝え買ってもらい、我が子を追い払いたかったんだ。
そして、子供が政府の手に渡り母親は報酬金を受け取る事が決まった。
その数日後にその一家の家は炎に包まれ、大火災の中、皆命を落とした。
ある一人を除いてな。」
「それが・・・その女か。」
「そうだ。
それから、その女は消息を絶った。」
【硝子細工の仮面の残骸 Ⅰ】
醜い私の容姿を見れば、人はたちまち
恐れおののいて避けて行く。
それはそれで、都合の良い事だった。
私は、深いフードをすっぽりと被り
室内に灯るランプを吹き消した。
玄関扉を開いて施錠してから
公園へと向かう。
深夜0時。
目的地までの身近な道中で、入り込んだ敷地内に聳え立つ赤い煉瓦の屋根の屋敷があった。
そこを通り過ぎる度に、私には少し気掛かりな事がある。
脳裏で聞こえるのだ。
幼い女性の哀しみと怒りの声が。
始めてここを通りすぎた頃は、
「もう、嫌だ。もう、嫌だ。もう、限界・・・。痛い、苦しい、気持ち悪い。」
そういった、深い嘆きと哀しみの連呼だった。
だが、今では
「全てを呪い死んでやる。
何もかも呪い殺してやる。」
そんな、鬼気迫る暗い言葉の反復になっていた。
ただならぬ状況を察知したが、不要に私が動いたら厄介な事にしかならないだろうと理解したので
不可解で気掛かりではあったが、公園へと足を向けた。
深い冷たい風が顔にかかる。
見上げれば、何時ものように、漆黒の闇に散らばる無数の星屑と月輪が私を迎えてくれた。
ベンチに腰を掛けて、闇と同調する。
周囲を見渡してみたが、あの謎の男は今日は姿を現して居なかった。
少し、残念な気持ちになったがすぐに気持ちを切り替えた。
そもそも、面識しか無い男に気を取られていても仕方無い。
確かに不思議な魅力のある男だった。
私が今まで、他者に対して落胆しか覚えず、興味の対象となるような人間に出逢えた事が無かったからかも知れない。
人の隠したい心理まで知ってしまうという事で、知らない事で見えていた側面や魅力も張りぼてのようにボロボロと崩れて醜く見えてしまう。
その言葉も愛も信頼もその裏に眠る真相を知れば、簡単に壊れてしまう。
幼かった私は、いつのまにか能面のように、喜怒哀楽の薄い表情になった。
両親も気味悪がった。
そこら辺を飛び回っては、はしゃいで笑顔して泣きわめく子供とまるで違っていたからだ。
唐突に頭に痛みが走った。
脳裏からまた、
「助けて!もう、嫌!」
私は、この心裏で嘆く当事者と同じ様に、切迫した危機感をそのまま
感じ取り
鳥肌が立った。
この声は、あの赤煉瓦の民家の前で通った時に感じたものと同じだっ
た。
その声は、どんどん大きく響いてくる。
もしてかして、近くまで・・・。
息を荒らして
闇に浮き出る白い肌を露にして、衣服とは言い難い裂けてボロボロになった生地を
纏った女が裸足で駆けてきた。
私の存在に気が付くと、女は怯えた表情で足を止め、深く溜め息をついてからうつ向いた。
私は、何も言わなかった。
暫くすると、女は顔を上げて私に向かってこう言った。
「お願い。私は、ちょっとばかし厄介な事情を抱えているの。
だから、私をここで見たことは誰かに尋ねられても
絶対に言わないで欲しいの。」
私は、フードを深く下げたまま答えた。
「どうやら・・・、ちょっとばかしの厄介事では無さそうだけど。
いいわ。
誰にだって、抱えてる事情もあるし、尋ねられても、
言われたくない事なんて一つや二つあるものだもの。詮索する気もないわ。」
「えぇ、そうね。
お姉さんみたいなクールで達観してる人で良かった。
ねぇ、お姉さんは私の姿を見ても驚かないのね?」
「・・・・。
それより、あなた何か着替えた方がいいわよ。
はだけて豊満な乳房も丸見え。
いくら、月明かりの下とはいえねぇ。
まるで、露出狂みたい。」
「・・・。
突発的に逃げてきたから、何も無いの。
手荷物ひとつね。」
「まぁ。
素晴らしいわね。
新たな門出の旅人は、何も持たないまっさらな状態で旅立つのが一番よ。」
私は、深く被ったフードを外してローブを脱ぎ、女の肩にかけた。
「有り難う。
お姉さん・・・顔・・・・。
・・・大切なローブを借りてご免なさい。」
「いいのよ。
もう、家に帰るだけだしここから近いの。
じゃあね。」
「ねぇ、待って!
