神様の不平等

あおい はる

 僕の友だちは絵を描く仕事をしている。
 僕は、芸術のことはよくわからない。彼の絵のどういう部分(例えば色使いだとか、センスだとか)が評価されて金になっているのか、僕には一切わからないのだが、彼が絵だけで食えていることは確かである。
 ときどき、彼の様子を見に行く。僕は古本屋でアルバイトをしていて、その古本屋の近くに、彼の自宅兼アトリエがある。自宅は平屋の日本家屋、アトリエはコンテナタイプの倉庫を改造したものだ。彼はひとりで暮らしている。ご両親は彼が中学生のときに飛行機事故で亡くなったそうだ。今の彼の住居に、母方のおばあさんが住んでいて、他に身寄りのなかった彼は引き取られた。僕の通う中学校に彼が転入してきたのは中学三年の二学期も半ばという、中途半端な時期であった。
 おばあさんも高校卒業と同時に亡くなったので、彼は天涯孤独となった。彼の友だちは僕しかいなかった。彼には恋人もいない。友だちも恋人も、彼は作ろうとしない。キミがときどき、様子を見に来てくれればいいよ。彼は言う。じゃあ僕が、この街からいなくなったらどうするの。そう訊ねると彼は微笑むばかりで、質問に答えることはなかった。芸術家というのは僕の勝手なイメージで、生活能力は皆無であると思っていたのだが、彼は無茶をするような男ではない。僕がこの街を出て、彼がほんとうの天涯孤独になったとしても、彼は生きていける気がする。飯は炊けるし、睡眠はきっちり七時間、一週間に一度は掃除もする。夜、繁華街へ繰り出すこともしばしばだ。
 夏、猛暑日が続いている。僕は五日ぶりに彼の家を訪ねた。彼はエアコンのないアトリエの窓を開け放し、扇風機を抱えながら筆を走らせていた。今、彼がキャンバスに描いているのは、否、描いているというより塗りつぶしていると言った方が正しいが、とにかく青である。青い絵の具で、キャンバスの表面が真っ青になっている。ひたすら青である。青である。あお。
 それは、空かい。僕は訊いた。彼は筆を休めず、どうだろうと首を傾げた。途中のコンビニで買ったビールを、僕は一本、絵筆やパレットが乱雑している木製の机に置いた。机は傷だらけな上に、付着した絵の具の元の色がぼんやりとしかわからないほど、黒ずんでいる。何十年も前に彼の母親が使っていた机なのだと、彼は言っていた。絵の具のにおいがすごい。窓を開けていても、扇風機の首が彼のところで固定されているため、なかなか消え去らない。今日はアルバイトが休みなので、昼間から酒を飲むことにした。卒論のテーマは決まらないし、やりたい仕事も見つからない。どこか拾ってくれればとなんとなくやっている就職活動は、見事に連敗中だ。彼のように絵が上手いワケでもない。彼は、キミは作家になればいいんじゃないかと言ってくる。僕は書き綴ることは好きであるが、売れるような内容の本を書ける自信はない。書いた作品が金にならなければ、仕事をしていることにはならない。
 彼は、僕の書く文章を褒めてくれるが、僕は、彼の描く絵を称賛したことは一度もない。当たり前だ。わからないものをわかると嘘は吐けない。幼い頃、将来の夢はサッカー選手だったような気がする。遙か遠くに感じていた将来が、目の前に迫ってきている。
 出来たらアルバイト先の古本屋にそのまま居座って、ときどき、彼の様子を見に来るという生活を続けられたらいいなと思う。僕はけっこう、今の生活を気に入っているのだ。本を読む時間は多く作れるし、彼の、理解できない絵をぼうっと眺めている時間や、キャンバスの上を踊る筆を見ている時間も、僕は好きなのだ。
 青く塗りつぶされたキャンバス。海に行きたいねと彼がつぶやく。
「まさかこの絵、これで完成なのかい」
「ほぼほぼ、ね」
と笑って、彼はビール缶のプルトップを開けた。僕らを平等に作らなかった神様を恨む。

神様の不平等

神様の不平等

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-06

CC BY-NC-ND
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