メリーさん
「私、メリーさん。今、東松原の駅にいるの」
「キャンセルで」
「キャンセルって、ちょっと……」
電話を切った。デリヘルを呼んだ覚えはない。ビールを三つ開ける前に呼んでいた可能性もあるが、そんなことは知らん。
俺は今忙しいのだ。刻一刻と地上に迫り来るメテオから星を守らなくてはならない。性欲とかそういう場合じゃない。
大体、メリーさんってなんだよ。誰だよ。普通自分のことをさんづけで名乗らないだろ。メリー・サンかよ。洋モノかよ。全く、久々の電話かと思ったら意味がわからないと来たもんだ。
まあ、どうでもいい。俺は再びゲームに集中する。
プルルルルルル。非通知。さっきの女か。しかし、今戦闘中なので出られない。
プルルルルルル。無視、無視。
プルルルルルル。ああ、もう、うるさい、集中できない。
プルルルルルル。わかった、わかったよ。
「ナイツオブラウンド!」
俺は召喚魔法を使った。こいつは演出が長い。
「私、メリーさん。今、西口を出たの」
「あのさあ、キャンセルだって言ってんの。俺忙しいの」
「キャンセルって言われても……」
「おたく日本語通じてる? やっぱり外国の人? ドゥーユーアンダスタンドジャパニーズ?」
「あの、えっと、一応日本生まれというか……」
「それならなんでわかんないの? 帰れよ」
「私、一応こういうホラーだし……」
「そんなにしてまでお金がほしいの? キャンセル料で我慢してくれねえかな。っていうかさ、その声じゃまだ大分若いよね。どうかと思うよ、そういうところで働くのは。そりゃあさあ、お金がないのはわかるよ。上京してきたはいいけど、特にやることも見つからず、お金ばかりかかって、挙句の果てには悪い男に引っかかって、そんなこんなで落ちたんだろうけどさ。東京に負けちまったんだろうけどさ。でも、故郷の親御さんが知ったら悲しむと思うぜ。悪いことは言わないから、はやいとこやめた方がいいよ。それでまともな仕事探しな」
メリーさんとやらは電話口の向こうで口をもごもごさせている。俺の説教に返す言葉もないのだろう。うん、いいことしたな。
あ、エクスカリバーが出てきた。演出が終わってしまう。
「じゃあ、元気でな」
電話を切った。
そこらに出てくるモンスターに対しては明らかにオーバーキルだった。あのクソアマのせいだ。MP返せ。
しばらくすると、また携帯が鳴った。非通知。またかよ。いい加減にしろ。
「一体なんなんだ!」
「私、メリーさん。今、駅前の商店街を歩いてるの」
「あのさあ、帰れって言ってんのわかんない?」
「ちょっとはお話聞いてよぉ……」
「大体さ、こんな平日の昼間から女性とそういうことをする男がいるってうのが信じらんないよね。まともな人間なら働いてるよ」
「そういうことって?」
「カマトトぶってんじゃないよ!」
「ひぃぃ」
「あんたあれかい? 今流行りの清純派AV女優とかその類か? やってらんないよ。実際女子高生でもさ、いかにも清楚で純粋そうに見える子に限って援交とかやってるんだから。そのくせクラスで男子が下ネタ言ったりすると、顔を赤らめて見せたりするんだ。はあ、もう、ふざけんじゃねえ! 嘘つきばっかりだ!」
電話を切った。こん畜生。ビールを飲み干した。
また着信。非通知。うるせえ。
「私、メリーさん。今、二丁目のコンビニにいるの」
そういえば、ビールがなくなっていた。
「コンビニにいるんだったら、酒買ってきてくんねえ、酒。切れちゃってさ」
「お酒なんて買えないよぉ……」
「もしかして未成年? 年齢確認ボタンをちょびっと押すだけだからさあ。頼むよ。そうだな、ビールは飽きたし強めのがいいな。ウォッカ買ってきて。スミノフアイスじゃなくて、ストレートのやつね」
「うぅぅそんなのわかんないぃ」
「それでトマトジュースとかオレンジジュースとか買ってきて。割るから。つまみも適当にね。そんじゃ」
電話を切った。
非通知。
「私、メリーさん。今、三丁目の交差点にいるの」
「信号待ち暇だからって電話してくんじゃねえ」
電話を切った。
「私、メリーさん……」
「なんだよ何度も何度もよお。新手のホラーかよ」
「うん! 新手じゃないけど……やっとわかってくれた」