あの、私何処にも行く所が無いの。
お願い、お姉さんの所へ置いてもらえないかな?」
「・・・・」。
私もね、ちょっとばかし事情を抱えていて人の厄介まで見れないんだ。」
「そう・・・。
でも、絶対に邪魔しないし、迷惑もかけない、
面倒な用事があるならお姉さんの代わりに代行するし、家事もする。外出も頼み事
があれば代わりに行くわ。
だから、お願い!」
「・・・。
そうね。
もしかしたら・・・。
分かったわ。来なさい。」
まだ、十代後半か二十代になりたての、このか弱く心と体に傷を背負った娘と共に私は、家路へと向かった。
【硝子細工の仮面の残骸 Ⅱ】
夜風の凍える冷たい向かい風に晒されながら、ひょんな経緯で知り合ったばかりの少女と、肩を並べて家路に着くことに成ろうとは思いもよらなかっただろう。
私のビロード製の丈の長いローブを纏って、震えながら夜道を歩く彼女を横目に不思議な気持ちになった。
ずっと、これからも他者と関わる事なんて絶対に有り得ないと確信していたから。
「ここよ。」
家路に着くと、ドアを解錠し彼女を招き入れ、玄関の電気のスイッチを付けた。
遠慮がちに足を踏み入れる彼女
「何か、隠れ家みたいに風合いのある家ね。
お姉さんらしいな。」
「その方が落ち着くからよ。
誰も招き入れた事も無いしね」
「じゃあ、私が初めての来客?」
「そうよ。」
「それは、嬉しいな!。」
始めて目にした時と違って幼い娘の好奇心溢れる鮮やかな表情を見せた。
「ねぇ、ここに居る内にお願いがあるの。
条件として守ってほしいのよ。
誰かが訪れて来ても誰も招き入れないという事。」
「分かったわ。」
【硝子細工の仮面の残骸 Ⅲ】
「それより先に、バスに入って来なさい。
話は後から。
貴女の込み入った事情は聞かないし、言わなくていいから。
バスルームはこの廊下の突き当たりのドア。
バスタオルは、室内にあるわ。
着替えの服は、廊下の前に用意して置いておく。
安心して鍵を閉めてゆっくり入って来なさい。
それと、その着てる服は棄てる。
脱いだらこのビニール袋に入れて置きなさい。」
「分かった。
そうしたかった所。
お姉さんって、エスパー?」
そう言うと、彼女は真っ直ぐバスルームに向かった。
半ば、駆け込むように。
私は彼女がバスルームまで辿り着くの見守ると、二階の寝室へ向かった。
疲れがどっと押し寄せてくる。
彼女の緊迫感を常に脳裏で感じてしまったからだ。
あんなにあっけらかんとした表の態度は
彼女の触れて欲しくない頑なで脆い部分を悟られまいとする事からきていた。
私に感謝して救われたとホッとする反面、また連れ戻されたらという不安、その後の恐怖心があった。
そして、彼女が受けてきた事情は酷く重く辛く苦しく悲しいものだった。
これならここまで緊迫し怯える気持ちも分かるし、隠したい気持ちも察した。
彼女の苦しみがフィルターを通さないでそのまま見えてしまう分、
接し方を気を付けた方が良いだろう。
彼女にとって、自身の過失ではないものの封印したい記憶を他者に垣間見られるのは嫌なものだろうから私が知ってしまった事を感ずかれ無いよう言動を注意しなくてはならない。
クローゼットを開けて、バリエーションの少ないデザインと暗い色見の服の中から、一番ましな服を選んで、パジャマと一緒に取り出し、一階へ降りた。
バスルームのドアの前にパジャマとワンピースを置いて、リビングへ向かい暖炉を炊く。
月明かりと廊下から洩れる電気の光しか落ちて無かった暗い部屋が、暖光色の揺らめく光に包まれた。
「お姉さん、有り難う。」
驚いて振り返ると、彼女がいた。
「いいのよ。」
「このワンピース素敵ね。」
「そう?
