黄色い海の向こうに楽園

あおい はる

 黄色い海があるのだといいます。
 気が遠くなるほどの菜の花を敷き詰めたような黄色い海を渡った先に、楽園があるそうです。楽園には時間の概念がない。時計がない。カレンダーも。朝も夜もなければ四季もない。故に年も食わないので、楽園に生まれ住む者は不老不死であり、楽園に行き着いた者は永遠の命を手に入れる。そう教えてくれたのは親戚のおじさんでした。当時、おじさんはまだ二十五歳でしたが、六歳のわたしからすれば二十五歳のその人はおじさんでありました。おじさんと呼んでも、おじさんは笑顔で応えてくれました。おじさんは空想家でした。
 空想家というのを、わたしはれっきとした職業のひとつであると思っていました。六歳から十五歳くらいまで。空想家は誰でもなれると、十五歳の折におじさんが教えてくれました。ただ、それで生きていくのは大変だよ、とも。おじさんは三十四歳になっていましたが、変わらず空想家を営んでいるそうです。祖母の十回忌で親戚が集まっていた。今日はワインレッドの川を泳ぐのに適した日だと、おじさんが言いました。灰色の雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうでした。
 黄色い海もワインレッドの川も、おじさんが言葉にするとほんとうに存在するような気がするのでした。おじさんの発言にはなにか、不思議な力が宿っている。惹きつけるもの。でもそれは全ての人を等しく魅了するわけではない。わたしの母や従兄弟や叔母さんたちは、あのおじさんのことを良く思っていません。毎日毎日ありえない空想に浸り、意味のわからない文章を書いているのは無職も同然なのだそうです。黄色い海には、黒いクラゲがいる。ワインレッドの川には、ホワイトスモークカラーのワニがいる。ワインレッドの淡水が黄色い海水と交わるところはしゅわしゅわのオレンジサイダーで、空は。スカイブルーじゃないよ、ターコイズ。わたしはおじさんと時々、喫茶店でお互いの空想を披露しあっています。夏も冬もアップルティーを飲んでいるわたしのことを、おじさんはアップルと呼ぶ。夏も冬もアイスコーヒーを選ぶおじさんのことを、わたしはおじさんではなく名前で呼びたい。
「アップルは楽園に行きたいと思うかい」
 それはあの黄色い海を渡って? 訊ねると、おじさんは頷きました。わたしは黄色い海を想像しました。黒いクラゲが漂っている。波にたゆたう菜の花。楽園という秘密めいていて甘美な響きに興味はあるけれど、永遠の命は別にいらない。湯気立つアップルティーに角砂糖をひとつ沈める。紅茶の海に溺れる白いヨット。
「でも、おじさん…いえ、波郎さんとならば行ってもいい」
 メープルシロップでひたひたになったホットケーキを切り分けながら、波郎さんは笑う。嬉しそうにも見えるし、悲しそうにも見える。喫茶店のバッググラウンドミュージックは、どこかの国の音楽。電子音と女性ヴォーカルのウェットなハイトーンボイスが寒い国を思わせる。黄色い海の先にある楽園は、きっと暖かいはず。
 わたし二十歳、波郎おじさん三十九歳。
 イタイヤツって嗤われたっていいよ。今日も波郎さんはホットケーキを幸せそうな顔で頬張る。わたしはそれだけでお腹が膨れるのです。

黄色い海の向こうに楽園

黄色い海の向こうに楽園

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-06

CC BY-NC-ND
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