「うるせえよバカ。こっちは忙しいんだよ。セフィロスのほうがよっぽど怖いわ」
電話を切った。
「私、メリーさん。今、ええっと、ここどこかわからないの……」
「迷ってんじゃねえよ」
「だって……ぐすっ……」
「そんなことくらいで泣くなよ! 女の涙は高いんだよ」
「うぇええええん」
「ほら、泣くなよバカ」
うぜえ。
「もう、道わかんないなら交番行けよ」
「ひっく……でも私交番とか行くのは……」
「しょうもないプライドなんて捨てちまえ!」
「うぅぅ、大きい声出さないで……」
「ああ、もう、わかったよ。何が見える?」
「ひっく……えっ?」
「公園とか、店とか、なんかあるだろ」
「交番が見えます……」
「じゃあ交番行けよ!」
電話を切った。アホ女に付き合っていたせいで、俺まで道に迷った。ここさっきも来たところだ。宝箱が空っぽだ。
「私、メリーさん。今、角のゴミ捨て場にいるの」
「なんだお前嬉しそうに。道あってんじゃねえか」
「交番で飴もらっちゃった」
「あっそう。それで、俺の酒は?」
「あっ……」
「馬鹿野郎、すぐ買ってこい!」
「うぇええん、ごめんさいぃ」
電話を切った。全く、使えない女だ。
「私、はぁ、メリーさん、はぁはぁ、今、はぁはぁ階段を……」
「はぁはぁはぁはぁってお前変態電話かよ」
「だって、袋が重くって……」
「エレベーター使えバカ」
「でもそれじゃあホラー的に……」
「嘘だよエレベーターなんてねえよ。三階建てのボロアパートだよ」
「そんなぁ」
「せいぜい頑張れよ」
電話を切った。まあでも、正直三階まであがるのはしんどい。そのせいで俺はほとんど外出ができない。
「私、メリーさん。今、あなたの家のドアの前にいるの」
「何号室」
「三〇三号室だよ!」
「それ隣だぞ」
「……三〇二号室」
「お、正解」
電話を切った。そしたらすぐかかってきた。
「ちょっっと、待って」
「誰だよ」
「私、メリーさん」
「ああ、はいお前か。それで、何?」
「鍵開けてよぉ」
「ピンポン押せよ。普通はそうする」
「届かないよぉ」
仕方がないのでドアまで行って鍵のつまみをひねると、すぐにゲームに戻った。
「あ、開いた! お邪魔しまーす」
急に声が元気になった。
「よいしょっと」
ドサリ、となにかが床に置かれたことがわかる。
「ちゃんと買ってきたようだな。偉いぞ」
「そうだよ、トマトジュースでしょ、オレンジジュースに、グレープフルージュース!」
「ウォッカは?」
「あ」
「ちっ、使えねえなあ」
「ごめんさいぃ……」
「もういいよ、こっち持ってきて」
「うぅぅ」
ずるずると袋を引きずりながら、トテトテと足音が近づいてくる。背後に来たようだ。
「それで、早く俺を殺せよ」
「え?」
「わかってんだよ。お前、あのメリーさんってやつだろ。メリーさんには捨てられた人形やぬいぐるみの怨念がこもってるんだ。それで、ある日突然電話がかかってくる。電話がかかって来るたびに家まで近づいてきて、最後は家の中まで入ってきて……それで終わりだ」
「最初からわかってたの……」
「わかってて遊んでたんだよよ。手に包丁でも持ってるんだろ。やってくれよ、ブスリとさ。左胸を狙って。あ、右と左は大丈夫か? お箸を持つ手と逆の方だぞ」
「そんなことできないよぉ」
「お前だって都市伝説の端くれだろ。人一人くらい殺してみせろよ!」
「でも、だって……」
「だって、じゃない。務めを果たせ」
「だって、久々にまともに取り合ってくれた人だし、普通は非通知だと電話に出ないし……」
俺だって久々の電話だったんだ。非通知でも何か期待する。
「……死にたいの?」
「死にたきゃ悪いかよ」
「悪くないけど……でも、私は殺そうなんて思ってなくて……ただ……」
「でも恨みがあるから俺のところに来たんだろうが」
「心当たり、あるの?」
ダンジョン内の間の抜けたBGMだけが聞こえる。
「お前、ぐんまちゃんだろ」
メリーさんは黙っている。
「生まれた時から一緒だったけど、三年前、俺が上京するときに捨てちまったもんな。この歳にもなってぬいぐるみを持ってるなんて恥ずかしいし情けないって、中学からずっと思ってた。いや、小学校の高学年からだな。だけど、いざ捨ててしまうと、ちょっとは引っかかるもんだな」