それ、あげるわ。好きに着て。」
「お姉さんもう、着ないの?」
「着ない。
恐らくもう、二度とね。
でも、捨てられなかったから丁度、良かったわ。」
「思い入れがある服なの?」
「まぁね。」
このワンピースは、唯一私物から持ってきた用品だった。
亡くなった祖母からクリスマスにプレゼントされたもの。
この容貌になってしまった今となっては、着れない。
紫の上品なベロアの生地にレースと組み合わさせれてる綺麗なドレスだった。
首回りと胸元はレース生地が薄く透けて白い肌の美しい女性には、似合うだろう。
「きっと、似合うと思うわ。」
【硝子細工の仮面の残骸 Ⅳ】
「そうかな・・・。」
そう言うと、恥ずかしそうに顔を下げた。
「名前聞いて良いかしら?」
「あっ、そう言えば!
でも、私今までの名前棄てたい。
あの、服と一緒に。」
「これを期に、捨てなさいよ。
私は、貴女の呼び名が知りたいだけ。
じゃないと、呼べないでしょう?」
「そうね。そのと通りだわ!」
そう言って彼女は笑った。
「別にシリアルナンバーでも良いのよ?」
「受刑者やシリアルキラーみたいだから辞めとく。
今までの人生が監獄の中みたいな生活だったから、洒落にならないわ。」
「あー、それ笑えない方のブラックジョークだよね。」
「正しく。」
「じゃあ、こんなのはどうかしら?
パールヴァティーの体の垢から生まれた神様、【ガネーシャ】よ。
貴女の多大な煩悩は積もり積もって垢を作った。
そこで、神様はもう一度生まれ変わるチャンスを与えた。
その煩悩の垢から生まれ落ち、今日から新たな人生を生きるの。」
「素敵な名前ね。象の頭部が必要かしら?」
「目に見えることは、ほんの細部に過ぎない。
その細部に構築された虚像を、人生と嘆いてはならない。」
「どうしたの?
急に、目の色が変わったけど。」
「うん。
自分の人生を振り替えって投げ掛けて答えたのよ。」
「お姉さんも色々苦労したんだね。」
「ガネーシャ、貴女誰から逃げてきたの?」
「・・・家族。」
「貴女をまだ追ってる気配を感じるの。
で、この近辺をずっと散策してるの。
嫌な予感がするのよ。
その、オーラがとても暗くて重くて切迫していて泥々渦巻いた黒い感情を感じるの。」
「・・・。
私を見付けて連れ戻して、気が済むまで拷問して、その末殺すつもりよ。
私の弟も死んだ。
妹も屍になった。」
「その・・・貴女を追っているのは、両親よね?
母親は常に家にいて監理、父親は外で偵察してるみたいね。
凄く、事情を隠したいみたい。自分達という絶対な支配下から逃げた事にも怒りを持っているけど、貴女が自分達のしてきた罪を公にしないか心配もしているようね。
ここは彼等の存在が近いから、危険が高いわ。
ガネーシャとして生まれ変わっても、彼等のハイエナの様な目がある。
貴女は新しい人生を歩む為に、過去の自分を解き放たなくてならない。
卑しい苦しい過去も肉体も捨てるの。
貴女には、火傷しろとは言わない。
ただ、何かしらの手を打たなければならないでしょうね。」
「お姉さん・・・には、見えてるの?」
「私はね、見える訳じゃないの。
ただ、真実を感じることが出来るの。
貴女に何が起きたかまでは分からない。
でも、感じ取ることを繋ぎ合わせて、未来の起きうる可能性を感じ、貴女に起きる危険を
防ぎたいのよ。」
「凄い力ね。
お姉さんは・・・・こういう状況に陥って火傷を背負ったの?」
「私は、貴女とはまた違ったわ。
でも、似たように生まれ変わらなくてはならなかった。
いいえ、生まれ変わって生きるか、死ぬかの末に結果としてこうなったの。
でも、そうね。
結果的に生まれ変わる為に背負ったのかもしれないわ。」
「・・・。
私が出来ることって何かな?」
「まず、その長い髪を切ることね。
赤毛でウェーブのあるとても美しい長い髪をね。
あと、そばかすはファンデーションで消しなさい。
髪の色も変えなさい。
私が魔法が使えたら、貴女を直ぐにシンデレラにしてあげられるのに。
それが、出来なくてご免なさい。
自分の為に、先ずは現実的にしなくちゃならない事をしましょう。
用心して。
明日、貴女を美容院に連れていくわ。
貴女の父親は何時に外出して戻るのか、良く使う歩行ルートや日課も教えなさい。
それに合わせて外出時間やルートを考えるわよ。」
「分かった。
父親は朝六時に出掛けるの。
車で1時間半掛けて、教会へ向かい神父として働いてるわ。
五時頃教会から戻って六時半から7時には自宅に帰ってくるの。」
「神父なのね。厄介だわ。」
「・・・そうね。
父親は神父として地域の人には信頼を得ている。
私が受けた現実を訴えても耳を傾けて貰うのは至難の技よ。」
「決定的で致命的な証拠が無い限り、恐らく難しいでしょうね。
何れは、神父だろうと政府だろうと立ち向かわなければならない時が来るかも知れないけど、今はその為にも自分の身を守る術を見付けて、安全面を確保しなくちゃね。」
「うん。」
「私もけして安全の身では無いのよ。
私は組織に追われてるから。下手に動いたり、派手な動きは出来ないの。
ガネーシャには本当の事を言うけど、これも他言はしないで欲しい。
貴女なら気持ちは分かる筈よ。」
「勿論。言わないわ。
恩返さなきゃならない身分よ。
組織かぁ。・・・それも凄く厄介そう。」
「ちょっと静かにして。」
「どうしたの?」
「貴女の追っ手が息を潜めて近くに居るみたい。
・・・荒れた鼓動が聞こえる。」
人差し指を唇にあてて、喋るな危険の合図をした。
すると、ダイニングの磨りガラスから人影が見えた。
鼻息を荒らして磨りガラスに手を滑らせて覗き見ては、周囲をキョロキョロしながら挙動不審に歩く男のシルエットだった。
ガネーシャは、その人影を見ると怯えて震えだし、音を立てずにゆっくりとその人影から一番遠い場所へ移り、窓の無い壁面の近くにある物陰に隠れた。
私は頭が痛くなった。
男の反復する悪質な心の声に、頭痛を催した。
(許せん!いたぶってやる!お前は私の下部であり、玩具だ。
意思も持つなんて無論!その足は私に引き裂かれる為にあって、逃げる為にあるのではない!何て冒涜!侮辱!許せん!はぁはぁ、真っ赤な血は地に堕ちる・・・、私への聖杯、降り注ぐ、この悪魔を生け贄に臓物総て供え物、恐怖の雄叫びの甘い歌、総てが私の源になる!)