「……覚えててくれたんだね」
「ずっと覚えてるわけじゃない。けど、ふとした時に、昔の写真なんか見た時に、思い出すこともある」
ねえ、とメリーさんが沈黙を破る。
「なんで捨てたの?」
「上京して、新しい自分になるつもりだったんだ。地元では、悪いことばかりじゃなかったとは言っても、嫌な思い出のほうが多かったからね。だから、過去とお別れしたかったんだ」
「もう子供じゃないもんね。仕方ないよ」
メリーさんの声は寂しげだった。
「だけど、駄目だったんだ。東京では一つも楽しいことなんてなかったんだ。群馬の、畑しか見えないところに一人でいるより、東京の人混みを一人で歩く方がキツいんだ。それで今は大学もやめちゃって、昼間から酒のんでゲームしてんだ。最低だよ」
「そんなこと、ないよ」
「都市伝説のお前に何がわかるんだよ」
「でも、私は十八年も一緒にいたもん」
ああ、そうだ。群馬にいた十八年間、俺の話し相手はほとんどぐんまちゃんだけだった。それこそが忌むべき記憶で、決別しようとしたのに、東京では結局一人の話し相手もできなかったのだ。
気づいたらパジャマの襟が濡れていた。
「俺は皆とは違うんだよ、あんな風に上手にはできないんだ」
「そういう時だってあるよ。きっと、あなたにはあなたの居場所が見つかるはずだよ」
「だけど、俺なんて、どうしようもなくて……友達もできなくて、勉強も頑張れなくて、何もできないんだ。未来なんて手に入らないのに過去だって捨てちゃって……」
「私は、別に、恨んでるわけじゃないよ。時間が来たらお別れするのは仕方ないことだもの。古くなったら捨てられるのも当たり前だもの。だけど、ただ、もう一度会いたかったから来たの、あなたに」
俺の涙腺は決壊していた。小さな頃、ぐんまちゃんと過ごした日々が目の前に浮かんだ。楽しいこともあったんだ。空が綺麗で、海はないけど、自然が俺を受け入れてくれていたんだ。
「つまづいたら、故郷のことや楽しかった記憶や、私のことを思い出してね」
「メリーさん、いや、ぐんまちゃん」
俺は涙混じりのひどい声で、ありがとうさえ言えなかった。
「今のあなたはすごく疲れている。だから、群馬で少し休めばいいんだよ。高崎線で東京駅から二時間で帰れるんだから。たったの一九四〇円で」
「うん、俺、明日群馬に帰るよ。しばらく故郷の風に当たってみる」
「上手くやろうとしなくていいの。初代群馬県令で群馬の教育と産業の発展に勤めた名県令、楫取素彦みたいな偉人にならなくていい。群馬県出身の詩人、萩原朔太郎みたいに傷ついてばかりでも、草津温泉で癒やせばいい。だから、どうか生きていこう」
「地元、変わってないかな」
「今は、大河ドラマにちなんで、ぐんま花燃ゆプロジェクト実施中だよ。大河ドラマ館やゆかりの地をめぐるのもいいね。あとは、去年世界遺産に指定された富岡製糸場も見どころいっぱいだよ」
「美しい関東平野で育てられ全国有数の厳しい衛生管理を経た上州牛や、普通のニジマスより一年長い三年目に成熟する大型ニジマス『ギンヒカリ』の味が恋しくなってきたよ」
「全国のうどんのナンバーワンを決めるU-1グランプリで二〇一三年に名だたる強豪を押さえて優勝した桐生名物ひもかわうどんも、ツルッとした独特の食感が魅力だね」
数は少ないけれど、確かに俺の好きだった時間が群馬にはあるのだ。ほのぼの群馬。心にググっと群馬県。
トテトテと、メリーさんの足音がする。
「背中、大きいね」
「そんなことないよ。ちっぽけな人間なんだ」
「でも、ちょっとは大きくなったよ」
「そうかな」
「ねえ、きっとこれからやり直せるよ。あなたのこと知ってる私が言うんだから大丈夫。しばらく休んで、それから頑張ろう。少しずつでいいから。今度は未来だって手に入るよ」
「うん」
「俺、駄目な人間だけど……でも、ありがとう。もう一度生きてみるよ。どれだけ辛くても……」
「見えなくたって、私はいつも側にいるからね」
冷たいけれど優しい腕が、俺の背中を抱きしめた。
「私、メリーさん。あなたの後ろにいるの」
メリーさん