【硝子細工の仮面の残骸 Ⅴ】
(お前は私という絶対なる神に背くと言うのか!何と、愚かな!あれだけ沢山の導きを与えて貰って恩を仇で返すつもりでいるのか!こざかしい!
忌々しいだけの無力で愚鈍で無知な子供が、この私によって生かされてるだけの分際が何て愚かな事をしてくれるのだ!・・・ふふふ。
どうなるか分かってるだろうな。もう、今までのような茶番じゃあ済まされないぞ。
ふふふ・・ふふふ・・・。体を生きたまま台座で引き裂いて、蛆を体内に入れて放置がいいかな・・・それとも、・・・さぁ、私のところへ早く戻っておいで。いい子だから。
ふふふふ。お前には帰るところは此処しか無いんだよ。)
男からは揺れ動く思想と懸念と、断固とした自己陶酔、歪んだ哲学観念が複雑に絡まった蛇のような糸のシグナルがあった。
凡そ背丈178センチの肉体から筋肉が削ぎ落ちたようにか細く弱いシルエットが
淡く透過する磨りガラスに、月明かりによって背を押されて浮かび上がる姿は
不気味な恐ろしさがあった。
実態が謎に包まれて掴めず、見る側に圧倒的な恐れを想像させるには十分な余地を与えてくれる。
私の緊迫した鼓動に合わせたように、雨粒が勢いよく外のアスファルトに叩き落ちる音が聞こえ始めると、その人影は少しの間立ち止まって考えて居たが、豪雨だと悟ると観念してその場から去っていった。
「行ったわ。」
部屋の隅のソファーの背板の裏の視角に隠れて脅える彼女に声を掛けた。
「貴女の父親だけど・・・、台座とか罰とかって言ってたわ。」
私が、そう言うとギクリとした眼をして俯いてから溜め息をもらす。
「そうよ、私の父は厳格な悪魔崇拝者よ。」
彼女の重い口から開かれた言葉は、床に鉛の落ちた時の様な衝撃を持っていた。
私達の人生には悪魔の毒が盛られた。
ひっそりと、静かに。
残酷な運命はそれに、もがき苦しむだけの余韻も与えてくれないようだ。
【北風と太陽Ⅰ】
俺は、大火災後に消息を失った謎の女の足取りを探していた。
手元には渡された幼い少女の色褪せた顔写真一枚だけ。
バートンが、当面の生活に必要な資金と捜査費用を俺が教えた預金口座に入金する事になっていた。
俺は、バートンの非現実な捜査依頼の真偽は半信半疑だったが、一つ信憑性を感じた点は母親の件があった。
あの魔女と呼ばれた母親の子供だと何処で嗅ぎ付けたのだろうか?
俺の母親は、数年前にあった思い出すもおぞましい事件から他界していた。
あれから、俺はその事件を忘れる様にして故郷から去っていた。
そんな少ない足取りから、俺の現在の居場所を嗅ぎ付ける何て、並大抵の根気とそれを後押しする根拠が無いと出来ないだろう。よって、その根拠には信憑性が高いと結論した。
横見に通り過ぎたATMからクレジットカードを入れて残高を確認すると、7000$あった。
「これで、債は投げられましたって事か。
バートンさんよ。」
煙草にライターで火を着けて、吸い付く。
深く吐く息と共に笑いが込み上げてきた。
さぁ、これから政府に追われるお嬢さんを探し出さなくてはならない。そして、酒臭い男は捜査の足を引っ張る。
円滑に捜査を進めるに辺り、有力情報を聞き出すには美しく上品で清潔な身なりをする必要がある。
預金口座の残金から900$引き出した。
これで、今よりは大分ましな見立てを用意できるだろう。
俺は、今やこの容姿を最大限に利用してやろうと思った。
何処までこの体が、魂が、難題難問にも力を示すのか見届けるのも面白い。
【罪人がレシピした悪夢】
ゲマトリア153~triangle・number